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次は第827首です。大伴旅人主催の梅花の宴で詠まれた32首の中の一つで、山口若麻呂が作った歌です。「春されば木末隠りてうぐひすそ鳴きて去ぬなる梅が下枝に」春になったので、梢に隠れてウグイスは、鳴きながら移って行ったようだ、梅の下枝に。と歌っています。昨日に続き、今日の短歌もウグイスが登場しています。ウグイス;枝に隠れて、こちらを窺っていました。
2021年04月30日
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次は第824首です。作者は少監阿氏奥島となっていますが未詳です。「梅の花散らまく惜しみ我が園の竹にうぐひす鳴くも」梅の花が散るのを惜しんで、私の園内の竹林にウグイスが鳴いているよ。と歌っています。800首を過ぎてやっと「ウグイス」が詠まれた歌が出て来ました。梅にとまって鳴くのではなく、竹林で鳴く「ウグイス」となっていますが、我が地方では草原の野棘(のいばら)の中で鳴く「ウグイス」が一番多いです。※_ウグイス;野棘(のいばら)にとまって鳴いています
2021年04月29日
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朝から強い雨模様、きのう「カルガモ」が居た沼地に、今日は「アオサギ」がやって来ました。アオサギ;コウノトリ目、サギ科、L=90cm
2021年04月29日
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今日は久し振りに朝から雨が降っていました。近くの荒れた田んぼが沼地になっているところで、雨が降る中で「カルガモ」のカップルが仲良く水草を食べていました。こんな場所に「カルガモ」が来るのは初めてです。カルガモ;カモ目、カモ科、L=90cm_雌雄同色です
2021年04月28日
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次は第800首です。神亀五年七月二十一日(728年)嘉摩郡(現在の福岡県嘉麻市)で、山上憶良が作った歌です。「父母を 見れば尊し 妻子見れば めぐし愛し 世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ 行くへ知らねば うけ沓を 脱きつるごとく ・・・ かにかくに 欲しきまにまに 然にはあらじか」父母を見れば尊い、妻と子を見ればいとしくかわいい、人の世はそれが当たり前だ。とりもちに掛かった鳥のように離れがたい事よ。・・・ あれやこれやと自分のしたい放題に、それではいけないのではないか。と歌っています。なんと「もち鳥」は「とりもちに掛かった鳥」だったとは!_自分が子供の時代には「とりもち」を使って小鳥を生け捕りにしていましたが、現在は許可を受けずの使用は禁止になっています。奈良時代に「とりもち」が使われていたのは少し驚きました。「とりもち」で捕獲した小鳥は「メジロ」だったかな?※_メジロ;
2021年04月28日
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家の庭をヒラヒラと飛び回る黒い蝶を見つけました。鉢植えにとまったところを撮りました。図鑑で調べると「ジャコウアゲハ」のオスと判りました。ジャコウアゲハ(オス);チョウ目、アゲハチョウ科、L=90mm
2021年04月27日
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次は第794首です。山上憶良が、妻を喪った大伴家持の身になって詠んだ挽歌です。神亀五年(728年)山上憶良が69歳の時の作です。「大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に うちなびき 臥やしぬれ 言はむすべ せむすべ知らに 石木をも 問ひ放け知らず 家ならば かたちはあらむを 恨めしき 妹の命の 我をばも いかにせよかと にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心そむきて 家離りいます」大君の遠い政庁として、筑紫の国に慕ってやって来られ、息を整えるいとまさえまだなく、年月もまだ経っていないのに、思いもかけず、力なく横たわってしまったので、何と言ってよいか、何をしてよいか分からず、岩や木に向かって問うてみるわけにもいかない。家にいたら、姿かたちはもとのままでいただろうに、恨めしいわが妻の君は、この私にどうせよと言うのか、にほ鳥のように二人寄り添って語り合った、あの約束にそむいて、家を離れて行ってしまわれる。と歌っています。「にほ鳥」は「カイツブリ」です。
