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メリーさんのゆるぎない力強さ。その源に触れた私は、彼女から少しでも多くを学びたいと・・・意識的にも、無意識的にもそう思うようになっていきました。ただし、安直に 「どうにかして」 と彼女を頼りにしてしまうのはどうかと・・・:::::::::::::::::物を習うには習うなりの姿勢があるはず。そこでまず、彼女のことをとても好きで、信頼していて、そして、自分を良くしたいという意思があるのだ。というスタンスは持ちつつ、後のことはお任せにさせてもらうことにしました。:::::::::::::::::こうした心構えを彼女はとても歓迎してくれたので、そのことが嬉しくて・・・私はさらに彼女と彼女の言葉に惹きつけられ、より素直に教えを受け止めるようになり・・・・・・気がついた時には、お互い家族の様になっていました。:::::::::::::::::彼女の親しい人たちとも急速に仲良くなり、そこでの人間関係にも多くの安らぎと楽しみがあって・・・それはまた、刺激に満ちたエキサイティングなものでもありましたが、メリーさんがいる時だけに感じる安心感・・・:::::::::::::::::その 絶対的な安心感 というのは別次元のもののように感じられました。・・・なぜなのだろう?そう思っていると、それとなく教え始めてくれるのがメリーさんという人で・・・:::::::::::::::::信じることの大切さは、よくわかっての通りよ。信じないことには何も始まらないの。それで、信じる ということを続けていくとね、知っている という段階になるの。:::::::::::::::::あなたは日本人で、私はポンガウ (ザルツブルグ州の南の地域) の人間。これって信じなくても 知っている ことでしょ。知っている ことだし 事実であり真実でしょ。あなたの信じたことは、これと同じように本当のことになっていくの。:::::::::::::::::知っている ということは 信じる ということの延長線上にあるんだけれど、別の領域とも言えるわ。私は 信じている という時に知覚されることと私は 知っている という時にこころの中で起きていることは違うのよ。:::::::::::::::::私はね、あなたが幸せであるということを 信じている だけじゃなくて 知って いるの。今も十分素晴らしくて、これからもっと素晴らしくなりさらに幸せになるということを 知っているの。:::::::::::::::::・・・私はメリーさんを信頼して、いろいろ学びたいと思っていた訳ですが、それに対して彼女は、ここまで思ってくれていた・・・そのことがひしひしと感じられ、この 絶対的な安心感 にいつまでも浸かっていたい。・・・そう思ったものでした。PS, 写真はザルツブルグ・ミラベル庭園のペガサスの噴水です。
2008年08月29日
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・・・でもお互いに共通しているのはねあなたの幸せも私の幸せも生まれながらに自分の中にあったものなのよ。そう語ってくれたメリーさん・・・このお話しを聞いた時、私は幸せの青い鳥のことを思い出しました。:::::::::::::::::::::・・・私は、音楽を求めて、ヨーロッパに出てきた人間で、当時、あれこれ試行錯誤しながら、何かわからないものを探している最中であり・・・逆にメリーさんは、地元を愛し、そこを一生の住処とし、そして幸せをしっかりと保持している・・・:::::::::::::::::::::比べてみるのもなんなのですが、私は どこをさ迷っているんだろう??? と・・・そして 実のところ何を本当に探し求めているんだろう??? と・・・人生を考えさせられてしまいました。:::::::::::::::::::::もっとも留学した当初の私は、クラシック音楽の生まれ故郷で、思う存分広がってみたい。という夢で一杯でしたから、決して無目的な訳ではなかったのですが、ザルツブルグで暮らして3年ほど経ち、ちょうどメリーさんと知り合った頃は、方向性が霧の中のような状態であったということを、認めざるを得ない状況で・・・:::::::::::::::::::::でも、メリーさんと一緒にいると、自分が自分自身に感じている問題のような事柄は、些細で気にするようなことではなく思えてきて・・・そして、それらはどこかへ遠のいていくようでもあり、だからすごく安心させられ・・・:::::::::::::::::::::さて、こんな感じでリラックスしている私に対して、ある日彼女は 何をすべきなのか をかなり集中的に話してきました。彼女の見せる真剣な眼差しに、少し身が引き締まったことをよく覚えています。:::::::::::::::::::::幸せというのは、それを信じる人にしか手に入れられないものなの。