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私は技術屋と思っているが、他の人から見るとその様に見えないようである。人と会った場合には、その人も表情や服装で等で判断する事が多いと思う。私もそうであるが、私は相手の顔を見てから、身なりでどの様な関係の職業かを判断する事が多い。職業的な物は、普段着等をきている場合は分からない事が多いが、性格的な部分は顔を見ると分かる事もある。私の場合は得をしているのか、八の字眉毛であり多少なりとも愛きょうのある顔であるようだ。又、性格的にも楽天家なのか、あまりクヨクヨしないようにしていて、昔の棘が取れたのか、意外と気さくに話をするようになったのが、自分でも驚くほど変わったと思う。私の若い頃を知っている人は、今の私の行動等を見ると変わったと思うであろう。基本部分は変わっていないが、人に対応する部分は変わったと思うのである。私は本来、自分を表現するのが下手であり、苦手なのである。だから、相手に対して表現力の出来る人が羨ましかった。何故に、あれだけ自分を表現する事が出来るのか不思議に思い、それが出来る人の気持ちを知りたいと思った事が幾度もある。だが、最近の自分は、それなりに自分を表現していると思える様な気がするようになった。ただ、表現方法が正面に出すか、内面的な部分で表すかの違いの様に思えて来た。私は自分を出す場合は、それなりに力を付けてからでなければただのハッタリであると、若い頃から思っていたのでそれは実力が無くても、言葉で誤魔かしているだけであると感じていたのである。それは今でも変わらないが、人それぞれに表現の仕方が違うのであるから、それはそれなりに認めるべきである。ただ、長きを見れば、人は性格的なものが自然に出るのであろう。私はあまり自分の行動を表現する事は、今でも下手である。その下手さが、逆に生きるもである事も最近分かるようになって来たし、生かすのも自分の考え方だと思って来た。それは、それなりに、うまく生きていけるものであり年齢と供に自分なりのスタイルが作り上げられると感じる今日この頃である。
2016.02.29
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日本人は戦争を知らない世代が殆どになって来た。戦争の酷さや一般の人達が多く戦争の犠牲になって死に絶えている事を、私はSNSで見る事が多い。だが、一般の人達は、その様な物を見る人は少ないであろう。また、日本のマスコミも殆ど報道しないのが現状である。今、日本で騒がれている安保法案も一部の人達で訴えているのが現状である。私はSNSの報道関係で中東やその他の地域の戦闘場面や記事等を見ると、戦争の悲惨さが多少なりにも分かる。また、そこで犠牲になった人達の悲惨さや、親を失くした子供達、家族等を見ると、戦争とは人間の愚かさを表し自らを追い詰めているように思えるのである。私も戦後生まれであるから、戦争を知らないが戦後の混乱期での貧しさは知っている。日本人は戦争と言う経験はしたが、その経験を踏まえた、教育はなされていないのであろう。日本人の性格から恥は隠し、思い出したくもないし反省もしたくないと言うのが、日本の教育体制に出ている。同時に世界の中で起きている、戦争の悲惨な状況もマスコミは取り上げないので、私達、戦争の知らない世代は他人毎の様な考えしか出来ない。特に日本人は自分に火の粉が掛からないと騒がないし動かない、考えない人種の様に思う。海外の報道機関は、中東等の悲惨な状況を伝えるが日本は伝える事もしないので、あの悲惨さは分からないのであろう。また、今回の安保法案は国民の一部は反対しているが多くの国民は政治家の遣る事だからと諦めている。それは、国民は戦争の悲惨さなど知らないし、他国での悲惨な状況を、日本のマスコミは流さない為に、自分たちには関係ないと思う人が殆どであろう。仮に戦争の悲惨な状況を日本のマスコミが流したなら国民は、それを見て判断するし、人の愚かさやその犠牲になった人達の気持ちも多少は考えるであろう。また、戦争の愚かさも分かり、自衛隊が海外に行った場合にあの悲惨な状況下で戦う事は、犠牲になる人も出ると思って、安保法案に対する考え方も変わると思う。今、若者が安保法案に対して反対の声を上げているのはSNS等で情報を得ているからであり、あの悲惨な状況を、理解している部分があるからだと思う。だが日本人の多くは、他国の出来ごとの様に考えて自分たちには関係が無いと言う国民が殆どであろう。日本は戦争を行い、原爆を投下された国でありながら戦争と言う愚かさは、教えて来なかったのである。今後は戦争の悲惨さも、子供たちには教え、それなりに戦争とは、どの様な物か認識させる必要があるのではないかと思う。
2016.02.28
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最近はSNSが盛んであり、それを自分なりに酷使している人が多い。それは良い事なのである。だが、そこには色んな問題点が出始めていると思う。SNSによって、色んな情報が分かり、相手との連絡事項が出来るし、世界の人達とも繋がりが持てる。SNSを利用する事は、私は賛成であるが、利用価値が大きいと言う事は、それだけ問題点も出て来る。何でもそうであるが、メリットが大きければ、正比例してデメリットも大きくなる。ましてや無償で使える場合は、メリットがあり使い勝手も良い。それを利用して宣伝や個人が商売的な事も出来るし多くの連絡事項も出来る。それが、あるからSNSが、これだけ発展したのであるが多くの使う方がメリットだけを考えて使い、広げて行くがそこにはデメリットもある事を理解していない傾向がある。SNSは広がりを持てるツールである。広がる事は複数の方が見て情報を得る事が出来るがそこには必ずや落とし穴がある事を気が付いていない人が多い。私の場合は、友達は最小限に抑えるし、自分から友達申請はしない。それはシステムをやっていたので、問題点が見えるからなのである。問題点とは、前にも書いたが一人の友達が複数の友達を持っていたらネズミ講式に広がるので、自然に個人情報が漏れる。その場合、私の知らない人が、どの様な考え方でSNSを利用しているか分からない。世間一般でも当たり前であり、人は色んな考え方や行動は雑多であるのと同じようにSNSの利用方法や目的が違う。私が見る限り、SNSを利用して自分の宣伝や行動を表示して友達を多く持つ方が居るが、その方達の傾向を見るとメリットだけを考えて行っていて、デメリットが出て来て人間関係を壊して居る傾向がある。また、自分の行動範囲を宣伝しているのは良いとは思うが必ずや問題点が付きまとう事を自覚すべきであると思う。だが、SNSはあくまでも表面上の物であり、人間としての深い部分は文面だけでは探れない事を考えて使うべきである。同時に自分を表現する事は良いが、相手の捉え方は人それぞれに違う事を理解すべきであるが、それが出来ていない部分を多く見える事が多い。その様な方は友達数も多いし、それは色んな考え方の人が居る事を自分なりに考えてSNSを使うべきであるが、それが出来ていない人が多いし、便利さだけを考えている為にトラブルが発生している人が多い。SNSを広告媒体的に使う事は良いが、前記したように必ずや友達数が増えると、トラブルは起きる事を理解すべきであるがそれが出来ていない人ほど、広告媒体として使うがまた、トラブルに対する批判的な事を公表する傾向が強い。これは、私は考えものであると思う。友達の数が増えると、この様な問題は付きまとう事は当たり前であり、それを公表する事により自爆する可能性が大きい事も考えるべきであろう。SNSは自己管理が必要である事は、はっきりしているし発言した事に対しては、自己責任であり、雑多な捉え方があると言う事や、それなりに問題点も出る事を覚悟して使うべきであり、それに対しては個人的に反論すべきである。それがSNSを使う場合のルールであると私は考える。
2016.02.27
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弱者は何時までも弱者で居る事になるように思う。貧困格差が広がると、尚の事、社会的にも弱者は救われないのが社会の仕組みなのであろう。それは、弱者自体が声を上げないからもであるが、声を上げても個である為に反映されないのであろう。日本の政治体制では弱者救済と政治家は言うがそれに対する政策は、本来の弱者を救う為の物では無く選挙用の政策にしか過ぎない。これは政治家からすると、票にならないから力を入れないし日本の政治体制は、封建主義の名残が強い為に金持ち第一に考え、次に票田になる組織を取りこむ事しか考えていない。弱者が何故に政治の世界で取りあがられないかは弱者が纏まらないで、個であるから政治家にとっては何の取り柄もないし、得も無いと思っているからであろう。世間でも弱者に対する風当たりが強い為に、弱者自体が声を上げられない仕組みになっている。同時に政治家自体が、弱者に対する考えも無いに等しい。確かに貧困生活を経験していないから、政治を遣りますと言っても向いている方向は、金持ちと票田になる組織側であり個の意見等は聞いては居られないであろう。だが、今の日本は貧困格差と高齢化が進み、多くの弱者が出るであろう。それに対する政策は、企業に対する政策から見ると微々たるものであるし、政治家も相手にしていないのが現状であろう。これは弱者が個であるが為に、意見を言っても政治には届かないのであると思う。これが、弱者同士が集団化して、強い発言力を持つと政治家もそれに対して対応するであろうが、今の様に発言力が無い状態であれば、政治家は相手にしないし対応もしないであろう。政治は弱者を救済すべきであるが、それに対する考え方は政治家も官僚も表面的な事で、取り繕い政策も陳腐的であるのが、今の政治であろう。
2016.02.26
