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料理は愉しい。しかし、独り暮らしで鍋にすると、さびしいし、白菜とか大量に余っちゃうから、同じものを食べ続けちゃう、という難点もある。でも鍋物も奥が深くて、凝れそうだ。私のインドカレーもやばい。作ると食べ続けちゃう。そして飽きるんだけど、また発作のように食べたくなる。昔、漫画の「包丁人味平」で、カレー編っていうのがあって、スパイスの中には、麻薬というか、常習性を生むようなスパイスがあるって、やってたけど、そんな感じ。インドカレーににんじんはタブーなんだけど、甘みを出すためににんじんを擦って入れると、うまい。そんなことを試行錯誤してると、続けて食べちゃうのだ。あ~、また、食べたくなってきたなぁ。 お父さんのラーメンって、たとえインスタントであろうとも、いいものだ。うちの親父は、外でラーメンをあまり食べないけど、うちではひき肉と野菜のラーメンとか、作ってる。教会をさぼった日曜のお昼とかに。(だめじゃん!) ただし親父は細めんが好きで、そーめんとかも大好きだけど、私はどちらかというと、うどんとか、太いめんのほうが好きなんだよね・・・。 親父の仲間で、そば打ちに凝ってる人がいるんだって。けっこう、そばってお金のかかる趣味らしいよ。専用麺棒とか、石臼、角包丁とか買ってさ。凝っちゃうんだよ。以前、「TVチャンピオン」でやってたけど、そば打ちを趣味としているお父さんの奥さんと娘は、うどん派なんだって。需要と供給が合ってないっていうのも、悲しいね。頑固な男料理ほど、たちの悪いものはない。 ほんと、「ごちそうさまが、ききたくて。」精神でないとね。もてなしの心。親父の作るチャーハンは、コショウが効いてて、うまい。でも二日続けて、食べさせられたら、ちょっと脂っこく想ってしまうよ。もちろん、それは、親父も心得てるけどさ。親父のチャーハンのレシピは、ルールが3つある。1.固めに炊いたご飯を冷ましてから使う。2.油は、たまごに吸わせて、一度フライパンから取り出し、ご飯に火のとおったころ、入れてまぜる。3.しょうゆは、フライパンの底でじかに焦がすようにしてから、ごはんとまぜる。 あとは冷蔵庫に残ってるベーコンとか、長ネギなどの野菜、それに塩、コショウを入れて、仕上げにパセリでもかければ、言うことなし。以上。
2006年02月08日
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先日、ジー教授の書斎へ寄ったら、去年の”文藝春秋”5月号があってもらってきました。パラパラと読んでいたら、その中に「団塊カリスマ主婦の生き方」という題で、栗原はるみさんの書いた文章があって面白かった。栗原はるみっていう料理研究家は、「ごちそうさまが、ききたくて。」という本を書いた人。たしかうちの母も、この本持ってる。若々しくみえるのに、じつは結構、お年なことを知って驚いた。団塊の世代だもんね。36歳まで主婦してて、その後、子育てしながら料理に関する仕事を始めたんだって。しかも料理学校へは行ってないし、調理師免許もないそうだ。その後、朝日の記事でも読んだけど、彼女はもはや、日本の家庭料理を世界に伝承する人となったらしい。・・・「グルマン世界料理本大賞」のグランプリを日本人で初めて受賞・・・だって。すごい。米国では、今年の4月に英語版が販売されるらしい。本屋で、チェックしてみます。http://www.be.asahi.com/20060121/W11/20060111TBEH0011A.html
2006年02月07日
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私はいま、キリスト論に没頭しています。考えていると、時間があっという間に過ぎてしまいます。でも、神学の主要なテーマの一つとして、”キリスト論”を重苦しく学ぼうとすれば、それは、かなりつまらない。私の教授は牧師なので、つねに実践の立場で考えるようにと、訓練させられている気がします。“キリスト論”っていうものは、「イエスとは、いったい誰なのか?」という、問いから出発している。弟子たちの「いったいこの方はどなたなのだろう。」(マルコ4:41)という問い、これは率直で大切な疑問だと想う。なぜなら、師であるイエスが、それを改めて、弟子たちに問うているから。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(マルコ8:29)と。そして、キリスト論を考えるときに注意すべきことは、イエスが、人はそう考えるなら、それでは、あなた自身は、どう考えるのか、と問うているってこと。イエスを知るという知識を、神学的好奇心を満たすためだけでなく、実際のいまの自分にどう生かすのか。これが問われている。「イエスを知ろう」とするってことは、たとえば美枝さんが、誰かをもっと知ろうとするのと似ている。その人の人柄を知り、育った環境を知り、仕事や奉仕の内容を聞く・・・。そうすることで、この人は、こんな人かも知れない、というのがおぼろげながら解ってくる。キリスト論も同じように、イエスの人格、状態、職(職務)を考えることで、イエスという神の人を知ろうとする。また、イエスの昇天後、多くの人たちが論じ、反駁してきたイエスに関する問題も、ざっと知っておくほうがいい。今回の宿題は、“イエスの職務”について考えたことを、デボーション(ミニ説教)にしてみること。聖書研究会とかで、どのようにイエスを知ればよいのか、その方はどう我々と接しておられるのか、というような問いを提議したいと想っている。
2006年02月06日
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むかし、鬼ごっこをよくした。近くに小さな公園があって、小学校低学年のときは、よくそこで遊んでたよ。まだ、ファミコンのない時代だった。銀球鉄砲とかで遊んでいる大きい子供たちの間をぬって、駆け回ってた。でも一度、怪我しちゃったな。その公園には、箱型のブランコがあって、片方に2人ずつ、計4人が座れるようになってるんだ。でも大抵、立ってこいでいるヤツがいて、背もられにつかまっているヤツがいて、かなりの人数で乗ってた。僕はただ普通に座ってたんだけど、かなりおもいっきりこいでいたので、平行四辺形がつぶれたような形になり、片方の足が床と座椅子の間にひっかかっちゃったんだ。痛かったよ。悲鳴をあげたよ。そして、止めてもらったんだけど、仲間たちが全員、僕の家に駆け出して行っちゃったので、独りぼっちにされて、かなりさびしかった。泣いてたとおもう。おねえ的存在のはーちゃんも、そのときは、僕の家に行ってしまったんだね。母が来て、国立病院へ。すねにヒビが入っただけで済んだんだけど、折れたと想うほど、痛かったよ。精神的にも。病院ではギブスしてもらったりして、松葉杖で何ヶ月か生活してたんだと想う。後のことは忘れちゃった。何年か前に、その公園に行ってみたけど、あのブランコは取り外されてた。コンクリの丘にあった”く”の字のトンネルも、埋め立てられていたし、なんともさびしい気がしたよ。たぶん安全上の理由で、区とかの行政がしたんだと想う。いまの公園は、なんとも面白みに欠けるね。
2006年02月05日
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僕の教会との出会いは、ものごころつく前から教会に連れて行かれてた感じ。小学校時代には牧師の息子2人とよく遊んでた。聖餐(せいさん)式の使用済みのカップから、残ったワインをすすったり、教会にあったおもちゃで遊び回っていたのを覚えています。それに飽きると、牧師館に連れて行ってもらって、彼らのおもちゃでまた遊ぶ、そんな教会生活?でした。大人の礼拝には、出席させられたので、そのうっぷんを晴らすかのように、はしゃいでたのです。当時は、CS会もあったのですが、頭がついてゆかず、まったく解っていませんでした。そんなある夏休みのとき、以前にも言った、例の千葉のいなかで、地元の少年たちに連れて行かれた教会での出来事は、今でも忘れません。地元の少年たちがなぜ連れて行ってくれたのかは、いまでも不思議なのですが、教会では、CSの先生(若い女性)がいて、聖書を実にリアルに教えてくれて、子供心に、これは真実だ、と想ったものです。彼女は、子供相手ながら、写真つきの資料をみせてくれて、ここをイエス様が歩いて宣教されたんだよ、みたいなことを教えてくれたのでした。当時の私は、イエスもお魚に食べられたヨナさんも、アーチブックの絵本での印象しかなくて、おとぎ話のように想っていたのです。その先生の名前は知りませんが、いつか会えないかなぁと想っています。たぶん、当時、私がそんなにショックを受けた、とは想っていないと想うので、感謝を伝えたいのです。その教会へ行ったのは、それが最初で最後でした。千葉の地元の少年たちは、”いちわら屋”という酒屋の息子たちで、今でも家族ぐるみの付き合いがあります。昨年も、”いちわら屋”の両親たちが、父の北海道の家に遊びに来て、ゆっくり過ごしていったそうです。
2006年02月04日
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小学校に入ってからは、冒険クラブっていう、ボーイスカウトみたいなのに入った。何をしてたか、ほとんど覚えてないけど、ちゃんと独りで通ってたみたい。その帰りに、公園で子猫を見つけて、なでなでしてたんだ。遅くなったので、子猫を置いて帰ろう、としたら、その子猫が鳴いてついて来るんだ。まじ~な、と子供ごころに想って・・・。母親は猫きらいだろうな、となぜか想ってたから。それでもついて来るので、しかたなく家に連れて帰った。なんてことはない。家で飼えることになったんだ。聞いてみると、父は学生時代、プードル犬を飼ってたし、結構ペット好きだったんだ。母も子猫を気に入ってくれた。いい猫だったよ。女の子だったので、ピコちゃんと名づけた。長いこといたよ。中1くらいのときまで。修学旅行から帰ってきたら、いなくなっちゃってたんだ・・・。さびしかったよ。ある日、ピコが小鳥を捕まえてきたことがあった。かわいそうなので、その小鳥を口から取って、母に看病してもらったことがある。結局、その小鳥は、長生きはできなかったけどね。ピコは、家の外を自由に出入りしてたけど、親父が帰ってくるとちゃんと迎えて、家に入ってくる、という猫だった。人間のトイレでも、おしっこできたし。おばちゃんの別荘というのが、千葉の外房のいなかの方にあって、毎年、夏にはいってたんだけど、そこにもピコは連れて行って、放し飼い。ぜったい逃げないし、夜遊びしない猫だった。トラ猫で、グレーと黒のきれいな猫だった。
2006年02月03日
