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平日の彼女は昼働いて、夜大学院に行っているので、遊ぶ事をしなかった。私は一般家庭の女性と付き合うのは、初めてであり、最初の頃は手間取った。彼女と付き合うのは良いのであるが、彼女がハイヒールを履くと、私より背が10cm程高く、デコボコになって、一緒に歩くのが、私としては恥ずかしくて、つい彼女の前を歩いてしまう自分が居た。そうすると彼女は「竜、私をエスコートしないのは、何故だ」と問いかけられ、失敗したなと思って、彼女の横へ行く事が幾度もあった。又、毎日電話しないと「貴方は私を好きでないのか」と文句を言われた事もあった。私は日本男子として、女性に忠実なタイプではない人間なので、ドミニカでの女性との付き合い方に戸惑っていた。私は、どうも女性の心理が理解出来ないのか、二度離婚している。 また、こちらの女性は男性の家を訪問する時は、かならず二人で来るのが常識みたいである。彼女も友達と二人で、私の家を訪問して来たし、ディスコに行く時も、友達か兄妹が一緒にくる事が多かった。それと、こちらの女性は迎に行くと30分以上待たされる事は当たり前であり、一度ナンドの従姉妹とディスコに行った時は、1時間以上待たされた事もあった。ただ、音楽鑑賞会等の時は、開演時間が決まっているので遅れる事はなかった。 ただ、こちらでメレンゲ、サルサ等のコンサートが競馬場などで行われる時はドミニカ時間であり服装もラフな格好で観賞し、盛り上がってくると踊り出す。一度ナンド兄弟と競馬場のコンサートに行った時に、会場が盛り上がり、みんなが踊り出して、暫く経った時に喧嘩が始まりピストルが乱射された事があった。その時の、ナンド達の逃げ足の速さといったら素早かった。ナンド達は私をかばって手を引いて、逃げてくれた。私達はその場から家に帰ってきた。ピストルといえば、私はドミニカで二度、突き付けられた事がある。一度目は私が車を運転している時に、ジグザグ運転をして、危険な運転で私の車の前に割り込んできたのである、私は腹が立ち、その車の前に出て信号が赤になったので、私は車を降りて、その車に文句を言おうと思った時に、相手も降りてきていたのであるが、手にはピストルを構えていたのである。私は「気を付けろ」と言うと、相手も「気を付けろ」と言って来たので、私は再度「お前こそ気を付けろ」と言い返して、車に戻った事がある。その時の私は、あまり恐怖感はなかった。前にも書いた事があるが、この国では運転免許を持たない人が多いので、マナーがなってないと言うか、マナーが無いと言っても過言でない、非常に危険な所である。また、片側二車線であっても、車が入る、すき間があれば、強引に入って来て三車線になってしまう。車と車の間が1cm位の事は幾らでもある。 ある時は信号を待っていると、相手車線に出て私の車の前に、強引に入って来た車があった。私も負けずに信号が変わった時に、その車の前に出た。次の信号で相手が窓を開けて、文句を言ってくるので、私は道路脇に車を止めて、相手と言い争いになった。その相手は警察官であった。相手は「警察へ来い」と言うので、私は免許証を見せて「お前こそ大使館に来い」とやり変えした。その場で十五分位、言い争いになって、押し問答をしたが。私の免許証に日本大使館と書かれていたので、相手が悪いと思い、泣く泣く引き下がっていった。その言い争いを、通りがかった派遣先の職員が見ていて、私が仕事場に戻った時に「道路で言い争っていただろう」と言われた。私はその時、見たなら助けてくれればいいのにと思った。こちらの人は揉め事には、介入しない。「君子危うきに近寄らず」の精神である。私と親しいナンドでも、そうである。ただ家族が揉め事になった時は別なようだ。
2013.05.20
