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まな板の鯉の結果は、1週間先に成ったが、腸内を綺麗にする薬剤には、うんざりする。 夜中もトイレに走り、寝不足に成るし、我慢できる状況では無いので起きるしかないが、半分は寝ている。 前にもカメラを入れて検査も2回ほどしたが、本当に面倒である。だが、これをしないと結果が分からないので行うがもう少し、良い方法が無いのかと思ってしまう。 ただ、医学は進歩している事は確かである。今まではカメラを入れて見たが、今回はCTで分かるのであるからその分、カメラを入れられない事は楽であるが、カメラの場合は自分でもポリープが見えるが、CTの場合は見えない。 ただ、ガスを入れて腸を膨らませる事はカメラと同じでどちらが良いのかは私には分からない。 私はカメラの場合は、自分でも腸内が見えるので安心感があった。だが、CTの場合は見えないで、結果が後であるから不安に思う期間が多くなるので、カメラの方が良いように思う。 そんな事をやり終えてから、社協に頼まれていたパソコン関係に行って、頼まれごとを聞いたのであるが、そこは折り紙教室で老若男女が折り紙を折って、色々な物を作って居て社協が地域の触れ合いの場所として、行っている所である。 そこで教えている方のパソコン関係の相談であった。高齢者から中学生までの方が、色々な物を折り紙で作り一人女の子が、本当に折り紙が好きなのか、器用に色んな動物を作り上げていて、それが自分なりに考えて作っていた。 この子は想像力が逞しいのと、発想力があると思い感心した。私は折り紙をやれと言われたら、断るであろう。 あんな細かい事は苦手であり、手先が器用で無いので無理である。ただ、子供の発想力を育てるには良い部分があるのと子供の性格を観察出来る部分では、良いのかもしれない。 子供の性格は、色んな事をやらせてみて、その状況で伸びる方向性や、無理な事等が直ぐに出るので分かりやすい。 この様な場所等を設けて、伸びる部分を少しでも見て上げるのも大切な様な気がした。 9月も終わり、秋らしくなって来たので、これから色々な事を行おうと思っている、まな板の鯉の私である。
2016.09.30
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貧しさから、心が歪むのは大人も同じであるが、さらに子供の場合は、揺れ動きが激しいであろう。 私の子供時代は、周りも貧しいかったのでそれなりに貧しさの中で、互いに助け合う姿があった。 ただ私の場合は、前にブログに書いたが、母を小学6年の時に、亡くした事で、子供心に傷つき父に反抗して、自ら施設を選んだのである。 それは子供として、母を思う気持ちが、父が母を殺したという気持ちが先立っていたし、自分なりの父に対する抵抗であったと思う。 だが、子供として生活して行くには、父の側では嫌でありそれが幾度となく家出を繰り返し、生きて食べる為に盗みもした。 厳しい父は、そんな私を死ぬ一歩手前まで殴った。それも親としての、私に対する躾だったのであろうがそれを理解するだけの力は、子供の私には無かったのである。 その様な事で、私は生きる為に、自ら施設を選んだのであるがそこには多くの子供たちが生活し、年齢層も幅が広い。 施設からは普通の小中学校に通うのであるが、そこには別な部分で差別的な部分が出て来るのである。 施設の子と言うレッテルで、他の子供達は私達を見る。相手の子供たちは、貧しくとも家庭があり親兄弟があるが私達には、それが無い劣等感を感じていた。 その劣等感が、多くの施設の子からすれば、力で対抗する事になって行き、それが番長グループを形成する。 同時に私達は、学校が終わっても施設の中で、規則で縛られて自由が無い状況も重なり、その捌け口として力を行使する。 私は学校でも劣等感があったが、たま、たま成績が良かったので周りの生徒から一目置かれる立場に成り、それが私の優越感を芽生えさせて、学級委員を3年間行う事に成ったがそれは学校内だけであり、施設では逆転するのである。 子供とは、目立ち過ぎると別な部分で、相手を刺激する事になるものである。 イジメとは、私が思うには劣等感と優越感のせめぎ合いでありそれは、力でねじ伏せて優越感を得るか、対抗して相手を諦めさせるかにあると感じる。 大人の世界も同じであり、差別を持つ事は、それは部分的に優越感を感じているのであろう。それ行動は、自然に子に繋がるし、子供は、そこから新たな物を学ぶのであるが、それが極端な考えや行動を起こす親であれば子供も、それが当たり前になる事を気が付かない親が多い様に思える。 人は誰しもが優越感と劣等感を持っていると私は考えている。その強弱によって、子供の心理状態も変わる部分は大きい。 こんな生意気な事を書くが、私は劣等感の固まりでありそこから這い上がる為に自分は生きて来たと思っている。 ただ、這い上がり方が、人とは違った部分が多かっただけかも? 子供の中で育った、私の経験を少年育成に生かせたらと思って取り組んで行こう。
2016.09.29
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私は、今、高齢者の方のお手伝いを行っているが、それとは別に子供支援の関係で社協から企画関係に参加要請されたのであるが、意外と安請け合いしたのかと思っている。 高齢者の方はとは、既に3年が過ぎ、それなりに色々な面で認めて貰っているが、これも東日本大震災での被災地へ行った経験も生きているとは思う。 ただ、子供育成に関しては、私の少年期とは時代の変化があり同時に、現在の家族関係が複雑に絡んでくる事が想定される。 私がブログで良く書く、現代の家族と言う考え方が両極端が見え隠れしている。 それは、時代と供に変化した、家族に対する考え方なのであろうと思うが、今や親子関係での殺人も起きるようになり、そこには家族と言う絆が無く、また、逆に子供に対しての極端な干渉傾向も見受けられる。 これも時代の流れなのであろうが、私達が疎かにして来た家庭教育が違って居た部分もあるのであろう。 私は高齢者の方の、お手伝いの場合に近辺に家族が住んで居る場合はなるべく、家族が見守るべきと思い断る場合があるがそれも長期で介護をされている方の場合は、家族の心労も考え受ける事もある。ただ、その場合も家族の考え方で、便利屋的に思う人は断る。 そこには、家族と言う絆が見えないからであるからで本来、家族が休日を利用して顔を出して、話をしながら出来る範囲の事をしてあげるべきであると思うからでそれが見えない場合もある。 確かに高齢者の方で寝たきりや、外出も儘ならないから話をしたいが、相手が居ない寂しさを抱えている。 だから、その部分では私達が行くと、話をしたがる。その話を聞いてあげるのも大切な事だと思っているしそれ以外でも病院の付き添いや、部屋の掃除等も行うがなるべく、相手の気持ちに近づく事を考える。 高齢者の方は、それなりに対処しやすいが、子供に関しては多くの弊害を考えて、なお且つ、子供の特性を生かす為にはそこまで入り込むまで時間を要するであろう。 子供それぞれに、学びを目ざす子や、孤独感からの脱出を思考錯誤している子や、イジメに対する恐怖感からと雑多的な部分が多いと思う。 また、仮に子供集会する場所により、周りから見た目でその様な場所であると思わせない事も大切である。その場所に行く子は、何がしの問題があると思われても困るからである。 同時に、上記した子達の父兄の考え方も考慮して対応する事になるであろうし、父兄によっては、子供の為と思って過剰な関与を行い、子供自体が、それが当たり前の状況であると思う子や、それが逆に、父兄が関与しないが為に、子供自体の気持ちが落ち込んでいる場合等、複雑に絡んでくる。 まずは、初期段階は子供集まる単なる勉強も見て貰え、皆で食事作りも出来る場所となるであろう。
2016.09.28
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今日から明日に向けての、食事と薬剤を取る事に成った。まな板の鯉は、やるべき事をやるだけであるが、鯉の気持ちも分かるような気がする。 明日は、その結果が分かるのであろうが、結果が分かって、どの様になるかは分からないが、その後に社協からの依頼でパソコン関係を頼まれているので、そちらを終わらせる事になるだろう。 私の勘が当たらない事を望んでいるが、どうも最初の癌の時の表情とかが出ているので、半分は当たりであろう。 籤運は悪いので、宝くじには当たった事が無いのであるがこの様な事は意外と当たるので、その分宝くじでも当たって欲しいと思う。 ただ今回、救われるのは早めの対応を自分でした事である。前回は癌と分かって居ながら、病院にも行かずに最終段階まで行き、切腹となったが、今回は何処まで行っているか分からないので、自分なりには動く事も、食する事も出来るからなる様になるであろう。 前回は、食事も儘ならない状況でも仕事をしていたので今回は前回見たいな状況で無いと思っている。 それは、それとして自分の動ける範囲を広げて行きたいとおちらで自分を奮起させて行こうと考えている。 アガイテも、なる様になるしかならないので、自分を見失わない様に、行動して行くだけであろうし、親より長生きしているので、それも好いのでは無いかと思っている。 ただ、腸を綺麗にする薬剤は苦手で、前にカメラを入れられる時に体調が悪くなり、点滴された経験があるので、その面だけが自分ではビビっている。 明日の検査が終わったら、次の予定が入っているのでそれをコナシテ、また、少年育成の企画や高齢者のお手伝いが、待っているので、気を引き締めて行こう。 昨日も動きまわっていたので、問題は無いであろう。動けるだけ自分を取り戻す事が出来、なお且つ自分の遣りたい事も出来るだけ幸福である。 今まで、高齢者で介護の必要な方のお手伝いをしたが私の年代で、これだけ動ける事に自分なりに感謝しているし社協から色々な事を依頼されて走りまわれる事はまだ、まだ捨てた物では無いと思っている。 まな板の鯉の心境は、居直りに成っているのであろう。これで、問題が無かったら、宝くじでも買ってみよう。
