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今月は暑さで、思う様に身体を動かす事が出来なかったと思う。特に東京の暑さに弱い、前にも書いたが北海道生まれの私は東京に出て来た頃は、人が住む所かと思った事がある。 それも慣れて来て、それなりに工夫して生活して来たが人は、お金が無くても工夫して過ごせるものだと思った。 だがドミニカ共和国に行って、赤道に近い国で4年間を過ごすと、逆に寒さに弱くなって来て、日本に健康診断等で帰国する場合は、寒い時期を避けて帰国していた。 人は経験により、それなりの対応をするものであり、特に私の様な人間は、その場の経験で、考え行動するタイプなので状況によって対応するのであろう。 私自身も、ある程度の年齢に成ったが、多くの経験をして来たし人がやらない経験もして来た部分もあるが、最終的には起きた状況を把握して、今までの経験を考えながら現状を把握して行動するようになった。 今月は色々な面で、反省もあったし、新たな物に向かって行こうと目的も出来た月であったが、もう少し身体を動かさなくては駄目であると反省している。 本来は私の目的である、古希使う行動に出ようと思っていたがそれも多くの予定で出来なかった。 この目的は、これからは寒さ等で出来ないが、違う目的に向かって行こうと思っている。 それは今の社協での高齢者のお手伝いと、相反する部分であるが貧困格差が広がり、子供達に対する行動を起こそうと思う。 私もブログに書いたが、少年時代の経験や学びたい気持ちがありながら、苦労しながら学んだ経験から、これからの若者を私の経験した事を踏まえて行動しようと思う。 前回に社協と別な区で、その様な子供達を見守る事をやっているので、そちらをやると言ったら、私の住んでいる区でも、これからやりたいので、こちらで協力をとの要請があったので、こちらの方向で向かう事にした。 現在やって居る、私のお手伝いの人達とは、正反対の部分があるが逆に言えば、私の経験して来た事を生かせるし、別な部分で新たな若者を育てる事と、自分が今やって居る人達の部分と両方学べるので、やる事にした。 今月は、その様に新たな自分の目標を持つ事を考える事が出来たのと、反省する部分もあった自分の月でした。 10月には南三陸と気仙沼にも行こうと思っています。
2016.08.31
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前日書いた、少年の事件であるが、これは私達、大人が作り上げた部分も大きい事は分かるべきであろう。 今の親は、子供に対する教育が学習により判断する事を重点に考えている。 これは学歴社会が作り上げたものであるが、同時に親自体が人間教育していない部分が大きい事に気が付いて居ない。 まず、子供の将来を考える為の行動が優先して、学習を行わせ、次に塾等を優先して、学歴社会に対応する事を考えている傾向があり、それによる家庭内教育は成されていない。 前日も書いたが、保育所、幼稚園は集団的行動を学ぶ分では悪いとは思わないが、子供それぞれに個性があり、そこからはみ出す子供も出るし、それをカバーすべき親自体が保育所や幼稚園に依存して自分達で行うべき教育を行って居ない。 また、親は子供に対する自己管理の仕方が分かって居ないので子供に対しての対応能力が無いに等しいのかもしれない。これは別に考えると、親としての愛情表現(人間的な)が出来ていないし、分かって居ないのであろう。 確かに親としては、子供の将来を考えて社会情勢を見て考えているのであろうが、そこには、人としてでは無くあくまでも生活基準を主体にしている為に、人間教育が成されないのであろう。 子供は経験が無いのと、それぞれの個性があり、学習に、たけている子も居れば、そうでない子もいる事は誰でも分かるであろうが、親は学習能力で判断しているのと同時に学校教育も、同様に学習能力で判断するのが今の日本の教育方針である。 その方針は、落ちこぼれに対しての対応はしていない。誰しもが、学習が出来る、出来ないで判断しているだけで人間としての適性を判断しないのと、それに対応した教育がなされていない為に、今の少年犯罪が凶暴化しているのであろう。 これは、親の極端な干渉と、無干渉が見え隠れする部分がある。干渉過ぎる傾向は、子供に対する行動の制限親がレールを引き、それが子供の自主性を蔑ろにしているのであろう。 また、物を与える事が愛情と感じている親や、子離れしていない、親の多さは、色んな方面で見る事が多い。 基本的に人間教育が、親も学校側も分かって居ない為に現在の様な家族間での会話も成り立たないのであろう。 確かに子供達は、学歴社会の狭間で学校と塾に行き時間的な家族間の会話は、無いに等しい状況が多いと思う。 同時に共働きで無ければ、生活出来ない為に家庭での教育部分は蔑ろになってしまうし、子供の行動範囲も把握出来ない家庭が殆どであろう。 まず、家族での会話や、子供の自主性を考えた行動に対し家族や教育関係が考え直す時期に来たのであろう。 そうして行かなければ、少年の凶悪犯罪は増えるだけであろう。
2016.08.30
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最近、少年犯罪が過激になって来ている。私達の時代では、殺人までは考えられなかった。 だが、最近は暴力行為を越して、殺人までに達している。これは、色々な事の変化によって起きているのであろうと思う。 まず、少年時代の教育方針が、何かが食い違いが起きまた、家庭教育や学校教育の変化から来ている部分が大きい。 私も少年時代は多彩な経験を多くしたが、そこからは人の命の大切さを学んだと思うが、今はそれが無くなったのであろう。 そこには私達が教えて来なかった事も多くあったのであろう。まず、家庭教育がなされないのは、生活が、両親が働かなければ成り立たない為にと、子供の学歴の為にと言う事で子供を保育所や幼稚園に預けるのが当たり前の時代でありそこには両親が教育出来て無く、子供の競争意識だけが芽生える。 確かに現在は共働きでなければ、生活出来ない日本であるから待機児童問題も起きる事は理解出来る。 だが、そこには弊害もある事を親や省庁も考えるべき事もある。私のブログを読んでいる方は分かるであろうが、私は少年時代に施設で育った。 考えて見れば、今の保育所・幼稚園等も形を変えた施設である。その中での子供達の生活基準は、何かに縛られて時間との戦いでありそこから、はみ出す事の出来ないものである。 そこには子供の範囲では自由が無い部分が、子供自身にストレスを与えているのである。規則と言う名前のイジメである事を子供は感じるが、親はそうとは思って居ないし、それが子供の為であると考えている。 今考えると子供は自由でありたいと、親自身も子供の頃は思った事があるだろう。 だが、学歴社会での狭間の中で、将来を考える為に教育一辺倒になりそれが子供の為であると思っている親が殆どであろう。 そこで保育所や幼稚園等に子供を預け、より良い教育をと考えているし、同時に生活の為に共働きとなっている。 だが、集団での、子供の世界は教育の仕方で問題が起きる場合が多い事を親は考えていない。 私の様に施設で育つと、子供の中の葛藤が見え隠れして同じ行動や考え方をしない子と、違う考え方のグループ化が進み、それによって互いの対立が生まれる。 その時に指導する人の状況(受け持つ人数)や、考え方で子供達の考え方と行動パターンが決まる事が多い。 私の場合は一般の学校に通う以外は、子供の世界であったのでその中でのグープ化の心理が、ある程度分かるが、気が弱い子は、どうしても暴力的なグループから威圧されて、そのグループに入る傾向が強い。 また、私の様な異端児は、暴力的グループから威圧され対抗するので、最終的にイジメ的行為が始まる。 そこで対抗すると相手側は、諦めるが、私が最初の頃は呼び出しされて、最初は一対一で殴り合いを行い、その相手が終わると、次の相手との殴り合いとなり多い時には5人との殴り合いで、私の身体は動かなくなるまでやられた事がある。 ただ、施設内なので、私の身体の見える所には、傷は付けないのが掟で、見えない所は痣だらけであった。 その様に、子供達の中でも掟があり、程度も知っていたが今の時代は、違ってきている。 親自体が、痛さや危険度に近づけず、親も程度が分からないのでどの程度までを教える事が出来ないのであろう。 同時に私が良く書く、PCの発達で戦闘ゲームの殺戮が当たり前であり人の命の尊さを分かって居ないし、親も学校教育でも教えない事が問題が大きいと思う。 子供は、遊びの中で危険度を学ぶ事が多いのであるが親は、それには近づけないし、また保育所も幼稚園も子供に怪我をさせたら、親からの抗議が恐ろしいので今の子達には、経験できない為に、限度が分からない事による殺人が起こる事が多いのかも知れない。
2016.08.29
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前々日に書いた、茶化され役であるが、これは私の特徴なのであろうが、これは良く人と対面の場合に私が行って居た行動である。 特に企業にいた時に、使う私の方法であったような気がする。それは面接等で使っていた、どうしても、面接はされる側はそれなりの緊張と四角四面の言い方に成ってしまう。 そう考えると、こちらからの問いに答える内容は誰しもが殆ど同じ事が返って来るのと、本音の部分が言わない。 言わないのでは無く、言えないのである。私の場合は、相手を見定める為に、面接で最初は一通りに事を聞いて、次に世間的な話をし出して、相手が、どの程度リラックスするか見てから、相手の考え方を聞きだしていた。 ましてや新入社員では、面接に関して、それなりの練習を行いそれから来る人達が多いので、パターン化されて、本音の部分は出さない。 その時は、相手の出身地や親や祖父母関係を話に入れて相手のリラックスする度合いを見て、ある程度の段階を決めて、採用か不採用を決める事が多かった。 四角四面が悪いわけではないが、本人の性格的な部分を見る為には、相手の性格が掴めないので、相手を見る為に使う手法であった。 あまり、リラックが早い子は、問題が起きる場合が多い。自分を出し過ぎて協調性を乱しかねない可能性がある。 ある程度、時間的に自分を出す子は、強調性はある。ただ、協調性だけでは駄目なので、次の段階は言葉使いである。 言葉使いは、その子の育った環境が、ある程度分かる。言葉の使い分けが出来ない子は、家庭的に教育されていない問題がある可能性がある場合も考えられる。 どうしても友達関係の交流時間が多い子は、言葉の使い方に問題が出て来る場合が多いのである。簡単に言えば、為口的が多くなるのであり、その様な子は上下関係に対応能力が低い事が多い。 これは、あくまでも最初に会った段階であるから、相手の能力的な事を、判断する物ではないが、企業での働く為に、初期の判断材料として、私が使って居た方法である。 私のズルサなのかも知れないが、人を見定める時に行う行動で自然に相手を、巻き込みながら観察するのであろう。 それによって付き合い方を変えるのは、私も、それだけ歳を取ったと言う事だと思う。
2016.08.28