2021年04月27日
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次は第775首です。大伴宿祢家持が紀女郎に贈った歌です。「鶉鳴く故りにし郷ゆ思へどもなにそも妹に逢ふよしもなき」旧都にいた時から思い続けているのに、どうしてあなたに逢う手立てもないのか。と歌っています。「鶉鳴く」は旧(古い)にかかる枕詞です。奈良時代には何処にでも居た野鳥だったようで、田畑の開墾が進むのに併せて生息域がどんどん減ってしまったとのことです。
2021年04月26日
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次は第760首と第761首です。どちらも大伴坂上郎女が竹田の庄(耳成山北東の地;奈良県橿原市東竹田町)より娘の大嬢に贈った歌です。760「うち渡す竹田の原に鳴く鶴の間なく時なし我が恋ふらくは」見渡し眺める竹田の原に鳴く鶴のように、絶え間もなく定まった時もない、私の恋は。と歌っています。奈良時代には奈良県橿原市でも鶴を見ることが出来たのですね。761「早川の瀬に居る鳥のよしをなみ思ひてありし我が子はもあわれ」早川の瀬にいる鳥のように、頼り所がなくて思い沈んでいた私の娘は、ああ、かわいそう。と歌っています。「早川の瀬にいる鳥」は、どんな鳥だったのでしょうか?「セグロセキレイ」だったかもしれませんね。※_セグロセキレイ:
2021年04月25日
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畑仕事中に、畑の地面に仰向けになって動く甲虫を見つけました。手に取って地面に置き直してやると、少し様子をみてから飛び立っていきました。帰って図鑑で調べると水生昆虫の「コガムシ」と判りました。コガムシ;甲虫目、ガムシ科、L=17mm、水生昆虫
2021年04月25日
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次は第725首と第726首です。どちらも大伴坂上郎女が春日の里で作って、聖武天皇に献上した歌です。725「にほ鳥の潜く池水心あらば君に我が恋ふる心示さね」カイツブリのもぐる池の水よ、お前に心があったら、君を恋い慕う私の深い心をはっきり示しておくれ。と歌っています。にほ鳥は「カイツブリ」です。726「外に居て恋ひつつあらずは君が家の池に住むといふ鴨にあらましを」離れていて恋い慕っているくらいなら、我が君の家の池に住むという鴨である方がましです。と歌っています。※_カンムリカイツブリ;冠羽は夏羽になっています
2021年04月24日
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次は第715首です。大伴家持が作って、娘に贈った歌です。「千鳥鳴く佐保の川門の清き瀬を馬打ち渡し何時か通はむ」千鳥が鳴く佐保川の渡り場の清い浅瀬を、馬を進めて通うのはいつの日であろうか。と歌っています。この歌も奈良の佐保川を詠んでます。ネットで「佐保川」を検索すると”奈良市;佐保川の桜”が出て来ました。※_シロチドリ;
2021年04月23日
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次は第711首です。奈良時代の歌人の丹波大女娘子が作った歌です。「鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮きたる心我が思はなくに」鴨が遊んでいるこの池に、木の葉が落ちて浮いている、あのような浮ついた気持ちなど私は持っていません。と歌っています。木の葉が落ちる秋から冬の季節に詠まれた歌です。池で遊ぶ鴨鳥は「コガモ」か「カルガモ」でしょうか?※_カルガモ;
2021年04月22日
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次は第663首です。奈良時代の官人の安都宿祢年足(あとのすくねとしたり)が作った歌です。「佐保渡り我家の上に鳴く鳥の声なつかしき愛しき妻の児」佐保川を渡って来て、私の家の上で鳴く鳥のように、声の懐かしい可愛い妻よ。と歌っています。佐保川は奈良市・大和郡山市を流れる一級河川で、万葉集には佐保川を詠んだ歌が書かれています。家の上で鳴く鳥で一番は「スズメ」でしょうね。※_スズメ;スズメ目、ハタオリドリ科、L=14cm、留鳥
2021年04月21日
