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戦争法案の質疑ですが、安倍や閣僚たちの無知さには驚きを禁じえない状況であると断じます。 まず、彼らは戦争を知らな過ぎるのです。後方支援を目的に自衛隊を使う・・・・もし武力行使に巻き込まれそうになったら退却する???????馬鹿か! 後方支援、つまり武器や弾薬、あるいは兵士たちの送り迎えなどなどを自衛隊が行うのは、戦闘行為の中で最も重要なもので、兵站を言う、相手国が抵抗できないほどの小国であれば、ともかく、イランクラスになれば、必ず徹底抗戦になる、この場合、敵国が狙うのは、兵站、つまり自衛隊であるのだ、これは、質疑でもあったが、その答えが上記の退却する・・・つまり戦争が継続しているのに、敵前逃亡させると言うのだが、これを前線で戦っている国々が許すとでも思っていたとすれば、馬鹿を通り超えて、ちょっと無知すぎるのではないか? 戦争において、昔から最も重要な作戦は、兵站の確保であり、兵站ラインの維持なのである、前漢時代の項羽と劉邦でもお馴染みだが、強力な呉に対して漢の劉邦は、負け続けるのだが、その際に退却する劉邦が全滅せずに済んだのは兵站が確保されていたからに他ならない、3千年前から、兵站の確保は作戦の最も重要な部分であるのだ、秀吉の大返しも同様、退却するための兵站の確保が出来上がっていたからである。 逆に兵站の確保が難しくなるほど長くなって結果、負け戦になったのは、先の大戦に於けるわが国である。中国の広大さにどんどん兵站は延びて更衣兵や抗日ゲリラに兵站線を襲われて物資が枯渇してしまう。制海権も制空権まで失って南の島々では、戦闘によって死んだ兵士より、我が国の場合、餓死者が多いと言われている。食料、医薬品、矢玉が尽きて戦わずして餓死であるのだ。 これが端的に兵站の重要さを物語っている。安倍たちが想定する戦闘行為は、抵抗もできないほどの小国を嬲っている場合だけに限られている。もし陸上であるならなおさらだろう。彼らの言う、戦闘行為に巻き込まれそうになったら退却するのは、その作戦に参加せずに今までどおりに旗を見せないより以上に批判されるのは当然で、こんな幼稚でいい加減な応答は国会史上、これ以下はないほど馬鹿げている。 さらに、国内におけるテロ対策など、全くで出ていないのに、外で戦うことばかり勇猛果敢に議論しているが、もし、重武装した数十人のテロリストが原発などに立てこもった場合、到底、警察の武器では抵抗すらできない。抵抗すれば間違いなく全滅である。自衛隊が出るべきだが、その法整備すらまだできていない。また、高性能火薬によるテロ、それも自爆テロなどが起こった場合、また今騒がれているドローンに、数キロの爆弾を積んで夜中の東京で飛ばせば、それこそ、総理官邸など一発で破壊されるだろうし、これが国会開催中の国会に目掛けてなどと思えば、その対策など、全くできていないのではないか?ナイターが行われている球場やサッカー場などで同様のことが起これば被害者は数十人単位ではない。火薬ではなく、化学兵器を散布したら・・・・考えるだけでおぞましい。 これからの戦争は、まず全面戦争はあり得ない、中国の防衛白書が出たが、これも米国と直接対峙したくないから、その防衛力の強化を急ぐ姿が逆に不憫でしかない。 まあ、中東の場合は、あり得るかも知れないが、この場合、米国を含む国連軍や多国籍軍に抵抗できる国はほぼ存在しないので、兵站を攻撃するだけの能力はないだろうが・・・・・これも分からない。もし攻撃されたからと言って逃げ出せば、明らかな敵前逃亡である。つまり自衛隊も兵站の国保維持に戦うことが義務付けられている。 自衛官のリスクはない・・・・・・・・・全くの嘘である。 史上最低の総理と内閣、日本の悲劇である。 (「公正であること」より)
2015.05.27