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人との関わりの難しさを感じる時は、誰にでもあると思う。それは、私も幾度も感じたが、考え方と経験の相違から来るものなのであろう。 私もそうであるが、自分の経験値を基準に判断する事が多いし、相手に対応する方法も経験値から来る。 だが、それは相手の未熟さで理解して貰えない事が多い。それを未熟さと言う表現は適切ではないかもしれないが私からすると、未熟に見える事が多い。 それは理解させる難しさがあるし、理解されない場合が多い。人はそれぞれ自分の経験を優先して言うし考える、それが全部正しいとは、言えない事があるのだけれど、それを正論にするから、その場合は揉める原因になる事が多い。 私も年齢と供に、多くの人を見て来たので、それなりに人に対しての対応能力があると自負していたが、それも自分だけが思っているだけで、それが通用しない人も多く居る。 私は現場主義を、仕事や私生活を歩んで来たと思っているがそれは自分だけの考え方であるので、他人に強いるものではないが何か問題が起きた場合に、問われると答える範囲は自分の経験や人から学んだ範囲で言う事に成る。 だが、それを素直に聞いてくれないで、自分の範囲を頑なに守ってしまい、激怒する場合などがあったりする。 悲しいかな、人はそれぞれであるが、その様な人が多いのも確かな事である。 また、同時に災いを利用して伸し上がる人もいる事も確かである。それは、その人の生き方であるから、私は関知しないが心の中では許せない気持ちになる。 人は、それぞれの生き方があるが、色々な経験を積み重ねているが他の人からの意見も聞いて、それなりに考え直す事が必要だと感じる最近である。 ただ、私の基本は他人を詮索しないし、今まで私が人を見て来た自分の経験から判断して付き会う事になる。
2016.08.27
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私も酷評したマイナンバーシステムであるが、最近、話題が聞かれなくなった。 私は最低最悪のシステムと思っていたが、最終的に各省庁も稼働状況等は言わなくなったし、行政もそれ程、力を入れた取り組みを行って居ないのか、それ程言わない状況である。 同時に日本人特有の時を過ぎると、その話題も出さなくなり殆どの国民は関心を示して居ないのであろう。 あのシステムは、前にも書いたが準備期間も短いし内容も大雑把過ぎて、完全にシステム企業の思惑に嵌った感じがしてならないのと、監督省庁のシステム構築に対する知識が無かった為に、現在の頓挫状態であろう。 私が知りたいのは、あれを政令かした政治家と官僚全員がマイナンバーカードを持っているのであろうか? 私は持っていないであろうと思う。私も、このシステムの信頼性を疑っているので持っていない。 このシステムは機密漏洩した場合は、大事件に発展しかねない。それを短期間で準備して、国民に発表も短い期間で行い準備期間でさえ、問題が多かったし、行政側の指導もなされていないで見切り発車していた事も問題である。 完全にシステム側と省庁は、見切り発車で問題が起きた場合に対応する事を考え、詳細部分の問題の把握をしないで行ったシステムであり、経験がある、私にはその様に感じた。 この様なシステムは最終的に本稼働まで持って行くには問題が多く、最後は目的であった所までに到達できないであろう。 これは問題点を修正しても、さらなる問題が出て来ると連結部分で時間が掛かり、同時に修正部分で更なる問題が出て来て、長期間を費やす事に成る事は、私の経験で分かる。 監督省庁もシステム構築側も、安易な設計で行ったのであろう。省庁側は業務の簡素化を目的としたが、システム側は業務自体の理解力が無く、同時に、これだけ膨大なシステムでは連結部分は複雑化してくるし、現在の様に情報漏えいが蔓延してるとそれに対する対策も設計基準にいれる。 だが、情報漏洩も変化が早く、それに対応出来ないのが現状である。大概のシステムは、本稼働を行った場合でも問題が出て来るがマイナンバーシステムに関しては、稼働させながら問題点を解決させようとしている部分が多い。 すなわち、見切り発車して問題点を解決して行くのでありシステム設計時点では、問題点を把握できていなかったのでこの様な稼働状況に成ったのであろう。 これはシステムとしては最悪の遣り方であり、時間と能力が膨大に膨らむ事に成る。それは予算も同じで、追加、追加で初期の予算の倍以上は掛かる事に成るであろう。 はっきり言って、現在、企業側もマイナンバーに関しては対応する状況が見えないし、政府もそれだけ企業に要請を強く求めて居ないと言う事は、このシステムは失敗した事を認めたと同じ状況である。 東京オリンピックの予算と同じで、省庁が考えた予算の倍で効かない予算が必要になって居るであろう。 まず、このシステムが動くのは一部分だけであり、政府の目論みの様には動かないし、動かそうとしたら、むしろ新規にシステム設計を行って開発した方が早いであろう。
2016.08.26
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どうも私の口の悪さは治らない。昨日は何時もの病院に行ったのであるが、又もや一言多い事を言ってしまった。 私の性格なのか、慣れ慣れしいのか、長く行くと親しくなり一言多い事を言ってしまう。 それが自然に出て来るのであるが、漫才的な行動に成る。今回も、前に私が悪態を付いた看護師さんと受け付けで会い私が「今日は仏滅」と言ってしまい、相手も負けては居ないで言い返すのである。 ましてや今日は、何時もの血圧だけでは無く、前に診て貰う予定の痔も診て貰う事に成ってしまった。 一応、私も男性なので、看護師さんには遠慮下さいと言ったのである。そうすると、他の看護師さんも言いたい事を言い出し私の立場が、病院の患者の雰囲気で無くなってしまう。 看護師さんは「痔主なの」と言って来ると、私は「まだ、分からない」と切り返して、先生にお尻を出して診て貰うと、「確かに痔はあるが、大した事では無い」と言われ看護師さんに「小作人だった」と返答するのである。 これも私の性格なのか、慣れると親しくなり過ぎて患者扱いされなくなり、意外と色々な人から茶化されるタイプなのかも知れない。 良く行く個人商店でも、同じような行動を取り慣れると、お客扱いされなくなる。 そう言えば、被災地でも初日から、オチョクラれていたように思えるし、それで皆が笑えていた様に思えるのである。 別な面では私の良い所なのであろうと思うが、これで、システム屋をやって居ましたと言ってもイメージが、湧かないであろうと思う。 ましてやブログに生意気な事を持論で書いているが私生活は茶化され役の状況であるのだが、これが逆の面で生きているのが、高齢者のお手伝いでも最初から親しく話してくれる事が出来ていると思う。 何時から、この様な行動に成ったかは覚えていないが若い頃は、取っ付き難いと言われていたのであるから年齢と供に変わって来た部分もあるかもしれない。 確かに若い頃は、システム屋の気難しい部分はあったと思う。仕事上では、何時も何かを考えていたので、それが自然に顔に出ていたと思うし、人嫌いであった部分もあり机に向かっている事が多かった。 システムを考える時は、人を寄せ付けないと言われた事が良くあったが、今では自然に周りに寄って来てチャカされ役になってしまった。 今の自分は自然体で居られるからなのかも知れない。同時に自分なりの考えを行動に移す事が出来るから本来の自分を出せるし、人との調和も取れるようになったのであろう。 社協でも同じで、文句(自分では提案と思ってる)言うが最後の頃は、和気あいあいに話をする事が多い。 それが自分の持ち味に成って来たように思うが、ただ、慣れるまでは、中々その様には簡単にならない。 このままで、私は行くのであろうが、ただ、ブログに関しては大々的に屁理屈を書くであろう。
2016.08.25
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私が幾度もブログに書くが、メール社会が蔓延っているし同時にマスコミでも取り上げられて、便利さを強調するがそこには人間としての本質的な物を失いつつある様に思う。 今や若者はメールが当たり前、メール交換で友達としての意思疎通が出来ていると思っている。 また、企業もメールでのやり取りで業務的要素を簡素化して企業内でも当たり前の時代である。 私もシステム屋が長いので、それは確かに便利な部分は認めるし私自身も使うが、私の場合は、あくまでも連絡事項的要素で使う事が主である。 前にも書いたが、文面は人により、取り方が違うし、メールのやり取りの流れを把握して居れば、ある程度は理解が出来るが短文的に見てしまうと、取り方によっては問題が出る。 私も経験したが、メールのやり取りで問題が起きる。それは、メール文面による流れを把握しない為に、相手に伝わって居ない部分があった為である。 前日書いた問題も、メールで問い合わせに対してメール返信を行って来たが、内容を把握できる説明に成って居ない。 私も毎日の様にブログを書くが、この文面で皆さんが私の考え方を理解していると思って居ないので、私の戯言的に書いているだけである。 文面は読む人の経験により、理解できる場合もあるし、生意気に感じる場合もある物である。 だが、IT時代によりメールでやり取りが当たり前になり同時に言葉で発する事が出来ない事も、文面なら安易に書ける事も相まって、好き放題を書く方も多い。 そこには、人としても道理を忘れている場合も多い様に思うのである。 この様に考えると、ITは確かに便利な道具であるがそれは、あくまでも効率よく使う物であり、それを利用して、人間教育の部分で使う事は避けるべきであると思う。 私しもシステム屋であったから、システムは使いようによって人の数十倍の効率を上げるし、使い方によっては便利であり効率も上がるが、それを生活の中で、対人間としての感情の表現には無理があると言う考え方である。 確かに連絡事項なりに使う事は問題ないが、自分の意思表示には向いて居ないと言うのが私の考え方である。 ましてや、現代は本を読む事も少なくなり、文書力も劣っている状況下で、メールで、それなりに理解させるだけの文を書ける人は少ないであろうし、前記したように、文は人によって違う捉え方をする事が多いのである。 この様に考えると、このまま進むと人は感情の表し方や対人関係に対する方法が気薄に成りかねない様に思える。 その部分は考えて行かなければならないし、人としての思いやりや労わりの気持ちは、教育現場では必要であろう。
2016.08.24