2016.09.27
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最近、SNSで個人的な問題を発信する人が居るが私はSNSでは、個人的の事項で発信する事には問題が無いが個人的なトラブル関係を、発信する事には問題が大きいと思う。 私は一番嫌う事なので、SNSの使い方を間違って居ると思う事を目にするのである、それがトラブルの相手も報復的に応酬の様な記事を載せ、泥沼化する事を見た。 確かに個人的に怒りを感じて発信するのであろうが冷静に考えると、SNSは半公共的に見られるものなので犯罪に成りかねない要素が多い。 個人的な取りとめの無い事を発信するには問題が無いし自分の所属団体の宣伝に使うには、便利であるが個人のトラブルを書く事は、SNSを使う事を理解していない人なのだと感じてしまう。 前にも書いたが、SNSはネズミ講方式で情報が伝達してそれが個人的トラブルに使うと、犯罪的要素も含まれかねない事を理解出来ない人が行うのであろう。 今回見た、SNSのトラブルも、初期段階で互いに常識的に考えて行動すれば、これ程にはならなかったと思われる部分があり単純にSNSの良さだけを理解して、怖さが分からい人達の様に思えてならない。 また、感情的に走り、相手が攻撃したから、相手の事に対して報復的な記事を載せると言う事もあり得た。 この様な方は、私はSNSを考え直すべきであると思う。ただ、宣伝や自分の行動を知られせる事でSNSを使うがそこには常識的な考えを持って使うべきである。 確かに情報を伝達するには、便利なツールではあるが、 その中に潜む怖さも知って、使う範囲を限定しなければ個人的には問題が起きるであろう。 マスコミや報道機関もSNSを使用しているが、これは公共でも報道しているから問題は無いが、個人的に使う場合は、それなりのステップを踏んで行うべきである。 確かに、私もSNSでネット販売のトラブルを書いたがそこには、相手に公表する旨を了解して貰ってから書き同時に仲介のネット会社にも、社名の公表を確認を取って行った。 それで相手側には、私の一方的な書き込みでは無い事を宣言しているので、トラブルにはならない。 その様に企業トラブルなら分かるが、個人トラブルはそこまで出来ないので、SNSではやるべきでないと思う。 SNSを使うなら常識的に考えて、感情的な個人問題を取り込むべきでは無いし、それにコメントを入れる方の心境も分からない。 あくまでも個人的な問題であり、それを囃し立てる人達もSNSに対する考え方が甘い様に思える。
2016.09.26
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ここの所、雨が続き運動不足である。なるべく一日に一度は、外に出てチャリで走り廻るのであるが昨日も雨が止んでいたので、外出したら雨に振られてずぶ濡れで帰宅した。 私は昔から雨に弱く、若い頃は雨が降ったらデートをスッポカスかす人間であり、それで何回も喧嘩に成った事がある。 だが、予定を組んで実行する日に成る、雨が降ったりするので自分では雨男では無いと思っているが、意外と初日は雨が多い。 毎年6月に母の命日月に、生まれ故郷の函館に帰るのであるが今年は、青森は雨だったが、小雨程度だったので問題は無かったが、函館は本振りの雨に成り、何時も泊るゲストハウスの方が車で迎えに来てくれて助かった。 そんな調子であるが、被災地の南三陸では幾度も行っているが雨には合わなかった様な気がする。 どうも私の性格と同じで、中途半端なのであろう。社協の高齢者のお手伝いも、雨に成ると中止になるがそれは、前にも書いたが交通費を負担して頂かない様に私達はチャリ移動であるからで、雨の日は他の日に変更する。 前にどちらとも判断出来ない日に、高齢で介護の方の病院で、車イスで行き、高齢の方の自宅までは雨は降らなかったが私が自宅に帰る時に振られたという事があり、社協からカッパを進呈された。 私はカッパが嫌いで、濡れないのは良いのであるが、汗をかくのが、嫌なので辞退したのであるが、持たされてしまった。 どうも雨の日は家で過ごす事に成るが、それではストレスも貯まるので、雨の晴れ間をぬって外へ出るが、昨日みたない事に成る。 秋雨は北海道では、冬の訪れの前触れで、これからは雪の季節が近づいて来た事を感じさせるが、こちらも同じであろう。
2016.09.25
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さて、マナ板の鯉では、しょうがないが、自分なりに動く。色々あった日に、少年育成の企画の打ち合わせもあったがこの企画が、本稼働するのは12月と決定したが、目的が見えない状況に感じた、最終的な目的は行政の貧困家庭対策の様だ。 その対策を行政が社協に委託したのであるが、社協側は模索状態であり、どの様に稼働させるかも決められない状態であった。 確かに、この問題が普通の少年育成なら、ある程度の事を行い次のステップに行く事は出来るであろう。 だが、貧困層を対象となると、難しい部分が出て来る。不登校児や学ぶたくとも、塾等には行けない子供たちに対しどの様に集めるかが問題である。 宣伝して集める方法は取れないし、だからと言って学校側にその様な子供を紹介して貰う事も難しく、ましてやPTA等を巻き込むと面倒が起きるだけである。 貧困の子供と決めて集める事は、イジメにも繋がるしそこに集まった子たちが、その様な気持ちにさせる事も問題が大きい。 今や、貧困層が多くなり、学びや学費の問題も出て来ているのが現状であり、それを、どの様に分からない様に援助出来るかが課題であろう。 ましてや、子供であれば、貧しさは劣等感を持つであろうしそれが一般の子供からすると、イジメの対象に成りかねない。 私も施設で育った時代があり、あの差別的な劣等感は子供にとっては、耐えがたい部分があった。 私達の時代は、それなりに日本の経済も発展する以前であり多くの貧しい人達が居たが、それでも施設の子と言うレッテルは子供としては、大きなハンデであった。 子供の世界は微妙で繊細な部分が多々あるので、一概に大人の世界観では決めつけて行動出来るものではない。 また、子供達は大人の会話の中から、それなりに感じて傷つく場合も想定しなければならないので、気配りも大変であろう。 今回の企画は安易な計画では、問題が起きかねないのであるが色々な方法論を試行錯誤して、その部分から考える企画になりそうである。
2016.09.24
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一昨日の事は、喜びは昨日書いたが、落ち込みもあった。最近、私の体重が減少気味であり、今までは運動を行っていても体重が落ちなかったのが、つい一カ月前ぐらいから体重が落ちだして、排便時も出血があり、それは痔であろうと思い、前の検診時に、専門科の医師に診て貰った時に、看護師さんに「痔主か?」と言われ、「小作人だった」とブログに書いたが、それは相変わらずである。 一昨日に血圧関係で、毎月の薬を貰いに病院に行って担当医師に状況を説明したら、血液検査と、腸のCTをやる事に成ってしまった。 この様な検査は、自分では気持ち的には大丈夫であろうと自分なりに言い聞かせているが、頭をかすめる事が再発か?である。 来週の水曜日に検査と決まり、腸を洗浄する為の薬品と食材を持たされた時は、嫌な気持ちに成ってしまう。 私が9800円のママチャリで、東京から北上して山口県まで行った時も、手術から二年後の健康診断で胃に影があると言われ、再発かと言う気持ちから、逃げ出したいのと、誰しもが、あまりやらない事をやってやろうと思い、1都1府16県を47日間かけて走ったのであるが、今回は、それも出来るだけの元気も無いし、高齢者と少年育成に関わったので投げ出すわけには行かないので無茶は出来ない。 まだ、検査前なので分からないが、自分なりの勘では可能性は高いと思っている。 私が大腸癌になった時も、自分では癌と分かって居ながら病院にも行かないで、最終的に癌が大きくなり横行結腸を塞ぐまでになって手術となった。 今回は早めに医師に相談したのであるが、大腸癌は痛みを伴わないので分からない事が多い。 前回は癌の最終段階であったが、他に転移して居なかったので9年間は問題が無く、アルゼンチンにもEラーニング構築や東日本大震災の被災地にも当初から行き、今まで続けられ、高齢で介護の必要な方のお手伝いも出来ていた。 自分なりに前向きに向かって行けたと思うのであるが今回、再発していたらという心配はしていたが、それが事実だったら、ショックである事は間違いない。 だが、どっちにしろ、検査前なので分からないのともし、癌であっても、前回の様に転移して無ければ良いなと考える事にした。 今やマナ板の上の鯉状況なので、なる様になるであろう。そう考えて、行動するだけであろうと思っている。
2016.09.23