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今度の説教は、奇跡(ミラクル)を扱った、新約聖書箇所からすることになっている。そこで、いくつか候補があったんだけど、イメージの創りやすい、「突風を静める」(マルコ4:35~41)に決めました。たぶん、何人かのクラスメートも、同じ箇所にすると想うので、発想では負けられない。僕のいま持っているイメージは二つ。ひとつは、ガリラヤ湖。マルコの福音書では、イエスのガリラヤ宣教が、全体の3分の1にもなっている(マルコ1:14~6:56、8:22~26、9:33~50)。 イエスの主要な教え、奇跡、悪霊払い、癒し、召しとかは、このガリラヤ湖、周辺で行なわれている。 さらに驚かされるのが、イエスと弟子たちが使った宣教ルート。ときにイエスは湖畔を歩かれ、ときに小舟を使って向こう岸まで渡っている(4:35、5:21、など)。 ・・・想像するに、これはもうボート宣教みたいだ。ガリラヤ湖を軸に、ボートでベトサイダ、カファルナウム、ティベリアスへと渡り、その土地土地で、新たな人々と出会い、宣教している感じ。まるで、イエスはボート・ピープルみたいだね。舟の上で教え、食事し、寝て、たまに移動する。ガリラヤ湖は、イスラエル最大の湖。辞書によれば、「イスラエルのガリラヤ地方にあるティベリアス湖の異称。ヨルダン川中流にある。面積165平方キロメートル。ガリラヤの海。」とある。周囲約53キロ、長さにして21キロ、幅13キロ。最大深度48メートル。 もちろん、岸からちょっと離れれば、見渡す限りの水となり、そこは”海上”となる。ボートが揺れれば、湖水をかき出さねばならず、ペトロやアンデレ、元漁師たちであっても、向こう岸まで泳いで渡るのは至難のわざ。沈没することは、なんとしても避けたい。ところで、我々日本人にとっての湖とは、なんといっても”琵琶湖”だね。「滋賀県中央部にある湖。断層湖。面積674平方キロメートルで日本最大。最大深度104メートル。湖水は瀬田川を経て淀川に流れる。京阪神地区の重要な水資源であり、マス・アユ・シジミなどの漁業も行われる。古名、淡海(おうみ)・近江海(おうみのうみ)・鳰(にお)の海。」 ・・・琵琶湖はもちろん、ガリラヤ湖より、大きく、深度も深いわけだけど。もし、我々がいま、この琵琶湖の湖上にいるとして、突風が吹き荒れ、水面は波うねり出したら、と想像したらどうだろう。深さ104メートル。一度でも息継ぎに失敗して、誰も助けてくれなければ、あとは暗黒の底に沈むだけ。悪夢だね。・・・そんな緊迫した状況が、イエスと弟子たちに起ころうとしていた。もうこの湖は、その表面の美しさとは裏腹に、死へと導く通路と化す。さて、もうひとつのイメージがある。それは、イエスの行なった奇跡。そして、その効果。・・・艫(とも)の方で、寝ていたイエスを、慌てて起こしにかかる弟子たち。それが、師匠に対する無礼であろうが、なかろうが、事は緊急事態。「先生、起きてください!」 とはいえ、彼らの師は、船尾でまくらし、まだぐっすりと眠っている。それはまるで、ヤッファからタルシシュへ向かった汽船の船底で、大荒れの海にも気づかず、安心して寝込んでいた預言者ヨナのようだ。 ついに眼を覚まし、起き上がったイエスは、一言、「黙れ、静まれ!」と湖上に向かって、風に対して叱りつけた。その瞬間に、荒風は止まり、水面はなぎになった。弟子たちのショックは、我々が想像する以上だったに違いない。まるで自分たちが叱りつけられたように想えただろうから。 ・・・イエスの奇跡の効果は、てき面だった。自然現象は、イエスの命じた言葉に、一瞬のうちに従った。しかし、肝心の弟子たちの動揺は、まだ治まっていない。瞬時にして風が止み、波が静まったようには、弟子たちの心は落ち着きを取り戻せない。すると、イエスは彼らを諭すようにささやかれた。「なぜ怖れるのか、まだ信仰をもっていないのか・・・」と。私たちの心は、自然現象がそうであるように、頻繁に移り変わる。晴れていても、小雨にも、風にもなれば、台風のように雷雨にもなる。また、自分の外で起きたことに影響され、その色に染まってしまう。こうして、我々は、世の中のもつ、独特の雰囲気に振り回されてしまう。それは、ときに欲望であったり、怒りであったり、悲しみや無気力であったりする。 また、予想外の出来事が突然起き、瞬時に対応しようと、焦るあまり、我々は墓穴を掘ってしまう。 そんなとき、「なぜ怖れるのか、まだ信仰をもっていないのか・・・」というイエスの言葉は、我々の心にチクリと響く。弟子たちは、いったい何を静められたのか。心穏やかに、ただ信じること。それは、何事にも動じない強さ。それは、イエスと共に死に切ること。なにがあっても、艫(とも)の方でぐっすりと、安心してイエスと添い寝して眠っていられるように。我々の咎は、海底に沈められた。イエスによって、肉なる身体は、湖の底深くに沈められた。もはや、我々の荒れた心は静められている。
2006年02月02日
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今日は1月2日。実は、ただいま、セントルイスに戻ってきました。いま、夜の8時。本当に長い一日でした。今朝、午後3時すぎの便で、成田からデトロイトへ出発。かなり込んでいて、まさにスシ詰め状態。7000マイルの長旅でした。機内では、映画もろくに見ず、課題説教の準備をしてました。宿題が終わってないので、冷や汗ものです。セントルイスでは友人のロバート兄と奥さん、それにブランドン君が待っていてくれました。天候のせいでフライトが遅れてしまったので、待たせてしまいました。でもブランドン君には、でかいガンダムのプラモをプレゼントしたので、喜んでた。彼のために、我々で削ったり、塗装したりして、本格的なプラモ製作することになりそうです。 考えてみると、この休暇は、自分の成長をみる機会でした。そして、あまり成長していないことを知らされる時となりました。友人や同世代の人たちが、懸命に働いていたり、家庭をもって責任をもって生きていたり、目標に向かって張り切っている神学生や牧師先生に会ったりして、自分との距離を感じてしまったのです。日本人の勤勉さ、なんて気安く言えるものではない、なにか、私にはないエネルギーを感じました。ちょっとした内的変化があったことは、いまの僕にとっての収穫です。 北海道では、”徹底的に”くつろぎました。父の家は、町の中心地からちょっと外れた、静かな場所にあります。ちょっとした丘の上に家があり、前方には、雪化粧した白樺の木々があり、遠くには大雪山脈も見えます。また、肉の脂身を木にくくり付けておくと、たまに野鳥たちがついばみに来ます。頭の赤いキツツキ、くまげらや、まるまると太ったメジロのような鳥もやってきます。 しんしんと雪の降る中、たきぎと床暖房で温まった部屋で、野菜ばっかりの鍋をつついたり、母のアーキュパンクチャー療法をしてもらったり、43度の適度な湯に浸かったり・・・。東京や神学寮では考えられないほどの無音のなかで、深く眠ることができたこともよかった。ふだん、どこかで緊張し、どこかでプレッシャーを感じて過ごしていたようです。クリスマスのイブ礼拝、主日礼拝もよかったです。Y先生からは、いろいろ教わり、励ましてもらえました。それから家族(もちろん、犬のサムエル君も連れて。)で、天人閣という露天風呂のあるホテルにもゆきました。雪がぱらぱらと舞い降りる中で、暖かい露天に浸かるというのは、格別でした。父と一日に3度も入ってました。 大晦日は、教会員の方のお宅で過ごしました。鍋をつくってもらいました。えび、白菜、白ねぎ、たらば蟹、カキ、豆腐、しゅんぎく・・・をポン酢しょうゆと大根おろしでいただきました。うまかった~。それからうどんで、ちょっと早いけど、年越し。最後は、ご飯を入れておじやでした。テレビは、皆で紅白歌合戦を観ました。個人的には、森山直太郎の「風花」がよかった。
2006年02月01日
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こちらでも先週末、感謝祭「鍋パーティー」を執行しましたよ。おいしかった~。 女の子1人と男3人、計4人です。仲間のキッチンを借りて、一応、私が鍋の準備(お鍋は、平凡な”鳥の水炊き”でした。)と茶碗蒸しを担当。ダシは、”だしの素”を使ってしまいましたが、乾燥しいたけも使用。こちらでは、中華食材店があるので、白菜、しょうが、にんにく、長ネギ、大根、揚げ豆腐、うずらの卵(これは、茶碗蒸しに使用。)等、が手に入ります。が、肝心の”手作り豆腐”が腐っていて、使えなかったのが、うかつでした。残念・・・。鶏肉は、ささ身、骨付きのスティック、それに鳥ミンチも団子にして入れました。 鶏ガラスープを作るのには、圧縮鍋が必要らしく、普通のアルミ鍋では、うまくいきませんでした。でも、皆、美味しそうにしてたので、良かったです。茶碗蒸しには、鳥のささ身を細かく切ったものと、先ほどのうずらを入れて、青いものがないので、ねぎも刻んだものを入れました。”三つ葉”が手に入らないので、”しそ”を入れるつもりだったのですが、私の部屋から取ってくるのを忘れて、また失敗。しそは、私の部屋で栽培しているのです。”赤カブ”栽培のほうは、失敗に終わりましたが、出てきた葉っぱを食べられる”しそ”は、うまくいってます。クリスマス休暇前に、食い尽くすつもりです。春にまた植えます。 ”鍋”仲間との会話は、「日本語と英語」についてとか、結構、まじめな話が多かったです。彼らはクリスチャンではないので、宗教掛かった話には、乗ってこないのですが、それでも、私の意見は聞いてくれます。面白かったのは、彼らの専門である医学系の発想で、「人はどうやって言語を理解するのか?」というもの。子供が成長する過程で、言語を聞いて、教わって、覚え、体得してゆく。子供たちは、決して文法やシンタックスを理解して、言語の自分のものにするわけではない。本当のバイリンガル(二ヶ国語を両方しゃべれる)の子っていうのは、いないのでは? どちらかの言語に偏り、どちらかの言語で感情をよりストレートに表現するのではないだろうか、というような話をしてました。仲間の一人は、「言語には、なにかキー(鍵)となる、要素があって、単なる名詞、動詞、接続詞、助詞、形容詞の集合体ではないのではないか」というようなことを、言ってました。彼いわく、「でないと、自分で新しい文章を作り出すことはできないはずだ」というのです。私は、すかさず、「それは、創世記にある、”神の息吹”じゃないかな」と答えたのですが、あまり誰も乗ってこなかったのがさびしいところ。----------------さて、今週から、冬学期が始まってしまい、かなりの宿題が日々あるので、四苦八苦してます。まず、「説教学2」では、旧約テキスト、新約の奇跡のテキスト、たとえ話、お葬式用説教を創作せねばなりません。そのための教科書も、三冊ほどあります・・・。「組織神学2」では、ピイパー氏の教義学2の本、ルターの奴隷意思、その他、2つの小冊子を読んで、レポートも、デボーション(簡単な説教のようなもの)も書く予定。歴史神学のクラスでは、ニケヤ会議からカセルドン会議についての考察小論文があり、実践神学では、読書感想文4つ、とこれくらいかなぁ。宿題を日本へ持って帰りたくないのだけど・・・。きびし~。
2005年12月02日
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学校内の寮生活、バイトから解放され、先週木曜日から、神学校の友人ビル兄と、ミネソタ州へいってきました。セントルイスから北へ約10時間。しかもピックアップ・トラックで、ミズーリ州からアイオワ州、ミネソタ州と北上。午前7時過ぎから出発し、午後10時過ぎに、ビル兄の実家のあるセントクロウドにやっと着きました。 横断したアイオワ州は、凹凸のないフラットな畑ばかりで景色の変化に乏しく、ちと退屈でした。が、ビル兄とは年齢も近く、彼自身ベトナムで英語講師としていたという経歴もあり、車中ではアジアの話や、海外ミッションの話などで盛り上がっていました。ミシシッピ川の源流が始まるというミネソタ州には、なんと湖が大、小、約1000コ以上あると聞きました。アイオワ州より丘や坂があり、水も豊富なので、景色の富んだ美しい州です。しかし問題は、とても寒いこと。お隣はもうカナダですし、セントルイスより確実に温度が低くなるのを、ガソリンスタンドで給油するたびに感じました。車道には少々雪も積もっていましたし。ビル兄いわく、真冬になれば、レイク(湖)が凍ってしまうので、その上を歩いてテントを張り、特別な円形の穴を開けるドリルで氷を割り、釣り糸をたらす、というのがミネソタの風習なのだそうです。漫画で見たエスキモーの生活みたいなことが、ここでは行なわれているらしい・・・。 今回の旅の目的は、ミネアポリスの教会で行なわれた、神学校の友人ブランドン兄の結婚式&レセプションに出席することでした。結婚式は土曜の夕方からでしたが、私とビル兄は余裕を持って、木曜日に出発。ビルの実家で木曜の晩、金曜を過ごし、ビル一家とゆったりとした交わりももてました。金曜の晩には、さらに我々の神学校仲間、トム兄とブラジル人の交換留学生、クレシュー兄がやってきました。