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畑で夏野菜の準備作業をしていると、支柱にとまる大きな「テントウムシ」を見つけました。一般的な「ナナホシテントウ」は5mmほどの大きさですが、これは12mmほどもあって、前翅の縁が少し反り返っています。帰宅後に図鑑を観ると、日本産てんとう虫で最大級の「カメノコテントウ」と判りました。カメノコテントウ;甲虫目、テントウムシ科、L=10mm
2021年04月21日
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次は第618首です。大神女郎(奈良時代の女流歌人)が大伴家持に贈った歌です。「さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふとわびをる時に鳴きつつもとな」夜中に連れを呼ぶ千鳥は、私が物思いに沈んでいる時に、やたらと鳴き続けている。と歌っています。「イカルチドリ」は川で時々見ますが、鳴き声は聞いた事が有りません。図鑑によると「ピオ、ピオ。ピッピッピッピッ」の様に鳴くようです。※_イカルチドリ;
2021年04月20日
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次は第592首です。これも笠郎女が大伴家持に贈った恋の歌です。「闇の夜に鳴くなる鶴の外のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに」闇夜に鳴き声だけが聞こえる鶴のように、姿を見ることなく、いつも遠くから噂ばかりを聞いているのでしょうか。逢うこともないまま。と歌っています。・・・我が地方でも、昔は月が出ていない夜は真っ暗で闇の状態でした。聞こえてくるのは「鶴」ではなく、不気味な「ヤマバト(キジバト)」の「デデッポッポー、デデッポッポー」の鳴き声だけでした。本当に怖かったなぁー!ヤマバト(キジバト);ハト目、ハト科、L=33cm、留鳥
2021年04月19日
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次は第588首です。奈良時代中期の歌人、笠郎女(かさのいらつめ)から大伴宿祢家持に送った贈り物に付けて贈った歌(家持との恋歌)です。「白鳥の飛羽山松の待ちつつそ我が恋ひわたるこの月ごろを」飛鳥山の松のように、ずっと待って、あなたを恋続けています。この幾月の間を。と歌っています。「白鳥の」は「飛ぶ」にかかる枕詞です。この白鳥は場所的に考えると「白鷺」と思われます。飛羽山は未詳ですが東大寺北方の山の様です。※_白鷺;白色の鷺は「ダイサギ」「チュウサギ」「コサギ」などがいます。下の画像は「ダイサギ;L=90cm」です。
2021年04月18日
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次は第575首です。大伴旅人が(大納言大伴卿に任ぜられた730年以後に)作った歌です。「草香江の入江にあさる蘆鶴のあなたづたづし友なしにして」難波の海の草香の入江で餌をあさる蘆鶴のように、心細い事よ。親しい友もなくて。と歌っています。「草香」は生駒山西麓、東大阪市日下町の辺りになります。葦辺で餌を食べる鶴に喩えて自分の気持ちを詠んでいます。奈良時代には、難波の海に鶴が渡って来ていたことが判りますが、日下町辺りまで海だったことも判りました。
2021年04月17日
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散歩途中、タンポポの花で蜜を吸う「ツマグロヒョウモン」を見つけました。この蝶は4月~11月に見られるタテハチョウ科の蝶です。ツマグロヒョウモン;チョウ目、タテハチョウ科、L=60mm
2021年04月17日
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次は第534首です。安貴王(あきのおほきみ)が作った歌、妻の采女を思って詠んだ歌です。安貴王は奈良時代の皇族で、志貴皇子の孫です。「遠妻の ここにしあらねば 玉鉾の 道をた遠み 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 苦しきものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日行きて 妹に言問ひ 我がために 妹も事なく 妹がため 我も事なく 今も見るごと たぐひてもがも」遠くにいる妻がここにいないので、道の遠さに、思う心は安らかでなく、嘆く心も苦しいので、大空を行く雲でありたいな。高く飛ぶ鳥でありたいな。明日にでも行って妻と語らい、私のために妻も安穏で、妻のために私も無事に、今もまざまざと思い見ているように、二人寄り添っていたいものだ。と歌っています。歌の中の高く飛ぶ鳥は、どんな鳥だったのでしょうか?渡り鳥かな?・・・よく空高く飛んでいるのを見かけるのは「トビ(鳶)」ですが?※_トビ;タカ目、タカ科、L=メス69cm、オス59cm、留鳥
