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今日は2月29日(閏年)です。4年ごとの閏年も24年前の2000年は2月は28日まで。月の周期から生み出された旧暦から太陽暦の新暦に改訂されたのは明治5年(1872年)11月9日でその年の12月3日が明治6年1月1日(1873年)に。旧暦を使っていたそれまでの暦で明治5年は13カ月(閏月)があった年。公務員のお給料を1か月少なくて済むためとも聞いたことがあったけど。太陽太陰暦を使っていた天保暦を廃止してグレゴリオ太陽暦に。暦は宇宙学で、古代人たちが宇宙空間の大自然の中の太陽と月と地球の一定の法則から生み出したもの。算命学も数千年前からの宇宙学で中国の戦国時代に戦勝法として確立した学問。一子相伝として伝わった算命学は文化大革命後に日本に伝わり高尾義政氏が日本算命学を確立した。 「人間は宇宙の中の地球という星に生かされた小宇宙」と算命学の師に教わりました。算命学でも四柱推命でも西洋占星術でも動物占いでも、学問としての占いは宇宙と本人の関係で暦は占いの大事なツールです。この世に誕生した日(誕生日)が小宇宙として役割(宿命)を与えられて生命をもらえた日。無意識に生きても宿命を知って生きても広大な宇宙の中の小宇宙としての生命。生年月日で占う算命学ですがその基盤である暦は毎年同じではないのです。太陽の回転を用いたグレゴオリ歴でも4年ごとの閏年は100年では平年。日本の暦でも2月4日の立春(新年)が時には変わります。2024年の立春2月4日のですが、毎年2月4日が立春とは限りません。2021年の辛丑の立春は2月3日でした。40年前の1984年(甲子年)は2月5日が立春でした。計り知れない宇宙の謎に挑んだ古代人から受け継がれた宇宙学。太陽と地球との関係から算出された閏年の本日、コンピューター化された近代文明で対応するのに苦慮することでしょう。閏年の2月29日、今日はあちこちでトラブルが起きているようです。生まれて来た生命は「宇宙の中で生かされている小宇宙」。(きっと役割を持って生かされている)算命学は宿命を知って、取り囲む環境の中で、自分の運命をまっとうさせる学問。運命学は自然の法則を学ぶこと。
2024.02.29
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大宮第2公園で開催する「全国大陶器市」は本日2月23日からです(3月10日まで)。今年も広告もなく、近所に住む私も2月17日からの「梅まつり」と同時開催かと思っていたのですが、「梅まつり」は告知もなく「全国陶器市」の立て看板がほんの2日前からでただけでした。今日は真冬の寒さで朝は氷雨です。陶器市のほうは集客できるか心配なのですが広い大宮第二公園駐車場も車で満杯。この寒さでもおめあての「鳴門ワカメ屋」は長蛇の列で10時の開店前に並んだのに、ワカメ20袋+ジャコ、クギ煮を買え終えたのは45分後。みんな350~400g500円の袋を5~10個も買うのだから時間がかかります。(美味しいワカメで私はこのイベントなかった3年は鳴門のこの店に電話して送ってもらいました)一昨年までコロナで中止や陶器市のみでしたから、食品店参加の「全国大陶器市」はこの寒さでも大人気。ワカメがあまりに重たかったからワカメを買っただけで会場を出ました。この3連休は寒さも天気も厳しそう。陶器屋さんの方はもう少し暖かい日に行ってみるつもりです。2月10日の友人たちとの食事会で「大宮第2公園の梅まつりは2月17日からよ」と言って陶器市の開催日を付け加えなかったので、友人が18日ころ見学に来たら陶器市をやっていなくてワカメ買えなかったから10袋買ってねと言われたこともあって20袋です。でも、梅の見ごろは17日18日でした。この氷雨でもう梅は散りそうです。
2024.02.23
