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第 百四十五 回 目 今回も意欲的に「能・謡曲」にチャレンジして、野心的な現代語でのセリフ劇に翻案をしてみたいと、考えました。上演をした上で、表現の手直しや演出について修正を加えるつもりで居りますが、取り敢えずトライしてみようと思います。 「 松 風(まつかぜ) 」 ( 観阿弥の原作、世阿弥の改修による「松風」より ) 場所:摂津の国、須磨の海岸(現在の神戸市須磨区) 時代:昔、昔の事 人物:海人(あま)の松風(まつかぜ)-女性の霊魂(幽霊)、海人の村雨(むらさめ)-女性の霊魂(幽霊)、旅の僧、里の男 第一場 月の美しい秋の半ば頃。夕暮から夜。 一人の旅の僧が登場。 ナレーション「 月の名所である須磨と明石の海岸に沿って、諸国を見物して歩く一人の貧しい僧侶がいた 」 僧「私は諸国を見物して歩いている僧侶である。先日は京都に参って、観光名所や歴史上で有名な旧跡などを隅々まで、見物し終えたところである。そしてまた、これからは西国を修行して回ることを思い立ちました。旅を急いで来たところ、この辺は津の国(現在の神戸市須磨区)の月の美しい事で有名な、須磨の海岸に到着した。見れば、あそこに不思議なことに、何かわけがありそうな松の樹が生えている。定めし、この木には然るべき由緒があるに、違いない。近くの村人に質問してみようと思う。( 近くにいた里人に話しかける。それに対して何事をか答える里人。 ) やはりこの松は、松風と村雨と言って、二人の女性の海人を弔って植樹されたものだと言う。(その場に膝を突き、合掌して)実に痛わしいことである。その身は土の中に埋められてはいても、名前は後世にまで残り、後の世までの墓標として、葉の色を変えない松が一本だけ、黄葉している周囲の風景の中で、緑の色を濃く、鮮やかに残しているのは、誠に感慨深いことだ。こうして、お経を読み、念仏を申し終えたので、この場所から立ち去ろうと思う」 第二場 近くの塩焼き小屋 松風と村雨「(両者が交互に語る)このように汐汲み車を引きながら、ほんの僅かの間しか生きられないこの世であるのに、私達両人はさも未練がある様に、貧しく細々と暮らしている事の、実に儚いことよ。ほら、寄せてくる波が、直ぐ枕元にまで届いてくる此処、須磨の海岸では、ざわざわと騒ぐ波ばかりではなく、夜空に美しく照り映える月までが、物悲しさの涙を誘って、私どもの袖を濡らし続けるのです。秋の本当に美しい景色に見慣れてしまっている須磨の人間でありますから、この様な月の夜にも、月を眺める風流よりも、生活の足しになる、汐汲みを致しましょう」 松風「人の心を自然に悲しくさせる秋の風によって、あの歴史上で有名な歌人・在原行平(ありはら の ゆきひら)中納言様が、旅人は 袂涼しく なりにけり 関吹き越ゆる 須磨の浦風と、和歌に詠まれた浦辺の波が、夜毎夜毎に寄せて来て、その波音をすぐ近くに聞く、人里から遠く隔たった非常に物寂しい場所への、通い慣れた小道には、一緒に歩いてくれる仲間などは一人もなく、高く天空に姿を見せている名月だけが、頼りであります」 村雨「実に、憂き世を渡るための業とは言いながら、取り分け賎しい海人となり、夢の如くに短く、また、儚いこの世の日々を過ごし兼ねる哀れな有様で、これでも世に住んでいると言えるのかしら……」 松風「本当に儚い人生ですが、こうして潮を汲む車を引きながらの、海人としの生活の苦しさに涙ばかり流しながら、袖ばかりを濡らし続けておりますね」 村雨「私達はこうして惨めな生活に苦しんでおりますのに、羨ましいことに夜空に悠然と澄み渡っている月、その月の出とともに差してくる潮を、さあ一緒に汲みましょうかね」 松風「(ふと、水溜まりに映る自分の姿に目を留めて、顔を伏せて)月に照らされて、水に映る影も恥ずかしい私の姿のみすぼらしさ。