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今日の午後に、庭の中を飛ぶ「コミスジ」を見つけました。紫陽花の花などにとまったところが撮れました。コミスジ;チョウ目、タテハチョウ科、L=50mm
2021年05月31日
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次は第1140首です。摂津で詠まれた歌で、作者は未詳です。「しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧立ちぬ宿りはなくて」猪名野に来ると、有馬山に夕霧が立って来た。泊まる宿も無いのに。と歌っています。「しなが鳥」はこの歌では枕詞ですが「カイツブリ」のことを言うようですが、他の歌では「しなが鳥」ではなく「にほ鳥」と詠まれている歌もあります。猪名野は兵庫県伊丹市から川西・尼崎にまたがる野で、有馬山は六甲山です。※_カイツブリ;カイツブリ目、カイツブリ科、L=26cm、留鳥
2021年05月31日
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次は第1125首です。故郷を思って詠まれた歌です。作者は未詳です。「清き瀬に千鳥妻呼び山のまに霞立つらむ神奈備の里」清い川の瀬に千鳥が呼んで鳴いて、山の間に霞が立っているだろう、明日香の神奈備の里では。と歌っています。故郷は明日香の都で、奈良の新都に居て詠んだ歌となります。
2021年05月30日
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先日(5月24日)「トビ」がいた川の堰にいってみると、驚くことに「トビ」が2羽になっていました。どうもカップルの様で、小さい方(オスかな?)が巣造りを行っているようです。こんな場所で上手く子育てが出来るのでしょうか?チョット心配ですね。トビ;タカ目、タカ科、L=オス;59cm、メス;69cm
2021年05月29日
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次は第1122首、第1123首、第1124首の3首です。野鳥をお題にした歌で、作者は未詳です。1122;「山のまに渡るあきさの行きて居むその川の瀬に波立つなゆめ」山の間に飛び回る「あきさ」が、降り立つだろう川の瀬に、決して波が立たない様に。と歌っています。「あきさ」は河川に棲む冬鳥の「カワアイサ」のことです。カワアイサ;カモ目、カモ科、L=65cm、冬鳥1123;「佐保川の清き川原に鳴く千鳥かはづと二つ忘れかねつも」「かはづ」は「河鹿(カジカ蛙)」です。1124;「佐保川に騒ける千鳥夜くたちて汝が声聞けば寝ねかてなくて」佐保川で鳴き騒ぐ千鳥たち、夜が更けてお前たちの鳴く声を聞くと眠れない。と歌っています。
2021年05月29日
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次は第1064首です。田辺福麻呂が難波の宮で詠んだ歌です。「潮干れば葦辺に騒く百鶴の妻呼ぶ声は宮もとどろに」潮が引くと、葦辺に騒ぐたくさんの鶴の妻を呼ぶ声は、宮(難波の宮)も鳴り響くほどだ。と歌っています。田辺福麻呂が作った歌は万葉集に44首ありますが、第1047首から第1067首の21首は、万葉集巻第六の巻末に載せられています。
2021年05月28日
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今日の午前中、車で出かけようとした時、車のフロントガラスに小さな「カマキリ」の若齢幼虫を見つけました。図鑑を確認し「ヒナカマキリ」としました。ヒナカマキリ;カマキリ目、カマキリ科、L=15mm
2021年05月28日
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次は第1062首です。田辺福麻呂が難波の宮で作った歌です。「やすみしし 我が大君の あり通ふ 難波の宮は いさなとり 海片付きて 玉拾ふ 浜辺を近み 朝はふる 波の音騒き 夕なぎに 梶の音聞こゆ 暁の 寝覚に聞けば いくりの 潮干のむた 浦渚には 千鳥妻呼び 葦辺には 鶴が音とよむ 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲りする 御食向かふ 味経の宮は 見れど飽かぬかも」私の大君が通う難波の宮は、海にそばで、・・・浦洲には千鳥が雌を呼んで鳴き、葦辺には鶴が声を響かせている、見る人が語りぐさにすると、それを聞く人はそこを見たいと思う、味経の宮はいくらみても見飽きないことだ。と歌っています。この長歌は「味経の宮(難波の宮の離宮)」を讃美する歌です。「味経の宮」は大阪市天王寺区味原町周辺にあったようです。
