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鐵牛和尚の寿塔を後にし、いよいよ今日の目的地「紹太寺のしだれ桜」へ。4月6日(月) 13:15鐵牛和尚の寿塔を後にし進むと案内板が立っていた。鬱蒼とした中に案内板「長興山しだれ桜」と。”鐵牛和尚の寿塔”方向を振り返る。小田原市指定天然記念物 長興山鉄牛和尚寿塔付近の樹叢長興山紹太寺は幕末の火災で堂塔が焼失しましたが、この付近の樹林は火災からまぬがれたため、聖域としてそのまま残され小田原市内はもとより神奈川県下でも数少ない残存自然林として貴重なものです。この樹木を構成している代表的な樹林は、かってこの地域一帯を覆っていたと思われるスダジイとイヌマキで、共に二〇本余りを数え、これらの樹木は、いずれも小田原市内で最大級のものです。このほか、クスノキ、ヤブニッケイ、シラカシ、ウラジロガシ、ヤブツバキなどの照葉樹が混生しています。なお、この樹叢の指定面積は、六、七〇六平方メートルです。 小田原市教育委員会樹叢を見上げる。宮沢川の沢に刻銘石の説明板が立っていた。鉄牛の寿塔の先の宮沢川周辺には刻銘石がたくさんあると。刻銘石は苔むし、マメヅタ(豆蔦)が絡みつき、字の判読は出来なかった。説明板に”刻銘石「藤岡渓」 小田原市教育委員会”とあった。太閤一夜城と長興山史跡巡りコース 長興山のしだれ桜 50m 紹太寺 650m 裏道になるのか 石垣山一夜城歴史公園 3,930m木柱に「長興山紹太寺一吸亭」と。一吸亭跡 (いちぎゅうていあと)一吸亭は、長興山紹太寺第二世超宗和尚が天和三年(1683)の初夏、宇治から帰った師の鉄牛禅師を慰めるために二丈四方の建物造ったのが最初で、はじめは竹を編んで壁とし、草を敷いて坐るという風雅なにわか造りのものでしたが、後に改修されました。しだれ桜の近くに「琵琶池」の刻銘石がありますが、この池は一吸亭の庭前の池であり、書院であった「静浄観」に劣らない山中の景勝地でした。なお一吸亭の名は、目前に展開するすべての風景を一毛孔に吸い尽くすという意味で名付けられたといわれています。 小田原市教育委員会こちらの木柱には「かながわの美林50選 長興山鉄牛和尚寿塔周辺の森」と。巨木が覆うスポットである。柵で囲まれた「長興山紹太寺のしだれ桜」があった。途中写真撮影したので40分を要した。紹太寺の麓の総門跡におられた交通整理の方から「近年枝が折れた」と聞いていたが、無残な姿になっていた。しだれ桜には枝が少なく多くの支柱で保護されていた。少々疲れた標柱が立っていた。「かながわの名木100選 長興山のシダレザクラ 県下最大のシダレザクラで、4月上旬に開花するが、滝のようにしだれる その姿は、夏の□□花火を思わせるほど□□で壮大である。 小田原市の天然記念物に指定されている。 樹高 13メートル 胸高周囲 3.8メートル 樹齢 約300年(推定) シダレザクラは、本州中部から九州の山地に分布するエドヒガンの枝が垂 れるもので、各地に栽培されている園芸品種である。 樹高20メートル、胸高周囲5メートル、樹齢約500年に達するものもある と言われている」。この写真はネットから(2009年4月4日 撮影)。小田原市指定天然記念物 (昭和三二年三月三十日指定) 長興山の枝垂桜 (所在地)入生田四七○ シダレザクラは、本州中部以西に生えるエドヒガン(ウバヒガン、アズマヒガン)の変種で、枝が垂れ下がる点が特徴です。また、サクラの種類のうちでも寿命が長く、大木になり、特異な樹形となることから、神社や寺院の境内によく植えられ、市内でも早川の真福寺、下大井の保安寺、城内の二宮神社などに見られます。この木は、枝を八方へ平均に広げ、シダレザクラの基本的な形を整えています。3月下旬から4月上旬にかけて濃い緑の樹叢を背景に開花する姿はまことに美しく、県下にも比類のない名木です。このサクラは、稲葉氏が紹太寺を建立した頃、その境内に植えられたもので樹齢三三〇年以上と推察されます。 小田原市教育委員会しだれ桜を反時計回りに散策することに。枝には支柱があったが上部の枝先に小枝がなく元気がなかった。今年は花は咲いたのか。柵で囲われた中に刻銘石があった。刻銘石「琵琶地」琵琶地は、「一吸亭」の庭前の池でした。 小田原市教育委員会柵に沿って回り込む。しだれ桜の胸高周囲は、3.8メートルあると。しだれ桜を下から見上げる。満開時は、花が滝のように降り垂れ下がる見事な姿を見せてくれる。ただ、近年は勢いがなくなり花のボリュームは感じられないと。小枝が出ているが勢いがない。老木のしだれ桜は咲き終わっていたが、若木は見頃であったか。ズームアップしだれ桜の下に石祠があったが説明板がなく不詳。後方の山の中腹にもしだれ桜が植えられていたが咲き終わり葉桜に。長興山しだれ桜は小枝が芽吹いているようだ。樹木医が手入れをしているのか、後方の斜面に咲くしだれ桜との競演が見たいものだが。支柱が新しいので数年後には回復するのであろうか。上部の枝に今一元気さがないようで小枝が少ない。枝ぶりは良いのだが。後方の桜をズームアップ。長興山しだれ桜の下側に広場があった。老木の傍に聳える若木のしだれ桜は満開であった。刻銘石「松蘿圃(しょうらほ)」松蘿は、松にさがった蔓、または茶の意味で、紹太寺の衆僧によってこの付近に野菜畑あるいは茶畑が拓かれていたと思われます。 小田原市教育委員会再度見上げる。一部太い枝は切断されているようだ。この日は訪れている人はチラホラであった。ここ後はキャプションなしで満喫した。若木は満開に。老木も蘇ってほしいものだ。ピンクのしだれ桜をズームアップ。この後、後方の山へ登り見下ろすことに。長興山しだれ桜の下に広い広場があり売店らしき建物があった。かつては多くの人が麓から歩いて来たのであろう。13:35建物の前にはベンチが置かれていた。 ー 続く ー
2026.05.18
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子院・清雲院(現・長興山紹太寺)から360段の石段を登りかつての長興山紹太寺の伽藍跡へ。4月6日(月) 13:00伽藍跡の平坦地から石段を上ると広場があり、その上に五輪塔群の上部が見えていた。広場の木柱に「長興山紹太寺 御霊屋跡」と。石柱には「奥津祖禰圓明旨」であったか。広場に立札があった。御霊屋跡 (みたまや)この平坦地に御霊屋がありました。御霊屋には、稲葉氏歴代の位牌と開基稲葉美濃守正則の坐像が安置されていました。御霊屋跡から稲葉一族の墓(春日局の墓)を見上げる。五輪塔が見える。御霊屋跡から石段を登ると正面に7基の五輪塔群が立ち並び、右側手前に1基あった。奥行きがないので全体が入らず左側を撮影。正面の右側から6基の五輪塔。五輪塔には「地水火風空」の文字の彫が深くクッキリと出ていると。小田原市指定史跡 (昭和三十六年三月三十日指定) 稲葉氏一族の墓稲葉氏は、寛永九年(1632)から貞享二年(1685)まで正勝、正則、正通の三代五十三年間、小田原城主でありました。正則は寛永十二年(1635)父母の追福のため菩提寺を城下の山角町(南町)に建てましたが、寛文九年(1669)に現在の紹太寺に移しました。春日局は正勝の実母で、正則は幼少の時から祖母の局に養育され、成人したと伝えられています。ここの局の墓は、正則が祖母の追福のために造った供養塔で、本墓ではありません。また、正勝とその夫人の墓も正則が父母のめい福を祈るために造った供養塔で、本墓ではありません。しかし、正則とその夫人の墓は、ここが本墓であると伝えられています。これらの墓の型は、正則だけが位牌型で、その他は五輪塔となっています。なお、塚田杢助正家は、正勝の重臣でしたが、正勝の一周忌に切腹して殉死したという忠節をたたえ、ここに葬られました。 墓の配列は正面向って右より ●塚田杢助正家の墓(正勝の重臣) (伝正則造立) ●稲葉美濃守正則の長兄の墓 (伝正則造立) ●稲葉丹後守正通の後室の墓 (伝正通造立) ●稲葉美濃守正則の正室の墓 (伝正則造立) ●春日局の墓(正勝の母) (伝正則造立) ●稲葉丹後守正勝の墓 (伝正通造立) ●稲葉丹後守正勝の正室の墓 (伝正則造立) ●稲葉美濃守正則の墓 (伝正則造立) 小田原市教育委員会右から「春日局」「正則の父正勝」「正勝の正室」、位牌型の「正則」の墓。中央に一番大きい”春日局の墓”。春日局の墓本墓ではなく供養塔であると。一族の墓の右手前には、一族とは違う正勝重臣の塚田杢助正家の墓があった。一つの五輪塔に石燈籠が3基。一族の墓の左側から撮影。五輪塔と多くの石灯籠が立っている。稲葉一族の墓から御霊屋跡を見下ろす。興山紹太寺の伽藍跡はみかん畑になり農作業用の小屋が建っていた。遠くに小田原城下。小田原城下をズームアップ。更にズームアップすると小田原城が見えていた。冬場には相模灘が見え三浦半島が望めるのであろう。興山紹太寺の伽藍跡へ下りる。広場があり整備中で、山の斜面にはみかん畑が広がっていた。第18号 紹太寺報によると、「昨年度より稲葉一族春日局墓所周辺に手作り公園を作っております。今回は階段横にスロ ープを作り今後丸太の椅子や樹木、花などを植栽予定です。この活動はボランティア活動 によるものです。是非活動にご参加ください」とあった。左側の建物は、「老人ホームの長寿園」。所在地:神奈川県小田原市入生田475一般者は長寿園まで車で来れるのであろうか。太閤一夜城と長興山史跡巡りコース⇧ 稲葉一族の墓 (春日局の墓) 40m、⇨ 鉄牛和尚の寿塔 180m、長興山しだれ桜 270m紹太寺まで、500m。畑の中を「鉄牛和尚の寿塔、長興山しだれ桜」へ向かった。杉林に中に案内板があった。案内板には「長興山紹太寺 裏大門の道 (ここを下ると三筋橋付近に出ます)」と。足元は笹が生い茂っていたが。舗装された杉林を進む。右下には宮沢川が流れていた。杉木立の中に刻銘石があり説明板が立っていた。刻銘石「百花叢(そう)」「この辺にはえていたたくさんの草花は、おそらく植えられたものでしょう」と。自然石に「百花叢」と。いつの時期に彫られたのであろうか。刻銘石「百花叢(そう)」を回り込み。次にあったのが ”刻銘石「遡洄岩(そかいいわ)」”。「遡洄岩は、沢水をさかのぼってきた岩という意味のようです」と。字が刻まれていたが。これも「マムシグサ(マムシソウ)」であろうか。大きな自然石が沢に転がっており傍に説明板があった。説明板がなければただの岩だが。刻銘石「石牛路」。ここから沢沿いに約五百メートル登ったところに「牛臥石」という大石があります。そこに至る道は「石牛路」と呼ばれていました。字が確認できなかったが「石牛路」とあるのであろう。岩にはマメヅタ(豆蔦)がからみつき。約五百メートル登ったところに「牛臥石」という大石があるという辺りから流れる沢。立札には、「この水は簡易水道用水に付きゴミの投入、立ち入り等ないようお願い致します。 水道組合」と。 また、前方には長い石段があった。下流側の沢、この先で宮沢川に。長い石段の先に墓石が見えた。鐵牛和尚の寿塔所在地:神奈川県小田原市入生田470この寿塔は、長興山紹太寺の開山鉄牛和尚の還暦を祝い、貞享四年(1687)に紹太寺二世の超宗和尚により造立されたものであると。塔は天然記念物のしだれ桜背後の山中にありますが、かつてはこの場所も広大な紹太寺の境内であり、庭園の一角であったと。小田原市指定史跡 (昭和三六年三月三十日指定) 鉄牛和尚の寿塔 (所在地)入生田四五四塔の高さは、ニ、六五mあって、二重基壇の上に反花座(かえりばなざ)と請花座(うけばなざ)を造り、その上に円形板状の塔身が立っています。鉄牛和尚は、はじめ臨済宗の京都大徳寺の大龍和尚に参禅し、後に黄檗宗の本山宇治万福寺の隠元禅師に師事しましたが、その後、稲葉正則に招かれ小田原に来て、寛文九年(1669)紹太寺の開山となりました。元禄一三年(1700)八月に死去しましたが、正徳二年(1712)の一三回忌に朝廷から生前の功績をたたえられ、大慈普応禅師の称号を賜わった高僧です。寿塔は、貞享四年(1687)に鉄牛和尚の長寿を祝福して、その門人で紹太寺二世であった超宗和尚が建立しました。 小田原市教育委員会寿塔は周りを樹叢(じゅそう)が覆い木漏れ日の中にあるので苔むしている。塔の形状は、二段の基壇の上に反花座(かえりばなざ)と請花座(うけばなざ)を造り、その上に円形板状の塔身が立っている珍しい形状である。塔の正面に「開山上銕下牛機老和尚壽塔」と。裏面には、「貞享丁卯七月□六周甲吉辰 第二代嗣法門人超宗格造立」と。左前方から珍しい墓石である。寿塔下の樹叢を見下ろす。しだれ桜の咲く時期だが訪れる人は少なかった。総門跡におられた交通整理の方が「しだれ桜は数年前に折れたと」言っておられたが。樹叢を見上げる。13:15鐵牛和尚の寿塔を後にし、いよいよ今日の目的地「紹太寺のしだれ桜」へ。 ー 続く ー
2026.05.17