それを恥じて、人目を忍んで潮汲車を引いているが、引き潮の跡に残った溜まり水が、いつまでも清く澄んではいないように、私たちもこの世に、いつまでも住み果てることは出来ないのです。野原の草に降りた露であるならば、太陽の光に照らされて姿を消してしまうのでしょうが、私たちは露の様に姿を消してしまうこともできず、磯辺に打ち寄せる海藻を、かき集めるのが仕事の海人でさえも、無益なものとして捨て去る海藻の如くに、ただもう惨めな姿に老い衰えて、死んでいくのかと思うと、流れ落ちる大量の涙で、着物の袖や袂も朽ち果てるだけなのです」 村雨「月明かりで、夜の潮を汲んでから、家に帰りましょうか」 松風「須磨に住み慣れていても、見慣れていても、素晴らしいと感動を新たにするのは、漁師たちが沖や岸で互いを呼び合う声が幽かに聞こえ、沖に見える小さな漁船の姿がほんのりと見え、空の月の影も仄かにして、宙を飛ぶ雁がねや、波間に群れ集う千鳥たち、そして晩秋に吹く野分と呼ぶ大風の台風など、どれもこれもこの場所の名物ばかり…。須磨の秋に情趣を添え、須磨の秋ほどに趣深いものは無いと言われるのも、もっともである。夜一夜、心に染み渡る風情であるよ…」 ナレーション「松風と村雨の両人は、さあさあ海水を汲もうというので、波打ち際に出て、潮汲み衣を襷(たすき)がけにして、潮を汲む為の身支度のつもりなのであるが、そう意気込んではみても所詮は力の弱い女の引く車ですので、そう量(はか)が行くものではありません」 僧「もう辺りはとっぷりと日も暮れてしまった。先程まで見えていた山里までは道のりが遠すぎる。此処にある海人の塩焼き小屋に立ち寄って、一夜を明かそうと思う。(入口に近づいて)もーし、もーし、御免下さい。夜分に失礼致します] 村雨「はい、何か御用で御座いますか?」、僧「旅の者ですが、途中で日が暮れて困っております。一夜の宿をお貸し願いたいのです」、村雨「お待ちください。主人にそう申し伝えますので…。(松風に対して)申し上げます、旅人がいらっしゃいまして、一夜の宿をと申されて居ります」、松風「容易なことではあるが、余りに見苦しい所なので、とお断り致しなさい」、村雨「(僧に対して)主に申したところ、余りに見苦しい所なので、お泊めできないと申しております」、僧「仰せはごもっともで御座います。しかし、見苦しいのは一向に構いません。私は僧侶で御座いますので、是非に一夜の宿をお願い致したいと、再度申し上げてください」、村雨「(松風に)旅のお方は御出家でいらっしゃり、是非にと再び願って居られます」、松風「何、ご出家とな。月の明かりでお見受け致せば、まさしく世を捨てた身分のお人。宜しいでしょう、粗末な松の木の柱に竹の垣根。さぞや夜寒が厳しいことと思いますが、芦を焚く僅かな火に当たって、お泊りくださいとお伝えなさい」、村雨「(僧に)こちらへお入りください」、僧「ああ、嬉しい。有難う存じます」と小屋の中に入る。 ナレーション「僧侶と女性の海人二人が挨拶を交わし、僧が行平の和歌を引き合いに出し、海岸べりに有る旧跡の松で、松風・村雨の二人の霊を、通りすがりに過ぎないのだが、懇ろに弔った事を語った所、二人の様子が急変した」 第三場 松風・村雨の過去の回想 ナレーション「この物語の時代、現在から千年以上前の支配階級である貴族社会では、有力な男性が大勢の女性たちと結婚する一夫多妻の慣習が、ごく普通に行われていた」 松風「まあ、本当に信じられないことです、このわたしがあの様な雲の上に存在していらっしゃる神様にも等しい中納言様の、この地での妻として選ばれたなどとは。この身を何度つねってみても醒めないところを見れば、これは紛れもなく現実なのだわ」、村雨「お姉さま、おめでとう存じます。妹のわたしさえ、身に余る光栄でこの胸が張り裂けそう。