2021年05月27日
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畑の菊の葉にとまる黒色の小さな虫を見つけました。図鑑で確認すると、上翅の肩部に盛り上がりがあることから「ヨモギハムシ」としました。ヨモギハムシ;コウチュウ目、ハムシ亜科、L=8mm
2021年05月27日
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庭の紫陽花の葉にとまる「モンシロチョウ」を見つけました。日頃、どこでもヒラヒラと飛んでいますが写真を撮るのは中々難しい蝶々です。今日は翅裏と翅表が撮れました。モンシロチョウ;チョウ目、シロチョウ科、L=40mm
2021年05月26日
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次は第1059首です。これも田辺福麻呂が作った歌です。「三香原 久迩の都は 山高く 川の瀬清み 住み良しと 人は言へども あり良しと 我は思へど 古りにし 里にしあれば 国見れど 人を通はす 里見れば 家も荒れたり はしけやし かくありけるか 三諸つく 鹿背山のまに 咲く花の 色めづらしく 百鳥の 声なつかしき ありが欲し 住み良き里の 荒るらく惜しも」天平16年(744年)、聖武天皇が難波宮へ遷都したため、荒れ果てた三香原の久迩宮跡を悲しんで詠んだ歌です。「百鳥」は「沢山の鳥」の意です。
2021年05月26日
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畑仕事中に肥料袋の上にとまる「ニシキリギリス」の若齢幼虫を見つけました。背中の二本の線が特徴です。ニシキリギリス;バッタ目、キリギリス科、L=23mm
2021年05月25日
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次は第1058首です。これも田辺福麻呂が作った歌です。「狛山に鳴くほととぎす泉川渡りを遠みここに通はず」狛山に鳴く「ホトトギス」は、泉川の渡り場が遠いので、ここには通って来ないのだろう。と歌っています。「泉川」は現在の「木津川」のことです。「狛山」は、その木津川を挟んだ鹿背山の対岸(北西の方向)にあります。
2021年05月25日
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次は第1057首です。これも田辺福麻呂が作った歌です。「鹿背の山木立を繁み朝去らず来鳴きとよもすうぐひすの声」鹿背山の木立が茂っているので、朝ごとに来ては鳴いて響かせているウグイスの声よ。と歌っています。「鹿背山」は木津川の南岸の山(木津駅から東方3kmほどの距離にある)になります。
2021年05月24日
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久し振りに堤防を散歩すると、先日の大雨で上流から流れて来た流木が川の堰に乗り上げていました。更に、その流木にとまる大きな鳥を見つけました。鳴き声「ピーヒョロロ」を聞いて「トビ」と判りました。トビ;タカ目、タカ科、L=65cm
2021年05月24日
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次は第1053首です。田辺福麻呂が作った歌です。これも第1050首と同様に久迩の宮(布当の宮)を讃美する歌です。「我が大君 神の命の 高知らす 布当の宮は 百木もり 山は木高し 落ちたぎつ 瀬の音も清し うぐひすの 来鳴く春へは 巌には 山下光り 錦なす 花咲きををり さ雄鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧らふ しぐれを疾み さにつらふ もみち散りつつ 八千年に 生れつかしつつ 天の下 知らしめさむと 百代にも 変はるましじき 大宮所」布当の宮は、「うぐいす」が来てなく春には、巌や山の下も光り輝かせて錦のような花がいっぱい咲きたわむ。と歌っています。
2021年05月23日
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庭の蔓バラの花にとまる「ベニカミキリ」を見つけました。身体に比べ長い触覚が特徴的です。ベニカミキリ;コウチュウ目、カミキリムシ科、L=15mm
2021年05月23日