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昨日は、私もいささか頭にきてしまった。何時もネットで買う、コーヒー豆であるが、4年近く同じ所から買っている。 それが8月20日に商品が届き、昨日商品レビューを書こうと思い商品の写真を見たら、2199円となっている。私が購入したのが2799円なのに、何故と疑問に思ったのでメールで問い合わせしたのである。 その対応メールが返信されたが、内容はサービス品として価格を下げたのであり、あしからずとだけである。 私は納得いかないので電話を掛けて、相手方に問い合わせたのである。その対応が、問題がある。 相手はメール内容と同じ事を言って、8月20日に価格サービスを行ったので、価格は貴方の注文の時と変わったとの返答だけである。 私も、今まで長期間、そこからしかコーヒー豆は買って居ないのでこれには、いささか腹が立ち、貴方が同じ事をされたらどう言う気分になりますかと問いただすと、ダンマリを決め込み、何の返答も無い。 あまりにも誠意のない、相手だったので、もうそちらから買いませんと言うと、その返答が「それで結構です」である。 これには私も呆れるのと、腹が立ち、1か月に1回は買って4年近く取引して来た人に対する態度かと思ってしまった。 私は、ネット購入は余りしない方なのであるが、コーヒー豆だけはそこから買い続けていたのである。 今回の相手側の対応には、腹が立つし、呆れるだけである。また、メール返信では、何故に金額が変わったかは分からないので本来なら、相手側から電話なりの説明があっても良いと思うしそれが販売の鉄則であろうと思う。 同時に長い期間、買い続けている、お客さんに対する対応の仕方がなってないと思う。 ましてやネット販売であるから、信用が第一であろうと思うがそれも出来ない所から私が買っていたのである。 今回の対応相手は男性であったが、前にもコーヒー用サイホンもそこから買ったのであるが、保証期間に故障して、直しの依頼の時は対応も良かったので、私も信頼して買い続けたのである。 私も幾度か店舗やコンビニで、あまり酷いので文句を言った事もあるが、その場合は言葉のやり取りで誠意が見られると私は続けて行くのであるが、誠意が見られない所は行かなくなる。 前にコンビニで注文品が、取りに行って売られてしまい揉めた事をブログに書いたが、そこは誠意で対応してくれたので今でも、そのコンビニは家から近くは無いが、毎回行って冗談を言ったりするのであるが、今回のネット販売は誠意も何もないネット販売の悪い部分が出ていた様に思う。 長期利用の、お客さんを大切に出来ないのであれば、販売会社として失格であり、ましてやネット販売であれば、最低最悪の会社であろう。 私が危惧していた、ネット販売の問題が、今回は顕著に出ている。問題が起きた場合は、メール対応では、相手に対する誠意が分からない。同時に電話対応も、今までの流れから、説明出来なければ説得できないし、対応する人の誠意が見られない。これでは、信頼を無くするだけであると、前にブログでも書いたがネット販売の難しさであろう。 私も別な面で、今後ネット関係の事を頼まれた時に、勉強に成ったような気がするし、ネット販売の難しさと対応の仕方による方法を学んだ。
2016.08.23
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最近の天候が大きく変わった事を感じる。日本近海で台風が数多く発生するのも、あまり聞いた事がない。同時に北海道が台風直撃は、私の記憶あるのは「洞爺丸台風」が最大であったが、それ以外でも小さな物はあった。 北海道の場合は、台風も温帯低気圧に変わり、それなりの被害はあるが、今の気象傾向は、今までの南方系から、気象自体が北上しているのではないかと思う。 地球全体の気象が変わりつつあるのであろうか?確かに、地球の気象状況は変わったと言われて、長年が経つが、異常気象傾向にある事は間違いないであろう。 日本でも地震活動が活発化して、各地で大災害に成っている。この異常気象や災害により、今までの生活基準を変える方も多く居るであろう。 私も東日本の震災地と長く関わったが、人は自然に勝てないのと自然に対しては抵抗出来ない部分を見て来た。 また、多くの人達の被災に対しての心遣いも見たがそれ以外でも、醜さも見せられて来たように思う。 それが人間なのであろう。私は良くブログで書くが、人間の本質的な教育が日本では忘れかけて来ていると、確かに「絆」と言う言葉で人々はそれなりの労わりの気持ちがあった事は認めるし、それは人としての基本部分であり、それで騒ぐ事の虚しさも私は感じた事は確かである。 だが、私はマスコミや一部の人達に踊らされていた部分は否めない部分があったと思うのである。 日本人独特の、他人がやって居るから遣ると言う行動が見え隠れしている部分も見て来た。 私も、その一人なのかもしれないが、自分なりには色々な面で考えて行動しているつもりであるが、それは自分の中だけの納得である事は否めない。 私の場合は、30数年前が、始めての行動であったが、その後は海外に行き、行動したが、それは自分の中では良い経験にはなったが、果たして途上国での行動が良かったかと言えば、私自身にも分からない部分があるが自分の中では、別な面で生きたと思っている。 人は経験により、それなりに学ぶ事があるが、学ぶだけでは駄目な事は、自分なりに思っている。その経験を生かして、新たに進む事が大切だと思うが、これも独りよがりの私の考えであろう。 今回の災害に会った方には、遠方から挫けないでと言う事しか出来ないが、自分を見失うことなく頑張って下さい。 今、新たに自分の経験を生かした道を模索しているがそれが、私の選んだ道であるから、最後までやり遂げて見たい。
2016.08.22
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今回のオリンピックで、女子レスリングの主将を務めた彼女の責任の重さでの涙に感動した。 これだけ国民からのプレッシャーに、自分の責任を感じての負けた時には立ち上がれなかったが、自分自身のプレッシャーに飲み込まれるほどであっただろう。 この様な姿は、美しいし、尊といと思えるし、責任感の強さを感じた。彼女は自分がやらねばと言う気持ちが強く、その責任感から最後の涙が出たのであろう。 日本の国民は別な面で、彼女の人柄を見たと思う。これを見習ってほしいのが、日本の政治家である。 責任・政治の「せ」の字も無く、問題を起こしても、ウヤムヤにして再度、公認されて当選したら、前の問題は終了したかの様に知らん顔をして、同じような事を平気でやるのが政治家である。 それを公認する政党も問題があるが、それを選ぶ選挙民にも問題はあると思う。 これは日本国民の二面性を表しているのであろう。お上に逆らわない、逆らっても得はないと言う封建制度的な考えと、弱い者に味方する面がある。 前記の面は、日本の政治を、これだけ劣化させる政治家を作り上げて来たのであろうし、日本人の弱さであろう。 私も海外で生活した事があるが、海外では日本の様な政治家が問題を起こしたら、それに対する国民はデモや抗議が当たり前であるが、日本は金銭問題を起こした政治家が再選されて、さらなる問題を起こしても国民は何も言わない。 これは封建制度の名残で、お上に逆らわない主義と政治に対する関心が無く、自分達の身に振りかっか無ければ他人毎の様に考えるからなのであろう。 私が幾度も書く、国民は税金で、政治家や官僚を食べさせているがその連中が、金銭感覚が無く、国民が払った税金だと思って居ない。 同時に、国民も自分達が払った税金に対する関心が皆無に近い考え方であり、それが政治家の金銭感覚を狂わしているのであり、政治家自身が、誰から給与や活動費を出して貰っているか分かって居ないのであろう。 これは国民の無関心さが生み出したものであり、日本の民主主義の根本的な考え方が、封建制度を引きずっているからであり、その様に教育された日本国民だからであろう。 また、国民の殆どは、自分の身に降りかからなければ他人毎に考える傾向が強いのであろう。 二番目の弱い者に味方するであるが、それも政治家は無い。弱者救済等は、自分達の懐に、お金が入らないので後回し金の入る大企業には、経済と言う名の元に救済処置を取るが貧困格差や高齢化に対する事には、金に成らないから後回しや、予算削減を行うのが政治の世界であろう。 基本的に民主主義の意味を、国民も政治家も分かって居ないで封建制度の流れを組んだ民主主義の考え方が日本の様な気がする。
2016.08.21
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与党の政治家が、馬鹿な事を言っているのに腹が立つ。避難困難地域に復興拠点をと、どう考えても無理な事であろう。 その様に提案した政治家の連中が、復興拠点で毎日働き、その近郊で居住する事をする気があるか? 現場サイドを見て言っているのであろうか、5年後を目途にと言っているが、避難困難地域は半端な放射能度では無い事を分かって居るのであろうか。 私も行った事があるが、ゴーストタウン化して、事故原発近くは放射能度は人が生活出来る範囲では無いなかった。 誰しもが、自分の子供や孫等は絶対住む事を考える人はないであろう。仮に住んだとしたら、放射能による癌発生率は避けられない事ははっきりしている。 同時に除染していると言っても、広大な土地を完全に除染は無理であるから、今年度、避難解除地域でも、殆ど若い人や子供達は住む人は少ないであろう。 政治家の人間としての常識を疑う提案である。この提案を行った与党の政治家は、数で国民に支持された事は、何でもやれると思っているのであろう。 これは、本当に政治家としての資質があるのであろうか、その前に常識的な事を理解しているのであろうか? もし、自分が避難困難地域で自分の事務所を持って復興の為にやるだけの意思がある気持ちで、その様な提案を行っているのか。 あの現場を見た事のある人なら、考えられない事を言い出している。人間は自ら危険の向かう人は、殆ど居ないし、自分の子供たちにもその様にさせないであろう。 それを原発事故が終息するまで、何十年も掛かる所ありその目途も経たないで居るのに、避難困難地域に復興拠点とは何を考えているのか、狂った人間でも言わない事である。 それを政治家が言う事か、本当に日本の与党の政治家は政治も被災者の気持ちも分からない、程度の低い連中なのであろう。 もし、それを正論であると言うのであれば、自らが出向き同時に自分の家族も、その近郊に住まわせるなら認めるがそれも出来ないであろうし、自分の身に降りかからないからその様な常識に無い事が言えるのであろう。
2016.08.20
