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8月最後の金曜日。…大嫌いになってしまったアメリカンデブ化の激しいボディになんとか洋服を着せて、洋服を買いに出かけました。肩幅、あたし、こんなんだっけ?っという、すっぴん肩がアメフト仕様の奇妙な夏太りなんですけどね。この日を逃したら、あたし、多分、女を棄てる。(笑)それだと今後もこの仕事が続いた場合、いろいろと問題が生じる。…という、消極的な理由ではありましたが、雨交じりの空の色もイマイチでしたが、なんだか台風も近づいてると言うことでしたが、出かけましたよ。意外に楽しく洋服屋さんで雨宿り。私の好きそうな服をのっけから選べるようになっていた気楽な熊のようなオヤジとくだらない話をしました。すごい嘘つき熊なんですけどね。商売は、売るのが仕事、というのが、この熊のはじめの言葉でした。それについつい、笑い出してしまってから秋、冬、春、夏がゆっくりと過ぎました。売るためならどんな嘘でもつく熊ですが、その嘘が、潔い、とすら思えてしまうのは買い物マジックなんだと思います。服もなんのかんので山アリ谷アリながら、私を引っ張ってくれる力がありました。ここのワンピースを着てたら、じろじろしょんぼり事件なんかがあって、えらい目にもあったのですが、そんな話も、なぜか笑いながら話せました。美容師さんにはこんな風に言われたし、なんて言おうものなら、「それはずいぶん自信のあるやつだな」とか、「冗談が下手なんだな」とか、その場限りながら、気持ちのよい慰めの言葉も吐き出してくれます。「金よこせっていってやればよかったのに、そのじろじろ見たやつに」そう。私もそう思った。慰謝料よこせと言ってやればよかったんだよねぇ、と、笑い飛ばしながらも、その言葉、ちょっと失礼だと思うけど、美容院で言われた「お前の女じゃねえぞ!」という言葉より、私の本心に近いことのほうが、まだいくらかましでした。選ばれたワンピースは、トリコロール。肩部分はキャラメルのようなベージュ。おなか部分は白。スカート部分が黒の大胆な色のワンピースを「これがワンピースのはずがないでしょう。こんなに短いワンピース、あるはずないでしょう」と、これまた大嘘をつきます。(笑)ネットで事前にチェック済みでしたが、「ミニは懲り懲り」という私に合わせて、ワンピースを単なるチュニックだと嘘つく熊。この店の洋服が、どえらいミニばかりであっても、私に薦めるときは、それは全部チュニック、とシラを切りとおすその強さ。もしかしたら、私に足りないのはそんな白々しさなのかもしれないとすら思えてきます。「この製品は特殊な編み方をしてるから、肩幅が目立たない」と、藪から棒に言われました。「ずっとこの2週間、肩幅を気にしてた私にとっては、その発言はちょっと引っかかる」と、私も言い返します。(笑)「それ、あんた、肩幅すごいねって言ってるのと一緒」と言えてしまう、その気楽さにお金を払ってしまうところはあります。洋服を着るのはとても難しいことで、クヨクヨしてたら、負けてしまうけれど、ここでクヨクヨの大半が吹っ飛んじゃうわけです。(笑)スマホで見せられたのは「台風、消えちゃったよ」という天気図。雨はまだやんでいないけれど、天気図の台風が消滅していました。(笑)雨が小降りになったところで、教室に戻りました。やっぱりワンピースはワンピースで、チュニックにしてしまうのはもったいない。ニットだからビヨンビヨンとすそを引っ張れば、ちょっと長めになるし、そうしたら、勝手にじろじろ見られて傷つくこともない。毎度のことながら、課題もある服で、深くV字に開いた前後の襟ぐりなど、「これ、どうすんのさ。下に何を着ればいいのさ」みたいな部分もあります。でも、飲み屋のママとまで言われるほどの、飲み屋臭もなく、無理もない感じ。でもまだすぐ似合うわけでもありません。半そでのニットワンピースは、秋が深まる信州では、大忙しで着ないと、元が取れません。土曜のレッスンは、挑戦的なお年頃になった双子の片割れに、容姿をからかわれるという災難から始まりました。ブラブラの心の折れた部分を最後に手折る小さな手。彼の扱いに業を煮やしたのか、お母様も「先生からも雷を落として」というスタンスで、それがとても傷ついた気持ちに拍車をかけましたが。「保育園の先生にも、同じようにひどいことを言って、血を見てました」とおっしゃるお母様。「先生は、あんたに血を見せるほど怒ってあげるだけの気力はないです。どこへでも行ってひどいことを言って、嫌われちゃえばいいと思う。」先生の目が本気で冷めてることに、あせり始めたママが「もうやめなさい」と小さな声で言うけれど、やまるようなものではないのがこのお年頃。言い続けることが、彼の本能。結局、レッスンの最後に、椅子がぼっちゃんの足に乗っかって、ものすごく痛かったようで、ぼっちゃんはワーワー泣き出しました。「ほらごらん。バチがあたった」冷たくいいはなちました。「悪いことをすると、自分にかえってくるのよ」とママが小さく言いました。その「悪いこと」の対象になった私の心が痛くなったのは、私にまだまだ女子力があったからかなんなのか。容姿でもなんでも、相手をさげすむ言葉は、あんまりいいオチにはならないんじゃないかなぁと思うくらいで、土曜と言う日が静かに過ぎていきました。
2013年08月31日
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ピアノの先生友達3人でランチしました。私の得意のマシンガントークも炸裂し、表面上はかなり楽しく過ごしていましたが、そのどこかで殺伐とした空気を感じている自分がいました。オレ、女子力低いな。(笑)…二人は、エレガントなピアノの先生という感じで、私もそれなりにコスプレしてあったのですが、何しろまだまだ、「後ろじろじろ前しょんぼり事件」などで心はブラブラに折れっぱなし!その話をすると、大ウケするかと思いきや、みんな共感してくれたりして、どうも元気が盛り上がらない!(笑)「後ろじろじろ前しょんぼり事件」直後に、美容院で「後ろばっちり前はチーン☆」と2時間に渡り言われ続け、そうならないようにしてよ、と言った髪型は「後ろおばさん、前は顔丸出しショート」と言った時点で、二人とも「えええええーーーー。それきついー」(笑)美容師さんをよく知る一人の友人は「完全にマブだちって感じになっちゃってんね」と、フォローしてくれようとしたのですが、「そう。あたしたち、そこまで仲良かったっけ?と思いながら聞いてたけど、最後に、オレが切った髪の後ろ側が勝ったってことだ!やった!!って言われたときは、こたえたよー」というと、フォローの言葉が続かなくなりました。「人の頭を勝手に戦場にするんじゃない!って感じでしょ」…みんな無言。(苦笑)その勝利宣言、ご本人には残酷と言うところまで頭のまわらない美容師さん。いくらマブだちでも、美容院に藁をもすがる気持ちで出かける乙女心を叩き割りましたけど?というのは、女友達だからこそ、五臓六腑に染み渡る感じでわかってくれちゃって、フォローが不可能。(笑)ただ、美人の友人が「でも、それで顔見てパーーー!!っと輝くってパターンも少なくない?」と、ある意味、辛口でありながら、ま、確かに、という新たな視点を示してくれましたが。(笑)おもしろかったっちゃあおもしろかったけど、自虐が過ぎたらしいランチ後。わざとそうしたわけでなく、事実を話しただけなので、私の責任じゃないと思うし。(笑)なんとかレッスンは気合とともに乗り切りました。みんなの演奏表現レベルを上げる感じでレッスン!それはそれでよかったのだけど…。長く長く見てきて、本当にうまくなった生徒が最後にまったく関係ない話をしたときに、また心が折れた!(笑)彼女は私を傷つけるつもりでは言ってない。それは、その話にまつわる苦い記憶を持ってる私の個人的な事情によるものであって、彼女に悪意はない。でも、傷ついたぞ?ということで、これまたしばらく帰る気にすらならず困りました。そこにじゃんじゃか、最近大騒ぎの中古ピアノの話のその後が舞い込むわけです。もともと持っていたピアノを生かしていこう、でも、前向きに良いものとの出会いは検討しよう、それどころか、その視野にはグランドピアノまで入ってきておるがな!!…お店やさんは「こんないい出会いになってうれしい」という感じだし、生徒の親御さんも「本当にいろいろ考えるいい機会で、本当に良かった」だし、円満円満!!ところが先生、心がポッキリブラブラ夢と希望をつなぐ細い線すら見つからない!!!やばい、やばすぎる。そんな心の奥底で、無視していた悲しみに直面したりして、涙なんか垂らしてみたりして、そんなにしてまで、私の心をえぐってくれよとは頼んだつもりはない!と、運命をののしっておりました。そこで見つけた小さな悲しみは、無視していたら大きな怒りになるとしても、無視したかったものだし、無視したいような目にあいながら、無視したことを見せ付けられても別にありがたくもなんともないや、誰もこんな風に深く深く確かめずにサバサバ生きてるじゃないのさ、と思ったりしました。気がまぎれる何かを探し、それを追いかけ、元気をつなぎ、それでいいじゃん、それが人生じゃん、と思いつつ、すっかり意気消沈してしまった自分をズルズルと帰り道に向かわせました。怒りがおさまるということは、元気をなくすことなんだから、これじゃだめじゃん!翌日、普通にまわる毎日をまわしていくぞ、と思いながら、この夏、すっかり萎えてしまった女子力を取り戻すために、洋服でも覗きに行こうか、でも、もうこれ以上、折れたら多分、本当に立ち上がれないからやめとこうかな、なんていう朝です。仕事って確かにめんどくさくても、きちんとすべきこと。仕事が円満におさまれば元気らしいものが出る、というレベルすら遠く遠くに忘れてしまうほど続いてきた道を振り返る元気は、もうぜんぜんありません。(苦笑)
2013年08月30日