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今回は、ジャパンタイムズの社説を紹介いたします。色々な話題を提供してくれる安倍総理ですが、彼の言動には注意を払い続けねばならない、という話です。 2015年4月3日付の記事リンクを以下に貼ります。「Keep a close eye on Abe’s words」(安倍総理の言動に注意を払い続けよう) 上記リンク英文記事を私の方で日本語に訳し、さらに解り易くするために、一部を要約しました。 以下に紹介しますので参考にしてください。***************************** 人の発言というのは、たとえそれが断片的なものであっても、重要問題に対する秘めた思いや基本的態度を明らかにしてくれることがある。安倍総理が最近行った一連の発言についても、それは当てはまる。 3月後半の参議院予算委員会において、自衛隊が他国の軍隊と合同演習を行うことに関して安倍さんは維新の党から質問を受けた。「そういった訓練は“我が軍”の透明性を高めるのに大いに役立つ」と安倍さんは答えた。“自衛隊”という言葉は使わなかった。その時は直ぐに軍隊という言葉を取り下げて、「自衛隊は規律がとれていると多くの国が理解しているようだ」と述べた。彼の使った我が軍隊という言葉は、歴代政府の立場と相容れない。自衛隊は軍隊ではないというのが一貫した認識なのだ。安倍さんも、総理として最初の任期中には同じことを述べている。 自衛隊は軍隊ではないという認識は憲法九条に基づいている。九条には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と書かれているからだ。この原則に則り、日本は専守防衛という立場をとってきた。攻撃された時だけ必要最低限の武力で対応する、ということだ。「日本は戦力を持てないのだから、空母・爆撃機・長距離ミサイルなどの攻撃兵器を自衛隊は保持できない」これが、歴代政府の考えだ。自衛隊を軍隊と呼ぶことを避けてきた理由は以上だ。 しかしながら、菅義偉官房長官の見解はこうだ。「安倍総理の発言は何も間違っていない。自衛隊は国際法上の軍隊なのだ。」 憲法の原則は自衛隊を抑制する働きをしているのだが、安倍さんの発言を聞いていると、憲法をあまり気にしていないのが良く解る。憲法を改正することで自衛隊を「普通の」軍隊に仕立て上げ、日本の軍事行動に対する制限を無くしたいという安倍さんの願望が白日の下にさらされたようだ。 海外では自衛隊が軍隊とみなされているとはいっても、日本の政治家には憲法を遵守する義務があるし、自衛隊関連の案件も憲法の精神に則って対応しなければならない。集団的自衛権の考えに従い自衛隊の海外での役割を広げ、国際紛争で他国の軍隊を支援するという決断を安倍さんは行ったが、このことが憲法に反していないかどうか是非とも説明して欲しいものだ。 現代の立憲主義についての安倍総理の考えがいかにお粗末かを示すため、別の例を挙げよう。 2014年11月8日に衆議院を急に解散してから数時間後、安倍さんはTBSのテレビ番組に出演した。番組中に流された街頭インタビューで5人のうち4人が経済政策に対して否定的な見解を述べたため、安倍さんは文句を言った。「おかしいじゃないですか。肯定的な意見が全然無いじゃないか。人をワザと選んでいる。」 その2日後に自民党は、東京に拠点を持つ6つのテレビ局に対して要求書を送り付けた。選挙に関して「公平な」報道をするように圧力を掛けるのが目的だ。要求書には、番組へのゲスト出演者やテーマの選定、時間配分、発言頻度、街頭インタビューといった細かなことが記載されていた。「公平さ」が強調されていた。 3月初めの衆議院予算委員会でのことだが、TBS番組での安倍さんの発言と自民党の要求文書に対して民主党議員が批判を行った。それに対する安倍さんの答弁は、「番組での発言は、言論の自由という権利を行使したまでだ」。 憲法が言論の自由を保障しているのは時の権力者から市民を守るのが目的だ、ということを安倍さんは理解していないようだ。政府の権力者がテレビ番組に文句を言うのは言論の自由として保障されている、なんて考えはチャンチャラおかしいね。 2014年2月の国会委員会で安倍さんが行った別の発言も思い出した。「憲法は国家権力を縛る為にあるんだという考えは、君主が絶対権力を持っていた頃の話だ。」この発言も含めて、言論の自由に関する彼の考えを聞いていると、次のように思えてしまう。「何よりも国家権力を制限するために憲法は作られたという基本的なことを安倍さんは解ってない。」 民主主義における憲法の役割を解ってない安倍さんのような人間ならば、当然、日本国憲法を変えたいと思うだろう。主権は国民に属するという民主主義の理念を憲法は内包しているからね。 総理大臣という公人の発言はそれが何であっても注目されるものだ。