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イーユン・リーは北京生まれで渡米して作家になった人で、この本はいろいろな文学賞を受賞した純文学風のデビュー短編集である。
●各短編のあらすじと感想
「あまりもの」は51歳の林ばあさんが工場を退職したのでアルツハイマーの高齢男性と結婚して世話をしたり、私立学校の家政婦をして母親が迎えに来るのを待っている康くんの世話をしたりする話。三人称。林ばあさんが妻と母と祖母を疑似体験しただけで報われない人生の哀愁を書くのが狙いなのかもしれないけれど、いつの時代の中国のどの場所が舞台なのかはっきりしないし、50年も生きてろくに恋をしていないのは不自然だし、前半の結婚の話と後半の学校の話であまりつながりがないので、短編として書くならどちらか一方のエピソードに絞るほうがよい。あるいは中編や長編として林ばあさんの半生を掘り下げてもっと丁寧に書くほうが面白いかもしれない。可哀そうな善人の話は短編でよくあるパターンで、それが悪いわけではないけれどあざとさが出るので、もうちょい林ばあさんの個性を出してほしい感じ。
「黄昏」は知的障害で脳性麻痺の娘を持つ蘇夫妻が方夫妻の不倫トラブルに巻き込まれる話。三人称。蘇夫妻と方夫妻の切り捨てられない愛を比較する構図なのかもしれないけれど、そもそも比較する必要があまりなくて、蘇氏と方氏の投資の話は脱線気味だし、蘇夫妻のエピソードだけにして蘇氏か蘇夫人に焦点人物を絞ってオーソドックスに心理を掘り下げるほうがよいと思う。これも可哀そうな障害者をネタにするあざとさがある。
「不滅」は文化大革命時代に独裁者と似た顔の男が独裁者の映画の俳優に抜擢されて人気になるものの、売春宿に行ったのがばれてクビになる話。「わたしたち」が一人称複数形で語る形式で、誰が誰に対してなぜ語るのかわからないのはよくない。語り手のリアリティがないと語られた内容にもリアリティがなくなるので、単に語り手を一人称複数形にしてみただけだと悪手。それに「わたしたち」が知りようがない男の私生活まで神の視点で語っていてるので、視点が混在して矛盾している。一人称複数形を語り手にするなら例えば公安に捕まらないように連判状みたいに村の有志が匿名で独裁者の批判を書いたとか、何かしら一人称複数形にする必然性がほしいところ。名前も性格も違う人たちをひとくくりにするのは人間のとらえ方が雑で、作者が反共産主義の思想ならなおさらこういう人間の個性を無視するような書き方はするべきでない。
「ネブラスカの姫君」は天安門事件が起きた時代にゲイの医者の伯深が20歳年下の京劇の女役の陽が好きだったものの、政府に拘禁されたので偽装結婚してアメリカに逃げて、陽の子供を妊娠した内モンゴル出身の薩沙と陽を出国させようとする話。三人称。アメリカに伯深と薩沙がいる現在の状況から過去の陽のいきさつを掘り下げていく展開で、時系列順に書かれていないうえに伯深と薩沙の視点が変わるので、誰の何の話を展開したいのか焦点が分かりづらい。国をまたいだゲイがらみの三角関係で情報が渋滞していて、短編なのだから構成をわかりやすく整理してほしい。
「市場の約束」は天安門事件に抗議したせいでアメリカに行けなくなった旻を救うために三三が婚約者の土と偽装結婚させてアメリカに行かせたら、土がすぐに離婚して戻ってくるはずだったのに約束を破ってそのままアメリカで暮らして、10年後に離婚して三三よりを戻したがっていると知らされる話。三人称で、現在、過去のいきさつ、現在の続きという構成。旻も土も過去の人物として出てくるだけで現在の場面には登場しないのでそこから話が広がらないし、土との婚約の場面を書かないので土の裏切りの印象が残らない。オチでいきなり強烈なモブ男が出てきて見せ場を奪うのは反則気味で、モブ男が麻薬を売っている店と関連しているとかの前振りをしてそこに出てくる必然性を作らないと、オチのためにモブ男をとってつけたようなご都合主義的な感じになる。
「息子」はアメリカに帰化したばかりのゲイの独身のハンの母親が熱心なキリスト教徒になってしまったので中国に戻って説得しようとする話。三人称。息子と母親の関係に焦点を絞っているので構成がわかりやすくてよい。宗教にはまった母親がやっかいなのはたぶんどの国でもどの宗教でも似たようなものだろうし、かといって完全に母親を拒絶することもできないという普遍的なうざさが書けているのはよい。
「縁組」は13歳の若蘭は病気の母親にうんざりしていて、母親に惚れていた炳おじさんから母親が石女で若蘭とは血のつながりがないと教えられる話。三人称。オチがないような中途半端な終わり方。で?っていう。
「死を正しく語るには」はわたしが子供の頃に夏に一週間厖家に預けられたときの四合院(中庭がある中国の建物)に住む厖家や宋家や杜家の思い出を語る話。「わたし」の一人称。わたしが自分について語らないので、わたしが誰なのか、なぜ厖家に預けられているのか不明で人間関係がよくわからないし、エピソードが漫然としていて誰の何の話をしたいのかはっきりしないのはよくない。わたしが登場人物として行動せずに傍観者に過ぎないのもよくない。四合院や胡同や工作単位といった中国特有の用語についても説明不足で、場面や状況がよくわからない。作者の子供の頃のエッセイとして中国人読者を対象にするのならこういうのでもいいけれど、中国の事情を知らない外国人読者にはノスタルジーは伝わらないだろうし、筋がない思い出話は小説としてはつまらない。あと原文がどうなっているのか知らないけれど、翻訳者が工作単位を勤務先や職場として翻訳しないのは何か理由があるのだろうか。工作単位が職場の事だとわかる日本人はあまりいないだろうし、中国っぽい雰囲気を出すためだとしても意味が伝わらないのではだめだろう。