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楽器店にでかけて、クソババアちゃんのピアノをお願いする調律師さんとお話してきました。要は、彼女が「音と音が響きあうピアノを欲してる」ということを伝えたかったわけです。見えないものを追いかける世界なので、個人の価値観によっていろいろなものが薄まることを思うと、ここは私が直接お話したほうがいいな!と思いました。お互いに良く知る調律師さんの手を経たピアノ。それが再生できるかできないか。いったい、そのピアノには何が詰め込まれていたのか、ここから先は調律師さんの価値観に全てお任せします、というところで、自己紹介をかねてのお話でした。誠実そうな方でした。ピアノを学ぶと言うことの価値観を、「世代をつなぐような」というところにも置いていて、おじいちゃん、おばあちゃんのピアノの調律に通っていたら、孫のピアノをそのおじいちゃん、おばあちゃんが応援してくれて、ピアノを新しく選んでくれた、というような話を伺ったりもしました。ある程度、キャリアのある人がいいな、と思っていたし、ピアノと言う楽器を長い目で見てくれそうなところもいいな、と思いました。なおかつ、ちょっと堅苦しいくらいの、「クラシックピアノはこういう風にお勉強するモンなんだよ」という昔ながらの気質も持っていてくれるので、うちのような遊びの教室にはいいお目付け役になってくれるかもしれないです。後はおまかせしておいて大丈夫だな、という気持ちになりました。私にとってはとても難しい日でもあったようです。さほど不安定になったとは思わなかったけれど、簡単な出来事ではなかったし、その調律師さんに今の自分は、どう音楽に対して接しているか、という姿勢をみせないわけにはいきませんでした。音の世界をもっと奥深く分け入っていくつもりはない、ということを、のっけから話しました。「どこまでも頑張ります」と青く語れる自分でないことを、どこまで説明すればいいのかわからなかったので、「これ以上、自分の至らないところを省みて頭をぽかぽかたたいていてもきりがないから」とか、「確かに耳はより細かなものをとらえるようになってきているけれど、ここから先を私が突き進んだら、バカになっちゃう」と言いました。あと、「30代までは、私が未熟だから勉強します、という部分もあったけれど、40過ぎたので、この音、好き、嫌いでやっていく部分も持っています。」とも言いました。ピアノと言うものは実は常に軽く音が狂っているもので、ベストの状態は調律後2時間とも言われます。そこからゆるく変化を続ける間、いつも「ベストじゃない」と思う耳になったとして、それは、街の喧騒にも耐えられなくなることと同じだとしたら、私は少し音痴でへたくそでいたい、とそのままの気持ちを話しました。ベストを情け容赦なく求められる場にいたおかげで、耳が肥えたかもしれないけれど、その耳は、何をとらえるようになったかといえば、聞いてはいけないものまで聞くようになりました。それを休ませ、騙し、ごまかし、少しだけ街に慣れるように戻した私に、音の迷宮は重すぎる、と話したことがどう伝わるか、彼の耳に私の歩いた道がどんな風にすでに届いているかなんて、考えたら参ってしまう。だから、短く話してその場を立ち去り、いつもの毎日を過ごしました。いつもより多めにお昼を食べて、眠気のままに眠ってしまい、それは、ぐうたらなやり過ごし方ですが、それ以外に、その場所と切り離される方法を今は見つけられないから。眠って、おきて、ピアノを弾いて、レッスンをしました。「いい音になってきたー」なんて言いながら。昨日は、教室の生徒のうち3人もの女の子の誕生日が重なった日でした。おもしろいものですね。いくら生徒が多いと言っても、3人も、ということで、何度もその話をしてしまい、「さっき聞いたよ」なんていわれながら、少し危ない自分をやっぱりいつもどおりに運びました。私が今後続けていきたいことは、もうあまり惨めな気持ちになりたくない、というほうに動くことだけだな、と思います。悲しい記憶があれば、その記憶にまつわる人を恨んでしまう。うらむことは悪いことでも、うらんでしまう。だから、せめて忘れる努力だけをするから、嫌なことを思い出させない人たちと過ごしていきたいな、と思ったりしています。でも、ずっとつながる人もいる。そんなとき、誰かが地雷を踏むかもしれないけど、そのときは、「悲しいんだけど仕方ないよね」と、ちゃんと自分の悲しさくらいは弁護しようと思います。
2013年08月29日
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日曜日からずっと、ピアノの森にいる気分です。それは迷宮のようなものですが、息苦しい場所ではないのが幸いです。私の荷物が少ないところがいいです。(笑)もとを正せば先週の木曜日、クソババアちゃんのピアノの弾き方のクセが、「あ、おうちのピアノの性格上、こうなるのも然りだ」というようなものに見えました。遠い遠い記憶の底で、彼女の家のピアノを弾いたことがあるのですが、そのときに「うーーーーん。鳴らない!!こんなに音が出ないって何か細工でもしてあるの?」と思ったことがありました。そのときの記憶とつながる彼女の弾き方でした。音を出したくて、出したくて、でも、出なくて、力が入っていく感じ。せっかく目の前に教室のピアノがあるのに、それとつながれない感じ。クソババアちゃんの念願は「いつかグランドピアノが欲しいなぁ」なのですが、「クセが出てきたね。音が出ないおうちのピアノだからかな」と言うと、「先生からママに言って」とのこと。お母様の考えを伺うと、一番のメインは勉強の彼女が、今後ピアノを弾いたとしても、マックスで4年と言うところ。そこにグランドピアノは正直考えられない。何かいい方法がありますか?と言われて、私が出した結論は「中古アップライトの最高級品、というのが最もお手ごろで音がいいという可能性がある」でした。ぶっちゃけあう値段の話など、トントンと話は運び、3日後の日曜日には、中古ピアノの試弾の場が整いました。そこでクソババアちゃんと待ち合わせて、いろんなピアノを弾き比べました。さすが、あたしを地獄の淵まで連れて行くだけあるクソババアちゃん。耳は一級品ですよ。彼女が「思う音が出ない!ピアノがおもしろくない!」と泣き喚いた小学生時代。…こんなデカイ楽器相手に、本物の音が出なくておもしろくないとしてもそれは当然です。それが、「自分のピアノの音色が物足りない」と言うようになるなんて、ある意味、報われた、というかなんというか。…中古ピアノと言うのは、迷作ばかりで、それはもはや宝探し。新品ピアノにしたって、この耳では安物じゃ受け付けないだろうし、高級品だって、音色になるまでにある程度の期間があります。リミットは4年。私も弾き、聴き、お互いに感想を述べ合いながら、理想の一品を探していく中で、クソババアちゃんと私の意見はいつも一致。(笑)そして、気になる一品も見つけました。それでクソババアちゃんが弾くと、私の耳が「いい音ねえ」と吸い寄せられます。それ以外は、正直、「違うんだな」というか。あとは、悪くないけど、一瞬いいだけで飽きるねとか、そんな感じです。試弾はとにかくおもしろかったです。ママとお店の人が難しい話をしているときは、二人で遊んでるし。(笑)そして、その後、この件における最大の問題であった暗礁に乗り上げているのが今です。(笑)いろんなピアノを弾き比べた彼女の耳は、その半日で肥え、おうちのピアノを弾いたときに、「あれ?これももったいないね」という感想に至ったわけです。実は、おうちのピアノはランクだけで言えば、かなりの上物。箱がいいので、いい部分も確かにある。欠点もあるのですが。それを私の耳で再度確かめるために、火曜にはおうちにもお邪魔。前回弾いたときとはおうちを引っ越しているせいか、私の耳のせいか、「確かにこれ、思ったより相当音が出るね」という部分がありました。あと、やっぱりいい箱だけあって、音楽をつないでいってくれるんです。ただ、そのことと、耳や技能を育てるのは別のこと。案外と、問題のあるピアノのほうが、本人そのものの技能を上げてくれることもある。クソババアちゃんが弾いているのを聞きながら、問題点も見えました。音と音が響きあわないからおもしろくない。でも、調律して1ヶ月。アップライトの調律ってそういうもんなの?正直、ここから先は私にはわからなくて良い領域と言うか、調律師さんたちの分野になります。だから、そのまま話しておきました。私の荷物が軽いのはそのせいです。(笑)そもそもはじめのピアノを選んだのも私じゃない。そのピアノにくっついてきた調律師さんが私のピアノの調律師さんだったというご縁で、私の教室が紹介されたのです。そこが私の責任でない、というのは、ある意味、私としてはありがたいほど楽な部分です。…私の調律師さんと私の関係は、今、見直し期にあるので、そこともある意味つながる問題だし、矛盾はありません。生徒のピアノを任せると言うのは、私にとっては大きなこと。その意味を、本質的に理解していてくれるなら起きない問題がこのごろ良く起きる。だから、見直し期に入ってるわけです。私のピアノは任せられる。だって、私はその人を良く知っているから。でも、私の生徒を任せ続けていて大丈夫?という場合、他の人のことも考えなくちゃならない。…これまた不思議なことに、縁のものだけあって、知らないうちに、その調律師さんがそのピアノから外れていました。この状態では、その人に再度、というのは不可能です。新しい調律師さんと、クソババアちゃんちのご縁がどうなるか、にかかっているので、こちらはある意味、高みの見物でいいわけです。だからこそ、クールに「いい音」「悪い音」なんて好き放題言っていればいいというか、そこで私が私の感性に正直であれば、ピアノ教師の仕事も遂行しているともいえるのがいいところです。要はこの件で、クソババアちゃんの耳がさらに学ぶことがあればいいだけなんですよ。買うとか買わないとかそんなこと、どうでもいいと言ったら言いすぎですが、実際、それは別の問題として、私はクールに離れているのが一番。おうちのピアノの感想もこれまた気持ちよく一致したところで、ママと少しお話して、後は調律師さんに私から直接話せば後はいいかな、と考えが落ち着き、私もようやくのんびりできる状況に入ってきました。今後、「あの人になら、生徒のピアノを任せられる」という調律師さんだったらいいな!そこまで頑張ってくれる人なのかな?とお店にちょっと聞いたりしていますが、その程度で済みます。助かる!!!!歳とって、良かった!!(笑)新しい調律師さんは、コーヒーにこだわるちょっとめんどくさい人らしいし、そのこだわりがピアノに向かったとき、どんな結論にしてくれるのか、楽しみです。私の気持ちは、森でコーヒーでも飲みながら、ピアノを聴いているイメージでしょうか。暗礁に乗り上げているのが私でない、ということは、正直、こんなに楽なことだったのか、と驚いています。商売と言うのは難しくて、「売らんかな」があまり勝つと憎まれがちな分野です。でも、そこで、気に入らなければ買わないと言う選択をするのは、買い手で、そこのクールさを知り尽くしているお店が、どんな対応をしてくれるか、というのは、今後の私とお店のお付き合いもわかるわけです。その全てをそのまま話して、のんびりと成り行きを見守り、最後にクソババアちゃんが笑っていること、私ものんびりしていることを祈っている今です。