しかし、安倍さんはそういう認識を持ってないんじゃないかと思われる場面に遭遇した。 2月後半の国会委員会において、西川農林大臣の自民党支部に対する政治献金問題を民主党議員が質問した。その時突然、安倍総理は質問者の議員に大声で野次を飛ばしたのだ。「日教組!日教組はどうした?」 委員長である自民党の大島氏ですら、総理の野次に対して注意をしなければならない状態だった。 翌日安倍さんは野次った理由を説明した。「日教組は政府の補助金を受け取っており、民主党議員は日本教育会館から政治献金を受けている」 しかし、日教組は政府の補助金を受けてないし、民主党議員も教育会館から政治献金を受けてないことが判明したのだ。安倍さんの日教組嫌いは有名だが、彼の発言は非常に無責任だ。後日、発言の不適切さを認めて遺憾の意を表明したものの、政治家としてのダメージは免れなかった。 総理大臣が国会で野次を飛ばしていいのか、という問題が追及されるべきだ。 安倍さんの論理破綻は、自説を強弁する時に見られる。防衛大の卒業式で祝辞を述べた時のことだが、集団的自衛権の行使決定により日本が戦禍に巻き込まれる危険が増すという批判に反論したのだ。「私を批判する者たちは、国民の不安を煽る為に無責任な主張をしている。過去70年の歴史をみれば、こうした批判が間違いであることが判る。」 戦後の全期間を通して戦争反対意見があったからこそ憲法が機能し、日本の軍事行動が厳しく抑制されてきたのだが、安倍さんはこの事実をワザと無視しているね。彼の率いる現政権は逆に、軍事行動拡大を目論んでいる。 総理大臣の発言に注意を払い真意を見抜くことが、全ての市民にとって一層重要になっている。以上.転載元転載元: 情報収集中&充電中
2015.05.24
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「人間」って用語、いつどこで作られて使われ出したのか、いくら探しても見つからない。 どなたか、ご存じの方、ご教示ください。 ま、人と人の間で生きるしかないわれら二本足(女の悪口を言っても女は存在するのだし、男の悪口言っても、「男社会」はなくなりそうもないし)。 結局の所、感情をなだめ鎮めやりくりしながら呼吸し続けるしか手はない。だから、美しい景色を見たい、美人に会いたい(「美人」についてはまた近いうちに。表側だけのの美人、などは、眼中にない、ことだけを告げるだけで)、いい音楽を耳にしたい、楽しい映画を見たい、面白い文学を読みたい、などなどのっきたいに胸を焦がす。あるいはまた、いい仲間といい会話をしたい、いい酒を飲んでいい夢を見たい……そんな日常を重ねて死へ向かっている。 時には、自分で短歌を詠んだり、俳句を作ったり踊ったり唄ったりして「バランス・ゲーム」にすがっている。 冒険・恋・温泉・旅行なども含まれるだろう。 そして、ある種の才能に恵まれた方たちは、そういうものをこの世に送り届けてくれる。あるいは「伝説」となって、いつまでも「癒やし効果」の元になってくれる。 そうしたくなるほど、「人」と「人」の間で毎日を送るのは労力を必要とする。一種の試練・テスト・苦役だ。 何しろ、考えも感性も素養も躾も環境も「教養」もばらばらの「人間」が集まって袖すり合わせて寄り集まっているのだもの。 土台は「自分の基準が正しくて、他はみなゴミ、自分のようにすれば何の問題もない」と、ヒトリヒトリが信じているのだ。 その代表が扇子を持っていない、団扇仰ぎののセイジヤだろう。コクミンをグロスで考え、片付ける。名前など必要ない、番号でいい……。「日本で運用 変更ない」 オスプレイ事故受け 米国防総省 と新聞の見出し。 一人や二人、20人や99人、死のうが怪我をしようが、視野に入れない。 すると、黒縁のポチ君が「現時点で、政府としては保証する状況だ」(機体の女安全性に関して) まったくいい加減な日本語。その場限りの。ニンゲンの言葉とは思えない。「政府としては」……「は」は、「この際とりあえずは言い抜けておこう」という意味がありありだし、「保証する状況」は、「状況的には保証と言う言葉を使っておこう、状況が変われば、また別の日本語で言い訳すればいい、どうせコクミンは馬鹿ばっかりなんだから、とこれまた言い逃れのへっぴり腰。 ぜんぜん、血など通っていない。血を通わせていたらセイジヤやっていられない……。 