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”紹太寺のしだれ桜”を求めて、かつての紹太寺伽藍跡へ360段の石段を上ることに。4月6日(月) 12:25長興山紹太寺 (かつての子院・清雲院) の裏を流れる宮沢川。橋の右側の親柱に「長興山橋」と。看板には、「しだれ桜見学の皆様へ これより先には駐車場はありません」と。 田辺権太夫夫妻寄進の石橋で、田辺家は稲葉家家老職の家柄であった。 橋の先に石段があった。ここより360段の石段を登ることに。入山者が見あたらず野生動物が気になったが・・・。石段下に案内板が立っていた。石段下から総門跡方向を見下ろす。右側の石灯籠の台座に「長興山母の里 石段公苑」と。石段入口に”太閤一夜城と長興山史跡巡りコース”の案内板。目的地の「稲葉一族の墓所 490m、鉄牛和尚の寿塔 570m、長興山しだれ桜 640m」と。最初の石段を上り振り返る。石段を上り終えると石畳の参道が続く。参道の周りは杉林であったか薄暗かった。また、鬱蒼としているので石畳脇にはシャガの群生地があった。ズームアップ。石畳を進むと参道脇に観音像が立っていた。像は比較的新しいものであった。この先下の道を上ると「老人ホームの長寿園」がある。目的地までの距離が記されているので助かる。「稲葉一族の墓所 310m、鉄牛和尚の寿塔 390m、長興山しだれ桜 460m」と。石段の下に観音像が奉納されていた。台座には「平成十八年十月吉日」と、奉納者の氏名も刻まれていた。参道脇に咲いていた花。AIで検索すると「マツバウンラン(松葉海蘭)」とでたが。木漏れ日の石畳。参道脇は草が刈り取られ管理されていた。石畳の先に最後の石段が見えて来た。最後の石段に木の枝が落ち参道を塞いでいた。訪れた日に折れたのであろうか。落枝をさけ360段の階段を上り終えると石橋の「透天橋(とうてんきょう)」がある。一気に登ってきた石段を見下ろす。急な360段の石段であった。透天橋 (とうてんきょう)透天橋(とうてんきょう)・放生池(ほうしょうち)・石柱正面の石橋を「透天橋」といい、秋葉美濃守正則の重臣田辺権太夫夫妻が寄進したものといわれています。また、橋の下の池を「放生池」と呼び、以前はもっと広く、近くを流れる石牛沢から引かれた水が入って、開山鉄牛禅師はこの池でも「放生会」を行ったものと思われます。放生とは、捕えられた魚を慈悲の心で放してやることです。透天橋を渡った参道の両側にある石柱は、長興山紹太寺の天王殿(楼門)の手前に位置し、いつ頃建立されたものか不明です。向って右側の石柱に刻まれている銘文は、往時の紹太寺の伽藍の周囲に植えられていた樹木の様子がよくわかります。 小田原市教育委員会 透天橋は、幅1メートル程の石橋であった。小田原城藩主秋葉美濃守正則の重臣田辺権太夫夫妻が寄進したもであると。透天橋の先の石段を登ると参道の両側に石柱が立っている。これもAIで検索すると「マムシグサ(マムシソウ)」とでたが。よく似た花で「ウラシマソウ」があるが。正解は。参道右側の石柱。中央に「紅・・在・天王殿前放生池透天橋・・・・・」と。ネットで調べると、「紅白桜は天王殿前に在り、放生池、透天橋、連碧樟、共に天王殿前階段下に 在り」と刻まれていると。裏面にも刻まれていた。ネットから、「四王松、双竜梅は天王殿後に在り、二柱桂は月台前に在り、二韓松は大殿 (大雄宝殿)の両側に在り」と。漢字が刻まれていたが判読できなかった。参道左側の石柱。石柱横から透天橋を見下ろす。長興山紹太寺の360段の石段を登り切り透天橋を渡ると平坦なみかん畑が出てくる。山の中腹にあり、かつてこの地に当時の紹太寺の伽藍塔頭が建っていた場所である。長興山紹太寺主要伽藍跡長興山紹太寺の主要な伽藍は、この平坦な畑の中に建っていました。この図は弘化五年(1848)の絵図を基に作成されたものです。(美原町教育委員会「黄檗宗寺院の伽藍計画に関する研究」を一部改変) 小田原市教育委員会主要伽藍配置図現在はみかん畑になっているが発掘調査は行われたのか。配置図から見るとこの辺りには「天王殿」「鐘楼堂」があったようだが。太閤一夜城と長興山史跡巡りコース「稲葉一族の墓所 70m、鉄牛和尚の寿塔 150m、長興山しだれ桜 220m」と。かつての”長興山紹太寺伽藍跡”にはみかん畑が広がっていた。参道はお茶の垣根で区画されていた。太閤一夜城と長興山史跡巡りコース⇧ 稲葉一族の墓 (春日局の墓) 40m、⇨ 鉄牛和尚の寿塔 180m、長興山しだれ桜 270m正面の山の中腹に「稲葉一族の墓 (春日局の墓)」がある。石段下両側に説明板が立っていた。左側のスロープは、石段は滑りやすく転ぶ人が出ているので、ボランティア活動で昨年度施行したと。右側に、”刻銘石「瓔珞櫻(ようらくおう)」”と。「この刻銘石から現在の名木しだれ桜がまだ植えたばかりの幼樹でも、すでに大切にされて いたことがわかります。」と。斜面にはシャガの群生地。自然石に字が刻まれていたが判読できなかった。この時期シャガがよく咲いている。13:00左側にも、”刻銘石「昆弟槙 (こんていまき)」”と。「兄弟のように二本の幹を持ったイヌマキが、この辺にあったことがわかります。」と。自然石に字が刻まれていたが苔むして判読できなかったが、どちらも丸っこい文字で開山の鉄牛の筆と考えられていると。 ー 続く ー
2026.05.16
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山神神社の散策を続ける。4月6日(月) 12:15神楽殿前から境内を見る。境内に聳える大きなイチョウの木が見事だとあったが。また、境内の奥に石祠、石碑が立っていた。石祠群残念ながら説明板がなかったので詳細は不明。右には苔むした手水鉢もあった。右に「地神塔」、中央に庚申塔があり字が刻まれていたが判読できなかった。拝殿の右にある鳥居。奥にある石祠は、江戸時代早川の流れが変化してなくなった後河原村の鎮守が移されてきたものという。かつて地球博物館あたりに存在していた。移されてきた石祠。小田原市の指定保存樹林になっているだけに巨木が多い。宮沢川沿いに三椏が咲いていた。ズームアップ。長興山紹太寺所在地:神奈川県小田原市入生田303寺号標石に「長興山紹太寺」と。標柱に「子院・清雲院 (現・長興山紹太寺)」。子院・清雲院(現・長興山紹太寺)清雲院は、長興山紹太寺の参道沿いにある子院の一つです。紹太寺の七堂伽藍は、弘化四年(1847)安政年間(1854~1859)、さらに明治の火災で焼失しましたが、この清雲院は難を逃れ、本寺である紹太寺の法灯を守り現在に至っています。山門前にある「松樹王」の刻銘石は、東海道の風祭と入生田の境にあった境界石です。この刻銘石の左側面を見ると「長興山境」と刻まれていることからも分かります。紹太寺の広大な寺領には、7箇所あったと伝えられ「長興山の七つ石」(五基確認)といわれています。山門を入って本堂正面に掲げられている「長興山」の扁額は、黄檗宗の開祖隠元禅師が書き下ろしたもので、紹太寺の総門(大門)にあったものです。 小田原市教育委員会刻銘石「松樹王」と。刻銘石は境界を記している「長興山 境」と。山門への参道脇には多くの石仏が立っていた。長興山「母の里石段公苑」三代将軍徳川家光の乳母春日局と小田原藩主(城主)稲葉一族が眠る幽邃の地、母の里 石段公苑です。これより三百六十段の石段を登るとそこには奥津城が静かに佇み、遥か相模灘を望み古の歴史が彷彿として蘇ってまいります。神奈川県名木百選、小田原市指定天然記念物「しだれ桜」そして県下でも数少ない樹叢の中に黄檗宗の高僧「鉄牛禅師」の寿塔があります。この由緒ある石段公苑にご先祖さまの化身として、釈迦如来・観音菩薩・地蔵菩薩・七福神等の石仏を石段左右に建立し崇拝する人、知人友人の霊を追善供養、商売繁盛祈願、家内安全祈願等を念じれば心の安らぎが得られるものと存じます。宗旨宗派等は一切問いません。ご希望の方は紹太寺までご照会下さい。 長興山紹太寺 小田原市入生田三○三 0465 (22) 7760山 門山門の周りにはシャクナゲが奇麗に咲いていた。セイヨウシャクナゲであったか。ピンク色が鮮やかである。ズームアップ。長興山紹太寺 (かつての子院・清雲院) の本堂かつては茅葺屋根であったが銅板葺きに修築されている。本堂の扁額「長興山」黄檗宗の開祖隠元禅師が書き下ろしたもので、紹太寺の総門(大門)にあったものだと。本堂に掲示されていた説明書。「扁額 長興山 隠元書」と。下には、隠元禅師の説明が長々と書かれていた。隠元隆琦禅師は、中国明代末期の臨済宗を代表する費隠通容(ひいんつうよう)禅師の法を受け継ぎ、臨済正伝32世となられた高僧で、中国福建省福州府福清県の黄檗山萬福寺(古黄檗)の住持でした。日本からの度重なる招請に応じて、承応3年(1654)、63歳の時に弟子20人他を伴って来朝。のちに禅師の弟子となる妙心寺住持の龍渓禅師や後水尾法皇そして徳川幕府の崇敬を得て、宇治大和田に約9万坪の寺地を賜り、寛文元年(1661)に禅寺を創建。古黄檗(中国福清県)に模し、黄檗山萬福寺と名付けて晋山されることになりました。禅師の道風は大いに隆盛を極め、道俗を超えて多くの帰依者を得られました。禅師は「弘戒法儀」を著し、「黄檗清規」を刊行して叢林の規則を一変されるなど、停滞していた日本の禅宗の隆興に偉大な功績を残されたことにより日本禅宗中興の祖師といえるでしょう。爾来、禅師のかかげられた臨済正宗の大法は、永々脈々と受け継がれ今日に至っています。そして行と徳を積まれた禅師は、ご在世中、物心両面にわたり、日本文化の発展に貢献され、時の皇室より国師号または大師号を宣下されています。また禅師の将来された文物は、美術、医術、建築、音楽、史学、文学、印刷、煎茶、普茶料理等広汎にわたり、宗教界だけにとどまらず、広く江戸時代の文化全般に影響を及ぼしました。この他、隠元豆(いんげんまめ)・西瓜(すいか)・蓮根(れんこん)・孟宗竹(たけのこ)・木魚なども禅師の請来によるものです。本堂のガラス戸に映える境内。貼り紙に、「春彼岸合同供養 三月二十日 十より 参加無料 施餓鬼会 歴史法話会 四月十九日(日) 十時より 参加希望者はご連絡下さい。参加費六千円 同伴者二千円」と。ポスターに、「稲葉一族と春日局が眠る禅寺 長興山 紹太寺 共同墓苑のご案内」と。本堂の左前に植えられていた「ナギ (梛)」。ナギの葉 ●マキ科/ナギ属 ●花期:5月~6月 葉脈が縦方向のみにあるため、縦方向に引っ張っても容易に切れないことから、葉や 実が夫婦円満や縁結びのお守りとしても使われています。黄檗宗 長興山 紹太寺 本堂の収蔵品本尊 釈迦牟尼仏紹太寺の本尊釈迦牟尼仏は、建仁元年(1201 鎌倉時代)に源頼朝の妻、政子により亡き頼朝の供養の為創建された。元は伊勢原市の浄業寺に遷座していたが、同寺が廃寺になるにあたり、明治三十七年頃紹太寺に移動している。浄業寺には釈迦牟尼仏、文殊、普賢の計三尊の仏像があったが、現在所在が明らかなのは紹太寺の釈迦牟尼仏のみである。いずれも鎌倉の仏師、法橋式部の彫造である。大変歴史のある本尊だが、浄業寺から移ったのはこれだけではない。立派な政子の位牌である。鎌倉寿福寺には「安養院殿如実妙観禅尼」の位牌があるが、紹太寺に祀られている位牌は「鎌倉二位尼将軍如実大禅尼」である。頼朝は伊豆に流された後、鎌倉幕府を開くまでに至っていることから、頼朝の供養の為創建されたこの本尊は、「仕事運・勝負運」を、また、頼朝と政子の関係から、「夫婦円満」のご利益があると言われております。鐵牛禅師座像本尊釈迦牟尼仏のとなりに遷座しているのが、鐵牛禅師です。十一歳の時に鳥取のお寺で仏道の勉強を始めておりましたが、聡明、俊敏でお経はすぐに覚えてしまいますし、漢詩にも秀でておりまして、一座を圧すると言われておりました。説法を聞いても要旨がすぐに分かってしまうという具合で、将来は禅の大師匠になるお方だと周囲は期待していました。その後各地で修行するごとに名声は高まり、二十五歳の時に紹太寺やその他数ヶ寺から住職の依頼がありましたが、いずれも固辞されております。その後、隠元禅師が長崎に来られているということを聞き、長崎に出向いて相見しております。しかし隠元禅師は摂津の普門寺に行かれましたので、弟子の木庵禅師の傘下に入られます。三十一歳の時、紹太寺の檀越で小田原藩主の老中稲葉正則公の使者から、再び紹太寺住職に推されています。この時遂に、紹太寺の住職を引き受けたのです。稲葉正則公は、この後正式に鐵牛禅師に帰依されております。このご縁によって、後の治水や開拓事業などが成功しました。阿弥陀如来現在の本尊、釈迦牟尼仏が紹太寺に遷座する以前は阿弥陀如来が本尊であった。紹太寺の塔頭、清雲院の本尊を移したものと思われる。黄檗宗 長興山 紹太寺(禅宗)由緒(開創からの歴史) 本寺は、江戸時代初期の小田原藩主だった稲葉氏一族の菩提寺です。当初は、小田原 城下山角町にありましたが、第2代稲葉美濃守正則が寛文九年(1669)、幽邃境として 知られた現在地に移建し、山寺号も「長興山紹太寺」と称し、父母と祖母 春日局の霊 をとむらいました。 開山は、京都宇治の黄檗山万福寺で隠元禅師のもとに修業に励んでいた名僧鐵牛和尚 で、当時は東西十四町七十間、南北十町十六間という広大な寺域に、七堂伽藍が配置 され、黄檗宗では関東一の寺院でした。しかし、これらの堂塔が幕末安政年間の火災 で焼失してしまったのは、まことに惜しまれます。境内裏には「稲葉氏一族と春日局 の墓」があります。 天然記念物「長興山のしだれ桜」は、寿塔のすぐ近くです。「春を忘れぬ形見に」と 稲葉正則が植えたもので、樹齢ざっと三百二十年。樹高約十三メートル。