三角猫の巣窟

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2015.07.07
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カテゴリ: 小説
15歳の田村カフカが家出して生き別れた母や姉とセックスしたりする話。

●各章あらすじ
カラスと呼ばれる少年:カラスと呼ばれる少年と僕が父の書斎で会話。砂嵐を想像する。
1:父の書斎から金を盗んで15歳の誕生日に家出して四国に行くことにする。
2:国民学校教師岡持節子にインタビューした米軍の極秘資料。森で子供たちが集団失神する。
3:夜行バスに同乗した年上の女が話しかけてくる。
4:内科医中沢重一へのインタビュー。子供たちは意識を回復したが原因不明。ナカタサトルだけ意識が戻らない。
5:バスが高松に着いて女と別れる。女はさくら、僕は田村カフカと自己紹介。カフカは甲村記念図書館に行った後ホテルに泊まる。
6:影が薄い初老のナカタが黒猫のオオツカと会話。ナカタは三毛猫のゴマを探している。

8:精神医学教授塚山重則へのインタビュー。集団催眠の可能性。ナカタが覚醒した。
9:神社の林で意識を失っていて、シャツに血がついていたが何が起きたか覚えていない。さくらに電話してアパートに行く。
10:ナカタと猫のカワムラが話すものの理解できず、シャム猫のミミが手伝う。空き地で背が高い男が猫を連れて行くというので男を待つ。
11:カフカとさくらの会話。カフカの母は養女の姉を連れて家を出た。眠れないのでさくらが手こきする。置手紙をしてアパートを出る。
12:岡持節子の手紙。戦地の夫とセックスする夢を見て月経がはじまり、捨てた手ぬぐいを拾った中田を殴った。
13:大島の助手になって図書館で寝ることにするものの、当面は高知の大島の兄の小屋に泊まる。
14:ナカタはコイズミの猫探しの仕事をしている。白黒ぶち猫のオオカワは事情をしゃべるとやばいという。ナカタは黒い犬についていってジョニー・ウォーカーと会う。
15:小屋での生活の様子。
16:ジョニーは猫の魂を集めて笛を作るために猫を殺していた。ジョニーはナカタが自分を殺せばゴマを返すといって捕まえた猫を殺し始め、カワムラが殺され、ミミも殺されそうになったのでナカタはジョニーを殺す。
17:大島が小屋に迎えに来て佐伯の過去を話す。佐伯は『海辺のカフカ』というヒット曲のレコードを出していた。
18:ナカタが目を覚ますと猫と会話ができなくなっていた。ゴマをコイズミに届ける。警官に人を殺したと話すものの警官はとりあわず、ナカタの予言どおり空から魚が降ってきて彫刻家の死体が発見される。

20:ナカタがヒッチハイクをして峠口やハギタの車で東名高速を西に移動し、バイカーのリンチを止めると空からヒルが降ってくる。
21:殺された田村浩一はカフカの父だった。父はカフカが父を殺して母と姉と交わると予言した。
22:ナカタは星野と食事して四国に行く。星野は仕事をさぼってナカタにつきあう。
23:少女の幽霊は15歳の佐伯だった。『海辺のカフカ』のレコードを聴くと歌詞が事件と関連しているようだった。
24:ナカタと星野は旅館に泊まる。ナカタは34時間熟睡したあと星野の腰骨のずれを治す。