ビルの家には、ご両親しか住んでいないので、地下室のゲストルームと長いすのある居間で寝泊りさせてもらったのです。ビル兄のご両親はとても暖かいご夫婦で、よかった。金曜日には、アジア系食材店に連れて行ってもらい、餃子の皮、にら、お酢等を買い込むことができました。よってその晩には、ビル兄の末っ子の弟デビットさんもやってきて、中華料理パーティーとなったのです。私は、ケンタロウご飯の料理本を持参していたので、餃子をつくり、ビルの母上は、春巻きをつくってくれました。2年ぶりの手作り餃子で満腹! 友人ブランドン兄の結婚式は、ブライドのジョイ姉の母教会でバプテスト系教会でした。ちょっと雰囲気が違い、我々ルター派神学生には戸惑いみたいなのもありましたが、なかなかの結婚式でした。新郎新婦の過去のメールの一部を朗読したり、新婦のお父さんのお祈りがあったり、新鮮でした。新婦の弟さんが牧師として式を取り持ったのは、どうかとも想いましたが、まぁ、よい結婚式でした。レセプションは別の会場でバフェ形式。チーズ、クラッカー、ビーフサンドイッチ、サラダ、等々。バプテストのせいか、シャンペンもワインもなかったのは、物足りなかったですが、皆車ですし、仕方がないかも。私はカメラ持参で、張り切って新郎新婦を撮っていました。この結婚式では、さらに神学校の親友、トーゴー人のチャールズ兄もやってきていて再会。彼はその晩我々とともにビル兄の実家で過ごしました。次の主日は、ビル兄の母教会で礼拝に出席。なかなかコンテンポラルな礼拝でした。最後の晩は、また私の餃子、それにチキンカレー、とんかつ、鳥かつ、母上の春巻き、ごはんというメニュー。半年前に買っておいたパン粉をやっと使える日がきました。油で胃にもたれるので、私はキャベツと、ウーロン茶を推奨していたのですが、あまり解ってくれてなかったのがサビシイ。でも皆、ガツガツ食べてくれました。 ビルの母上から、「サザン・ビスケット」という南部のブレックファースト(朝食)のレシピを伝授してもらったり、とても愉しい滞在となりました。神学校に帰ってきて2日後、ビル兄から聞いたのは、ご両親がシンをアダプト(養子)にしたい、と言ってたとか(笑)。でも愉しく、そしてリフレッシュできました。運動不足のうえ、食べ過ぎたので、ちょっと太ってしまいましたが・・・。
2005年12月01日
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秋になりました。こちらは、たまに寒い日もありますが、また、ちょっと日差しのある日が戻ってきました。どうなってるんだか。でも寒さ対策をしないと、かぜをひいてしまうので、中古の服をちょっと買おうと想っています。自転車用の手袋って、指先の開いたヤツ、と開いてないヤツとがある。開いたのを買うのは、春になってからかなぁ。いまは、いらないや。寒くなったら、毛糸帽とゴーグル、スキー用手袋をして自転車に乗ります。さて、このクリスマスに、ちょっと帰国できることになりました。東京では、牧師先生とか、幼馴なじみ、教会の仲間と会う予定ですが、メインは北海道の父宅。父の新居は、初めてなので楽しみです。冬の北海道は、今度で2度目。前回は、父がまだ単身赴任中でアパートに住んでいたころ。父の仕事場に遊びに行ったり、スキーしたり、スノーモービル、雪遊びしたりしていました。今回も、そんな感じになるでしょう。また、地域教会の牧師先生とは仲がよいので、なにか一緒にしたいと考えています。クリスマス・イブは、新しく建つ会堂で過ごす予定。母も犬を連れて来るので、ひさしぶりの一家団欒ができそうです。犬は、最近、ストレスが溜まっているそうなので、(母が犬を留守番ばかりさせているらしい。)東京では、駒沢公園でランニング、北海道では、雪の中で運動させるつもりです。私の今後について、教会の人とも、話さねばならないので、ちょっと不安もあります。とにかくちょっとは、成長した姿をみせられるように、休みまで勉強に集中したいです。今年は、NHKの「紅白」を観れそうです、ウシシ。海鮮料理とお正月料理・・・できたら温泉も・・・沢木耕太郎の新書も買わなくちゃ・・・システム手帳のリフィルや、文房具も買いたい・・・”したいことリスト”がいっぱいになってしまって。あ~勉強ができないっ!
2005年10月21日
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最近、海外宣教について考えてます。私はどこに行っても、日本人宣教を目的にしてやって行こうと想っていますが、知り合いのある日本の教会では、タイのバンコクに宣教師を派遣しています。とてもすばらしいことだと想います。日本の教会の場合、これだけ未信者の多い日本(人口の99%以上がキリスト者ではない。)で、なぜ海外宣教か、と問う教会員も、牧師先生もいる。実際、こちらの米国ルーテル教会でも、国内派は根強いです。しかし、与える者はさらに与えられる、です。これは、伝道・宣教の鉄則。パウロのいう、バランスが取れるっていうやつです(2コリント8:14)。「あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。」(2コリント8:14)おとなり韓国の教会は、日本にも、海外にも、多くの宣教師と支援金を送っています。彼らを見習わなければ。そういえば、昨日、”8月・フェスタ”という神学校のお祭りがあり、夕方、野外で黒ビールを飲みながら、韓国の牧師先生と長いこと話し合いました。シン牧師は、(なんと同じ名前!苗字だそうですが。)ニュージャージーで韓国人伝道、そして日本人にも、御言葉を述べ伝えているそうです。先生の情熱に、私も心が熱くなりました。彼のように、日本以外でも日本人伝道をする、という道が開かれるかもしれません。祈らなければ。今週は、ルーテル系の小・中学校へ行ってきました。7年生(日本の中学1年生)のクラスで、来週から何回か、”宗教”(=キリスト教)の授業を教えることになっているのです。ホームルーム担任の先生や、校長先生にお会いし、いろいろと子供たちのことや、教育現場について、教わりました。クラスの中に、ひとり中国系の女の子がいて、話しかけてきてくれました。彼女は、幼いとき、養子として米国に来たらしく、中国とか、アジアに興味があり、自分のアイデンティティーを探っているようです。学校には、白人が多く、黒人やアジア人が少ないので、わたしの顔を見て、親近感を持ってくれたようです。なかなか、いい感じ。私の授業は、まず折り紙、そして、日本の「和」とか、「心技体」とか、できれば宮崎アニメも紹介したいです。「宗教」をお固く教えるなんて、性に合いませんし、子供たちのためにも、よくないと想います。アイディアはいろいろあるので、担任先生に相談して決めたいです。
2005年10月20日
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私のほうは、夏の講習がとりあえず終わり、一息ついています。想ったより、(授業終了後の)“宿題”が少なくてよかったです。最近、新しく信徒になったご婦人のためにちょっと悩んでいます。彼女を励ますことのむずかしさを感じ、また己の信仰の弱さに自己嫌悪し、神学校のカウンセリングも受けました。相談者として、“共感”する度合いのむずかしさ・・・。昔、カール・ロジャースという心理学者が“患者中心セラピー”というものを唱えましたが、プロ的に相談にのって、悩んでいる人をよい方向へ導くというのは、本当にむずかしい。まぁ、私はカウンセラーではないので、祈りと奉仕によってしか、他者を助けることはできないと解っているつもりなのですが・・・(使徒6:4)。そんななかで、パウロのいう、「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」(2コリ11:29)というのは、励まされるというか、ホッとします。ちょっとだけ、パウロの労苦を味わっているのかな。“共感”して、真剣に祈ることが求められているのかもしれない。牧師という仕事は、多くの人の心のケアをするとか、説教や聖書研究の準備とか、その他の“雑業”(主よ、失敬!)がかぎりなくあるのでしょうね。要領の悪い私なんかには、教会の要求どおりにしようと想ったら、3ヶ月ももたないと想います。牧会者として、教会という“組織”を考えるとき、モーセの義父のことばを思い出します。「このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれない」(出エジ18:18)。“長老”を立てて、役割を分担させる、ということなのか。エトロの助言を、実践的にどうアプライするのかが、解らないのだけど・・・。いまデボーションで、ルカ15:11からの「放蕩息子のたとえ」を翻訳しています。物語の中心テーマは、御父の慈愛。御父のいつくしみとは、英語では、“loving-kindness”という、なんと欲張ったことば! “愛して、かつ親切で”みたいな・・・。でも、子供をいとおしく想う、”親父愛“かも。この夏、『出エジプト記』と『詩編』で、ヘブライ語の“ヘセッド”ということばを学んだけれど、それも御父のいつくしみと訳すらしい(出エジ34:6、詩編6:5)。最大級の親父愛とは、「神はその独り子をお与えになったほど」(ヨハネ3:16)の愛。先の「放蕩息子」では、“屠られた肥えた子牛”がイエスなのかもしれない(ルカ15:23、30)。昨日、日本の政治について聞きたくて、北海道の親父に電話しました。元ジャーナリストとしての視点から色々教わり、興味深かったのはよかったのです。が最近の親父は、“さくらんぼ・ジャム”製作に凝ってるとか。なんとまぁ、あま~いご趣味で。お酒飲みで辛党の親父だったはずが・・・。あまいジャムをトーストに付けて食べてる親父の姿を想像すると、ちょっと笑ってしまいます。
2005年08月10日
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先週木曜日に、日本宣教師リユニオン(同窓会)があって、私もお呼ばれしました。とてもよかったです。とんかつセットをご馳走になったり・・・!戦後間もないころ、一番最初に派遣されたダンカー師の奥さんがご健在で、初対面できました。私の祖母についても話してくれて、とてもうれしかったです。私の祖母は、かなりアクティブな初代キリスト者だったそうで、浦和にキリスト系幼稚園や学校を建てたり、教会を建てるために、宣教師の手伝いをしたそうです。女学校でちょっと英語を学んだだけの祖母が、どうやって宣教師たちの方針を変更させるほどの働きができたのか、不思議です。最終日のテーマは、森さんという女性の日本語の先生についてレポートがあったり、六本木教会の新会堂をスライドでみたりしました。森さんという方は、当時、満州から両親のお骨を隠して帰国されるなど苦労された方のようです。そして帰国後、英語でほとんどすべての宣教師に日本語を教えた方なのです。彼女はノンクリスチャンだったのですが、今回参加した元宣教師の一人から、晩年になって洗礼を受けられた、という話を聞きました。六本木の新会堂の件は、私の教会なのですが、私はこちらにいてまだ実際、見ていないので感動しながら、会堂の写真を見せてもらしました。特に、3階備え付けのウォシュレットのアップ写真には、笑いました。使い方の説明までされてました。「これが強弱、これがビデのボタン、これがなんでもストップできるボタン」って・・・おい!いま取っている『詩編』で課題となっていた、詩編6からどのような実践的な用い方ができるのか、考えています。牧会での信徒ケア(病院訪問、等)で、死について、神の哀れみについて語り合えるように、とか・・・。翻訳から、神学的、実践的アプローチまで、なんでもさせられているので、ほとんど“説教準備”と変わらない気がします。こちらの神学校の聖書学と説教学は、ほとんど変わらないのでは・・・?と心配になります。これからの一年は、そのどちらもバンバン取得してゆかねばならぬので・・・。つらい!