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昨日、早朝からドミニカ共和国の友達からSNSにメッセージが届いて居た。一昨日も届き、返信したのであるが、再度の返信であった。 ただ、ドミニカと日本では13時間の時差があるので、相手は夜であるが、日本は早朝の4時であり、こちらは頭が回転して居ない状況である。 同時に相手はスペイン語で、しばらく話して居ないので文法的な部分で戸惑いを感じるのであるが、文章なら何とか対応出来るが、昨日はメッセージの後にSNSを使って電話が来たが、相手からのは切れたので、再度、掛け直して会話をしたが、しばらくぶりの会話なので、私はスペイン語の文法に、切り替えに戸惑いを感じていた。 それも早朝なので、起きたばかりで、頭が回って居ないが会話は成り立った。 彼は怪我をして寝ている状態なので、私を思い出して電話やメッセージを送ってくれたのであろう。 ドミニカ共和国では、仲間感覚で付き合っていたが私が派遣された機関の人間では無く、私がスペイン語に慣れようと思ってよく行った、お土産店の店長でありそこのもう一人の友達に成った家族とは、本当にドミニカ共和国での4年間は、色々なお世話に成った事を思い出す。 それがSNSで店長から、1年前に友達申請が来た時は驚いた。私は、SNSは自分の名前で漢字であり、相手が分かるはずが無いのに申請が来たのであるから。 私はドミニカ共和国では、小切手などのサインは、本名を漢字で書いて居たのである。英字では、誰かに真似される可能性があるので、紛失した場合に問題があるから、漢字を使用していたのである。 今、私はSNSを使っているが、海外の友達との交流からSNSを始めたので、連絡や近況等は伝える事があるがそれもスペイン語なので、文法的に日本語とは逆になる。 このブログの文章も、変な文章の所があるのは、きっと、それも影響しているかもしれない。 ドミニカ共和国に居た時に、妹に電話したら言われたのであるが「お兄ちゃんの日本語、変だよ」と言われた事を思い出す。 このブログを読んで頂いている方も、変な部分を感じているであろう。それでも、読んで頂けるだけ、有難いと思っている。 昨日は、その他でも色々な事があった。落ち込んだり、喜んだり、考えたりの忙しい日々であったがそれも、自分の一つの学ぶ事なのであろう。
2016.09.22
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最近、感じるのであるが、子は親の背中を見て育つと言うが確かに、それは多々あるが、現在は親が子供に対する接し方に疑問を持つ事が多い。 あまりにも、子供に対して干渉し過ぎる傾向が出ていると感じる部分が多いのである。 確かに、親子であるから干渉する部分は分かるのであるがそれも程度の問題があると思う。 この状況で子供が成人に達した場合に、どの様に育つのであろうと思う光景を見る事が多い。 特に母親に関しては、子供のレールを引きたがる傾向が見える。これでは、子供たちには自由が無いであろうし、思考能力を削いでいる様に思えてならない。 仮に、サッカー少年を見ると、その側には多くの母親の方が興奮状態であり、少年の方が冷静にプレーしているがむしろ母親の方がプレーしている状況下に居る様な興奮状態の姿を見る事が多い。 仮に少年がミス等すると、叱咤する親を見るが、ミスは誰しもする事であり、ましてや子供であれば、尚の事ミスをするであろう。 そこには完全なるプレーヤーを目指す親の姿があり子供に対する親としての姿は消えて、自己満足の世界が映し出されているのであろう。 一概に悪いとは言えないが、それが子供に対する親の姿勢なら他の事に対しても同じような行動をしているのではと感じてしまう。 自分が成しえなかった事を子供に託す気持ちは分かるがそれでも、子供の自由を全体的に束縛しているのでは無いかと思ってしまう私である。 この様に親がレールを引き、その上を走る子供達の将来はと考える私が、可笑しいのかも知れないが、どう考えても親の分身である子供に対する、この様な姿勢では子供は本来の自分を出す事が出来ないのでなかろうか? 子供は自然に親の姿を見て育って来た私達時代から見ると今の親の子供に対する干渉は異常に見えるのかもしれないが何か、親自体が自分に出来なかった事を託してそれが、子供らしさを削ぐいているようの思えるのである。 子供は自然に親の背中を見ているものであり、それが自然体で無く、親に作られ、増幅された人間となってしまい、自分と言う物を出せないで育っているのが今の子供達のように思えるのである。 何かがと疑問に感じる、私がおかしいのかもしれない。この様な結果が、現代の若者に多いが、その反動からなのか自分と言う者に対する責任感が無くなりつつある現象なのかも知れないと思ってしまう。
2016.09.21
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昨日、又もや認知症テストをやられた。これで三回目のような気がするが、前回はテレビ番組であったが今回は、薬品関係の事前テストであり、結果は10月に対象かが出る事に成っている。 テレビの時は、全国放映されたので、その後も予防の為に食事には、それを使っているが、今回のテストではどうも、前より悪くなっているのか良くなっているのか分からなかった。 良くはなっている事は無いであろうが、悪く成って居なければと思っているが、敬老の日に行うとは相手も、私をそれだけの年齢に診たのであろう。 確かに町会の自治会と団地の自治会から、お祝いを貰う歳に成った事は確かである。それなりの歳には成った事は認めるが、本人は、まだ、まだと思って動きまわっている。 その時点で、認知症なのかもしれないが、自覚表情がない。只、テストをやると、思い出せない部分が多かった様に思う。 そんな自分が、又もや新たな事を行おうと思っているのだからそれに巻き込まれた人は、可哀そうかも知れないと思う。 だが、自分では巻き込む事が、自分を奮い立たせ、若さを保つためだと思っているのだから、傍迷惑な事であろうと思うが、本人は迷惑を掛けて居るつもりは無いのである。 そんな事をやって居る内に、今年も後三カ月となりそれが過ぎると、また、一つ歳を取る事に成るが果たして何処まで動けるか、これからは自分自身に挑戦であろう。 動くと言う事は、自分なりに気力が生まれ、それが健康を授けてくれて、新たな考え方と行動を生んでくれるのであろう。 私から、それを取ったら何も残らないので、これからも進んで、物事に挑戦して行きたいと思う。 どうせ、金は無いし、金銭に執着は無いので、後は自分の動ける範囲で行動して、自分なりの生き方をして行けば好いと思っている。 この様な考え方だから、巻き込まれた人は迷惑であろうが悪い事に巻き込んで居る訳では無いので、それなりに皆さんと協力して行う事が出来るだけ、私は幸福なのであろう。 明日からは、新たな少年育成に関わるので、それも頑張り今までの高齢者のお手伝いもと、認知症になる暇は無いかも? 私にとっては良い事なのであろう。
2016.09.20
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ここの所、人の揉め事の関係の関わる事が多い。それも自分なりに理解出来る部分なら関わるが出来ない部分は意見だけを言う事にしている。 人は揉めると感情的に成り、自分本位の考え方を押し付ける。私も同様であるが、その感情的になる、人により上下の差が大きい様に思える部分がある。 確かに揉める場合は、何かが原因であるが、その原因を分かり合えば話が早いのであるが、それが今までの不満も重なると、そちらの方も出てしまい、揉め事が拡大するのであろう。 また、原因に対する互いの経験が違うので、その経験の違いを自分なりの意見として主張し合うから、収拾が付かない状態に成る。 揉めると言う事は、互いが冷静になって居ない部分もあり感情的に走る事からであるのは分かる。 私も揉めた場合は、感情的になる事で、自分の意見を言う。それは自分なりの経験した事が基準であり、相手の基準に立たないで言うからであるから、交差する事が多いと思う。 これは、しょうが無い事であるが、一歩下がって相手の意見を聞いてから言うべきであるが、それが出来れば揉めはしないのであろう。 人間の悲しさか、自分を基準にしてしまうのが当たり前であるし揉める事は、自分なりの基準や信念があるからだと思う。 ただ、揉め事も第三者が入る場合でワンクッション置く事が出来て、解決する事が出来るが、それも人によって嫌う方も居るので、一概には言えない部分がある事は確かである。 私の場合も、揉める事は、それなりにあり、それは自分の立場を主張して揉めるのであるから、自分なりに納得した行動を取る事にしている。 人間社会で生活して行く上で揉め事は付きないものなであろう。揉め事は尽きないが、それを自分なりに解決して次のステップに繋げる事が大切であるが、その解決が正論と考えてしまうと、状況は時代的な流れから変わる事が多い事もある事を学ばされた。 私も年齢で、昔はと言う事があるが、それは時代の流れを忘れて言っている部分があるからだろう。 だが、時代の流れだけでは無く、人としての常識や思いやりに現代社会は欠けているのと、自己中心型が基本に成りつつある事を感じる今日この頃である。 私も歳相応の考え方に成って来たのであろう。最近は相手の言い分を聞いてから、こちらの意見を言う。そこには経験の違いがあるから、揉める場合はあるが話し合いで解決できる事も多い。 だが、話し合いもしないで、頑なに自分を出す事は揉め事の解決に成らないが、性格的な部分でそれが出来ない人も居る。 人は感情の動物であるから、それは当たり前であるが一歩下がって自分を見直す事の大切さを改めて感じている。
2016.09.19
