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私はこの国での女性との付き合いは、ディスコでの女性が初めてであり、一般人とはコンピュータメーカーの彼女が最初であった後は友達として付き合う子は幾人かいたが、ドミニカ人気質には成り切れて居ない自分がいた。I氏とは、本当に馬が会った、何処行くにも二人であり、他人から見ると、あの二人おかしいのでないかと思われたかもしれない、それほどに相性はよかった。私も何か、あればI氏に相談していた。それとI氏はドミニカを知り尽くしていた。ドミニカ人よりも知っていたのではないかと思う。I氏とは田舎町を随分と歩き回った、ハラバコア、サンチャゴ、キスケージャなど多数の町に行った。彼はその町の名物や名所などを知っていて、買い物をしたり食べたりした。何処に行けば美味しい物を、食べられると、地元の人でないと分からない処まで知っていた行く街には必ず彼の知人がいたし、その知人は日系二世だったりドミニカ人だったりした。顔が広かった、その土地、土地に知人が沢山居るのも凄いなと思った。それだけ、この国に来ているのかもしれないが、彼の人徳もあって、みんなに好かれるのであろう。 また彼はサンフランシスコ・デ・マコリスに住んでいて、メイドを雇っていたが、そのメイドも彼の優しさに甘えていたようである。彼が日本に帰ると決まってからも、お金などを借りたりしていたし、彼の家財道具を貰ったりしていた、彼も気にしないで貸したりもしていた。 メイドは借金する理由は、自分の親戚がカリブの他の島に住んでいるので、そこへ行く為のお金を借りたいと言うのである、彼女はそこで仕事をするというのである。ところがI氏が帰国してまもなく、サント・ドミンゴのディスコで彼女が働いているのを見てしまった。聞いてみると、あちらに行っても仕事がないので、ここで働いていると言うのである。この場所で働くことは身体を売ると言うことであるが、彼女はI氏から、こちらでは相当な金額を借りていたのであるが、それはどうしたのであろうかと思った。こちらでは、女性が、貢ぐことが多い、男性は複数の恋人を持つが、収入がない。女性は男性をつなぐ為に、お金を貢ぐのである。そうゆう女性を何人の見てきた、ラテンなのか男性天国なのか分からないが、男性にとっては嬉しい限りである。 その彼女と住んでいる田舎へ行って見たがなんとも穏やかな町であった。ただ、雰囲気的にはあまりいい思いがしなかったのは、この町の近郊は麻薬の運び屋などで、金を儲けている人間が多いのである、I氏の住んでいたサンフランシスコ・デ・マコリスは特に有名な地域で、ドミニカでは知らない人がいない位、麻薬関係でお金を儲けている人が多い、また、それだけ危険な地域でもある。たしかに車もベンツの新しいのが走っていたし、家も綺麗な家が多い、それとニューヨークなどで、麻薬で捕まる人は、ドミニカ人が一番多いそうだ、その中でも、この地域の出身者が大半であるという。 また、一躍千金を求めてアメリカに、密入国する人も後をたたないそうである。こちらの人がアメリカに行くと言ったら、どっちのドブレAで行くのだと聞くのであるが、ドブレ(スペイン語)とはW(ダブル)の事で、Aは飛行機ならアメリカン・エアーラインを指すし、もう一つのAはAga(水)の事を言う海に出て船で密入国をするのかとゆう事である。船は進む前後が水であり、ドブレAは、そのような意味もある。こちらの人が目指すのは、アメリカ領のプエルトリコである、ドミニカから近いし、多くのドミニカ人が住んでいて、密入国には持ってこいなのであるが、プエルトリコ側も対策に頭を痛めているようだ。 また、この地域はサトウキビとコメの生産でも有名である、ドミニカで列車が走っている地域でもある、サトウキビの運搬用にである。最近はサトウキビも値段を叩かれ、生産する人も減ってきているようである。そのためにアメリカに密入国して、お金を稼いで家族に送金しようとする人が多いのである。 クリスマス近くに、ニューヨークからの飛行機に乗った事があるが、サント・ドミンゴ行きの飛行機は満席である。みんなの持っている荷物の量は、半端じゃない量である、荷物は二つまでは、安い金額なので、ドミニカ人はトランクを二段、三段にして、ラップを巻き、一つに、また、次のを巻き、二つ作るのであるが、自分の身長よりも荷物の方が高いのである。このようにして、持ってきた物を家族、親戚一同に配るのである。