そして 信じる ということがとても大切なの。信じるってどういうことなのかしらね?でも難しく考えなくていいのよ。:::::::::::::::::::::考える ということばかりやっていると 信じる ということができなくなってしまうものだからね。でもとか、なぜ どうして という風に考えることは誰でもあるでしょ。それが問題なのよ。:::::::::::::::::::::そういう風に考える人って大抵の場合、信じるものを持っていないの。信じるものがある人は、なぜ どうして というような迷いを持たないのよね。迷いというのは、心理的な不安から出てくるものでね。:::::::::::::::::::::私が信じていることの1番大切なことはね。人の幸せを信じる ということなの。厳しくしなくちゃいけない人もいるわ。だけど、あたしが出会う人は皆、神様が私に会わせてくれる人なの。あなたもそうよ。:::::::::::::::::::::その人そのものをずばり信じるということは、できないこともあるでしょ?でもね、誰のことでも私が会う人が皆幸せであるってそれを信じることは、凄い価値があることなのよ。:::::::::::::::::::::・・・彼女の幸せというのは、やはり今現在、彼女のいる場所と彼女の中にあり、そして、なぜ彼女といると幸福感に包まれるのかという理由。それは、彼女が私の幸せを信じているからなのだと・・・この時わかりました。PS, 写真はアルプスのつりがね草です。
2008年08月27日
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貴重なメッセージや美しい思い出を沢山のこしてくれたメリーさんのこと・・・前回の日記の続きとしてここに綴ろうと思います。:::::::::::::::::さて、改めてメリーさんという人のことを思うとただただ、ありがとうの気持ちが膨らんできて・・・それは本当にもう ありがとうしかない という感じになるのですが・・・:::::::::::::::::こういう気持ちにしてくれるメリーさん・・・彼女の生前、私は少しでも彼女の素晴らしい面を吸収させてもらいたい。そう思うのと同時に どうして彼女はいつも幸福感に満ちているのか?それが疑問でもあったものでした。:::::::::::::::::その疑問に対して・・・彼女は、それとなくこちらの様子を察しつつ、答えを見せてくれ・・・そこには、安心感があり、そして笑いが起こり・・・自分が考えていたことはなんだったっけ? となってしまうのが常。 という訳で・・・:::::::::::::::::どうして彼女は幸福感にみちているのか? という謎は・・・さらに深まってしまったかも?なんてことが度々でした。::::::::::::::::::彼女は、オーストリア・ザルツブルグ州、アルプスの山々の麓に生まれ、その近隣から出ることは殆どないというタイプで・・・ウィーンに行ったこともなければ、地下鉄に乗ったこともないと、そう明るく話していました。 そしてある日・・・::::::::::::::::::自分が生まれたところで大きくなってね それから、結婚してもその近辺で暮らして・・・家族に囲まれて年をとって死ぬのは1番幸せなことよ。これは私の場合だけれどね。 でもそう信じているの。::::::::::::::::::で、あなたの場合はね。好きなこと (ピアノ) をやりたくてヨーロッパに出てきて今までにたくさん勉強もして知識や趣味を身につけて・・・それは凄く幸せなことね。::::::::::::::::::でもお互いに共通しているのはねあなたの幸せも私の幸せも生まれながらに自分の中にあったものなのよ。私には難しいことはわからないし、教養なんてものとは無縁だけれどこれからも正直に生きていきたいわ・・・ と、このように語ってくれたのでした。PS写真はザルツブルグ州のレストランで出てくるサラダの1例です。
2008年08月24日
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このまま秋を通り越して冬になってしまうのでは?と思うような日が最近ありました。コートを着ないで外出するのは、かなり無謀のことのような寒い1日・・・::::::::::::::::こうした寒い日に入れる紅茶のありがたさ・・・浸れるものですよね。冷たい雨が降る外を眺めながら口にする紅茶・・・・・・ザルツブルグでの情景がよみがえってきました。::::::::::::::::あそこは山間の盆地で、よく3日とか4日とか、或いはもっと長く雨が降り続くことがあり・・・そういう時、農家の人は、朝 シュナップス (火酒:主に果物で作る蒸留酒) を入れた紅茶を飲んで体を温めてから畑や牧場に向かうと教えてくれた人がいて・・・::::::::::::::::その教えてくれた人は、当時70代のオーストリア人女性だったのですが、彼女が特別に農家で分けてもらう蜂蜜というのは、茶褐色というより黒褐色で・・・それは、ミツバチの蜜ではないと聞いたような記憶もあり・・・また、それを入れた紅茶は、万病に効くとのことで・・・::::::::::::::::いずれにしても、いつもはつらつとした調子で話す彼女・・・その笑顔と自信は、誰をも健康にしてしまうような威力があったものです。