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次は第1050首です。田辺福麻呂が作った、久迩の新京(布当の宮)を讃美する歌です。「現つ神 我が大君の 天の下 八島の中に 国はしも 多くあれども 里はしも さはにあれども 山並の 宜しき国と 川なみの 立ち合ふ里と 山背の 鹿背山のまに 宮柱 太敷き奉り 高知らす 布当の宮は 川近み 瀬の音ぞ清き 山近み 鳥が音とよむ 秋されば 山もとどろき さ雄鹿は 妻呼びとよめ 春されば 岡辺もしじに 巌には 花咲きををり あなおもしろ 布当の原 あな貴 大宮所 うべしこそ 我が大君は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮ここと 定めけらしも」 「久迩京」は京都府木津川市加茂町の木津川北岸の布当の野にありました。「山近み 鳥が音とよむ」は「山が近いので鳥の鳴き声が響く」の意です。
2021年05月22日
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家の玄関前のタイルの上で動く小さな甲虫を見つけました。図鑑では「チャイロコメツキ」が近似となりました。チャイロコメツキ;コウチュウ目、コメツキムシ科、L=18mm
2021年05月22日
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次は第1047首です。田辺福麻呂(奈良時代の下級官人、万葉歌人)が作った歌です。「やすみしし 我が大君の 高敷かす 大和の国は 皇祖の 神の御代より 敷きませる 国にしあれば 生れまさむ 御子の継ぎ継ぎ 天の下 知らしまさむと 八百万 千年をかねて 定めけむ 奈良の都は かぎろひの 春にしなれば 春日山 三笠の野辺に 桜花 木の暗隠り かほ鳥は 間なくしば鳴き 露霜の 秋さり来れば 生駒山 飛火が岡に 萩の枝を しがらみ散らし さ雄鹿は 妻呼びとよめ 山見れば ・・・ 奈良の都を 新た代の 事のしあれば 大君の 引きのまにまに 春花の 移ろひ変はり 群鳥の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏みならし 通ひし道は 馬も行かず 人も行かねば 荒れにけるかも」 我が大君が立派にお治めになる大和の国は、皇祖の神の御代依頼ご統治になる国なので、・・・定めたのであろう、奈良の都は春になると、春日山の三笠の野辺で、桜の花の木陰に隠れて、かほ鳥が絶え間なく鳴き、・・・奈良の都なのに、新しい御代のことなので、大君の導きのままに移り変わり、群れ鳥が朝立って行ったので、・・・馬も行かず人も通らないので荒れてしまったことだ。と詠んでいます。永遠の都と誰もが信じていた奈良が、遷都の後にすっかり荒廃してしまったことを嘆いている歌です。なお、「かほ鳥」は「カッコウ」、「群鳥」は「群れた鳥」になります。
2021年05月21日
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散歩道横の草むらで、交尾中の「ジョウカイボン」を見つけました。周りには飛翔する個体も見られました。ジョウカイボン;コウチュウ目、ジョウカイボン科、L=16mm
2021年05月21日
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次は第1030首です。聖武天皇の御製の歌です。「妹に恋ひ吾の松原見渡せば潮干の潟に鶴鳴き渡る」妻を恋しく思って私が待っている、吾の松原から見渡すと鶴が鳴き渡って行く。と歌っています。「吾の松原」は三重県四日市市の海辺で「朝明の行宮」の近くです。現在の四日市から考えると、ここの海辺に鶴が居たとはとても考えられないことです。
2021年05月20日
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畑のジャガイモの葉にとまる緑色のカメムシを見つけました。図鑑を観ると顔と肩部分が黄色いところから「ミナミアオカメムシ」と判りました。ミナミアオカメムシ;カメムシ目、カメムシ科、L=14mm
2021年05月20日
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次は第1012首です。天平9年(737年)春正月、橘少卿や大夫たちが弾正台の長官門部王の家に集まって宴会をした時の歌です。「春さればををりにををりうぐひすの鳴く我が山斎そ止まず通はせ」春になると、たわみにたわむほど梅の花が咲き、ウグイスが鳴く私の庭です。欠かさずに通ってください。と歌っています。※_ウグイス;
2021年05月19日