2013年08月28日
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久しぶりに、生徒に雷が落ちました。(苦笑)このごろは、生徒に雷を落とす必要なんてほとんどなかったのですが。…中学生の生徒が、友達から借りたスマホを持って教室に来たのがきっかけです。私に「この曲、聴きたいから弾いて」で、弾かせておいて、自分はスマホでラインを読んでたんですが、それは私の限度額を超えてましたよ。(笑)ここは教室ではあるけれど、生演奏喫茶ではございません。もちろん、そんな関係性が水面下にあったまま気づかなかったのは指導者の私の責任、という見かたもあるかもしれないけれど、そこまでわかってたまるか!!というか、「これは違う!」というべきときだと思ったので、その後、嫌な気分になることはなかったです。だから、親御さんが来た時に、ざっと話したかったのですが、こういうときに、今まで、この家族との間に生じた問題がやっぱりここに端を発している、というのがわかる瞬間でもあるので、うまく伝えられたか自信はありません。いろいろ、今まで感じてたものがくっついちゃうんですよね。さっぱり話すことができない、というか。これは課題だなと思うばかりです。でも、とっさの出来事、口から出てくる自分の言葉に、自分で気づきながら、なんだから、ごめんなさい、と軽く思うくらいです。それでも、それはとても傷ついたし、違うと思うから、よく話し合ってください、とは言いました。思えば長い生徒ですから、私がいかにいっぱいいっぱいかを、私以上に親御さんも知ってる。だから、はじめは「なに?なに?」という感じだった親御さんも泣き出してしまいました。ああ、辛かったでしょうね、と、親御さんが私を抱きしめようとしたとき、私はそれも違う、と軽くその差し伸べられた手を押し戻しました。ここで、抱きしめられて泣きたいわけじゃない。自分たちが違ってたかも、と思ってほしい。とてもいい親御さんで、教室の「回数制」というルールにずっと反対していてくれて、いつもまとまった金額の月謝を払おうとしてくれた人でした。でも、ここのルールはそれだから、それにしたがって!と強く言いました。その優しさに甘えるのもいいのかもしれないけど、そしたら他の人のずうずうしい休み方に腹が立つかもしれない。私は、そっちのほうが嫌だ、と言いました。こんな風に経営の難しさをわかってくれる人は経営者くらいで、ほとんどが「安くてラッキー」な感覚にもまれる中で、なんとか麻痺させてきた自分を、常に怒る状態に持っていくのが嫌だったんです。自分の都合で、ドタキャンや忘れた!という理由で「月謝が安くて済んだ。ラッキー」とすら生徒に言われたこともあります。怒ってみた事もあるけれど、経験のないことを怒りで伝えることも理論で伝えることもできませんでした。だから、そういうシステムだと割り切って、私はそれでやってる。だから、したがって!と言いました。そのときに、親御さんが泣き出したような気がします。「示しがつかないの。そこの押し問答でレッスンの反省ができなくなってもいるから、やめて」とまで、スマホBGMにとっつけちゃったのはいけないかいいかわからないけど、とっついちゃいました。(苦笑)その後、怒りを引きずることは無かったです。その場面に遭遇した生徒たちがえらく慌ててましたけど。(笑)「先生!私、今日は下手です!」とか「先生!」「先生!」という言葉が教室内にこだましてしまいました。私も未熟だから、成長する時間くらいはください。はじめから完璧な教師になんてなれないことだけは、許してください。暗黒時代は、自分の未熟さが、自分の罪のように思えたけれど、それは罪ではなく、過程だと思えるようになった分、私は、癒えて来たかもしれないとは思います。かつてはBGM演奏の仕事もしたことがあります。でも、教室で、スマホのBGMを弾くつもりはなかった。それでいいと思っています。
2013年08月25日
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作曲家んちのぼっちゃんが、ようやく長いスランプ明けです。晴れ渡る表情、一言一言が幸せ一杯で、スランプ明けの少年ほど優しい生き物はないなぁと思いました。教室に来て、初めてピアノがこれほどおもしろいということを知って、熱狂して、そして、その分深いスランプに落ち込んで、半年と言うところでしょうか。それは、付き合うのが義務のような期間でもあって、待つのも学びの連続でしたが、行き詰まった熱狂が、矛先を求めて、私への攻撃になったときくらいから、私も腹を括りました。半年前と同じ言い訳が、お母様の口から出たのもいいタイミングでした。「勉強が楽しくなったことと、ピアノが進まないことは、別のことです。」その一言で済みました。おうち練習ができれば、ピアノで行き詰まる必要なんてないんだな、と改めて思いました。こんなことすら試行錯誤です。…初めての熱狂と、二度目の熱狂が違うのは、彼が大人になったから。スランプと言う苦い季節を経たからこそ、それが通り抜けられた自分を信じられるようになって、痛みも知って、いたわりも知るんだな、と、やはりまた、大人になっていく少年に学びました。こんな少年たちに、甘く優しく接してもらえるようになるのは、ボーナスのようなものだなと思っています。こうなったが最後、彼らは、1ミリも私を傷つけまい、と、いうほど過保護になります。(笑)この生徒と出会った頃の私は、今よりまだ古傷が癒えておらず、なぜ、ジャズなんかに首を突っ込んだのだろうという感覚がありました。あまりの傷の深さにどうしていいかわからなかった頃ですが、この生徒があまりにジャズを愛して、あまりに嬉しそうにジャズを弾き、あまりに上達したために、私の傷は痛みを少しだけ忘れました。その彼が、今回のスランプ明け、あまりの嬉しさに上機嫌で、次の生徒のためにピアノを弾く私に、足でビートを取り始めました。シンプルなアフタービートが徐々にジャズのリズムに変化していく様は見事でした。あんたのパパがプロのミュージシャンでドラマーだったことも、これもいつか縁だったと思うのかしら、と思いながら、私は笑い出しました。遠い夜の町で私の膝が折れた記憶は、今でもすぐ隣にある私の事実です。折れた膝が治っても、私はもうジャズを誰かのリズムに合わせて弾くことだけは無いだろうと思っていました。もういやだ、もうたくさんだ、もう悲しすぎる。意固地になっていた、というだけでなく、本当にいやだと思っていました。心がまた割れるかもしれない、という怖さもありました。でも、レッスン中に小さなセッションが始まってしまった。それは身構える暇もなく始まりました。この安全な空間で、信頼できるこの少年と、怯えることなく。私の耳が彼のリズムを追ったときの記憶が、頭に焼き付いてしまいました。私は逃げ出して終わり、ではなかったし、小さなドラマーとセッションできました。それがほんの数分にも満たないような小さなセッションでも、私のスランプが明けた、とも言えます。これで今後、生徒の前に立つときに、もう少しだけプライドを持てる。あなたたちに教えているものを、私は、今でも毎日、進化させています、と思えることは、私に余裕を与えてくれます。その少年の名が、遠い記憶の中にいたドラマーと同じ名字だったのも、また、偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎた出来事なのですが。永遠にめぐるループのように、人生はゆっくりとまわっているようです。
2013年08月24日
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昨日は「ピアノの先生コスプレ」になってしまったなぁ、と出かけたところ、生徒たちに、「うわーーーー。ピアノの先生みたいな格好!先生が絶対にしなさそうというか、似合わない格好。キャラじゃない格好」…と言われ、「体が太すぎて、足の細さに目が行かない」…と言われ、「ウエストがもっと細かったらいいね」…と言われ、「肩幅が、今までで一番太く見える」…と言われ、ハイヒールを履いた状態でフルコーディネートを見せると「詐欺ってる」…と言われました。ピアノの先生コーディネートは、なんだか自分の好みのものよりは、クラシカルというか、なんというか、ダサいなぁ、と思っていたら、それもドンピシャ☆で「ちょっとダサい」と言われました。今回は、負けずに「これでも肉があたらない程度までには絞ったんだ」とか、「足は休み前より細くなったんだ。だから、体が太く見えるのもある。でもお盆太りもある」とか、言い返しました。みんな口々に言います。「やっぱり白は膨張色だねぇ」…そうなの。これは私の腹を鍛えるためにあえて時々着てみる、私にはとっても厳しい服なの。いつもなら、白はいっそのこと膨張したデザインのものにしてたけど、体の線にある程度添うものにしたのは、挑戦なの。そして惨めな思いをしながら、少しずつ体を絞る・・・・予定もないんだけど、あんまりその気もないけれど、まぁ、持っている服は、いずれは綺麗に着たいものだ、くらいには思いました。このごろ、なぜか胸板が厚く発達し、肩も広くたくましくなり、競泳でもやってそうな雰囲気です。アメフト?というか、超人ハルク?というか、すごいです。体つきのバランスが変わるたびに、コーディネートを考え直さなければならなくなり、それはいつも失敗の中から学ぶより他にありません。わかってきた頃には、次のバランスになりますが。(笑)まぁ、生徒たちと言い合う元気が出てくれば、ネガティブループもそれなりにおさまります。失敗して傷ついて、持ち直して、なんて当たり前のこと。…でもできるなら、失敗は、傷が浅く済むようなものになってほしいと思うばかりですが、深く失敗するタイプのようです。そして、そこで傷ついたことは、「学んだこと」というより「傷ついたこと」として、深く残ってしまいます。生徒にはそうならないように、傷つけすぎない、という形でそれをなんとかやりくりしつつも、意地悪な性格をどんどんとこじらせていくようで、自分でもゲンナリします。あまり傷つかない人というのは、結構平気で人を傷つけることを思えば、それもいいのかもしれないけれど、人をなるべく傷つけないような努力ができたとしても、自分が傷つけば自分の傷しか見えないのも、これまたやるせない現実です。