2005年07月20日
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勉強のほうは、小論文を2つ終了し、後は大論文(15ページだけど、私にとってはものすごく多い。)だけ! 集中しなければ・・・。それにしても、『出エジプト記』はムズカシイ。たとえば、ある箇所では、モーセやイスラエルの代表者たちは、主(ヤハウェ)を見、食べ、また飲んだ、とあるし、顔と顔を合わせて語った、とあるのに、別の箇所で、主は「わたしの顔は見えない」(33:23)という。また、有名な20章の“十戒”の箇所のことなんだけど、モーセはその十戒を“どこで”聞いたのか、というのが、以外にも論議になっているそうなのだ。19章をみると、モーセはシナイ山の頂に登って、降りて、登って、降りて、民と一緒にまた登ろうとして、降っている。20:21で、またモーセは登っている。まぁ、ようは、20:1の「神はこれらすべての言葉を告げられた」というのを、ナレーションではなく、モーセが民に語った言葉とすれば、納得できるんだと想う。つまり、モーセ 『神は・・・告げられた。「わたしは主、あなたの神・・・」』(20:2~17)これならモーセがシナイ山頂で聞いたことを、そのまま、ふもとにいる民に告げている、ということになる。これは私の説ですけど・・・。教授は問題の提示しかしてくれなかったので。でもこのような問題は、ヘブライ語特有の問題、とも想います。だって、ヘブライ語の聖典には、カッコも閉じカッコもないのだから。・・・とまあ、色々気になることがでてきて、『出エジプト記』の中の主を深く知ろうとしているわけです。先日、両親に電話して、教会の現状など、聞きました。母によると、私の母教会では、牧師先生の2人の娘さんが、盛り上げてくれているらしく、「青年会」もだんだん人が集まって、結成されつつあるそうです。これは、すごい励みになります。私がいたころは、青年会がオジさん会になってましたから(苦笑)・・・。青年男子を集めるには、まず女の子を集めればよいことに、いまさらですが、気づかされました!父は、北海道にいるのですが、ちょうど電話したとき、千葉のいなかのおじさんとおばさんが遊びに来ていて、盛り上がっていました。・・・温泉、山菜、海鮮の食事を料理したり、富良野のラベンダーを見に行ったり、山の景色を見に行ったり・・・と、愉しく過ごしているようで、私もうれしくなりました。その千葉のおじさんは、親父の幼友達で、当時から町の“権力者”(ガキ大将)だったそうです。私のおばあちゃんの義姉の別荘に、毎年夏になると行っていたのです。ボクも幼い時分から、行くようになり、海水浴や網漁に連れて行ってもらったり、おじさんの3人息子たちとカブトムシを取りに行ったりしてました。そんなおじさんとおばさんだったので、声を聞いただけで、昔を思い出し、ノスタルジーにひたってしまいました(泣)・・・。・・・てなわけで、私、いまホームシックです!!!この冬には、一時帰国できるように、バイトと勉強がんばります。
2005年07月19日
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こちらの気候は、だんだん暑くなってきた。ミシシッピ川のせいで、ちょっと湿気もある。それでも寮、クラスとも冷房があるし、だるくなるほど暑くはないです。夕方には、スコールみたいな土砂降り雨もあったりする。東京の梅雨に比べれば、どうってことないです。私の最近の趣味は、園芸(?)です。赤カブの栽培を部屋でしてます。実は、味噌汁の実になる、しそとか、かいわれ大根がいいんだけど・・・。種がこちらでは、限られてしまいます。部屋で勉強しながら、霧吹きで水をやったりしてます。Perfect Mix:All Purpose Potting Soilという土、プラスチックの鉢も買い、本格的になってきました。でも赤カブって、いつごろが食べごろなのか、土から引っ込ぬいてみないとわからない、というのが難しい・・・。最近、やはり、何ごとも基本が大切だ、と想う。私の今とってる夏季クラスは、『出エジプト記とトラー(モーセ5書)』という聖書学のクラス。スタディーガイドをネットからダウンロードして、宿題したり、聖書テキストを翻訳したり。最終的に10ページほどの神学論文を書くことになるらしい。やはり、去年の勉強より、応用編という感じで、愉しい。自分なりの解釈をできるようになるっていうのは、気持ちいい。旧約聖書を学ぶ前に、古代メソポタミアや、古代エジプトの宗教史も学んだ。やはり川って、文明には大切みたい。チグリス、ユーフラテス、それにナイル川。とくに面白かったのは、古代エジプトの宗教って、特有の宇宙観があり、古代メソポタミアのそれより、楽天的なんだって。でも、やはりナイル川の氾濫もあったし、生命のサイクルが繰り返される、という感じ。物質はじょじょに朽ちるが神々にまた新しくしてもらうために新年を祝う、という。聖書時代との関連でいうと、モーセがエジプトにいたころは、もうピラミッドが建っていたころで、新王国期(1550~1070BC)。文字は象形文字。一方、イスラエルの祖父アブラハムが生まれたのは、カルデアのウルという場所。チグリス、ユーフラテス川の付け根で、ペルシア湾に近い。当時はバビロン帝国がまだなかったが、シュメール人がいて、繁栄した町だったという。文字もくさび形文字。ヘブライ語は、どちらかというと、アッカド語のくさび形文字の系統で、古代メソポタミアのほうに近いらしい。一時、この言語は消滅してたらしいが、ユダヤ人たちによって現代ヘブライ語として再生されたそうだ。やはり言葉は大切。我々の日本語はというと、漢字は象形文字になるのかな。そして、ひらがな、カタカナ。英語とはまったく違う系統なので、やはり興味深い。--------------------初めに言(ことば)があった。(ヨハネ1:1)
2005年06月11日
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火曜から夏季コースが始まります。私の夏休みは、もう終わり。2週間ちょっとでした。神学校のバイトをしたり、友人宅に遊びに行ったり、料理したりして終わってしまいました。収穫は、よく運動したこと。気分的にもリフレッシュできました。あとは、映画を観まくったこと。劇場ではスターウォーズ3、イリノイの友人ティム師のところでは、DVDでロード・オブ・ザ・リングス3、アニメのシュレック1と2、マトリックス3。図書館で借りてきたのは、M:I―2、バーバーショップ2、エンゼルワシントンが監督・出演しているアントワン・フィッシャー、山岳もの映画、そしてアポロ13。特によかったのは、やはりスターウォーズでした。大画面でアクションシーンなど迫力があり、コスチュームや兵器、マシンもかっこよかった。最後は、正義は勝つ的内容だったので、よかった。いわゆるダース・ベイダー誕生秘話とかいう謎解きの要素はなかったです。でもちょっと、設定的に気になったことが・・・。でもこれは、皆さんにも観てもらってから言おう。こちらでは、映画が6ドル50セントで観れるので、もう一回観ようかなぁ。先日、ティム一家と動物園に行ったのですが、すごかったのが、シマウマ。2ひきのシマウマがじゃれあっているのですが、それが土ぼこりを立てるほど。後ろ足2本だけで二頭が立ち上がったり、ちょっと離れたところからもうダッシュしてぶつかろうとしたり。しまいに、お父さんらしい雄のシマウマが仲裁に入ってきて、「ウォウ、ウォウ」言っていました。なかなか見ごたえがあったですよ。部屋の掃除が終わりました。場所を食っていたカウチ(長いす)を取り除き、本・雑誌などもばっさりと処分し、すっきりしました。これで勉強できそうです。それでも、勉強机が2つ、低い四角いテーブルがあり、椅子が計4つもあります。ワンルームですが、なんかいい感じです。部屋掃除は、いるもの、いらないものを整理するチャンス。牧師として必要なものって案外少ないのかもしれませんね。もちろん聖書注解や参考書も大切ですが。なにより、奉仕に必要なものだけを所持する、ということを、ティム師の説教から学びました。
2005年06月06日
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牧師館と教会の会堂管理について、M姉の話を聞いた。そのときの感想を記す。----------以前、私が行ったことのある教会堂では、他教派の教会なのですが、「セコム」と契約していて、セキュリティー対策の万全な教会でした。都心に在るとはいえ、そこまでしなくても・・・と感じたものです。ニューヨーク、マンハッタンのある教会では、日中、礼拝堂がずっと開いていて、誰でも好きなときにお祈りしにゆける、ということを聞いたことがあります。すばらしいですよね。とはいえ、いずれにしても、いくつかの安全対策は大切です。鍵とインターフォンの設置はもちろんですし、他にもたとえば、1.牧師以外の教会員が鍵を所有し、日ごろの安全点検を重視する。2.牧師不在のとき、誰かが責任をもって会堂管理をする。3.会堂内にある高価なもの(電化製品、楽器、等)を人目につかないように移動させる。4.教会の開いている時間(7~22時)の見直し。5.消火器の位置を共有して認識しておく。など、など。教会員が牧師だけに会堂管理を押し付けるのは、問題です。私が役員をしているときにも、私の教会でも新会堂建築にともない、そのような話し合いがありました。新会堂では牧師館が3階にあるからです。今の状態では、平日の開館は、牧師が聖研しているときとか、に限られているとおもいます。機材とかは、使用しない場合には、地下の倉庫にしまう、とかしていますし、物の紛失といった問題はまだないとおもいます。しかし以前には、礼拝後のちょっとした時間帯にご婦人のバッグが紛失したという事件もありました。会員一人一人の意識も大切だと想います。以前、コロラドの米国人の知人を訪ねたときのことなのですが、その方は「車の車内に物を置いておくのはよくない」といい、わざわざトランクにしまっていました。ちょっとしたことですが、他人の眼に見えるようにしていることで、罪への誘発させるのはよくない、という意見だったようです。私もそれには賛成です。とはいえ、多少のリスクは犯さなければ、理想的な「開かれた教会」になってゆきませんよね。こちらの教会では活動のない時間にはロックしています。でも平日の活動もさかんなため、いい感じで開かれているようです。やはり新しい人は日曜日の礼拝に来てもらえるようにすることが、ベストなのでしょう。すべてのものを共有していた、使徒的教会って、やはり理想の理想ですねぇ。---------「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分の物だと言う者はなく、すべてを共有していた。」(使徒4:32)
2005年05月17日