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あれと思ってしまう、私のブログです。ブログを読んで下さる方が、自分でも驚いている土曜日です。普通は、土日は、読んで下さる方は少ないのですが今回は倍以上の方が読んで居ます。 私のブログは文字だけで、殆ど写真等を載せませんし書いてある事も、苦言的な事や自分の行動的な事なので面白くはないと思いますので、読んで楽しい物では無いです。 それが、これだけ読んで貰えるのは嬉しいですが急に、今までより読んでくれる方が増えると本人がびっくりしました。 私は、ブログは日記的に書いているので、読んで面白い物では無いと思いますし、SNSと連携させていないし、連携しても1~2カ所であり、本名では書いて居ません。 特にSNSは本名を使うのですが、ブログ関係は30年近く書いているので、タイトルも、そのままで続けています。 私のシステム屋時代にHPを開設してから書きだしたので本名は使わないで書いて居ました。 また、ブログに良く書きますがSNSもやっていますがそちらにはブログと同じような文は書きませんし、コメントする位で批判記事等は書かない様にしています。 前回、始めて書きましたが、ネット販売でトラブル時の事ですがそれも相手側に宣言して、名前を出しますと了解を得てから書きました。その場合も仲介ネット関連にも了解を得ましたから販売会社名を入れましたが、勝手に自分では書かない様にしているのが私です。 SNSは便利なのですが、個人攻撃やトラブルには色んな面で問題を起こしかねませんので、それを感情的に使う方も中には居るので、問題の拡大が起きそれが法的立場に持って行く事に成りかねないのはシステム経験が長いので理解しているから、私はSNSに関しては、海外の友達と遠方の友達を主にするのと私から友達申請は殆どしない。 それは友達数を増やすと、どうしても自分が管理出来ないので相手に失礼になりかねないからである。 これで私が何か商売を行って居るなら、SNSを最大限に利用するであろうし、上手く利用するが、それでも問題は起きるであろう。 個人的に自分の行動をSNSで宣伝的に使う方が居るがそれは、個人的な事なので問題は無いが、友達数を増やすとその管理をしっかりとやらなければ、自分の信頼を失う事に成りかねない事も考えるべきであろう。 何回もブログに書くが、安易に便利さだけに主体を置いて管理面が疎かになってトラブルが起きていると思う。 最近は友達数の多い方のトラブルを見る事が多い。また、一人の友達と思っても、それが伝わるのはネズミ講式に伝わる可能性がある事も考えるべきが考えないで使う方が殆どである。 販売等場合は利用価値があるが、個人的な情報の場合はトラブルの原因になる事を知るべきであろう。 販売面や公の行動ではSNSは大いに使うべきであるが個人的な販売や行動範囲には、それなりの問題点が出る事を自覚して使うべきであろう。
2016.09.18
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最近は感情の起伏の激しい人達と接触する事が多い。前日書いた女性に、その傾向が強い様に思う。本来は冷静に対処すべきが、自分の感情が抑えられないのかそれが出来ないが、自分の行動は間違って無いと言う。 行動的に責任が取れるなら、それも理解出来るが私から見ると、互いの粗探しを行い、泥仕合傾向にしているとしか思えないのであるが、互いに譲らない。 こんな事は何処でも起きているのであろう。互いの言い分を聞くと、その部分をやってしまったら自分に不利になると思うのであるが、やってしまう、冷静さを失っているのだと思う。 私も感情の起伏は激しいかったが、年齢と供と色んな人との接触により、それが出なくなって来たと思う。 それは自分なりに、相手の立場的に考えるようになり自分本位の考え方の前に、逆の立場に成った場合も考えそれから問題部分を考えるように、多少なりにもなったからであろうと思う。 それと自分の考えが絶対と正論だと思わない様に心がけている。自分の考えが正論だと考えると、押し付ける事によって相手の言い分を聞かなくなる。 確かに正論とは思っても、相手の言う事を聞いてから話す事にしているが、私も人間であるから、それが完全ではない。 元々、私は企画や会議等も、最初は聞き役に徹して、意見を分析して、自分なりの意見を言うタイプなので自分から積極的に発言はしないタイプである。 昨年度に団地の役員をさせられたが、皆さん自分なりの言いたい事を言って、纏まりが付かなくなると、私が一言、結論的な事を言って終わりにしなければ、延々と続くので、まとめ的な事を言って終わらせる事が多かった。 私も企業に居た時もそうであるが、何のための会議と感じる事を幾度も経験したが、結論は結果を出す為にはどの様にやるかを決めて、実行段階で問題点を修正すべきだと思うので、実行過程を決めるだけだと思うのであるがそれを決めるのに、おヒレ、はヒレが付いて回る事が多い。 特に団地等の自治会に成ると、井戸端会議と何ら変わらない。皆さん、議題と違う事を言い出して、まとまりが付かない。ただ、時間だけが経ち無駄が多い。 最近は、その様な事もあるが、最初に書いた、互いの揉め事に遭遇する事が、私の周りで多いのである。それも女性であり、前日書いた女性台頭と裏腹な部分も感じている。
2016.09.17
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最近、女性の活動家の台頭が多くなった。時代の流れなのかも知れないが、別な部分で男性が頼りなくなって来たのであろう。 確かに私達の若い頃は、男が働き、家庭を支えるのがと言う考え方であり、それが経済を発展させる元ではあったが経済が低迷して、それでは生活が成り立たなくなったのと同時に女性の権利を主張する事が重なり、変わって来た。 それは、世界的にも当たり前の事であったが、男性主義の、日本では女性の権利は遅れていたのは確かである。 それが変わりつつあるのであろう。確かに、最近思うが老若男性が不甲斐なくなった。時代も女性が強くなってきているのであろう。 本来女性が強いと思う事が多かったが、それは子供を育てる感情が、その強さを引き出しているのであろうと私は考えていたが、それは違っていた部分を感じだした。 女性の強さは途上国でも見たが、子供に対する姿勢が男性と違う為なのであろう。自分のお腹を痛めて生んだ事の苦しみを知って居るから子供に対する向かう姿勢が男性と違う。 途上国でも女性は子供の為に働くが、それに対して男性の働かない不甲斐ない行動を良く見たが、この国は女性で成り立っていると感じた事があるが、それは男性の横暴な部分が強いからなのであろう。 日本も男女の差別時代が長かった事もあり、最近になって男女均等などと叫ばれて、変化しつつ段階であるが日本も急激に女性指導者の台頭が見られる。 これも時代の流れなのであろうが、そこには詳細な部分を見据える力が女性にあるからなのであろう。 男性は詳細部分に関しては、意外と弱い部分があり人間関係を優先して、それで仕事をする事が当たり前と考える為に、内部的な部分で見落とす傾向は強い。 私もそうであるが、意外と大雑把な部分が出てしまう。詳細な部分は、誰かに任せて、自分本位の行動を行う。 その様な性格であると、どうしても大目に見る傾向が出る。その為に見落とす部分が出て来るが、それで今までは通ったが、これからの時代は詳細部分を考えて行く時代になった事は確かである。 その為には、女性の台頭が必要になり、日本も変わる様に思えるのであるが、私達の年代も考え方を変える時が来たのであろう。
2016.09.16
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新たな子育て関連で、社協が行政から委託されている事を行う事に参画する事に成り、今の高齢で介護の必要な方と相反する年齢層と関わる事に成った。 対応方法は違うが、私の基本である人としての考え方は変えようとは思わないが、子供の場合は難しい面が多い。 最終的には貧困層の子供たちに成るが、それを表面に出すわけには行かないし、それでイジメに発展する可能性があるので子供達を集める方法等は考えて行動しなければならないであろう。 だが、そうなると、その様な子供達を集客する方法も考えてなお且つ、場所的に、その様な子達が集まると分からない様にして行かなければならない。 私の子供時代はブログに書いた施設であれば、それは公であったので誰しもが分かった事であるが、それは日本自体が貧しい時代であり経済的な余裕も無い時代であったので、時代的に差別的に見られる事は当たり前であった。 だが、今の日本は経済も復興して一時的に国民が余裕を持ちそれにより、その様な事に対する考えも変わったが、それは見方が変わっただけであるのと、今は差別的行為が陰険になりつつある。 同時にイジメに対しても、私がブログに何度も書いたがイジメ自体も陰険に成り、その陰険さが自殺までに持ち込んでしまう傾向が強くなった。 私の考えで人間からイジメは消えないと思っている。人は必ず差別意識を持っているので、その差別意識が子供達の中では、イジメとなると思う。 今の日本は貧困化が叫ばれ、経済も安定して居ないで労働条件も私達の若い頃から見ると、変わり過ぎる位変わり、家族関係の考え方も変わって来たのでその変化の中で、貧困と分からない様にして行くのは難しい部分も多くなった。 同時に学校教育も問題が多いし、教員自体の能力の低下も感じられて、その中で貧国層の子供達は我慢を強いられる事になりそれを微力ながらの力に成る為には、イジメも学習能力の向上もまた、非行に対する対策等、幅が広い事で考えて行かなければならない事が多いが、それを行う為には連携機関が多くなる。 そこには意思の疎通が大切であり、同じ方向を見て行かなければならないが、その面では互いに協力が必要でしょう。 これからは貧困格差が広がり、その子達が今後の日本を背負う為にも政府はもっと力を入れるべきであろう。
2016.09.15