2013.07.22
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今回の参議院選挙に於いても、前回の衆議院選挙に於いても50%台の投票率で分かるように、 私が感じるのであるが、日本人ほど政治に関心の薄い人種は居ないと思う。特に海外で生活した事がある私には、日本の国民はこれほど政治に対して依存的でありながら、選挙の時など投票率が低く、一部の人間だけが騒いでいるだけである。海外では選挙に成るとお祭り騒ぎで大変な盛り上がりである。そこには自分たちの意見を反映させようとする意志があるからなのだ。だが日本では、それはない。これは日本人特有なのか、諦めなのか分からないが、自分たちの意見を選挙に反映させようとしない。海外を見ると、自分たちの意見を反映させるために盛り上がっている。テレビなどの報道で見ても分かるが、海外での選挙と日本の選挙の違いははっきり分かるであろう。それだけ政治に対して考えているのが海外であるが、反面それが政府を転覆させる事にもなっている。 だが日本は違う、大人しいのか、自分たちの意見を表面に出さない。それを良い事に政治家は遣りたい放題、マスコミも日本での国民の意見やデモなどは報道しないで、海外のデモを報道して政治家の片棒を担いでいる。これは日本国民自体に責任がある、今回の選挙に於いても国民の意見などは見えない。政治家が自分たちの方針を問いかけているだけで、政治家の都合だけを言っているだけである。マスコミに於いてもアベノミクスなどと、選挙前に騒ぎ立て国民を煽り立て、原発問題や災害復興などの報道は少ない。 今の日本は大震災や原発事故など、国民が関心を持つ事多くあるがそれも政治家の言う事を基準にして、国民が選択する選挙である。そこには国民の意見など入ってなど居ないと私は思う。これほど政治に対して無知なのかと、日本の国民は、私は思ってしまう。アベノミクス、小泉構造改革など、国民からの声から上がったものは無い状態で、今までの選挙が行われてきた。これでは政治家の遣りたい放題、議員削減や構造改革など出来ないであろう。悪く言えばアベノミクスに於いても、大企業には反映するが、零細や貧困層には反映されないであろう。政府は金を出してくれる企業を優先して、零細や貧困層を切り捨てる考えでありあの大震災も3年目に入り、国民も忘れかけているのをいい事に復興予算など適当な題材をつけて勝手に使う、ましてや原発事故などは自民党が作った安全神話を忘れ、再稼働や海外売り込みを行い、新たな安全神話を作ろうとしている。原発事故の責任を誰も取らないで、新たな安全神話的論理で、事故の経験を生かすなど言っている。原発の廃棄物の処理方法も「もんじゅ」などと言っていたが、それも未だかって稼働していないで、新たに原発を稼働させる事を考えている。政治家は政治資金が入ってくる企業を優先して、首相が海外に大企業の人間を同行させて、自分たちの政治資金を集める事を考えている。今の日本で、国内で工場を、新たに稼働させて雇用を生もうとする大企業は殆どないのが現状である。それを分かって居ながら国民は自分の意見など言わない。これは日本国民自体に責任があり、如何に政治に無知な国民なのかを表明しているだけである。 アラブの国で女性の教育を訴えた少女が居るが、それにも劣る考え方しか出来ないのが日本の国民であろう。悲しいが、これが日本の現状であろう。それだけ日本の国民は政治に対して責任を取って居ないのである。それが政治家や官僚を蔓延させる原因である事を日本国民は分からないのであろうか。
2013.07.22
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孤独死に対してどうしたら良いのか?声の掛け合い、見回りなどと対策を取ろうとしているが、それで解決するとは私は思っていない。 今の日本での教育体制や、家族間の繋がりと周囲の環境(近所付き合い)では多少の減少はするであろうが、抜本的な対策ではないであろう。第一に家族間の繋がりが薄れて来ている現状では、難しい部分がある。第二に現代の教育と高齢者の受けた教育のギャップが大き過ぎる。第三に他人との関わりが少なくなった現代では、それを埋める教育も成されず個人情報の問題点で、個人を尊重しなければならないし、個人自身が関わられたくないと言う、かけ離れた状態では無理があるし、互いに監視されるのが嫌になっている部分と、他人に関わらない状況を変えるのには時間がかかる。