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変な奴は、私を扱き下ろして喜んでいるのであろう。これは何時もの事であるが、私自身を見つめ直すには良い事であると最近思う様になって来た。 彼との付き合いは長いし、彼は私の部分的な反省材料に成るので私も付き会っているが、そうでなければ付き会う気がしない。 彼は「お前は、何かを求めて行動しているが、そこには色んな考えがあり、色んな経験の人達が居るのだから、お前の様に個性が強いとブツカル可能性が高いからな」と又もや説教がましい言い方で来た。 私も「若い頃の自分なら、ブツカッテ喧嘩もしたが、今の俺は、それだけの気力も無くなったよ」と言い返すと彼は「確かにな、歳が歳だから、あの頃と同じでは、只の馬鹿だよな、人間、多少なりにも進歩しなければ、お前が今やって居る行動は、誰も認めてくれないだろうし、相手にされないだろうな」と言う。 彼は続けて「若い頃のお前は、前しか向いていなかったよな、前を向いて走る事は、若い頃はそれで良いと思うが、その中で幾度も失敗を繰り返して、その事を反省しながら前進する事が大切なのだけど、人は反省の仕方の範囲で自分を伸ばすかが、決まる部分がある事を忘れがちになるんだよ、だから、時々俺がお前の所に来るだから感謝しろよ」と勝ち誇った顔で言うのである。 私は「確かに、自分を見直す事は大切だろうし、お前が来る事は最近は感謝するが、最初の頃は、ウットしく感じていたけど」と言い返すのがやっとである。 彼は「お前も歳だからな、その歳で、若い頃と同じように行動は出来ないだろうし、身体が付いて来れない状況に、成ってるよな」と私の身体をジロッと見て言うのである。 私は「歳は感じてないと言えば嘘だろうな、無茶な行動をしなくなったし、考えなくなったかな? でも、何かに向かって行きたい気持ちはあるが、身体がね・・・」と、今の自分を思いながら答える。 それに対して「最近のお前は、自分の考えている事を直ぐに行動を起こさなくなったな、それは歳になりに身体と頭で考えるバランスが取れなくなったのだろう、それだけ大人になったのかな?それとも、只の年寄に成ったのかもな」と嫌みを言う。 これに対して、私は反論出来ない。私自身が感じている事であり、自分なりに身体の事を考える様になっていたからである。 彼は「お前は、自分の事を、さて置き他人の事をカマウ余裕が無くなって来ている事を、多少は感じているのだろう。前から自分の事に対して、自分が、自分が、のタイプであり自分の弱味をみせたがらないからな、お前は」と私の痛い所を突いて来る。 私は「確かに、俺はお節介焼きな所がある事は認める。それは、母親譲りなのかな、どうも、困った人や頼まれると嫌とは言えないのだよな」と本音を言う。「でも、最近は高齢で介護が必要な方の考え方に付いて行くのがやっとと感じでしまうよ」と弱音を吐いてしまった。 彼は「それでも、何とかコナシテ居るのは、お前も成長したなと思うよな、だから社協あたりから、その様な人達の依頼があるのであろうな、だが、お前も何処まで続けられるかを考えるべきでは?」と言って来た。 私は「依頼されると嫌とは言えないし、やった以上は遣り抜きたい気持ちもあるし、相手の気持ちも考えると続けるだろうな」と答える。 「そこが、お前の悪い所であり、自分を考える前に相手の事を考えるが、相手からすると、適度に使いやすい奴だと思っているだけかもな」と言った後に「今回は、俺も忙しいから帰るは」と言って去って行った。 この「変な奴」は、時々出て来て、言いたい事を言うだけであるが私を違う観点から見る時に出て来るのである。
2016.08.19
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彼の言い分は良く分かる。私の行為は自己責任ではあるが、だが必ず、他の人が絡む事になる。 私は「他の人が絡むから、その人の立場も考えて、他人には殆ど言わない、特に固有名詞は使わないな」と言うと彼は「お前の少年時代の生い立ちから来るんだろうな、色んな面で差別や偏見を受けたから、それなりに分かるから自分は出すが、他人を庇う部分があるが、逆に言えばそれも良い場合と、悪い場合がある事を考えるべきだ」と言って来た。 私は「悪い部分?それは何?」と問い返すと、彼は「それは、何かを変える時には、それなりに声を出さなきゃならない時があるが、お前は自分で声を出して居るつもりが他人から見ると、犬の遠吠えにしか見えない部分がある。」「どうしても、何かをやり遂げようとすると、ある程度の人達に理解させなきゃならないが、お前は、それが下手」と扱き下ろした言い方をして来た。 これは、私自身が感じている事であり、行動は起こすが宣伝力が無い事は認めている。 彼は「お前は、若い頃に幾度も痛い目に会っているから、それが下手なのであろうが、それでは駄目なので、お前の行動力は認めるが、お前の悪い所は集団化を嫌う部分」と私の欠点をズバッと言って来た。 私は、どちらかと言うと行動は早いのであるが、達成してしまうと次の事を考える傾向が強い。 彼は「お前は、飽き性なのだろうな、餓鬼の頃から落ち着きが無く良く親や先生に言われていたような“落ち着きが無い”と」と少年時代の事を言い出した。 私は「確かに、少年時代は落ち着きが無いかもしれないが、大人になってからは、物事はやり遂げてから、次の物に向かって来たと思っているがな?」と返答すると、彼は「少年時代の様に、チョコマカしなくなったが何かを終ると、次に何かを求める傾向は、落ち着きが無い事には変わりない」と切り返す。 これは私の性格を的確に匹敵された。私は、何かが終わると、次に何かを求めだす傾向が強い。 彼は「お前の悪い所は、其の部分なのだよ、ただ、それが逆に出ると、良い部分に成りうるが、リスクが大きい事に成りかねない」と言いながら、「お前は自分からリスクを好んで居る部分もあるよ」とせせら笑うのである。 悔しい私は、「お前は、俺の事を馬鹿にしていないか」と言うと「お前は、自分の行動を反省する事が必要だから、俺が遊びに来てやって居るのに、その言い方は無いな、まだ、まだ人間としての部分は未熟だな」と、さらに切り返すのである。
2016.08.18
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「変な奴」に匹敵された様に、私自身の甘さは感じている。その甘さは、私自身を追い詰めもするが、別な部分で行動的にもしているのであると思う。 私は「お前に言われたくは無い、俺が好きでやって居る事に言われるのが、腹が立つ」と言うと、彼は「それがお前の欠点だ、だから融通が効かないから、個人的行動が多くなる」と言って来た。 私は「個人的行動で、その中で自分なりに責任を取れば問題ないだろう」と言うと、「そこが違う、個人の力はタカが知れている事を、お前は分かって居ないだけ」と切り返してくる。 また、「お前の少年時代を知っているから、俺にはお前の性格が分かるが、知らない人は、只の我儘で頑固な人間に見えるぞ」と言う。 彼とは数回、私の生い立ちから言い合っているので、彼は、其の部分で言う事は正しい。 「お前は自分を分かったつもりで居るが、他人から見ると単純馬鹿に見えるかもよ。それが分からない、お前は自分をもう一度見直して見たら?」とキツイ言葉を発するのである。 私も負けては居ない「自分なり行動をして、理解をしてから色々な事を行っているよ」と切り返す。 彼は「それが、自分本位だと言うの・・・自分で理解して居ても他人との調和が取れなければ、それは理解しているとは言えない」と言って来た。 私は「最近、分かったが、確かに調和は大切だと思う、だが調和も今の時代、自分を出す人が多過ぎて、周りに対する考え方が足りない様に思うが」と、彼に問いかけると「確かに、その傾向が強い事は認めるが、それを作り上げたのは、お前達だと言う事を忘れていないか?」と返答して来た。 続けて彼は「お前が、お手伝いと言って高齢者や被災地の方の事を遣っているが、それも考えて見れば自己満足の部分だろう」「本来、人は自分を中心に考えるのが普通であり、何か他人対して行っても、そこには自己満足感が無ければやらないのが人間なのだよ、それを、お前は自分の考え方でやって居ると言うが果たして、それは自己満足を満たす為に行っているだけ」と厳しく言って来た。 私は彼の言っている事が理解出来る部分はある。人は私の様な、お手伝い的行為は自己満足を感じなければやらないと思うのである。 私は「確かにお前の言う通りだ、自分に満足感が無い限り俺は今の様な行為はやらないだろうと思うが、それだけでは無い部分もある」と彼の言う事を納得しながら言い返した。 彼は勝ち誇ったように「そうだろ、誰しもお前の様な行動を行う場合は、満足感を感じているが、それは逆に言えば良い部分での達成感でもあるよな」と言うのである。 彼は続けて「その達成感が、次の行為を行うが、それを自分が遣って居ると言う事を、他人には言う事だけは辞めて置け、遣って居る行為は好い事かも知れないが、それはあくまでも自分の範囲内で満足感を感じるのは良いが、他人に公表するとそれこそが自己宣伝で、自分を追い詰めかねないからな」と言うのである。 「まぁ、お前の性格では、あまり他人に言うタイプではないがあくまでも、自分の勝手でやって居る事なのだから、自己満足の範囲で抑えろよ」と説教をするのである。
2016.08.17
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久しぶりに変な奴に会った。私の嫌いな奴で、私の生まれた時から知っている奴である。 こいつが、私の嫌な部分を匹敵したりするのである。前にブログや違う物にもシリーズで書いたが、「変な奴」とは、私の行動をチェックする人間であり、色々な部分で匹敵もするから、私は嫌いなのである。 だが、これが別な部分で私の気の付かなかった事を気が付かせてくれる事も多いので、嫌ではあるがある部分では貴重な存在である。 嫌な奴が「久しぶり、お前も歳を取ったな」と言って来た。 私は「でも、若く見られるよ」とやり返すと彼は「自覚が無いだけで、表面的には、若く見えても、身体はガタが来ているのが分からないだけだろうと」最初の挨拶である。 これは彼の何時もの挨拶である。「最近は、色々やっている様だけど、身体が付いて行ってるのか?」 私は「そうだな、自分なりには、動けているけどね」と返答すると彼は「動けなきゃ、死んでいるか、寝たきりだろう、そこに居る事は、動ける程度の身体だからだろう」と切り返す。 彼の悪態の始まりである。私も負けず嫌いなのでやり返すのであるが、その上を行くのが彼なのである。 彼は、「高齢者の人の、お手伝いをしているようだが、お前も高齢なのに良くやるよな、自分の歳を考えて行動したら」と嫌みで言うのである。 私は「動けるから、やって居るし自分で高齢だと思って無い」と答えると、彼は「そこが問題だ、高齢になると自覚する事が出来なくなり、同時に頑固なだけに成るからな」と嘲笑うのである。 それに対して、こいつ、痛い所を突くなと思いながら反論できないで居ると、さらに「お前は、最近色々と文句を言って、社協の連中を困らせている様だな」と付け加える。 私は「文句では無いよ、提案なのだよ」と答えると彼は「確かに提案的な部分は、認めるが、組織的に考えると文句の部分に成りかねない」と私に反論する。 私は「組織は長期化すると、色んな面で固定化して臨機応変に対応出来なくなるし、時代の流れに会わなくなるだろうが」と反論する。 彼も「確かに、時代は流れ、色んな面で変える事も必要であるが組織を維持する為には、変えられない部分が多いのだよ」と言って「だから、お前の言い分は文句の部分もあると思われる」と付けくわえるのである。 彼は、さらに「お前は真面目に考え過ぎ、だから文句が出る」「もう少し余裕を持たなければ、相手が付いて来れないぞ」とまで言い離す。 私は「矛盾と、それを利用する人の立場を考えるから、提案しているのであり、自分の利益を考えて言っているわけではない」と言うと彼は「そこが、お前の甘さだよ」「世間を知って居るつもりで自分は遣って居ると思っているが、他人は、それ程認めていないし組織内では無理がある場合が多い事を、お前が自己満足で遣っているだけ」と言って来た。 私は、それに対しては反論できない。確かに自己満足が殆どであるし、自分なりの経験を生かしたいと思う事態が自己満足であるのだから・・・ ******今回のブログを読んで「変な奴」を、前に読んだ事がない人は変わった事を書くと思うので、説明しますが、これは私自身のもう一人が、問い掛けや匹敵をする物で、何回か書いて居るのであるが自分の行動を第三者的に見る為に書いていますので「変な奴」は私の影武者的存在です。