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最近、色々な方との接触で、多くを学ぶ事が出来、今まで自分が分からなかった事等が、分かるようになって来た。 特に福祉関係は、私はボランティアとしての行動を起こしたのは、32年前の車イスの方にパソコンを教える事であったが、最終的に自己資金で行っていたので1年で挫折してしまった。 その後は途上国に5年と、東日本大震災に関わって5年を過ぎたが、私自身はボランティアと言う気持ちはない。 自分なりに勝手にやって居る事であり、前にも書いたがボランティアと言う言葉は嫌いで、お手伝いと書くと言った事がある。 私は基本的に、人は誰しも優しさや労わりの気持ちを持っていると感じているし、それが自然に出て、人同士が支え合って社会が成り立っていると思う。 こんな生意気な事を書いているが、私も多くの人に対して迷惑もかけたし、仕事上でも潰しにかけた人も居る。 それは生きて行く上であるが、その中で学んだ事も多くある。その学んだ事を、学びで終わらせたくないから動いているので自己満足なのであると思っている。 同時に私はコンピューターの初期の頃から仕事として携わり、その便利さも問題点も知る事が多いと思う。 仕事として携わりながら、自分は人としての部分が欠けて来る事を感じるようにもなり、それがと言う疑問も多く感じていた。 最盛期には残業は250時間を超える事は当たり前であり家に帰る事も殆ど出来ないで、過ごした自分であるから最終的に家族を蔑ろにして来たのである。 今、色々な人と関わって居るのは、そんな自分の過去を見返して、自分に欠けて居た部分や、経験した部分、学んだ部分を見返して、その反省が出来る自分の年齢に達したのであろう。 また、身体でも死ぬ思いを、今まで3度ほどあるが今だ、生きていると言う事は、天国か地獄か分からないが「お前は、人として働いて居ないので、もう少し人として働いたら、来て良いが、まだ足りない」と言われているのであろう。 そんな単細胞的な考えで、自分が動いているだけである。好き勝手な事を書いてしまった。
2016.09.14
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ここ数日で、SNSの怖さを知らない人達に出会った。私が神経質なのか、システム関係の仕事をしていたので色んな事を想定してシステムを作り上げて来たからなのかSNSの問題が起きる事は想定できる。 それが、現実問題として起きて、色々な相談を受けたが私がブログに良く書く事が起きた、それに対する対策を行った。 私が最も嫌う、個人的な問題を、SNSで拡散している問題であるが、起きた問題の経緯を知っている、私からすると、やるべき事で無い事をやってしまって、それが互いに譲り合わない状況に成っている。 問題を起こした側と、受けた側が、SNSでの友達関係にありそれも問題を拡大させていると思うが、私の持論としてSNSでは個人攻撃と悪言を書かない事が、基本であると思っている。 所が、今回の場合はプライベートの部分をシェアしているのである。また、起きた問題に対し弁護士が介入する程の事で、それは個人的に解決すべき事を、SNSの公共的でもあるツールを使い多くの方に拡散した事が問題である。 それをSNSで相手の記事を批判して、なお且つ相手の個人的に別な友達と、やり取りしている物まで起こした人の友達間の記事を特定の人達に送った。 これはSNSで、もっとも、やってはいけない事でありその拡散した記事は、一人であっても、その方に友達が居る限りその友達が幾人かの友達を持っている。ネズミ講方式で、記事が広がる可能性が出て来るのが、SNSの怖さである。 私が幾度も書いたSNSを単なる情報伝達ツールとして殆どの人が使用しているが、その陰に隠れた物を意識しない。 逆に言えば、宣伝や何かの行動での集客使うには便利であるが個人攻撃をした場合は、それ、どれだけの影響が出るかを考えないで使う人が多い。 どれだけ広がるかと言えば、良くSNSで呼びかけてデモや集会に知らない人達が集まるが、それにSNS「公開で」を使っている。 そのデモの参加者はSNSを見ているからであり、それだけ拡散する可能性を秘めているのである。 今回の場合は「友達」と限定しても、多くの人達が見ている可能性は否めない。そうなると他人のプライバシーの部分を故意に拡散した事になる可能性を秘めている。 それによって問題は別な角度に変わり、拡散された人が訴える可能性が出るが、それ以外で拡散されて側が反論的な記事を載せると、ただの泥試合に成るし、同調して煽る人も出て来る。 安易にSNSを考えて使う方が多過ぎるし、使う場合は個人攻撃や暴言等は行わない事がマナーであるがそれが出来て居ないから、これからもこの様な事は起きるであろう。
2016.09.13
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最近、お裾わけが多くなって来た。一人住まいなので、有難い事であると思うが、その分、気が引ける事を感じてしまう。 確かに、何か困った事があれば、私に頼みに来るので直ぐに対応して上げ、また、被災地や障害関係で地方に行った時は、つまらない物を渡す位なのであるがそれで、お裾わけが来る事が多くなった。 確かに私の住んでいる団地は、高齢化が激しく、同時に空き室が多くなって来た。 私の階も5階であり、部屋数が10あるが3室は空いている。また、高齢の方と寝たきりの方も多く、エレベーターが無いので5階に住んでいる足が悪くなりつつある方は大変であるが建物が古いのでエレベーターを付けるには、それなりの基礎工事を行ってからでなければ設置出来ない状況である。 私は被災地から送られて来た物を、皆さんにお裾分けするがそれなりに別な事でも頼まれごともして、交流をしたり井戸端会議に、たまに加わったりしているが、それはなるべく避けるようにしている。 避けるのは、女性の話は長くなるのと、終るのが何時に成るか分からないので避けるのである。 ただ、交流の面では、他の階の方とも話をするのであり私が住みだして4年目に入ったが、それなりに自治会の役員をやらされて、皆さんの身勝手な言い分を聞かされたがそれなりに交流を行えていると思う。 ただ、高齢化の問題点が集約された場所に成りつつある事に危惧する部分が大きい。 団地は高齢化により、私の知っている方が言っていたが「ここは、養老院だよ」と、私もその様に思う事が多いがこれからも交流して、互いに支えあえたらと考える。
2016.09.12
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最近は色々な事を頼まれるが、それに対する対応が自分なりに出来ているのか疑問に思う時がある。同時に結果を出さなければならないが、相手側が果たしてそこまで考えているのであろうかと思ったりもする。 ただ、自分は、行動力はあると思っていた。思って居たのは、若い頃から何事に関しても動いて結果を自分なりに経験して、それを積み重ねて来たのである。 だから、理論では無く、行動で覚えるタイプなのであろう。確かに理論的な物は必要と思うけれど、それを行動しなければ結果は出ないと思っている。 これは子供時代の環境から来たのであろう。幾度かブログにも書いたが、差別と偏見の目の中で育ちそれを跳ね返すには、結果を出すしかない状況であったからそれが根本なのであろう。 子供時代は施設であり、普通の学校に通うが、そこには何時も「施設の子」と言う周りの目があった。その状況を跳ね返すには、相手より上に行くか暴力的な行動で威圧するかに成って居た。 多くの施設の子供達は、暴力的な行動を起こしてその偏見から逃れていたのであるが、私は逆を行った。偏見の目で見る奴らの上を行けば、良いと思ったのである。 だから学業でもトップクラスを狙ったし、それなりに周りから一目置かれる存在となり、クラス委員に選ばれたりもしたのである。それは相手より行動が早く、相手の上を行く結果で認めさせたのである。 その様な生き方をして来たのが、成人に成っても変わらないのであろう。その時代に培った物が、行動を起こし結果を出せば誰しもが認めてくれるし、認める事しか出来ないのだと思う様になったのである。 だが、何時も成功するわけではないし、失敗も重ねる事が多い事も経験して、その失敗が次の行動の糧に成ったと思う。 それは論理的に考えるだけでは得られない事が多い。行動の中で思考錯誤する事により、得られる物は書物から得られる知識より現実味がある事は間違いない。 確かに書物から得られる知識も重要であるが、それを生かして行動を起こす為の知識なら良いが、只の論理的な事を、言う為の物では生きないであろうと言う考え方が、私である。 現代社会は試験の為に、書物から知識を得て、それで試験に受かり資格を取って行く考え方であり試験で取った資格を重要視しているのが現代の教育や企業であるし、一般人も資格を持っているかで判断する。 これは人の判断基準としての一部分であれば良いが今は違っている為に、学校教育も知識を詰め込み試験を重視しているから、人間的教育がなされていない。 これは、あくまでも私の考え方であるが、教育とは人の特性を伸ばす事が重要であり、その子の特性を生かしてやる事が大切であるが、それが出来て居ないのが、今の学校教育であろう。 確かに、その様にやる為には多くの人が必要になるがそれだけでは無いのが、現在の教育者が前記した知識で育ち、詰め込み型で試験が受かって居る為に、同じ様な方法で教育を行う考え方だからである。 人には、それぞれ特性があるし、問題点もある。その部分を判断して、教育すべきであり、詰め込み型の教育では、その子の特性も生かせないし、将来的に学校教育は何なのとなる。 私もそうであるが、学校で習った事が社会で生きた部分は無い事は無いが、何のために学んだと思う事が多い。 思い出すのは、先生の教え方と、自分の特性を生かしてくれた先生を思い出すが、受けていた授業学習は試験の為にだけだったと思う事が多い。 これから若者を育てる事に関わるが、其の部分を重視したいがきっと、この意見は衝突するであろう・・・・。
2016.09.11