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ホセの田舎から帰えて来て、数日たってホセの店へ行くと「ナンドが入院した」と言うのである。私はびっくりして、ナンドの家に行った。家に行くと、ナンドの弟のエットと母親が居た。私がエットに「ナンドが入院したのだって」と聞くと「そうだ」と答えた。ナンドの母親にも確認すると「そうだ」といって、涙ぐんでいた。ナンドの母親は私と話す時は、いつもナンド兄弟を中間に入れて話す事が多かった。それは私が最初の頃スペイン語が解らない頃のイメージが強いのと、私の発音が聴き取れないようである。その夜ナンドの入院しているエットと母親と一緒に病院へ行った。ナンドは寝ていた、ナンドの母親はそんな姿を見て泣いていた。私はこちらに来て病院の中を見るのは、二回目である。一度は日本の援助で建てられ、日本の医療チームが来ている総合病院である。そこは日本の病院と雰囲気は変わらない。ただナンドの病気が何であるのか、医療関係のスペイン語に疎い私には解らなかった。私は腸管系の病気と思っていた、それからは休みの時はナンドの見舞いに行った。ナンドは十日位で退院した。 車問題から約一年が過ぎた時に、朗報が入ってきた、観光関係の指導に来ている専門家の人が一年の任期で帰国するので、自分の車を売りたいと言うのである。その人とは親しくしていたので、私の車問題も知っていて、自分が任期を終了したら売ってくれると言っていたのである。200万で日本から新車で購入したが、一年しか乗っていない日産のブルーバードでまだ4000kmしか走っていないのである。それを1万ドルで売ってくれると言うのである、私は即決した。今回は日本人だし信頼できる人でもあり、人柄も良く家にも幾度となく食事に行っていたので、心配しなかった。その人は小説家の井上ひさしと上智大学で、同級生で親しい友達の人であった。一度に1万ドルは払えないので、5000ドルを先払いし後から5000ドル払い事にした。その5000ドルはI氏が帰国する時に持って行って貰った。 今までの車はマフラー破損して、走っていると爆音がする状態になっていたので、丁度良い時期でもあった。前の車を5000ペソで、派遣先の庶務課のボスに売った。車は新車同然であり、慣らし運転位しか走っていないので、車を乗り回して、田舎町に行き写真を撮って歩いた。田舎町は素朴な人達が多く、あまり東洋人を見た事がないのか、カメラを構えると人が集まってくる。それは貧しい人達が多いので写真を撮る事が無いので、撮って貰いたいと思うからなのかも知れない。土日の昼は平均して田舎を回って歩く日が続いたそんなある日、サント・ドミンゴから50K位離れた田舎町のバス停に兵士が二人居て、私の車を止め、一人が乗せていってほしいと言うのである。次の街のバス停までと言うので、私は乗せる事にした。車の中で兵士の行く先を聞いたのであるが、その行き先が何処にあるのか、私には解らず、どうせ田舎回りをしているのだから、彼の言っている所まで行ってやろうと思い、気楽に乗せていったのだが、着いた所はハイチ国境の町であった。そこに着くまで、兵士を乗せた所から5時間程掛かったのである。サント・ドミンゴから6~7時間の所である私はここまで来たらハイチ国境を見てみたいので、兵士に国境との中間点に入れて貰うように頼んで、中間点に入れて貰った。そこにはハイチ人が屋台を多数出していて、色々な物を売っているのである。サント・ドミンゴでもハイチ人を多数見たが本当の黒人ばかりである、ドミニカ人は黒さも薄いが、ハイチ人はアフリカの人達と同じく、真っ黒といってよい。それは、ハイチはフランスの植民地であった為に、混血が進まなかったのである。フランス人は黒人と交わると、その人の一生は終わってしまい、出世も止まり、回りから軽蔑されるので、黒人と交わる事をしないと聞いた事がある。だから黒人同士の結婚が多く、肌の色が変わらないのである。簡単に言えば、フランス人はプライドが高いと言える。その点スペイン人は、黒人と交わる事を恥とは思わず、ラテンの血なのか黒人と交わった為、混血が多く、少しずつ肌の色が薄くなったのであろう。国境はドミニカ側に数名の兵士が立っていて中間点が300m位あり向い側にハイチの兵士が立っているのである。