ひどいもんだねえ、政治を担っている連中の「自分の椅子だけ守る」姿勢。親方の言うとおりのことやっておけばいい、の姿勢。 ああ、いい温泉につかりたい、カラオケがなりたい、バンジージャンプで華厳滝から飛び降りたい。 大阪の橋下さん、毀誉褒貶激しいが、「大阪都構想」を語る口調は、そこらへんのセイジヤなど及びも付かない真実実を感じさせた(you tube数十本見た)。あのー、えー、をほとんど入れないなめらかな弁舌は、似たような調子のソーリとは全く違う重みがあった。 気持ちのバランスをとりたい。とって、今日も生きた、明日も、状況的には生きている、だろう。 イチロー 大リーグ通算安打2873 歴代42位のベーブ・ルースに並んだ。 日本ですでに1278安打を放っているから、大リーグ最多4256安打(ピート・ローズ)に迫っている。 ああ、良い気持ち。
2015.05.19
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イオンの「母の日ポスター」騒動は女性蔑視?イオン「母の日」の広告文言に論争が起こる イオンの「母の日ポスター」騒動は女性蔑視? 四季が豊かなせいでしょうか、日本は世界屈指の年中行事が多い国です。とても素晴らしいことですが、最近次第に年中行事本来の意義や意味が失せ、売上向上の戦略になっている感があります。大手小売業のイオンが母の日商戦で「母を女にしてやろう」とのキャッチコピーで論争を巻き起こしたのも、いい例でしょう。「母を女にする」ということは、「母親に浮気でもさせるのか?」「母親に尊厳が感じられない」など、さまざまな観点から女性蔑視も甚だしいとの意見がありました。しかし、個人的にはそこまでむきになることではないと考えています。キャッチコピーが、見る人の意識を集中させるための言葉である以上、思わず「え?」と想像させる要素は必要ですが、感覚は人それぞれです。キャッチコピーの内容を解説する文章を読み、総合的にその意図を理解することが大切ではないでしょうか。短絡的に女性蔑視と捉えるのも浅はか 確かに「セクハラ」「マタハラ」などが問題になる中、「女にしてやる」との表現は強烈な印象を与える効果がある反面、女性蔑視と受け取られても仕方がありません。しかし、これを作成した企業の理念や日頃の振る舞いは多くの人々に受け入れられており、今までの経験のもと、自分が知っている情報と照らし合わせれば、短絡的に女性蔑視と捉えるのも浅はかかもしれません。 ところで、平成11年に男女共同参画基本法が制定されましたが、これは男女が社会の対等な構成員としてより良く生きるための法律です。しかし、女性が女性として、心豊かに長い人生を生きて行くことは、安易なことではないように思います。「母親」であることと、「女」であることは、ある意味で対極に位置します。 女であることは「浮気でもさせるのか」という意見に象徴されるように、男性を惹きつけるために外見を磨き、魅力的になることを目指します。一方、母親になることは、子供を身も心も健康に育てることに全力を注ぎ、浮気も無縁で、子供に愛情を注ぎます。子どもにとって最も必要なものは母親の愛情であり、優しさです。 従って未来の宝である子どものためにも、母親を大切にするのは当然です。「女」である生き方を目指すか、「母親」である生き方を目指すか、「女であり母親」である生き方を目指すかは十人十色ですが、大切なことは自己理解、つまり自分自身を正しく理解することです。母の日の意義や意味を正しく理解し、自分なりの感謝を伝える さて「母の日」は、母に感謝の気持ちを表す日ですが、感謝は求められるものではなく、自然に与えられるものです。従って母親のためでもありますが、子供が感謝を表す日でもあります。そして、「母の日」が存在すれば子どもは母に素直に感謝の気持ちを表しやすくなります。ここに母の日の存在意義がありますが、千載一遇のビジネスチャンスにもなり、売る側も多彩な戦力を展開し、派手な広告が飛び交うようになります。 そんな中、大切なことは不必要にそれらに振り回されるのではなく、母の日の意義や意味を正しく理解し、自分なりの感謝の伝え方を醸し出すことです。母親が一番喜ぶ贈り物は、意外にさまざまなギフトグッズではなく、将来子どもが健康で、思いやりのある子に育つことかもしれません。平松 幹夫 | マナー講師細身のシルエットが、美スタイル魅せを叶えます♪大人の女性の魅力を最大限に引きたててくれます♪【レビューを書いて送料無料】ストラップ ミニ ワンピース♪きらきら輝くスパンコールが目を引きます♪ゴージャス&Sexyな一枚です♪【P25Apr15】【リアルサプリシリーズ】スッポンの力で女性の魅力に輝きをリアルエクセレント スッポンコラーゲン 美容 健康 サプリメント ダイエット 健康食品 健康食品 セシール cecile 楽天市場店 カタログ 通販