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自分自身(宿命)を知ることで強運を呼び込むことに繋がります。算命学は宿命を知って自分の運命をデザインしていくのに役立つ易学です。でも、算命学を学ぶ以前から運命は宿命に導かれていたことを感じます。それでも、宿命を知ることで運命の方向を自分の意思で進むことができる気がします。中でも算命学の「位相法」は算命学占技の中でも現実現象を占える占技なのです。5年間鑑定の仕事をして、膨大な算命学の占技の中でも短い時間に鑑定できるので、利用頻度が一番高い占技でした。算命学は60干支の十干と十二支で占のですが、干は空間、支は時間。三合会局は合の中でも強い合。十二支を時計のように円に配置した時に正三角形の十二支の組み合わせで、申子辰・巳酉丑・寅午戌・亥卯未の4種類。それぞれ、三合水局・三合金局・三合火局・三合木局(3つの支の中央の五行)。天と地と土性の和合(結びつき)が現実の形となるのです。後天運の合の時は運が味方してくれるのです。寅月(2月)は午月戌の日生まれの私にとっては後天運の三合会局の月。十二年ごとの寅年よりも毎年くる寅月はわかりやすい三合会局の月なのです。6月(午月)の戌の日生まれの半会を命式に持つ私は2月(寅月)は寅午戌の三合会局の月。娘2人は二人とも2月生まれです(命の伝達)。2月14日は父親の誕生日で(生きていたら106歳)午年の寅月生まれの父。激戦地からなんとか生還できて母と結婚して生まれた私は戌の日に生まれました。結婚後の家の転居も家の新築完成(2回)も2月でした。後天運の合の時は運が味方してくれるのです。もちろん、運命は自分で動かないと回転しません。他力本願過ぎるとチャンスは形になりません。2月(寅月)は私にとっては希望に向かって動く時。もう半分以上過ぎてしまいましたが、運が味方してくれるこの時に動かなければチャンスは遠のくと頑張って前進中です。
2024.02.21
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言葉は言霊本命チョコも言葉がなければ義理チョコになってしまう仕事仲間の男性たちにチョコを贈っていたのはもう四半世紀も前だったかバレンタインデーは得意先に贈るチョコ以外は義理チョコだって言葉を添えた。相手の長所を思い浮かべてメモ用紙でもチョット言葉を書いて渡したっけそんな、ずっと前の誉め言葉も今でも顔と一緒に思い出す。きっと相手の長所を考えて誉め言葉を書いたからだと思う。2月14日は父の誕生日なのです。生きていたら106歳。タバコとお酒が好きで母とは喧嘩ばかりしていた父。高校生の時に「バレンタインデー」の話を聞いてからは、そんな父にも感謝の手紙とチョコ(クッキーだったり)を渡していた。父の誕生日がこの日でなかったらきっと渡さなかったと思う。 私が結婚して、流産2回もしてなかなか孫ができなかった時、長女を身ごもった時に父はお酒を断った。医者に止められたからか、願掛けたからか。長女が生まれて次女が生まれても父はお酒を断ったままだった。娘たちにはこれっきり優しいお祖父ちゃんだった。 算命学を勉強してわかった人生の合。午年生まれで寅月生まれの父は誕生日に午と寅の半会がある。激戦地からなんとか生還できて母と結婚出来てすぐに私が生まれたらしい。私は6月(午月)の戌の日生まれ(寅午戌の三合会局)。そして戌と午の半会のある私は2月(寅月)に娘2人を産んだ。父にとっては自分の誕生日の月に孫が生まれたことが嬉しかったみたいだ。4人の曾孫をみせてあげられなかったけれど女1人男3人。曾孫には男の子3人もいるのだよと仏壇の写真に呼びかけてみる。 家族に私はチョコレートに愛の言葉を添えて渡そう。そんな言葉を渡せるバレンタインデーありがとう【 2/1~2/14限定!50%で最大全額ポイントバック】【 送料無料 あす楽 】 リンツ リンドール ランダム 9種 48個 詰め合わせ バラエティ セット 食べ比べ まとめ買い チョコ お菓子 小分け 小袋 おかし おやつ 間食 オヤツ お試し 大量
2024.02.14