ハイチは中南米で、一番、最初に独立した国であるが、中南米で一番貧困な国でもあり、エイズが蔓延している国でもある。中間点で私は屋台を見て歩いた、色々なフランス製の香水やブランデー等や着る物等がドミニカより30%以上安く売っているのである。私はブランデー等、数点買った。ただ、こちらでは警察官と兵士は車の乗せてくれと言っても乗せるなとナンドやI氏などに言われていた。それは、彼達は、何時強盗に変貌するか分からないからなのだ。彼達はピストルを持っているので、そのピストルで脅し金品を強奪して殺される事もあるそうだ。その面では私は無警戒なところがある。 確かにこちらで起こる強盗事件に警察が関わっている事を多く聞いた事がある。だから、警察に訴えても捕まらない事も多いようだ。
2013.05.13
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東日本の被災地にボランティアに行っているが、今だに進まない復興。徐々に産業は進みつつあるが、3年目に入っても復興と言う事にはおぼつかない状態である。これは政府や行政の制限もあり、なかなか進まない部分があるが別な面で被災者側にも、あきらめの心境も見え隠れしている。確かに年月が経つ事によって、思うように進まなければ、あきらめの心境に成るのが人間であろう。同時にマスコミも国民も、あの大震災を忘れかけている部分がある。私は良く思うのであるが、日本人特有の性格「熱しやすく、冷めやすい」これが出始めているように思う。 だが、あの大震災の大きさでは、時間も掛る事は間違いないと思う。だが、ボランティアの数も少なくなった。確かにボランティアは交通費や食事代が自腹であれば、行く回数も少なくなるであろうし、自分の生活費を考えると回数を増やす事は出来ないであろう。だが、復興の為に頑張っているボランティアも居るがその様な人たちは、自分の生活費を詰めて行っているのが現状である。 私は、この事に疑問を感じる。それは震災前に政府機関の外部団体で、発展途上国にボランティアで2回ほど海外に行った経験がある。1度は政府のODA資金を使ってオンライン構築を行った経験もあるまた、何のためにボランティアに来ているのか分からない人も多く見て来たが、それは、その団体の見栄で置いているのである。はっきり言って、その人件費だけでも膨大であろう。だが、行政や政府のやる事は、自分たちの見栄や表面に出すだけで何もならない状態であるし、途上国にODA資金が、その国の政治家の懐を潤しているのも見て来た。今は日本もバブルが弾けて、ODA資金も少なくなったが援助した資金の行方を、日本政府・行政はチェックなど行って居ない。確かに、そこまでチェック出来ない部分があるが、日本側は相手国の政治家の懐に資金が流れている事は、把握しているはずでも、再度ODA資金を投入していた。この様な事が出来ても、海外の途上国に、今でも政治家はODAを外交交渉の一部分に使っている。これは大企業が裏で糸を引いている部分もあるのだろう。それから、震災地に対する資金の使い方に疑問を感じる。一時、復興資金が復興と言う無理な理由をつけて、他に流用されていた事があったが、これが政府や行政の遣り方なのである。それなら、今、被災地で努力しているボランティアの方々に、少しでも援助すべきではないか。団体には援助されている部分があるが、個人的に行っている人達は自腹で行っているのだ。その人たちは3年目に入っても進まない復興に歯がゆい気持ちで努力しているが、そこには資金的限度がある。その為にボランティアも少なくなって来るのも仕方がないと思える現状である。その対策出来ないのが政府や行政である。1回行く毎に最低でも1.5万円かかる、それでは1か月に1回しか行けない。それに対する援助は考えていないのが行政や政府である。これではボランティアとして行きたい人も行けないであろう。その面を「復興」と言う名目で別に使われている予算を回してほしいものである。
2013.05.13
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