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今日は高齢者の方の所に、お手伝いに行く。2月最後のお手伝いであろう。前にも書いたが、社協と行政の狭間で自分の行動に疑問を持っているので、昨日、社協に行き話し合いをした。来月で社協からの認定が終了するので更新依頼が来たが私は更新しようか迷いがあった。それは私の場合は、社協から依頼されて、高齢で介護が必要な方の行政から派遣されているヘルパーの隙間をお手伝いしている。私の行動範囲は社協の制約の中で動くのであるが、私の場合は、制約から離脱する事を何回も繰り返すのである。私の、お手伝いの優先順位は人としてが先に来る。あくまでも人間関係を大切にしたいと思うし、それを優先する事で、信頼関係が生まれると思う。信頼関係が出来たら、その人の意欲を引き出してあげる事をしたい。それによって高齢で介護の必要な方でも、別な面で自分なりの生きがいを持てると思うからである。だが、そこには人対人の繋がりが生まれる事が必要である。繋がりが生まれて来るが、そこには制約と言う壁が出て来てそれを妨げる事が多くなる。同時に高齢の方も我儘が出て来る事になる。我儘は私がコントロールすれば、何とかなるように話が出来るが意欲の場合は、行政と社協の制約と言う壁が立ちはだかる事が多い。それに対して私なりの行動を起こすのであるがそこが制約違反に成る部分が多いのであり、違反と分かって居ながら、私は自己責任で行動する。私が行動する場合は、必ず社協に言ってから行うがその様な私であるので、社協に迷惑がかかるから更新を控えようと考えていた。だが社協側は更新してほしいとの考え方である。私は更新しても良いが、社協側の制約の問題点も改正してくれる事を約束できるなら更新すると言った。生意気であるが、今の方が私を信頼してくれている事を楯に取っての行動である。まず、社協の制約自体に改正点が必要である事は間違いないと言う事を社協側も認めつつあるが、私も組織に居た人間なので簡単に変える事が出来ない事は分かっている。だが、今の国の制度では、高齢者に対する制度自体に多くの問題点を抱えている事は間違いないし、同時に、これからもっと介護が必要になる方が増えるがそれに対する予算も削減状態である。机上の政策案では、現場サイドや、そこに働く人達の問題点が抜け落ちている事が多過ぎる。私は高齢者の方達と接して、今後の問題点を敏速に変えそうしなければ高齢化の加速化に追い付かないと思う。苦言であろうが、良き方向に変える為には、私は制約違反でも個人的に行動する事を社協にも言って、それを了解して貰い更新する事にした。ただ、私の行動は自分なりに責任が持てる範囲であり社協の制約から、大きく離脱する事はしないしあくまでも社協からの依頼で動いている事を前面に出し、個人としての行動は行わない。これからも高齢で介護の必要な人達の立場で考えて変えて行きたいと思っている。
2016.02.25
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私も年齢なのか、意固辞に成る部分が出て来た。元々、若い頃から性格的に個人プレー型なのか、集団行動を好まない。これは、私が少年時代に施設で育ったので集団生活が当たり前であったが、施設でも別格扱いを受けていたのであるからなのかもしれない。別格とは、それなりに学校でも認められて、まずまずの成績であり、学級委員や町内の子供会長等をやったのが、施設では始めてだったので、学校では問題が無かったが施設では別格で、イジメも対象にされたのである。その事から施設内では、上級生から睨まれて呼び出されて殴り合いをやらされていた。上級生も卒園して、自分が上に成るようになってからは私に対するイジメも無くなったが、イジメを見るとイジメる側と言い争いを行っていた。逆にイジメる奴らを見ると潰しに掛かるのであるからその様な連中からは敬遠された。子供の世界では気持ちの弱い者や自分たちと違った行動等やり方が違う者は、集団生活では違和感からイジメに発展する傾向がある。大人の世界でも同じであるが、制約から、はみ出す人は阻害されるか、違和感を持つのと一緒であろう。だが、時代の流れや環境の変化で、それを変えようとして声を上げると、世間から違和感で、最初は見られてしまうがその人が言っている事に正当性があっても制約や規格から外れると、集団心理が先行して受け入れない。私の様な個人プレー的存在は、正当性を主張しても相手にされない事が多かった。だから私の様な人間は、実行して存在感を示して行く。正当な実行を行い、変えて行くのであるが、それには時間が掛かるし、実力も付けて行かなければならないので自分は学ばなければならないが、逆に反発も大きい。だが反発も大きいから、自分なりに利口になる事も間違いない。自分の意見を通すのに、実行して正当に行っているのであるから相手側は認めて行く事に成る事が多い。ただ、それには自分なりの信念を持たなければならないが幾度も挫折して学んで来たように思う。考えて見れば、私は変人なのであろうと自分なりに思う事が多くなって来た。この様に考えるのも、現在までの歳を重ねて来たからであろう。若い頃なら、反発して仕事で負けさせて相手に認めさせたが私も多少は利口になって来たのか、覇気が無くなって柔らかくなったのかは分からないが、それなりの方法を自分で作って来たように思う。
2016.02.24
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私は仕事に関しては現場サイドを好むタイプである。これも年齢が行ってから、その様になったと思う。私の若い頃は出世したい気持ちが先に立ち、ガムシャラに仕事をして来た。それは若い頃は自分なりに仕事を覚えたいのと自分の意見を通す為には、上に立たなきゃ何も出来なかったので出世を考えたし、現場サイドでの発言力を付けたい野望を持っていたと思う。ある程度仕事が出来る人は、自分なりのしっかりした意見を持っているし、それなりに仕事が出来ると私は思う。だが上に立つようになると、指導力が問われるようになる。指導力=仕事が出来るでもあるが、それなりの信念を持たなければならない。だが、信念も上に立つごとに組織と言う枠に、はまらなければならい。組織は、それなりの約束事で動くのであり、その約束事から外れたら組織は成り立たないので良いと思った事でも約束事に反すると部外者扱いにする。これは、組織を維持する為には、当たり前の事であるしそうしなければ纏まりが付かない事に成る。ただ、組織も時代や情勢の流れで変革して行かなければならないがそこには大きな決断が必要な事に成るのである。私も出世すると言う事は、組織の約束事を守る立場になるのであるが私の性格上、先読みで行動するので、今度は上とブツカル事が多かったように思う。私の場合は、技術的な事を自分なりに考えて行動したいのでどうしても、約束事に縛られて動きたくないし、その様なった場合は、大体ブツカル事が多かった。ただ、仕事がある程度出来たので、組織としては責任ある立場に付けてしまっているので、私の意見も聞いてはくれたが本来なら組織人としては適正でないタイプである。だから私は一匹狼で仕事をする事が多かった。一匹狼は仕事が出来なければ、相手にして貰えないのでそれなりに努力をしなければ食べてはいけない。そんな事で自分なりの信念を持ちながらやっては来た。それで後悔は無いのである。人はタイプ的に個性が強い人と、周りとの調和を取れる人が居ると思う。私の様な人間が、自分の個性を捨て去ったら、ただのボケ老人であろうと思う。
2016.02.23
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システム的な考え方は、私なりの持論を持っていたが問題は人を育てる事が出来ない事に悩みがあった。その為に、如何に人を育てるかを自分なりに体験したいと思う気持ちと、自分なりに考えたプログラムを作って見たいと思う気持ちで学校に勤めた。学校の場合は初歩から教えるので、企業での教え方とは違って来るが、教えると言う基本は同じであろう。私の様に技術に没頭するタイプは、教える事に関しては自分の経験した事をやれということに成りかねない。だが、学校で教える事で良かったのかもしれない。企業で教える場合は、それなりに学んで来た人や経験がある人を教える事に成るので、こんな事も分からないのかと思ってしまう事が多いし、それなら俺がやった方が早いと思う。また、利益を追求するので納期を優先する事なる。その場合は如何に早く終わらせるか、如何に問題を解決するかである。その繰り返しで仕事を行い、徹夜や残業が当たり前なので仕事優先になり、人材育成は後回しになる。その頃は、企業のコンピューター化の全盛であり、仕事が、後がつかえている状況なので、どうしても早く行う事が重要であった。だが、学校の場合は初期から教えるので、生徒の適正を分析して教え方を変える事も出来た。人に教える事は、私は生徒たちから多くも学ばせて貰ったように思えたし、逆に生徒たちから教えられたように思う。それから、幾つかの専門学校や短大を教えて、故郷に帰り車イスの方にパソコンをボランティアで個人的に教えて自己資金が尽きて、企業からのヘットハンテングで企業に戻り、またもや過酷なシステム作りを行った。酷い時は札幌一週間、東京一週間と長期に行ったり来たりしていた時期もあった。だが、システム業界も陰りが出て来て、価格競争となり経済的な不況を受けて、資産が無いシステム会社は自滅の道を辿る事になったのである。確かに私は思うのであるが、紙と鉛筆と頭があれば成り立つ仕事なので、資産的価値は人の能力だけでありそれに対しては、銀行等は融資しない。その為に多くのシステム会社が倒産して行った。私は管理職もやったが、現場サイドが好きなのでそれなりに他社から口が掛かり、システム構築を行う事が出来て、海外にも行ってシステム構築の仕事も出来たのである。ただ、パソコンの発達と供にシステム構築でプログラムを作成する事は少なくなったが、今でもシステム構築のノウハウは生かしたいと、自分なりに学んでいる。終わり