2021年04月16日
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堤防横の大きな桑の木にとまる「イカル」を見つけました。イカル;スズメ目、アトリ科、L=23cm、留鳥
2021年04月15日
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次は第526首と第528首です。どちらも大伴郎女(おおとものいらつめ)が作った歌です。大伴郎女は万葉集に84首も収録される代表的な歌人で、大伴旅人の異母兄弟で大伴家持の叔母になります。526「千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波やむ時もなし我が恋ふらくは」千鳥の鳴く佐保の川瀬のさざ波のように絶える時はない。私が恋し続けることは。と歌っています。528「千鳥鳴く佐保の川門の瀬を広み打橋渡す汝が来と思へば」千鳥の鳴く佐保川の渡り場の瀬が広いので、板の橋を渡します。あなたが来ると思うから。と歌っています。※_イカルチドリ
2021年04月15日
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次は第509首です。丹比真人笠麻呂(藤原京時代の人)が筑紫国(福岡県)に下った時に、大和の家の妻を思って詠んだ歌です。「臣の女の 櫛笥に乗れる 鏡なす 御津の浜辺に さにつらふ 紐解き放けず 我妹子に 恋ひつつをれば 明け晩れの 朝霧ごもり 鳴く鶴の 音のみし泣かゆ 我が恋ふる 千重に一重も 慰もる 心もありやと 家のあたり 我が立ち見れば 青旗の 葛城山に たなびける 白雲隠る 天さがる 鄙の国辺に 直向かふ 淡路を過ぎ 粟島を 背がひに見つつ 朝なぎに 水手の声呼び 夕なぎに 梶の音しつつ 波の上を い行きさぐくみ 岩の間を い行きもとほり 稲日つま 浦廻を過ぎて 鳥じもの なづさひ行けば 家の島 荒磯の上に うちなびき しじに生ひたる なのりそが などかも妹に 告らず来にけむ」 宮使えの美しい女の櫛箱に乗っている鏡、・・・妻を恋い慕っていると、夜明け方の薄暗い朝霧の中に鳴く鶴のように声を挙げて泣けてくる。・・・稲日つまの浦の周辺を過ぎて、(鳥じもの)難渋して進んでいくと・・・どうして私は妻に大事な別れを告げずに来てしまったのだろうか。と歌っています。御津の浜辺は難波の浜で、難波から船出する時に、大和の妻の家の方をみて詠んだようです。出てくる鳥は二か所(下線部)で「鳴く鶴の」と「鳥じもの」です。「鳴く鶴」は鶴のように泣いていると比喩として使われています。「鳥じもの」は「朝立ち」にかかる枕詞です。
2021年04月14日
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次は第486首と第487首です。どちらも崗本天皇の御製の歌となっていますが、どうも定かでないようです。486「山の端にあぢ群れさわき行くなれど我はさぶしゑ君にしあらねば」山の端であじ鴨の群れが鳴き騒ぐように、人々は騒いで行くけれど、私は寂しくてならない。あなたではないので。と歌っています。第485首の反歌になります。487「近江路の鳥籠の山なる不知哉川日のころごろは恋ひつつもあらむ」近江路の鳥籠の山を流れるいさや川。その「いさ」という名の様に、この先どうなるのか判らないが、しばらくは恋い慕いながら生きていくだろう。と歌っています。出てくる「鳥」の字は山の名前でした。鳥籠山(とこのやま)と不知哉川(いさやかわ)は中山道の高宮宿附近で、現在の大堀山と芹川のようです。
2021年04月13日
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昨日の午後、堤防下の木の枝で「ホオジロ」が一生懸命鳴いていました。昔から「ホオジロ」の鳴き声を”一筆啓上仕り候”と鳴いていると言われていますが・・・うーん?そうかなぁー?_図鑑には♪チョピー・チュルル・ピピロピー♪と囀ると書かれています。ホオジロ;スズメ目、ホオジロ科、L=17cm、留鳥
2021年04月13日