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散歩道横の草むらに、真っ黒な小さなバッタを見つけました。翅は未だ生えてないようで幼虫かも知れません。あとで図鑑を観ると「ヒメギス」の幼虫と判りました。ヒメギス;バッタ目、キリギリス亜科、L=17mm
2021年05月19日
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川岸の葦林で「ギョッギョッギョッギョギョシギョギョシ・ギギギ」と騒がしく鳴く野鳥がいるのですが、これまではその姿を見ることがありませんでした。その野鳥を、今日やっと見つけて写真に撮ることが出来ました。帰って図鑑で調べると「オオヨシキリ」と判りました。オオヨシキリ;スズメ目、ウグイス科、L=18cm、夏鳥
2021年05月18日
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次は第1000首です。守部王(奈良時代の皇族、舎人親王の子)が作った歌で、旅先で平城京に残してきた妻を思って詠んだ歌です。「児らしあらば二人聞かむを沖つ渚に鳴くなる鶴の暁の声」妻がここに居たら二人で聞いたものを。沖の洲で鳴いている鶴の明け方の声を。と歌っています。
2021年05月18日
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次は第971首です。天平4年(732年)、藤原宇合が西海道の節度使に任ぜられた時に高橋連虫麻呂が作った送別の歌です。「白雲の 竜田の山の 露霜に 色付く時に うち超えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ 賊守る 筑紫に至り 山のそき 野のそき見よと 伴の部を 班ち遣はし 山彦の 応へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国伏を 見したまひて 冬ごもり 春さり行かば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 竜田道の 岡辺の道に 丹つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参出む 君が来まさば」竜田の山が露によって色付く時に・・・春になったら飛ぶ鳥の様に早くお帰り下さい。竜田道に、赤いツツジが美しく咲く頃、桜花咲く頃にはお迎えに参りましょう。と歌っています。「節度使」は、道ごとに任命され、諸国の軍事を司った。「西海道」は五畿七道(東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道)」の一つです。
2021年05月17日
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堤防の土手の草にとまる「モンキチョウ」を見つけました。普段はひらひらと飛んでいて、滅多にとまった場面に出会うことがないのです。モンキチョウ;チョウ目、シロチョウ科、L=45mm
2021年05月17日
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次は第961首です。神亀5年(728年)赴任先の筑紫で、大伴旅人が亡き妻を偲んで詠んだ歌です。「湯の原に鳴く蘆鶴は我がごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く」湯の原で鳴く鶴は、私の様に妻を恋しくて思うからか、絶え間鳴く。と歌っています。旅人の妻は、夫の赴任に従って筑紫に来て間もなく亡くなりました。「湯の原」は温泉、ここでは大宰府の南の筑紫野二日市の二日市温泉で奈良時代には「次田の湯」と呼ばれていました。
2021年05月16日
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川に堰のブロック上にとまって、川面に飛び込む「カワセミ」を見つけました。急いでカメラを構えましたが、上手く撮れないうちに、他へ飛び立って行きました。カワセミ;ブッポウソウ目、カワセミ科、L=17cm、留鳥
2021年05月15日
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次は第954首です。奈良時代の皇族(長屋王の王子)の膳王(かしはでのおほきみ)が作った歌です。「朝には海辺にあさりし夕されば大和へ超ゆる雁しともしも」朝は浜辺で餌を漁り、夕べになると大和の方へ山を越えて飛んで行く雁が羨ましい。と歌っています。
2021年05月15日