2016.02.22
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私が企業に居た時は、システムを構築する会社との打ち合わせでシステム設計を行う。それは、相手企業からの希望でシステムを作るので自分なりに考えたシステムは作れないが、学校で教えていると授業以外は自分の時間となり、自分で考えたシステムを作れた。私は、システムは、コンピューターを如何に流用して人間が便利に楽できるかを考えるタイプである。その為には、最初に問題点を主に考える事にしている。それは、人が問題がある部分を解決できれば楽が出来るし新たな事に挑戦する事が出来る。だが人も仕事も問題点が解決しても、又、問題点が出て来る。同時に人は次々に新たな事を求めるものである。私も同じで、自分で作ったシステムには満足する事はない。それは人間の性なのであろう。また、技術は留まる事を知らない物であり、周りの環境や機器のよって、新たな物を考え出さなければならないのであると思う。特にコンピューター業界の進展は速く、特にハードに関しては、スピードの速さは目を見張る物があった。そこにソフトが付いて行くには、人間が考えたプログラムが必要不可欠である。だが人間は完全とは言い切れないし、完全だと思う人が居たらそれは進歩が無いと同じである。また、コンピューターはハードとソフト、それと人で成り立っている。私達、技術屋が忘れがちなのは、人で成り立っている部分である。技術的に良くても、高度な機器でも、使う人が使いやすくする事と人が使う事を主に考えなければならないのが技術屋の宿命である。私もコンピューターを始めた頃は、自分なりの考えで動くプログラムで満足していた事もあるが、あくまでもコンピューターは人が使って始めて生きるものであると考えるようになった。だが、そこには使う人は能力的に違いがあり、それらを全部考慮する事は不可能である。だから、私はシステムを作る場合は、現場サイドで仕事をさせて貰ったり、長期で見させてもらい問題点を洗い出してからシステムを分析した。コンピューターは人が使う事を主に考え、そこには人が便利に使う為の道具と言う観点からシステムを作る。それでも人それぞれの能力的な物を完全にはカバー出来ない。また、コンピューターを生かす為のデータは人が作る事である事も考慮して行かなければならないと思ったのである。続く
2016.02.21
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私は高齢で介護の必要な方のお手伝いを行っているが色んな面で問題意識を感じる。実際にお手伝いを行っているが、そこには色んな部署が関わるのであり、その制約等で疑問を感じる部分が多い。長くお手伝いをしていると、相手の事も、ある程度理解出来るし相手も私を信頼して貰えるのである。だが、そこには相手も信頼するが為に、我儘も出て来る。また、私自身も相手の言いたい事も理解出来るようになる。それは互いに理解し合うからであるが、だが、私達の場合は制約があるので、相手の言い分を全部聞く事は出来ない。それは相手に理解して貰うしかないが、だが出来る範囲であればやって上げたい気持ちに成る。高齢で介護が必要な方は、それなりに行政からの制約もある。そこには臨機応変と言う言葉が通じない事が多い。また私達が関わっている社協も制約があり、社協と行政の狭間で悩まされる事が多い。私の考え方は、高齢で介護が必要な方が、自分から何かを求める事に関しては手伝って上げたい。それは自ら望んで動こうとする事は、その方の意欲を感じるからである。だが、その意欲の部分も行政側と社協側の両方がブツカル場合は私の場合は社協側の制約範囲でしか出来ない。その時は、私は社協に、私自身がボランティアとしてやりますと言ってやる事が何回かある。その場合は私個人で動くので、社協も黙認するが私は自ら動こうとしたり、何かに対して意欲を引き出してあげる事は大切なことであると思うしその為に私達がお手伝いしていると思っている。今回も、そうであったが、その部分は出来ないと社協か言われたが、私は社協に断って、勝手に行動を起こした。それは、あくまでも私個人の行動と言う事で了解を取った。一人暮しで孤独感の中から、相手の方が何かに向かっていこうとする意欲は大切であると思うのであるが、それが臨機応変に出来ない事が多い事を感じてしまう。人は意欲が出た時は、別な部分で自分なりに考えて行動しようとすると思うし、私も何かに向かって行く時はそれなりに自分を鼓舞する。それを引き出す事が出来たら、良いなと思う気持ちでお手伝いするが、制約と言う狭間に立たされてしまう事が多過ぎるこの頃である。私の性格で断ってから、勝手にやってしまうがこれも問題がある事は理解出来るが、意欲をそぐ事だけはしたくないので私は動く。問題は私がお手伝いに行けなくなった場合は、他の方が行く事になり相手の方が「前の人はやってくれた」と言われても制約を守る方なら、断る事に成るであろう。これは必ず起きる事は分かっているが、私は、この考えを変えようとはしないであろう。
2016.02.20
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又もや、馬鹿な政治家が出て来た。彼は日本国民に選ばれた政治家なのか?政治とは何かを知っているのかと言う前に、常識があるのかと問うて見たい。どう考えても政治家としての発言ではないし、日本国民としての発言ではない。日本の政治も、ここまで地に落ちたかと思ってしまう。また、これを公認している党も、あれだけの発言をしたら処分するであろうし、公認した責任を問われる。ましてや、一国の大統領を奴隷呼ばわりと取れる意味の内容の発言をしているのは、一般の人でも考えられないし、あのような発言を一般の人でもしたら軽蔑されるであろう。あの政治家は自分を何様だと思っているのか分からないが公の場所であり、それも政治の中心で、あの発言は国民の辱である。今回の発言は日本の政治家の程度の低さを世界に見せた様なものであり、日本国民の恥さらしで世界的にも日本の政治家の馬鹿さ加減を曝した。これに対して公認した党は、どの様な処置を取るかで今後の世界的な日本の政治に対する評価されるであろう。本当に今回の発言は大問題である。この政治家は何様だと思っているのであろうか?あの発言を謝罪しただけで済まないであろうし、日本国民が世界的に程度の低い人種に見られるであろう。ましてや日本がアメリカの51州目に成る等と軽率な発言には恐れ入った。確かに現政権はアメリカの言いなりであるから、私もアメリカの属国かと書いたが、日本は独立国でありそれをアメリカの一部に成り下げる発言は日本国民を馬鹿にしているとしか言いようがない。今の与党はアメリカの属国化した政治を行っている事は間違いないが、日本国の政治家がアメリカの州に入る等という事自体に問題がある。これでは日本は本当の愛国心など生まれないであろうし国民も、この様な政治家に対して投票する事があれば国民自体に問題があり、政党政治の没落を暴露したのであろう。今や政治家は政治屋と言う下劣な税金泥棒化した連中が日本の政治を行っているのであろう。世界的にも恥ずかしい国に成り下がった日本である。ここの所、日本の政治家の発言は、数の理論で言いたい事は言えるという政治体制に問題があり、政党政治の問題点である。今や政治家たちは政治では無く、只の悪ガキ化した常識と責任感のない、おぼっちゃまが自分の言いたい事を言っている日本の政治である。これを国民がどう思うかも、問題視すべきである。
2016.02.19
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昨日、高齢で介護が必要な方の所に行って来た。何時もの方なのであるが、話を聞く事が主ではあるが色々な面で気が難しい所があると思うが、私を信頼してくれている。それは嬉しい事なのであるが、どうしても同じような話を聞く事が多くなる。私はそれで良いと思うのであるが、話を聞いている自分も高齢である事で、寒暖の差が激しくなると体調が狂って来ている部分を感じる。自分でも感じるのであるが、身体が、ガタが来ている事は間違いないであろう。この状況を乗り切りたいと自分なりに動く事をしているが自分の気持ちと裏腹な部分が出て来ている。私の場合は動く事が出来るだけ、幸せだと思うが急激な温度の差が激しい時には、体調維持を考えるべきであると思う事が多くなった。この様に寒暖の差が激しくなる時に、体調を崩し易いのが高齢で介護が必要な方である。私が前にお手伝いをしていた方で、訪問した時に既に亡くなっていた時も寒い時期であった。どうしても高齢になり、介護が必要になる方は自分で動く事が出来ないので、身体の調整能力が低下する。私(高齢であるが(笑))でさえも寒暖の差は問題が起きやすいのであるから、高齢の方は尚更であろう。今の方は目が悪いが、自分なりに外出するようにしているようである。この方は外出時にはヘルパーの方が付き添う、尚、部屋の掃除等にもヘルパーの方が来ているのであるがその隙まで私が行くのであるが、ヘルパーの方が変わる事が多いようである。それだけ人材が足りないのであろうと思うし高齢で介護が必要な方は、どうしても身体が自由にならないので我儘が出て来る事が多い。その様な時に、うまく対応すれば良いのであるがヘルパーの方も、ある程度の年齢の行った方が多いので対応がうまく行かない人も多いようである。今回の方も話の中に、不満が出ていたし、そのストレスを私に話して発散している部分が見受けられた。高齢で介護が必要な方に対しての施設でも問題が起きているが施設に入居する方と、私がお手伝いしている方と違ったストレスが溜まるであろう。私のお手伝いしている方は、一人暮しなので周りに高齢で介護が必要のある方と接触が無いから、互いの我儘を言い合わなくて済むので、ストレスも少ないと思う。ただ、孤独感があり、私なりが行くと話が止まらないで自分なりにストレスを発散しているのであろう。この様に考えて行くと、果たして何が良いとは言えない部分も出て来る事を感じながら、お手伝いを行っているがその状況に沿った対応方法が必要であろう。今は高齢化に対しての状況が多様化している。それに対しての対応政策や人材が少なく、政府や官僚の言う対策では、現場サイドを知らないのと現場で働く人の賃金の低さも問題がある。政府や官僚は単純に介護をする人を増やす事だけを考えているがそれは介護される側の状況も考えて行うべきでありその多様性も考慮して行かなければならないと思う。