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次は第485首です。崗本天皇の御製の歌となっていますが、皇極天皇を作者とする説もあります。「神代より 生れ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて あぢ群の 通ひは行けど 我が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜は 夜の明くる極み 思いつつ 眠も寝がてにと 明かしつらくも 長きこの夜を」神代の昔からずっと生まれ続けて来たので、人がいっぱい国には満ちあふれ、あじ鴨(トモエガモ)の群れのように行き来しているが、私が恋い慕うあなたではないので、昼間は日が暮れるまで、夜の間は夜の明ける際まで、思い続けて眠ることもできずに、明けてしまった。この長い夜を。と男の訪れるのを待つ恋心を歌っています。「あぢ群の」は「あぢ」は「トモエガモ」のことです。現在、この「トモエガモ」は日本への渡来数が減少しており絶滅危惧種になっています。万葉集の時代には「トモエガモ」が群れて騒ぐほど居たのかと思います。※_トモエガモ;カモ目、カモ科、L=40cm、冬鳥
2021年04月12日
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菜の花(ひとり生え)で蜜を吸う「セイヨウミツバチ」です。最近はミツバチが減ったようですが、昔の様に畑で「ナタネ」や「レンゲ」などを栽培する農家も無くなったことも原因だと思います。セイヨウミツバチ;ハチ目、ミツバチ科、L=13mm
2021年04月11日
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次は第481首と483首です。どちらも高橋朝臣が、亡くなった妻を悲しみ痛んで作った歌です。481「白たへの 袖さし交へて なびき寝し わが黒髪の ま白髪に なりなむ極み 新た世に ともにあらむと 玉の緒の 絶えじい妹と 結びてし ことは果たさず 思へりし 心は逐げず 白たへの 手本を別れ にきびにし 家ゆも出でて みどり子の 泣くをも置きて 朝霧の おほになりつつ 山背の 相楽山の 山のまに 行き過ぎぬれば 言はむすべ せむすべ知らに 我妹子と さ寝しつま屋に 朝には 出で立ち偲ひ 夕には入り居嘆かひ わき挟む 子の泣くごとに 男じもの 負ひみ抱きみ 朝鳥の 音のみ泣きつつ 恋ふれども 験をなみと 言問はぬ ものにはあれど 我妹子が 入りにし山を よすかとぞ思ふ」483「朝鳥の音のみし泣かむ我妹子に今また更に逢ふよしをなみ」声をあげて泣いているしかない。私の亡き妻に今更逢えるわけでもないのだから。と歌っています。歌の中の「朝鳥の」は「朝立ち」にかかる枕詞です。
2021年04月11日
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次は第478首です。安積皇子(聖武天皇第二皇子、728年~744年)が天平16年(744年)2月に亡くなった時に、大伴宿祢家持が作った歌です。「かけまくも あやに恐し わが大君 皇子の命 もののふの 八十伴の男を 召し集へ あどもひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み起こし 夕狩に 鶉雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし活道山 木立の茂に 咲く花も 移ろひにけり 世の中は かくのみならし ますらをの 心振り起こし 剣大刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蠅なす 騒ぐ舎人は 白たへに 衣取り着て 常なりし 笑まひ振舞 いや日異に 変はらふ見れば 悲しきろかも」 「心にかけて思うことも、まことのに恐れ多い事である。わが大君安積皇子さまが、あまたの臣下のますらおたちを、呼び集め引き連れて、朝の狩りに獣を踏み立て起こし、夕べの狩に鳥を踏み立て飛び立たせ、愛馬の手綱を控え、眺めては御心を晴らされた、活道山の、木々の茂みの中に咲く花も散ってしまった。・・・真っ白に喪服をまとい、いつも絶える事のなかった笑顔も振舞いも、日ごとに変わって行くのを見ると、悲しいことだ。と歌っています。安積皇子のお墓は京都府相良郡和束町白栖にあって、近くに活動ヶ丘公園があり万葉歌碑もある様です。「鶉雉」は「ウズラ」のようです。図鑑によれば、「ウズラ」はおもに本州中部以北で繁殖し、中部以南の草原に移動し越冬すると書かれています。近年は野生種の生息する個体数は減っており準絶滅危惧種になっています。ウズラ;キジ目、キジ科、L=20cm、漂鳥※_下の画像の「キジ」のメスを小型にした感じでしょうか?