26:ナカタは高松で入り口の石を探しに図書館に行く。星野は風俗の客引きのカーネル・サンダーズに声をかけられ、ついてきたら入り口の石について教えるという。
27:警察が図書館にやってくるが大島がやりすごす。カフカは自分の中に別の誰かがいるようで学校で暴力沙汰を起こしていた。
28:星野は神社に来た女とホテルに行く。神社の林の中に石があるという。
29:さくらに電話して事情を話す。さくらはカフカが好きで弟みたいだという。佐伯が寝たままカフカのベッドに入ってきてセックスする。
30:カーネルは実体のない観念的客体だった。星野は祠から石を持ち出す。
31:佐伯と父の死と佐伯が母であるという仮説について会話。君と佐伯がセックスする。
32:ナカタの予言どおり雷が鳴り、影を取り戻すのに石がいると星野にいう。石をひっくり返して入り口が開く。
33:カフカはチェコ語でカラスだと佐伯にいう。佐伯は失われた時間を埋めようとしているとカフカはいい、その夜エッチする。
34:ナカタは疲れて眠る。星野は喫茶店に行く。
35:警察がナカタを追っていた。カフカは高知の小屋に行く。
36:カーネルが星野に電話して、ナカタが警察に追われていると知らせる。
37:高知の小屋に行って佐伯のことを考える。
38:星野がレンタカーを借りて高松市内を適当に走り、甲村記念図書館を見つける。
39:森に入ってみる。さくらの夢を見て、さくらの夢の中に入って寝込みをレイプする。
40:ナカタは佐伯と入り口の石について話す。
41:森の中核に入る。
42:ナカタは佐伯の原稿を焼くように頼まれる。佐伯は死ぬ。
43:森で会った兵隊が入り口が開いているというので中に入る。
44:ナカタは原稿を燃やして入り口をふさぐ時期がくるまで眠るものの死んでしまう。星野は石とナカタをどうするか悩む。
45:兵隊についていって建物に入る。目を覚ますと15歳の佐伯がいた。
46:星野は石に女の話をする。猫と会話できた。
カラスと呼ばれる少年:カラスと呼ばれる少年がシルクハットの男を攻撃する。
47:大人の佐伯がやってきて入り口が閉じる前にここを出て元の生活に戻れという。カフカは『海辺のカフカ』の絵を譲り受け、自分を捨てた母を許すことにして、佐伯の血を飲んで森を出る。
48:星野と猫のトロが会話して、ナカタの口から這い出ようとしている白いものを攻撃するが効かないので入り口を閉める。
49:大島の兄に図書館に送ってもらう。カフカは大島に東京に戻るといい、さくらに電話して別れを告げる。