2016.02.18
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授業のない時は、私は自分なりに考えたプログラムを作っていた。AIが言われ出した頃で、私もそれを使用したプログラムを作って見たいと思って色々工夫した。だが、考えてもAI関連の言語とコンパイラーが無いのでCOBOLで考えたのである。人がデータ入力した物をコンピューター利用する。コンピューターが生きるのは、データによってでありデータが無ければ無用の長物であるコンピューター。だが、データを作成するのは人間である。人は間違いを起こすし、体調でもデータ作成能力が低下する。コンピューターを生かすデータを、如何に人が楽をして作成し、それを単純に再利用できるかを考えていた。データを作成する人が、作成する量が減れば、集中力が高まるし、同じようなデータならコンピューターに蓄積させて簡単入力が出来るようにすれば、間違いも減ると考えたのである。同時に、そのデータを使い人の作業工程を減らし、自動的にコンピューターに処理させる事により人がコンピューターを使う事に便利さを感じるプログラムを作って見たいと思った。だが、事務処理用の言語であるCOBOLではAI機能を生かせるであろうか疑問があったが、近づける事は出来ると思い思考錯誤した。最初はデータ作成の部分で、一度入力された項目を再利用できる事、データは文字・数字と入力するが入力された文字をコンピューターに判断させて人は数字(金額)だけを入力する事によって、間違いが少なくなると思ったのである。プログラムは経理処理を行う物を作ったのである。今から30数年前であるが、データは数字と項目文字であり、数字は勘定科目と金額、文字は相手先と使用項目を入力する。そのデータを使用して、コンピューターに自動仕訳させ人が仕訳しなくても好いようにした。仕訳も借方が1であっても、貸方が複数に成る事が多い。また、その逆もありうる。それをコンピューターが判断して、自動で仕訳をさせる。データも頻繁に入力する項目は、記憶させて置き金額の入力だけで、人が楽に処理出来るように考えた。そこまでは構想的に問題はなかったが、問題は記憶させるだけのメモリーや記憶装置の問題であった。30数年前なので、メモリーや記憶装置が小さかったので苦労したので、プログラムで操作する事と判断をさせた。それが半端じゃ無い判断数量に成るのである。基本的に入力された文字判断が主である。文字の全体でなく、部分判断や相手科目等の判断を行って入力の簡素化を目指して、表示させて金額だけ入力をさせる。金額を入力させたら自動仕訳なのであるが自動仕訳はメモリー等の制限があり1対3までが限度であった。続く
2016.02.17
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年金関係で、又もや政府の馬鹿さ加減を暴露。日本の首相が、今の年金運用悪化なら支給額の減額ありと言い出したが、現在の日本の人口の割合からいって年金受給者が多いであろう。日本は高度成長時代を支えた人達が、高齢化が進み年金受給者になり、年金の減額、減額で生活も苦しくなっている。今の年金を支える若者も少なくなり、さらに進む高齢化により年金も貰えない状況に成るのではないかと囁かれ年金自体を払わない若者も増えつつある。だが、議員や公務員等の年金は高額に支払われ、問題も無い。一般庶民が支払った年金に関しては、運用問題や削減等を言い出すが、政治家や官僚関係は自分たちの事に関して何も言い出さないし、やらないで事を済ませている。政府は「何のミックス」等と言って、経済優先を言っているが国民の殆どは景気が良くなったとは思ってはいないしむしろ悪くなったと感じているであろう。NHK等の世論調査で支持率が上がった等と言っているが果たして指示して居る人はどれだけ居るのか疑問である。企業は減税で潤っているが、そこで働く社員は潤いを感じては居なく国民の殆どの人は、給与が上がったと感じていないであろう。物価は上がっているが、それに見合った給与は上がらずこれで年金も減額したら、貧困層が増えて国民の不満が出るだけであろう。また、国会議員は金の問題を起こしながらも、何の責任も取らず秘書が等と言い訳を言って、大臣職を辞するだけで誤魔化し後は政治屋として、数の論理で国民を欺き、大企業には有利な事を行っているのが、現在の政治家であろう。これを許して居る国民も問題がある。今や日本は借金大国であり、無駄な税金を使う国会議員を大幅に削減して、それを福祉等に使うべきであろう。まず、政治家と官僚の襟を正して、年金等の答弁をして貰いたいものである。自分たちの事になると、国民を欺き、選挙の時期に成ると国民受けする政策を打ち出すのが政府であり、選挙で数が揃うと民意等は無視した政策や法制を進め、言いたい放題や金に塗れた議員や、担当部署の事も分からない大臣や自分たちの言っている事は正しいと居直る大臣等で国民を上から目線で見下し、常識的な事が分からない連中が殆どである。まず、政治家は誰に選ばれ、誰の代表で国政を行っているかが分かっていないのであろう。選挙に勝つ事が主で、それで数を揃えて、ごり押し法案を作りそこには民意等は無く、自己保身だけが先行して居るのが日本の今の政治家である。同時に政治家は口では良い事を言うが、それは政治屋としての職業病であろう。最終的には「金」の為と「名誉」の為であり、その為には企業に有利な事を行い、経済を声高に言うが、国民生活等は二の次で大企業が儲かれば、そのオコボレを貰う為に行動は起こすが、弱者である人たちの事等は何も考えていないのが今の日本の政治であろう。また、選挙でタレント等を公認して人気投票で数を増やし数で独裁的な政治や大企業優先の政治を行う。そこには弱者に対する思いやりなどは無く、むしろ弱者に問題責任を押し付けて、自分たちは弱者が払った税金で無駄な経費を使い、金銭問題が起きたら「記憶にございません」と一時的認知症になり、国民の税金を使い放題で責任は取らない。これを許す国民も問題が多いし、国民も目を覚まして現状の政治体制を見直し、国民主権の政治体制に変えて行く事が必要な時期に入ったのであろう。まずは国民が声高に政治に対して、言う事が大切であろう。同時に政治とは何かを知る人を擁立して行く事も大切である。
2016.02.16
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専門学校で教える事になったが、そこは1から教えるので最初は戸惑いがあり過ぎた。今までは専門用語を使って会話するのが当たり前であったがここでは使っても通用しない。まず、最初はコンピューターの「コ」の字から教える事になる。これには私も戸惑ってしまったし、如何に理解させるかが私に与えられた課題であった。システム屋の私は、プログラムとは、コンピューターとはから始める事に苦慮していたが、教える事に首を突っ込んだので初歩から理解させる事を考えなければならない。それでプログラムを教える場合は、料理に例えて料理を作る場合は、何を作るか?から始めるのである。何とは、プログラムであれば、経理業務と言う仕事をコンピューターにやらせる。料理名は経理、それを作る為に必要な材料は何かと言う様に教える事にした。単純に言えば、データは材料であり、その材料をどの様に物を使って調理するかである。材料と器はデータと考え、それを切ったり焼いたり煮たりして料理が出来上がる。その調理工程がプログラムのルーチンであり、その材料や調味料の使い方で、料理の味が変わる。その様な段階で教える事にしたのである。教科書もあったが、私は自分なりの参考資料を作りそれを生徒に渡し、理解させる事にしていた。教科書は自分で読んで理解しろと言う事が多かったと思う。私の場合の参考資料は、問題点を重点的に書いていた。それは、教科書は当たり前の事しか書いていないが問題が起きた場合の事は、殆ど書かれていないので問題が起きる事を想定した参考資料を作っていたのである。これもシステム分析を企業で行っていた時の経験から問題点を分析して、それに対応しなければスムーズな稼働が出来ないし、メリットが出ないと言う、私の考え方からである。また、生徒たちに教える場合も、最初は料理とかを考えさせて行っていったが、ある程度に成ると、企業で使えるような人にと考えて教える事にしていた。そうなると居残りをさせても、プログラムを完成させた。6時まで居残りをさせた事もあった。企業で言う、残業であるが、それだけ社会に出ても使える人間と思っての事であったが、授業は厳しかったと思う。ただ、出来る生徒には、私の授業が最終であれば、出来たら授業途中でも帰って良いと言っていたのである。また、私の授業以外に、後の授業がある場合は、プログラムの完成した生徒を助手代わりに、出来ていない生徒に教えるように仕向けた。これは私が教えるよりは、生徒同士の方が理解しやすい場合が多いのと、私が実習になると、複数の生徒を教えていると、時間内に終わらない事が多い為でもある。ただ、生徒たちを教えて分かったのであるが、人は得手不得手があり、コンピューターに向いていない子も、コンピューター全盛で就職できる確率が高いので、高い授業料を払って学ぶのであるが、コンピューターに向いていない子も多く居た。私の教え方は、応用力と想定力を重点に教えた。社会に出て、システムを作る場合は応用力と想定力が必要な場合が多い。だが、この頃の若者は、応用力はあるが、想定力が足りない感じがした。言われた範囲は行うが、それに工夫する事をしない面があった。教える事に関しては、生徒たちを教えながら、能力により教え方を変えて行く事が必要と感じた時期である。続く