2015.05.14
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2015/5/4(月) 午後 11:42 facebookでシェア0twitterでつぶやく0 自民党の憲法改正推進本部が発表したマンガ「ほのぼの一家の憲法改正ってなぁに?」が物議を醸している。 物語は、憲法記念日に家で団欒する一家の様子からスタート。なぜか話題は現行憲法の話となるのだが、するとおじいちゃんが突然、“現行憲法はアメリカの押し付け憲法だ”と怒りをたぎらせはじめる。そして、このような説教を展開するのだ。「戦争を放棄さえすれば戦争がないと思っとるのか?」 「敗戦した日本にGHQが与えた憲法のままでは いつまで経っても日本は敗戦国なんじゃ」 ほのぼのとした絵柄と相反する、おじいちゃんの強迫的な台詞の数々。しかしこのマンガには触れられていない、自民党が考える肝心の改憲内容がある。 その点にまで突っ込んで憲法について考えているのが、池上彰氏の新刊『超訳 日本国憲法』(新潮新書)だ。この本では、池上氏が現行憲法をわかりやすく超訳している。さっそく、憲法改正の焦点となっている第九条の池上訳を見てみよう。と、その前に、まずは現行の憲法第九条を確認してみたい。《日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。》 そもそも、この第九条について歴代の政府によって違う解釈が行われてきたのは、昭和21年(1946)年当時、自由党の芦田均委員長が第九条二項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を挿入したことだ。草案が提出されたとき、吉田茂首相は「自衛権まで含めての戦争放棄を考えて」いた。しかし、芦田修正によって「自衛権は認められることになった」とも解釈することが可能になった。 そのため池上氏は、第九条の超訳にあたり、2パターンを用意。「すべての戦争を放棄した」と解釈するバージョンと、政府の「自衛権は保持した」と解釈したバージョンだ。◎すべての戦争放棄バージョン《日本国民は、正義が守られ、混乱しない国際社会を実現することを誠実に強く求め、あらゆる戦争を放棄する。国際紛争を解決する手段として、武力を使って脅すことや武力を使うこともしない。2 武力は使わないと宣言したのだから、陸軍も海軍も空軍も、その他の戦力も持たない。国が他国と戦争する権利は認めない》◎政府の「自衛権は保持した」バージョン《日本国民は、正義が守られ、混乱しない国際社会を実現することを誠実に強く求め、侵略戦争を放棄する。武力を使って脅すことや武力を使うことは、国際紛争を解決する手段としては放棄する。しかし、自衛権まで放棄したわけではない。2 侵略戦争や国際紛争を解決するための武力による脅し、武力行使はしないので、そのための陸軍や海軍や空軍や、その他の戦力も持たない。国が他国と戦争する権利は認めない。だが、自衛のための力を持つことまでは否定しない》 この、後者の解釈によって自衛隊が生まれたわけだが、自衛隊は憲法違反ではないのかという議論はずっとつづいてきた。しかし、そうしたこともすっ飛ばしたのが、自民党が2012年に発表した改正草案だ。 この改正草案のなかで自民党は、第二項の冒頭を「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と変更して第一項を骨抜きにし、さらには「第九条の二」なるものまで新設している。ここでは《内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する》ことや《国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める》こと、国防軍の軍人や公務員が罪を犯した場合の裁判を行うため《国防軍に裁判所を置く》ことなどを明記している。 