四月初旬は、 巨大な花笠を広げたように開花し、多数の見物客で賑わいます。 歴代住職 開 山 鐵牛道機 開 基 稲葉正則(小田原藩主) ・ ・ (現)30代 徳昭明長 境内配置図この後、裏山にある「長興山の枝垂桜 他」を見に行くことに。境内から本堂を見る。左下には「⇦ 共同墓苑 大地と宇宙 夫婦墓「円」 清雲の碑」の案内板が立っていた。 境内の左奥に枝垂れ桜が咲いていた。咲き終わった枝垂れ桜も。境内にも駐車場があった。枝垂れ桜をズームアップ。更にズームアップ。長興山 紹太寺 稲葉氏一族と春日局が眠る禅寺 永代供養墓「大地と宇宙」 ※過去の宗旨・宗派は問いません。 ※永代供養料 38万円 他に初回経費(プレート代など)2万円 ※年間管理費、年間供養費はいただきません。 ※生前契約者募集中。 ※墓地分譲 随時ご相談ください。 ~ 安心して今を生きる為に ~本堂裏の墓地の一角に、富士山に「大地と宇宙」。費用は初回に永代供養料38万円+初回経費(プレート代など)2万円で、年間管理費、年間供養費は不要であると。墓地の一角に”立派な笠付き墓塔”が立ち説明板があった。小田原市指定重要文化財(歴史資料) (昭和六十三年十一月一日指定) 長興山開発供養塔小田原城主稲葉正則は、寛永十二年(1635)に父母のめい福を祈るため、菩提寺を城下の山角町(南町)に建立しました。その後、寛文九年(1669)に入生田村に移しましたが、これが現在の長興山紹太寺です。この塔は、相州岩村(現在の真鶴町岩)の住、浅倉清兵衛が建立しました。銘文には工事に参加した藩士(八人)、工事に労役した僧侶(四十三人)をはじめとする多数の関係者の人名が記されています。このようなことから、長興山の開発が大工事であったことをうかがい知ることができます。なお、この供養塔は、笠塔婆型の石塔で、その寸法は次のとおりです。(供養塔は墓地内にあります) 一、露盤・伏鉢 高さ 十七、○センチ ・幅二十三、○センチ 一、笠 高さ三十四、○センチ ・幅七十四、○センチ 一、塔身 高さ百二十二、○センチ ・幅四十、五センチ 一、基礎 高さ三十三、○センチ ・幅七十八、○センチ 小田原市教育委員会開発供養塔他3基左から、 ・開山鉄牛父母の供養塔 ・長興山開発記念供養塔 ・長興山開発総奉行 梅原源五右衛門の墓 ・二世超宗父母の供養塔供養塔には字が刻まれていた。遊撃隊士の墓遊撃隊士の墓この墓は、明治元年山崎合戦において十八歳の若さで死亡した駿河国(静岡県中部)出身の遊撃隊士のものです。当時、前田家で介抱しましたが、ついに絶命し、同家の墓地に埋葬されたと伝えられています。 小田原市教育委員会12:30紹太寺の墓地を後にし稲葉正則公が植えたと言われる「しだれ桜」を愛でに。 ー 続く ー
2026.05.15
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かねてから行きたいと思っていた小田原市にある「紹太寺のしだれ桜」を愛でに、併せていつものように近隣の寺社史跡巡りをした。この時期 ”菜種梅雨” のため何処へも行けず曇り空であったが、雨が降らないとのことで愛車のノートで訪れた。4月6日(月) 11:55長興山・紹太寺門前この門前は旧東海道で、平成30年(2018)12月4日(火)に旅友のKさんと歩いている。その時に「紹太寺の枝垂れ桜」の存在を知りいつか来たいと思っていた。因みにこの時は、国府津から三枚橋まで歩き約29,900歩であった。その時のブログは「国府津から三枚橋へー6」👈をクリック願います。カーナビを「紹太寺」にセット、西湘バイパスを走り箱根新道手前を国道1号を走り門前へ。自宅から約35キロ、所要時間50分と(Googleマップより)。黄檗宗(オウバクシュウ) 長興山・紹太寺春日局ゆかりの禅寺長興山紹太寺の文化財 重要文化財(小田原市指定) 宗派:黄檗宗(禅宗) ・稲葉氏一族と春日局の墓 ・長興山開発供養塔 開山:鉄牛和尚 ・鉄牛(テツギュウ)和尚の寿塔 ・鉄牛和尚の画像 本尊:釈迦如来 ・長興山紹太寺の境内絵図 ・鉄牛和尚の血書 開基:稲葉美濃守正則 重要文化財(小田原市指定) ー第二代小田原藩主 ・長興山のしだれ桜 ・長興山の樹叢 本山:黄檗山万福寺 (京都府宇治市五ヶ庄)太閤一夜城と長興山史跡巡りコース旧東海道沿いに立つ寺号標石。枝垂れ桜を見に訪れる人が多いのか、交通整理のおじさんが2名おられた。長興山紹太寺(ショウタイジ)紹太寺は、江戸時代の初期(寛永9年(1632)~貞享2年(1685))小田原藩主であった稲葉氏一族の菩提寺で黄檗宗(オウバクシュウ)大本山萬福寺の末寺である。はじめ小田原城下山角町(現・南町)に建立された臨済宗の寺院であったが、寛文9年(1669)稲葉正則は寺を入生田牛臥山のこの地に移し、黄檗宗長興山紹太寺と号して、父母及び祖母春日局(徳川三代将軍家光の乳母)の霊を弔った。往時は寺城方10町(1092m四方)に及ぶ広大な地に七堂伽藍の整った大寺院であった。元禄4年(1691)この地を通過したオランダ商館医師ドイツ人ケンペルの紀行文にも、その壮麗な姿が描かれている。しかし、幕末と明治初年の火災で焼失してしまった。現在の紹太寺は、その折、難を逃れた子院の清雲院がその法灯を継いでいる。現在の市指定文化財 ●稲葉一族の墓所と鉄牛(テツギュウ)和尚の寿塔 ●長興山開発供養塔 ●長興山紹太寺の境内絵図 ●開山鉄牛和尚の画像 ●鉄牛和尚の血書 ●長興山のしだれ桜 ●長興山鉄牛和尚寿塔付近の樹叢旧東海道沿いから参道を見る。交通整理の方から「参道手前は個人の駐車場です」と。門前を横切る旧東海道の江戸方面を振り返る。反対の箱根側には箱根登山鉄道の「入生田(イリウダ)駅」がある。寺号標石の西側に地蔵が並んでいた。赤い前掛けで飾られた六地蔵。六地蔵この六地蔵には、寛永・慶安・寛文などの年銘があり、一時に造立されたものでないことがわかります。江戸時代初期の石仏で、このようにそろっているのは、小田原地方では貴重な存在です。六地蔵には花が供えられていたが自由奔放に立っていた。参道には桜が満開であった。長興山紹太寺総門(大門)跡紹太寺の総門は、東海道に面したこの場所にありました。元禄四年(1691)ドイツ人博物学者ケンペルは、江戸に向う途中、この総門をみて彼の著書「江戸参府紀行」に次のように記しています。「入生田村は、小さな村で、その左手の四角の石を敷き詰めた所に紹太寺という立派な寺がある。この寺の一方側には、見事な噴水があり、もう一方の側には、金の文字で書かれた額があり、しかも前方には、金張りの文字のついた石造りの門が立っている。」この長興山の扁額は、黄檗宗の開祖隠元禅師の書き下ろしたもので現在子院清雲院(現・長興山紹太寺)の本堂正面に掲げられています。なお、現在道路の左側に積み上げてある加工された石は、この総門に使われていたと考えられます。 小田原市教育委員会この場所は個人の駐車スペースになっているとのことで北側へ移動。交通整理の方に駐車場を聞き紹太寺横へ駐車。駐車スペースの向かい側に石碑、石燈籠が立っていた。字が刻まれていたが判読できなかった。説明板がなく詳細は不明。指定エリアに駐車(無料)し坂を下り紹太寺の入口へ。紹太寺 境内案内左下に「山神神社」があったので先に参拝することに。宮沢川を渡り紹太寺境内を振り返る。仮設トイレがあった。鬱蒼とした林の中へ入ると「入生田の山神神社」と。小田原市指定保存樹林この樹林は、小田原市緑と生き物を守り育てる条例に基づき、小田原市と市民が一体となって、緑豊かな住み良い環境づくりをするために指定されたものです。 指定番号 第13号 指定年月日 平成8年2月14日 所 在 地 小田原市入生田288番地1ほか5筆 主要な樹種 スタジイ、カヤ、ケヤキ、モミ 面 積 1,900㎡ 小田原市環境部山神神社の境内から階段を下り旧東海道から「市指定保存樹林」を見上げる。鳥居をズームアップ。階段両側には祭礼があったのか笹が立っていた。旧東海道のこの先に紹太寺の入口がある。民家の北側は格子戸作りになっていた。格子戸に花が飾られていた。箱根方面を望む。この先の左側に入生田駅、また約2キロで三枚橋へたどり着き、いよいよ箱根路になる。山神神社所在地:神奈川県小田原市入生田289ネットで神社の名は、さんしん、やまがみ、さんじんとあったがどれが正?。長い石段を登った境内は鬱蒼たる照葉樹に覆われており、薄暗い中に社殿が建っている。社殿の屋根は銅板葺きで重厚な構えである。境内へは、旧東海道からは長い階段があるが、紹太寺からはフラットである。巨木の下に手水舎があった。大山祇命と木花咲耶姫命を祭神とし、林業や石切の仕事をする人たちが祀ったものという。拝殿の扁額「山神社」。拝殿入口の彫り物ズームアップ。右側の木鼻左側の木鼻社殿の左側に建っていたのは神楽殿であったか。神楽殿の右奥に立っていた石碑。石碑には富士の絵が刻まれ、「佐久夜毘賣命 天下泰平 村中安全」と。12:15社殿の左側から見る。寺社の屋根は銅板葺きが多くなっているが、近年は銅は貴重品で「神社の塀の銅板屋根を盗む」という輩もいる世知辛い世になっている。まさか社殿の銅板までは・・・。 ー 続く ー
2026.05.14
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長久保公園に移植された大庭の「端山藤園のフジ」を探す。5月4日(月) 14:25”花菖蒲の池”の傍に建つ四阿”受付で”端山藤園のフジ”はこの四阿辺りの丘にあり、看板があると聞いていたので探す。花菖蒲の池ハナショウブは、日本に自生するノハナショウブから改良された品種で主に江戸系、肥後系、伊勢系の3系統に分かれ、現在では2千種類にも及んでいます。日本人に古くから愛されてきた鑑賞植物で毎年6月頃に花を咲かせます。池の先に広がる芝生広場の周りには、ソメイヨシノやオオシマザクラなどのサクラが約40本植栽され、広場の南側には藤沢市の花であるフジを植栽したフジ棚があります。花菖蒲の池に木製の通路が設けられている。芝生広場にはテントが張られイベントが行われていた。ソメイヨシノやオオシマザクラなどのサクラが植えられているが咲き終わっていた。花菖蒲が咲く6月頃も楽しみだが。春のみどりと花のまつり EVENT MAP設置場所の案内 事務所・総合案内 芝生広場 大花壇エリア ボタニカルエリア ステージ芝生広場の北側に「展望広場 (ツツジ園)」がある。ツツジの開花はこれからであったか。展望広場(ツツジ園)園内の南西に位置し、広さ371㎡の小高い丘の展望広場からは、湘南海岸や江の島を見渡すことが出来ます。また、展望広場の下には、ツツジやサツキの中でも代表的な数種類の品種を植栽しています。ツツジは、サクラと同じく日本の文化に古くから溶け込み、愛されている花木の一つで日本国内だけでも約75種類あり、4月~5月頃に色とりどりの花を咲かせます。展望広場へ登ると案内板が立っていた。樹の傍に「大庭 台谷 紫長藤」と。大庭の端山藤園から移植されたフジであった。上に回り込む。枝は剪定されていたが根付いて元気に葉を出していたが今年は花がついたのか。幹回りは1メートル近くあるのか。展望広場へ登ると南方向に江の島が見えていた。江の島シーキャンドルをズームアップ。端山藤園のフジを見上げる。フジは傾斜地に植えられれているが、今後枝が伸びるものと思われるがフジ棚をどうするのか。平地に植えるべきではと。以下2枚は、かつての”端山藤園”でのフジ。以前訪れた令和5年(2023)4月20日(木)の写真。花の房の長さが1メートル近くあったか。見事なものであった。再度順調に成長してこのようになることを祈る。芝生広場の中央にこの日限定の”メリーゴーランド”が設けられていた。小型のメリーゴーランドでこの日だけの運転で有料であった。上空にはこいのぼり。フジ棚の前に”吹奏楽ステージ”が用意されていた。この日の演奏は終わっていた。5月4日 5月5日10:30~11:00 羽鳥中学校吹奏楽部 10:30~11:00 鵠沼中学校吹奏楽部13:30~14:00 湘洋中学校器楽部フジ棚の下に「フジロードMAP」があった。引地川・フジ史跡ロードで①~⑪まで紹介されていた。このロードは愛車のリンちゃんで既に巡っている。芝生広場の周りには、ソメイヨシノやオオシマザクラなどのサクラが約40本植栽されている。サクラの木は夏場にはケムシが発生するので嫌がれているのだが。スイレンの池から流れ出る「渓流広場」。樹々の下には木のネームプレートが立っていた。藤沢の自然観察ガイド自然観察ガイドはみどり基金へ100円以上寄付してくださった方に差し上げております。ご希望の方は管理事務所までお越しください。スイレンの池6月から10月にかけて水面のところどころに、鮮やかな花を咲かせますと。花のプロムナード花壇にはいろんな花が植えられていたがテントがあり邪魔をしていた。正面入口へ戻る。生物多様性センター・みどりの相談所この時間でもまだ多くの自転車が駐輪していた。バラ棚に誘引されたバラが咲き始めていた。盆栽展のポスターが貼られていた。14:45”端山藤園のフジ”も確認でき、約1時間の長久保公園散策で引き上げた。 END
2026.05.13