2013年08月22日
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季節的になのか、気分的になのか、非常に曖昧ですが、何を着てもつまらなくて、かといっていつものように「次!次の服!」とも動きたくない変な気分です。かろうじて秋色のパンプスが気に入ってるけど、なんなんでしょうか。夏バテかしら?(笑)この夏一番のお気に入りのワンピースが、じろじろ事件で完全に自信喪失となって以来、どうもいかんです。(笑)直後の美容院で、「後ろは良くて前残念!」というとんでもない洗脳を喰らっているのは大きいとも思いますけどね。…それも多分、疑ってるわけですよ。私の本心は。「後ろも悪かったんでしょ」みたいになっております。だったら、そんな風に見ない!というのは、男性の美容師さんの熱い熱い意見でしたが、こうなったら手がつけられませんよ、私はしばらくね。(笑)どうせ、後ろも前もダメなんだから、何着たって意味無いよ、くらいです。(笑)言いたい放題言われて切ってもらったショートカットは、とんちんかんなことに、顔を出すタイプのものでした。お前、人に極刑喰らわす気かよ、ですよ。「前残念!」って笑い飛ばしておいて、顔出すか?!ですよ。10日に1瞬くらい、奇跡のように「やっぱりカットうまいわ」と思ったのも数週間前のこと。ほぼ、ケロロ軍曹だったのが、常にケロロ軍曹になっています。お盆太りという説が一番有力ですが、それは無視の方向です。(笑)一応、気に入ってたはずのメーカーの秋の新作もネットでチェックしたところ、下着じゃん!!(怒)という方に進化してました。まぁ、それはメインのラインで、他のラインは、作業着か?みたいな方になっとるがな!!迷走しないでくれよー!!みたいな気分で、購買意欲は上がりません。好みにどんぴしゃのワンピースもないわけじゃないんだけど、丈が!丈が!!!!!パンツ出ますけど、になっております。女性の色気というのは、うっかり漂うくらいがいいと思うのワタシ。これじゃ、夢見がちじゃない人まで明らかに「色気で勝負か!」と思うデザインでしょう?という丈です。これをいやらしくなく履ける人なんて絶対にいない!のレベル。まぁ、細身のデニムでも履けばいいかもしれないけど、だったらこれ買う意味無いよ、というデザインなんだよなぁ。もうちょっと丈を足すようなシンプルなタイトミニでも合わせるしかなさそうだけど、それすら見つけにいくのがめんどくさい。(笑)かろうじて「作業着か?ライン」が、着てみるとそこはかとなく色っぽいかもしれないけど、怪しい。私、こういうものを着ると、立派なおじさんになれるんだよなぁと脳内で着せ替えをしてくじけているところです。今までのように、ちょっとむずかしめのものを買って、自分を合わせていく楽しさを追えるほどの根性もないし、こちらの素材がもう限界。そんなわけで、ボーイズデニムで、完全なおじさんとなりながら日々をやりすごしていますが、あんまり楽しくないなー。(笑)最後に買ったライム色の洋服を着て以来、なぜか、顔はケロロ軍曹、洋服はカエルさん、というカエルの呪いにかかったかのようです。そのとき、大人の生徒さんと店員さんに強く強く薦められた「着たらガンダムになるのは間違いなしのミニワンピース」を着たら、やっぱりワタシはきっとガンダムになってたはず。でもどうしても、もっと丈を短くして、出た足をたたいたり引っ張ったりして磨く元気はなかったんですよ。ピアノを弾く子どもの目線に太ももってちがくね?(笑)ガンダムを捨て、カエルを選んだ私に、洋服着るのが楽しい秋が来るのかは、最大の謎です。ま、とにかく、ちょうどいい丈のスカートを見つけたら…とお蔵入りしてたスカートを掘り出したら、パールネックレスと白のレースのブラウスに黒のタイトスカートという、絵に描いたようなピアノの先生になってしまいましたとさ。そう、きっとこれで仕事に行けば、表面的には問題ない。そして、生徒は容赦なく「ウェストもっとしぼりなよー」と言うことでしょう。(笑)ワタシがこのレースのブラウスに、立っているときだけでも腹肉が当たらないように、腹肉の操作をしたことなど気づきもせずに。(笑)座ったらばれる程度の腹肉にするためにすら、努力をしたことなど気づきもせずに。(笑)
2013年08月21日
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月曜日のレッスンは、決め台詞が炸裂してしまいました。小さな娘さんの反抗期に悩むお母さんには「反抗期なんて、単にめんどくさがってるのが半分だから、洒落た精神分析なんか必要ない」「だけど、これは甘えだと勘違いして、締め付けちゃいけないところを締め付けてるときの断末魔の悲鳴ということもあるから。そういうときは、やりすぎたら、死ぬから」なんて、サクサク言ってました。甘えか限界かの見極めが、そんなに簡単なら、こんなに残酷な出来事が多発するわけ無いでしょ、というスタンスではありますが、かといって、何もしないで、悪いことしてるのに褒め称えたりするバカいるかよ、という気分です。見当違いの精神分析なんかしてる暇あったら、「めんどくさいんでしょ。でも仕方ないからちょっとだけやって後は遊びな」を、ご自身が辛くない範囲で付き合ってやればいいでしょ、と言い切ってしまいました。日々のめんどくさいは膨大で、日々のやらなくちゃいけないことも膨大。全部めんどくさくなくやれって言ったって無理だけど、何もしなくていいわけじゃないんだから、自分が切れるところまで無理しなくていいから、ちょっと手伝ってやったら、子どもは楽しいやり方がわかれば喜んで歩くわよ、みたいな感じでしょうか。言い過ぎかもしれないけれど、忍耐と虐待がとんちんかんになってる人って多いと思うので、闇雲にわけのわからない精神分析にクビを突っ込むくらいなら、変な忍耐はやめて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、プラスを重ねたら?という気分です。ピアノって週1ペースなので、教室に全部投げられても、めちゃくちゃになりますしね。子どもって、できていないことを見せるのも嫌がるから、練習ゼロじゃ、ラチあかない!と、ようやく言い切れるくらいにはなりました。言い切れる自信を持ったのは、「近い人ほど、よく見えないことがあるらしい」と知ったからですけど。素行が非常に不安定で、暴言多発なくせにおりこうさんなセリフも知ってる知能の高い怠け者さんには、「めんどくさいんでしょ」と前もって言ってみたら、「ギャー!」と言っておりました。図星ついてすみませんねえ。…しかし、目に余る暴言暴挙に、こっちもキレてしまったわい。(笑)「めんどくさい」このことには、言葉の上でも、感情としても、本当に私自身が翻弄されました。でも、「めんどくさいんでしょ」は、あまり残酷すぎもせず、図星をつくのにはもってこいのソフトさもある、私にとってはとても便利な言葉としてレッスンに加わることになりました。どんなに小さな子どもでも「めんどくさがってるときにめんどくさいんでしょと言われるとちょっと恥ずかしい」らしい、ということを知るために通った道は、二度と思い出したくないほどの日々でした。この言葉だけを心に刻んだら、嫌な過去はなるべく忘れることに努めていこうと思います。
2013年08月20日
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誰だって、好きなもの、大切なものを持っていなくては、日々が過ぎないと思います。自分にとって大事に思う人のそういうものは、どんなにこちらのやり方が未熟でも、なんとか守っていきたい、とも思うものです。ただ、時々「だって好きなんだもん」ということだけで、かかわる人全てをギタギタにして、自分だって、どんどん違うほうに向かって表情が悪くなってまでそれを続けていると、それはいずれ、大きな破滅になるんじゃないのー?と思います。大人の生徒さんたちの様子を見ていると、「好きなんだもん」とピアノを弾いているけれど、家族も音楽好きになったり、仕事が順調になったり、明るい気持ちになったりしています。そういう風に「好きなんだもん」を続ける人を応援するのは、周りの人にとっても楽しいことだったりします。私とは直接関係ない人ですが、「だって好きなんだもん」の余波が大きすぎて、そこにかかわる全ての人が「え??」という方向に進むどころか、なぜか、最後には直接関係のない私が、一番大きな被害を被っている、という出来事があります。もうそれは何年も何年も続いていて、私が余波を受けていることも周知の事実なのに、その人は、ぜんぜん気づきません。空気も読みません。それどころか「だって好きなんだもん」を続けるために、ありとあらゆる人を利用し続けて、そこに絡まる人々の人間的なレベルをどんどん下げているのですが、本人は気づきません。関係者も文句言いつつ、あんまり気づきません。…まぁ、そっちに合わせている方が、楽だし、楽しい気がするからでしょうけど。レベルが低いのはこっちだと思ってるみたいだし。(爆笑)どっちが上でも下でもいいけどさ。他人を不幸にする「だって好きなんだもん」が、あたしにとって迷惑で、これ以上の迷惑被るならこっちも覚悟だよ、なところにいます。私が引き換えに差し出すものは、全部、その人に喰らい尽くされました。もう何も残ってないけど、かろうじて残っている最後のものがなくなったときには、私もその人の「だって好きなんだもん」を、叩き壊す権利があるよなぁと思うようになりました。まさか私が叩き壊さないだろう、と思うどころか、そんなことにも気づいていないだろうけど、気づかずに他人に及ぼす迷惑も、自分に還ってくる事を知った私は、その人が、そのときに、それを叩き壊されたところで、気の毒にも思わないだろうと思います。他人の命をダシにして、自分の喝采を守ろうとしたツケは、ぜひ、その人自身に償ってほしいもんだよな、と、しみじみ思います。そこにかかわった人たちは、自分たちが無関係であることを証明しようと必死になってたりしますが、そんなことあんまり興味はないです。喝采は、喝采されるべくして受けるべき。その人が自分の喝采のために犠牲にしたのは、他人の命。それにその人が気づかないのは、その人の責任だと思います。そのときが来た時に、私はわざわざそこまで出かけて叩き潰しはしないかもしれない。でも、協力はしない。できない。それは無理。