父も母も、それこそ躍り上がらんばかりにお慶びで、ご近所のお方からのお祝いの言葉も品々も、数多く届いておりますし…」、松風「祝福を有難う。するとあなたはまだ知らないのですね、私だけでなくあなたまで、中納言・行平様のこの地での妻の一人に選出されていたことを」、村雨「えっ、なんですってお姉さま、お姉さまだけでなくこの私までが…」、松風「(ニッコリと頷く)」、村雨「(小躍りして)まあ、なんという嬉しく、めでたいことなのでしょうか」と、姉妹の二人は嬉しさ一杯の表情で、しっかりと手を取り合う。 松風と村雨「こうして私どもにとってこの上もなく嬉しく、また楽しい日々が夢の様に、あっという間に過ぎ去ったのです」 第四場 元の小屋の中 松風「ああ、昔の事を思い出しますと、本当に懐かしいことです。(行平の形見である烏帽子と絹の着物を取り出して)行平の中納言は、三年ほどこの須磨の土地に住まわれてから、京の都にご帰還遊ばされ、日頃慣れ親しんだ形見の品として、この立烏帽子(たてえぼし)と狩衣(かりぎぬ)とをお残し置きなされました。なまじ形見の品が残っている為に、あの恋しいお方様を忘れる事は片時もなく、恋しさや懐かしさばかりが、増して来るのです」、村雨「冥途(めいど)の途中にあるとされる三途(さんず)の川さながらに、大量に流れ落ちる悲しみの涙、涙、涙…」、松風「ああ、嬉しい事。あれ、あの通り、あそこに行平殿がいらっしゃり、松風よ、ここに参れとお召であるよ」、村雨「ああ、なんと浅ましいことであろう。あれは立木の松ではありませんか。そのようなお気持ちで居られるから、現世に執着を残した罪で、地獄に沈むのです」、松風「愚かな事を言うひとですこと。あの松の木に見える物こそ、行平様です。たとえ暫くの間は別れ別れになったとしても、そなたが待っていると聞いたならば、必ず帰って来よう。そのようにおっしゃられたお言葉を、もう忘れてしまったのですか」、村雨「ああ、そのお言葉、あの嬉しい御歌 ― 立ち別れいなばの山の 峰に生ふる 待つとし聞かば いま帰り来ん」、松風「待つとし聞かば いま帰り 来ん…」(二人の姿が、幻の如くに消え去る) 旅の僧がただひとり、その場に茫然と佇んでいる。 ナレーション「松の木に吹く風が劇しく狂乱し、須磨の海岸に寄せてくる高波の音も、一層その波音を高めている。そして、背後の山一体から吹き降ろす山風も、恐ろしげに吹きすさび、須磨の関所の鶏の声もあちこちで起こり、夢は跡形もなく消えて、夜もすっかり明けた。昨夜はにわかに降ると聞いた村雨も、今朝になって聞けば、松の樹を吹く風の音だけだったと、分かったのでした」 《 完 》
2017年05月26日
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第 百四十四 回 目 今回は「狂言」を取り上げます。狂言はご承知の如くに能・謡曲などとともに、室町時代、今からおよそ六百年ほど前に成立したとされています。但し、私たちの目指している「読み聞かせの会」の延長線上でのパフォーマンスとしては、専門的であり過ぎ、馴染みにくい点が多々ありますので、おもい切った翻案なり、現代化を施した、新しいジャンルを創設する気組と心意気で、これに当たりたいと考えております。現代で申せば、掛け合い漫才とかコント、ナンセンス・コメディーの様な仕上がりになると想定しておりますよ。ぞうぞ、ご期待下さいませ。 「 蚊 ずもう 」 ( 狂言の 蚊相撲 より ) 場所と時代 : 中世の日本 人 物 : 大名 、 太郎冠者(大名の召使) 、 蚊の精(一種の化物) 、ナレーター 大名(だいみょう)とその家来の太郎冠者(たろう かじゃ)が登場する。 ナレーター「 舞台に登場したのは、この周辺では誰からも知られた、有名なお殿様の大名と その下級の家来である 」 大名「世の中が平和になり、実に有難い時代が到来したので、昨今では各地方で格闘技の相撲の大会 が、盛大に挙行されている。