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フジの花を見に藤沢市大庭の「端山藤園」を訪れた時木は無く、聞くと「長久保公園」へ昨年移植したとのことでGWのこの日に愛車のノートで訪れた。カーナビを「長久保公園」にセットして午後出かけた。5月4日(月) 14:00鵠沼海岸引地線を引地川に沿って南下。長久保公園の駐車場へ到着するが「満車」の立札があり係員から「30分待ちです」と言われたが諦め待つことに。しかし15分ほどでどうにか止めることができた (無料)。長久保公園都市緑化植物園所在地:神奈川県藤沢市辻堂太平台2丁目13-35駐車場に車を停め先ず入口へ移動。入口の塀に「長久保都市緑化植物園」と。園内案内藤沢市長久保公園都市緑化植物園は、市内の都市化が進む中、市民に安らぎと潤いを与え自然と触れあえる公園としてまた、みどりの普及啓発活動の拠点として、平成元年に開園しました。約34,000㎡の園内では春から夏にかけてサクラやフジ、バラ、ハーブなど季節の花が見ごろを迎え、池には藤沢市の鳥“カワセミ”がしばしば飛来します。また、みどりの相談所にはみどりの相談コーナーをはじめ、みどりの図書室、展示ホール、研修室があり、緑化講習会やみどりに関する展示会など様々な緑化普及活動が行われています。長久保公園都市緑化植物園の運営管理は指定管理者である公益財団法人藤沢市まちづくり協会が行っています。入口の北側に県道30号線(戸塚茅ヶ崎線)の富士見橋交差点がある。垣根に「開園時間 8:30~17:00まで 長久保公園」と。入口にポスターがあった、長久保公園春のみどりと花のまつり 2026年5月4日(月) ー 5日(火) 10:00 ~ 15:00 (荒天中止) 会場:長久保公園入口を入ると「案内図」等が掲示されていた。開園時間 AM8:30 ~ PM5:00 休園日 月曜日 (但し、祝日の場合は翌日)都市緑化植物園 都市緑化植物園とは、都市の緑化を進める上で、市民のみなさまの深い理解と協力を 得るために作られた公園です。 街に緑をふやすために、色々な催しし物や広報活動などを行っています。 緑の相談所では植物に関する様々な情報を提供しています。 お気軽に御利用下さい。園内案内図下側が北になるので見ずらい案内図である。正面入口を入ると「生物多様性センター・みどりの相談所」と。”春のみどりと花のまつり”が開催されているので多くのママチャリが駐輪していた。まず今日の目的「端山藤園のフジの植栽場所」を聞きに入った。館内では盆栽展が開催されていた。また手前の瓶にはメダカが5~6匹入り500~1,000円で販売されていた。ミニ盆栽も。園内を散策後帰り際に立ち寄ったが、おばちゃんから「今日はメダカは完売」と。見事な「真柏 (シンパク)」が展示されていた。係員の方に尋ね「写真撮影はOK」と。花が咲いていたこの盆栽は?。盆栽棚にミニ盆栽が展示されていた。展示者の名前が書かれ「もみじ」と。右上には「黒松」。ピンクの可憐な花が咲いていたが木の名は?。受付で”端山藤園のフジの植栽場所”を聞き移動。長久保公園正面入口。生物多様性センターの建物にバラ棚が設けられバラが奇麗に咲いていた。白のバラ。駐車場脇に、藤沢市の公式マスコットキャラクター「ふじキュン♡」が訪れていた。”ふじキュン♡”のデザインは、江ノ島のヨットや翡翠(カワセミ)をモチーフにしており、耳はヨットの形をしている。体の色は鮮やかなヒスイ色で、江ノ島の自然を象徴している。また、頭には江ノ島と江の島シーキャンドルが載っている。石碑には、「湘南100年フェスティバル タイムカプセル記念碑 市長 葉山 峻」と。裏面には、「明治二十二年(1887年)七月、横浜~国府津間に鉄道が開通してから今年一○○年を迎え ました。 これを記念して、自然環境に恵まれた湘南の地に住む人達が、湘南一○○年フェスティ バルを開催し新日本丸のイルミネーションをはじめ約一○万人の人々が感動を分かちあ ったライトページェント等数多くのユニークで画期的なイベントが盛大に行なわれまし た。これらの記録と藤沢の一九八七年の記録がこのタイムカプセルに収納されておりま す。そしてこの記録は湘南二○○年にあたるニ○八七年に湘南の人達の手によって開封 されることになっております。 一九八七年十二月 湘南100年フェスティバル実行委員会」と。 ※鉄道開通は明治二十年(1887年)の間違いである。湘南一○○年フェスティバル タイムカプセル記念碑明治二十年(1887年)七月、横浜~国府津間に鉄道が開通してから一○○年を迎えた一九八七年に「湘南一○○年フェスティバル」が開催されました。このイベントの記録・資料がタイムカプセルに収納されております。このタイムカプセルはニ○八七年に開封されることになっております。 湘南一○○年フェスティバル実行委員会園内案内図花のプロムナードの周りにはテントが張られイベントが行われていた。スイレンの池スイレンの池スイレンには、熱帯スイレン、温帯スイレンがあり、この池には4種の温帯スイレンが植えられています。スイレンの学名、Nymphaea(ニンフェア)は、ギリシア神話にでてくる妖精のNymphe(ニンフ)に由来します。そして花ことばは”清純な心”。6月から10月にかけて水面のところどころに、その言葉どうりの鮮やかな花を咲かせます。スイレンの池のデッキにモニュメントが立ち、芝生広場にはこいのぼりが泳いでいた。大花壇エリアにはキッチンカーも数台出ていた。人気のキッチンカー前には長い列。”端山藤園のフジ” への遊歩道脇にシャクナゲが咲いていた。セイヨウシャクナゲこれから満開に。セイヨウシャクナゲイギリスが中心になって、地元の品種とヒマラヤなどの美しい原種を交配して観賞用に作ったシャクナゲ群です。(ツツジ科)公園だけに各樹々にプレートがあるので助かる。こちらの木の下には「シャクナゲ」とあった。シャクナゲ豪華という形容にふさわしい花を咲かせる。中国では「花木の王」とも称され、開花どきはほかの植物を圧倒する美しさを誇る。樹高は10cm程度の這性のものから30mに達するものまで変化に富み、原種は、300種あるといわれている。植物分類:ツツジ科ツツジ属(ロードデンドロン属)。園芸分類:常緑性木本。原産地 :中国、ネパール、ブータンを中心にアジア、ヨーロッパ、北米。開花期 :3月下旬~6月上旬。栽培特性:山地に自生する日本シャクナゲは育ちにくいが、園芸化された西洋シャクナゲ は庭植えでもよく開花する。14:25セイヨウシャクナゲと同じようだったがこれは「シャクナゲ」。 ー 続く ー
2026.05.12
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久しぶりに愛車のリンちゃんで遠出して藤沢市大庭にある民家のフジを愛でに。4月26日(日) 14:30茅ヶ崎市の甘沼にある成就院を後にし東方向へ進む。”農業ふれあい館”の西側にある地元野菜直販所。いろんな野菜を100~200円で購入できるので時々訪れる直販所である。販売時はこの黄色の幟旗が立っている。赤羽根のこの辺りは調整区域になっており田んぼが広がっている。南側の高架橋は”新湘南バイパス”が横切る。東方向を望む。既に田植えの準備が終わっていた。農道脇に「酒米プロジェクト 熊澤酒造株式会社」と。天気が良ければ西方向には富士山が見えるのだが。旧鎌倉道、大山道を走り抜け、市道辻堂駅遠藤線の城南二丁目交差点。上は新湘南バイパスの高架。北側には”芙蓉カントリー俱楽部”の下を抜ける大庭トンネル。南下すると国道1号を横切りJR辻堂駅へ。新湘南バイパス沿いの一般道を走り、集合住宅の”ファミール藤沢城南”前から東を望む。この辺りは高速横浜環状南線やさがみ縦貫道路とともに、広域的な交通ネットワークを形成するため大掛かりな工事が進められている。隠れ里車屋所在地:神奈川県藤沢市城南2丁目9-13四季折々の自然に囲まれた静寂の中に佇む会席料理の店で、都会の喧騒を離れ、ゆるやかな時が流れる“隠れ里”であると。門を入ると、数寄屋造りの趣ある建物と、四季を映す庭園が迎えてくれると。石柱に「隠れ里 車屋」と。門前に「お献立」。日本料理 鉄板焼 ステーキカウンター 隠れ里御膳 6,600円 シェフおすすめランチコース 8,250円 懐石料理 雪 11,000円 国産フィレ&国産サーロインステーキランチコース 9,460円 月 16,500円 鮮魚と和牛ステーキコース 12,100円 花 22,000円 活鮑と和牛ステーキコース 15,950円 葵 27,500円 タラバ蟹と和牛ステーキコース 18,150円 旬華膳 10,450円 活伊勢海老と和牛ステーキコース 19,800円 和風ステーキ膳 16,500円 活鮑・活伊勢海老と 〃 23,100円 至福のグルメコース 30,800円消費税込の金額です。別途、サービス料13%(個室20%)を頂戴いたします。高級会席・懐石料理店で門前からJR辻堂駅まで送迎していた。”隠れ里車屋”からスマホの案内で芙蓉カントリー俱楽部の北側へ廻り「端山藤園」へ。自転車も”ながら運転”ができないので道を間違えた。臺谷戸(だいやと)稲荷神社所在地:神奈川県藤沢市大庭1809大庭郷には、台、谷、小糸、入、稲荷の五地区があり、台谷はそのうちの台と谷からなる地区である。戦前から約20軒が暮らしていた。台地区には、同じ苗字の世帯も多く屋号で呼び合うなど、今でもその頃の面影が残っている。谷地区は、藤沢市の西部開発により、湘南ライフタウンとなり、現在では台谷地区全体で250軒ほどの町内になっていると。臺谷戸(だいやと)稲荷の森 市指定天然記念物 昭和四十八年(1973)三月七日指定中央に稲荷神社が鎮座する小さな森です。このあたりの台地上はダイ(臺)、北側の谷はヤト(谷戸)と通称されているので、このように呼ばれます。中でもタブノキ一株は幹回り約六メートルの巨木です。かつては樹高が約十八メートルありましたが、残念ながら老朽化のため、平成八年(1996)に東側の大枝が折れてしまいました。それでも、地上一メートルで双幹になっているもう一本のタブノキや、ヒサカキ・ヤブツバキ・ケヤキ・ムクノキ・エノキ等が混生して、美しい森を形成しています。昭和五十九年(1984)「かながわの名木100選」にも選定されています。 平成二十年(2008)二月 藤沢市教育委員会この稲荷神社へは、令和5年(2023)4月19日(水)に訪れているので今回はスルーした。臺谷戸(だいやと)稲荷神社前の三叉路を間違え芙蓉カントリー俱楽部のコース下へ。トンネル右側の看板に、「この先、ゴルフ場(私有地)につき車輛の通り抜けご注意下さい。 芙蓉カントリー俱楽部」と。トンネル入口でスマホで目的地を確認折り返す。右側のネット内は芙蓉カントリー俱楽部のコースになっている。芙蓉カントリー俱楽部コースの丘から下り、湘南大庭336号線へ下り立つ。左側に台谷公民館が建っていた。入口の表札に「台谷公民館」と。公民館の脇に「道祖神・庚申塔」。右側は「双体道祖神」で台座に「臺谷戸中」と刻まれていた。目的地が近くなりスマホで位置を確認すると、ここを左折と。端山藤園所在地:神奈川県藤沢市大庭2249当藤園はGoogleマップにも載っている個人宅のフジ棚である。目的地へ到着、庭先を見るとフジの老木がなくビックリ。また、フジも咲き終わっていた。門前に自転車を止め南側の奥を見ると白のフジが咲いていた。フジは既に終盤で路面には花が散っていた。近寄り庭先の藤棚を見上げる。かつては紫色の藤棚もあったのだが。ズームアップ。フジの香りが漂っていた。端山藤園の南側に朱色の鳥居が目に入り回り込んだ。階段は崩れかかっていたが鳥居は綺麗に塗装されていた。祠も奇麗に塗装されていたが説明板がなく由来等は不詳。奥にも小さな祠があった。小さな祠への登り坂はけもの道。南側の林の上は芙蓉カントリー俱楽部のコースになっている。祠から端山藤園へ戻る。門前から再度フジの木があった方向を覗き込む。庭先に人の気配がしたので中に入ると女性がおられ、フジの木がないことを聞くと「昨年、藤沢警察署近くの長久保公園に移植した」と。以前来た時もこの女性と話をし「世話が大変」と言われていた。かつてフジの老木があった場所である(赤丸内)。椅子も置かれていた。以前来た令和5年(2023)4月20日(木)の写真を一枚。その時のブログは「端山藤園」👈 をクリック願います。一分咲き残っていたフジの花。以前あった老木の花房は1メートル近くはあったか。庭先には、他のフジの木もあった。後日「長久保公園へ移植されたフジ」も見に行きたいと。市道辻堂駅遠藤線沿いの東側に大型スーパーがあったが閉店になっていた。近くに、藤沢西部団地があるのだが。辻堂駅周辺に大型スーパーがあり、バス本数も多く車社会で集客が減少したのであろうか。スルガ銀行 湘南ライフタウン支店所在地:神奈川県藤沢市大庭5061-24市道辻堂駅遠藤線を振り返る。藤沢市 大庭台墓園南口大庭台墓園内を通り抜け南口から出る。ゲートがあったが車の出入りは出来なかった。大庭台墓園の南側の小径。看板に「グリーンリサイクル」と。大庭台墓園脇にできた施設。茅ヶ崎バイオマス発電所所在地:神奈川県茅ケ崎市赤羽根3905剪定枝を燃料としてエネルギーに変える「茅ヶ崎バイオマス発電所」が2021年8月1日に赤羽根で運転を開始してから5年が経ちました。発電所では、今日もクリーンなエネルギーを作り続けています。剪定枝を燃やしたあとに出る灰は「草木灰」という肥料になります。この「草木灰」を「グリーンリサイクル茅ヶ崎営業所」にて無料配布していると。入口に「株式会社 都実業 グリーンリサイクル 茅ヶ崎営業所」と。 右側の看板に受入時間が記されていた。営業日 月曜日~土曜日(祝日を含む)一般市民は、9:00~12:00、13:00~16:00 15:50グリーンリサイクル茅ヶ崎営業所から農道を下り”市立赤羽根中学校”へ。茅ヶ崎市立 赤羽根中学校自宅へは16:15に到着。出発時の愛車のリンちゃんのバッテリー残量、走行可能距離は90%、80kmであったが自宅到着時は70%、58kmで今日の走行距離は、22kmであった。 ー 続く ー