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最近、自分の目標にしていた体重半分まで達した。本来の目標の半分であるが、今年の始めの頃から5K減であるが、私の目標は後5K減である。 年齢供に運動で体重が減らない事に悩まされていたがここの所減り出した。 夏バテもあった部分も感じていたが、食事を変えた事もある様に思える。 ただ、この暑さで運動量は減っているので、その面は心配であるが、これからも減るようであればと期待している。 だが年齢と供に体重が減少すると、逆に病気?と疑ってしまう。そんな年齢に達して来たのと、9年前に大腸がんの手術を行っているがその時の体重の減り方が異常だったので、それも心配である。 ただ、大腸がんの場合、痛みを伴わないので気が付く事が遅くなる傾向がある。だから、そろそろ、そちらの検査もして見ようと思う。 まだ、やりたい事が沢山あるので、自分なりに身体の事も調整して行こうと思っている。 社協から、また高齢で車イスの方の週三回頼まれ、それ以外に、若者対策を企画から参加して、パソコンもあり社協から机を与えるからと言われたが、それよりお金が良いですとも、言えない自分である。 そこまで、動けるので、自分なりに健康管理をおこなって行く事に専念しなければと思っている。 今は自分なりに動ける有難味を感じているし、その様に動ける様に、周りの人達に助けられているとも感じるのである。 私が動けるのは、高齢者の方のお陰であり、その方達が居るから自分なりの身体の管理も出来るのであろう。 持ちつ持たれつの状況が今なのであろう。
2016.09.10
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今回、SNSの私が最も嫌う行動を見てしまった。SNSに関しては、私は重要に考えるべきでは無いと言うのが持論である。 ただ、宣伝やPRに使う事には、良いツールであると思うので、それを最大限に使う場合は問題がないと思う。 同時に海外の報道番組等での情報収集には便利であるし特化した事等を行っている人の、自分なりの行動には使い方は応援する。 私の場合は、海外の友達との連絡事項や近況なに使うし日本でも地方の方との連絡に使う事が殆どである。 その様な面ではSNSは便利であり、即効性があり、タワイないやり取りには良いと思うのである。 だが、個人的な攻撃に使う人と、自分の行動をこれ見よがしに宣伝する方や、攻撃的な文面を書く方が居る。 私は、その様な方に対しては不愉快であり、殆ど申請を受けない。また、SNSにてアダルト系に利用する方もいる。 安易に友達に成り易いので、簡単に申請を受けるとその様な問題に遭遇してしまった。 私はシステム屋をやって居たので、その様な事には敏感であり自信を持っていたのであるが、一度引っかかってしまった。 それは相手も巧妙で、私がSNSで被災地の方と友達でありその友達の関係を利用して行われたのである。 それとは別に、私が嫌うのは個人攻撃をされる方である。SNSは多くの友達が出来るが、それはあくまでもプライベートな事は、相手との一対一の場合は、問題は無いが多数が見る場合は、人それぞれであり、同時に攻撃している方だけの言い分であり、其の経緯を知らない人が殆どであろう。 だから、私は個人攻撃に関しては多くの人に対して言う事を嫌う。その為に、私の場合は、自分から友達申請は殆ど行わないし、申請を受けた場合も、調べてから友達となる事が多い。 前に友達に成ってから、個人攻撃をした方が居たので、私はその方とは友達関係を切った事がある。 また、自分を売り込む為に災害等を利用して、自分はこれ程、災害の為にやってますと言って利用している人も居る事もあるが、それは個人の自由であるから嫌いだが友達に成ってもシェアしない程度に終わらせる。 だが、今回の場合は、完全に個人情報をばら撒き、相手のプライベートの部分を暴露して、それを多数の友達に知らせる行為を行っている。 この揉め事の経緯を私は始めから知っているので暴露した人の問題点もある事と、その人自体が被災を利用している行為が目に余るのでシェアしなくなった。 ただ、私が始めから行ってた被災地の方との関係から友達申請をうけたので削除を行わなかったが、行動は注視していたが案の定、問題を起こしていた。 その問題は、私に関連した人との問題で、その方の言い分は自分本位でSNSに書いて居て、この方が経験も無い事を行い問題が起きるなと思っていたら、起きてしまったのである。 それを自分は最大の被害者と書きたてて、多数の方に言っている。私は被害の方も加害者側も交流があるので、どちらがと言う事は言える立場で無いが、被害の方はSNSを使い相手の中傷やプライベートな内容を書き出し、相手の氏名と私的行動を出して、恨み辛みを言い出し、弁護士問題まで起こしたがこれは法的に問題が出て来る。 あくまでも個人的な事件であり、それを公の場所で公表して相手のプライベートを多数の方に教えて、誰でもが調べると見れる事を、堂々とやったのであるから、これは法的に問題がある。 あくまでも個人的に解決すべきであり、それを公にしてその様な場所で多数に個人情報を暴露したと言う事は私はシステム屋なので、情報の守秘義務と個人情報に関してはうるさい方である。 仕事上、情報を漏らす事は法的に起訴しかねないので行う事はしない。 今回の場合はSNSと言う、半ば公の場所で個人情報を暴露して自分が正しいと言った事は、相手から告訴される可能性がある。 私なら告訴する。個人情報法を知っている場合は、相手から告訴されるであろう。
2016.09.09
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現都知事が頑張っていると感じる。都政の古い体質をひっくり返す様な行動に出ている。 都政を牛耳って来た連中も、今は何も出来ないで居るが果たして何処まで続くかが楽しみである。 もし、このまま知事の行動が続くようであれば、政治家らしい人であったと認める部分があるが都政を牛耳って居た連中が、黙って居ないであろう。 本来、この様にはっきりと行動をして、選挙民が理解出来るのが政治のはずが、今までの政治は料亭内で密談的要素が当たり前の世界であり、陰で操る人間が支持を出していたのが政治である。 その為に選挙民には分からない部分が多過ぎたが、今回の知事の行動は、それを覆す様にしている。 この様に行うのが政治であり、そこから新たな改革が出来る。今までは、都民の納税で胡坐をかいた行動をしていた与党が、今はダンマリ状態であるが、どの様に出て来るか見ものである。 だが、片や日本国の首相は、バラマキ外交を行っているがそれだけ日本は余裕があるのかと言いたい。 前に書いた社会保障費の削減を行い、海外ではバラマキ外交で自分を売り込んでいるが、日本国内の現状を知っての行動であろうかと疑いたくなる。 本当に、この人は、「おぼっちゃま」だと感じてしまう。馬鹿が付くほど国内問題は後回しにして、海外に日本を売り込むだけ、それだけ日本の経済は安定しているのか? 「何とかのミックス」等と言っているが、国内予算は削減と同時に年金を株に投資して、損を出しているのであり国民は「何とかのミックス」で潤っていると感じている人は殆ど居ないであろう。 それこそ、知事の様に自分達の給与関係の半額を行い同時に議員の大幅削減を行い、日本国を立て直す行動に出たらどうだと言いたい。 海外でバラマキを行うと同時に、海外に行く経費も国民の税金であり、自分達は誰から、お金を出して貰っているか自覚も無いのであろう。 これが国政を行う政治家連中であり、日本国内の問題も解決出来ないで、海外で好い振りこきを行って私は政治家ですと言っているのが、今の政府であろう。 海外にバラマイた、お金で、日本企業が作業を請け負い政治家の懐に入る、その、お金は幾らになるか分からないであろう。 私も日本のODAから出たお金が、結果的には日本企業が作業を請け負い、現地人を使うが最終的にはピン撥ねしてそれ以外の金を相手国の政治家と、日本の政治家が受け取っている現実を見て来たので分かる。 私も途上国で仕事をしたが、私の場合はシステム関係であったので、無償資金援助で機器の購入資金であった。 私が計画した案件が通った事もあり、同時に日本もバブル期の最後の状況下であったので、政府も世界的に認められる事に力を入れて居た時期でもあったので資金を出したがバブルも終わりで、私の提案の60%の金額に成った。 私の関係ではODAが出たのは初めてであったと思う。だが、政府間同士のODAに関しては、相手国の政治家やインフラ整備の日本企業が、安価な人権費で現地雇用を行い日本企業は利潤を、相手国の政治家は自分の懐にと言うのが現状であった。 それを承知で日本国民の税金を途上国発展援助と言う名で行って来ていたのは、日本の政治家も官僚も分かって居ながら見ない振りをしていたのである。 そのバブル期と同じ事を、今の政府が行っている事に疑問を感じてしまう。 その前に日本国内問題を、もっと真剣に考えるべきであり同時に日本国民も、自分達の払った税金の行方を知るべきでそれを払ったら、政治家や官僚に任せる事は止めるべきであろうと思う。
2016.09.08