2016.08.16
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日本の高齢化が進む中、日本の借金は1000兆円以上で国民一人当たりの800万以上の負担であるが、これを返す事など考えない、政治家と官僚連中であり、税金の無駄使いを、平気で行う人達の集団である。 選挙の時は、借金を減らしますとは言うが、当選すると経済が停滞しているから、予算を増やし国民に負担を強いる。 日本は高齢化で、返す資源も何処から出るのであろうか?税負担は、働く人達にしか期待できないであろうし、その様な人達も少ないのが日本であろう。 同時に高齢化で、其の人達からの資源は見込めない事は明らかであり、借金返済の目途が立たないが、予算増加は、これから増えるだけであろう。 そうなれば、私が幾度も書く政治家と官僚の削減であり無駄な税金を使う連中であり、1議員が1年に使う2億を大幅に削減すべきであり、政治的な意味も分からない数の論理の為にだけの議員は必要ないであろう。 これからは高齢化や貧困格差が広がる事ははっきりしているそうなれば税金も、これ以上の増収は見込めないであろう。 見込めないが、高齢化と貧困化で、これからはそちらに予算が膨らむであろう。そうなると国民の一人の負担額は1000万を超えるのはもう直ぐであると思うが、それに対する方策は政治家は何ら行って居ない。 今の政治家は借金を返すどころか、逆に増やす事ばかりで政治資金や経費等も使い放題、それが国民の税金である事の自覚も無いし、政治的にも民意等は考えないで党利党略に走っているだけであり、その前に日本国の借金を減らさないと国際的にも日本は信用されない国に成るであろう。 この状況を、国民は何も考えていないと同じであり、政治家が無駄な税金を使い、予算が無いから増税して国民に負担をと望むと、借金の為にと国民は認める。 だが、その前に無駄な憲法違反の議員の大幅削減を声高に訴えるべきであろうと思うが、それをしない国民もこの借金を子孫に残す事に成り、最終的には世界から信用の無い日本を作りだして居るのであろう。 日本人は、今さえ良ければ好いやの考え方が強く、自分の身に降りかからなければ、俺達の時代だけ何とかなれば、将来の事は俺達には関係ないのだからその時になって、考えればと言う人達が多過ぎる。 仮に良識の府と言われる参議院も、その機能に疑問を持つ人も多いし、その議員を無くしただけで、どれだけ税金も無駄使いが減り衆議院も三分の一の議員を減らし、それらを日本の借金に回すこれは企業が、景気が悪くなるとやるリストラと同じでありそれが普通の考え方であろう。 議員を減らすと地方の声がと言うが、その地方は既に対策を行っても、大きな改革を行わない限り無理なのである。 その様な地方に成ったのも、今の議員制度で行った事を国民が、気が付かないのか? 今さら議員削減で地方の声がと言う人達は、今までは良かったのか?この様な状況に成ったのは、今の選挙制度と議員が何もしなかった部分もある事を考えるべきであろう。 最終的に日本は官僚政治であり、地方から選出された議員では政策も作れないし、ただ力関係で多少の動きは出来るが大きな改革を行って、地方の活性化等出来ない事は分かるであろう。
2016.08.15
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今、真っ盛りのオリンピックで、師弟愛を感じる事が多い。どうもスポーツの世界では、伸びる人達は師弟愛や家族愛がその中にある事を感じる。 家族愛に関しては、これは当たり前であるが、見守る事の大切さと、他人に任せる事による不安もあるだろうが任せる相手を信じる大切さもあると思う。 だが、多くの人達は、それが出来ない人が多いのとそれだけ信頼出来る人が少ないのであろう。 今、日本の教育に関して、私はブログに書くが、そこには愛が無いと書く事が多い。 実際、学校教育は多くの先生方がサラリーマン化して授業をこなす事だけを考えている人が多いと思う。 私も人を教えた事があるが、真剣教えようとすると怒りもするし、殴りたい心境に成る事を幾度も感じた。 それは、その子達に対して真剣に向かっているからであり何とかしたいと言う気持ちが強く働くからだと思う。 私達の時代は先生が、それだけ生徒と向かい合ってくれた場面が多かったし、怒られる場面も多かった。 同時に拳骨が飛んで来るのが当たり前であったが、今の時代、それを行うと父兄は暴力だと言って抗議するのが当たり前になって居て、それが嫌で先生は注意も出来ない。これが現在の学校教育の状況であろう。 前日も書いたが、荒れた学校問題は、父兄が作り上げた事であると思う。私も自分の、子供達の父兄会の役員をさせられた事があるが父兄は、自分では躾も出来ないで学校に依存している光景を多く見て、本当に親としての子供に対する教育が出来ているのか疑問を感じた事があるが、殆ど父兄は、それが当たり前であると勘違いしていた様に思う。 特に母親はうるさい、教育ママと言われるだけあるが自分の産んだ子を、良い学校に入れて、優良企業に就職させ安泰したいと思うのであろう。 その気持ちは分かるが、別な部分で何かが違っている事に気が付かない部分が多くある。 子供、可愛さで溺愛するのが、母親であるが、それは自分のお腹を、痛めて産んだ子であるから分かるが、何か愛情表現が間違っている様に感じたのと依存心が強い事を感じた。 それが私達の子供達の頃であるから、その子達が親に成った現在は個の世界感が強いのであろうし、物を与えて育てる事を自分達が、されたままに行って居て、自分達の子供に対する依存心も同じである様に思えてならない。 その様に感じるから、今回のオリンピックの様な師弟愛を見ると、教育とは叱咤激励が必要に思うし、厳しさの中にも愛があると感じる。 それは家族では無い、教育者的な愛があるから、あそこまで伸びるのであろう。これが、家族的考え方が強いと、あそこまでは出来ないであろうし何処かに互いに甘えが出てしまうであろう。 あのような場面を見ると、学校教育にも、あの部分があればこれ程、荒れた学校には成らなかったであろう。そこには、家族の見守る姿もあったからであり、子供の苦しみもその子の為と言う気持ちがあったからだろうと思う。 今は、子供に何か起きれば、親がシャシャリ出る事が当たり前の世界だが、それでは、子供の自立を阻んでいるだけの様に思える。 今、教育は指導者も、親も考え直す時期に来ているのであろう。親が愛情の理解して居ないのと、指導する学校側もマニュアル化された指導要綱に準じるだけで、そこには子供に対する愛が足りないのかもしれない。
2016.08.14
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荒れる日本の教育が問題化され出して、久しいが、何の対策も行ってこなかったと同じなのが政治家であり省庁である。 確かにイジメ等で問題が起きた場合は、其の時だけ騒ぎ対策を考えるが、基本的な部分が欠けている、其の場凌ぎの、対策案だけであったからなのである。 同時に親も同じであり、他人毎には関心を持たない人や騒ぎに同調する親たちが、勝手な事を言う事が多かったのであろう。 また、問題が起きてた地域は対策を行うが、官僚や政治家が作成した政策案に縛られて、その範囲内で対策を作るしかない。 今回、公立が荒れて、私立に入れる親が多くなっているがこの様な現象を政治家や官僚は、どの様に思っているのか政治家や官僚の子供たちは、有名私立に入れるから、関係無いと思っているのか? 日本で有名私立に子供を入れられるだけの、親の収入があるのはほんの一部の家庭だけであろう。 殆どの家庭では、私立に入れるだけの収入も無く、荒れて居ても公立に入れるしかないのが現実である。 今回、文科省が私立に入れる為の助成金を設ける事にしたがこれは荒れる公立での問題がある子達の為と言う対策であるがここから、文科省の考え方が間違っている様に思う。 荒れる公立の対策を行うのが先であろう。基本的に教育方針を作り、公立の教育を文科省が指示しているのであり、それに対して学校が教育を行っている。 その公立学校が荒れていて、それに対する対策も、問題が起きた場合だけ、其の場凌ぎの対策で誤魔化し、根本部分を分からないで、対策案も作る事もなった為に学校は荒れだして居るのである。 荒れた原因は色んな面である。先生の資質、親の依存の強さ、教育委員会の古く名誉職的な考えこれらの問題が重なり合って、信頼出来る人達が居ないのが現実である。 将来を担う子供たちに対する、基本的な教育の考え方が狂っているのであろう。 現在は、先生は色んな問題を起こすし、イジメ問題で起きた時だけ騒ぐマスコミに反応するだけの親達と政治家と官僚連中でありそこには、其の場だけを終わらせれば良いと言う考え方の人達が、殆どの為に公立が荒れているのであろう。 公立が荒れだしたと言われて、40年近くなるが、それまで何ら対策を行ってこなかったのであろう。 その頃から基本的な部分を変えるべき時に、何ら対策も見直さず、親や先生・教育委員会の言い分だけを聞いて、表面だけを繕って来た事が、今の現象を起こしている。 今や、待機児童とか言われ、時代的に親の愛情が子供に届かないそれは時代の流れで、女性の社会進出や離婚の増加等や教育者の能力の低下など、多くの事があり、それを考慮した対策を考えていない結果であろう。 貧困格差が広がると、公立が荒れていたのでは優秀な子達が、自分を出す事が出来なくなるであろう。 政治家や官僚も基礎部分から考えるべきであり、親も子供に対する考え方を考えなければ、今の日本の公立学校は変わる事が出来ないであろう。
2016.08.13