2013年08月19日
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先日、一目ぼれしたピアノが、大人の生徒さんのおうちに届きました。綺麗な写メが届いて、リビングに納まったピアノが、本当にうれしそうでした。円満に運ぶ話というのは、ストレスのないものだなぁと思います。「気に入っちゃった!先生、私、気に入っちゃってうれしくて!うまくなった気がする!ご近所さんに聞こえる音が心配だけど、弾きたくて弾きたくて仕方ないの!」と大人の生徒さんがおっしゃってました。ちょうど、私も教えたそこのお嬢さんの縁談も決まった時期のようで、何重にもいいことが重なっているようです。後から何度考えても、これは値段と掛け合わせて考えると、街で一番の掘り出し物だと思う、と、その生徒さんにも、楽器店の方にも話しました。いろんな人のいろんな努力の結果、とてもよいものが可能な限りにかわいい値段でそこにあったことは、お店の方の努力でもあるから、そう伝えると、お店の方も万感…という感じでした。もっともっとうまくなりたい!というのが電話の生徒さんの声から伝わってきます。ご近所に聞かれてもいいくらいに、うまくなりたい。そんな気持ちがほとばしり出ているのか、レッスンの予定を一刻も早く、という、これもまた無駄の無い展開でもあります。このごろ、大人の生徒さんがこんな風に声をはずませてくれることが増えました。発表会を経験して、こんな幸せになったことはない、とか、ピアノを買って、こんなにうれしくて仕方のないことはない、という話です。ある程度の人生を、家族のために生きた女性が、これからはピアノという友と一緒に生きられる、と、目を輝かせているのを見るのはいいものだなぁと思います。そういう方たちは、発表会に出ることも、ピアノを買うことも、ひどくためらったりします。社会的にこれはどうだろう、という悩みもあるようだし、少女のときのように恐れを知らずに進めるわけではないから、本当に迷うのだと思います。でも、ピアノと出会えてよかった、と、ひとつひとつの経験のたびに声を弾ませてくれます。今回のピアノのお嫁入りも「私、気に入っちゃってうれしくて」という言葉にまとまりました。その言葉以上の賛辞はないんだろうなぁと思います。それを受け止めるほうの私は、今はまだ、ロボットがさらにロボットになるかのように、感情よりも脳内の計算によって、事態を読むばかりです。今回の出来事は、本当に綺麗に運んでくれました。ロボット度数が上がれば上がるほど、結果と過程が美しくなる、そのことの矛盾は、どう例えていいのかわからないけれど、奇妙な感覚です。1日1日をこういう経験ばかりになるように積んでいって、その先にあるものを見てみたい、というところだけが、今の私の夢や希望になるのかもしれないけれど、正直、あまり遠くは見えません。1日1日だなぁと思っています。
2013年08月18日
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土曜日から仕事で、かわいこちゃんたちが元気良くやってきました。双子は開口一番「あげないよ!」…なんか、くれるつもりらしいです。(笑)キャンプのお土産をいただきましたよ。この暴れん坊の二人をキャンプに連れて行ったんですか?と複雑な顔をした私。(笑)それは放牧とかそういうタイプのものですよね。ホテルなら壁があるから、そこまでしかいけない。でも、キャンプですか。それは、ある種の戦場ではないですか?と尋ねると、「ええ、すぐそばには川があるし。BBQで火を使うと興奮しちゃうし」…目ーにーうーかーぶー。(笑)ドラえもんの曲を、リズミカルに弾けるようにしたり、いつもの日々が始まりました。なるべく楽しく、なるべく上手に。それだけ考えて、1日1日を過ごした先に何があるのか、私にはわからないけれど、それだけつないでみたいと思っています。
2013年08月17日
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前日に白馬で見かけた定食屋さんが意外に評判がよさそうだったので、連日で白馬ランチ?をしちゃう?ということになってしまいました。180センチ前後の大男になってしまった甥っ子二人を連れて白馬の定食屋「おおしも」に行きました。私が頼んだメニューがなぜか群を抜いて大物で、持ってこられたときに、ぎょっとしました。チキンカツカレーってこんなにすごいの!?でしたが、こちらは援軍が多いので、お皿は綺麗に空になりました。昔懐かしいカレーで、シンプルにおいしかったのですが、夕食は義弟ファミリーを招いてあったので・・・。なかなかお腹はがんばりました。(笑)昼、カレーで、夜、お寿司。…もはや相撲部屋です。大学卒業間近の甥っ子の兄は、すっかり山男として出来上がっていて、むさくるしいー、けれど、不潔感は、多分、無いほうのタイプ…。多分だけど。高校生の甥っ子もでっかくなってるけど、ひょろひょろしてて、不潔感は、多分、無い。…その二人がなぜか私と同じ部屋でくつろぎ、時々、それよりむさくるしい義弟が顔を出したりしていましたが、空気はとても柔らかでした。甥っ子たちとは、とてもよい距離感で、二人がまるでソファに転がるようにして、積み上げた布団に寄りかかって、ちょっとかまいあったりしているのを横目で見ながら、テレビやネットに適当な意見を言ったりしていました。何もしているわけじゃないのに、誰もがそこにいるのが当たり前の感じでした。その風景を思い返すと、悪くない一日だったな、と思います。みんなそれぞれに語りたい思いがあるはずだけど、その日の私は、いつものように「うんうん。それでどうなった?」と聴くよりも、勝手な感想を言っていればいい気分でした。甥っ子たちはこれから自分で歩いていく。始まらなければわからない。就職目前の兄に「始まってみないとわからない」とだけは言いましたが、多分、彼の未来に関して口を挟んだのは、それだけだったように思います。後は、「いい上司に恵まれたら、かわいがられるだろうね」と言ったくらいでしょうか。礼儀正しくて、ひどく控えめないい子なので、おじさんに愛されるタイプなんですよね。聞き上手だし。場をなんとか和らげようと本能的に動くところもあるし、その割には、自分もしっかり持っています。ひどく孤独な一面も持っていますが、それは、自分の良さとして受け入れつつあるようで、自信を持って、その孤独さを語るようにもなっていました。頭の切れる自分をもてあましてもいる。でも、それも、わかっている。ぎりぎりまで自分を追い込んでしまうところもある。でも、それも、わかっている。少年が大人になっていくのを見るっていうのはいいもんだなーと思いました。休みに会うたびに大人になってるんです。強くたくましく愉快になっているんです。この子が、孤独の淵の感情を聞かせてくれたこともあったけれど、そのときより強くなってる。いいなぁと思いました。弟の方は、まだ少年で、そこだけが兄の心配であるのもひしひしと感じました。兄弟の気持ちなんて、私にはさっぱりわかるはずもなかったけれど、兄弟ってこんなものかもしれないねと旦那に言ったら珍しく「そんなものかもな」と言ってました。弟って、思っているよりおにいちゃんの背中が大きく見えるし、そこがゴールになっちゃうときもあるんだなぁというのが、新鮮な感覚でした。他人だからこんな風に遠くから見えて、いいところばかりが見える。逆に、血が混ざってたら、まったくこんな風に見えないのかもしれないですが、そこまで考えることもできないし、そんな必要は私にはないんだなぁと思いました。珍しい厚い封筒が届いているな、と思ったら、4月末の結婚式の写真が届いていました。写真はまともに写っているものなんてまず無いから、ウエーと思いながら見ました。ところがどっこい、いいんです。(笑)1枚だけ、みんなにチョー見せびらかしたのがありました。(笑)これから余興のピアノを弾きます、という時の挨拶の写真なんですが、プロというのはうまいもんですねー、なんだかとても素敵です。(笑)「これ、私じゃないじゃない!」なんですよ。←?後から落ち着いて見ると、鬼門の下からアングルじゃない、とか、目はぎょろりとどこかを見てるじゃない、とか、だんだんに曇ってきてしまいましたけど。とてもやさしくて、もちろんスポットも浴びているから輝いていて、おしゃれなんですよ。この服、こんなに素敵に見えるんだ、とも思ったし、表情の明るさがなんともいえませんでした。「これなら、なんかに使えるんじゃない?」と、そればっかり思ってました。なんかって、何だよ!ですけど。(笑)マイク持っちゃってるから、プロフィール写真にも使えないけど。でも、新郎新婦を祝福するためにこれからピアノを弾きます、という顔としては、本当に問題がないというのかなぁ。怯えが無いし、迷っていないし、明るいんですよね。…なんかのプロっぽいんです。…マイク持ってるんだけど。(笑)司会者?みたいな感じです。(笑)弾いてる最中のピアノもいくつかあって、そちらにはいろんな光景がありました。演奏中、なぜか至近距離に小さな子どもがいて、すごく弾きにくかったのも幻覚ではなく事実だったようで、かぶりつきで小さな女の子が二人ピアノの横にいます。あんたら、そんなに近くにいたのか!のレベル。弾いている表情は、2種類が印象に残りました。ひどくナーバスになりながら没頭しているところと、にっこりと笑っているところと。後は、どっしりと、重々しく暑苦しく腰すえて無表情で弾いとりました。(笑)女の子たちが近くにいるときなんて、「邪魔しないで」だったんでしょう。完全に能面でした。(笑)ステージではないので、お客さんに見せている側が普段と逆、というのもおもしろいです。私、横顔に差があって、普段、お客さんにステージで見せる側が、不細工割り増しなんですよね。まぁ、いろんな角度から撮ってもらった写真は、みればみるほど、どっしりしてましたけど。こーれーはー、4月の私で今の私じゃないわ!!←現実逃避。(笑)演奏中のDVDなど、勉強と割り切って何度も見たし、いろんな写真も見ましたが、マイクを両手で綺麗に持って、顔の造作はスポットで白く飛ばして、少しだけ微笑んでいる写真なんてそうそう撮ってもらえることはないでしょう。とてもいい記念になりました。←そこ?(笑)
