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次の文は、 甲賀市教育委員会の発表を簡略化したものです。
「この木簡の捨てられた時期の上限については、紫香楽宮の造営が開始された天平十四年(742)以降に基幹排水路として西大溝の開削が始まった頃と考えられ、下限については、天平十七年 ( 745 ) 五月、聖武天皇により紫香楽に離宮が作られた頃に捨てられたと考えられている。『安積山のうた』が掲載されている『万葉集』巻16は、天平十七年以降の数年の間に成立したと考えられているから、今回出土した歌木簡の年紀を、捨てられた時期の下限と考えている天平十七年以前としても、『万葉集』の成立よりも早いと考えられる。つまり今回出土した木簡は、『万葉集』を見て、そこに載っている『安積山のうた』を書き写したものではなく、それ以前に『安積山のうた』が流布していたことを表しており、この歌木簡に書かれる一方で、『万葉集』に収められたと解釈できる」 とあり、今回の木簡は万葉集以前に書かれた可能性が強く、市教委は、「この歌が当時、広く流布しており、それを万葉集に収録したのであろう」と推測している。 つまり甲賀市教育委員会が意味していることは、以前より知られていた『安積山のうた』が歌木簡に書かれたのちになって、万葉集に収められたのではないかということなのである。このことはともあれ、甲賀市教育委員会が言うように、安積親王が14歳となる742年以前より『安積山のうた』が広く流布していたとすれば、このような時期、都で前項のような動きをしていた葛城王が、郡山に来たとは考えられないのではないでしょうか。
さて『安積山のうた』は、『難波津の歌』とともに『歌の父母』の一つとされています。その『難波津の歌』は、
難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花、
というものです。私にはこの仮名序に、不思議なことが書いてあるように思えるのです。と言うのは、第一首の『難波津 の歌』 は 仁徳天皇 を讃える歌で王仁という学者の作とされているのですが、第二首の 『安積山』 は『 歌』ではなく『言葉』とされ、詠み人は 天皇や皇后に近侍し、食事など身の回りの庶事を専門に行う 采女による『戯れ歌』とされているからです。では何故このような『戯れ歌』が 『 歌の父母』 の二 とされたのでしょうか。 そう考えてくると、 『安積山のうた』が 歌の父母の二とされたのは、単に 『安積山のうた』 の出来映えが良かったからかも知れません。しかし 『安積山のうた』を大伴家持が万葉集に取り上げたときに、あえて 橘諸兄 は自分の名を隠すために、いかにも実在の人物であるかのようにして、架空の人物である『陸奥国前采女某』とした、とも想像できます。 おそらく 私は、万葉集を編纂したとされる大伴家持と橘諸兄との間で何らかの話し合いがもたれ、橘諸兄が安積に行幸したことにして『安積山のうた』を詠み、作者も陸奥国前采女某、つまり詠者不明として左注を書いたという可能性が無いこともないと考えているのですが、どうでしょうか。また、2019年5月27日のBS — TBSで、『歴史鑑定 万葉集に隠された本当の古代史』が放映されたのですが、それによりますと、万葉集が編まれた当時、万葉仮名を知っている人は限られており、歌を詠んだ人と記録した人は別人であったことが多かったというのです。しかし 『安積山のうた』 の場合、大伴家持か橘諸兄が自分で選んで自分で万葉集に載せたと考えられますから、第三者が手を貸すことはなかったのではないかと思われます。そう考えてくると、『安積山のうた』が仮名序において、『歌の父母』 として推奨された二つの歌のなかの一つにされたのは、安積親王を顕彰しようとしたことのような気がするのです。
さてそろそろ 素人なりではあっても、この『安積山のうた』についての結論を出さねばなりません。私は、都にあって、橘諸兄が藤原の強い権力に逆らい、安積親王を天皇の座に座らせようとした意志を表した歌が、『安積山のうた』であったのではないだろうか、というのが私の推論です。もし素人の私のこの推測を許して頂ければ、この『安積山のうた』、『 安積香山 影さえ見ゆる 山ノ井の 浅き心を わが思はなくに』 は、次のようになると思われます。
『安積親王のお顔を映すような浅い山ノ井、しかし私(葛城王)が親王を思う心は深いのです』
私には、この歌の内容から想像して、 『安積山のうた』は 安積親王の死去後に詠まれたように思えるのです。そしてそのように解釈すると、『安積山のうた』が仮名序に選ばれた理由がわかるような気がするのです。 いずれにせよ、 無知蒙昧の私が臆することもなく、何故このようなことをひねくり回すのか疑問に思われる方が多いと思われます。それはひとえに、『安積山のうた』に、なんとも納得しがたいことがあったからでした。したがって これは、私の全くの寓見です。それに 私には、『郡山うねめまつり』を否定する気はさらさらありません。これからも采女物語の具現として、大いに楽しむべきであると思っています。
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