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私達庶民は、臨時的に5000円入ると、一喜一憂して其の日は多少の御馳走が食卓に並ぶ生活をしているのであるが政治家の先生方は、そんなのは、金の内に入らないで、お金で豪勢に使って御馳走を食べているのが当たり前と言う世界が政治家のなのであろう。 だが、其の政治家が使っているお金は、私達国民が払った税金なのである。 政治家の先生方は、国民の5000円は5円にも満たない考え方で使い放題で、政治家の経費として使い、なお且つ別に国民の税金から給与を貰い、国民が使い道に疑問を持つと無理やりに政治的要素で使ったと言い訳を言っている。 また、経費明細も公私混同も甚だしいのに、政治活動の為と言って誤魔化し、後はホトボリガ覚めるまで知らん振りを行って、次の選挙に公認されて選挙資金を国民から受け取って当選したら、私の行動は認められたと言って、同じ事を繰り返す。 国民も自分たちの払っている税金が、どの様に使われているか分かろうともしないから、政治家は同じ事を繰り返すだけなのであろう。 政治資金で問題が起きても、それに対する規制は殆ど行われず行われてもザル法規制であり、同じ事が繰り返されているのが政治の世界である。 基本的に政治家は誰から、政治活動費や給与を貰って居るかの自覚が無い連中なのであろう。自分たちの懐に入ったお金は自然に湧き出たものでありそれを、どの様に使おうとも自分の考え次第と思っているのであろう。 今の日本は、国民一人当たりの借金は、膨大であろうしそれを無くしますと、選挙の時には政治家は言うが、選挙後は、新たな借金を増やして、景気が後退したから、社会福祉の為とか言いながら、自分の懐と使える政治活動費は使い放題である。 私の住んでいる所の地方議員でも、新年会に1000万使いましたと平気な神経の持ち主であり、そのお金が何処から出ているか自覚が無いから、あのような弁明が出来るのであろう。 私達がお手伝いに行くのはチャリである。高齢で介護が必要な方に負担を掛けられないから、交通費は取れない。だから雨が降ると日を変えて、晴れている時に行くのである。 その様にして努力をしながら行動しているが、政治家は立派な車に、乗って雨が降ろうが関係ないのである。 それも税金から出ている事の自覚も無く、違う部分で予算が必要になれば、国民に税金を上げて負担させれば良いと思っているのが政治家連中である。 ここまで、国民を馬鹿にしても、国民は文句も言わず将来にこの借金が残して、子孫が苦労する事も考えて居ないのは不思議であると思う
2016.08.12
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最近思うのであるが、当事者の方と、それに関わる方との考え方の相違が見られる。 これは当たり前であるが、当事者は当事者意識が強い為に冷静に見る事の出来ない部分があるのは仕方が無い。 それに対して、関わる側が当事者で無い部分で、冷静に見れるがそこには、当事者と同じ経験をしているか、していないかによって大きな違いがある。 今、私が感じるのは、経験が無くて試験に受かり安易な考えで関わる側になる人が多いのではないかと思う。 確かに試験勉強を行ったが、実際に経験や心理的な面で経験も浅い人が、今の日本の学歴社会では多過ぎると思う。 だから、最近は先生の問題や、前回の様な知的障害者殺人等が若い人が起こす事件が多い。 これは現場サイドや現場経験も必要であるが、人の心理的な部分で学ぶ事が少なくなった為であろう。 現代の教育は学ぶのでは無く、覚える教育が日本で当たり前になり知識からの詰め込み教育で成績が決まり、同時に試験で資格を取ればそれで、その分野の専門家として進めるが、そこには人としての教育がなされていない為に、人道的な問題を起こす人が多い。 これは我々が作り上げた、間違った教育方針の様に思う。成績で、その子を善し悪しが決まるわけではないが社会一般では、それが当たり前であり、それによって人の価値を決めているのが現代社会である。 そこには人間としての精神面は教育されずに来た子達が次の世代の教育を行い、教育方針を作り上げて来ているので若い世代の事件が多発しているのであろう。 私は道徳主義者では無いが、人道的な教育は成されるべきでありそこから精神面を充実させて行くべきが、詰め込み・覚える教育は、現代社会では終わらせるべきであると思う。 同時に試験も心理面での項目も必要であり、人の心が分からずに居る事を変えて行くべきであろう。 特に人道的な試験に関しては、心理面の強化が必要であり同時に現場サイドや心理テスト等を行うべきであると思う。 この様に感じるのは、私が高齢の方等のお手伝いを行っているがそれなりの国家試験を受けて免許を取得しているが、心理的な面で分からない部分が多い方を感じるからである。 これは、現場サイドを経験して積み重ねる事なので私達も伸ばして上げる為には、努力して行かなければならないと思う事が多い。 若い人の中にも、チャレンジしようとする気持ちを持った人も多く見るので、其の人達を年寄の叱咤激励を行って行こうと思う最近である。
2016.08.11
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最近、私が良く言われる事であるが、「お金の成らないのに、良くやるね」と問われる。 その人から見ると、私の行為は馬鹿馬鹿しい様に見えるのであろう。確かに、一般的に考えると普通ではない考え方かもしれない。 前回伺った高齢の方にも言われたが、何故と問われると私の答えは「自分が思うままに」としか答えようがない。 私はシステム屋であった頃は、稼げたし、普通の人の倍は稼いでいたが、私は技術的に、のめり込んで居ただけでありお金を稼いでいたとは思って居ない部分があった。 ただ、家族が居たので、稼いで食べさせる義務があるとは感じていたが、半分以上は自己満足を満たす為に働いていたと思う。 其の結果が、給与として貰えて家族を養えたと思っている。どうも技術屋の悪い所なのか、自分の技術に酔いしれているのが私であった様に思う。 だから、自分が独立して会社を立ち上げても、儲けを考える事が出来なかったので、自分は社長に向いて居ないと悟り、会社を他に渡し、そこから去ったのである。 まだ、30代前半であったが、自分なりに考えた行動であったと思う。独立したのも、若かりし頃なので生意気盛りであり、一国一城の主を考えての行動であった。 その後もシステム屋として企業や個人でも稼いだが、最終的には何も残らなかったのが現実であるが、残った物は自分なりの技術的な考えと、人を育てたいと思う気持ちが、多少なりにも残ったのであろう。 私は、それも人生で学ぶ物があったし、人に対する考えも残ったと思う所がある。私に残っている物は、ブログを長く読んでくれた方は分かるが少年時代の経験と、青春時代の経験が人に対しての、今の対応を作り上げて来たと思っている。 だから、他人から見ると何故にと思う事も、私の経験から来た物の借りを返しているだけだと思っている。 それなりの経験をして、多くを学ばせて貰い、助けて貰ったり戦ったりして、多くの人を傷つけもしたし、助けられもした事が今の自分を作り上げている事は、間違いないので、その借りを返しているだけである。 確かに一般的に見ると馬鹿げているかもしれない。だが、馬鹿げた人も居なければ、世の中は殺伐とした物になり人を思いやる気持ちや、労わりの気持ちを持てないであろう。 多くの人は、何かしら人に助けられているが、それに気が付かないで、自分がやったつもりに成ってしまう方が多いように思う。 私も若い頃は、自分がやって、ここまで成ったと思っていたが良く考えると家族に支えられ、多くの人に支えられていた事を忘れている様に思うものである。 それが若さかもしれないが、それは、それで若さなのであるから良いと思うが、歳を重ねる毎に自分を知るべきであるがそれが最近は、その様な考え方が世間から、消えつつある事を感じている。 あくまでも人は一人で生きている訳では無いが若さからなら許せるが、年齢を重ねた方は自分の歩んで来た道を振るかえる事も必要であろうと思う。
2016.08.10
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今回、私が作ろうとしているプログラムは、私が行っている高齢者のお手伝い関係のシステムであるがこれは、あくまでも判断基準の一部であり絶対では無い。 基本的に私はコンピューターのシステムには絶対は無いと思っているし、使う立場によって判断が別れる事を防ぐ為の物であると言う観点で作る。 また、自分のボケ防止に成るかもしれないと思っているがただ、今の高齢者の方達の、お手伝いの役に立つ物を作って見たいと思っている。 半分以上は自己満足であるが、現場サイドを考える方法の一つに成り、次のステップの為に認めて貰える物にしたいと思う生意気な考え方なので、多少時間は掛かるが作り上げる事にしたのである。 今回は、高齢者の依頼する側と手伝う側のマッチング等をシステム化して、それを参考にして貰い、地域や性格等詳細部分で、地域の範囲内で、お手伝い出来る人と範囲をマッチングさせて行く物を作成しながら、状況によって改定しやすいシステムにしたい。 ただし、依頼側が重点に成るので、チェック項目が多くなるし長く使えるようにするのと、機密保持性を考えて作りたい。 基本的には、依頼側の地域と、お手伝いする側の地域と出来る範囲を自動的にマッチングさせるのと、現場サイドの要望などや依頼側の便利屋扱いかも考慮できる判断を重点にする。 私の性格なので、相当な基準値を取り入れて、ある程度の判断は、このシステムで行えるようにしようと思っている。 システム作りも被災地等では行ったが、久しぶりなのでボケた頭をフル回転させて行かなければならないであろう。 ただ、凝り性なので判断基準は、相当厳しい物に成るであろう。その前に、このシステムを使う人の状況と判断基準も考慮して行かなければならないので、システム内容と使う側の利便性を考えているが、あくまでも、これは依頼される側と手伝う側の判断基準の一部と考え、最終的には人が行って判断する為の物として使うし、手伝う側、依頼する側の実際の行動した状況も入れて行くようにしたい。 構想的には概略は決まっているが、これから色々な面で詳細部分を作るので、時間を要する事に成るが、私も他の事もやっているのと、資金を掛けないで作って行く。 資金を掛けないので、既存のシステムで何処まで出来るか?別な部分で自分のボケ防止に成るだろう。
2016.08.09
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今月は予定外の事が入って来て、いささか戸惑いがある。ましてや、この猛暑で、動きが鈍い状況の中なので高齢者には辛い部分がある。(笑) 自分では高齢者と言う意識が殆ど無い人なのであるがただ、この猛暑では動きたくない気持ちがあるが結果的に予定をコナスしかないのである。 私は自由に動けるだけ幸せであると感じている。私がお手伝いをしている方は、車イスや歩くのがヤットの方で私の様に動く事が出来ない方が殆どである。 私も大腸がんで入院していた時や、その他で入院して動ける事の有難味を感じた事は幾度もあったから今、お手伝いをしている方の気持ちも分かるし、その方達が頑張って居ると、つい応援したい気持ちになるし動ける事を望むような気持に、持って行って上げたいと思う。 こんな事を書いて居る自分は生意気であるが、自分も幾度も挫けたり、死にそうになって気弱になった事もありそこから立ち上がる事が出来たのは、多くの人達から学んだ事が大きいと思っている。 人は自分の経験から、多くを学ぶものだと思うし、それを生かすも殺すも、自分の気持ちと他の人からの助けであると思うのである。 聞いて学ぶよりは、経験して学んだ事は、自分の身に成っているので、それを生かす事が出来るが、自分の経験を、そこで止める事だけは私はしたくないから、前に進む事しか考えていない。 先日も社協の方からも言われたが、貴方は80歳に成っても今と同じように飛び回って居るでしょうねと言われたがその頃は、きっと口だけが飛びまわって悪態をついているであろうと自分で思っている。 それで無くてもクレーマーであるから、身体が動かなくなっても口だけは達者で悪態爺に成りかねない、存在であろう。 確かに私は色んな面で文句を言うが、それは改革的な事を提案して居ると思っているし、社協の方も提案と受け止めてくれている。 私の考え方は現場サイドを考えて変えないと、変わらないと思っているので、私自身が体験して感じた事を言う事が多い。 仕事もシステム屋であったが、前にも書いたがシステム分析を行う場合は、現場の仕事を体験させて貰い、そこで工程や人材の能力を分析してから、システムの設計を行う事をした。 だから、幾度も管理職に成ったが、遣りたいようにやるにはどうしても上に立たなければ認めて貰えないので管理職はやったが、最終的には現場サイドに入ってしまうタイプである。 これは、最後まで治りそうも無いし、これからも同じであろう。今回の社協に提案した事も、自分なりにプログラムを作り相手に納得させようと思っているが、プログラム等しばらく作って居なかったので、新たに色々な事を学び、考えて、これと言った物を作り上げようと思っている。 それ以外に予定が入っているので、自分自身で墓穴を掘っているのであろうと思うが、実際に見せて相手を納得させる事に向かう。 頑固親父は、何時まで経っても頑固なだけであろうがそれが自分の行動の源に成って居るのであろう。