2021年04月10日
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今日の午後、家の近くの竹藪に棲む「シロハラ」が竹藪横の道に出てきて餌を探していました。冬鳥として10月から翌年4月の期間を日本で過ごします。そろそろ中国東北部やロシア沿海地方へ渡る日が近付いています。シロハラ;スズメ目、ツグミ科、L=25cm、冬鳥
2021年04月09日
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次は第466首です。奈良時代の公卿で歌人の大伴宿祢家持(718年~785年、大納言大伴旅人の子)が作った歌です。「わがやどに 花そ咲きたる そを見れど 心もゆかず はしきやし 妹がありせば 水鴨なす 二人並び居 手折りても 見せましものを うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ゆくがごとく あしひきの 山道をさして 入日なす 隠りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛き 言ひも得ず 名付けも知らず 跡もなき 世の中なれば せむすべもなし」我が家の庭に、なでしこの花が咲いている。それを見ても心は満たされない。愛しい妻が生きていたら、水鴨のように二人並んでいて、手折って見せもしようものを。・・・言い様もなく、名付け様もなく、跡形もない人間の世であるから、どうにもしようがない。と歌っています。「水鴨なす」は実際の鴨ではなく、比喩的な枕詞として使われています。※_雌雄で仲良く泳ぐ「スズガモ」です。(左=メス、右=オス)
2021年04月09日
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今年は、早くから暖かい為か「タンポポ」の花が例年に比べてかなり多いように思います。その「タンポポ」の花で吸蜜中の「ジャコウアゲハ」を見つけました。ジャコウアゲハ;チョウ目、アゲハチョウ科、L=50mm
2021年04月08日
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次は第456首です。大伴旅人に仕えた役人の余明軍(奈良時代の詩人)が作った歌です。「君に恋ひいたもすべなみ蘆鶴の音のみし泣かゆ朝夕にして」亡き君に恋いこがれ、どうしようもなさに、蘆鶴のように声をたてて泣けてくる。朝も晩も。と歌っています。蘆鶴は、蘆(あし)が生えてる岸辺に住む鶴です。
2021年04月08日
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次は第443首です。天平元年、摂津国の斑田の史生丈部竜麿呂が自ら首をくくって死んだ時に、判官の大伴宿祢三中が作った歌です。「天雲の 向伏す国の もののふと 言はるる人は 天皇の 神に御門に 外の重に 立ち候ひ 内の重に 仕へ奉りて 玉葛 ・・・ つつじ花 にほえる君が にほ鳥の なづさひ来むと 立ちて居て ・・・ 露霜の 置きて去にけむ 時にあらずして」出てくる鳥は「にほ鳥」で、水鳥の「カイツブリ」ことの様です。我が地方では滅多に見れない鳥です。※_カイツブリ;カイツブリ目、カイツブリ科、L=26cm、留鳥
2021年04月07日
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次は第423首です。石田王の挽歌として、兄の山前王が作ったものです。但し、注釈に柿本人麻呂が作った歌とも記されており、伝承が混乱状態になっています。「つのさはふ 磐余の道を 朝去らず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは ほととぎす 鳴く五月には あやめぐさ 花橘を 玉に貫き かづらにせむと 九月の しぐれの時は 黄葉を 折りかざさむと 延ふ葛の いや遠長く 万代に 絶えじと思ひて 通ひけむ 君をば明日ゆ 外にかも見む」 磐余の道を、朝毎に帰って行った人が、その道でいつも思ったであろうことは、ホトトギスの鳴く五月には、あやめ草や花橘を玉にして緒にとおしてかずらにしよう。九月のしぐれ頃は・・・その君を明日からは、この世ならぬよその人として見ることであろうか。と石田王の無念の死を傷む歌になっています。わたしが住んでいる所で、ホトトギスを見たことも鳴き声を聞いたこともありません。どんな野鳥か、Youtubeで見てみました。その感想は、ハトに似ていて、鳴き声は「特許許可局(トッキョキョカキョク)」の様に聞こえました。
2021年04月06日
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次は第416首です。大津皇子(天武天皇の皇子)が、父の天武天皇崩御の23日後の持統天皇の朱鳥元年(686年)の10月2日に、謀反の嫌疑で逮捕され、翌日に死を賜った時に詠んだ歌です。「ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」磐余の池で鳴く鴨を、今日を限りに見て、私は死んで行くのか。と歌っています。この時大津皇子は24歳でした。死を前に、鳴いていた鴨は、どの鴨かな?_磐余池(いわれいけ)は奈良県桜井市付近にあったとされています。10月2日頃に日本の奈良に渡って来ていたのは「コガモ」か「ヒドリガモ」ではと思います。※_「コガモ」と「ヒドリガモ」;どちらもオスの画像です。
2021年04月05日
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次は第390首です。紀皇女(天武天皇の皇女、弓削皇子と異母兄弟)が作った歌です。詠んだ場所は、軽の池(奈良県橿原市の剣池)のようです。「軽の池の浦廻行き廻る鴨すらに玉藻の上にひとり寝なくに」軽の池の、浦の周りに沿って泳ぎまわる鴨さえも、玉藻の上には一人で寝ないのに。と歌っています。紀皇女は弓削皇子とは異母兄弟の間柄にも拘らず、恋仲にあったようです。鴨でさえ独りで寝ないのに、私は独りで寝なければならなのか・・・と寂しい恋心を詠んだ歌です。※_マガモ;メスがオスに熱い視線を送っています・・・?