2026.05.11
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いつもは5月のGWが見頃になるのだが、暖冬で早かろうと思い昼食後愛車のリンちゃんで出かけた。併せて藤沢市大庭にある「端山藤園」のフジを見に訪れた。出発時のリンちゃんのバッテリー残量は90%、走行可能距離は80kmであった。4月26日(日) 13:40高野山真言宗 甘沼山成就院所在地:神奈川県茅ヶ崎市甘沼473成就院が創建されて四百有余年。春のさくらにはじまり四季の彩りに囲まれた境内です。 4月中旬から4月末頃には、白く垂れ下がる総ほうがハンカチを垂れ下げたように見える珍しい「ハンカチノキ」の花が美しく咲いています。 5月初めには「なんじゃもんじゃの花」や、日本しゃくなげの花が美しく咲く花のお寺である。四季折々の花が咲くのでサイクリングコースになっている。本堂前には4月8日に”はなまつり・護摩祈願法要”が行われたので竹筒が立っていた。本堂前に、鉢植えのナンジャモンジャの木があった。木の枝におみくじを結び付けたような感がある花びらである。数鉢の鉢植えがあったが満開になっていた。白い花びらをズームアップ。5年前に来た時、寺関係の方から「10年前に同木から株分けした若木も花をつけた」と聞いたが年月が経ち大きく成長していた。種からだと硬いので種を割り育てると。本堂の裏に白い木が聳えていた。本堂前に”クロバナロウバイ”が咲いていた。クロバナロウバイ (黒花蝋梅)学名:Calycanthus floridus和名:ニオイロウバイ科名 / 属名:ロウバイ科 / クロバナロウバイ属最近は花の名が分からないと、スマホを花にかざしてAI検索すると花の名がわかる。本堂前から右側の墓地へ上がると白い木が聳え、テントが張られていた。聳える木全体が白く「なんじゃ」と。右側のテントには世話人の方がおられパンフレットを頂いた。雪が枝先に積もったような景観になっている。枝の先を見上げる。ヒトツバタゴ「なんじゃもんじゃ」この樹は、学名ヒトツバタゴ、通称”なんじゃもんじゃ”とよばれ、茅誠司氏(元東京大学総長)居宅より、平成十五年に成就院境内へ移植されたものです。写真に見るように、五月初めの頃から白い清楚な花が咲き始め、満開の頃は、花嫁の綿帽子のように葉を被い、可憐に華やぎます。昔、関東地方ではその付近で見られない大木や珍しい樹種を ”なんじゃもんじゃ” と総称したようです。例えば、海老名市有馬のハルニレ、千葉県佐原、神崎神社の大楠、筑波のあぶらチャン、山梨県鶯宿峠の両面檜なども、その名前でよばれています。成就院の”なんじゃもんじゃ”は、”ヒトツバタゴ”で、木犀科に属する落葉高木、梣(トネリコ)の木の仲間です。ヒトツバタゴの代名詞が ”なんじゃもんじゃ” として認知されたのには、東京青山の六道の辻にあった、別名「六道木」とよばれたヒトツバタゴの存在があります。大正13年、白井光太郎博士(元帝国大学教授 木草学者 植物学者)のご尽力により、天然記念物の指定を受け保護された、樹齢百数十年の大樹でありました。この木は昭和8年惜しくも枯れましたが、白井博士は名木の子孫を遺す努力をされ、当院の木もその一樹であります。ヒトツバタゴの名称は江戸時代の植物学者、水谷豊文が尾州二ノ宮山中でこの木を発見し名づけたものと伝えられ、国内では愛知、岐阜、対馬に自生しております。 高野山真言宗 樹木のお墓 成就院葉を被うように咲くナンジャモンジャ。ナンジャモンジャの木の下にもクロバナロウバイが咲いていた。ナンジャモンジャに寄り添うようにハンカチノキが聳えている。世話人の方が今年は花が少ないと。またナンジャモンジャより10日位早く咲くとのこと。”ハンカチノキ”はミズキ科の落葉高木。中国の四川省・雲南省付近原産。属名のダビディア で呼ばれることも多い。花についた白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がりよく目立つため、日本では「ハンカチノキ」や「幽霊の木」などと呼ばれる。花についた白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がる。ハンカチノキの樹木は5mから、大きいものだと20mにも達すると。幹をズームアップ。中国南西部(四川省、雲南省付近)に分布しており、標高1500~2000mに自生している。普通に見ると光線によって葉と見間違えるハンカチノキである。世話人の方と話をすると「このナンジャモンジャの樹齢は70年以上」だと。奥に”メスのナンジモンジャ”が聳えていたが小ぶり。世話人の方からメスの方は花付きが悪いと。以前も言われた。花付きが少ない。ズームアップ。墓地奥に立つ、聖観世音菩薩像。聖観世音菩薩像の手前に「敬愛の陵」。敬愛の陵樹木葬エリア右上(北側)の丘に"スリーハンドレッドクラブ"がある。ツツジは咲き終わっていた。西の方向には富士山が見えるのだがこの日は生憎曇り空。南側には墓地、本堂。ご婦人グループが訪れておられた。ナンジャモンジャ、ハンカチノキを後にし引き上げる。墓地からのナンジャモンジャ。ナンジャモンジャの右側にハンカチノキが聳える。ナンジャモンジャをズームアップ。墓地への参道。墓地入口には大きな石象。本堂前に並ぶナンジャモンジャの若木。看板には「樹木のお墓・墓石のお墓 現地ご案内」と。14:05成就院の本堂を後にし、藤沢の大庭にあるフジを求めて向かうことに。 ー 続く ー
2026.05.10
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山北駅西側の桜のトンネルを楽しんだ。御殿場線沿いにソメイヨシノ約120本が植えられた桜並木で「かながわのまちなみ100選」に選定されている。4月3日(金) 15:40山北駅明治22年(1889)東海道線(かつては国府津から山北を経由して御殿場・沼津へ抜けていた)の開通と同時に山北駅が開業すると山北町は鉄道の町として大きく変わっていきました。山北駅には、箱根越えの基地駅として機関庫が置かれ、一時は総勢700人を超える人が働いていました。山北駅前には多くの商店が軒を並べ大変な賑わいを見せていました。このころの山北駅周辺は、鉄道歌唱や童謡「汽車ポッポ」などに唄われるほか、「線守稲荷」の民話、かつての山北駅名物「鮎寿司弁当」なども生まれましたと。駅舎の屋根に「JR 山北駅」。昭和9年(1934)に丹那トンネルが開業すると、東海道本線は国府津より熱海を経て沼津へ結ばれることとなります。国府津~山北~御殿場~沼津間は「御殿場線」と命名され、幹線からローカル線へと変わりました。一日に100本以上の旅客・貨物列車が往来していたものが、僅か20数本の区間列車に減少し、東海道本線時代のかつての繁栄は失われました。また、昭和18年(1943)に第二次世界大戦による物資困窮により、上りレールが取り外され、御殿場線は単線となってしまった。いろいろ貼り紙があり、「切符販売時間 9:00~17:00」「当駅では、行き先駅指定の切符のみ販売しています」「お願い 販売切符以外の駅で降車する場合は、最寄の駅までお求めいただき、車内または到着駅 で乗り越し精算をしてください」。「お客様へ 山北駅での切符販売は、”NPO法人情緒豊かな町づくり”が、山北町より委託を受け実施 しています」。中に人がおられたがNPOの方であったようだ。御殿場線時刻表1時間に1~2本運行しているようだ。上り線は、国府津駅まで。下り線は、御殿場、沼津、三島、静岡とある。ここにもポスター。建物は 「山北町ふるさと交流センター」で屋根はSLをイメージしていると。入口に「やまきた町 観光案内 お休み処 山北町観光協会」と。本案内所の中には休憩所も併設されており、飲食も出来る(※アルコール飲料は不可)。1階は主に観光関連で、2階は鉄道資料館で、鉄道模型や資料が展示してあるが、開放時間は、土日祝の12時〜16時のみであると。観光案内の右側に、南側への連絡跨線橋(バリアフリー化)が架かっている。3本のモニュメントの上に太陽光パネル。連絡橋からホームの跨線橋越しに桜のトンネルを見る。上りホームには「15:47発 国府津駅行き」が到着していた。桜のトンネルのアングルもここからでは架線用の障害物が多い。南北連絡跨線橋の南側から北側の東名高速道路を見上げる。西側の桜のトンネルを望む。下りホームに「15:47発 沼津駅行き」が入線して来た。山北駅は東海道線時代を偲ばせる長いホームで現在は西側が使用されている。下り線の2番ホームに沼津駅行き電車が停車。15:47に発車桜のトンネルと電車の撮影はホームの西側から撮るべきであったか。ズームアップ。上りの同時刻発の国府津駅行きも発車していた。ー やまきた観光案内板 ーマップは南北が反対になっているが、大野山ハイキングコース 徒歩 約3時間30分 ※谷峨駅~山頂~山北駅の場合右奥は「山北町健康福祉センター」。JR山北駅南口ホームが長いので、ホーム東側の南側に設けられている改札口である。南口から入りホームへ。御殿場線の西側をズームアップ。山北駅から急勾配になっている両側にはソメイヨシノのトンネル。桜のトンネルの絶景ポイントは入場券を購入してホームの西側へ行くべきであった。南口改札口。臨時駐車場への途中に咲いていた桜。まだ満開前であったが桜の種類は?である。ズームアップ。16:00この時間には駐車台数も少なくなっていた。今日の目的地を見終え帰路につくことに。途中、山の頂上にある”株式会社トヤマ”へ行こうとしたが次回の楽しみに。国道246号沿いのコンビニから撮影。ズームアップ手前下の東名高速道路の後方に、工事中の”新東名高速道路高松トンネル西側出口”。高松トンネルは難工事で度々完成予定が延期されている。このため新秦野IC、新御殿場IC間の約25kmが未開通になっているのだ。一度走ってみたいものだが。山の麓には東名高速道路沿いの桜並木。16:45国道246号から、曽我梅林辺りを走り、国道1号の”橘インター入口交差点”。ここから西湘バイパスに入り一路茅ヶ崎へと走った。自宅へは17時半に到着、夕食は国府津駅の東華軒で購入した「いいところ弁当」を食べ、焼酎を飲んだ。今日の走行距離は約94km、歩行数は9,200歩であった。 END
2026.05.09
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御殿場線の中橋から駅前商店街を歩き山北駅へ。4月3日(金) 15:15中橋上から山北駅を望む。御殿場線沿いにソメイヨシノ約120本が植えられた桜並木で「かながわのまちなみ100選」に選定されている。北側の道路から垂れるソメイヨシノの老木である。右下には倒木したソメイヨシノ。今回初めてここでの撮影に挑戦したがベストポイントがわからず。跨線橋の上には、15:15発の下り電車を待つ人が多く待機していた。ズームアップ。この辺りから勾配があるので、蒸気機関車の場合は黒煙を出していたのであろう。電車はスピードを上げるので通過が早い。ズームアップ。中橋を通過、桜のトンネルへ入る。横切るのは水管橋であったか。西方面の桜のトンネル。昭和18年(1943)に第二次世界大戦による物資困窮により、上りレールが取り外されたため右側のレールがなく御殿場線は単線となり菜の花が咲く。西側の見納め。山北駅側を望む。右上の桜並木は一部枯れて来ていた。北側の道路を山北駅へ向かう。線路際には倒木したソメイヨシノ。ハナカイドウであったか。AIで調べると「黒椿と言われる”ナイトライダー”」とでたが。ニュージーランドで改良されたと。北側の斜面に咲くソメイヨシノ。樹齢約50年以上の老木のソメイヨシノである。ソメイヨシノも50年以上になると病気になるので倒木の恐れが大であると。老木の幹にはシダが寄生している。山北駅側の跨線橋。先程までカメラマンが多くいたが電車が通過して無人になっていた。案内板に「河村城址」と。南側の山の頂上に河村城址がある。道路脇に聳えるソメイヨシノである。この辺りのソメイヨシノは線路側に傾いているようだが。桜の根元ではシャガが咲いていた。やまきたさくらカフェ所在地:神奈川県足柄上郡山北町山北2597-10長時間煮込んで仕込んだカレーにチーズを乗せて焼いた「焼きチーズカレー」や「魯肉飯」、季節で変わる丼とパスタが人気。お店の畑や、ご近所の畑仲間が作った野菜を極力使っているそう。また、山北町大野山「薫る野牧場」の無添加生乳80%、山地酪農のジャージー牛ソフトクリームとプリンもいただけます。濃厚なのにすっきりした味わいですと。いろんなメニューがあった。期間限定「さくら弁当 <要予約> ¥1,300 (税込)」。店外でお召し上がりください」と。機会があれば立ち寄ってみたい空間である。山北駅前大通りへ出て東へ進む。田中屋 牛豚肉店所在地:神奈川県足柄上郡山北町山北1889店先に「コロッケ」の幟旗が立ちお腹が「クー」と。ベンチも用意されていた。山北は昔! 鉄道の町と呼ばれ 「山北のスズメは黒い」と言われた伝説から生まれた ~山北駅前名物~「黒いカラアゲ」。レジにて注文し、10分ほどで出来上がると。先程そばを食べたばかりだが、別腹でコロッケ(¥150) を1個購入店先で食べさせていただいた。メンチカツ(¥180)もあったが、コロッケはホクホクで美味しかった。食べ歩きも可能な山北駅前大通りである。シャッター街のガラス戸にポスター。和服姿のご婦人たちが山北駅方面へ。やまきた駅前観音堂所在地:神奈川県足柄上郡山北町山北平成27年(2015)頃に山北駅前の空き店舗を改装して作られたと。観音堂内にある「見守り観音菩薩」。見守り観音菩薩は彫刻家の欄二郎氏の作品である。欄二郎氏は山北の間伐材を使い、国内外のチェーンソーアート大会で活躍する山北町在住の彫刻家である。駅前の掲示板に。「大野山山頂」「酒水の滝」の紹介。山北駅前へたどり着く。15:40山北駅の左側に「やまきた町 観光案内 お休み処 山北町観光協会」と。 ー 続く ー