2016.08.08
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先日、ある会場でロボットを見せられた。今やAIで、ロボットも色々な事が出来たり、人の相手が出来るプログラムが多彩に持っているのを感じた。 確かにロボットは、これから多くの事が出来るであろう事は分かるのであるが、あくまでもロボットでありコンピューターのデータの集まりであるとしか、私は思って居ない。 私は長くシステム関係の仕事をしていたので、コンピューターに関しては、良さも分かるが、別な部分では何処まで、人間社会で信頼出来るかも分かる部分がある。 確かに色々な経緯のデータを持つ事によって、人間が考えられない事を、寸時に解析する事は出来るであろうし、正確にコナス事は出来るであろう。 人は、あくまでも自分の経験範囲内で判断するしかないので一人が蓄えている物はタカが知れている。 所がコンピューターは、多くのデータを蓄積しているので色んな事に対応出来る事は間違いない事である。 だが、そこには感情が無い事が問題であるし、これからの社会では、人間としての感情の部分を置き去ってゆく事が、人間が行ってゆくであろう思えてならない。 人間として便利さと正確さはコンピューターに頼り、それを優先する事は、人としての愛情が欠如しかねないと私は30年前からシステムの仕事をしながら思っていたが現在は、其の状況に入り出して居ると思う。 人は便利さや、知的能力に弱い為に、IT機器に頼り人としての何かを置き去って来る事に、気が付かないで居るのであろう。 私はシステム関係の仕事を40数年遣って来たがコンピューターの便利さや確実性は認めるが、それに溺れる人達も多く見て来たし、私達も溺れさせる為に、それなりのシステムを作り上げて来たと思っている。 それは、私はコンピューターは、あくまでも道具であり、その道具を如何に使いこなすかを考えて来たのであるがシステムを使う側は、自分たちの生活の中まで入り込んだITを道具としてでは無く、生活の一部として扱い出したのである。 これが危険行為であり、それを狙ってメーカー側も売り込みそれに乗っかった人達が殆どであろう。 初期の段階は、人も便利な道具として使っていたが、それが、道具から進化する毎に生活や人との関わりまでに入り込んで来て、それが自分たちの表現方法までに現れていた。 ネットの発達と供に、人は感情を文字などで表す一部として取り入れ出したのが現代社会で、それが生活の一部であり感情も表現出来ると勘違いしている人が多過ぎる傾向になり人は自ら本来の人としての部分を忘れたのであろう。 ここまで書くと、宗教的に成りかねないので、私は困った時の神頼み主義なので、宗教的には関係ないから書きませんが、確かに人は便利さに弱い。 私は今回のロボットを見せて貰った方に、「感情が無いからただのデータの集まりで、愛が無いですからね」と言ってなお且つ、女性の方に「貴女、これと結婚するだけの愛情を持てますか?」とまで言ってしまいました。
2016.08.07
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またも、社協でクレーマーをやってしまいました。一昨日にお手伝い行ったのですが、その方はまだ元気な方ですが一軒家のお住まいの方で、部屋の中は汚れて居ました。 本人曰く、物を捨てられないタイプなのでこうなってしまうとの事でしたが、確かに散らかっては居ました。 それに関しては、私は驚く事が無いのですが今回の方は、介護関係は受けて居ないで、社協の安全見守りに登録されて、私達の存在を知り、本の整理を依頼して来たようです。 前回は他のスタッフと社協の方で行った所ですが、全部が終わらなかったので、再度、依頼との事でしたが、私の思った通り、話好きな方であり今回も社協の方も一緒に来たのですが、私一人で処理できるので社協の方が居ると話しが止まらないので、先に返って貰う事にしたのです。 そこまでは、好いのですが、それから延々と話が始まり私が処理している間中、話が止まらない状態でした。 それが1時間でしたが、一般的な話なら、それ程、疲れないのですが、哲学的な部分に入り、持論を述べられると、私もついて行くのに四苦八苦状態であり、帰りは、疲れがドット出てしまいました。 ただ、元気な方なので、まだ自分なりに行動も出来、歩く事も問題が無いようでしたので、個人的に自分でも出来る範囲だと感じたのです。 昨日、社協に報告書を持って行き、今回の方は一人暮らしであるがそれなりに行動も出来る方なので、今後の対応は必要あるか疑問に思うと言ったのです。 単なる便利屋的に使われる事は、問題があるし、それを依頼の受ける社協側にも、問題があると言って、確かに一人暮しであるから、問題が起きる事は考えられるので、別な方法を考えるべきであると、前に書いた方法を提案したのでした。 前日にも、社協の方で、其の関係のトップに方とも話したのであるがその方は色々な方面に活動を行っているので忙しい方で私が社協と関わる事に成ったのは、この方が居たからなのでその方も今年度は、私達が関わる部門も見るようになりその方とも話したのですが、介護予備軍を見守るには短時間で話をしながらと言う提案をしました。(前に書いた提案です) 昨日は、今後は安心センター化を行い、一人暮しの方に機器を与えて、問題があった場合はボタンを押して貰う事も考えているとの事でしたが、私はシステム屋が長かった割にはその面に関しては問題があると思っているのです。 確かに緊急時には、その様なシステムは好いと思いますがその場合は、既に問題が起きてしまっている状況が殆どであると思うのです。 基本的には対人で、其の人達の状況を把握して、話を聞いてあげながら、状況を見る事も必要で無いかと思うのです。 機器を使う場合は、其の人が既に問題が出た場合なのであるから予備的な対策とならないし、なるべくなら対人で、話を聞きながら状況を見て上げ、一人住まいの高齢者の見守りを行い人との繋がりを持つ事が大切だと思うのです。 最初の段階は、相手の方も本音は言ってくれないでしょうが幾度か顔を合わせ、短時間でも話を聞く事により、相手の方も信頼して貰える場合もあると思うのです。 また、私達スタッフは、社協が募集するが、稼働している方が45%程度であるのと、地域的に広いので依頼を受けてもチャリ移動なので、範囲が決められてしまうのが現実なのです。 それを考えると安全見守り登録されている方も居るので見守りを一定期間に行う事により、近隣のスタッフも稼働出来るしスタッフも高齢の方も多いので、力仕事では無い部分で活躍できると思うのです。 それを社協は取り入れて、お手伝い希望や安全見守り登録されている方達に広報する事と、お手伝いスタッフの稼働も考えるべきであると言う事を言ったのです。 同時に社協は現場サイドとの意見交換がなされていないが為に便利屋的依頼も多くなり、それではスタッフも離れるであろうとも余計な事までクレームを付けてしまいました。 最後は、私も社協に協力を断りたい心境であり、辞する事も考えると言ったら、特別会員にするので在籍をと言われたが、私も新たな事に向かおうと思っているので、何時まで在籍するか、考慮中ですが、社協側は離してくれなそうです。
2016.08.06
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私は良く「学ぶ」と言う言葉を使う。「学ぶ」と言う言葉は、取り方によっては非常に良い言葉に聞こえるが、私にとっては人の行動や考え方、話し方を見て取って観察して、自分なりに、次のステップにする事である。 だから、一般的な人達が考える「学び」とは違っているかもしれない。人は、それぞれに行動や話し方に癖があると思う。それは、人を引き入れる話し方をする人も居れば、自己主張を前面に出して、自分の意見を正当化する方も居る。 それぞれの癖によって、私なりの対応を変える事も必要になる。本当は皆、同じであれば、自分を出して行けるから楽なのであるがそれは絶対にあり得ないし、相手の意見に対して共感できる部分もある場合と、出来ない部分があるが、反対意見を言うとそれが倍に成って返って来る事もある。 私の様に高齢者のお手伝いをしていると、どうしても個性の強い方が多く、自分の意見を曲げない事が多い。 その場合は、聞き役に徹して、聞きたくない部分や幾度も聞いた部分は、聞き流す事にしている。 また、別な部分では、その方の経験談から、私の知り得ない部分も聞く事が出来るので面白く聞く場合もある。 考えて見れば、これは「学ぶ」のでは無くて、自分の要領よさを取得しているのかもしれないと思っている。 ただ最近は、自分も聞き役に徹する事も疲れを感じてしまう事が多くなって来て、お手伝いが終わった時には、グッタリしてしまい今後、続けられるかを考えてしまう。 それは、相手の方と会話の中に、自分との接点がある場合なら聞いても分かるが、高齢の方は、それなりの経験から来る哲学的な物を持っているので、自分を曲げる事をしない方が多いのである。 そこには別な部分で、自分なりに人の対応の仕方を学ぶ部分はあるが、私も高齢者の部類なので、我慢して意見を言わない事が、辛い事もあったりする。 だから、私がブログに書く「学び」は、人を観察して良い部分を吸収して、悪い部分に対する対応を次のステップに生かそうとしている、生意気な部分なのである。 学びとは、そんな物なのかも知れないが、色々な人達から吸収して自分なりの糧にする事なのであろうと思っている。
2016.08.05