2016.02.15
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技術屋は人を育てる事が下手であると書いたが、私達の時代は盗んで学べ主義と、教わるよりは慣れろと言う感覚で仕事をしていたのである。その感覚だと、教える事が下手である。私も学んだと言う感覚は無く、盗んで、真似て、工夫をして仕事を覚えた様に思う。その感覚では人を育てる事は出来ない時代に入ったしコンピューターの発展も早く、人材も足りない時代に突入していた。私がコンピューターを覚えた方法では、人を育てる事が出来ないと思った。仕事は如何に早く納めて利益を上げるかであるからそれは仕事が先であり、教えながら遣っていたのでは納期に間に合わない事になり、工数が増えて赤字になる。それを避ける為には、出来る人が仕事をこなす事に成る。出来が悪い人には、負荷の少ない部分を遣らせるのでそれを任された人の進歩は鈍くなる。社内に、その様な人が多い時は外注に要請して納期に間に合う様にする。社内教育は後回しになってしまう。また、コンピューターの発展時期であり、仕事は余るほどあり人材が居ない時代でもあった。各企業もコンピューター化を行う事が当たり前でありそれが出来ない企業は、社会的にも信用がおかれなかった事もあり会社が挙ってコンピューター化を推進して居たのである。私もその恩恵に預かり、自分が会社を遣っていた頃の借金も返せたのである。システム構築は紙と知能(頭の中にある知識)で成り立つ。だからシステム会社は、如何に優秀な人材を確保するかによって伸びるか伸びないかが決まるのである。だが、技術屋は人の育て方が出来ない人が多い。私もその一人であるが、それで私は人を育てるにはどうしたら良いか、育て方はどの様な方法が良いかを考えたのである。私が会社を設立した時も、人を育てる事が出来なかった為に私の負担が大きくなり、自滅状態であった。人を育てる事が出来たら、私はまだ会社に残ったであろう。人を育てる事の方法を学ぼうと思い、学校で教える事を選択したのである。同時に、私はシステムを企業からの要望と業務の優先で構築を行って来たが、納期と言う制限が課されて、本当はもっとこの部分を、コンピューターを利用したら、業務の簡素化や人の負担が楽になると思う部分があったが、それはあくまでも私の持論に留めるしか出来なかった。システム構築予算内で行う場合は、互いにメリットが無ければ成らないし、それで企業利益を生まなければならない。本当にコンピューターを酷使して、システムを構築した場合は膨大な金額が掛かるであろう。また、私なりに考えていた自分なりのシステムを作って見たい事もあったのと、当時AI関連も多少なりに興味があり、それの学会に入り、コンピューターに生かす方法を考えていたので教える方法と自分なりのシステム方法論を遣ろうと思ったのである。続く
2016.02.14
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結果的に私は一人でシステム屋として独立した。大手のシステム関係の会社からの誘いがあったが自分が勤めている会社を辞めて行くわけにいかないので独立してシステムを請け負い、勤めていた会社にプログラム作成を依頼する形を取った。勤めていた会社では一応管理職であったので、それなりに出来る人間を他社から、引き抜き私の後釜に据えて私は個人で動く事にしたのである。私が自分で動くなら問題は無いが、前の様に会社組織にすると社員や雑用が多くなるのと、自分はトップに向いていないと悟っていたので個人でやったのである。その頃は仕事も順調にあり、収入も一般の数倍以上であった。私がシステム設計を行い、今まで勤めていた会社にプログラムを作成させて問題は無かったし、仕事はコンピューターメーカーから直接貰っていたので、月々100万以上を稼げたのである。それが今から30年以上前の事であるから、本当に良い時期にコンピューターのシステムを行っていた。また、パソコンが出初めの頃で、前に勤めていた会社がいち早くパソコンに関して手を出して、パソコン関係を私に任せていたので、私はメーカー・大学・システム会社等の研究会の一員としてパソコン関係も行っていた。会社は私の自宅にパソコンを買い与えてくれていたが私は、その頃はパソコンを馬鹿にしていたのである。私達オフコンを使う立場で、パソコンはマイコンを大きくした玩具と考えていたので、大学側がこれからパソコンは変わると言う事を言っていたが、それに対して反論をしていたのである。その頃のパソコンはOSもCP/Mと言ってBASICで立ち上がりマシンランゲージも使えたが、メモリーも小さいしBASICがインタープリターであるので、稼働速度も遅く感じた。オフコンはコンパイラーを使用するので、コンピューターと直接の機械語なので、速度も速かった。だが、大学側は現在のパソコンの発展を予測していたのである。それが30数年前であるから、今考えると私はパソコンを馬鹿にしていた事が嘘の様な気がする。また、私はアッセンブラー言語を使用していた事があるのでP3C戦闘機の操作基盤のプログラム開発も行った。行ったと言うか、プロジェクトリーダーとして携わった。これは会社に組合が2つあり、共産系と御用組合があり共産系に情報が漏れないように、管理職が開発に携わったのである。この頃は労働者の権利が、今以上強かったように思う。また、企業も労働者に対して、それなりの権利を与えて互いに競い合っていた時代であった。コンピューター言語もアッセンブラー・COBOL・BASICフォートラン・PASCL・Aed・PL/1等多くの言語が使われていた。AedはNASAが宇宙開発用に使う為に開発した言語である。私の場合はCOBOLが主であったが、アッセンブラーも知っていたので色んな方面に会社では、こき使われていた。今から考えると一番良い時期だったかも知れない。コンピューターの発展時期と私が関わった時期が日本では同じように動き、パソコンも初期の頃から知っていたし色んな企業のシステム構築を行って来たのである。システム構築する毎に私は自分の技術の不甲斐なさも知ったし色んな方面の業務も分かり、それなりに個人的には学んだと思う。だが、私は技術屋の欠点である、人を育てる事が出来なかった。確かに企業では管理職に就いたが、技術的な面は人に負けないだけ学んだし、それだけ仕事は出来たと思う。だが、人を育てる能力は無かった事に気が付いたのである。これは技術屋の悪い所であり、自分の技術に溺れているのであろう。その欠点を自分で解消する事を考え、学びたいと思った。続く
2016.02.13
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その様にシステム構築を行ったが、それでも、ずれ込む事が多かった。どうしてもシステム構築期間が、最低で6カ月、長くて1年以上と期間があるので、最初の頃は時間的余裕がある為に仕事がスローペースに成りがちで、納期が近くなると追い込まれるのである。その為に私の場合は納期を1か月前倒しと考えて行う事を考えた。1か月の余裕期間があっても、結果的に問題処理を行うのにその期間は使われて、それでも日数的に足りなくなる。それがシステムの構築の問題点であった。これはシステム分析で問題点を洗い出す事が難しい事もあり企業側の手作業とコンピューター化の溝を見忘れる事が多くて問題であった。その為に私がシステム分析を行う場合は、現場サイドの仕事をやらせて貰い、実業務の問題点を先に洗い出す事にしたのである。コンピューター化を行う段階では、スムーズに行われている作業は問題無いが、そこには人の能力的な部分が生きている。手作業の場合は、人の能力で仕事の効率が決まるのであり性格さも出るが、コンピューター化を行った場合はその部分は解消されるが、操作性とデータ作成能力が問われる事が多くなる。私が現場サイドに入るのは、能力的な分析と問題点を洗い出す為である。これが分からなければ、コンピューター化による意味がない。私の様に遣っても必ず問題点は出るし、追加項目が出て来る。その追加項目が金額的な負担となり、利益に影響が出る。そうなる事を避ける為に、システム化されたプログラムを使いまわしとなる。その様が現象を避ける為に、パッケージプログラムがメーカーサイドで販売されたが、これが曲者であった。企業サイドは経理業務は同じでも、部分的に違う事が多かった。確かに販売が主流と、生産が主流であれば工程が違うので経理も変わって来る。商業と工業の違いで事務処理は違うのは当たり前である。また、工業で生産管理もコンピューター化を行うと業務自体が複雑化する。その為にパッケージプログラムでも手直しが多い。これが難問であった。パッケージプログラムを作成した人によって項目名やルーチンの処理方法が違うので、それを追いかけて修正するのは、最初からプログラムを作るより面倒なのである。プログラムは、人によって処理方法が違って来る。私の場合は問題点をコンピューターに行わせようとするとプログラムが複雑化して、他の人が見ても分からない事が多い。それを解消する為に、ルーチンを部品化して行く事を考え使えるルーチンを組み合わせて、プログラムの効率化と利益率を上げる事にしたのである。それでも納期が遅れる場合が多かった。私は殆ど会社の机の上で寝る事や、休日でも出勤であり残業が100時間以上は当たり前で、雨が降ろうが関係ない状態であり、若かったから、こなせたのであろう。また、仕事が面白いと感じていたからなのであろう。システム作りは大手から中小まで行い、大手各社がコンピューターのシステムに関心を持ち、システム会社を立ち上げ始めた時期でもあった。私も幾つかの会社から声が掛かった事があったが最終的には一人でシステム分析を行う事にした。続く