それで、拙者も早速に多くの相撲取りを召抱えようと思う。先ず 太郎冠者を呼び出して、命令したいと考える。ヤイヤイ、たろうかじゃ、太郎冠者はいないか」 太郎「(立ち上がり)はァー」 大名「そこに、居ったか」 太郎「おん前に、居りまする」 大名「おお、其処に居ったか。思いの外に早かったな。まず、立て」 太郎「かしこまりました」 大名「お前を呼び出したのは、特別の事でもない。戦乱の無い平和な時代を迎えて、世の中では 相撲の競技会が盛んに行われているではないか」 太郎「仰せの通りで御座います。世の中では昨今、相撲大会が盛んに行われておりまする」 大名「それそれ、その事につき、拙者も有能な相撲取りを大勢召抱えたいと考えたが、どうだろうか」 太郎「御命令がない場合には、私の方から御提案申し上げようと考えておりました。大変に結構な お考えかと存じまする」 大名「それで、相撲取りは何人くらい召抱えたら良いであろうかな?」 太郎「それは御主人様のお考え次第で御座いましょう」 大名「うーん、拙者の考え次第だと申すか?」 太郎「御意(ぎょい)にござりまする」 大名「それならば、いっそ大きな大名らしく最初から、大勢を召抱えることにしようか」 太郎「結構で御座いまする。して、何人ほどに致しましょうか?」 大名「そうじゃな、あれ、あれ、あれ程に致そうか…」 太郎「ハァ、何人ほどで御座いましょうか?」 大名「エーイ、三千人程も採用いたそうか」 太郎「それでは、余りにも数が多すぎるでありましょう」 大名「それでは、五百人ではどうじゃ」 太郎「それでも、経費が嵩(かさ)んで賄い切れないで御座いましょう」 大名「経費というのは、召抱えた者達の食事のかかりの事を言うのか?」 太郎「左様で…」 大名「それならば、彼らには水だけを飲ませておけ」 太郎「いや、申し、人間が水ばかり飲んで、命が保てるものでは御座いますまい」 大名「それでは人数を減らそう」 太郎「それが宜しでしょう。そして何名ほどに?」 大名「エーイ、二人置こうか…」 太郎「減らしついでに、もう一人減らすのが良いでしょう」 大名「お前を入れて、都合二人と言うことじゃよ」 太郎「それならば、宜しいでしょう」 大名「ご苦労であるが、これから京の都に出入りする街道筋に出向いて、相撲取りを召抱えて来てく れ」 太郎「畏まりました」、大名「エーイ」、太郎「ハアー」、大名「エーイ」、太郎「ハアー」 大名「もう戻ったか」、太郎「いえいえ、まだ少しも動いては居りませぬ」、大名「お前に油断をさせないように、申しただけじゃ。急げ、急げ」、太郎「畏まって御座る」、大名「早く戻れよ」、太郎「心得ました」 太郎「さてさて、急な用事を言いつけられた。今から街道筋に参って、相撲取りを召抱えて来いとの ご命令であるから、急いで参ろう。これまでは実際、某(それがし)一人であったから、大変に 苦労致した。今度、新人を採用したなら、あれこれと彼に命じて、ゆっくりと休息を取ることに 致そう」 ナレーター「此処は京の都に通じる大きな街道の、出入り口近い場所。これから登場するのは、普通の人間ではなくて、蚊の精、つまり虫が人間の姿に化けた変化(へんげ)の者である」 蚊の精「我は、東海道の宿駅・江州守山(ごうしゅうもりやま)に住む者である。平和な時代を迎えて 京都では相撲が流行していると聞くので、相撲取りに化けて都に上り、人間に近づき、思う 存分に血を吸ってやろうと計画している。先ず、そろりそろりと参ろうか」 太郎「(蚊の姿を見て)いや、あそこから非常に奇妙な、風変わりな者がやって来る。急いで言葉を掛け てみよう。いや、のうのう、申しあなた」 蚊「ヤアヤア、私のことで御座いますか?」 太郎「いかにも、あなたの事だ。突然の声掛けではあるが、あなたは何処から来て、何処へ行かれる つもりなのじゃ」 蚊「私は相撲取りで、奉公口を探しに京都に行くところです」 太郎「それは好都合であった。