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久しぶりの銀座はあまりにも都会過ぎて落ちきませんでした。東銀座の料亭「花蝶」のランチが半額以下とのお得情報に誘われて、いつもの女子会メンバーでの新年会はランチして銀ブラする予定で出かけたのです。銀座はメンバー全員が勤務していた会社の本社があって5人中2人は銀座勤務でした。私の勤務先は地元でしたが、本社に年に何回か行っていたのですが、都心に出ることが少なくなったせいか、久々の銀座はもう見知らぬ街のようでした。旧松坂屋のシックスビル屋上の庭園から見る銀座は昔の面影も探せない。東京タワーやスカイツリーは意外に近くに見えた。高級料亭での食事と言うことで和装2人で他3人もいつもよりおしゃれしてヒールのある靴を履いてきたから歩行者天国の銀ブラで歩き疲れて、銀座4丁目付近で喫茶店を探して入ろうとしたらコーヒー店は皆並んでいてとても5人の席など取れそうもなく、疲れがどっと出た気分。 メンバーの提案で東銀座に戻って入った「ジュリアン」は銀ブラに疲れた熟女たちを癒してくれるゆったりとした椅子やテーブルの喫茶店。休息にぴったりの居心地でホットしました。現役時代は楽しく買い物でた銀座のデパートもショップも、もちろん高級ブランド店もみる気もおきないのは歳のせいかあまりにも高額なためか高級料亭「花蝶」での食事と銀ブラと言うことで、オシャレする気分になれたことが良い刺激になったとは思うのですが。(若い時はあんな賑やかな街にとけ込めたものだと不思議な気がします)さいたまの我が町に帰って緑の多さとビルの少なさにほっとした、久々の銀ブラでした。
2024.02.11
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現役医師で登山家の今井通子さんが今月の日経新聞「私の履歴書」作者。今井通子さんを知ったのは新田次郎著「銀嶺の人」のモデルだった。1975年の作品だから今井通子さんはまだ33歳。若くして医者であり有名な登山家の女性と言うことで(凄い素晴らしい)と憧れた。私がまだ20代で読んだ「銀嶺の人」のモデルが現在83歳で医師として登山家として活躍されている現実はもう凄すぎて見習わなければとつくづく思う。子供の時に医者である父親に近くの山に連れて行ってもらったことが登山家になるキッカケと書いてあった。小説の中でも箱根の金時山によく登ったとかいてあったと記憶している(最近記憶に自信ない)ので、去年の秋に71歳の友人(登山を始めたばかり)が金時山に登ったと聞いて、「今井通子さんも子供の時に登ったことがきっかけで登山家になったのよ」と話したのですが、友人は金時山から見た富士山が素晴らしくて増々登山にのめり込みそうと言っていました。ご両親が1971年ころ南極遊覧飛行中に飛行機事故で亡くなられた時は(夫婦で憧れの地を観光をしてのことで・・・・)とクールなコメントにちょっとビックリした記憶がある。「私の履歴書」では医学の話よりも登山の話が多い・・・やはり「銀嶺の人」 算命学で今井通子さんの命式を出してみると十二大従星の数字は低く、初年天恍星(7)・中年天堂星(8)・晩年・天馳星(1)それでも十大主星は車騎星が3つで中央が禄存星、東が調じょ星。伴星は調じょ星。ご主人の高橋和之氏も十二大従星は極・南・馳と数字は低いが、西が車騎星で東が調じょ星。「銀嶺の人」にもあまりロマンスの話はなかったような(記憶していない)・・・でも、高橋氏とグランドジョラスで結婚式を挙げた(1971年)ようですからもしかしたらあったのかもしれない。もう一人の女性の登山家の若山美子さんは新婚旅行中の登山で亡くなった話があった?もう、半世紀近く前の読書の記憶が不確かだから、今、進行中の「私の履歴書」を興味深く読んでいる。算命学で観て、車騎星3+天馳星のエネルギーでとビックリしてしまう。登山に目覚めた友人も南が車騎星で西が龍高星、晩年が天馳星。天馳星→時空を超えて老若を意識せずに目前の事柄に集中して全力を注げる。無限のエネルギーを内蔵する。車騎星は戦い・動の行動、スピードの星が3つは凄い。スポーツ選手に多くある十大主星の車騎星と天馳星の組み合わせで今井通子さんは車騎星を3つも所有している。じっとしていられないでしょうね。主人の兄も車騎星3(庫庫報)でトライアスロンを最近までやっていた。銀嶺の人(下巻)改版 (新潮文庫) [ 新田次郎 ]