●感想
奇数章はカフカの物語で、偶数章はナカタの物語という構成。カフカの部分は一人称だけれど、15歳が書いた文章として見るとリアリティはない。冒頭から「僕はうなづいた。」を何度も繰り返して文章にリズムを作っているあたりは技巧的であるがゆえに、15歳のカフカが自分について書いたというナラトロジー的リアリティはなくなる。上巻321ページで「僕は真っ裸でポーチの椅子に座り、光の中でまどろんでいたので、近づいてくる彼の足音に気づかない」という文章があるものの、大島に気づいてないカフカがこの文章を書けるはずがなく、ナラトロジーとして矛盾している。カラスが二人称で語りはじめると、一人称の部分は完全にリアリティをなくしてしまい、結局はカフカでなく作者がこの物語を書いているというメタ情報が読者に意識されてしまって、語り手の存在が疑われたら一人称としては失敗だろう。
文章自体は単純で、誰が何したという情報の羅列と会話で展開する中にうんちくやメタファーがさしはさまれる。リアリティのなさは会話に顕著に出ていて、登場人物全員が村上春樹的というか一様に台詞が不自然に丁寧で人為的。四国が舞台なのに方言すらでてこないし、兵隊も戦時中の言葉を使わずに現代日本語を話している。
殺人事件とエロ描写でなんとか読者の興味をつなぎとめる程度のプロットはあるものの、やたらと冗長で退屈。父親の予言どおりに物語が展開して、ご都合主義的で意外性もない。そのうえプロットがすべて回収されるわけでもない。この世界に居場所がないカフカがアイデンティティを探そうとするのにこの世界に向き合おうとしないことも気に入らない。父親殺しの罪をナカタに押し付けたまま社会復帰せず、自分で父親を殺すべきである。
村上春樹はしばしば薄っぺらいと批評されるけれども、私も同様の印象を持った。作者には左翼的な思想があるし、主義主張がまったくないエンタメ小説に比べたらこの世界に居場所がない人のアイデンティティー探しのテーマ自体は薄っぺらいというほどでもない。太田光は村上春樹は海外小説のパクリだと批判したそうだけれど、明治以来日本の作家も海外の小説を真似つつ日本文学を作ってきたのだから、海外小説のまねをすること自体は特に悪いことでもない。となると薄っぺらさの原因は英語的な文体にあるのではないかと思う。
「翻訳者は裏切り者」という言葉がある。言葉というのはひとつの単語に複数の意味があり、隠喩、冗談、同音異義、押韻などを考慮して、文章の中の他の単語との兼ね合いにも気を配って作者はあるひとつの単語を選んでいる。翻訳の際にはその含意がある程度失われてしまうから、翻訳者は裏切り者というわけだ。逆に村上春樹が容易に外国語に翻訳可能な日本語で小説を書いたということは、日本語の表現としては含意がなく薄っぺらいということになる。村上春樹の小説は英語だけでなく中国語にも翻訳しやすいらしい。
言語によって思考が影響を受けるという言語的相対論(サピア=ウォーフの仮説)というのがある。この言語の思想への影響は言語芸術においては重要なことで、翻訳によって意味が失われてしまうからこそ研究者や評論家等は原書を原語で読んで作者の思想を理解する必要がある。それゆえにミラン・クンデラが亡命先のフランスでチェコ語でなくフランス語で小説を書いたとか、ユダヤ人のアイザック・シンガーが亡命先のアメリカで英語でなくイディッシュ語で小説書いたいうことが重要なのである。日本語からすんなり外国語に翻訳できてしまう村上春樹の小説は日本語特有の思想を含んでいないから薄っぺらいともいえる。
逆にあえて好意的に考えてみると、作者が日本的なものからの逃避として日本社会の落伍者を主人公にして、ノンポリ無宗教な童貞がなぜか周囲に受け入れられてモテモテでセックスしまくりという非日本的でリアリティのない世界を意図的に書いているのだととらえることもできるかもしれない。のんびり長編小説なんか読んでるやつはたいてい社会の落伍者で、それゆえ村上春樹の小説は大勢の落伍者に支持されているのかもしれない。
しかし深刻な社会の落伍者たる実存主義者の私はこの現実逃避を評価しない。村上春樹的な世界観には、ディズニーランドにはまる大人とか、サンリオのキャラクターグッズを集める大人とか、乳離れできない大人に授乳してあやしているような気持ち悪さがある。村上春樹の場合は掘った穴を埋めなおして充実感を得るようなハルキランドのエレクチオンパレードを登場人物を変えて何度も演じているようなもので、もともと何も喪失していなかったのだ。この小説も猫、クラシック音楽、料理、エロ美少女、夢、孤独、やれやれ、セックス等がちりばめられていて、初めて読むのに既視感のあるハルキランドである。ハルキランドのキャストたちはミッキーがハハッと笑って手を振りまくるように、台本どおりにやれやれと言ってセックスしまくらないといけないのだ。デフォルメされたアニメキャラにリアリティがないと批判する人はいないように、ハルキランドは不可侵なファンタジーの世界という暗黙の約束でなりたっているのだから、客はその世界にリアリティがないと批判してはならないのだ。ハルキランドのファンはこういう非現実的アトラクションが用意されているのだと理解して定番のエレクチオンパレードを求めているのだけれど、その他の客は素人だましの人形劇があほくさくて愛想をつかし、ハルキストとアンチ村上春樹に評価が二分するのだろう。
この小説を読んだらクリスチャン・ラッセンのイルカの絵が思い浮かんだ。オシャレでファンタジックでぱっと見うまく見えるけどリアリティーはなく、わかりやすいオシャレさの提示がかえってダサい。技術的に下手ではないけど芸術としては感動する点はない。評論家からは相手にされない一方で大衆に人気。海辺のカフカというか海辺のラッセン。ちょっと待ってお姉さん、海辺のラッセンって何ですの。サーファーなジグソーパズル作家ですのよ。そんな感じ。

★★☆☆☆





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最終更新日  2015.07.07 06:00:04
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