2013年08月16日
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珍しく夢をたくさん見る夜になりました。それも、キーボードをアドリブでセッションしているという夢で、こういう夢が記憶に残ったことはありません。でも、キーボードが壊れて音が出ない!でも、演奏が続くから慌てて、リコーダーを出して演奏しなくちゃ、という、それこそめちゃくちゃな夢でした。(笑)なぜリコーダー?一応、脳内で「こんな感じで吹くか」みたいに描いたりしているんです。ところがあせっているのでリコーダーがちっとも組みたたらない、というところで目が覚めました。(笑)本番なのに曲を練習していない、とか、そういう夢なら何度も見たことがあるけど、演奏している自覚のある夢が記憶にあるのは初めてで、慌てて飛び起きたけれど、少し笑ってしまいました。なんらかの音楽が流れていて、それに対するアドリブを脳内で描いている、というのがそれこそ本当に初めてだったのです。もとを正せば、アドリブのあまりの浮かばなさ、できなさに、どんどん崩壊していった私の音楽でしたが、ここまで来ると、こんな夢を見るんだなぁと思って、不思議でした。昨日は、初めての道を、地図だけを頼りに走ったら、結構有名な悪路だったらしく、どえらい経験になりました。まるで水の干上がった川底のような道で、未舗装。妙高高原の奥を抜けて小谷村に下りる林道でした。細いし、崖っぷちだし、ようやく峠の頂上に着くと、そこはまた赤い岩がむき出しの不思議な世界でした。少し前にがけ崩れがあった、ということが後からわかりましたが、むき出しの地肌、なぎ倒された木々、それは底知れない不安をあおる景色でした。それが奇妙な作用となって脳内を揺さぶったのかもしれないけれど、あまりの夢に朝はさっぱり!いろんなことがあってモヤモヤしていたけど、音楽というのはまっすぐそのまま、全てをあらわすものだから、誰が今どんな演奏をしているか、なんてことを気にかけなくてもいいんだな、と思いました。その人がしたことが、そのままその人を表現し、その人の音楽になるのならば、別に恐れることもないかなぁと思ったわけです。私がネチネチといろんな人たちのことを思い返していたのは、「こんな風にされたら、私だけが損するし、真実は誰にも伝わらないんだなぁ」という部分への悔しさも大きかったのですが・・・。表面をごまかして、演奏はすばらしくできるというほど音楽は甘くなく、コツコツと前進しようとしていなくても上達できるものでもなく。あるがまま、そのままが全部。という意味では、これほどシビアなものもないのだから、自分の練習だけコツコツと続けていればいいじゃん、と思いました。それを読み取れる人がいるかいないかはさておき、そこにいることそのものが、その人を表現する全てなんだから、その人がしたことがいずれ誰の目にも明らかになるんだから、いいじゃん、と、初めて思った朝でした。
2013年08月15日
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昨日の夕刻から、おやっと思うくらいに心地の良い風が吹いています。窓から吹き込む風の方向が変わったら、秋が近い、というのは、毎年思うことです。山から風が吹き降ろしてくる、という感じになります。今年の夏休みは、ほとんどゴロゴロ。たまにDVDを借りに出るくらい、軽くランチを食べに出るくらいで、完全にインドアですが、インドアの時間をやり過ごすのは得意です。時間になったら軽く食事を作ればいい。うっすらと2階のリビングがホコリっぽくなっているのは「あーとーで。休みが終わったら」と呪文を唱え、ダラダラすることに決め込んでいます。山盛りで観ているDVDの中にはとんでもないヘンテコ作品もありますが、あまりにヘンテコだとそれもかえってツボにあたります。宇宙人王(ワン)さんとの遭遇だったっけな、そんな感じのDVDは、中国語しか話せないイカ似のワンさんがなぜかローマで捕まって、正義感溢れるかわいらしい通訳のイタリア人女性によって救われるのですが、それがとんでもないどんでん返し。(笑)彼女が信じたワンさんの無垢な様子。ストーリーを冷たく見ていると明らかに怪しいワンさんを勝手に「かわいそう」と決め込んだ挙句、みんなの反対を押し切ってワンさんを助けることによって、地球を滅亡させてしまいます。なんとシュールな!!!!助けてもらったワンさん、彼女くらいは助けるかと思いきや、たった一言。「お前、バカだな」そしてドカーン…。なんともシュールすぎますが、ここで彼女だけが助かるストーリーでは、私はダメです。むしろ、「だよねぇ」とひどく納得してしまいました。悪人相手に「いい人だと思ったのに!!!!」と叫ぶシーンなんかは良くありますが、悪人を信じたことが間違い、という現実でどれほど多くの人が傷ついたことか、と思うと、このくらいの現実がある、と描かれたほうが納得がいってしまいます。人をだますことに対して罪悪感を持たない人は残念ながらいて、その人を信じて目の前でいくら自分がつぶれて見せたところで、何の意味も無い、と思うくらいのお年頃にはなったからです。とても残念なことですが、目の前で誰かが傷ついている姿を見て、「私は良い教育を施している」とまで思う人はいるもんです。謙虚さをコブシで教えているつもり、というのか、そういう間違いはありえるものだとわかればわかるほど、「結果が出てない上に、目の前の人間が崩れ落ちてるのに、なんでまだコブシをふるえるの?」と思ってしまったりします。それってコブシを振り上げていることへの自己満足だけじゃない、と思ってしまうようになってしまいました。人を騙すことに罪悪感を持たない上に、コブシを振り上げるのが得意技、なんて人を知ってしまった以上、「お前、バカだな」というセリフには、どうしても共感してしまいます。(苦笑)そのバカなヒロインのバカっぷりが他人事ではないだけに、こういうバカは減ったほうがいいから、ここはガツンと本当のことを描いてほしいなんて思っちゃうんでしょう。(苦笑)信じることは美しいことばかりではない。間違ったものを信じれば、足元が崩れる。疑り深くなった自分は、昔と同じ景色は見なくなりましたが、秋の風は心地よいと思えるようになりました。自然は厳しいけれど、小手先の嘘はつかない。だとしたら、まず、花の美しさ、木々の美しさ、風の心地よさから取り戻していくのも悪くないなぁと思うことが増えました。
2013年08月13日
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DVDをダラダラ観るのに意外にはまってます。スパークル、というホイットニー・ヒューストンの遺作になったという映画を観ました。ホイットニー・ヒューストンがガミガミ母さんとして3人娘との複雑な関係を見せていました。音楽の世界を夢見る娘、上昇志向の強い美しい娘、医学部に通うためにクールにお金を稼ぐ娘。ガミガミ母さんの元から3人娘が巣立っていくときの音楽とのかかわりが、それぞれの性格に合わせて違っていました。ガミガミ母さんは、かつて歌手だったからこそ、音楽の世界の厳しさを知っているというのも、なんだかホイットニー・ヒューストンに重なる部分もありました。現実とストーリーがあいまいに重なるところも、それなりに魅力でした。ガミガミ母さんがさまざまな苦悩の果てに、教会で歌うシーンなどは、ホイットニー・ヒューストンのボディガードでの歌声とも重なって、なんともいえない部分がありました。現実のホイットニーはもう残念ながら亡くなっている、という事実も、複雑な要素でした。この映画でガミガミ母さんを演じている姿が、単なる演技と思えないような気持ちで観てしまうわけです。この映画には、彼女の苦悩もそれが結局、歌に昇華されるという形で表現されていて、音楽って奥が深い、と思わざるを得ないのです。「自分だけは特別」そう思いながら夢を追う娘たちの若さ、通り抜けた苦味を知っているからこそ、厳しくしかなれない母親の苦悩。それを演じるのがホイットニーというところが、観客まで、ホイットニーのまなざしに包まれているような気分にさせてきました。私には、きっともっと重く感じられる時期もあったと思うけれど、意外にどうってことなく、軽く軽く観ていました。恥ずかしがりを克服して、自力で自作の歌を歌うために羽ばたき始めた末娘のコンサート前。楽屋に訪れるホイットニーを見ていると、いろんなことを思い出しました。本番前の楽屋、というとてつもなく難しい場所に、こんなガミガミ母さんがいてくれたら、どれほど心強いだろうと思うと、自分のことも思い出します。ステージの魔物を知り尽くした人と楽屋にいたら、どんなに安心しただろうと思うわけです。スルーさせるべき恐怖を追い払う強さ、おどけた素振り、自信だけを重ねさせる言葉。私も立ったいくつかの舞台前には、そんな風にして楽屋での時間をともにしたがった人もいました。いつしか私も歳を重ね、逆の役割をしなくてはならないときもありました。まだ未熟な自分もかばいながらの逆の役割なので、すっさまじい嵐になっていたことも。(笑)でも、その嵐を吹き荒らさせながらも、相手が舞台に立つことは恐れさせまい、という一点をぐらつかせないという複雑な作業もしたことがあります。緊張する本番前、ワガママに振舞うことは簡単。だけど、そんなこと、大人のすることじゃない。そんな青いことを思ったこともあります。喜怒哀楽のタガがはずれるほど怖い時間。タガをはずさないのがどんなに難しいかは知り尽くしていても、毎回、焼き尽くされるような恐怖があることを確認し続けた日々。それが今は少し遠くなったからこそ、こんなにのんきに映画を楽しめたのかもしれません。「うまく演奏したい」という夢を持つのは簡単で、それを実現するのはその簡単さを裏返すような苦悩がある。夢が大きければ大きいほど、苦悩は大きくなります。