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次は第948首です。神亀4年(727年)春正月、勅命により諸王や諸臣下らが軟禁の罰を受けた時に作られた歌です。作者は未詳。「ま葛延ふ 春日の山は うちなびく 春さり行くと 山峡に 霞たなびき 高円に うぐひす鳴きぬ もののふの 八十伴の男は 雁がねの 来継ぐこのころ かく継ぎて 常にありせば 友並めて 遊ばむものは 馬並めて 行かまし里を 待ちかてに 我がせし春を かけまくも あやに恐く 言はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に 石に生ふる 菅の根取りて しのふ草 祓へてましを 行く水に みそぎてましを 大君の 命恐み ももしきの 大宮人の 玉鉾の 道のも出でず 恋ふるこのころ」野山に遊ぼうと待ちかねていた春に、罰を受けたため軟禁となり、外出のかなわね身を嘆いています。この歌には3種の野鳥の名前が出てきます。それは「ウグイス」「ガン(カリ)」「チドリ」です。※_ウグイス;
2021年05月14日
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川の堰に珍しく「ダイサギ」「アオサギ」「カワウ」の三羽がご対面となりました。一触即発の雰囲気でしたが、争うことなく別れて行きました。人間社会では、世界のあちらこちらで紛争が起こっています。少しでも野鳥を見習いたいものですね。ダイサギが居た場所にアオサギが侵入してきました。ダイサギはアオサギに場所を譲りました。ダイサギは他の場所へ飛び立って行きました。カワウは関係なく濡れた羽を乾かしていました。
2021年05月13日
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次は第943首です。山部赤人が、瀬戸内海に旅した時に作った歌です。「玉藻刈る辛荷の島に島廻する鵜にしもあれや家思はざらむ」玉藻を刈る辛荷の島で、島を回って魚を捕る鵜だからだろうか、家を思わずにいられるのは。と歌っています。辛荷島は兵庫県たつの市御津町の沖合にある三つの島を言う。※_カワウ;魚を追って川に潜った後で、濡れた羽を乾かす「カワウ」。
2021年05月13日
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次は第928首です。神亀2年10月10日、聖武天皇が難波宮に行幸の折に、笠朝臣金村が作った歌です。「おしてる 難波の国は 葦垣の 古りにし里と 人皆の 思ひやすみて つれもなく ありし間に 積麻なす 長柄の宮に 真木柱 太高敷きて 食す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味経の原に もののふの 八十伴の男は 廬りして 都なしたり 旅にはあれども」「沖つ鳥」は「沖のあぢ(トモエガモ)」のことで、次の「味経(あぢふ)」にかかる枕詞です。これまでも何度も歌の中に出てくる「難波の国(なにはのくに)」は「難波宮」で古墳時代以来、飛鳥時代・奈良時代に難波にあった宮殿です。
2021年05月12日
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次は第926首です。吉野の秋津野における聖武天皇のお狩を讃える山部宿祢赤人の長歌です。「やすみしし わご大君は み吉野の 秋津の小野の 野の上には 跡見すゑ置きて み山には 射目立て渡し 朝狩に 鹿猪踏み起こし 夕狩に 鳥踏み立て 馬並めて み狩そ立たす 春の茂野に」「夕狩に 鳥踏み立て」は「夕の狩りに鳥を驚かして飛び立たせ」の意味です。狩りで狙う鳥は「キジ」とか「カモ」などだったのかと思います。※_キジ;
2021年05月11日
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毎年、東面の窓の外にグリーンカーテンを作っています。昨年は「ゴウヤ」で作りました。そして、今年も「ゴウヤ」で作ることにし、支柱を組んでネットを張りました。
2021年05月10日
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次は第925首です。山部宿祢赤人が作った歌です。「ぬばたまの夜のふけゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」夜が更けて行くと、久木の生える清い川原に千鳥がしきりに鳴いている。と歌っています。「久木」は「アカメガシワ」か「キササゲ」です。図鑑で千鳥の鳴き声を調べると・・・「イカルチドリ」;ピオ、ピオ。ピッピッピッピッ。「コチドリ」;ピォ、ピォ、ピュー、ピュー。「シロチドリ」;ピュル、ピュル、ピルルル。「メダイチドリ」;プリィ、プリィ。さて、歌の中の千鳥はどのように鳴いていたのでしょうか?