「柿たち」は17人を殺害して処刑された老大について農民たちが噂する話。「わたしら」の一人称複数形。復讐を果たした老大に比べて、老大と一緒に役所に抗議に行ったのに警官隊を前にして逃げ帰った農民たちはふぬけ柿たちなのだという権力に屈する農民への批判がテーマなのだろうけれど、わざわざ一人称複数形にして出来事を婉曲に語るよりはオーソドックスに直接老大の視点で役人の理不尽な仕打ちと復讐を書くほうが迫力が出て面白いと思う。
「千年の祈り」はロケット工学者の石氏がアメリカ在住で離婚した娘のところに行って離婚の理由を聞こうとしてうざがられたので、公園でイラン人のマダムと友達になって、過去に不倫を疑われたことについて打ち明ける話。三人称。登場人物が会話するだけで何か行動するわけではないので、表題作の割には見どころがない。異性と会話できなかった時代の中国の体制批判と自由があるアメリカ礼賛の内容で、外国人同士が外国語で交流する親愛の情を書いた点ではよいけれど、物語としてはあまり面白くない。
●全体の感想
イーユン・リーは有望な若手アメリカ作家としていくつも賞を受賞しているので期待していたのだけれど、新人だったころの作品ということもあって技術的な欠点がめだってそれほど面白くなくて期待外れだった。謎や嘘といった創作手法を使ってプロットを展開して、何かの構図に当てはめて短編を書こうとする試みはよいのだけれど、狙いを詰め切れていない感じ。短編集なのに結婚やゲイや文化大革命や天安門事件がらみの話にネタが偏っていてバリエーションが乏しいのは物足りない。オチに取ってつけたように流血沙汰や死を持ってきて性急に読者の感情を揺さぶろうとする手法もよくない。どんな料理にも仕上げにケチャップをかけるようなもので、おいしくはなるだろうけれど味付けがそればかりだとプロとしては駄目である。
「あまりもの」や「黄昏」で可哀そうな人を同情的に書くのは素人騙しのやり方で、可哀そうだねという既存の価値観への共感を誘うだけで話が終わっていて作家独自の人生観があるわけでもないのでつまらない。
技術的な面では外面描写がないのがよくない。外国が舞台なうえに外面描写がないので人物が抽象的で、どんな人がどんな場所に住んでどんな暮らしをしているのか情景が想像しにくくて、修羅場を書いても抽象的なので臨場感がなくなる。ゲイにしてもガチムチなのかオネエなのかわからないし、名前を書いただけで人物を書いたかのような雑な書き方はよくない。短編だから外面描写を省いたのかもしれないけれど、それは小説本来の面白さを省くことでもある。あとこの作家は一人称が下手で説明不足や描写不足が三人称よりも顕著になっていて、外国が舞台の翻訳小説なので余計にわかりにくい。
構成面では「ネブラスカの姫君」や「市場の約束」や「千年の祈り」は女性作家にありがちな回想を中心にした構成で、過去の出来事の回想に終始して現在の登場人物がどう行動して何が起きるのかを書かないのはよくない。「千年の祈り」は石氏がマダムに嘘を打ち明けることにしたのに、結局過去語りになってしまってそれで娘やマダムとの関係が変わるわけでもなくて登場人物の行動が未来につながっていなくて、登場人物たちがどう生きたいのか何をしたいのかよくわからない。
テーマとしては共産党や共産主義を批判することはよい。アメリカに行った中国人が共産党を批判するのがこの小説の見どころで、共産党批判と対になっている露骨なアメリカ礼賛の部分もアメリカ人読者にはうけるのかもしれないけれど、アメリカを理想視するだけで終わるのでなくてアジア系アメリカ人の生活の現実について書かないと掘り下げ不足である。コロナでアジア系アメリカ人への差別やヘイトクライムが起きているように、アメリカは中国共産党よりはましだろうけれど理想郷ではないし、言論の自由がある国はアメリカ以外にもあるのに、なんでこの小説に出てくる中国人は皆アメリカに行くのかよくわからない。それに中国が舞台の話にしても文化大革命や天安門事件をノンフィクションみたいに綿密に取材しているわけでもなさそうだし、この作者でないと書けないような独自性がある話ではないので、この人の他の小説を読みたいと思うほどの面白さはない。
あと帯に「ジュンパ・ラヒリの『停電の夜』さながら、完璧な短篇をつぎからつぎへと読むことができる類まれな作品集。」とワシントン・ポストの評価が書いてあるけれど、新人に対して欠点を指摘せずに完璧扱いするのはもう伸びしろがないと言っているようなもんで評価が雑である。完璧とか傑作とかを安易に宣伝文句に使う作品は私にとってはたいてい外れである。この短編集の中では「息子」はゲイが子供を持たないことについて掘り下げているので、登場人物がどう生きたいのかを考えている点では他の短編よりよくできている。しかし当たりが1/10だと短編集としては微妙で、短編だからいろいろ試してはずれがあるのはしょうがないけれど、3割くらい当たりを入れてくれないと他人にお勧めするほどのものでもない。
★★★☆☆
千年の祈り (新潮クレスト・ブックス) [ イーユン・リー ]
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