全13件 (13件中 1-13件目)
1
今日は孫の誕生日で、親子で食事をするように食事代を送ったらカレー・レストランに行って来たと、メールと写真が返ってきた。海がバックの孫の写真駿河湾だな! 妻と、子と、孫と、犬と走った波打ち際ああ、行きたい、あの海のほとりに
2021年02月27日
コメント(1)
一流と言われることが永遠に生きることにつながらない。レジェンドと言われることに何の価値もない。どんなに貧しくても小さくても病んでいても名も無くても信じる者が永遠の命をいただく。
2021年02月25日
コメント(2)
昨晩ある映像を視たくなりYouTubeにつなぐとはじめに、ウェスレアン・ホーリネス神学院の学生クリスマスの映像が入った。チャンネルに登録してあったためだろう。WHSのクリスマスは出かけて行ったので、映像は見ていなかったが学生たちの元気なお顔につられて、視ることにすると賛美、証し、説教など、工夫された美しい映像に驚いてしまった。画像を撮るためのスキルを持った人がいたのだ。その人はもしかしたらわがジロー先生?それを視おわると、その下に、徳永兼一郎のホスピスでの最後の演奏が出ていたのでそれも視た。それも視おえると、岩城宏之のベートーヴェン交響曲連続一日演奏の映像があったのでそれも視た。一人の芸術家の仕事にかける熱情の深さに驚く。病に冒され弱りゆくことに反比例して、深められる強い思いとそれをやさしく支える人たちの献身も。ボクはこの世限りのことに入れ込む力も無くその必要も感じないがこれから残された人生設計を考え直さねばとは思った。始めに視たかった映像を見る必要は無くなった。いつになく寝る時間が遅くなってしまった。
2021年02月24日
コメント(3)
夜明け前3時頃、大きな音が聞こえた。妻がベッドから落ちたと思い、見に行くとすやすや寝ている。福島原発が爆発したのかと思い、テレビを点ける。何ごとも起こらなかったようだ。原発に先の地震の影響がなかったかな、と昼間考えていたことが夢を見た原因だったか。
2021年02月23日
コメント(7)
5時に目覚めて起きようかと思ったが枕元で音楽を聴くことにしたベートーヴェン「田園」を聴くこの曲の良さを書き連ねようとしても言葉がもどかしいリアルな嵐は嫌だが、田園交響曲の嵐は大好き嵐が静かになり日が注ぎ平和な田園に移り変わっていくこんな心打つ場面があるだろうか!グスタフ・マーラーがこの曲を指揮して帰ってきて妻に語ったという「「田園交響曲」の自然は、本物の自然より自然らしい」
2021年02月20日
コメント(4)
灰の水曜日を過ごして、暦は受難節です。四旬節とも呼ぶ。風は冷たいのですが、日差しは春の色2千歩ほど歩くと、手袋、耳おおいが邪魔になりました。青い空に桃色や白い梅が映えていました。
2021年02月19日
コメント(3)
信仰の年数からすれば、新約聖書は100回は通読しているはずだ。しかし読む度に発見をする、気づかされる。今朝はルカによる福音書の18章を読んだ。「不正な裁判官とやもめ」「エリコの盲人」この2つの記録がつながっていることに気づいた。ひたすら求める姿勢が、信仰に結びつけられている。キリストの御思いをみつめるルカの視点は鋭い。4つの福音書の中でいちばん心をとらえる福音書は?と問われれば、ためらうことなく答えましょう。「ルカによる福音書」
2021年02月17日
コメント(2)
電話がかかり、受話器を取って名乗ったらガシャンと切られた。悪かったかな、おじいちゃん、おばあちゃんの声でなくて。
2021年02月12日
コメント(3)
お嬢様育ちのスーチーなど失脚させるのは簡単どこかの国のような「不正選挙が行われた」大義名分で派手なクーデターミャンマー軍政復活外国からの批判は覚悟の上だったが自国民からの怒りの渦が巻き起こるこれは計算外だったスーチーなど!スーチーなど・・・・だんだん声が小さくなる軍人さんたち
2021年02月10日
コメント(1)
1973年映画版を観た。15分くらいづつ何回かに分けて全部見終えた。キリストの生涯を、ロック音楽に載せて映像化。作られてから50年近くたつ。ずいぶん月日がたったものだ。初めは舞台ミュージカルだったと記憶している。ロックで踊りまくる場面などは抵抗を感じた部分もあったけれど全体的には新鮮だった。50年前にこんな新鮮な映画が作られたとは驚きだ。キリストの生涯を描いた映画はだいたい観てきて「スーパースター」は、正統的な視点ではなくキリストを人間として扱いしかも弱く迷う人のように描く。イスカリオテのユダ、マグダラのマリアが軸となり、弟子たち、為政者たちが配置されている。台詞は少なくほとんどが歌唱でストーリーが進む。それぞれの歌が魅力的だった。また若きキリストが魅力的。へぇ~こんなふうにキリストの生涯を解釈することもアリなのだな、と感心する。
2021年02月09日
コメント(1)
「モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。」出エジプト記34章7節心に触れる聖書の箇所は限りなくある。上の聖句も最近特に心に描くところだ。約束の地を目前にし、山の頂に立ってその場所を見はるかしながら、そこから天に昇るモーセ。どんな感慨に浸ったことだろう。その場所に入ることはできないが、見ることは許される。神に感謝したことだろう。そのモーセの心の思いを量るとき、自分もそのようでありたいと願う。さらにモーセ120歳で死んだにせよ、目はかすまず活力も失せていなかった。やり尽くし、身も心も使い尽くして、ばたりと倒れるのではなく、十分な余力を残して堂々と去りゆく。それが神の美学であるかもしれない。モーセが神に愛されていた証拠なのだ。自分の引き際は~まだできるかも知れない、まだ、まだ、もう少しは。愚か者! とだれが叱りつけてくれよう。神ご自身か? わが妻か?
2021年02月06日
コメント(1)
日本殉教者~20~30万人1597年2月5日。日本のキリスト者と宣教師たちは、長崎の西坂の丘で十字架にかかり、殉教の中こんな言葉を残した。 “私は何等の罪も犯さなかった。ただ我等の主イエスキリストの教えを伝えたと言う理由で死ぬのです。私はこうした理由で死ぬことを喜んでいます。私たちの主が私に下さった大きな大きな恵みです”26聖人の流した血に始まり、約250年間のキリスト教弾圧の中で、新約聖書のバックグラウンドであるローマ帝国地下墓地の殉教者よりも多い、20~30万人とも言われる殉教の血を流した。ほとんどの現代日本人は、日本におけるキリスト教迫害の過酷な歴史を知らないだろう。
2021年02月05日
コメント(2)
結婚して40年以上職業柄、外で食事する機会が少なくほとんど朝昼晩、家で食事を摂ってきた。ボクの妻は朝昼晩と食事を作って来た。40000回は優に超える。当然のように顔色一つ変えずにそのルーティンに勤める
2021年02月02日
コメント(3)
全13件 (13件中 1-13件目)
1


![]()