採用いたそうではないか」 蚊「あなたが、ですか?」 太郎「不審なのはもっとものこと。拙者が抱えるのではなく、ご主人様が採用致すのだ。ご主人は 非常に有力な大名で、今度相撲取りを大勢召抱えられるにつき、お前さんが望みとあらば、 紹介いたして進ぜよう」 蚊「それは有難い。是非にご紹介を願いたい」 太郎「左様か。それでは早速、一緒に付いて来てくれないか」、蚊「それでは、早速に参りましょう」、太郎「(歩き出し)さあさあ、いらっしゃい、いらっしゃい」、蚊「(後に続き)参ります、参ります」、太郎「さて、この様に突然に声を掛けて、同道致すのも前世からの縁というものであろうか」、蚊「左様で。この様に参りますからには、あなた様を親同然と頼りに致しますので、万事良きように引き回して下されい」、太郎「心得た。万事に抜かりなく致そう。(立ち止まり)所で、あんたの出身地はどちらなのかな」、蚊「江州守山です」、太郎「守山は相撲所だと噂に聞いている。さあさあ、行こう、行こう」、蚊「参りましょう、参りましょう」 ナレーター「やがて二人は元の大名の屋敷に戻って来た」 太郎「いや、申し、ご主人様はいらっしゃいますか。太郎冠者が戻りました」 大名「(立ち)声が致す。太郎冠者、戻ったか戻ったか」、太郎「只今、戻りました」、大名「ヤレヤレ大儀であった。そして、言い付けた相撲の者を召抱えて参ったか」、太郎「はい、仰せの如くに」、大名「でかした、主人は大名だと申し聞かせたか」、太郎「確かに、非常に有力な大名様だと伝えました」、大名「よく言った。そして、その者は何処に居るか」、太郎「まだ門の外に待たせておりまする」、大名「なんと、まだ門外にいるだと。そうか、コレコレ、総じて初めが肝心だと心得よ。だからそやつが聞くように大きな声で、大仰な事柄を言おうと思う。お前も又大袈裟に返事を致せ、良いか」、太郎「承知致しました」、大名「(殊更に大きな声を出して)コレコレ太郎冠者、腰掛け・床机(しょうぎ)を持って来い」、太郎「ハアー、お床机で御座います」、大名「太郎冠者、これへ出ろ」、太郎「畏まってござる」、大名「(小声で)どうだ、いまの遣り取りはあいつに聞こえたたであろうか」、太郎「大層大きなお声でありましたので、きっと聞こえましたでしょう」、大名「そいつに、こう言え。新参の者よ、遠い所をご苦労であった。ご主人様におかれては偶々(たまたま)ご機嫌が麗しく、奥の間から表の方にご出御(しゅつぎょ)遊ばされた。中庭の白洲(しらす)に出向いて、ご挨拶の対面を致せ。その際に御主人さまの視線が向いたならば、御意に叶ったのだと思え。そうでない場合には、五日でも十日でも逗留する必要がある。そう言って、汝の考えとして恐れさせておけ」 ナレーター「太郎冠者は屋敷の門の外に出て来た」 太郎「ノウノウ、居るかな」、蚊「此処に控えておりました」、太郎「どうだ、今のお声を聞いたであろう」、蚊「確かに、お聞きいたしましたが、あのお声はどなた様で御座いましょうか?」、太郎「あれが御主人様のお声である」、蚊「先ずお声からして、大層なお大名とお聞きいたしました」、太郎「大名仲間でも非常に有力なお方でいらせられる。さて、ご主人様におかせられては、幸いなことに奥の間から表の方に、御機嫌宜しい状態でお出ましになられた。お前は直ぐに中庭のお白洲に行き、ご主人様の御目通りを致すがよい。それも御目が、視線が向いた際には即座に、採用が決まる。しかし、そうでない場合には五日も十日も逗留する必要がある。そのように心得ておけ」、蚊「何とぞ、お目が向くようにお願い申し上げます」、太郎「そのままずっと、奥の方にお入りなさい」、蚊「承知致しました」と二人は屋敷の中に入る。 