2024.02.08
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今日は2月4日立春です。旧暦でいうと今日が甲辰(きのえたつ)の年の元日で、今日から甲辰の年がはじまります。太陽暦(グレゴリー暦)の1月1日から能登半島地震、2日航空機接触炎上事故など、激震の2024年。辰年の辰は激震の震、振動の振、地震の震、妊娠の娠にも使われているから、地球規模でも個人でも動きのある年になりそうです。私個人としても12年前の壬辰の年の2月にそれまで5年間勉強した算命学で「占い師」スタートしたのでした(数年ほどしか続きませんでしたが)。占いのプロ活動はしていませんが「算命学」の素晴らしさを増々実感しているので、復習したり学んだりしながら、ブログに書いたり身近な人たちのアドバイスしたりと役立てています。そして、今年の甲辰の年も私にとっては激震のスタートの年になりそうです。それもこの2月中に。算命学でみても、午戌の半会を持つ私は寅月(2月)は力を増す月(寅午戌の三合会局)。娘2人も2月生まれです。私にとっては動きのある甲辰の年になりそうです。そして2回の家の新築完成も寅月(2月)でした。寅月(2月)は私にとって大きく人生が変わる時なのです。干支NO41甲辰(きのえたつ)、甲は木・樹で新しい生命力が活動を始めるの意。辰は内蔵されていた活力が活動を始める意。甲辰は古い体制や生活様式の殻を破って明るく活力に満ちた創造活動のスタートの時。辰は震や振にも通じるので、良い方向に動きたいと思う年頭です。甲も陽の干で辰も陽の支の年なので海外の影響が大きい年になりそうです。60年前の甲辰の年(1964年)。〇忘れられないのは新潟地震(当時は新潟在住)。〇ソ連(ロシア)フルシチョフ政権からブレジネス政権へ。〇ベトナム戦争勃発。12年前壬辰の年(2012年)。〇中国・習近平氏が総書記(トップ)に〇米国・オバマ氏再選〇北朝鮮・金正恩氏第一書記長に。〇韓国・朴大統領。国内では〇家電業界業績悪化〇消費税増税法成立〇山中伸弥教授ノーベル賞甲辰の今年☆世界中が戦闘的の中でどうぞ日本の平和が維持されますように。☆激動の動きの中でも健康で前向きに暮らしていけますように。
2024.02.04
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「美食地質学」の著者で元東京大学地質学教授のたつみ・よしゆき氏が「大人の休日倶楽部」の2月号に、「佐渡島は本州の新潟と陸続きではなくアジア大陸が分裂した時の破片なのです」と書いてありました。新潟県の美食の特集記事の中での佐渡島の記述。「海に沈んでいた大佐渡山地と小佐渡山地が隆起して海から顔を出して、2つの山からから流れた土などが堆積した地層でできた島」豊かな土壌から採れる農作物と、島を取り囲む断崖と岩礁、深海と浅海から捕れる魚介類、そして優れた食文化の佐渡。 主人の故郷の佐渡に良く行っているのですが、記事に書いてあることは知らないことも多くて、改めて佐渡島の素晴らしさに気が付きました。 去年の夏に佐渡に行った時に海岸沿いをドライブしたのですが、スノーケル好きな小4の孫は透明な海に夢中。金山跡、銀山跡、赤石採掘の地など鉱物好きな中2の孫は鉱物に夢中。佐渡には何回も行っている私も孫につられていろんな発見ができた去年の帰省でした。小木のたらい船で回る浅瀬は220年前の地震で隆起した漁場で、小魚だけでなくブリやサバやノドグロなどの魚も捕れるなんて主人の故郷は朱鷺の里にあって、朱鷺を放鳥させるために田畑は減農薬。実家のリビングからの眺めは朱鷺が飛んでいくのが見える田園風景我が家では朱鷺米、りんご、おけさ柿と佐渡の食材を取り寄せています。たつみ氏の記事を読んで、今年はもっともっと佐渡の美味しいものを探して、とり寄せたいと思うのです。主人の実家のリビングから見えるのどかな田園風景金や銀は見つからなかったけれど、実家にあった赤石をいただいてきました。
2024.02.01
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