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今日は、もう少しでした。今回の説教は、自分なりには、かなり練習していたのですが、人前(ミニ・チャペルにおいて、クラスの仲間の前で。)にでると、やはり緊張します。また声のボリュームなど、いまいちで、肝心なところが聞こえにくかった等、の指摘をされてしまいました。想ったより、内容がだらだらして、集中もしにくかったようです。問題なのは、しゃべりがゆっくりすぎたのと、思い出しながらだったのでゆっくりになっていまったのです。人の眼をみて、原稿をみるな、というので、暗記しなければならないのです。(アウトラインはみてよいのですが・・・。)でも、大きなすっぽ抜けがなかったのはよかった。英語スピーチの問題かなぁ。
2005年05月16日
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私の母教会が属する教団から、初の女性神学生が学んでいます。だんな様は牧師。でもこの教団では、女性教職(執事は別。)が認められていなく、卒業後にモンダイになりそうです。彼女は牧師になりたいそうで、私の母教会にもきて、講演されたそうです。私が今いる米国の教会はけっこう保守派で、「女性牧師」は認めていません。それどころか、この神学校には女性教師もいない、という状況です。でも、ルター派系大学の歴史教師で、メアリー・トッドという人の本を読んでみると、ここでも「女性教職問題」について、神学的に論じ合おうという雰囲気がないこともない、と知りました。トッド女史の論理は明快なので、興味深くおもいました。要は、否定する人の根拠は、聖書的プルーフである、1テモテ2:13によっている(神はまず、アダム、男を造られた。) が、彼女いわく、教会における「権威authority」を論じ合おう、というもの。そして、教会において、女性たちが奉仕するうえで、さげすまれている点を指摘しています。その「権威」は男に与えられたというより、神が与えたい者に与えるという感じ。選ばれし者には、その権威が与えられてしかるべき、と彼女はいうのです。この意見には、私も同感におもいます。別のクラスで聞いたのですが、米国の女性が社会進出したのは、戦中、戦後のことです。が、ここ以外のプロテスタント教会で女性牧師が登場しだしたのは1960年代ぐらいだそうです。結構、最近のことですよね。ここら辺が日本ではネックなのだとおもいます。日本はまだ、男性中心で社会が動いてますから。ただ、女性牧師の“質”が問題視されてることも米国ではあります。個々の女性がというより、彼女たちの出た神学校、教団の神学・教義のモンダイなのかもしれませんが・・・。----------------メアリー・トッドさんの例の本をネットで紹介してる文をみつけました。http://www.alibris.com/search/search.cfm?chunk=25&mtype=&wauth=Todd%2C%20Mary&qwork=511940&page=1&matches=3&qsort=r&browse=1&full=1そして彼女の顔写真と論文等、が載っているサイトも。http://www.crisisinthelcms.org/riverforest.htm
2005年05月02日
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死者が100人を超えてしまいました。日本の列車事故として、歴史に残る大惨事です。たしかにJR西日本の事故後の応対をみていて、体質的なモンダイをかいまみてしまいます。たとえば「置き石」についての報告も、調査によれば、その可能性は薄いらしく、結果的に社自らの非を避けたいがために虚報したのか、というような印象を受けました。また、ダイヤの時間厳守については、運転手に対して罰則があるのに、遅れた場合についてのその後の対応は、マニュアル化されていなく、運転手の裁量に任せてあるらしいのです。管理者側の都合の良いように。この事故の原因は、運転暦、約11ヶ月の亡くなった運転手一人だけの非ではありません。そのような組織的な“悪意”をもっと見出す必要があると想います。日本人的、日本特有の事故として起きたからこそ、考える要素があると想うのです。もちろん1:30秒の遅れでパニックになるような運転手は、ほかの国にはいないでしょうが、人間の体質、罪を知るという意味では普遍性もあるでしょう。尼崎駅でのコネクションのこともあり、社会が要求するサービスを提供しているJR西日本を、ただ“悪”と片付けるわけにもいきません。社会人の立場からいえば、多少の遅れは、駅で証明書をもらえば、会社でも咎められないで済みます。このような大惨事の場合、誰かのせいにするという”スケープ・ゴート”を創り出してしまうことがあります。あの「置き石」のように。しかし、大切なことは、原因の追究、反省(悔い改め)、そして事故防止のために具体的な一歩を歩み出すことです。ちなみに、”スケープ・ゴート”の語源は、心理学の教科書ではなく、旧約聖書の『創世記』です。アブラハムがイサクを神に献げようとしたとき、主は一匹の雄羊を用意しておられました。この雄羊は、イエスを表す型(タイプ)です。「すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕らえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。」(創世記22:13)
2005年04月28日
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大変な惨事ですね。今回の尼崎市の電車事故で、その原因、JR西日本の管理責任、そして事故防止策について興味深く見守っています。なにが問題の背景にあるのでしょうか。知り合いのM姉は、その電車を以前、利用してたと聞き、驚きました。彼女の知り合いの息子さんが事故に会い亡くなり、ご友人は怪我とショックで悩んでいると聞きました。まさに日常の中の非常時で、悲しいです。我々には、この事故について冷静にみる視点と、キリスト者としての視点が求められてる気がします。けっして説教のネタにしようという意味ではなく、「神はその時、何をしていたのか」とか、「誰の責任なのか」という人々の問いに、我々はどう応じるべきか、を考えておく必要があると想うのです。主の御手の中に、出来事は存在します。しかし我々のすべきことは、いま何なのか、御心はどこにあるのか。とりあえず、事故の調査報告を注意深く聞き、日々のデボーションでも考えてみたいと想います。
2005年04月28日
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説教の方は、なんとかまとまりました。後は修正して、覚えこむだけです。一回目の説教は、創造と楽園、第一戒の罪、原罪、そして子羊イエス、新しいエルサレム、などと、よくばりすぎて、どうしようもなく、もうこれ以上、書き直すのは、あきらめました! とりあえず、二回目の説教でプレゼンすることになっているので、見切りよく・・・。でも、今度の説教も、ローマ8章から。「弱さ」(8:26)から祈りへというテーマに取り組みました。弱さから強さへ、という図式は安易なのでやめて、弱さのうちにキリスト(み霊)が働く、というイメージです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中にこそ十分に発揮されるのだ」(2コリント12:8)尼崎市の脱線事故のニュースはショックですね。大変な惨事。実利と安全管理・律法と福音というふうに、そんな視点で観てしまいます。ただいまイザヤ書の宿題に追われています。
2005年04月27日
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「現在の苦しみは・・・将来の栄光に比べると、取るに足らないと想います」(ローマ8:18)とは、使徒パウロが記した手紙のなかの一節だが、この箇所から、説教を創らなければならない。説教準備(Sermon study)とは、こんなにも多くの工程と作業があるなんて・・・。まず聖書テキストを読んでの第一印象・祈りから始まり、テキストの(ギリシャ語)文法理解。文の前後関係・文脈・当時の背景と状況・シンタクス(言葉の系統的配列)を調べること。注解書などから得る情報の整理。神学的理解、特に組織神学的理解を深める作業。礼拝を意識した読み方。(イエスを中心にして理解する方法としての)律法と福音の区別、(その説明のための)メタファー、イメージを考慮すること。(現代において、具体的な聴衆者を念頭におき)文化の相違について考慮。この説教が人の生き方にどう影響するか、その真意はなにか、を問う。中心テーマと説教の作用について再考する。とまぁ、大きく分けて8つの工程があるのだが・・・。ふぅ~。この説教準備こそが、私のとっての「現代の苦しみ」だったりして・・・。ああ、神さま、この苦しみを取り去ってください。
2005年03月29日
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今日はイースター、復活祭。米国ではなぜかイースターバニー(うさぎ)と卵をよく目にする。金曜日は、グッド・フライデーといい、夜7時から礼拝があり、エド兄、ジェームズ兄、キム姉と参加。キャンドルをどんどんと消してゆき、礼拝後には、会堂が真っ暗になった。イエスの十字架、己の罪について想う、という趣向だった。新鮮だった。今日の日曜主日は、かなりの人数で、驚きました。朝食のサーブもあり、ハムのオムレツのようなものを食べさせてもらい満足。イースターには、ハムを食べるそうです。話は変わるが、サッカー日本代表、イランに負けたらしい。やはりイランの攻撃は魅力的だ。フォワード3人もいるなんて。それにダエイに、マハドビキヤって、三浦カズ世代でしょ。元気だなぁ。先日、パブリック図書館で映画、座頭市のDVD借りてみた。「座頭市とチェス・エキスパート(将棋棋士)」っていう。日本のタイトルは「座頭市地獄旅」っていうのだが、英語のほうがしゃれてるよ。箱根の湯治のシーンがあって、日本を恋しくなった。ちなみに勝新のほうです、タケシのほうは観てない。昨日、友人宅で、ちらし寿司とから揚げをつくって食べた。私は鶏肉のから揚げ担当で、計20以上のドラム・スティックを揚げた。そのうちの4個は今日、寮の仲間、アフリカ出身のチャールズ君にあげました。非常によろこんでくれた。でも手の裏にちょっと、油がはね、やけどしてしまった。久しぶりにヒリヒリ感を味わった。でもまあ、一晩たって痛みがだいぶ取れ、なんとかなりそうです。氷と軟膏、ありがとう。では、皆さん、よい週を。HAPPY EASTER! ALLELUIA! HE IS RISEN!