平和主義と謳われた現行憲法のかけらさえ見当たらない、自民党による改正草案。もちろん、前述した自民党マンガでも、「国を守る「自衛隊」とそれを行使する軍隊を管理する規定はやはり憲法の中で明確にしていた方が望ましいのじゃよ」とさらっと流し、草案にあるような物騒さを打ち消している。池上氏はこの改正草案について、こう解説する。「国防軍が米軍と一緒になって海外で戦闘に参加することが可能になります。戦前には軍人を裁く軍法会議がありましたが、その現代版も創設されます」 しかし問題は、この空恐ろしい改正草案が一体どれほど国民のあいだで周知されているのか、ということ。池上氏も、このようにツッコミを入れている。「自民党は、この草案を作ったのですから、第九十六条の改正より、この草案の支持を広げればいいのにと私は思うのですが」 もちろん、自民党がこの草案を前面に押し出さないのは、あまりに物々しい言葉が並びすぎているからだろう。「国民の本当の思いはどこにあるのか。いまこそ国民的議論が必要なのです」と池上氏は述べるが、それ以前に、安倍政権はもっと、どんな憲法に改正する気なのかをオープンにするべきだ。 だが、肝心なことはひた隠しにしてきたのが安倍政権の歩みでもある。たとえば池上氏は、安倍首相による「集団的自衛権の必要性を強調する記者会見」で「日本人母子を保護した米軍の艦隊が攻撃された場合、自衛隊は米軍の艦隊を守るべきだと主張」した発言を、このように解説する。「ところが、アメリカ国務省領事局のウェブサイトを見ると、「緊急時にアメリカが救出できるのは米国籍の市民を最優先する」と書いてあります。さらに「市民救出のために米軍が出動するというのは、ハリウッドの台本だ」とも。つまり、安倍首相が例に挙げた「米軍が日本人の母子を救出」というのは、二重にありえない設定なのです」 そして池上氏は「感情論に訴えて自己の主張を通そうとする。よくある手法ですね」とバッサリと切り捨てている。 だいたい、昨年12月に行われた衆院選では、安倍首相はアベノミクスを焦点とし、憲法改正についてはお茶を濁していた。そこに切り込んだのが池上氏で、『池上彰の総選挙ライブ』(テレビ東京系)にて「憲法改正に向けて、一歩一歩進んでいくということですね?」と質問すると、安倍首相は「その通りです」と回答。その後はあたかも選挙の焦点が改憲だったかのように、憲法改正へ積極的に舵取りをはじめた。これでは有権者に対するペテンそのものだ。 こうした安倍政権の傍若無人ぶりのみならず、池上氏が危惧するのは、「憲法を守る」ということ自体が「政治的発言」になってしまっている現状である。 たとえば、天皇による先の戦争に対する反省と「平和と民主主義を、守るべき大切なもの」という至極真っ当な発言すら政治的発言だと批判を浴びた。これに対して池上氏は「天皇は憲法を守る義務があることが憲法に定められています。天皇陛下は、この憲法擁護義務を確認されただけ、とも受け取れるのですが」と述べる。 また、「憲法九条を守ろう」と集会を開こうとしただけで、公共施設が「政治的な主張の集会には会場は貸せない」としていることも池上氏は強く批判する。「「憲法を守ろう」という主張が、「公民館の考えだと誤解されてしまう可能性がある」とは、よくも言ったり、です。公務員には、「憲法を守る」ことが義務づけられているのに、です」 池上氏が強調するのは、「日本国憲法は立憲主義にもとづいている」ということ。立憲主義とは、「権力を持たない人びとが、権力者に「憲法を守れ」と命令すること」だ。他方、安倍首相は「私が政治の最高責任者。私が決めることができる。反対なら、次の選挙で政権交代させればいい」と言って憚らない。「権力者が勝手なことができないように、国民が憲法で縛る=制約をかける。これが近代の「立憲主義」の考え方なのに、安倍首相は「自分は権力者だから何でもできる」と言っているというわけです」 この状態を池上氏は「民主主義のジレンマ」というが、もはや安倍首相の態度は民主主義を否定する、権力の暴走といっていいものだ。安倍政権がほのぼのマンガの裏に隠すほんとうの狙い、そして憲法のあり方について、この機会に考えてみてほしいと思う。
2015.05.05
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