2026.05.08
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足柄上郡の山北町の「第53回やまきた桜まつり」へ。半世紀を超える長年に渡り開催されていることに敬意を示します。4月3日(金) 14:45山北鉄道公園現在展示しているD5270蒸気機関車は悪天候などを除き、月一で整備運行を実施していると。(日程は決まり次第、山北町役場HP及び山北町観光協会HP新着情報で更新)。本機はボイラー復元による石炭燃焼ではなく、大型コンプレッサーを2基搭載して、圧縮空気を動力源としている。但し、運転距離は公園内の現行軌道を前方(東側)に12m延長して、動輪2回転分と少ない。公園の壁面に3枚の絵が掲示されていた。山北町を走る御殿場線に3つの駅があることに因んで3つの駅舎が描かれている。山北町合併50周年記念壁画東山北駅 酒匂川が見渡せる静かな無人駅だが、朝夕は近くの県立山北高校生でにぎわう。 【作 者】宍戸忠夫 松田町在住山北町合併50周年記念壁画山北駅 御殿場線と共に歩んできた鉄道の町、山北。春は沿線に咲く桜のトンネルと山の菜の 花が美しい。 【作 者】宍戸忠夫 松田町在住今でも現存する昭和を感じる駅舎である。山北町合併50周年記念壁画谷峨駅 トンガリ屋根のモダンな無人駅。西丹沢・中川温泉・丹沢湖への玄関口となっている。 【作 者】宍戸忠夫 松田町在住西丹沢・中川温泉・丹沢湖への玄関口となっているので乗降客多い。満開のソメイヨシノである。やまきた桜まつりも第53回を迎えているのでどれも老木である。かつての御殿場線は複線であったので路線敷地が広い。この先から勾配もきつくなっている。ここから西側が桜のトンネルになっている。跨線橋も3本あり撮り鉄の穴場になっている場所である。線路脇に速度制限標識「55」があり、55km/h 以下で走行せよと。山北鉄道公園を振り返る。この後、御殿場線の南側を歩き2本目の跨線橋”中橋”を渡り北側を歩き山北駅へ行くことに。南側の道路に上がり山北駅を見下ろす。御殿場線は窪地を走っている。昭和18年(1943)に第二次世界大戦による物資困窮により、上りレールが取り外され、御殿場線は単線となってしまった。満開の桜越しに山北駅を望む。かつては東海道線であったので駅ホームが長い。満開のソメイヨシノ。山北鉄道公園への階段。桜の老木が頭上に。ソメイヨシノの老木の幹にはシダが寄生している。ソメイヨシノも散り始めていた。山北駅西側の1本目の跨線橋袂に「警告看板」が立っていた。「線路や軌道敷に入っての写真撮影は、大変危険ですので、絶対におやめください やまきた桜まつり実行委員会」と。看板があるということは入って撮影している人がいるのであろう。カメラマンは、マナーは守ってほしいものだ!跨線橋辺りから山北駅方面を望む。ズームアップ。跨線橋から西側を見下ろす。東側の山北駅を見る。跨線橋の中央から西側の中橋(2本目)を望む。中橋の上には人影があった。跨線橋から中橋へ向かい、民家の入口でみかんを販売していたので振り返る。いろんなみかんがあったが「湘南ゴールド 300円」を一袋購入。西側の中橋を望む。ソメイヨシノは傾斜地に植えられており根元から倒木した桜があった。これからは倒木対策も必要になるのであろう。15:08中 橋橋の上にはカメラを持った人が多く待機していた。皆さん電車の通過時間をチェックしておられるのであろう。スマホで調べると「15:15」に上下線が山北駅を発車と。中橋は車道になっているので撮影には要注意である。橋の袂に「山北駅周辺 桜 案内図」。中橋上から山北駅を望む。跨線橋をズームアップすると多くの人が待機していた。御殿場線が桜のトンネルになっている。倒木したソメイヨシノも咲いていた。これからは列車の運休にならぬよう倒木対策も必要になるのでは。15:10上り列車が入ってきた。この位置はベストポイントではなかったようだ。中橋の東側に回り込み撮影。15:11下り電車は山北駅に到着していた。 ー 続く ー
2026.05.07
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大雄山最乗寺の参拝後、御殿場線山北駅傍の「桜のトンネル」が見たくて訪れた。目的地をカーナビにセットしたが通い慣れた道で南足柄市から山北町へ。4月3日(金) 14:15県道74号線(小田原山北線)沿いに「P」の案内板があり山北町役場裏の臨時駐車場へ。山北町役場駐車場所在地:神奈川県足柄上郡山北町山北1301-4”やまきた桜まつり”の期間中は無料開放している。但し、閉門時間は16時であったか。駐車場の東側に建つ建物は「山北町生涯学習センター」。看板に「⇦ やまきた桜まつり会場」と。臨時駐車場を振り返る。桜まつりへの途中に咲いていたピンクの桜。この桜は満開前であったが品種は?。前方の建物はJR御殿場線沿いに建つ「町営サンライズやまきた」。山北町の水源環境保全・再生事業 案内図 ~ かながわの水源環境の保全・再生をめざして! ~水源環境保全・再生の取組 神奈川県では、豊かな水資源を損なうことなく次世代に引き継ぎ、将来にわたり良質 な水を安定的に県民の皆様が利用できるようにするため、平成19年度から水源環境の 保全・再生に取り組んでいます。また、その財源として、個人県民税の超過課税(水源 環境保全税)のご負担をお願いしています。施策展開の方向性 水源環境を保全・再生するために、次の事業に取り組みます。 ■森林の保全・再生をするために、公益的機能の高い森林づくりを行います。 ■河川の保全・再生をするために、水辺環境を整備して自然浄化機能を高めます。 ■地下水の保全・再生をするために、地下水かん養対策や水質保全対策を行います。 ■水源環境への負荷軽減をするために、ダム集水域において公共下水道や合併処理 浄化槽の整備を促進します。丹沢湖(三保ダム)のある水源地、山北町では将来にわたり良質な水を安定確保するために、水源環境保全税を活用して次の4つの事業に取り組んでいます。 ■地域水源林整備 ■河川・水路整備 ■地下水保全 ■浄化槽整備JR山北駅南口無人改札口になっている。山北町役場を利用する方はこの改札口を利用されるのであろう。南口改札口辺りから山北駅ホームを見る。明治22年に東海道線の開通で山北駅が出来た。昭和の初めに御殿場線になるまでは鉄道の町として大変賑わい主要駅として栄えていた。ホームの西側に駅の南北を連絡する跨線橋が架かっている。観桜後渡ったが、バリアフリー化されていた。ホームに建つ待合室か。右上の山の中腹を東名高速道路が走っている。ホームに立つ「道了大薩埵」と刻まれた石柱。大雄山最乗寺に関連する石碑だが説明板が立っているのか。跨線橋の南側にソメイヨシノが満開であった。この辺りから南北の連絡跨線橋が架かっている。ホームは島式ホーム1面2線を有する地上駅である。ホーム北側が1番線、南側が2番線であり、基本的に1番線を上り列車、2番線を下り列車が使用する。かつては、現在あるホームの南側にも島式ホームが設置されていた。山北町健康福祉センター所在地:神奈川県足柄上郡山北町山北1971-2山北駅の南側にある山北町健康福祉センターの3階にさくらの湯がある。町民以外でも2時間600円で利用でき、ちょっとした銭湯であると。入口に「ともしびショップさくら 営業中」の案内。入口に貼られていたポスター。「第53回 やまきた桜まつり イベント日 3月29日(日) ソーラン山北よさこいフェスティバル 4月4日(土) 期間:3月24日(火)~4月7日(火) 場所:神奈川県山北町 鉄道公園周辺 期間中のライトアップ 午後6時~10時迄」。 館内に入ると1階に「山北町健康福祉センター受付」。向かい側にある「ともしびショップさくら」から撮影。ともしびショップさくら数人のおばちゃんたちが営業しておられた。朝購入した駅弁があったが昼食をとっていなかったので食事をすることに。ともしびショップさくら 食事メニューいろんなものがあったが「とろろそば」をオーダー。こちらにも”ともしびショップさくら”と。 飲物、軽食、ご飯の部 パート1、麺類、そば・うどん。どれもリーズナブルな価格であった。とろろそば 600円リーズナブルな価格で美味しかったが量が少々少なかった。売店コーナーで「河村新城 御城印 1枚 300円」が販売されていた。山北町健康福祉センター1階フロア―。1階フロア―の北側に休憩用椅子があり山北駅ホームが見えていた。入選写真が貼られていた。[入選]神奈川県観光協会会長「夜桜トンネルを抜ける」内田篤史 (開成町)ともしびショップさくら健康福祉センターの壁面に「公共交流スペース案内図」。健康福祉センターの西側に「山北鉄道公園」があった。手前に駐車場があり、西側に売店、テーブル席があり多くの観光客がおられた。山北鉄道公園公園自体は小さく、鉄棒、バネを使った遊具、SLを模した滑り台付きの遊具程度。また、御殿場線で活躍したD5270蒸気機関車が静態保存され、イベント会場になっている。目的地の桜が満開であった。ちょうど上り線が入線していた。覆い屋の中に蒸気機関車が保管展示されていた。D5270蒸気機関車の代名詞である、D51デゴイチよりも大きなボイラーを持つ、貨物用最大の蒸気機関車D52型70号機。静態保存されており、圧縮空気を動力にして動くと。側面から見るが保護柵が邪魔である。このD5270蒸気機関車は悪天候などを除き、月一で整備運行を実施していると。(日程は決まり次第、山北町役場HP及び山北町観光協会HP新着情報で更新)。なお、運転距離は公園内の現行軌道を12m延長して、わずか動輪2回転分と少ない。蒸気機関車を走らせる力はなんの力でしょうか 湯わかしの水がふっとうする時ふたがもちあがることがあります。これはなんの力で、 もちあがったのでしょうか。左と右の2つのことと蒸気機関車を走らせる力とどこが同 じか考えて見ましょう。 また、左のような実験をしました。まもなくコルクせんは、いきおいよくとびだします。 これはなんの力でしょうか。 水が水蒸気に変わる時には、その体積は1,700倍にふえます。もしとじた容器の中で水 を、熱して水蒸気に変えると圧力は非常に大きくなります。この原理を利用したのが蒸 気機関車です。私の大きさ D形(動輪四対 貨物用)52形(テンダー機関車) 最大馬力 1,600馬力 (最高速度) 75km/H 機関車の全長 20,550mm (先水車長さ 8,775mm) 機関最大高さ 3,980mm (先水車高さ 3,060mm) 機関全重量 96t (機関部74t+炭水車22t) 石炭の積載量 10t 炭水車水容量 25t 車輪の直径 (動輪1,400mm 炭水車車輪860mm)D52形蒸気機関車の内部と名称運転席へのタラップがあったが。D5270号ごあいさつ私は52形蒸気機関車といって、日本で一番大きく力の強かったテンダー機関車です。そしてD52形兄弟の70番目の生れです。私は昭和19年4月に生れてから山陽線や、東海道線で、働き昭和26年2月国府津機関区に配属になってからは、ほとんど御殿場線で活躍し皆様と一緒にこの山の間を何百回と走りました。私の走った全距離は862,275kmです。私は本来貨物列車用ですが、御殿場線のような山線で勾配の大きい線路では旅客列車も引いておりました。御殿場線が昭和43年8月1日全線に電車が走るようになったので私のつとめも終りになりましたので、この山北町の皆様と国鉄当局のご協力によって、この場所に記念として置いて下さるというので安心しました。これからは皆様と一緒に昔なつかしい思い出ばなしをいたしましょう。どうか皆様、お子様方も可愛がって下さい。記念碑には、「東京鉄道局新橋管理局 山北機関区跡 昭和十八年三月十三日建之 昭和三十八年三月十三日建之 山北機関区□□会員一同」。こちらは判読できなかった。動輪であったか。山北鉄道公園から東側を振り返る、売店では軽食、飲料水を販売していた。ビルは3階にさくらの湯がある山北町健康福祉センター。遠く右上の山頂に白い建物。14:45ズームアップ、?山の頂上に立地する”株式会社トヤマ”である。食堂から富士山が望めるビュースポットであると。いつか訪れたいと思っているが。 ー 続く ー