2005年03月27日
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いや~アテネ・オリンピックは楽しかった。私の好きな柔道は、こちらのローカルTVでほとんどやっていなかったので、観れませんでしたが、雰囲気は楽しみました。なにより良かったのが、女子マラソン。ライブ中継で観ました。正直のところ私は、高橋尚子選手と小出監督が出場できなかったので、「金」は諦めてました。が、野口みずき選手はすごかった。小柄な彼女、接触をさけたのでしょう。給水所付近では独り飛び出して、先にボトルと取るなど、痛々しく想いながら観ていました。25キロ付近での”仕掛け”は見事でしたね。最速女王のラドクリフ選手の不調は意外でしたが、最後のヌデレバ選手の追い上げには、ハラハラしました。みずき選手、おめでとう。先日、友人S君からメールをもらいました。彼はギリシャへ行ったことがあるらしい。アテネでは、街の看板がギリシャ文字で全く読めず、街歩きに苦労したとか。でも魚介類の料理はおいしかったらしい。いいなぁ。この夏、「新約ギリシャ語」を習った私の場合、たとえアテネに旅行しても、私の古いギリシャ語力がどの程度、現代会話に活かせるのか、はなはだあやしく想っている。ギリシャ語は文法の理解に加え、単語や不規則な変化など、覚えることが多く、時間がかかる。むかしの高校留学前のことを思い出しました。私は英会話学校に1年、通っていたのですが、英単語の暗記ができないと、理事長にどやされる、という毎日でした。”言葉”というのは、大人になるほど、難しいものですね。でも新約聖書が読めるようになり、しかも英語の勉強にもなるので、やりがいはあります。日本の母教会の牧師先生は、古典ギリシャ語から始めたそうです。もっと難しいらしいんです。やはり時間とともに、言葉は変化し、使用しやすくなるのでしょうね。
2004年09月02日
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日記再開です。先月の日記もプランナーに記述しているので、また過去にさかのぼって記入する予定なのですが、どうなることやら。ギリシャ語が終わり、イリノイ州の友人ティム兄のところに行ってました。ギリシャ語には、苦労しましたが、なんとかパスできました。お祈りありがとうございます。このまま、ほったらかしにしていると、覚えたギリシャ単語や文法を忘れてしまうと想い、おさらいしています。明日から一年生オリエンテーションが始まります。私はまだ、一年生なのです。悲しい・・・。でもチャールズ兄もいるので、心強いです。ちょっと悲しい出来事がありました。2ヶ月前に「ギリシャ語」で出会い、よい勉強仲間だったマシュー兄が、神学校を去りました。それも、ギリシャ語クラスの最終試験の3日前に、です。理由は、神学校に提出したアプリケーションに、誤り(真実ではない記入)があったということらしいです。神学校の理事長に呼び出され、彼の過去に関する情報について問われ、問題になったそうです。人は誰でも、辛い過去や過ちがあります。恵みによって過去を消し去って、歩んでいるはずだったマシュー兄。本当に辛そうでした。私もこのギリシャ語が終わったら、彼と一緒に海外宣教(ミッション)のクラスを取ろう、とか話し合っていたので、信じられないです。正直、ショックです。彼とは連絡を取り続けて、彼の実家のフロリダへ行ってでもして再会したいです。主よ、彼の将来をお守りください。
2004年09月01日
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マシュー兄に連れられて、本屋へゆきました。土曜日の午後をコーヒーを飲みながら、ギリシャ語勉強をしよう、ということになったのです。もちろんチャールズ兄も一緒。土曜日は授業がなく、あまり勉強のほうもはかどらないものなのですが、場所を変え違った雰囲気のなか、リラックスしてできました。さて、私は今年に入ってから、予定などを記入するための手帳が欲しくて、探していたのです。なかなか良いものが手に入らず、ズルズルと7月になってしまいました。セントルイスには、「東急ハンズ」のような便利なところがなく、ショッピング・モールへ行っても、高級なシステム手帳(しかもデカイ。)ぐらいしか見つけられなかったのです。ところが今日、本屋での探索中に、ちょうどいい手帳を発見! 面白いことにこの手帳は、7月から始まり、05年12月まで使用可能という、私にとっては都合のよいスグレものでした。つまり”18ヶ月”週間プランナーというわけです。値段も7ドルとお手ごろでした。普通のシステム手帳(バインダー式)なら取り外しが可能なので、大したことはないのですが、この手帳はコイル式。私のように、7月から手帳を使いたいという米国人もいるのかぁ、とちょっと不思議に想いました。日本なら、4月から始まる手帳がありますけどね。
2004年07月24日
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『ギリシャ語』の2回目のテストが水曜日にあり、結果は、まずまずの88点。ふー。復習が必要です・・・。テストが終わって、ちょっと気をゆるしたのか、私は体調を崩してしまいました。寝不足だったようです。”おかゆ生活”を二日間続けたので、もう大丈夫ですけど。こういう時に、マイ炊飯器は重宝します。さて、日本の神学校を卒業されたM姉から、ちょっと面白い話を聴きました。ギリシャ単語を覚えるのに、日本の神学生も苦労するそうです。その覚え方とは、変わっていて、ようは”語呂(ゴロ)合わせ”で覚えこむ、というものらしい。新しく作られるものもあるが、その多くは、神学校の「伝統作品」として保存され、後輩たちに語り継がれてゆく、という。ゴロ合わせというのは、たぶん「デカ、ドデカ」(数字の10と12)・・・「修羅(シュラ)の門」・・・「ラオス」の人々・・・ビクトル・「ヒューゴー」が逃亡する、というような感じだと想う。だが、なかには、私の発想をはるかに超えたゴロ合わせもあるらしい。神学校の仲間に、M姉が「この単語、どうやって覚えたの?ゴロ合わせ教えて」と言うと、「いや~、これは下品すぎて女性には教えられない」と断られることもあった、というのだ。それにしても、”伝統的下品なゴロ合わせ”がある、という話に、興味深く想った(笑)。こちらの神学校では、英語のゴロ合わせというより、英語のままという感じだ。たとえば、「クレプトー」マニア(「盗(む)」癖のある人)・・・「ストラティテース」は、ストラテジー(戦略)を立てる「兵士」・・・「ソウマ」は、ソウマティック(身体の)だから「体」・・・「ペムポー」は、ペンパル(文通仲間)に「送る」、とか。ギリシャ語に由来する英単語が、意外にも多いことに驚かされる。(よって、『ヘブライ単語』を覚えるよりも、ずっと簡単なのだ。)私の神学校でも、“下品なゴロ合わせ”じゃないですが、こういう話があります。テキストの例文で、「パルセノーウス」(処女たち)が野原で洗う、という、変な文があったのです。が、それはいいとして・・・。ちょっと前の授業中のことなのですが、教授の提案で、今までに習った単語で、それぞれが自己紹介文を作ろう、ということになりました。そのとき、最も面白い文を作ったのは、最後列に座る、ふだん静かなある生徒でした。彼の文を聴いたとき、クラス中で大笑いしたのですが、教授は独り、別の意味で笑っていたのです。というのも、文法的なミスで、まったく逆の意味になってしまっていたからです。最初、それは、誰にもよく解らなかったのですが、教授が赤面しながら、黒板で説明してくれました。その文は、「私は酒(=オイノン)と、野原にいる価値ある(=アクシオウス)処女たちを愛す。」というものでした(笑)。が、その文では、「価値ある」という形容詞が、男性形だったのです。これでは、「私は価値ある童貞たちを愛す。」になってしまうのです。正しくは、「アクシアス・パルセノーウス」(価値ある処女たち)でした。この辺りが、『ギリシャ語』の“危うい”ところのようです。
2004年07月23日
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セントルイスの田口壮選手が、久しぶりのホームランを放った。相手は、シカゴ・カブス。8回終盤での価値ある一発だった。ソロ同点打となり、8対8。その後、プホルス選手の本塁打でさらに3点を得て、逆転勝利した。私にいわせれば、主砲の逆転打より、そのお膳立てをした田口のほうがすごい。地元の新聞によれば、プホルスは5打席5安打(3本塁打)だったらしいけど・・・スゴスギ。チームはただいま、絶好調だ。ギリシャ語で忙しく、試合を観にいけないのがツライ!
2004年07月20日
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最近、日記をサボっています。日本の友人らに、メールを書くことを怠っていたことが多分に影響しています。書いたのに、メールの返事が来なかったりすると、億劫になりますよね。また、色々とこちらでのささいな出来事や、神学的な話を書くつもりです。さて、最近の私は朝から晩まで、『新約聖書ギリシャ語』三昧です。幸いにも勉強仲間のマシュー兄と、トーゴー出身のチャールズ兄に助けられて、楽しく学んでいます。やはり、仲間がいると張り合いが違いますね。本当に感謝しています。去年は孤独で、つらかったので・・・。新約聖書は、もともとギリシャ語で書かれています。ギリシャ語はギリシャ語でも、厳密に言えば、「コイネー・ギリシャ語」です。ホメロス、プラトン、ヘロドトスといった哲学者たちが使用した「古典ギリシャ語」とは異なるらしい。その後の時代、ヘレニズム時代(紀前336~30年)からローマ帝国時代にかけて、使われた世界語が、「コイネー・ギリシャ語」なのだそうです。日本の神学生にとって、入門テキストといえば、やはり『ギリシャ語4週間』から始めるのが常識でしょう。が、こちらでは、こちらの神学校の現役教授、ヴェルツ氏が書いたテキストを使っています。なかなかよくまとめられた本なのですが、著者ヴェルツ氏の授業は、ちと難しいらしい。マシュー兄いわく、授業中に生徒が質問すると、その質問を答える前に、生徒の英文法の間違いを訂正させられる、とか。なんとも、やりにくそう・・・。私は新約は、『ルカによる福音書』専門のオシュワルド教授から教わっています。とても穏やかで、よい先生です。でも最近、サッカーをしていて、先生の息子の足をもろ蹴っ飛ばしたので、先生からからかわれることも・・・。私は悪くないんですけどね。(でも、台湾人リン兄を怪我させたのは、じつはその息子で、仕返しができた、とも想っているのですが。主よ、おゆるしください。)明日は、われわれの学生仲間で、インド人のプリーストリ師が教会で説教をするので、それを聴きに行くつもりです。朝早く出発するので、辛いのですが、仕方ないです。
2004年07月17日
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最近、ネットで「LOVING YOU(ラヴィン・ユー)」というのを観ました。なかなか面白かったです。韓国の 済州島での恋物語。映像で観る限り、綺麗なところのようです。内容は、みかん園があって、そこで働いている男性と、この島で育った、泳ぎの得意な女の子の話。この男は、大学時代に、サークルの映画撮影でこの島に来ていて、メンバーの一人を事故で亡くし、その心の痛みが癒しきれていない。一方、女の子のほうも、父を崖からの転落事故(過失死?)で亡くしている。そんな中で、出会った・・・。昨日、イリノイ州で牧会しているキム師と奥様に神学校で会い、韓国海苔巻き「キンパ」をいただきました。ありがとうございます、と言いたくて、(韓国TVドラマでよく聴く)「コマウォ」と言いかけたのですが、失礼かも、と想い直し、サンキューとしか言えませんでした。後で、韓国の神学生に聴いてみると、敬語では「コマウプスミダ」らしいです。間違えて牧師先生に、友人向けの会話をしては、まずいし・・・。不甲斐ない。リン兄のほうは、相変わらず痛々しいのですが、眼の腫れは、多少ひいたようです。先ほどもらった「キンパ」は、リン兄と分けて食べました。美味しかった!