2016.02.12
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それからは、上京して技術屋として借金の返済を行った。コンピューターを始めた頃は、プログラマーとシステムエンジ二アは同一の人が遣っていたが、徐々に分担化して行ったのである。私の場合は経理関係と総務関係の仕事を知っていたのでシステムエンジニアとして、分析業務を行う事が主であった。私は大手や中小の企業のシステムを手掛ける事が出来た。その頃は企業がコンピューターを使う場合は、経理関係が多く使われ、同時に売上げや総務・売上関係が主流であった。だから、私の様に経理関係や総務の理解力を重宝がられ相手の企業から信頼される事が多かったように思う。元々は税理士を目指していたので、それが生きたのである。ただ、私の場合はシステム分析を行うが、相手企業の業務をさせて貰い、問題点を洗い出してからシステム仕様書を書き始めるので、問題点が多くなるとプログラムが複雑化する。システムは何人月で計算して、金額を出すのであるがコンピューターメーカーが販売した時に、営業の人がシステムとハードの金額を提示する。所がシステムを分析してプログラムを開発する段階になるとその金額で終わらない事が多かった。それに私の場合は相手の問題点をコンピューターで解決させる範囲を広げるので、プログラマー泣かせであり同時に予算オーバーになり、私は上司と良く喧嘩をしていたのである。若い私は生意気盛りであった、技術的にも、それなりの自信を持っていたしシステム分析を行う会社からも信頼を得られ天狗になっていた時期であろう。同時に自分なりのコンピューターに対する考え方も持っていた。それが正しいか悪いかは、判断などしないで自分なりの信念として貫いて来たのが、今も引きづっている。ただ、人材を育て方は下手だったし、育てる前に自分がやった方が早いと思っていたし、どうしても納期までに終わらせる為には無駄な工程は省く事を優先する。そうなると作業工程を、前倒しで行わなければならないが多くのシステムは大体遅れる事が多かったのである。納期直前は、大体徹夜が当たり前のように行われ幾らシステム分析を行っても、業務的に抜け落ちている事が多く、その追加項目を行うと終わらないし、必ずや出て来る。その頃の日本の場合は、システム分析を行い、仕様書に相手側の確認を貰ってから、プログラム作成が開始されるがコンピューターの発展期で、コンピューター化の始まりの時期であった為に、使う側も分からい事が多かったので同時に相手側もコンピューターによるメリットを出す為に色々な条件を付加する。条件が多い分、それだけプログラムのチェック項目が増えて、複雑化するのであるが、私の様に経理関係や総務や売上げに関わった仕事をしていた場合は相手との分析業務はスムーズに行くが、技術系の学部等を出て来た場合は、相手の言う事をシステム化して仕様書を書くので、分析が問題が出る事が多い。問題が出た場合は、追加項目であるが、日本の場合は慣れ合い主義になって、追加項目の部分は払って貰えない。そうなると予算的にオーバーしてしまい、採算が取れない場合が出る。その繰り返しなでは問題があるので、私の場合はシステム構築期間が、仮に12カ月である場合は11カ月と言っていた。これは1か月前倒しでプログラムを完成させて、後の1か月で修正期間として、プログラム受託金額内で利益を上げようとしたのである。社内的にキツクナルが、利益を上げる為にはその様な手順で行かなければ、12か月のもが13~14カ月に成ってしまうのが普通であったからだ。続く
2016.02.11
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電波を統括する省庁の大臣が、政治的な見解の問題がある放送は電波を止めるような発言を行っている。確かに犯罪や風俗的な問題で放送する事に関しては色んな面で国民生活に影響があるから、分かるのであるが今回の発言は政治的要素に対してとしか取れない発言であると思う。この発言は、政府を批判する発言を行う放送は問題があると捉える事が出来る内容である。それは民主主義の発言の自由を束縛する部分がある。人はそれぞれ考え方や生活水準が違い、そこには色々な面での不満が出る。そうなれば批判的な発言は出るし、それなりの意見も出る。その様にして社会生活が成り立ち、情報を色んな所から受けて、自分なりの考え方を発言するし主義主張する。Yahooニュースから抜粋添付それを「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、ことさらに他の見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当時間にわたり繰り返す番組を放送した場合」「不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められるといった極端な場合には、政治的に公平であるということを確保しているとは認められない」この場合の様な状況時には、大臣が電波停止もありうるような発言は如何なものであろう。こうなると自分の主義主張は政府と、相反している場合はそれは問題が多いので、発言させないし放送もさせないとも取れるように思う。今まで新聞各社は、それなりの独自の路線(主張)で国民に訴え販売して来た。それが政治批判であった場合は、前にも与党内であったが新聞社を潰さなきゃない発言等が出て来るのが、今の与党である。これだと中国並み以下の報道規制を行います。政治批判は駄目です、批判した場合は停止や発刊禁止しますと脅かして居るのであろう。本当に、この人達は政治を分かっているのか、同時に誰に選ばれ、誰の為に政治を行うべきかも分からない政治屋組織なのであろう。この様な発言を行う事態が、政治家としての資質が問われる。ましてや大臣が行う発言ではないであろう。この人達は国民の事を上から目線で見て、自分達が正しい基準は私たちであり、それに反するのは発言も許さない。軍国主義の時代と同じで、時代錯誤も甚だしい政治家である。これを選んだ国民も問題があるが、独裁的な政治体制での言いたい放題と、選挙だけを考えた政治家連中の遣り方であろう。確かに国民の多くは、放送報道関係で情報を得るがそれによって多くの人達が選ぶ人を選択して居る。その情報を偏った方法で流して、自分たちだけが政治を行う事が当たり前である様な言い方に、怒りを感じるし政治家の馬鹿さ加減にうんざりする。今後も、この様な発言や行動が政策に反映されて行く事は明らかであり、それは単独多数を持っているから強行な意見などを言えて、自分たちの勝つ為の方法だけを考えて民意など考えないのであろう。今や与党は遣りたい放題、民意等は考えていない独裁的発言集団が与党であり、それを選んだ国民のこの様な発言を容認するのであろうか?今年の選挙で、国民の動向によって将来を見据えた責任が分かるであろう。また、北方担当大臣が、北方四島の名前も分からないとは呆れた政府である。本当に政治を知っているのか、その辺の天然の若い女の子何ら変わらないのが、政府の大臣ですとは政治家の資質も下がりに下がったものである。
2016.02.10
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話は飛んだが、私はプログラムを作る面白さにのめり込んだのであるが、一応会社の社長でもあるが営業での人との対応の煩わしさや、資金繰りなどには考える事に嫌気がさしていた。また、コンピューターも徐々に安定期に入り大企業や商社も支店展開を考え始めた時期でもあった。私の所にも、ある大手商社(日本でも10指に入る)から支店としての提携要請が来た。だが、株式会社として成り立っていたので、私独自では決定できない。確かに私が資本金500万の内、300万、後は、私が勤めていた会社が100万、リース会社が100万であるから決定権は私にあったと思う。だが、他の株主は、商社の吸収される事を恐れて反対されたし、私自身も要請があった時点で吸収される事は目に見えていたが、会社の将来を考えた場合は良いかもと思う部分もあったが、今まで会社を存続させる為に共同で運営して来た株主の意見を尊重して断ったのである。私の会社に於いては、段階を踏んでも、コンピューターの発展と供に機種変更を余儀なくされ、売り上げを伸ばす為には新たな機種をリースして、新規にプログラム開発を行うのであるがプログラム開発を行っている間は、売り上げが無い状態になりその為の資金繰りを行う。商品が受託計算であるので、見える物を売るのではないから売上げはプログラムが出来て、それで発生する。資金繰りとプログラム開発との狭間に立つ時は新機種を使う時であり、今までのプログラムが使えると問題は無いが、その頃は同じメーカーでも互換性がないし開発言語も変わるので、機種を並行して使い両方のリースが発生していた。私はプログラムを作る事に没頭したいのであるがそれも出来ないのである。また同時に新機種になると、新たな受託先も開発しなければ成らないし、営業社員が居たがコンピューター自体が分かっていないのと業務説明が出来ないので、に私が出て行く事になってしまった。私の性格で営業的なセンスはない。人に頭を下げる事が出来ないタイプであり、頭を下げるくらいなら多少空腹でも我慢した方がマシであると言う考え方が強いのでありその様な考えでは営業には向いていないであろう。だから、お客さんの所や銀行に融資を受ける為に頭を下げるのが嫌であり、苦痛であった。ただ、プログラムを作っているなら、徹夜が続いてもやり遂げていたのである。その時に自分は技術では食えるが、一国一城の主の器では無く二番手のタイプだと悟ったのである。結果的に自ら会社を辞する意思を固めて、会社自体を他の会社に移譲して去る事を決意したのであるが拡張する為に銀行からの融資などの借金があったのでそれは自分が払う事で社長を辞したのである。その時に私は技術屋であるから、それなら技術で行こうと決意した。他の株主からは、辞める事に反対されたが、私は技術屋として、自分なりに遣って見たい気持ちが強かったので最終的には会社を辞したのである。続く