2026.05.06
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大雄山最乗寺の境内から下り途中「バス停道了尊」へ駐車して散策した。4月3日(金) 13:25大雄山最乗寺茶屋最乗寺境内から下る途中にある土産物、飲食店である。傾斜地にあり無料駐車場がある。左側にも茶屋があり「自家特製 おでんみそ」の看板。また、県道723号線(関本小涌谷線)の起点・終点である。傾斜地に建つ「大雄山最乗寺茶屋」である。昔からある老舗の土産物店、飲食店である。電話ボックスの上には”九葉の羽団扇(はねうちわ)”があった。観光案内板があり、苔むした路面には天狗が描かれたタイルが埋められていた。大雄山最乗寺大雄山最乗寺は、室町時代の初めに了庵慧明禅師により創建された曹洞宗の大寺院です。開創以来六百年以上の歴史をもつ霊場で、全国四千余りの末寺をもっています。最乗寺を「道了さん」と呼ぶのは、開山を助け多大な力を発揮した道了尊(妙覚道了大菩埵)によるものです。道了(尊)は寺院建立後、「今より先、永遠にこの山に在って寺を守護し、人々の苦を救い利益をもたらす」と唱えて、天狗となり飛天したと伝えられています。その霊験を信じて最乗寺が道了さんとして信仰を集め、天狗にちなみ、寺には九葉の羽団扇(はねうちわ)や天狗が履く多くの下駄が奉納されています。天狗伝説の里てんぐのみち仁王門から道了尊バス停までの約2kmの遊歩道。1万株のあじさいや林床のシャガなど四季折々の花が咲き、秋には紅葉と訪れる人々の目を楽しませてくれます。また、樹齢四、五百年の杉並木は「神奈川県の天然記念物」「かながわの美林50選」に指定され、森林浴も楽しめます。 南足柄市参道入口に大きな石燈籠が立っていた。ジオサイトに佇む文化遺産 1 最乗寺 (saijyoji)箱根外輪山の裾野に建つ修行専門道場「最乗寺」最乗寺は箱根火山の一つである明神ヶ岳の裾野に建っています。境内を流れる川の石も、箱根火山起源の溶岩です。最乗寺は応永元年(1394年)に了庵慧明禅師が開山しました。鶴見の曹洞宗大本山総持寺の直属の末寺にあたる修行専門道場で、全国に四千余りの門流を持っています。曹洞宗は禅宗の一派で、最乗寺では現在でも多くの僧が修行に励んでいます。南足柄市指定文化財 大雄山杉林現在、最乗寺の寺域には17万本の杉があると言われ、中には500年を経過したものもあります。この杉は信者の寄進によって植えられ、守られてきたもので、江戸期に約50万本、明治以降に約50万本の寄進があったと推計されます。この豊かな森は、水源涵水の役割もあり、狩野の清左衛門地極地などに豊かな水を届けています。松平大和守直基の墓 南足柄市指定文化財松平大和守直基は徳川家康の次男である結城秀康の五男にあたります。直基の墓は、将棋の駒形をした安山岩製で、高さ400cm、幅135cm、厚さ94cmの大きさです。直基の墓が大雄山最乗寺に建立されたのは、時の権力者である徳川将軍家と大雄山最乗寺との関係の深さもさることながら、直基自身が大雄山最乗寺に対する信仰が深かったことに由来すると考えられています。多宝塔 南足柄市指定文化財最乗寺の多宝塔は、神奈川県下で唯一の多宝塔遺構であり、曹洞宗の寺院としては珍しく、内部には多宝如来を祀った厨子が安置されています。安気地蔵尊 (あんきじぞうそん)右側のガラス戸に「大雄山 子育延命 安気地蔵尊」と。祈願かお礼参りの方か上ってきた時から門前に人だかりがあった。唐破風の入口柱に「安気地蔵」「宗教法人 大慈院」と。扁額には「延命子育 安氣地蔵尊」と。 内陣を覗き見る。手前には大きな”九葉の羽団扇(はねうちわ)”が置かれていた。祭壇をズームアップ。大雄山最乗寺境内への入口には対の石灯籠(写真はネットから)。境内手前の駐車場へは右側から進入。三門まではニ三百メートルであるので登ることに。普通車は右側から進入するが「大型車進入禁止」の看板。中央の参詣道を登ることに。苔むした石碑には、「大雄山最乗寺は應永元年了庵慧明禅師によって開創された曹洞宗の古刹です。 この了庵禅師に随侍されたのが妙覚道了薩埵で十一面観世□菩薩の化身といい伝えられ 今もなお当山の護持と多数信仰者の守護のために法力を不断に発揮しておられます。 更に当山は当初より□材として多くの雲□の禅修行の道場として著名なることは周知の ところです 應永元年から五百七十八年 昭和五十一年一月十五日 大雄山最乗寺□住第十七世 形山□映」。杉林の中に明神ヶ岳からの沢が流れる。川向うに公衆トイレがあった。杉が聳え木漏れ日の中の参詣道を登る。樹齢四五百年の杉の根元。参詣道脇には伐採された切り株も。杉林の中に三門が建っていた。三門の全景が入る撮影場所がなく杉の根元から見上げる。道了尊三門平成22年(2010)にお寺を建てた、了庵慧明禅師が亡くなってから600年を記念するために建てられて、平成15年(2003)10月27日に完成した門である。門の形は2階建てで一階に屋根がある門で名前は二重門という。高さは22mの高い門で二階には、22体の仏像が祀られていると。三門の扁額「大雄山」。三門の間から上側の参詣道を望む。いつも車で来て境内横の駐車場へ停めるので歩かない参詣道である。三門を潜り奉納碑が並ぶ参詣道を望む。三門を潜り上側から振り返る。樹々は芽吹き前だが、秋の紅葉時にも絵になるポイントである。秋の紅葉シーズンにも訪れてみたいスポットである。太鼓橋を渡ると右奥に公衆トイレがある。紅白の幕で飾られた”大雄山最乗寺茶屋”。右側の看板には、「道了尊売店 そば処メニュー 天狗そば・うどん 890円 てんぐセット 1,080円 とろろそば・うどん 870円 椎茸そば・うどん 850円 えび天そば・うどん 1,130円 大判かき揚げそば・うどん 1,080円 ・・・ みそおでん 3本 300円、5本 450円 いなり寿司(2個) 240円 ドリンク類も ジェラートアイス ¥400」と。いろんなお土産物を販売していた。”天狗葉扇煎餅みそ”をお土産で購入 ¥540バス停「道了尊」バスのりば「道了尊」。左後方には「てんぐのこみち案内図」。バスは「大雄山駅行き」で時刻表は、 8:00 25 50 13:00 25 55 9:15 50 14:25 10:20 55 15:00 11:35 16:00 17:00 と頻繁に運行していた。バス停横にも奉納碑が立っていた。仁王門横の枝垂れ桜を再度愛でる。13:45この後、坂を下り足柄平野を北上し今日最後の目的地「やまきた桜まつり」へ向かった。 ー 続く ー
2026.05.05
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大雄山最乗寺の散策を始める。4月3日(金) 12:45駐車場脇に咲いていた枝垂れ桜。予想どうり満開の枝垂れ桜が迎えてくれた。駐車場には他府県ナンバーが多かった。大雄山最乗寺には何度も参拝しブログアップしているので、今回は主目的である本堂周りの枝垂れ桜のみを撮影ブログアップします。駐車場全景図(全254台)境内下にあり無料で開放されている。黄色星マークの右側に駐車して参拝。上記現在地から左側の参詣道へ階段を下りる。車椅子の場合は右側から境内へ入れる。下の看板に「参道順路」と。三門からの参詣道へ下り瑠璃門へ向かうことに。参詣道には苔むした歴史を感じさせる奉納碑が立ち並んでいる。明治三拾年ごろの奉納碑で「金壹百圓」と。参詣道の下のバス停側には三門が見えていた。仁王門からの参道約3kmには樹齢500年以上の杉並木(県天然記念物)がうっそうと茂っている。三門をズームアップ。帰路に立ち寄ることに。瑠璃門側の階段。夏に参拝すると杉並木に覆われ暑さを凌げる空間である。参詣道の両側には石灯籠、多くの奉納碑が立ち並んでいる。通用門である”瑠璃門”への階段を上り境内へ。左側は「宝物殿」。瑠璃門四本の柱の上に笠木を渡して切妻造り本瓦葺きの屋根を載せる薬医門になる。左右の四本の柱の間に瓦屋根が載る回廊(通路)が付いていて中を行き来することができる。瑠璃門の扁額は山号の「瑠璃門」。多くの千社札が貼られていたが最近は禁止になっている寺院が多いが。右側に総受付があり御朱印が頂ける。瑠璃門の入口に「総受付はこの門を入って右側です」とあった。大雄山最乗寺全景大雄山最乗寺(道了尊)の草創応永元年(1394)。福井県の永平寺、鶴見の総持寺に次ぐ格式のある曹洞宗のお寺である。創建に貢献した道了という僧が、寺の完成と同時に天狗になり身を山中に隠したと伝えられることから、道了尊とも呼ばれている。この道了にちなんで、境内には多くの下駄が奉納されている。また、仁王門からの参道約3kmには樹齢500年以上の杉並木(県天然記念物)がうっそうと茂っている。光明亭越しの本堂前には2本の満開の枝垂れ桜が聳えていた。光明亭の濠では小亀が甲羅干し。濠の周りのツツジも整姿され開花時も楽しみだ。本堂、大香爐、2本の枝垂れ桜が満開。昨年3月23日に、”南足柄の春めき桜”を見に来た時立ち寄り参拝したが、その時の枝垂れ桜は固い蕾であったのだ。大香爐前から境内を見る。光明亭、書院、総受付の白雲閣を望む。大香爐の傍に建つ僧堂(座禅堂)。聖僧文殊菩薩を祀る所から僧堂と呼ばれている。室内は撮影禁止になっていた。僧堂の扁額は「□佛□」。この光景を見たくて来たが満開であった。本堂 (護国殿)大雄山最乗寺は、曹洞宗に属し全国に4千余りの門流をもつ寺である。御本尊は釈迦牟尼仏、脇侍仏(わきじぶつ)として文殊、普賢の両菩薩を奉安し、日夜国土安穏万民富楽を祈ると共に、真人打出の修行専門道場である。開創以来6百年の歴史をもつ関東の霊場として知られ、境内山林130町歩、老杉茂り霊気は満山に漲り、堂塔は30余棟に及ぶ。昭和29年(1954)に再建された。間口15間、奥行12間。昭和を代表する仏教建築家、伊藤忠太氏の設計であると。右側の枝垂れ桜逆光になったが左側の枝垂れ桜。花びらが散ることもなくちょうど満開になったようだ。本堂の扁額「護国殿」。内陣に入り、御本尊は釈迦牟尼仏、脇侍仏(わきじぶつ)として文殊、普賢の両菩薩を奉安し、日夜国土安穏万民富楽を祈ると共に、真人打出の修行専門道場である。内陣の扁額「最乗寺」。本堂の南側にも堂塔が多くあるが何度も参拝しているので今回はスルーした。本堂前に立つ銅製の燈籠。南側に回り込み枝垂れ桜を見上げる。本堂前の北側に聳える枝垂れ桜。今年はタイミングよく訪れることができた。本堂前北側から2本の枝垂れ桜を見る。階段を下り下から見上げる。光明亭の濠越しに見る。光明亭の濠に映える枝垂れ桜。再度本堂下へ、見納めの枝垂れ桜である。大雄山最乗寺の枝垂れ桜を楽しんだ一時であった。ツツジも整姿され4月下旬には満開になっているのであろう。最乗寺境内を後にし駐車場へ。ミツバツツジが奇麗に咲いていた。満開のミツバツツジ。ズームアップ。境内方向を振り返る。駐車場への傾斜地にも枝垂れ桜が植えられていた。ズームアップ。駐車場脇に咲く枝垂れ桜。ズームアップ。13:20駐車場へ戻り下を見ると、出口側にも枝垂れ桜が植えられていた。十数年後には成長し枝垂れ桜の名所になっているのであろう。 ー 続く ー
2026.05.04