ナレーター「この様子を覗っていた大名が、頃合を見計らって声を掛けた」 大名「ヤイヤイ、誰か居ないか」、太郎「ハアー」、大名「表に居る侍共に言え、只何もせずにいないで、弓矢の手入れなどをしろ、と」、太郎「畏まりました」、大名「それから、先日遠くから引き連れ上らせて来た多くの馬を、全部厩(うまや)から引き出してお湯で洗ってやるように、命令せよ」、太郎「承知致しました」、大名「(空を仰ぎ見て)ハハア、今日は良い天気であるな」、太郎「左様で御座いますナ」、大名「夕方近くなったなら、皆が広場に出て来て蹴鞠の稽古をするであろうから、例の場所に打水をさせ、掃除をさせるように、係りの者達に言いつけよ…」、太郎「新参の者で御座る(と、蚊の精を手で指し示す)」 ナレーター「大名の視線を感じた瞬間に、蚊は身を翻す如くに素早く、その場から退いている」 大名「ヤイ太郎冠者、今のが、新参の者であるか?」、太郎「御意にござりまする」、大名「さてさて珍奇な珍しい顔をしているな」、太郎「珍しい顔で御座います」、大名「あ奴が相撲を取るのか?」、太郎「そのように申しております」、大名「それで、国は何処じゃと申しておるのか?」、太郎「江州守山だと言っておりまする」、大名「ウーン、守山は相撲所と聞いておる。それならば、早速相撲ぶりがみたいので、此処に出て来て、相撲を取れと命じよ」、太郎「畏まりました」とその場を退く。 ナレーター「太郎冠者は新参の者を探し出して声を掛ける」 太郎冠者「これこれ、ご主人様がすぐさまお前の相撲ぶりが見たいので、御前に出て相撲を取れと命令されて居るぞ」、蚊「相撲の相手を与えて下さるように、お伝えください」、太郎「それは、もっともな事である」と又大名の前に来て、「ハア、相手が欲しいと申しております」、大名「相手などいるものか、一人で取れと言え」、太郎「それでは、勝ち負けが分からないでしょう」、大名「なる程、勝ち負けが分からないな。誰に相手をさせようか」、太郎「だれが良いでしょうか」、大名「風呂焚き係りの者はどうじゃな」、太郎「あいつは年寄りですから、足に力が無く、ふらふらして相撲は無理でしょう」、大名「なる程。それでは、誰にしようか?」、太郎「誰に致しましょうか」、大名「イヤ、誰彼と言っているよりも、汝が取れ」、太郎「私は一度も相撲を取ったことが御座いませんので…」、大名「ウーン、取ったことがなくては、無理であるな。相撲は見たし、相手は無しか…。よしよし、拙者が相手をしよう」、太郎「アノ、あなた様がですか?」、大名「お前が不審に思うのはもっともだ。行って、こう言え。相撲の者は沢山居るのだが、方々に使いに出していて、一人もこの場にいない。だから、座興の為にご主人様自身が相手をする。そのように伝えよ」、太郎「畏まりました」と、その場を去る。 ナレーター「太郎冠者は主人の意向を新参の者に伝えた」 太郎「(再び御前に出て)甚だ意外で、吃驚致しましたが、御主君様のご命令次第に致しましょうと、申して居りまする」、大名「それでは相手をするというのであるな」、太郎「左様に御座いまする」、大名「ヘエ、あいつの相撲の腕も大したものではないな。下手に相違ない」、太郎「何故、そうなのでございましょうか?」、大名「ハテ、拙者を投げ捨てて、誰が給料を与えるであろう」、太郎「これは、ごもっともで」、大名「そうではあるが、相撲が見たいので、どうしても取る。支度をして、此処に来いと言え」、太郎「心得ました」と退く。 ナレーター「この様な次第で、大名と蚊の精とが、太郎冠者の行司役で、相撲の取り組みをすることになった」 これから以後は大名、太郎冠者、蚊の精の三者がパントマイム風に滑稽な演技を展開する。大名は新参者と取り組むが、血を吸われて直ぐにフラフラになってしまう。それで、相手が「蚊」だと見抜き、風を嫌う蚊の習性を考え、太郎冠者に大きな団扇(うちわ)で蚊を煽がせ、弱った相手から血を吸い取る管(くだ)を抜き取ってしまう。最後は、フーフー、フーと元気のない悲鳴を挙げながら蚊の退場で終わりとなる。