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最近、問題が起きても、それまでの過程を返り見ないで周囲の方々は、起きた事だけに集中する傾向があると思う。 私の周りでも問題が起きて、その問題だけを取り上げてしまい問題が起きるまでの、過程を見ない人が殆どである。 問題が起きる事は、起きるまでの過程があり、それによって互いの食い違いで問題となる事が多いと思う。 だが、人は起きた問題だけを取り上げて、善悪を決めるのとマスコミも問題だけを報道する為に、起きた問題に対して人は判断してしまうのが一般的である。 これは現代社会の常識的な考え方なのであろう。確かに凶悪犯罪は別であるが、日常に起きるイサカイ的な事は互いに問題が起きるまでの過程があるから、其の部分も考えるべきであるが、起きた事だけで誰が悪いとかを決めつけるのが普通である。 また、社会的な問題であっても、問題が起きた時だけを見るし報道するが、起きるまでの過程は、何が起因であったかを分析すべきが、それを考える人は殆ど居ない。 仮に二人の間に問題が起きた場合は、必ずや両方に言い分がある。その言い分がブツカリ合う為に問題が起きる事なのである。 その過程を人は分析しないで、問題だけを取り上げて争う事に成ってしまう事が殆どであろう。 そこには人の性格的な物もあるが、自分が正しいと思う事が強いのでブツカリ合うのであろう。 だが、そこまでには互いに自己主張を出し過ぎて、相手を見る事を避けている事によって、自分を見失う事が多いからなのであと思う。 これが人間なのかもしれないが、社会的な問題に関しては起きた起因を普通の人達も考えて見るべきであろうしそれによって、新たな解決策が見えて、問題再発が避けられると思うし、それは専門家がやればと言う事では無くそれなりに考えるべきであろうと感じる。 これはマスコミも同じで、マスコミだからこそ、問題の起因を分析して知らせるべきであると思うし、特にテレビ報道は問題だけを取り上げる事が殆どである。 一般的な小さな問題も、互いに起きた過程を見直すとクダラナイ自分を出している事によって起きる事があるが社会問題は根本部分が深いので、其の部分を見直すべきであろう。 特に借金大国日本は、政府や官僚は表面に出さないがこれ以上膨らむ事は、今の日本の経済状況と社会的な構造では増える事は確実である。 だが、それに対する対策や方法を行わない政府や官僚に対しマスコミはダンマリを決め、国民も関心を示して居ない この問題は、これでは将来の子供たちに対して、負を受け継がせる事になる事は確実であろう。 問題に関しては、周りも物見うさんで、騒ぎを捲し立てる人達も多いので、それも過程分析が出来ないのかもしれない。 それを国民も政治家も官僚までが、今を乗り切ればと言って国民に負担させて逃げているのであり、それを取り上げるマスコミも居ないし、政治の圧力で出来ないのかもしれない。 本当に日本人は、其の場凌ぎだけを考えている人種かも?海外なら暴動やデモ等で、自分達の考えを主張するであろう。
2016.09.07
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マザーテレサが聖人になった。彼女の功績を知らない人はいないであろうが、それは彼女が、自分を前面に出さないで、人の立場を考えたからなのであろう。 人は自分の行為を出したがる物であるが、彼女の場合は、あくまでも貧し人や、病んでいる人の行動を重視して、自分は、あくまでも陰の人と言う考え方なのであろうと私なりに考えている。 今、私はSNSをやって感じるのであるが、自分の行動を表現する方も居れば、それなりに自分の信念を表現する方も居る。 そのどちらも悪いと思わないが、私は、自分は、これだけ、やっていると個人を表現する方は私は苦手であり、シェアしない場合が多い。 確かに宣伝的には、SNSは使いようによっては非常に便利な物である。これは宣伝として使う事は好い事だと思う。 だが、自分の行動を、あまりにも露骨に出す場合は、それは認める人も居るであろうが、その逆もある事を考えて使うべきであろうと思う。 マザーテレサの話に戻るが、彼女は自分の行動を謙虚に表現して、それが自然に周りに認められて行ったのである。 それは本当に貧しい人の気持ちと生活の中に入り、人間としての優しさや労わりの気持ちがあったから出来たのであろうと思う。 本当に認められるのは、周りかであり、自分はやっていると表現しても、それは自己満足だと思う。それこそ私が、其の典型的な人間なのかもしれない。 ただ、私はSNSでは自分の事は、殆ど書かない事が多い。書くのはブログであるが、これも本名では無いので書くしSNSとは連携させていない。 ブログは長い間、書いているので自分なりの日記的なものでその時に思った事を書く事が多いし、SNSと違い即効性が無い。 SNSは自分の行動を、其の場で表現する事が出来るがその表現が、自分が遊びならともかく、私は、この様にやってますし、やりましょうと言うような、押し付けがましい事は、私は嫌いなので、殆どシェアしない場合が多い。 ただ、社会問題を取り上げて居ている方や、自分なりに努力して居ると感じる方にはシェアするが。 同時に私から殆ど友達申請は行わない。海外の友達は別であるが、日本でも地方の方とは申請されると受けるが、近辺の方の申請は避けている。 幾度もブログに書いているが、SNSもメールに関しても私は連絡用と考えるタイプなので、重要な件はやり取りしない。 私はシステム屋を長く遣っていたが、システムは、あくまでも使う人により、生き死にする事を多く見ているので道具として見るなら便利であるが、それを人の感情を表現するには無理があると思っている。 現代はメールやSNSが当たり前であり、それで表現出来ると考えている人が多過ぎる。 システムには感情が無い、愛情が無ければ、それは只の道具と変わらない事を分かるべきであるが便利さに酔いしれて、人は何かを忘れているのであろう。 ただ、宣伝に使う事は悪くは無いが、変にSNSを利用して自分を売り込む事は問題が出かねない事になる。 マザーテレサは、人を愛する事を知っていたのであろう。それは、自ら接する事で人の心が分かったのであろうと思う。 人は接して言葉で分かり合えるものなのだと思う。メールやSNSでは、本来の人としての愛は感じられないと思うし、人によって捉え方も違って来る。 これから、私が行う事も自分なりに努力して接して行こうと思うし、それで自分も学ぶ部分があると思う。 新たな事に向かう自分は、人でありたいと思っているが何処まで、出来るか分からないが挑戦して行きたい。
2016.09.06
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又もや、社会保障費の削減をと言っているが、高齢化と貧困に対して、シワ寄せが来るだけであろう。 幾度もブログに書くが、社会保障費は、これからも増え続けるであろうし、もっと貧困化や高齢化と災害等が進むと、それに対しての増額が増える事は分かり切っている。 現状では、まず政治家が、自分達の削減を示してから、予算削減等を行えと言いたい気持ちである。 憲法違反の議員が年間使う税金は一人幾らかを考えると今の議員数は多過ぎるし、大幅な削減を行ってから社会保障費の削減を言えと言いたい。 この状況では、政治家は、社会保障政策では無く姥捨て山政策を行っていると同じである。政治家自身の腹は痛まないから、数の論理だけの為に議員削減を行わず、国民に負担を強いて、自分達は政治家ですと言っているのは、本当の政治家で無く、只の税金を無駄遣いしている連中の集まりであろう。 今や、日本経済は不安定時期であり、同時に異常気象などでの災害と日本は、何があるか分からない状況である。 その中で、高齢化と貧困化は進むばかりで、それに対する政策は行われていないと同じである。同時に消費税増も見送られたが、それも政府の経済政策の失敗から今、増税すると国民の貧困格差が広がるからであるがそれを国民は分からなったのか、今回の参議院選挙でも過半数を与党に与えた。 結果的に国民が自分達の首を絞めているのであろう。政府と官僚は目の前だけの、社会保障をチラつかせてそれに乗った国民が選んだ道が、社会保障費の削減である。 政治家は年老いた人は死になさいと言っているも同じでお金が無いから、貴方達の保障は出来ませんから、働かないで歳老いたら、お金が掛かるのですが、国に、お金が無いので、予算は削減しますと言う事であろう。 その前に、政治の「せ」の字も知らない人を議員にして数の論理と言う民主主義を楯に、国民の税金を使っている政治家の削減が先であろう。 同時に日本人の好い振りこきで、世界に金をばら撒く事を行い日本国内では、貧困格差が広がっていますが、それは国民が犠牲になれば良い事で、私達、政治家は関係ありませんと言うのが今の政府と官僚であろう。 今の日本を支え、作り上げて来た人達に対する敬意は政治家や官僚には無いも同然なのであろう。 悲しいかな、これが日本の政治家と官僚達である。それを許した国民にも責任はあるし、政治の基本である国民主権は何処にも見当たらない。 これが海外であれば、暴動が起こり、政府に対して怒りを爆発させるであろう。 だが、日本人は自分の身に降りかからなければ、好いやの考えで誰もが声を上げない国民である。 本当に私がブログに良く書く、封建制度が敗戦で封建民主主義となった国が日本なのであろう。 この国民性は変わる事は無いのであろうか?その前に日本は借金大国として、世界にも信用の無い国に成るのは早いかもしれない。
2016.09.05
