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異邦人サマリア人(UCI)の方の記事 『 二つの石像は「全然あり」と思われた方へ 』 、に限らずUCI(FPA)の方々からは霊界の存在について感じることが出来ません。
韓鶴子総裁を批判される理由のその一つが聖和された文鮮明総裁と一体となっていない、というものでした。また、文総裁(夫)を忘れてしまっておられるとも。
果たして、それは真実を語っているのでしょうか?
ヨハネによる福音書/ 01章 43節~イエス様とナタナエルが出会ったときも実のならない「いちじくの木」が出てきます。イエス様は彼と出会って、それを前に「(彼が)いちじくの木の下にいるのを見た」と語っただけで、彼はその真意を悟ったのでした。ナタナエルはイエス様と同じガリラヤ出身(ヨハネによる福音書/ 21章 02節)でした。旧約聖書にはガリラヤから王が出るとの預言もあり、
その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。 このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。 ナタナエルは彼に言った、 「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。 ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、 「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。 イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。
イザヤ書/ 09章 01節「 (ガリラヤの) ナザレから、なんのよいものが出ようか」 と言いつつも彼は熱心にそれを信じていた一人でした。そのように、何時いちじくの木の実がなるかを見ていた彼の心を見られたのであり、それを言い当てたイエス様がその人だと信じたのでした。
しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、 異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人
が徒然なるがままに書く日記です。
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