2004年06月15日
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最近は相変わらず、バイトして、運動して、食べて寝てます。月曜日の夕方、想わぬアクシデントがありました。仲間たちとサッカーをしていたのですが、台湾のリン兄がヘッディングで競り合って、ケガをしてしまったのです。相手は米国人の仲間なのですが、一瞬、頭どうしで当たったなと想いました。が、リン兄のほうは、グランドで転げまわって痛がっていました。いやな予感が・・・。駆け寄ると、顔を抑えているリン兄の手の先から、血がにじみ出てきたので、非常にビビりました。もし眼にケガをしていたら、大変な惨事・・・。幸い、といっても本人は大変だったのですが、眼の上の眉毛のあたりを七針縫っただけですみました。グランドを後にして、中国人のルーク兄を2人で、リン兄を病院へ。2時間以上待たされ、手術。先ほどリン兄に会ってきたのですが、まだ右目が青くはれて、まるで「おいわさん」状態です。痛々しい。それにしても、薄情な米国人の仲間たちだ。我々が病院へゆくとき、振り返ったら、もうサッカーを再開してたし。少なくとも加害者のヤツは、病院についてくるべきだったのではないか。今後、手術費等、保険でカバーできなければ、加害者に請求すべきだと想う。彼は、神学生ではなく、教授の息子なので、堂々と請求できるはず。リン兄は、そんなことはしたくないと言っているが・・・。
2004年06月14日
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昨日から、夕食後にキャッチボールをするようになった。台湾に一時帰国していたリン兄が、日曜日の晩に戻ってきて、グローブも二つもってきたのだ。以前から、リン兄とは、日本人メジャーリーガーのイチローや松井、野茂の話をよくしていた。中日の郭源治(かく・げんじ)投手のことも話した。実は私は、野球に関しては、観るばかりでド素人。リン兄の投げるボールをキャッチするだけでもビビッてしまう。でも、ボールの持ち方から教わり、愉しんでいる。以前、右肩を手術した私には、リハビリにもなり、よいことだ。よく聞けば、このリン兄も野球経験はないとの事。ただリトルリーグに所属していた息子と練習するので、勉強したという。こんな台湾のおじさんと野球の練習を米国でするとは、想ってもみなかった。この夏のオリンピック野球のほうも、2人で盛り上がっている。台湾野球は、韓国より強いらしく、アジア代表に残ったのだ。今回は、金メダルのチャンスはある。台湾と日本が決勝まで勝ち残り、対戦できれば面白いのだが・・・。
2004年06月09日
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今週は、月曜日が祝日だったので、あと一日で週末か、早いなぁ、という感じです。最近、神学校でバイトして忙しくしています。でも体を動かしていると、へんな悩みも吹っ飛んでしまうので、気が楽です。メンテの仕事はいくらでもあるらしい。今日は、教室のある建物の地下をスティーブ兄(アフリカ系のおじさん)と掃除。先日の雨で水浸しでした。地下室なのでほこりもあり、マスクと作業着(つなぎ)、そして長靴まで借りて、本格的な装備でやりました。歴史神学のドスト教授とすれ違い、「おお」と言われました。バイトのおかげで、余計な脂肪も落ち、体も動く。一石二鳥です、やった!でも最近、ご飯とローストチキン、それに生のにんじんしか食べてない。焼肉のようなものをガツンと食べたい、と想うこのごろです。
2004年06月03日
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今日は、日課のサイクリングの後、ちょっとだけ勉強(?)しました。先日、フラッと、ドクター・ジーのオフィスに寄ったときに、ある資料をいただいた。それは「ミシオ・アポクリファ誌」の最新号で、わが神学校の教授たちが、寄稿している月刊誌だ。今月号の特集が、日本の北森嘉蔵(かぞう)氏の「神の痛みの神学」についてなのだ。ただでもらっちゃったので、うれしい。ジー先生いわく、米国では、日本の北森神学が一時、ブームになったんだそうな。「痛み」の観念は、当時、ルター派にとっては新鮮で、「十字架の神学」とも重なるとか。もっとも北森氏は、ルター派出身らしい。英語で、北森神学を読むというのは、なんか逆輸入のような感じもする。しかし、実際、手元に『神と人間』(現代文芸社)という本があるが、段落があまりなく、文体も古く、哲学的なので、私には読みにくい。以前、母親が無理して、北森氏の『神学的自伝』を読んでいたが、あれも読み辛らそうだったので、私は敬遠していたのだ。むしろ英語の方が、読みやすいのかもしれない。北森氏は、エレミヤ31章20節の「我のはらわたかれのために痛む」(文語訳)っていうのがヒントになり、『神の痛みの神学』という本を書いたらしい。ふだん、新共同訳を読んでいる私には、ピンとこなかったが、文語訳を読んでみて納得。この聖句に関しては、もうちょっと深く、勉強したくなった。ヘブライ語聖書でも読んでみようと想っている。とはいえ、私がこの「痛み」について聴いたのは、今回が初めてではない。高校留学時代に、ある伝道集会に参加し、そこでたしか、トニー・カンポロ氏という伝道者が、「神も、我々のゆえに心が痛むのだ」というようなことを語っていてたと想う。当時、新鮮な印象をもったものだ。ネットで調べた限りでは、この『神の痛みの神学』(新教出版社版)は昭和21(1946)年に出版されている。英語訳が出版されたのは、9年後の1965年らしく、このころジー先生のいう、”北森ブーム”があったのだろう、と推測する。それにしても、ジー先生の神学的な好奇心というのは、衰えを知らない。80歳を越えた今でも、率先してこのような雑誌に寄稿したり、生徒に個人指導したりしているのだから。先日話したときには、あのカトリック小説家の遠藤周作にも会ったことがある、と言ってた。この夏の間に、なんとか、北森神学について自分の印象を伝えることができるようにしたい。
2004年05月22日
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やっと期末試験が終わった。夏学期までに、ギリシャ語の予習と、今までの学びを振り返りたい。昨晩、友人のハルン兄から電話があった。セントルイスの空港からだ、という。乗るはずの便に間に合わなくて、夜12時のフライトまで、待機中とのこと。時間にルーズなところは、いかにもアフリカ人らしい。彼はニュージャージーに親戚の家がある。でも、経済的な理由で、夏のギリシャ語のクラスを取れるか、どうかわからないと心配がっていた。「留学生には、同じ問題があるよ」と、励まし、「ギリシャ語入門の本を買って送ってあげるから予習しろよな」と、うながした。今日は友人たちの卒業式(野外で夜7時から。でもまだ明るい。)がありました。親しいチカコ姉(MA取得)も卒業されたので、プレゼントに一輪のバラを・・・。喜んでくれたと想う。また、仲間が旅立ち、寂しくなります。今日の午後は、友人アディソン君と買出しに行ったり、美術館へ行ったり、また留学生の学びに参加したり、と忙しい一日でした。こちらの天気は最高。カラッした天気に、心地良い風もあって・・・。セントルイスの美術館は、無料なので驚いた。これではあまり期待できないかな、とも想ったが、なんの。マグリットの作品(空に浮かぶ隕石みたいなもの)や、マックス・アーネストの作品。それに現代風ポップな感じの、ドイツ人芸術家の作品など、興味深かった。中国系と韓国系の食料品店では、韓国ラーメンとキムチ、永谷園のふりかけ&お茶付け、手作り豆腐、冷凍の納豆と餃子などを購入。簡単に食べれるものに限る。寮にキッチンがほしいよ~。ちょっと変わったものも買ってみた。「杏仁・乳凍」というもの。右端には、「古法燻製・博統口味」というような事も中国語で書いてある。値段は1ドルちょっとで、豆腐のようなパックのヤツだ。杏仁(あんにん)豆腐にしては、安い!と想って、よくわからなかったが買ってみた。冷蔵庫で冷やして、食べてみたが、なんと、甘くない!「澱粉水」に漬かっていたのだが、その水分が甘くないのだ。ガックリきたが、神学校のフードバンクで以前もらったイチゴジャムがあったので、それといっしょに食べてみた。これが以外にも、うまかったので、大満足!
2004年05月21日
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ニューヨーク・メッツとのアウェー試合で、TV観戦もできなかったが、先発した田口が大活躍。私としても気分がいい。まだ、新人のリトル・松井には負けてませんよ~。地元紙セントルイス・トゥデイでも、「田口が4安打をたたき出し、11対4の勝利」と大絶賛。四球を含めて5度も出塁した田口選手、たんなる補欠選手ではない。以前、田口選手のHP日記にあったが、出番のない試合後でも、田口選手はグローブを磨いたり、データの整理をしたりして、一番最後にロッカーを後にするという。ホームゲームでの試合後でも、そのような調子なので、田口夫人がいつも待たされるのだ。毎日試合に出れない選手であっても、準備はいつもしているとは、言いやすく行ない難し、である。元マリナーズのマイク・キャメロンのミスで、二塁打となったり、今日の田口選手には、運もあったらしい。しかし調子づいた田口選手の4安打は、さすが。ちょっと気になったが、メッツのピアザ選手って、捕手じゃなかったっけ。なんで一塁にいるの・・・?
2004年05月20日
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最近、スタメンも少なく、たまにピンチヒッターで打席に立っても、バントの指示が続いていた田口選手。しかしついに、初ホームランが出た。卒業間近のジョエル兄は、スタジアムでそのアーチを観たという。「あの小さい体で、すごいよ」と語ってくれた。まだまだ、これからだぞ~。スタメンのチャンスに、よくぞ決めてくれた。チームも5対2でブレーブスに勝利し、よかった。やはり代打で立つより、スタメンの方が、田口選手はいい結果を出している。そのへんのところを、考慮してください、ラルーサ監督!