そして今年、 あちら に逝かれるまで、周囲の人たちは私も含め皆、うんと可愛がってもらったものでした。::::::::::::::::彼女は、いいと信じたら決して疑わない という強い意志の持ち主で、その姿勢には、ある種の厳しさもあり、また同時に底抜けに明るく大らかで・・・::::::::::::::::彼女曰く:細かいことを心配することから不幸が始まる。心配から (自分が) 勝手に作り上げた不幸を人に渡すことは、人間が決してしてはならないこと。::::::::::::::::いいものを信じていたら、もっと信じられるようになる。信じられれば、られるほど自分が強くなれる。強い自分は、心配したり人を疑ったりしない。だから自分の好きなものをいつも、そしてもっと信じて!:::::::::::::::::・・・熱い紅茶で温まりながら彼女のことを思うと、私にも好きなものや信じられるものが沢山あり・・・そして 彼女=メリーさん という人そのもの を 私は凄く信じていて・・・PS,写真はオーストリア・アルプスの牧場です。
2008年08月19日
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家族や友達、尊敬する方、などなど・・・ 私たちの周囲には、様々な人がいますよね。そして、自分の好きな人 を挙げていったら・・・ きっと、きりがないことでしょう。さて、好きな人と接するとき、私たちは、どのように振舞っているものでしょうか?:::::::::::::::::状況や立場によって変わってくることもありますし、そしてこれは人それぞれでもありますが、多くの場合、相手に対しての好意を念頭に行動する・・・というのが大前提なのではないでしょうか。・・・お相手の好きなこと全般についての理解も大切ですし、また、触れないでおきましょう という配慮を考えることもあり・・・:::::::::::::::::こうした人間関係上での平たく言って 礼儀 というものを偉大な先人である大作曲家に対しても持つことは、当然のことですよね。便宜上私たちは、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ショパン・・・全員をこのように 呼び捨て にしているのですが、私はこれが心苦しいので、普段は尊敬の念を込めつつ、○○先生 というように、 先生 とお呼びしながら、それぞれの曲を 勉強 させてもらっています。:::::::::::::::::一生続くそうした 勉強 の過程では、こうかな と気がつくことも出てきて、そしてそれが大変重要に感じられる時は、楽譜に書き込みをしたりもするのですが、先生の楽譜に 失礼な勘違い を塗りたくっていないだろうか? と非常に慎重になるものでして・・・なぜなら人間は、 好きである人 や 尊敬する人 に対して いつも 礼儀 を尽くしたいと思う筈・・・ だからです。PS,写真は、モーツァルト先生のお住まいになったウィーン・フィガロハウスの天井です。当時のまま保存されているとのことです。
2008年08月15日
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意識して見てみると 「あっ ここにも」 ということ・・・ありますよね。前回の日記で 近所には随分沢山クルミの木があるということに気がつきました。と書きましたが・・・::::::::::::::::::::::頭の中やこころの中に、クルミのことがインプットされているとクルミの木が目に飛び込んでくるというのは、自然な成り行きでしょうし、また自然であることはとても心地いい。そういう風に感じます。::::::::::::::::::::::この頃、クルミのことがイメージされているのは、先日、木彫りの職人さん から クルミの木で出来た作品 をゆずってもらったから・・・その作品を手にしながら、思い出に浸っていると、なんともくつろげてほっとします。::::::::::::::::::::::そして、素晴らしい作品というのは、様々な連想を引き起こすものですから、そうした連想に身を委ねていると自分のこころが大きく膨らんできて・・・そういえば、リンツァー・トルテ (オーストリア・リンツのケーキです)には、生地に粗めの粉末状にしたクルミを入れるんだったな。::::::::::::::::::::::一体いつからあるお菓子なんだろう?モーツァルトもリンツに滞在した時は、ひょっとして食べたかな?