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密 命
高津平蔵が会津藩家老の北原采女光裕の私邸への呼び出しを受けたのは、唐太へ出兵する前年の初秋のことであった。一人で通された客間で待つ間、残暑の中を鳴く蝉の声が五月蠅く聞こえていた。
「待たせたな」
そう言いながら采女が部屋に入ってきたのは、それから間もなくのことであった。深く一礼をし、挨拶の口上を申し上げようと顔を上げた平蔵を手で制した采女は、「近う」と声をかけた。
軽く一礼をして、平蔵は一膝前へにじり出た。
「その方、以前、藩命により江戸へ出て、学者の古賀精里先生に学んだ。帰郷後は藩主・容衆(かたひろ)様の侍講をつとめ、藩校・日新館で儒学を教え、博く経史を究め詩文にも通じている。そうだな?」」
いままた『新編会津風土記』の編纂にも参加している平蔵は、そうたたみこむように言われて肯定も致しかね、黙っていた。
「実はな。そのようなお主を見込んで、筆頭家老の田中三郎兵衛玄宰様から密命があった」
そう言うと采女は、声をひそめた。
「そうなったについて、まず最初に話さなければならぬのは、今般幕府の令により、わが藩は蝦夷地ばかりか、北蝦夷地へ派兵することになったということだ」
思いもかけぬ話の展開に、平蔵の耳には、庭の蝉の声が小さくなったように感じられた。
「蝦夷? 北蝦夷、でございますか?」
床の間を背にして有無を言わさぬ話し方に、平蔵は圧迫感を強く感じた。
「左様。それでつい先日、幕府の蝦夷調査団にわが藩の野村忠太郎を同行させておったがこれが戻って来た。その報告もあって、わしはその北蝦夷警備の陣将を受け賜わることになった」
平蔵は絶句した。そんな話があったのを、全く知らなかったからである。平蔵にしても、江戸留学中に海外の様子も学んでいた。
「すでに一〇〇年ほど前、赤穂浪士の討ち入りのあった元禄十五(一七〇二)年、ロシアの勢力はカムチャツカ(火の国の意)半島にまで達し、さらには千島列島最北端のシムシュ島および第二島のパラムシル島に上陸、アイヌ人との苛烈な戦いの末、住民にサヤーク(毛皮税)を献納させてロシアの支配を認めさせております。しかるに松前藩は幕府へ提出した上申書の中で、『蝦夷地・北蝦夷地・カムチャツカは松前藩領で自分が統治している』と報告していたそうです」。
「ほお、ロシアとは、そんな昔から動いておったのか。それにしては松前藩も、随分と大風呂敷を広げたものだな」
「はい。ちょっと広げ過ぎたようでございます。それから六〇年ほど前の元文四(一七三九)年に、ロシアのシパンベルクという者が房総沖に到来、その帰りに色丹島および蝦夷地の野付半島に上陸、さらには延享四(一七四七)年、修道司祭のイオアサフが千島列島に渡って先住民の布教に当り、シムシュ島とパラムシル島のアイヌ二〇八人をロシア正教に改宗させたそうです」
「まあそれにしても、松前藩も手の届かぬ北の島であろう?」
「とは申しましても、その後の宝暦九(一七五九)年、根室半島の納沙布アイヌ人二〇〇〇から三〇〇〇人が宗谷アイヌ人を襲撃して内乱状態となったときに、松前藩の湊覚之進が調停のため厚岸に行ったそうですが、その三年前に一〇〇人ほどのロシア人が厚岸に来航したことを知らされたそうです」
「うむ」
そう言われて、知らなかった采女は黙ってしまった。
「それから明和三(一七六六)年頃から天明元(一七八一)年頃にかけて、ロシアの軍艦がウルップ島や択捉島に、また霧多布や根室、国後島付近に出没して物産を掠(かす)め取ることがしばしばあったそうです」
「そうか。白河藩主・松平定信様の要請もあって蝦夷地調査の一隊が派遣されたのは、そのような理由があったからなのか」
「恐らく左様でございましょう。しかしそれでも蝦夷地への攻勢が著しく、寛政四(一七九二)年にはロシア使節のラクスマンらが、漂流した伊勢の大黒屋幸太夫を送還する名目で根室に来航、通商を求めました。これらのことから松前藩の非力を知った幕府は、その翌年、南部藩に松前藩応援の出兵を命じられました。南部藩は藩兵三八三名を根室に派遣して蝦夷地東部から択捉、国後島まで散開、その警備に当たったのですが、その一方でロシアからの報復攻撃を恐れて取据番所を志利屋村の尻屋崎(東通村)、大畑陣屋(大畑村)、黒岩(佐井村)、牛滝(同)などに増設いたしました。つい十六年ほど前のことでございます」
「うむ。それについては、わしも聞いておる。ただ杞憂と思うかも知れぬが、わが藩としても、ロシアに直接の報復攻撃をされることも考えておかねばならぬのかも知れぬ。わが藩は内陸部にあるからと言っても安心はできぬ」
「まさかそのようなことは・・・」と平蔵は思ったが、半面、「さもありなん」と考え、その心の内は交錯していた。
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