夢を捨てられない、というのは人間に課せられた大きな荷物だから。そういうときに、さらに大きな夢を吹き込んで、相手を奮い立たせる方法もあるだろうけれど、私はそれはあまり好きではありません。いつか膝が折れるのを知っているから。思い返すと、大きな夢で目先の恐怖をごまかす人と、目の前の現実に対峙する私とは、相性が悪かったのかもしれないなぁ、という部分もあります。相手が大きな夢を観れば見るほど、私の現実が重くなるからです。任務はいつでも一緒だから。「いい演奏をその日にすること」だけだから。いろんなことがつながって、いろんなことが見えてくる頃。私は、夢の見方も忘れたようなところがあります。そんな私が、意外にこの映画を楽しく見れたことは、私にとってはいい変化とも言える気がします。いろんな人といろんな本番前をともにしましたが、いつかまた誰かと演奏するなら、本番前の恐怖とそれに打ち勝つ難しさを少しでも知っていて、その上でけらけら笑いながら楽屋にいれるような人と演奏してみたい、と思うことはあります。でも、多分、そんな人はあんまりいない。(苦笑)恐怖でおびえている相手なら、安心させる方法はたくさん知ってる。夢だけ持って舞い上がっている人とは、腹が立つからめんどくさいかもしれない。(笑)子供たちならいいけれど、あんまりいい歳して舞い上がっている人はダメそう。(笑)そんな風に思うようになったということは、私はまだどこかで夢と名づけるのは恐ろしいけれど、それに良く似た何かを探しているんだろうと思ったりするわけです。一緒に舞台に上がる人を叩きのめしてくる人は言語道断。それは、従おうと戦おうと、血しぶきしか上がりませんから。
2013年08月11日
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どこに出かける予定も無いけれど、とにかく簡単にシャワーを浴びて、シンプルに化粧をして、あとはDVDを流したり、雑誌をめくったりしてダラダラ過ごしています。おもしろいもので、簡単な身支度でも整えておけば、ごろ寝そのものも少しだけお行儀がよくなる気分です。ご飯作ろうかな、と思ったら、ぱっと動けちゃうし。おしゃれというものには魔法があるようです。(笑)休みといえば、食事を作るのが面倒に思えてしまうのですが、朝食の片付けと一緒に作るいつもの食事よりもとても手軽に作れちゃうなーと思いました。冷やし中華なら、10分もあればできてしまいます。(笑)意識的にたくさんとりたい生野菜は、くず野菜を口に放り込みながら、なんていうのはいつもどおり。(笑)錦糸玉子も、簡単に裏返せるように、と考えて、水溶き片栗粉を入れてみたら、いつもの何倍も楽にできました。きゅうりだってスライサーにかけながら、そのまま盛り付けていってしまえば簡単すぎるほどあっという間です。シャワーを浴びるついでに、前日の洋服をざざっと手洗いするのもいつもどおり。脱水をかけている間にシャワーを浴びて、ぱっぱと干してしまって、この夏は本当にずいぶん手洗いをしたなぁと思い返しました。最初はめんどくさく思えた作業も、サイクルの中に組み込まれてしまいました。苦手な夏を、あえて少し手のかかる洋服で過ごした今年ですが、「何を着ようかな」という気持ちになったときに迷うこともめんどくさくて、逆にいつでも着たものはすぐ洗って整えてしまっておきました。あまり深く考えずに、その日に浮かんだ最初のものを着る、というのは、いろんなことがあったけれど、それでもいつもの年よりも洋服に敏感でいるのには良かったみたいです。料理もあまり深く考えずに思いついたものから作るようにしたら、心に残るものが少なかったので、洋服にも応用しました。「何を着ようかな」「まだ洗濯終わってないから」なんて考えるより、「今日はこれでいこう」で済むのが良かったです。いつでも着たいものが着れると、洋服が足りない気分も少なくなり、洋服を買うことそのものの回数が減りました。その分、ちょっと値のはるものを買った、という説もあるので、そのせいで回数が減ったのかもしれないです。(苦笑)夏服はどうしても露出が多くて、苦手意識が強かったけれど、そろそろ夏服も惰性でやり過ごせるくらいに夏に慣れました。この夏の流行だったネオンカラーの洋服。ライムグリーンとレースのテント型チュニックに、ターコイズブルーのカーディガンを羽織って、白いボーイズ風のジーンズをゆるく履くところまでは気に入っていたけれど、「飲み屋のママ」とクソババアちゃんに言われまくった黒い靴ではなんとなくしっくりしていませんでした。新しい秋っぽい色のパンプスにしたら、突然に、自分の好みにどんぴしゃになりました。デニムがややアイボリーがかったニュアンスだったので、余計に靴との相性が良かったようです。ネオンカラーと白いパンツも気に入ったつながりだったので、それがようやく整った気がします。季節の移り変わりを色で遊ぶことにしたら、もう少し夏服が楽しめそうです。涼しくなったら少し早めに春に買ったばかりの茶色のライダースジャケットを羽織ってみてもいいかな、なんていう考えも浮かびました。ひらひらふわふわした甘い色のチュニックを、大人の色と形に混ぜ込んで、ミスマッチを楽しむことは、大人になってもかわいいものも好きな自分の気持ちに似ているかもしれません。そのバランスが徐々に変化していくことが、歳を重ねる楽しみならば、まだまだ流行と遊ぶ余地はありそうです。
2013年08月10日
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いろんな葛藤を経て「ワガママ」という言葉にたどり着いた朝でした。「それってワガママじゃない」と言う瞬間、さまざまな分析やさまざまな理論をすっ飛ばして、真意がぴったり伝わることに、驚いてしまいました。誰かのワガママを、理解するつもりで精神分析をしがちな時代ですが、案外とそれは「ワガママ」と呼んでしまったほうが、誤解が減るかもしれない、と思ったら、なんだか少し気持ちが沈みました。(笑)誰かのワガママに付き合いきれなくなるのは、私のワガママかもしれないけど、ワガママを言うほうがある程度の社会的地位や年齢やそういったものを持った人であった場合、それは時としてパワハラにもなりえます。好意すら、拷問にもなり得る。そのことの難しさに悶絶した数年ですが、「あんなワガママ、付き合いきれない」と言えば、無駄な罪悪感が減ることは、あまりに簡単な方程式のようでもあります。多分、精神分析が進みすぎて、単なるワガママを正当化する風潮がいつかあった。ワガママを矯正するために何ができるかはまだまだこれからも続く課題だろうけど、ワガママはワガママと呼べばいい。そんな小さな発見に、きょとんとしているところです。(苦笑)たとえば小さなことですが、「上手に弾き過ぎないで。目立ちすぎないで」なんていうのも、「どう弾けばいいの?」と悩むより、「そんなワガママ聞いちゃいられねえ」と思えばいいわけです。(笑)下手で悩むならまだわかる。上手に弾いて悩むなんて、愚の骨頂だわさ。で、結局、うまく対応できないと、この私がワガママの烙印をおされておしまい。この社会からも排他されんばかりの勢いで欠点をあげられまくるわけですが、そんな間抜けな悲劇が、もっと早めにストップできたかもしれない、と私は「ワガママ」という言葉を手のひらの上で転がしながら、ため息をついています。人のワガママに気づくとき。自分が自分のワガママを封じ込めるためにしている無駄なあがきもよく見えてきます。だから、混乱したのね、とも思います。あっちもワガママ。こっちもワガママ。でも、それが人と人の難しさだから。片方だけがワガママなんてこと、ありえない。ワガママと叫ぶ力の強いほうばかりが勝つのもおかしい。そんなのすごいワガママじゃないのさ、と思うわけです。外はまだまだ暑くて、秋服冬服の好きな私は、気持ちばかりが秋を探してしまいます。夏の流行だったネオンカラー、白などに、少し飽きてしまいました。まだ暑いし、まだまだ着れるから、そのまま着るけれど、どこかにうっすらと秋を漂わせたくなった自分のワガママに、うまく付き合っていけるか今はまだわかりませんが、ネオンカラーとどこかに赤味のある茶系のパンプスが、どんな相性だろう、と思ったら、少しだけまた楽しみになりました。
2013年08月09日
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40歳を過ぎて、本当に何を着ていいのかよくわからなくなりました。今までと同じものでもダメ。でも、大人っぽいものだとまだしっくり来ないし、やっぱりすごく違和感があります。先週、映画を見た後、「こーんーーなーーーーにーーー脚を出しおってけしからん!」というような視線にさらされて以降、あの視線にもう一度耐える自信を失くしました。(苦笑)美容院で話して、笑い飛ばしてもらったつもりだけど、やっぱりダメ。(笑)刻一刻とバランスの変わる体を包む服は、いちいち、私の意図しないイメージを勝手に拾って、それを増幅させてしまうところがあります。よって…この洋服中毒さんが、洋服のサイトすら見る元気がないわけですよ。(笑)とにかく、その日のミッションに合わせて、それらしい洋服をクローゼットから掘り出して、なんとか着て、出かける有様です。(苦笑)切りたてのショートヘアは、まだ自分の一部になっておらず、化粧の仕方もちんぷんかんぷんです。あんなに一時期はまっていたデニムも仕事によってはちょっと合わないし。…変なこだわりなのかもしれないけど、生徒と一緒に楽器店に行くようなときは、デニムをいかにおしゃれにドレスアップしてみても、やっぱり違うと思ってしまいます。(苦笑)そんなとき、何を着ようか、と、ぼんやり考えたりしますが、洋服を楽しむ気持ちが壊滅状態なので、続きません。やむを得ず、両足のかかとが痛んでしまった普段用のパンプスを買い換えることにしました。普段用のパンプスは、短い期間で履き潰せるように価格もめちゃくちゃ抑えたものにします。とにかく、全身のイメージを左右するのは靴のシルエットなので、新しいほうが古い服もある程度、時代に添ったように見える気がします。特に遠出もせず、近くの靴屋さんに飛び込んだら、秋色を意識した廉価のパンプスがいろんな色で出ていました。この靴、色違いでいろいろ履きつぶしたなぁ、いいタイミングだったなぁと少しだけウキウキして色を選びました。