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六本松跡がある曽我丘陵から西側斜面のみかん畑を下る。4月3日(金) 11:20六本松跡を後にし次の目的地「祐信宝篋印塔」へ向け曽我丘陵の西側を下ることに。六本松跡にあった案内板、 祐信宝篋印塔 700m 15分 忍石 300m 5分 ⇗ 城前寺 2000m 35分 宗我神社 2000m 35分下る途中に設置されている案内板。ウォーキングコースになっているので距離数も書かれ親切である。目的地までは「伝曽我祐信(すけのぶ)宝篋印塔 540m」と。みかん畑の中にある農道は狭かったが奇麗に舗装されていた。歩くと登るのはつらいが下ってくるのは足柄平野が見え最高のロケーションであった。吾輩はカーナビの案内で目的地へ到着、案内板があったので道路脇へ駐車。曽我の里散策コース・国府津曽我丘陵ウォーキングコース下には「伝曽我祐信宝篋印塔 入口」と。伝曽我祐信宝篋印塔所在地:神奈川県小田原市曽我谷津1159農道から上がると林の中にポツンと宝篋印塔が立っていた。何故このようなところに立っているのかと一瞬思ったが。管理人の方がおられるようで奇麗に整備されていた。塔の前にも新しいお焼香台。小田原市指定重要文化財(昭和三十六年三月三十日指定) 曽我祐信宝篋印塔 (所在地)小田原市曽我谷津1159 (所有者)神保 厚昔から土地の人々に「祐信さんの供養塔」と呼ばれています。銘をもたないので、造塔の意図、年時、造立者、大工名など、一切不明ですが死者往生を本願としたものと思われます。塔の総高は220センチ(基壇を除く)に達し、基壇の上に蓮座、基礎、塔身、笠、相輪の順で積み上げられています。関東における基本的な様式を備えた大宝篋印塔で、県下においても屈指の貴重なものです。 小田原市教育委員会宝篋印塔前から見上げる。日もさほど当たらない鬱蒼とした中にあった。南側に農道がある。宝篋印塔入口から足柄平野の小田原市街地方向を望む。遠くには真鶴半島が見えていた。この後、4月上旬は「大雄山最乗寺の枝垂れ桜」が見頃であるので向かうことに。大雄山最乗寺は足柄平野の西側に位置するので酒匂川を渡り南足柄市へ走ることに。道了尊仁王門前バス停所在地:神奈川県南足柄市大雄町酒匂川を渡り大雄山駅前を走り抜け、狩川から県道723号線(関本小涌谷線)を上り「仁王門バス停」へ。仁王門横の桜が見事に咲いていたので駐車した。バス停横にそろそろ手入れが必要な案内板があった。大雄山最乗寺参道二十八宿道標二十八宿石燈籠は、中国式の星座名を冠した石燈籠型の道しるべです。一丁目から二十八丁目の道程を知らせるとともに、宵祭りの参道を照らし参拝者を安全に導く燈籠として設けられたものです。燈籠は、元治元年(1864)小田原誠信社中、及び明治40年(1907)東京浅草新吉原講中によって建てられました。仁王門バス停上って来てこの光景を見て駐車した。先には枝垂れ桜も咲いていた。ソメイヨシノであったか満開になっていた。ピンクの枝垂れ桜も満開になっていた。バス停から上り三叉路からの北側の道路脇に枝垂れ桜並木があり満開であった。交差点の角に各方面への案内板があった。道了尊仁王門安政元年(1854)建立で、最乗寺最古の建物である。門前には桜の花びらが散っていた。大雄山最乗寺、道了尊さんの仁王門で、これより先が「境内」となると。仁王門は右側に阿形像、左側に吽形像の二体の金剛力士像が安置された朱塗りの門である。左側に「最乗寺専門僧堂」の扁額を掲げている。仁王門の扁額「東海法屈」。仁王門の右側に聳えるソメイヨシノと枝垂れ桜。仁王門横の石碑に、「明治三拾□壹年十月 仁王門修繕壹式 東京一心講」と。右側の阿形像の金剛力士像。金剛力士は金剛杵とゆう武器を持ち仏法を守護する護法神で、二体の尊像が祀られている門を仁王門とう。左側の吽形像の金剛力士像。大雄山茶屋天んぐ 仁王門本店所在地:神奈川県南足柄市大雄町1125-2大雄山にある和菓子屋さんで、甘味処やランチを食べることが出来ので一度は寄ってみたい。土産物も販売しており店舗脇に無料駐車場がある。食事は要予約であるか確認が必要。女性好みの上品な甘味である。茶屋天んぐと仁王門以上3枚の写真はネットから借用。仁王門を潜り三叉路からの北側を望む。奥には行かなかったが南足柄市の枝垂れ桜絶景スポットである。奥をズームアップ。バス停から東方向の足柄平野を見下ろす。バス停から再度枝垂れ桜を望む。道路脇に「ようこそ 天狗の里 道了尊へ 大雄山 最乗寺」と。仁王門バス停から杉並木の県道723号線(関本小涌谷線)を上る。右側に一丁目から二十八丁目までの遊歩道がある。スギ林の中に桜が咲いていたので駐車して撮影。12:35満開の桜をズームアップ。 ー 続く ー
2026.05.03
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引き続き光明寺の桜を愛でる。4月3日(金) 10:35とこしえの塔永代供養納骨堂『とこしえの塔』は、相模の海に向かい、霊峰富士、伊豆・箱根連山を望み、四季折々に変化する小田原市国府津山の緑を背にした静寂な高台に位置していますと。前回訪れなかったので今回お邪魔した。富士山は見えなかったが絶景スポットである。とこしえの塔この塔は、墓地承継者のおられない方、個人・夫婦等の単位で埋葬されたいと希望される方々のために設立された、会員制・とこしえの塔の会の永代供養納骨堂です。これらの諸精霊が阿弥陀如来の慈愛に抱かれ、輝く魂へと昇華されますように、また、恒久の世界平和を願って、光明寺およびとこしえの塔の会が永代にわたってご供養するものです。阿弥陀如来座像とこしえの塔横から、墓地、足柄平野、富士を望むが富士は見えていなかった残念。天気が良ければ絶景スポットである。平成8年(1996)に開創700年記念事業の一環として永代供養納骨堂「とこしえの塔」を建立したと。ライトアップ用のランプが設置されていた。東側の斜面にはシャガの群生地があった。一輪をズームアップ。とこしえの塔を後にする。ソメイヨシノの老木の幹から芽吹いた若木も開花していた。生命力はあるようだが近年病気になる木が多いと。境内の東側は傾斜地で竹林が迫っていた。今年のタケノコは・・・。見上げる。富士山が見えておれば隠れた絶好の撮影スポットであったのだが。傾斜地に鎮座していた社殿は。鳥居が立っていたが扁額もなく不明。住職に聞けばよかったのだが。本堂前へ下り立つ。4月5日(日)に”花まつり・お花見の会”が盛大に開催され、住職の法話も聞ける。光明寺の桜を楽しみ、次の目的地はこれも前回歩いた「剱沢川沿いの桜並木」へ。剱沢川沿いの桜並木所在地:神奈川県小田原市田島 玉泉寺周辺前回「国府津・曽我の里散策コース」の玉泉寺を参拝した時、この桜並木を知り再度訪れた。剱沢川に架かる尾田原橋の西側に玉泉寺がある。橋の袂に石柱があり「平成十六年度 宝くじ桜植栽地」と。今年は平成16年度(2004)に植えてから22年を経ており巨木の桜並木になっている。駐車場がなく交通量も少ないので道路脇に車を停め撮影。満開のソメイヨシノズームアップ。剱沢川の上流側。川の東側は遊歩道になっているのでのんびりと散策できるコースである。車の交通量も少なくのどかな桜並木である。下流側を望む。剣沢川沿い(約700m)で桜が楽しめる、小田原田島地区の「田島桜の里」。晴れていれば、富士山も望めるスポットであると。小田原城の桜は多くの観光客が訪れるが、ここは市民の隠れた憩いの場になっている「田島桜の里」であると。”剱沢川沿いの桜並木”の最上流部に架かる「剣沢橋」へ移動。剱沢川の下流側の遊歩道(東側)。舗装されていないので水溜りも・・・。剣沢橋上から下流側を望む。右側には近くに鎮座する「津島神社祭禮」とあった。西側の車道を望む。ここから下流側に約700m続く桜並木である。剣沢橋の袂から東側の曽我丘陵地を望む。この後この丘陵地にある「六本松跡」へ行くことに。この後この狭い道を進んだ。前回訪れた時は左側でおばあちゃんがみかんを売っておられたが。剣沢橋の袂で目的地を「六本松跡」にして梅林の間を抜け上ってきた。目的地の”六本松跡”へ到着。所在地:神奈川県小田原市曽我谷津中央上の道路脇へ車を停め、上ってきた道を振り返る(右側)。左側の道を下ると「一本松跡 500m」へ。上ってきた坂道を見下ろす。道路脇に立っていた「ウォーキングコース案内図」。曽我の里散策コース 見晴らしコース ●所要時間 約2時間10分 距離8.6km 里コース ●所要時間 約1時間23分 距離5.5km 国府津・曽我丘陵ウォーキングコース ●所要時間 約3時間 距離11km国府津・曽我の里散策コース ●所要時間 約2時間40分 距離7.9km曽我の里散策コース ●見晴らしコース ●里コース をズームアップ。国府津・曽我丘陵ウォーキングコース 城前寺 2,200m 一本松跡 500m 下曽我駅 5,400m 国府津駅 5,800m R3.3 小田原市観光課六本松跡古代千代台地は師長国の府中で、この地方の文化の中心地であったので、西からの旅人は皆ここに寄って、この道を、目指す坂東や奥羽へと向かったと推定(弓削道鏡等)される。その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、上洛や富士の巻狩りなどにこの道を通り、いまも鎌倉山、将軍山また豪族中村氏がお出迎えした所を「大迎え」などの地名が残っている。また、この地の豪族が鎌倉に馳せ参じた鎌倉街道でもあり、坂東三十三番観音の五番勝福寺から六番長谷寺に詣る巡礼道でもある。戦国乱世のころ、京の聖護院准后道興は「答えする 人こそなけれ 足曳の 山彦山は嵐吹くなり」を詠み、降って元禄のころ、松尾芭蕉は「ほととぎす 鳴き鳴き飛ぶぞ いそがわし」。門人の白雄は「人の知る 曽我中村や 青嵐」その後、蕪村も「雨ほろほろ 曽我中村の田植かな」と詠んだ。この六本松の地名となった最後の松の大樹は、明治の終わり頃惜しくも長い一生を終わっている。車で「忍石」へ行こうとしたが道が狭く途中で引き返した。忍石への小径から振り返る。忍石への曽我丘陵から南東方向を見下ろす。手前に二宮の吾妻山、左に平塚の湘南平テレビ塔展望台、遠くに三浦半島が見えていた二宮の吾妻山をズームアップ。平塚の湘南平テレビ塔展望台をズームアップ。六本松跡へ戻ると石碑が二基立っていた。石碑には「六本□趾」と。松尾芭蕉句碑字は読めなかったが「ほととぎす 鳴き鳴き飛ぶぞ いそがわし」か。この碑は芭蕉復興運動を行った加舎白雄が立てたものであるとされている。11:20次に向かったのは上って来た坂を下り「祐信宝篋印塔 700m」へ。 ー 続く ー
2026.05.02
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今年2月4日(水)に、”関東三大梅まつりの下曽我の梅林”を訪れた時、国府津駅から御殿場線の下曽我駅まで歩いた。その時「光明寺の参道の桜並木」がビュースポットであることを知り、ソメイヨシノが満開のこの日愛車のノートで訪れた。4月3日(金) 9:55西湘バイパスの大磯西インタから国道1号を走りJR国府津駅へ。国道1号(旧東海道)の国府津駅前交差点を右折して駅前へ。前回来た時、駅前にある「東華軒」で駅弁を買おうと思っていたので立ち寄ることに。国府津駅前駅前に一般車用の駐車場が分からなかったので東華軒東側の広場へ駐車。駐輪場の先に小さく富士山が見えていた。東華軒 ハローズ国府津店所在地:神奈川県小田原市国府津4丁目2明治21年(1888)7月1日構内で駅弁販売を開始した(東海道本線初の駅弁とされる)。明治21年、竹の皮に包んだ握り飯から始まってから、100年余り、伝統の味を守りつつ、新しい味にも挑戦しつづけておりますと。期間現地の「いいところ弁当」をランチ用で購入。久しぶりに駅弁を購入したが、1,480円と高騰していた。美味しそうないろんな駅弁があった。売店のみで工場は別の場所にあると。かつては売り子さんが立売箱(たちうりばこ)に駅弁を入れホームに立っていたが。今はそんな風情も見かけない。昼のランチにする予定であったが食べる機会を失い自宅へ戻り夕食の膳に。20~30センチほどの容器であるが駅弁ならではの飾りつけが日本文化か。いろんな食材が使用され味は言うまでもなく美味しかった。時宗光明寺所在地:神奈川県小田原市国府津1082最初の目的地光明寺へ。境内から相模湾や富士山、箱根連山の眺望が眼前に広がり、境内を囲む桜や新緑の木々が四季折々の美しさを見せてくれる。駐車場はこの参道を上り境内に有ったのでとりあえず狭い参道を進入した。境内に車を停め参道入口へ下りることに。住職がおられたので参道脇にネコちゃんがいた。参道入口に「花まつり お花見の会」と書かれた幟旗が立っていた。参道入口に立ち見上げる。参道入口の掲示板に、「お釈迦様の誕生をお祝いし、お花見を楽しもう 第30回 (光明寺) 花まつり・お花見の会 (光明寺檀信徒でない方でも、ぜひご参加ください) 開催日 4月5日 (日) 小雨決行 場 所 光明寺境内(開催中、夜間ライトアップ) 第1部 お花見の会(午前11時より) 第2部 花まつり(午後1時30分頃より)この光景を見たくて来たが光明寺参道に咲くソメイヨシノは満開であった。御殿場線の国府津駅方面。御殿場線の下り下曽我、山北、御殿場方面。参道入口に”近郊の道案内”があった。国府津・曽我丘陵ウォーキングコース 菅原神社 200m 西山農道休憩所 1,200m 国府津駅 1,000m 上町隧道 2,800m 六本松跡 4,200m R5.12 小田原市観光課参道入口から西方向を望む。ここからは富士は見えなかった。高架橋は御殿場線。参道入口から急な坂を登り本堂裏の墓地へ。光明寺の傾斜地に、「霊苑分譲中 ○一般墓地 ○後継者を必要としないお墓 永代供養納骨堂 「とこしえの塔」(生前契約可)」。参道を戻り境内へ。寺号標石に「時宗 海向山 光明寺」。参道に植木屋さんと住職が”花まつり・お花見の会”が近いので清掃しておられた。住職が「ソメイヨシノも70~80年を経過し病気になり、新しい品種を植えている」と。参道に咲く満開のソメイヨシノを見上げる。二日後の”花まつり・お花見の会”には散り始めているか。参道を上り見下ろす。ソメイヨシノは戦後に植えられたようで我が年輪と同じ。本堂前のソメイヨシノ。見上げると満開であった。本堂右側に立っていた観音像。本堂の右側に廻り前回見なかった六地蔵。また、花まつり・お花見の会が近いので提灯が吊るされていた。六地蔵尊にも花が供えられていた。水子地蔵尊石垣に地蔵が立っていた。途中、富士山が顔を出していたので本堂裏の墓地へ廻ったが雲の中であった。足柄平野を見下ろす。枝垂れ桜はまだ開花しはじめであった。南側の参道入口方向を見下ろす。光明寺西側の斜面に咲くソメイヨシノ。高架橋を御殿場線の電車が走る。満開の桜と電車。青空に映えるソメイヨシノ。まだ蕾の桜もあった。10:30御殿場線の高架橋、左側には東海道本線の電車。箱根の山並みが見えていた。 ー 続く ー
2026.05.01
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