2017年05月20日
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第 百四十三 回 目 「 人 に 」 ( 高村 光太郎「智恵子抄」より ) 遊びじゃない 暇つぶしぢゃない あなたが私に会ひに来る ―― 画も描かず、本も読まず、仕事もせず ―― そして二日でも、三日でも 笑ひ、戯れ、飛びはね、また抱き さんざ時間をちぢめ 数日を一瞬に果す / ああ、けれども それは遊びぢゃない 暇つぶしぢゃない 充ちあふれた、我等の余儀ない命である 生である 力である 浪費に過ぎ過多に走るものの様に見える 八月の自然の豊富さを あの山の奥に花さき朽ちる草草や 声を発する日の光や 無限に動く雲のむれや ありあまる雷霆や 雨や水や 緑や赤や青や黄や 世界にふき出る勢力を 無駄づかひと何(ど)うして言へよう あなたは私に躍り 私はあなたにうたひ 刻刻の生を一ぱいに歩むのだ 本を抛(なげう)つ刹那の私と 本を開く刹那の私と 本の量は同(おんな)じだ 空疎な精励と 空疎な遊惰とを 私に関して聯想してはいけない 愛する心のはちきれた時 あなたは私に会ひに来る すべてを棄て、すべてをのり超え すべてをふみにじり 又嬉嬉として 「 秋刀魚の歌 」 佐藤 春夫 あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ ―― 男ありて 今日の夕餉(ゆふげ)にひとり さんまを食(くら)ひて 思ひにふける と。 / さんま、さんまそが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて さんまを食うはその男がふる里のならひなり。そのならひをあやしみなつかしみて女は いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。 あはれ、人に捨てられんとする人妻と 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、 愛うすき父を持ちし女の児(こ)は 小さき箸(はし)をあやつりなやみつつ 父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。 / あはれ 秋風よ 汝(なれ)こそは見つらめ 世のつねならぬかの団欒(まどゐ)を。 いかに 秋風よ いとせめて 証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非(あら)ずと。 / あはれ 秋風よ 情あらばあらば伝へてよ、 夫を失はざりし妻と 父を失はざりし幼児(おさなご)とに伝へてよ ―― 男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 涙をながす と。 / さんま さんま さんま苦いか塩つぱいか そが上に熱き涙をしたたらせて さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。あはれ げにそは問はまほしくをかし 「 汚れっちまった悲しみに…… 」 中原 中也 汚れっちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れっちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる 汚れっちまった悲しみは たとえば狐の革裘(かわごろも) よごれっちまった悲しみは 小雪のかかってちぢこまる 汚れっちまった悲しみは なにのぞむなくねがうなく 汚れっちまった悲しみは 倦怠(けたい)のうちに死を夢(ゆめ)む 汚れっちまった悲しみに いたいたしくも怖気(おじけ)づき 汚れっちまった悲しみに なすところもなく日は暮れる…… 「 月の兎 」 はずき せいほう 昔、むかしの お話です。 