2021年04月04日
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次は第389首です。若宮年魚麻呂(奈良時代の歌人、経歴不明)が作った歌です。「島伝ひ敏馬の崎を漕ぎ廻れば大和恋しく鶴さはに鳴く」島伝いに敏馬の崎を漕いで廻ると、大和が恋しく、鶴が沢山鳴いている。と歌っています。敏馬の崎(みぬめのさき)は兵庫県神戸市灘区岩屋町付近の様で、近くに敏馬神社があります。
2021年04月03日
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4月に入って、庭で昆虫達が見れる季節になりました。今日は「アシブトハナアブ」を見ました。アシブトハナアブ(メス);ハエ目、ハナアブ科、L=12mm
2021年04月03日
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次は第375首です。湯原王(奈良時代の歌人、天智天皇の孫、志貴皇子の子)が作った歌です。「吉野なる夏実の川の川淀に鴨そ鳴くなる山陰にして」吉野の夏実川の川の淀みに、鴨が鳴いている。あの山陰で。と歌っています。場所は奈良県吉野町の吉野川、宮滝の上流になります。宮滝には遺跡があって、飛鳥時代に建てられた吉野宮、奈良時代に建てられた吉野離宮の遺構があります。鳴いていた鴨は何かな?よく鳴いているのは「コガモ」や「ヒドリガモ」など小中型の鴨と思いますが・・・※_ヒドリガモ;カモ目、カモ科、L=48.5cm、冬鳥
2021年04月02日
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次は第372首と反歌の第373首です。この2首は山部宿祢赤人が作った歌で、奈良市、春日大社の東側にある春日山、その中の三笠山(標高283m)を観て詠んだ恋の歌です。372「春日を 春日の山の 高座の 三笠の山に 朝去らず 雲居たなびき かほ鳥の 間なくしば鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに 昼はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと 立ちて居て 思ひそ我がする 逢はぬ児ゆゑに」春日山の、高い三笠山に雲がたなびき、かほ鳥が絶え間なく鳴く、その雲の様に心はためらい、その鳥のように片恋ばかりして、一日中立ったり座ったり、物思いばかりして、逢ってくれない彼女ゆえに。と歌っています。373「高座の三笠の山に鳴く鳥のやめば継がるる恋もするかも」三笠山に鳴く鳥が、鳴き止んだと思うとまた鳴くように、私も絶え間ない恋をすることだ。と歌っています。出てくる「かほ鳥」は「カッコウ」とする説があるようです。図鑑によると「カッコウ」はカッコウ目カッコウ科の野鳥で、仲間に「ホトトギス」「ツツドリ」「ジュウイチ」などがいます。いずれも5月頃から10月頃まで山地や森林に住むようです。
2021年04月01日
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今日も動くと汗ばむほどに暖かな良い日です。散歩途中に可愛い「ベニシジミ」がひらひらと飛んでいるのを見つけました。何処かにとまるのを待っていると草原にとまりました。この「ベニシジミ」が今年(2021年)最初の昆虫写真になりました。ベニシジミ;チョウ目、シジミチョウ科、L=15mm
2021年04月01日
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