2016.02.09
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この頃のコンピューターは、スイッチが付いていてプログラムの実行アドレスで止めて、直接マシンランゲージで修正する事も出来たのである。アッセンブラー言語は機械語と1対1の命令処理だったのでその様に出来たが、COBOLに変わってからはそれが出来ないが、メモリー上の数値は変更可能であった。私の性格なのか、凝り性の部分が出て、如何にコンピューターを酷使するかを考える事が多かった。また、作成したプログラムをルーチン化して、部品と考え各ルーチンを組み合わせて、如何にプログラムを楽に作成する等を考えたのである。ただ、難問は、データ作成は人間が遣るので、入力ミスが出る。コンピューターは正直なので、ミスはミスとして出て来る。その処理をどうするかが一番の課題であった。コンピューターの基本はデータである。このデータにより、色んな操作が出来るのである。私は経理関係を遣っていたので、数字に対しては敏感である。だが、それは逆の面から見ると、数字を操作も出来るのである。今だから言えるが、プログラムは正直に数値を計算してくれる。それは人間が作ったデータによって、どうにでも操作できるのである。今回、大企業が粉飾決算を行っていた問題があったがそれは、企業や商店は借入等を行う為に、経営状態の帳票を銀行や行政に提出する。その為には、ある程度の修正が必要な場合が多い。私の場合は経理関係の仕事をしていたので、辻褄の合う様に操作が出来た。また、どの企業も税金は払いたがらないし、儲けは自分の所で使いたいし、個人の物にしたいのが人間心理である。その為に相談された事もあるし、その様な抜け道のプログラムを作成した事がある。私はコンピューターを信用していない。それは、プログラムは人間が作るのであるから絶対は無い。次にデータも人間が作り、操作も出来るから出て来た物も信頼出来るかがある。こう考えると、コンピューターを信頼して使っている人がコンピューターの裏側が分からないで使っているのが多くの人達なのであると思う。確かに一定の法則化された事には、それなりのチェックをしてプログラムを作るので、信頼性もあるがデータに関しては、人間が携わり幾らでも意図的に作る事が出来る。また、同じ内容で情報を出す場合も、データの使う物によって変わって来る。プログラムに於いても、同じ処理を行っていても一般的に公開するのと、内密に見る場合の変化も出来る。企業はデータを入力して事務処理を行い、それにより会社の内容が分かるが、裏帳簿的なシステムも依頼されて、私は作った事があるので、尚の事コンピューターに関しては信頼しない部分もある。続く
2016.02.08
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私の場合は経理業務や総務関係の仕事をしていたのでプログラムを作る時に詳細な部分をルーチン化出来ていたので。プログラムをルーチン毎に分割して修正して、各企業に対応する方法を取っていた。そうしなければ一人で最初から作成するには無理があったし経理や総務関係は部分的に変わるだけであり、その様に出来たのである。そこまでは良いのであるが、問題は営業面であった。私は意外と人見知りであるが、頼まれると嫌とは言えない性格が出てしまい、仕事を安請け合いする事が多かった。これが金勘定(利益)に影響が出た。業務を請け負うが、金銭的な事より先に業務の簡素化と相手側がどれだけ楽になるかを考え、自分たちの利益を考えないのであるから、社長としては失格である。確かに社員も増え、業務も拡大したが利益を考えないのでは問題が大きい。私は利益より如何に効率の良いプログラムを作るかに力を入れて居た。プログラムを幾度も失敗を重ねながら、効率化を行っていた。失敗と言えば、あの頃のコンピューターで、マルチで走らせるプログラムを作成したのであるが、失敗であった。それは同じデータを読み込んでいるので、P/L、B/S両方作表を同時に行う事を考えたのである。P/LはシリアルプリンターでB/Sはラインプリンターで作表させるのであるが、データは読み込みが一つであるからプログラムで判断させて、動かしたが、ハードが問題であった。データを読み込み、同時に作表が始まったが、シリアルプリンターの速度でラインプリンターも動くので、別々にラインプリンターで作業した方が早かったのである。私はコンピューター自体を便利な道具と考え、それで利用する事は、人間が考えたプログラムでありその工程を行う知識で作り上げた物を使えば人間が楽をする方法としてコンピューターが使えると考えた。だが、コンピューターも、今の時代では考えられない代物であり単体で動く事しか出来ないのであった。確かに大きなコンピューターであれば多重処理も可能であるが、私達が使っていたコンピューターでも、高価だったので大型コンピューター等は、私達には手が出ないものである。それをマルチで動かすプログラムを作り、楽をしようとしたのであるが失敗であった。でもプログラム作りは面白かった。自分の考え方を工夫出来たし、それなりに動いた時の感動は何とも言えない気持ちになれたのである。私は自分で作ったプログラムを、女性が子供を産む事に例える。問題(バグ)が多いプログラムが動いた時は万歳と叫びたくなる心境に幾度もなったのである。それは苦しみが多いほど、プログラムの出来あがった時の喜びは大きかったのである。自分の考えでプログラムを作り、論理的・効率的に考えて作りだし、それが自分の考えているように動いた時は自分が作った子供が、私の指示通りに行動するような感じであった。続く明日は、自閉症の方から学ばせて貰う為、本日、宮城県に一緒に行くのでブログは休みます。
2016.02.06
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幾つかの会社の経理関係等を受託したが、各社の事務処理方法が違うので、その都度プログラムを変更するなどで対応して行った。魚網会社や運輸会社、スーパー等の業務を委託され社員数も増えて行き、コンピューターも容量が足りない為に機種変更を行ったが、商品は業務受託なので資産的価値の物は無いのである。会社としては、高価なコンピューターを借りて後は私の作ったプログラムによって、お金を得るのであるから資産は無い。まだ、コンピューターも日本では始めの頃なので大企業などが導入されているだけで、一般の企業では導入されていなかったので計算センターとして成り立っていた。業務が増えるとコンピューターも変え、新たにプログラムも作成しなければならない。機種が変われば、同じメーカーでもプログラムの互換性が取れない時代であったし、技術者を育てる余裕も無く自分で新しい機種のプログラム作成を行った。昼は外回り、夜はプログラム作りで、社長とは名前だけで小間使いと同じだと感じていた時期である。また、技術に揉めり込んだ私は、経理を行っていた割には儲けると言う感覚が薄い人間であった。色んな面で経理や総務などの技術的な知識は豊富だったのでプログラムを作る対応能力はあったが、技術的な事に専念するので、利益的な事を考えないで受託する事が多かった。その頃はコンピューターも初期の頃なので、コンピューターで出された帳票に関しては銀行関係も信頼していたし、それだけ珍しかったのである。幾つかの会社からの受託を受けて、売り上げが安定した時に商店等の受託業務を行った。これ、商店は経理に関しては、個人で遣る為に経理知識があまり無いので、それを安価で受託したのである。これが問題を引き起こした。元々は税理士を目指していたので、税理士試験を3科目取っていて経理関係には、それなりの知識があった。所が個人商店を相手にする税理士の人達から私が行っている受託業務に関して、税理士の領域を犯していると言うクレームが行き、税務署が調査に来た。私は税務関係の知識があったので、税理士領域まで侵す範囲は行っていないと確信していたので、税務署も記帳代行との見解で問題は無い事になったのである。その様な過程で会社もビルのワンフロワーを借りるまでになり社員数も増やし、営業面では別な人を雇って私はなるべくプログラム開発に専念したかったのであるが社長と言う立場では、企業との付き合いもあり、思うようには出来なかった。また、資金繰り等は私の役目であり、ボーナス時期等や色んな経費等は、私が銀行に出向いて処理を行う。技術的な事を社員に教える暇も、それなりの人材も居ないのが現状であった。世の中では徐々にコンピューターも発展していたがそれ程、深い認識を持つ人も少なかったのである。続く
2016.02.05