あるところに三匹のけものが 仲良くすんでいました。 そこに一人の貧しい老人の旅人が やってきて言いました 私はお腹がすいて お腹がすいて もう一歩も先に進めない お前たち、どうか私を助けておくれでないか。 すると直ぐにサルがいいました おじいさん お安い御用ですよ そう言うとサルは近くの木にするすると登りなっていた木のみを下に落としてあげました。 続いて狐が、川に飛び込んで 魚を咥えて出てきて おじいさんにあたえました。 ところが最後のうさぎには、何も得意の芸がありません。 困ったうさぎは枯れ木や枯れ草を集め 猟師小屋の囲炉裏から火を移し その火の中に飛び込みながら こう言いましたとさ おじいさんボクには何も上げるものがありません だから僕の焼けたからだを 食べてください 遠慮などなさらないで結構です、と。 元の姿に戻った天の神様は 灼け死んだうさぎのからだを優しく抱き抱え、 天を飛翔して月の世界に連れて行き お前は此処で自分に出来ることをすればよい と言って再び命を与えました。 それで今でもうさぎが月の世界で お餅を撞いているのが 私達の目にも見えるのです、とさ 昨日、子供の日には一寸遅れましたが、孫たちと都立の水元公園で水遊びなどして、遊んできました。私達夫婦は新宿で結ばれ、葛飾区の金町に四半世紀を暮らし、現在は埼玉県の草加市に住んで十四年になります。 孫たちが無心に遊んでいる姿を目にすると、心が自然に和み、癒されます、リラックス出来ますよ。産めよ、増やせよ、地に満てよ! ― 神様はそうおっしゃったとか…。「遊びを せんとや生まれけむ 戯れせんとや 生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ 動(ゆ)るがるれ」、梁塵秘抄の有名な一節が私の心の中で、立ち上がって来るのがおのずから感じられました。 私の日常は今、子供達と共にあります。そして子供は、有難くも生きて生まれた事の素晴らしさを、無条件に首肯させてくれる存在ですね、実際、勿体無い位に ありがたい こと。 私は先日、恩人の能村氏から「古屋ちゃんは、良寛さんを生きようとしているわけ、だね」、と冗談めかして評されましたが、実際に目指している境地は、子供達と手鞠を突き、かくれんぼに興じる晩年の良寛和尚なのですが…。 ところが、私には私なりの、生きる目的が有った。最近また、しきりにその ミッション を様々な啓示によって、念押しされ続けている。はい、そうです、「啓示」と「念押し」でありますよ、有難くも、勿体無い、信じがたいこと、なのでありますが、現在では それ が 私の人生の目的であったことは、確定なのでありました、実に。 普通に、常識的に判断すれば「有り得ない」事柄なのですが、紛れもない事実だと、今の私は確信させられ続けているのでありました、はい、はい、実際の話が……。 昨日も長男に宣言したのですが、六月になれば、義母の百箇日も過ぎますので、野辺地に足を運んで実際の行動を開始するタイミングが、自然に廻ってくる。無理や、焦りなどは、全く必要のないこと。自分のベストを尽くすこと。この一事に尽きる。まともに考えれば、目の眩む様な難事業を前にして、私は平然として、平常心でいられる。「 私ではない、神のなせる業なのですからね 」、私はただ、神の成せる御業に、可能な範囲での協力をすればよい。それが直ちにゴーイング マイ ウェイ の精神に直結している。重ねて、ありがたく、もったいない、ことなのですよ、はい。再び、産まれて生の只中に在る事への深甚なる感謝、感謝、であります。
2017年05月07日
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