2004年05月13日
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金曜は、夕方から“スプリング・フェスト”という神学校のお祭りがあった。強い日差しのなか、黒ビールを飲んで愉しんだ。神学校公認のパーティーで、このような祭りは、年に2回しかない。そのかわり夕食は、アメリカン・ドッグとチップスというもの。おつまみだよ、これでは・・・。久しぶりのビールで、気分がよくなったが、後でちょっと、頭が痛くなった・・・。私はほとんど飲めないのです。神学校の仲間は、皆あまり強くないが、台湾人のリン兄だけは、ジョッキに3杯も飲んで喜んでた。さすが・・・。翌日、ブランチの食事中に仲間と話していたら、昨夜のビールの話から、タバコのニコチン、カフェイン、アレルギーのピーナッツの話にまで発展して愉しかった。こちらでは、ライト・ビールが炭酸飲料なみの安さで売っているが、ネイソン兄のおじいさんは、朝起きたらウイスキーの2ショットを飲むほど、アルコール好きだったらしい。車社会の米国では、田舎に行くほど気軽に飲めて食べれる場所というのは、少ない。レストランか、バーしかないのだから。飲酒運転による事故も多い。タバコは、神学校で吸っている人を見るのは珍しいほどだが、ケンタッキー州(タバコの名産地。)では、公立高校に喫煙場があるほどだった。米国の教会では、AA(アルコホーリック・アノニマス)というサポートグループの集まりが盛んだ。でも、その集会では、アルコールの禁断症状の状態にある人たちが、反対に喫煙の場としてしまう、という問題もあるらしい。炭酸飲料マウンテン・デゥーの飲みすぎで、カフェイン中毒になる人もいる。2,3日も飲まないと、ひどい頭痛に襲われるという。また、ネイソン兄いわく、彼には生まれながらのピーナッツ・アレルギーがあるそうだ。ピーナッツはもとより、ピーナッツバター、ピーナッツ油で調理された中華などでも、吐き気とジンマシンに悩まされるという。日本では聞いたこともなかったが、米国では、幼児がピーナッツを食べないように、親が注意を払っているし、ネイソン兄のようなアレルギーをもつ人をよく聞く。台湾人リン兄に言わせれば、そのピーナッツがビールのおつまみには、最高なんだそうだが・・・(笑)。
2004年05月08日
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昨晩、教会から帰ってきてから、ご飯を炊き、キムチとインスタント味噌汁で、いただきました。食べながら、ネットで韓国ドラマ『初恋』(一話が無料なので)観ました。(韓国づいてますね。) 96年、韓国KBS制作で、66話もあるらしい。日本でいうと、NHKの朝の連続TVドラマのような感じです。「ペ・ヨンジュン主演」というフレコミでしたが、実際、内容のほうは、少年時代から始まり、子役たちが熱演してました。三人兄弟(姉、兄、弟)が父の都合で、ソウルから、田舎町に業者のトラックで引っ越してくるところから、物語ははじまり・・・。姉が亡くなった母親代わりで、中学校にもゆかずに、家族を支えていました。時代設定が多少昔らしく、米軍の配給物資をくすねて商売する、気性の激しいお隣のおばさん、などが出てきます。この姉は、ちょっとドモリのある、気の優しい女の子。父親は、町の小汚い映画館で、広告看板を描く、画家。2人の息子のほうは、まず、親父に似てアートの才能があり、家族のために毎朝、新聞配達をするやさしい兄。そして、勉強はできるが、なにかと兄に対してコンプレックスを感じる、甘えん坊の弟。この弟が成長してペ・ヨンジュンになるんですが、ちょっとグレてしまうらしい。転校してきた弟をやさしく迎えるかわいい女の子がヒロイン。でもこの子は、父の勤める映画館のオーナーの娘で、いつも車で登校するというような、お嬢様なのだ。弟としては、彼女が好きだが、親父との関係も事を複雑にしているように想え、また彼女が兄の描く絵を気に入ったことからもシットして、自分を失うような恋の悩みをもってしまう。と、まあこのような話なのだ。とてもじゃないが、66話も観るわけにはゆかないが、とりあえず、第一話は面白かった!
2004年05月02日
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昨晩、夕方5時半からの礼拝に出席しました。土曜礼拝は、青年向けの礼拝と、聞いていたのですが、今まで機会がなく、今回が初めて。とてもよかったです。普段の礼拝より少ないと想いましたが、それでも教会に110人以上いたようです。特にバンドの音楽がよく、♬~You are my all in all~♬などのゴスペルを歌えて愉しかったんですけど、周りの年配者のノリはいまひとつ。そう、以外にも年配者が多かったのです。でも子供たちも25人ぐらいいたでしょうか。友人のエド兄が子供用のメッセージを語っていました。私もいつかせねばならんのかな、と想いながら緊張してみてました。説教は主任牧師のヨハネ10章の「イエスは羊飼い」の箇所から。べつに青年向けという感じでもなく、普段どおりでした。でも聖餐式もあり、十分満たされて帰って来ました。よって、今日の主日礼拝は、さぼりました!
2004年05月01日
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最近は、ちょっとだけ、落ち着きました。でもいま、歴史神学の論文「日本の教会の歴史」について書いてます。教授も興味をもってくれて、気合を入れてます。AD1年から1549年ザヴィエルの宣教、さらに第二次大戦後の現代まで、ざっと書こうと想ってます。教授から言わせると、日本人は、情報を集めてから吟味し、結論を導き出す思考法が得意なのだそうです。私の場合、結論に何をもってくれがよいのか、まだ解からない、というだけなのですが。なるほど・・・。なぜ、日本人キリスト者(クリスチャン)が、依然少ないのか、ここらへんの問題について、考えることになると想うのですが。とにかく、まず終わりまで書き終えてから、序論にthesis(論題)を書き加えるつもりです。
2004年04月30日
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田口選手、久しぶりのホームでもスタメンも、4タコだったらしい。地元TVでは、試合を放映してなかったようで、観戦はできませんでした。「フィリーズ7-3カージナルス」で負けてしまったようです。HPによれば、ヒットには、つながらなかったものの、内容は悪くなかったらしい。どうやら張り切りすぎた模様。世の中厳しいなぁ。田口選手には、また信頼回復してもらいたい。
2004年04月27日
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トルシエ監督が、今度は、韓国代表監督のポストを狙っているらしい・・・。サッカー日本代表の前監督は、ご存知、フィリップ・トルシエ監督。フランス人である彼は、W杯後、フランス代表の監督を希望したが果たせず、結局、W杯未出場のカタール代表監督に落ち着いた、ということまでは、報道で知っていた。また、最近、トルシエ監督は、W杯に出場するために、ブラジル人の3選手を、カタール国籍にして招くなんていうプランも出していたが、どうやら失敗に終わったらしい、というニュースも聞いていた。が、それ以上は、あまり扱われず、私は、彼がどうしてるのか、と疑問に想っていた。そんな時、山本日本五輪代表とトルシエカタール代表の親善試合の結果が知らされた。なんと、1-0で日本が勝ってしまったらしい。相手は、カタールとはいえ、フル代表である。トルシエ氏は、大丈夫なのだろうか。最近、雑誌『ナンバー』に、トルシエ監督の直接インタビューの記事が載っているのを見つけ、この詳細についてじっくりと読んだ。なるほど、トルシエ氏も苦労しているなぁ。カタール代表のレベルは、相当低いらしい。なお、興味深いのは、トルシエ氏が、ジーコ・ジャパンについても語っていることだ。氏いわく、「危うい状態」らしい。きっちりと、日本へも売り込みしているところが、彼らしい(笑)。でも、トルシエ監督が、韓国の代表を指揮したら、面白いだろうなぁ。このままの韓国では、また、以前のがむしゃら根性サッカーに戻ってしまいそうだから・・・。可能性は、低いらしいけど。2006年のドイツW杯で、トルシエ氏が、また成長した姿で戻ってきてくれることを望みたい。http://number.goo.ne.jp/from_number/589/special_features/spe3/index.html
2004年04月26日
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昨日、金曜の午後から、インターナショナル・ミッションなんとか、という集会があって、日本の宣教を宣伝するために参加しました。私の所有している文庫本や、雑誌、『天空の城ラピュタ』のビデオなどをブースにおいて、人と話したりしていました。勉強の時間が惜しいのに・・・。でも、インドのブースで、特製キーマ・カレーをいただき、大満足。来ていた子供たちと一緒に、『ラピュタ』を観たりして、十分愉しみました。でも、土曜の朝から、また勉強です。まだ論文が書けません。情報をインプットせねば・・・。でも、先日の国際色豊かなフェスタは、いい刺激になりました。また、ガンバリますか~!いま、無性にサザンオールスターズの「桑田佳祐」が聞きたいです。新曲の『彩~Aja~』(アヤ)という曲をネットで聴いて、気に入りました。
2004年04月24日
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田口選手は、あの三安打を放った17日以降、スタメンがないし、私のほうも歴史神学の勉強で追われっぱなし・・・。もろ後手に回っている状態。まったく、厳しいなぁ、人生は。田口選手の陽気さを見習わなければ!
2004年04月21日
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セントルイス・カーディナルスの試合を、TV観戦した。ホームでコロラド・ロッキーズを迎えてのデーゲームだ。今日のセントルイスは、最高気温が30度。もう、初夏という感じで、暑い。我らが田口壮選手は、一番レフトで、スタメンだ。第一打席の田口は、左腕の初球をセンター前に、ポトンと落とす、渋いヒット。田口の足を生かすこともなく、その後の打者は、早打ちして続かなかったが、田口にとっては、さいさきの良いスタートだった。第二打席は、無念の一塁正面のゴロ・・・。序盤のカーディナルスは、コロラドに3点を取られ、厳しい試合になった。ゲストのマーク・マグワイヤが、家族の話などで、間を持たせていた。マグワイヤの息子さんは、16歳で長身だとか。カリフォルニアに住んで、引退後の生活を愉しんでいるらしい。元ホームラン王が、過去の栄光について語るのを、聞かされていた。ブッシュ・スタジアムは、カーディナルス帽子とTシャツで、全面まっ赤。しかし、ただいま、NLセントラル地区、最下位のカーディナルスには、なにか、覇気がない。だが、中盤の5回、田口は第3打席で、やってくれました!ライン上すれすれの三塁間を抜ける田口の長打が、湿っていたカーディナルスの打線に火をつけた。長打、ホームラン、連打で、なんと、一挙に5点。一気に逆転した。「ソー・タグ~チ」が、やってくれました。実況アナウンサーは、「今の田口は、トライアウト期間中だ」と語っていたが、なんの(怒!)。6回の第4打席に、またまたヒット。しかも二塁への走塁も決めた。相手ピッチャーも動揺したのか、ワイルドピッチで、田口はなんなく三塁へ。外野フライで、またホームを踏んだ。今日の田口は、絶好調。5打数3安打で、8対4の勝利に貢献した。これで田口は、一番打席を定位置に近づけた、と想う。スタジアムへ足を運ばなかったのが、悔やまれるほどの活躍を、ついに田口選手はしてくれた。よっしゃ~、今年は観にいくぞ!http://www.major.jp/news/wrapup.php?id=2004041814
2004年04月17日
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今日のチャペル礼拝は、すごくよかった。復活後だから、ハレルヤとか、歌えるし。今日は、めずらしく、となりにダニエル兄が座ってくれた。彼の趣味は、サッカーとカラオケ。私が「君のこと、母教会の報告に書いたんだよ」って言ったら、喜んでた。ちなみに、彼の歌声は・・・。礼拝中、以外にも、彼の声が小さいので、彼より大きな声で歌ってみた。喉が痛くなった。でも、スピーチの先生に以前、言われたけど、歌うのは、説教の声が響くようになるためにも、よいことなんだそうだ。もちろん、主への賛美だし。説教は、ダニエル書の3人が火の中に入って、第4の人物(イエスさま?)と踊っている、という箇所。良い説教だった。まさに命と死についてのメッセージ。やっぱり、レント期間の礼拝は、暗かった。やっと、明るい礼拝に戻った、という感じ。復活されたイエスさまを語るのは、喜びだ。ハレルヤ!
2004年04月14日
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足つった~。たまには、ストレス解消にと、仲間たちと、夜に室内サッカーをしたのですが、運動不足でした。バスケットコートをフルにつかって走りまわってたからな。でも、ブラジル人のジョージ兄は、すごかった。室内でオーバーヘッドシュートするんだから。発想からしてすごい。まいったよ。シャワー浴びて、部屋で足を伸ばしてリラックスしてたら、両足を同時につってしまった。痛いんだよ、こういうの。他人にわかってもらえない痛み、というやつ・・・。足のつま先をすねの方向に戻さないと、痛みがなくならないんだ~。でも、今晩は、気分よく眠れそう。明日から、また勉強しま~す。
2004年04月06日
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