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その様に経て、私はコンピューターとの付き合いを行っていたが、経済的な不況が会社を襲う事になり、一番経費が掛かるコンピューターを削減する事になったのである。これは企業としては、不況を乗り切る為に経費削減は、やもう得ない処置である。今の様にリストラで人件費削減は難しい時代であり同時に働く者の権利が守られていた事もありまた終身雇用制度が寝ず居ていたので設備で削減を考えたのである。そうなれば高価なコンピューターが、一番最初に考えられた。だが、経理や総務関係はシステムとして稼働していたので削減をする事が出来ないので、別会社案になったのである。別会社と考えたが、会社のシステムは私がプログラムを作り殆ど私しか内容が分からない状態なのであった。その為に別会社にした場合、私がそちらに行く事になる。私は仕事に対して、いささか自信を持って天狗になっていたので蓄え等無いのに「私を社長にするなら、別会社として設立します」と大口をたたいてしまった。会社側はコンピューターの内容を把握していないので私をと考えたし、コンピューターのリース会社も同様にシステムを作った私が居なければ、リース解約になり損失が出るので、承諾したのである。だが、私には資本金を出すだけの蓄えは無い。株式会社と考えていたので、最低資本金は法定で決められていた。当初は私が働いていた会社が、株の一部を私名義にする案を出して会社設立を考えていたのであるが、私も運が良いのか、亡くなった母の伯母に可愛がられていたので、叔母が私に、使いなさいと言って300万を出してくれた。それによって、私と勤めていた会社、リース会社が資本金を出し合って会社にしたのが、41年前である。最初は3人で、私が社長でデータ作成するパンチャーが2名で、私が勤めていた会社の経理や総務関係の仕事を行う計算センターとして行ったのである。私はまだ28歳であり、社長の器で無い事は分かっていたが若気の至りで一国一城の主になった感じはあったがあまり楽しくは無かった事を思い出す。私は若く見えるタイプなので、23~4歳に見られどう見ても社長と言う器には、程遠い感じであった。私自身も社長と言う響きを嫌っていたのである。会社の売り上げは、私の勤めていた会社の業務を行って売り上げとしていたが、それだけでは高価なコンピューターを運営して稼働させる為には採算が取れないので、他社の経理や総務関係を受託しなければ会社が成り立たない。その為に営業も行わなければならないし、会社を運営する為に資金繰りなどで銀行周りも行った。本来、人見知りなタイプの私が、営業等は苦手であり同時にコンピューターも初期の頃で、一般的に知られていない時期だったので、営業も苦労したし仕事を貰っても異業種なので、経理や総務関係は今までのプログラムが使えないので、新規開発を行っていた。だから昼間は外回り、夜は会社でプログラム作りなので家に帰る暇などなかった。続く
2016.02.04
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基本的にデータ作成は人が遣るので、間違いは付き物である。その間違いを、どの程度プログラムでチェック出来るかであるがその頃は限度があった。どうしても人間が遣る以上、間違いは付き物である。その為にコンピューターで作成された、BSやPL等や月計表等を、ソロバンを入れて再チェックしていたのである。今考えると馬鹿な事に感じるが、データが基本であるコンピューターである為に、人間が作成するデータは信頼出来ないのである。前にも書いたが、コンピューターはデータ次第で業務の簡素化が計れるが、間違ったデータではむしろ業務の停滞する事に繋がってしまう。そのデータの間違いを如何にコンピューターでチェック出来るかが、プログラムの善し悪しであった。基本のデータは、人間が関わるので間違いがある。その間違いを食い止めるのが大変であった。ましてや各店舗ごとにBSやPL・日計表等を作成して、それを連結させて総合的な計算から社員管理関係までのシステムを構築するのであるから大変であり、プログラム作成も私個人しか居ないので半端な仕事では無かった。だから、徹夜続きで会社泊まりになる事が多かった。だが、プログラムを作る事は楽しかったので苦に成らなかったし、如何に人間のミスをコンピューターでカバー出来るプログラムを作るかを考えるのが面白かった。同時にデータを如何に効率よく使うかが課題でもあった。一つのデータを複数の帳票関係に生かし、それが社内的に利用されて、業務の簡素化や利益を生む事が私に課せられたのである。その頃のコンピューターは資金が掛かり、会社の負担としては大きなものであった。コンピューターを売る側は、人員削減を唱って販売したがプログラムは殆どが新規開発であり、同時にプログラム開発費用を払う企業は無かったので、販売会社は納入先開発をさせて、ハードにプログラム価格を含めて居た。日本人は特に目に見えない物には、お金を払わない傾向があり海の物とも山の物とも付かない物には、お金は出さなかった。これはコンピューターの発祥地である、アメリカでもソフトの部分はハードに含めて販売していたのである。ソフトに金が払われるようになったのは、私がコンピューターを始めてから数年くらい後であった。それもIBMがアメリカでソフトとハードを区別してからで日本は、それから遅れる事5年後であったと思う。日本人は、見えない物には金を出す事はしない習性がある。ましてや、コンピューターのハード自体が高価でありソフトは見えないし、動くか動かないも分からないのであるから払う事はしなかった。続く
2016.02.03
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私は、元々は経理関係の仕事をしていて、税理士を目指していた。だから、税務申告までは理解していたし、ソロバンを弾いて帳簿付けや仕訳を会社で行っていたのである。それが、会社が地方に38店舗を展開していたので、コンピューター化に踏み切った時に、私が責任者にされたのである。それが私のコンピューターとの出会いであった。元々は政経学部なので、技術関係には疎いのであるが責任者にされた時に、もうソロバン等を弾いて計算する時代では無いと確信して、税理士も諦めコンピューターに没頭して行ったのである。機械系の知識が無い私は、人の3倍以上の努力をしたと自負しているが、本当に寝る間を惜しんで学んだ。元は経理や総務関係は仕事をしていたので問題は無いがプログラム関係は知識が無かったので、一から遣る事になりアッセンブラー言語を一から学び、既にあるプログラムリストで言語を習得して、メーカーが行う研修に1か月行きプログラム作成出来るようになった。それに4か月かかり、後は幾度となくプログラム修正を行い効率性を高めて行ったのである。私は10進数しか知らない人間であり、2進数や16進数等は始めて見るので、戸惑いがあったが、それも慣れであり自然にマシンランゲージを覚えて行った。2進数に関しては0か1なので、単純にON・OFFの考え方で問題は無いが、16進数に慣れるのは大変であった。その頃のコンピューターは、メモリーにプログラムだけ読み込んで、データ領域は少ないので、ソート等は数回に分けて行っていた。プリンターもIBMボールが使われており、音がうるさくまた、ラインプリンターもあったがドラム式であった。データやプログラムはパンチ機械で作成していたのである。データは紙テープで8個の穴が空いていて、打ち間違い等を修正出来たのである。紙テープの下4個が数字や文字を表し、上4個が数字か文字かの判断する記号であった。数字は下から1・2・4・8であり、それで10進数を表現していた。そんな状況で、私はプログラム開発を行い思考錯誤しながら如何に効率よく、業務を推進したプログラムを作るか考えていたのである。プログラムが良くても、データが間違っていると結果は悲惨な事を幾度も味わったのを思い出す。幾ら優秀なプログラムでも、データ次第である。それによって業務の善し悪しが決まるのがコンピューターの世界であろう。続く
2016.02.02
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年が明けて1か月経ち、自分なりの今年の目的を考えている。私は行動的なタイプであるが、商売気がない。若い頃に会社を立ち上げて、自分なりに悟ったのである。今から41年前にコンピューターの計算センターを勤めていた会社とコンピューターのリース会社と私が出資して立ち上げのであるが、技術的な面では自信があったが、利益などの営業面では私は駄目だと感じたのである。生意気盛りの若造であったと、今思えば感じる。コンピューターも日本では初期の頃であり、プログラムを作成できる技術者も少ない時代である。まだ、日本語機能も無く、文字はカタカナであった。メモリーもICとトランジスターであり、16Kバイトでありプログラム開発言語もアッセンブラーが主でありCOBOLやフォートラン等が出来たばかりである。記録媒体も紙テープやカード・カセットテープやリールテープ等で、マシンランゲージ(機械語)でプログラムリストが作成されていた。コンピューターの始まりは、真空管を使用していたのであるがその時代の頃は機械語(16進数)でプログラムを作成したと聞いた事がある。その時代から見ると、私が始めた頃は、プログラム開発もアッセンブラー言語だったので楽であったし、恵まれていたように思える。そこからコンピューター時代が始まり、多くの企業がコンピューター化を行っていったので、仕事は切れる事は無かった。むしろ、徹夜、徹夜の仕事となり、会社の机の上で寝る事が当たり前の様な状況であった。ただ、各企業の業務は、今までの手書きで行っていた事をコンピューター化するので、企業毎に独自にシステムを構築して行かなければならないのと、販売されているハードも互換性が無いのでその都度プログラムを作らなければならない。同じメーカーで機種でも、互換性が無いのであるから問題が多かったのである。ただ、自分なりに考えて分析してプログラムを作れるのが楽しかったし、如何に業務を簡素化するか、それが自分の分析と応用等の考え方で変わって行くのが楽しくて仕事に、のめり込んで行ったのである。コンピューターも初期の段階であったから、技術者も居ないし一般的にもコンピューターは、何でも出来る万能な機械と思う人が多かったのであり、その頃では最高の技術であった。確かに画期的な物が出て来たと私も思って、コンピューターの、のめり込んで行ったのである。続く
2016.02.01
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