などと思っているうちに、お菓子の本を広げてみたくなり、するとそこには、他にもクルミや他のナッツ類を使ったお菓子のレシピが載っていて・・・::::::::::::::::::::::そうやって広げてみた本の1つは、イギリスのアフタヌーンティーに関するものだったので、急に紅茶が欲しくなったり・・・そして、本の中でセッティングに使われている美しいリネンやレース類に目を奪われると練習前の刺繍の時間が待ちきれなくなったり・・・::::::::::::::::::::::そんなこんなで よし、明日は美味しいお菓子を作っていつもより優雅なお茶の時間を などと思い描いていたら・・・お隣のおばあちゃんが、庭のベリーで作ったという焼き菓子を持ってきてくれて・・・丁度、試作品のジンジャーブレッドがあったので簡単なお返しもできて・・・::::::::::::::::::::::おばあちゃんを見送ってからキッチンに戻り、ふと目をやると、そこにあるクルミの木でできた フォークとフライ返し・・・・・・幸せで自分が柔らかくなって、溶けてしまいそうな感覚になります。::::::::::::::::::::::さて話は変わり・・・人間関係のなかには、経験を通じて私たちが学んでいく課題があり・・・その課題の途中では、誰もがほろ苦い思いをするもの・・・かも知れません。::::::::::::::::::::::人間は他意がなくても誰かを辛い目に遭わせてしまうことがあり、そうした経緯から、自他共に世をはかなんでしまう・・・ということもありますよね?大作曲家も多分そうだったと思います。::::::::::::::::::::::しかし、疲れてしまった何かが癒えてきたら、私たちはまた人の輪のなかに加わっていき・・・すると、人間ほど人を喜ばせられる存在はあるのだろうか?などと思ってしまうような素敵なあれこれが待っていたりする・・・::::::::::::::::::::::そして思い巡らしてみると、そのあれこれには、気持ちやこころという目に見えないものも、また、誰かの気持ちやこころが形になった 作品 もあり・・・そうした価値を精一杯受け取って、精一杯感じると気がついた時、人間って素敵だなと 無心に思えてくる。::::::::::::::::::::::ということを・・・素敵な作品 と 素敵な出来事、そして 連想 の合間に織り交ぜながら改めて考えたので・・・ここに綴ってみました。PS,野原に落ちていたりんごとくるみの実をナチュラルカラーのリネンのエプロンの上に乗せて・・・
2008年08月12日
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リラックスすることは、こころとからだにとって必要であり・・・とてもいいことですよね。こころとからだのメンテナンス・・・私もあれこれこころがけています。::::::::::::::::::例えば、用事があってプラハの街の中心に出かけた後は、どうしても目や耳に負担がかかりますのでまっすぐ家に帰らずに・・・ちょっと寄り道、回り道をして住まいの近所を散歩することにしているのですが、これは (荷物が重くない限り) 私にとって決まりごとのようになっています。::::::::::::::::::ほんの5分でもいいから静かな場所に立ち止まって、近所の公園や空き地の緑を眺めていると、目と耳が安まっていき・・・そしてこころがリラックスしてくると・・・いまピアノでやりたいことが、自分の中に描かれていくような感覚がやってきます。::::::::::::::::::こうした お出かけ後の そして帰宅前の散歩の折、最近特にクルミの木に愛着を感じるようになったので、ちょっと意識して見渡してみると・・・近所には随分沢山クルミの木があるということに気がつきました。
2008年08月10日
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私たちが生きているということ・・・そこには多くの楽しみがあり、そして学びがあるものですよね。また、そうした中には時に、考え込んでしまうような事柄もところどころ含まれていて・・・::::::::::::::::::このところの私は、どうしてなのでしょう。立て続けに人生相談のようなお話しを受けており・・・そしてお相手の感じていることは、私にも経験のあることだったりしました。::::::::::::::::::このような経緯から自分自身を少し振り返りつつどのように生きていくのがよいのか?ということを考えてみると・・・やはり 基本が肝心 ということに終始しました。::::::::::::::::::元気よく挨拶をする。 親切にしてもらったらお礼を言う。困っている人がいたら助ける。 間違った時は謝る。 等々こうしたことは、まず幼稚園や小学校で学ぶことで、生きていく上での基本中の基本だと思うのですが・・・::::::::::::::::::これはすなわち、人間が一生かけてその意味を深めていくべき重要なテーマであると言えるのではないでしょうか。そして芸術活動もまた、これらの基本に根差したものであり精神性を高めていく上で、是非とも大切にしたい内容であると・・・::::::::::::::::::そのようなことを考えておりますと、やはり何かが芳しく思われない時というのは、基本を思い出し、再認識するタイミングなのであり・・・それと同時に次に用意された人生のステップは・・・やさしさを湛えながら私たちを待っていてくれている ということなのでしょうね。