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今の政府は言葉で操る政治を行っているように思う。地方創生、一億総活躍等と訳も分からない省庁を作り果たして、政府の言う事が実行出来るのであろうか? 政治家自体は言葉で稼いでいる連中であるから、訳の分からない省庁を作るが、果たしてそれが具体的な政策案を出して居るかと言えば、何もやって居ないも同じで言葉が先走っているだけで、政策は何をやって居るか分からないのが現実である。 今回も内閣改造を行ったが、従来の専門知識も無い連中がこれから各省庁の長に成りますと言うだけであり当選回数が多いから、大臣と言う座を、次の選挙の為ように貰っているだけで、実行力のある人は殆ど居ないであろう。 実行力がある人は、トップを狙うであろうし、大臣職を貰い地方で「おらが、議員先生が大臣に成った」と騒がれるだけで官僚の書いた政策筋書きを代弁しても省庁のトップであると言うだけ、民意を反映させる事等出来ないのが政治家である。 今や本当の政治家は皆無に近い状況であり、国民の税金で給与や経費を無駄使いしているだけの連中が政治家でありそこには政治の「せ」の字も分からない人も多数居る。 前日も書いたが、26兆円の経済対策を行うと言っているが誰の為にと疑問を感じる。今までの経済政策で国民は潤ったのであろうか? 潤ったと感じたのは、大企業だけであり、庶民は潤ったと感じた人は殆ど居ないであろう。 今回の経済政策も、最終的には大企業が主流であろう。大企業が潤うと、政治家の懐に金が入るが、庶民には何の恩恵も無いであろう。 政府は大企業が潤えば、庶民も潤うと思っているのであろう。それでは政治家の単純な考え方であり、大企業が潤ってそれが社員にまで、達するのであれば、確かに庶民も一部は潤うであろう。 だが、現状の世界経済状況では、大企業も不安定な状況を予測して、内部保留を行い、次の対応に蓄えるであろう。 どう考えても、最終的には政府は株価操作を行いそれによって経済が安定している様に、国民に思わせているが株自体が世界経済で動くのであるから、日本一国がアガイテもそれは一人相撲を取っているだけであろう。 株価操作で年金も大きな損失を出し、それを埋める為にまたしても、大きな追加予算を行うが、その予算は何処から出るかも分かって居るのであろうか。 収入の予定が無いが、支出だけを行えば、それは借金である事は、誰でも分かる事であろう。其の借金は誰が払うのであろうか? 政治家や官僚は払わず、国民が払う事に成る事は目に見えている。無駄な国民の税金を使う連中は、政治ですと言って借金を膨らましていて、そのツケは国民に来る事と将来の日本人が背負う事に成る事を国民も自覚すべきであろうし、政治家も自覚して憲法違反の議員制度を変えて大幅に議員削減を行う事が必要な時期に来ている。
2016.08.04
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政治の世界も転換期に来たように思う。今や政党政治では、民意は反映されない事を国民は分かり出したのであろう。 政党は数の論理だけを考えて、人気投票的人物を公認しているだけで、本来の国民が考えて行動してほしい人達は公認されていない。 政党自体が長年の派閥的シガラミから、数を揃える事を優先して、本来の政策等は一部の連中と官僚が作成して、後は数で押し通すだけが、今までの政治であるから、数を揃える為に、政策等無い、名前の売れた歌手やスポーツ選手等を公認しているだけが現実である。 それで政策は官僚が作った物を代読しているだけでありそこには民意等は無いに等しい状況が今までであろう。 そこには民主主義と言う名の元で、多数決の論理を翳して数を揃える事に専念して来たのが政党である。 今回の参議院選挙は、其の典型的な正当論理を陰に隠して行い過半数を物にしたが、都知事選挙に於いては、政党としての役割は果たす事が出来ないで、惨敗したのである。 ここに都市部での政党離れや、支持政党なしの現象が起き出したのであろう。ただ地方に関しては、私も幾度も書くが封建的民主主義が蔓延っているので、其の部分は起きては居ないであろうが東日本の被災地に於いては、与党の惨敗があった。 今や政党政治で民意等は反映されず、議員の自己保身だけが目立っているだけであり、前にも書いたが当選何回で閣僚とは専門知識も無いのに、省庁の長として名前だけがあるだけでこれでは、只の飾り雛と何ら変わらないであろうし、そこで国民の意見等は通す事も出来ないであろう。 名ばかりの長では、官僚の言うがままに、動くしかないであろう。だから、国会討論でも、答弁に詰まると官僚が助け船を出す姿を多く見る事がある。 これが現在の日本の政治家なのであろう。それを選んだ国民も問題があるが、その前に公認した政党にも大きな責任があるであろう。 公認した政党は数だけ揃え、YESマンであれば好いのであるから人気投票的人物を選び、国民にAKB並みの投票をさせれば良いのである。 国民も投票に行くが、選んで民意を反映させてくれそうな人が居ないので、最終的には投票にも行かない事が起きる。 政治家は国民に選ばれて、国民の代弁者である事を自覚している人は殆ど居ない。 同時に国民の血税で自分たちが給与や経費を使っている自覚も無い状況であろう。 今回も経済的な問題が起きて、大幅な予算を組むがそれも最終的には国民一人一人の借金となる事を政治家も国民も自覚が無いであろう。 今や、政党政治では民意は反映されず、無駄な国民の血税を使い借金大国である日本を、さらなる借金を増やして国民負担が増えているだけの国に成って居るのが日本であろう。 国民も考える時期に来たように思う。
2016.08.03
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東京都知事選も終わり、今後は公約等を、どの様に実行できるかであろう。待機児童や社会福祉の関係、多くの問題点を抱える日本の首都である。 基本的には、前回も前々回も金銭問題で知事が途中辞任と言う事であるから、政治のまつわる金銭の透明化が課題であり、それをどの様にするか、はたまた、待機児童問題であるが、最近も思うのであるが、経済的に女性が働くなくてはならない状況が、日本の現状である。 これは結婚しても、生活の為に経済的に生活が成り立たないのと子供が出来ると、其の学費等に多大な費用が掛かり、両親が働かない限り生活が出来ないのが現実である。 確かに託児所や児童を預ける場所が無ければ、親は働きに出る事出来ない。その為に親は待機児童問題で騒ぐが、そこには子供にとっての何かが欠ける可能性がある疑問も感じる。 今は経済的に生活の為に、女性が働く為に子供を預ける所が足りないという現実は、生活の為にある事は間違いない。 日本は経済大国と言われているが、一般庶民には経済が良いと感じて居ないし、決して経済が良いわけでは無いのである。 それ以外に女性が働く事は、少子化の為に働き手が足りない事や子供の将来的な学費など、多くの要素が含まれているであろう。 また、女性の向上もあるが、そこには複雑な影に隠れた問題点もある事を人は忘れているように思う。 確かに経済的な問題等、前記した事が絡んで来る事は間違いない。そこには子供を、単純に託児所を増やし、預ければ解決する事では無いのでなかろうかと思う。 子供は幼児からの成長過程で、多くを学び、そこから自分なりの指針を作り上げる事が多いと思う。 私達の時代は親から学び、学校から色々な事を教えられて来たが親の姿が、一番私達を作り上げて来たのだと思う。 親の苦労を知り、ある時は優しさを感じ、辛さを感じてそれが自然に子供達は見て来たし、そこには親の愛情があったからであり愛情が私達を作り上げたと思う。 だが、今、託児所なりで子供が預けられる事は、時代の流れとして仕方が無い事であるが、親は単純に、その場凌ぎで行う事には疑問を感じてしまう。 今、多くの若者が残虐な事件を起こすが、そこには人としての愛が足りなった部分も含まれているのかも知れない。 人はその場が何とかなれば良いと思い、其の時、解決すればと安易な考え方の人が多いのは確かであり、今回の待機児童問題も親の都合だけでは無く、子供の観点からも考えて見る必要があると思える。
2016.08.02
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8月に入ったが、予定は社協や其の他から来ている。私の悪い所でもあり、頼まれると嫌とは言わない所があり先月の終わりに書いた、自己満足の計画は危うくなって来た。社協も3日からの依頼があり、5日も依頼があったが5日は自分の予定が入って居る時間とぶつかり断ったのである。今回の依頼は、介護認定されていない人なのであり、前回に他の人が行っているが、話の内容では本の整理等をとの事であるが私の感じでは、其の人は話を聞いて貰いたいのであろうと思う。私も今まで高齢者で介護の必要な方の、お手伝いを行って来たが多くの方は寝たきりなので、どうしても外部との接触が無い為に話す相手を求める人が多かった。聞いてあげる事の重要性も、私なりに理解しているつもりであるがまだまだ、自分の至らなさがある事も分かっているし、聞く難しさも分かり、それに対する返答の難しさもある。これは、人其々の歩んで来た経験が違う為に、考え方も違って来る。社協側は、単純に本の整理ですと言っていたが、前回に行っているのでそれ程は整理する物は無いと私は感じて、社協の人に「相手は話を聞いてほしいのでは?」と問うと、そうかもしれませんと返答があったが、今までも、その様な人達が多かったので私なりに分かったのであるが、ただ、介護認定されていない部分では問題がある様に思える。この方は寝たきりの方ではない様に思うし、単純に話相手が欲しいと言う事であれば、果たして私達が思う、お手伝いするべき人なのかを考えてしまう。私は、なるべくなら介護が必要な方のお手伝いをと考えている。それは、多くの方が寝たきりで孤独感を感じているからその話相手なら、聞いてあげるべきであると思うし、社協も、それが目的で私達をスタッフとして、お手伝いをさせているのであるから、その人達に対してのみ行う事が最初の目的なはずが、最近の介護関係の行政側の変化により、趣旨が変わって来た感じがしてならない。今回は受けて、相手の方の状況を見て居ないので分からないので何とも言えないが、もし、動ける方で話を聞いてほしいだけの方なら今後は別な方法を考えるべきであろうと思う。今、高齢で一人暮しの方が多いのと、外部との接触も無い方も多い。この方達も、介護予備軍と考えて社協も行動を起こしているが社協の行動は、一定の場所を提供して、そこに集まる方を対象にしている。だが、高齢になると足腰が弱り、買い物は出来るが、皆さんが集まる場所に行けない方も少なくない。その様な方は何時、問題が起きるか分からないのであるが高齢者を対象にした犯罪も多いので、私達個人的には行動が出来ない部分があるので、社協に要請があった場合は行く事も必要であろう。ただ、高齢者の方で介護が必要な人は、話が長いので聞く側は疲れとストレスが溜まる事は確かである。もし、今回の方が予備軍である場合は、見守り的に短時間の話を聞きながら、他の同じような方を回り行う事も良いので無いかと思うのである。それによって繋がりを持って、相手の方の体調等や話を聞きながら見守る方法も一つの方法論であろうし、それも必要な時期に来ている事は間違いないので、社協に対して提案しようと思う。
2016.08.01
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