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金曜日、社協に行って、またも墓穴を掘ってしまった。現在、若い人を育てる企画を行う事は決定しているようであるが他の区は、区がやっているが、私の住んでいる所は社協に区が委託しているようである。 前回テスト的に行事を行ったとの事であるが、まだ、どの様に方法で行うか決定していないので、これから方策等を決めるとの事で、其の関係者で会議を行い決定事項等を決めて行く段階なので、その会議に出席要請を受けたのである。 私は、本来は其の段階からは入りたくないのである。これは行政が委託しているので、行政がらみに成る事ははっきりしているであろう。 行政嫌いの私は、四角四面の事を言われると反発しかねない。臨機応変に対応して行かなければ、立ち上げ段階は問題も多く出て来るし、四角四面でガンジ搦めに成る事では本来の目的で無い方向に行きかねない。 社協側は、色んな意見を出して貰いたいし、どの様に方向に持って行くかも検討したいので、高齢の方の実績も認めているので計画案から参画してほしいとの言う事で、受ける事に成ってしまった。今年中に、其の計画を実施する事を要請されている為である。 若い人を育てると言う目標であるが、最終的には家庭的な問題をそれなりに解決する方向性で行う事になるであろう。 それとは別に、現在行っている高齢で介護のお手伝い以外にパソコン関係をやってほしいとの要望である。 それも全部無償であるから、私もこれでは、本当にお金に縁が無いなと、自分自身で笑ってしまった。何とか食べていけているので問題はないし、それと自分が勝手に、手を出しているのだからと思っている。 若い人を育てるのは、学習関係は大学生や塾の先生方が見るとの事で、私の役割はパソコンと心理面のホローを行う事に成るであろうが、それ以外でのパソコンは別業務である。 敬老の日も近いので、自治会から記念品を貰う人(私)がこの様な状況に成ってしまい笑ってしまう どうも歳相応に見られない分、こき使われているのとそれだけ自分が動けるのだと思いやっているが自分から求めて動く事が、自分の為と思っているし親が死んだ年齢より長生きしているのであるから幸なのであろう。 まだ、まだ、これからも積極的に動こうと思っているしその為に自分も雨の日以外は、外に出て身体を動かすようにしている。気持ちは40代と思っているが、それは無理見たいですがその気持ちで動こうと思う。 最終的に自分で墓穴を掘っているのであろう。
2016.09.04
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今、子供の貧困化の問題が持ち上がっている。私達の子供の頃は、貧困は当たり前であった、それは戦後と言う敗戦国日本であったから、食糧難などや経済が発展して居なかった為である。 今は違う、政治的要素で貧困化を引き起こしている。政府は経済優先を掲げて政治を行っているが、それは大企業優先であり、一般庶民の生活を何ら考えていないと、同じである事は間違いない。 「何のミックス」と言って大企業から政治資金を集め、海外渡航に大企業の連中を同行させて、政治家がセールスマン化しているのが現実である。 確かに、それで日本の国内に利潤がもたらされれば好いが国民の多くは、経済的効果などは感じていない。 同時に年金を株投資などを行い、大きな損失を出していると今度は年金受給者にシワ寄せが来るであろうし、それによって国内の消費は減るであろう。若者も将来的な年金に対しての不安も感じるであろう。そうなれば、年金自体の収入減に成る事は確かである。 大企業に関しては、海外拠点で賃金低価格の途上国を使いそれなりの世界販路を持っているから、問題は無いであろう。 だが、日本には中小の企業が多いし、そこで働く人達も多い。大企業が海外に出ると、日本の中小の企業は利潤を生めないから賃金アップは出来ない。 賃金アップが出来ない事は、家庭生活に響く事になり家族が、それを支え合って行かなければならなくなる。 だが、政治家は大企業の方向を向いて政治を行っているので貧困や弱者対策を殆ど行って居ないも同然である。 ましてや、今、日本は災害が多発して多くの人達が路頭に迷う状況下であり、政治家は国民の苦労を知るべきが、国民の税金で無駄遣いをしても、平気な顔をして、企業から資金援助を受けているのであり、貧困や弱者対策は行われていないと同じ状況であり、自分達の腹は痛まないので、素知らぬ顔で政治家先生ですと、国民を上から目線で眺めているのである。 貧しさを知らないから、自分達の事だけを考え、自分の懐具合を調整している。 こんな連中が多い政治家を選ぶ国民にも問題が多い。国民はバブルを境に考え方が変わったのであろう。同時に人に対する労わりや優しさも無くなり、家族間の絆も失いつつあり、それを自分達の間違いとは思わず、政治や経済的な問題として、考えて来た為に、この様になった部分も大きい。 戦後、経済の発展が優先として行って、急激な発展を遂げて国民が舞い上がり、それなりに豊かになった事により人間の個の競争に成って、相手の立場等考える余裕が無くなりそれが当たり前になり、人間教育も出来ない人達が増えた事が一つの原因であろう。 この様になったのは、国民にも責任はあるが、政治家と官僚の横暴な政策に問題はあるが、それを追求しない国民も同罪かも知れない部分がある。 基本的に前日書いた、封建制度から抜け出さない政治家と国民が日本なのであろう。
2016.09.03
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SNSを見て、海外での国民が政治に対する怒りを表す報道を見るがそれに対して日本は、如何に大人しいのか、不満に対する表現が出来ていない様に思う事が多い。 幾度も書くが、日本人は大人しいのでは無く、集団行為を行うだけの思考能力と行動力の考え方が、海外の人達と違うのであろう。 私が書く、封建的民主主義の日本では、お上に逆らう事は自分を犠牲にしなければならないし、また、誰かが動かなければ自分が動いても何にもならないと言う、長い生活習慣の中から生まれ出た物なのであろう。 そこには、政治は誰の為に行われるべきか、誰が主権者であるか理解していないのかも知れない? これは封建的な日本の風土から生まれたものなので、政治家が当選すれば、先生と呼ばれ、崇められるが当選する過程までは、只の人であり、地域の資産家や地域の高額所得者である事と、親子代々が政治家である人達が地域で祀り上げられて政治家となる風土が日本であろう。 基本は封建制度の流れを受け継いでいるだけなのであろう。そこには弱者や貧困に対する考えは生まれない。 前記したように政治家は裕福層から出ているので、金が先であり、経済的に援助してくれる所の事は優先するが援助出来ない貧困層や弱者に対しては考えていないに等しい。 海外では政治的問題が起きると、貧困層や弱者がデモや暴動的行為に出る事が多いのであるが、それは自分達の生活が掛かっているのが、政治であるからで、政治により、自分達の生活を変える意思の表れであると思う。 だが、日本は一部ではあるが、殆どの国民は自分の身に降りかからないから、知りませんと言う行動である。 むしろ現在の自分には政治家が適当にやっているし問題が無いから、他人毎には口を出しませんが、ある程度の人が集まれば、陰口を言うか、行動を起こしている人の事など考えないで逆に、お上に逆らって何の得があるのと言う人が殆どであろう。 基本には、日本国民は個人主義を重んじる教育がなされていた為にこの様な考え方に成るのと、他人を思いやる気持ちが気薄なのである事は間違いないように思う。 国民性を考えると地域の自治会が、今や機能していないものそれだけ地域を考える人が居ないし、引っ張って行く人が居ないのと、小言を言う人ほど役員をやらず文句は言うだけこれが日本の現実なのであろう。 日本にはリーダーシップを取れるだけの、しっかりとした考えを持った人が政治家には居ない。また、国民も政治に対しては無関心過ぎる傾向が強い。 政治とは誰の為のものなのかを教育されていないのであろう。
2016.09.02
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新たな事を始めようと考えて、行動に移す事にした。ただ、現在、地域で行っている事と違う部分なのでどちらか一つにしなければとも考えている状況である。 現在の活動は、既に4年に入り、活動状況としてはある程度、社協も理解して貰っているので引退と考えて社協側に言ったのであるが、突っぱねられてしまった。 両方を行えとの事で、私の年齢は考慮されない状況である。新たな行動も、社協と言う事であるから、一般的に認められる部分があり、そうでなければ、認めて貰えない部分があるので、行動を開始して、時間と供に、実績を作り認めて貰う事を行おうと思っている。 同時に高齢で介護の必要な方の、お手伝いもと言う事では私の負担が大きくなるのでと、社協側に言ったのであるが社協は抜かせないの一言で、在籍しての活動をとの要望でありそうなると自分なりに調整して行く事に成った。 また、東北の被災地関係も未だ続けているので、そちらも行く事にしているし、色んな方から連絡も来るので抜けられない。 だが、考えて見ると、この様に自分が動けるのは、皆さんが、それなりに認めてくれるからだあり、色んな事を考えさせてくれ、学ばせてくれるから、自分は動けると、感謝すべきなのかも知れないと感じている。 今まで動いて来た事の中で、自分なりに反省する部分もあったしそれも自分の行動の至らなさであり、其の部分でも学び新たに自分の行動範囲を広げて行く事も好いのかもしれないと感じているのである。 ただ、私の悪い部分で、意外と楽天的に行動を起こすので自分の身体も、考えて行かなければならないとは思っているが前にもブログに書いたが、病院でも患者扱いしないのでそれだけ、自分で動けると思って行動する事にした。 今度は、若者を育てたいと思うので、私がブログに良く書く内容を徐々にではあるが、多少なりにも分かってもらえたらと思っている。 私が少年時代に経験した事を生かして、子供達の心理状況を現代に合わせた内容で、少しでも教えて行こうと思っている。 私の性格なので、若者達とは友達関係みたいな状況に成るであろう。私はそれで好いと思っているし、それでなければ相手の気持ちと同じ目線に立てないと思っているので、そこから始めて相手の心理状況を私の経験した中から取り出しながら向かい合って行くつもりである。 高齢者と違って、常識的な部分は前面に出す事は避けてその子にあった部分を引き出して行く事に成るであろうしそれなりに家庭環境もあるので、難しい部分も出るであろう。 それは私の経験から対応可能であるが、ただ、不安な面は家庭環境の部分である。親の考え方により、受け入れがたい人も多いのでその面が難しいかもしれない。 まぁ、何とかやって見て、対応して行こうと思う。
2016.09.01
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