2008年08月07日
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ストラージュニツェで体験したことを書いているうちにあれから1ヶ月が経ってしまいました。このシリーズも長くなりましたので最後にこの民族舞踊フェスティバルでのことをまとめてみたいと思います。:::::::::::::::::::::::ストラージュニツェのフェスティバルというのは・・・なにか遊ぶのにとても忙しいところでした。野外劇場やアリーナがいくつかあり、その他、簡単な舞台が設置されているところでも、催し物がほぼ同時進行で行われています。:::::::::::::::::::::::ですので、どれに行くべきか迷わざるをえません。そしてどの会場も大変な盛況ぶりでした。そうした催し物を次から次へと渡り歩きたいもののそれはなかなか難しいことで・・・:::::::::::::::::::::::というのも、すぐに誰かと知り合いになれるフレンドリーな環境というのでしょうか。呼び止められることはしょっちゅうで・・・中には、自家製ワインをふるまってくれたり、ビールを買ってきてくれる人もいて初めて会った人ともついつい話し込んでしまったりするからです。:::::::::::::::::::::::また、手工芸品を並べているお店に目を奪われると足が止まり、そこでもまたお店の人と長話に・・・と、こんな感じで、民族音楽と舞踊に触れる以外にもたくさんの交流ができて・・・やはり遊ぶのに忙しいところです。:::::::::::::::::::::::そして至る所に立ち並ぶスタンドでは、おつまみや軽食、お菓子、飲み物類なんでも売られていて・・・さらに アリーナの横には救急車が待機 という用意の良さは、至れり尽くせりといった感があります。:::::::::::::::::::::::このフェスティバル・・・民族音楽と民族舞踊のテーマパークのようと言えるかも知れません。フォークロア命 という人達ばかりの集りは、全ての意味で見ていて壮観でした。:::::::::::::::::::::::さて、このフェスティバルで、私がとても感心したことは、大勢集まってくる人々の中に 若者が特に多い! ということです。彼らは皆、思い思いに会場を行き来し、自由参加できるタイプの催し物には積極的に加わっていました。:::::::::::::::::::::::一見普通の、そして普段着の若者が何の躊躇もなくステージに上がり、歌ったり踊ったりする様子・・・伝統文化が確実に受け継がれているのだなあと嬉しくなり、その姿はとても頼もしく見えました。:::::::::::::::::::::::若い世代の人々と彼らに流れる民族の血・・・それに接することができた、或いはその真実を垣間見ることができた。このことを思うとフェスティバルで経験した様々な出来事の1つ1つが、私の中で鮮やかな光を放っているように感じています。
2008年08月03日
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14世紀に建造されたというストラージュニツェの砦・・・当時ここは、国境だっだのだそうです。そして16世紀には、この地方最大の人口を抱える街になったとホテルで貰った資料に書いてありました。::::::::::::::::::::::::中世に栄えたヨーロッパの街には、要塞や砦が残されているところが数多くありますが、私がすぐに思い浮かべるのは、ザルツブルグのもの・・・そしてここ プラハの城壁、ワルシャワやクラクフのババルカンと呼ばれるもの・・・それから、ドイツ・ロマンチック街道にも城壁に囲まれた街があり・・・::::::::::::::::::::::::今では、観光客を楽しませてくれていているこうした建造物・・・でも当時は、国や街、そして人々の安全や命を守るために重要な役割を担ったのですよね。::::::::::::::::::::::::ストラージュニツェの砦を眺めながら、中世、ここを徒歩で旅だった昔の人のことを想像してみました。何年も経って再び無事に帰って来ることがきたら・・・この砦をくぐり抜ける時、どんな気持ちになったことでしょう。 PS,街のもう片側にも同じ要塞があり、そこはレストランになっています。
2008年08月01日
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