簡単に言えば人間間の不信が大きくなり過ぎて、それを埋めるのが難しい事が一番であろう。 まず今の教育体制を見直して行かなければ駄目であろう。それも長期的な段階で時間が掛かるであろう。今の教育体制では人間間の教育が成されていない状態であり、先生方も、そのような教育がされていないのであるから無理がある。個を重点に教育された人間が、集団的教育の原点が理解出来ないであろう。前にも書いたが日本人は、今や家族の繋がりが世界的にも低い。その様な日本では、人間的な教育が成されていない。仮に孤独死の為に一生懸命な人が居たとして、周りの人が理解するかと言えばそこには疑問がある。周りの人は口先だけで「良い人」とは言うであろうが、それ以外では「お節介な人」と言いかねないのが、今の日本である。私が初めてボランティアを行ったのが、車椅子の人達にPCを教えた時である。その時に言われたのが「売名行為」と言われた。その時に思ったのは、言った人の人格を疑った。私の私財で行ったのであるし、誰からも助けて貰わなかった。それで1年しか続かなかったのが、現状であった。 多くの人は、私の取った行動をそのように考える事であろう。それは時代の教育体制が、そのような教育を成して来たのと、日本と言う国のボランティアに対する考え方が、他国(先進国)とのズレが大きいと私は感じた。その時の私が技術者の悪い所で口下手であり、誰かに援助を乞うていれば続いたであろうが、続けるだけの能力が無かったのである。
2013.07.16
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私が帰ろうとした時に、ナンドが、父母がナンドの母親の父に会いに行くので、「竜も会いに行かないか」と言ってきた。私は即座に「行く」と答えた。私の車でクリスマスの日に、ナンドの母親の父に会いに行った。そこは養老院であった、母親の父は身体も弱っていて、起きるのがやっとの状態であった木に困れた閑散とした静けさの中に建っている、大きな建物であった。そんな母親の父が、私たちが帰るときに見送りにきた時、ナンドの母親は泣いていた。私も貰い泣きしそうになった。そこにはナンドの母親の優しさを、見たように気がしたし、クリスマスの日以外もナンドの母親は来ているらしい、ナンドの母親の名はマリアと言う、名前と同じ様に優しくおとなしい人である。 それからは新年の三日まで、休みであり、私はゆっくりとI氏と遊ぶ事を考えていた。I氏は三月に帰国が決まっている、後数ヶ月しかないのである。彼には色々教わり、色んな面で世話になったし感謝の気持ちで、彼の好きな所に一緒に行こうと思っていた。彼も休みの間はサント・ドミンゴに居るし、いつものパターンで食事をして、カジノ回りか、ディスコへと繰り出すのである。たまには音楽鑑賞といって、ナンドの姪を誘って国立劇場に行ったりしたが、そんな時もI氏は女性に優しかった。姪を私とI氏で迎えに行ったが、待たされる事一時間、洋服が決まらないと言って時間が過ぎて行くのである。姪は小太りでグラマーなのであり、こちらの女性が身体の線を見せる服を着るように、彼女も身体の線が分かるドレスを着てきた。音楽会も終わり、彼女がなかなか立ち上がらないのである。そんな時I氏が背広の上着を脱ぎ、彼女の肩にかけてやるのである、私は彼女が寒いからかけてやったのかと思っていたのであるが、その後にレストランで食事をしても彼女が背広の上着を返そうとしないので、その時、私は気が付いたのである。ドレスが解れたのだと、彼女の肉体にドレスが負けたのであろう。それに気づいたI氏は背広の上着を貸したのである。彼は女性には優しい所があったが、色んな面で気配りをしている。I氏と二人になった時に聞いたら「それらしいので、上着を貸したのだ」と言っていた。I氏は寒いから貸してあげると言って、ドレスのほつれに気の付かない素振をしていたのである。私の場合は気が付くのが遅かっただけであり、鈍感であったのだ。彼は外国生活が長いから、女性の接し方も様になっている。私は離婚も二回繰り返す、鈍感で女性に対する接し方も、今も分からない男である。こんな男がドミニカの女性と付き合って、うまく行くのであろうか、疑問である。
2013.07.16
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