2021年05月10日
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堤防道路横でこちらを窺っている「ヒバリ」を見つけました。ギョロっとした特徴のある眼が面白いですね!_近づくと飛び立って上空で鳴きながらホバリングしていました。ヒバリ;スズメ目、ヒバリ科、L=17cm、留鳥
2021年05月09日
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次は第924首です。山部宿祢赤人が作った歌です。「み吉野の象山のまの木末にはここだも騒く鳥の声かも」み吉野の象山の山あいの梢には、こんなにも沢山の鳴き騒ぐ鳥の声がしているよ。と歌っています。「象山」は吉野離宮があった宮滝付近にある山です。離宮からは南西に望める。沢山に鳴き騒ぐ鳥は「ムクドリ」「ヒヨドリ」「イカル」などかな?※_イカル;「キィーコーキー、キョコ、キー」と鳴きます。
2021年05月09日
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次は第920首です。神亀2年(714年)夏5月、聖武天皇が吉野の離宮に行幸された時、笠朝臣金村が作った歌です。奈良県吉野町の宮滝遺跡が「吉野離宮」だとする調査が現在も進んでいます。「あしひきの み山もさやに 落ちたぎつ 吉野の川の 川の瀬の 清きを見れば 上辺には 千鳥しば鳴き 下辺には かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人も をちこちに しじにしあれば 見るごとに あやにともしみ 玉かづら 絶ゆることなく 万代に かくしもがもと 天地の 神をそ祈る 恐くあれども」山も清々しく、激しく流れる吉野川の川瀬の清らかなのを見ると、上流では千鳥がしきりに鳴き、下流では河鹿が相手を呼んで鳴いている。大宮人もあちこちに大勢いるので、見るたびに心惹かれ、絶えることなく、万代までもこうあって欲しいと、天地の神々に祈る。恐れ多くはあるけれども。と歌っています。「大宮人(おおみやひと)」は「宮廷に仕える人」の意です。
2021年05月08日
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草にとまって合体中の2種のカメムシを見つけました。「クサギカメムシ」と「ジュウジナガカメムシ」です。ミナナアオカメムシ;カメムシ目、カメムシ科ヒメジュウジナガカメムシ;カメムシ目、マダラナガカメムシ科
2021年05月08日
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次は第919首です。神亀元年、聖武天皇が紀伊国に行幸された時に、山部宿祢赤人が作った歌です。「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る」若の浦に潮が満ちてくると、干潟がないので、葦辺をめざして鶴の群れが鳴く渡る。と歌っています。「若の浦」は和歌山市若歌浦です。奈良時代の道路事情も悪い中で、時の天皇はあちらこちらに行幸(天皇の外出)されていたのだなぁと思いました。
2021年05月07日
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家の庭で植木の葉にとまる青緑色に光る「カワトンボ」を見つけました。図鑑で確認すると「アサヒナカワトンボ」と判りました。アサヒナカワトンボ;トンボ目、カワトンボ科、L=50mm
2021年05月07日
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散歩道の途中の草むらで翅を振るわせて動く「ヤマトシリアゲ」を見つけました。黒色に春型と黄褐色の夏型がいますが、今回は春型です。ヤマトシリアゲ;シリアゲムシ目、シリアゲムシ科、L=18mm
2021年05月06日
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次は第915首です。奈良時代の歌人、車持千年が作った歌です。「千鳥鳴くみ吉野川の川音なす止む時なしに思ほゆる君」千鳥が鳴く吉野川の川の音の様に、止む時もなしに思われる貴方よ。と歌っています。「吉野川」は大台ケ原を源流にして、奈良県から和歌山県に流れる一級河川、和歌山県では水系名の「紀の川」と呼ばれます。※_チドリ;コガモ(昔の呼び名;たかべ)と一緒にいました。
2021年05月06日
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次は第898首です。山上憶良が老いた身に病を重ね、長年苦しみ、子供を案じて作った歌7首の中の1首です。「慰むる心はなしに雲隠り鳴き行く鳥の音のみし泣かゆ」心の慰めようもないままに、雲に隠れて鳴きながら飛ぶ鳥の様に、声をあげて泣くばかりだ。と歌っています。「雲隠り鳴き行く鳥」はどんな鳥でしょうか?_第534首では「空高く飛ぶ鳥」を「トビ」としましたが、今回は「ヒバリ」としてみます。※_ヒバリ;雲に隠れるほど高くは飛んでいませんが・・・
2021年05月05日
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草原で花の蜜を吸う、長い触覚で全体に白い毛が生えたハチを見つけました。帰って図鑑を調べると「シロスジヒゲナガハナバチ」のオスと判りました。このハチは初めて見たものです。白い毛は春先に見られる様です。シロスジヒゲナガハナバチ(オス);ハチ目、ミツバチ科、L=14mm
2021年05月05日
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タテハチョウ科の中でジャノメの名が付いているのは「コジャノメ」「ヒメジャノメ」「ウラジャノメ」「ジャノメチョウ」と「ヒメウラナミジヤノメ」などがいます。今の季節は「ヒメウラナミジヤノメ」が数多く飛んでいます。ヒメウラナミジヤノメ;チョウ目、タテハチョウ科、L=35mm
2021年05月04日
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