クソババアちゃんに「飲み屋のママ!」と叫ばれたところからも、飲み屋から遠い色にしようか、とか考えました。この間も、ただの黒だったんだけど、ちょっとあしらわれたスタッズが、「こんなビス打ったような靴だから水商売みたいだったんじゃないの?」と美容師さんに言われたりしましたけどね。(苦笑)ちなみに、美容師さんは「水商売風の洋服肯定派」。(爆笑)「どうして、飲み屋のママじゃいやなの?キャバ嬢とかどうしていやって思う?」と問われて「え、だって、色気が・・・」ともごもご答えると、「男はそういうのが好きなんだよ!」と怒鳴られたりしてね、もうはちゃめちゃですよ。(笑)実は私もちょっと女っぽい色っぽいパンプスは大好物。気を取り直して選んだのは、もはや茶色の域まで近づいた濃いベージュというか、ココアラテのようなうっすらと赤味を含んだ薄い茶系。黒を着ていたこの日には、うっすらピンクにも見えるし、違う色を着たら、またニュアンスが変わるでしょうけど、ベースは茶ならば、なんとかなるでしょう。クソババアちゃんに言われた一言は「この道を歩く人の中で、こんなハイヒールは先生だけ!!」…教室がある南北に伸びた通りを、コツコツハイヒールで歩くのは私だけと言うわけです。それでもまだペタンこ靴が似合わないから、ハイヒールですけどね。また文句言われるね。…でも、ハイヒールは好きだからいいか。普段履き、とは言っても、ハイヒールを履きたい気持ちでいられるのも、もうそんなに長くないだろうけど。教室に来た生徒が、新しい靴を見るたびに、履いてみる光景。小さな女の子がわざわざコツコツ音を立てて歩いてみていたり、背がずいぶん伸びた少女が「わー!!景色が変わる」と履いてみたりする光景。この靴を意識して、発表会に出る女の子たちの靴が、スニーカーから綺麗なお嬢様靴になってきた昨今、イメージも仕事のうち、と割り切って、とりあえず、ハイヒールから気を取り直そうと思っているところです。
2013年08月08日
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それこそ安否が心配だった古い友人から、しばらくして連絡がありました。「休んで」「止まって」としかいえなかった私ですが、彼女は、古傷の大手術後だったようで、そのリハビリのために、生きがいを取り戻しているような気配も見えました。根っからのダンサーには、「休んで」「止まって」は、あまり似合わないのかもしれないなぁと、リハビリの力のすごさに安堵したところです。彼女が当時向かっていった先には「止まって」くれたけど、リハビリという生きがいには「走り出して」いる感じがしました。「薬は飲んでないまま」「リハビリしてる」といういい意味での返信で、ああ、ダンサーにはダンサーの回復ルートがあるのかもしれないな、と新たに思ったところです。古傷の手術のリハビリに向かっていれば、心身が安定するまでそっちに夢中になってくれるのかもしれないです。そういうものが見つかってよかった、とつくづく思いました。私のほうは、古くからのお付き合いの楽器店でのピアノ選びという仕事がありました。大人の生徒さんと本店とその店系列の工房を回り、数台のピアノを試し、結局、一目ぼれした本店で一番最初に弾いたピアノに生徒さんの気持ちが落ち着いた頃にはお昼を少し回っていました。「今日は、ピアノの試弾だ」と思うと、コンサート前のような気分になりました。味気なくなってしまった食事も詰め込まなくては仕事になりません。期限切れの焼きそばを処分の意味も込めて2人前。朝から、文字通り胃に詰め込みました。(笑)野菜類は、料理をしながら、使い残しを生のままかじる。(笑)本当に、マシンのようだな、と後から思います。私の本番前など、いつもこんな具合ですが。(笑)食べれない、では、始まらないわけです。とにかく動かなくてはいけないのだから。そんな精神状態そのものが狂っているように言われた時期もありましたが、だとしても何?という部分もあります。誰にでもきっとそうしてでもなお生き延びた時期というのはある。たとえば子育て中のお母さんたちなんて、食べてる暇や食べる気なんかなくたって、今食べとかなくちゃもたない!なんて日常茶飯事だと思うわけです。私がたまたま子どもがいないので、それがおかしいという人が頻発するのですが、それは勘弁してほしい。(笑)ましてや、そういう経験にまみれたはずの人に言われるのは、もうたくさん!(笑)その考えがズレとるわい!そう思うようになって数年の月日が経った今は、本番前は「食べる」「あまり考えすぎないように神経を休めるために呑む(笑)」「ばたんと寝る」なんていうのも、ある程度、手順が決まってきています。(笑)さすがに食べ過ぎたのか、翌日綺麗に1キロ増えていたあたりはお茶目なオマケということにして。(笑)楽しく本番を迎える、なんていうことのほうが夢物語。自分の器が小さいことは、自分がよくわかってる。本番がいかに大きいかも見えてきている。怖い、すくむ、でも食べる、本番を生き延びる。それだけのことです。あなたの器の小さい理由は、なんて箇条書きにして突きつける人も減った昨今、少しだけ息がしやすくなりました。私の器が小さい理由。それが私の努力で変えられるものなら指摘する意味もあるでしょう。でも、たとえば、その理由を「あなたが女だから」なんていわれて「じゃあ、おじさんになればいいの?」なんて返事をしたら、この屁理屈!とぶったたかれるだろうけれど、「女のままそこにいくしかないけれど?」の事実が余計に怖くなるだけ、すくむだけ、ということが伝わらない相手とは離れるしかないのです。その日はどうしたって目の前にぶら下がっていて逃げられない。だとしたら、その日を余計に怖くする理由なんて私はないと思うようになりました。たかが、試弾にこれだけの緊張が伴うのには理由があります。その店に行くのは本当に久しぶり。知り合いばかり、と言っても過言ではない年頃です。余計なオマケもたくさんその店にはうわさとして届いているでしょう。そこに、生徒を連れて、試弾に行く。久しぶりに、生徒に選ばせるために、そこでピアノを弾くとき、「その腕前は?」ということに耳が傾かない仕事ではない場所で、「これだけのものです」と自分の腕でピアノを鳴らすことはコンサートとまったく違いはない部分があります。幸いなことに、ピアノと生徒は一目ぼれで結ばれて、子どもたちを巣立たせた大人の生徒さんが「ピアノが届くのが待ちきれない」とつぶやきます。大人になってのマイピアノ。子どもたちのお古でなく、あえて自分のマイピアノとして中古ピアノを購入することにためらう横顔に、いろんな気持ちが見えます。「贅沢かしら」「私にできるかしら」という大きなためらいにはとてもやさしいプチ価格。でも、YAMAHAの冠を抱く楽器店の本店にあるくらいだから、身元は確かという安心感。耳の肥えた人たちにも試されていいように調整された音色。「バランスが最高」と、店長さんが言う意味が本当によくわかります。これ、掘り出し物だ。(笑)いろんな楽器を試しているうちに、私自身もソワソワしはじめます。あの楽器は、今はこんな風だけど、ちゃんと付き合っていったら、音色を掘り起こしていくときに腕が上がるだろうとか、こいつはいいねえとか、垢抜けてるねとか。一応、2台で迷ったときに生徒に言った私の例えの言葉…。我ながら、なんという恐ろしい差別用語の連発だろうと思いながらも、なんとかわかりやすく伝えたい一心で、とんでもない表現をしました。「一目ぼれする美人さんと、ちょいブス。どっちとこれから付き合いたい??」私なら迷いなくその2台ではちょいブスを選びますよ。ブスって、結構かわいいからね。…でも、ブスを磨くのは大変なのよ、と、実感込めてこっそりとため息をつく。彼女は一目ぼれの美人さんを選びましたが、多分、それで正解です。(笑)惚れ惚れしながら練習するのが、大人にはきっといい。「もっとうまくなれたら、もっとすごいの買おうかな」と小さくつぶやく大人の生徒さんに、音楽の力のすごさも感じながら、その人が、「まさか、電子ピアノじゃ物足りなくなって、ピアノがほしくなるとは思わなかった」と自分に言うように何度も繰り返しているのを聞き流していました。生の楽器は、「ド」をひとつ弾いたら100通りの「ド」が出るイメージ。その100通りの「ド」をどう組み合わせるかを楽しむ時間が、今後にあるということをしみじみと喜んでいるらしいその人のお宅では、ご主人がギターを始めてみようかな、と言い出しているとのこと。それもまた奥さんの嬉しそうな様子の影響なのでしょう。悪くない展開のように思えてなりません。よく考えたら、大人の生徒さんが、自分自身のためにマイピアノを買ったのは初めてのことかもしれません。子どもと習っているから買う、はあったけど。私はそれはまったく贅沢とは思いません。ピアノを始めたら、夫婦でコンサートに行くようになった。ピアノがほしくなった。主人が楽器を始めようかな、と言い出した。そんな話がポツリポツリと聞こえるときに、音楽って、人と人をつなぐためにあるんでしょう?と改めて思いました。上だの下だの競争だのと、そういう価値観とは無縁のところで、自分らしくピアノを弾く生徒が増えたらいいとは思いつつ、人が競争なくして生きられないのもまた自然なら。競争の合間に、そういうつぶやきがこぼれるほうが私はいいように思います。
2013年08月07日
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失くし物が見つかるということは、小さなものでもうれしいものです。昨日というちょっと複雑な日の最後に、小さな貝パールのピアスを意外なところで見つけました。汗だくの季節に、本真珠はちょっともったいないし、シャワーを浴びるときもつけっぱなしのことがあるくらいだから、と、貝パールにしたとはいえ、気に入ってたものを失くしたときは、やっぱりしょげました。雑貨屋で選ぶような値段に比べたらちょっと背伸び気味。結局、そのピアスをつけるようになったら、一日中つけっぱなし、とか、シャワー中もつけっぱなし、というのはやめてしまったので、ほんの少しだけですが、立ち居振る舞いが丁寧になったかもしれないなんて思ってました。こんなに丁寧につけるなら、いつかは小さな本真珠も、なんて思っていた矢先に姿を消したピアスを発掘したのはうれしいことです。これで本真珠は先送りになりますが!(笑)ピアス、といったら思い出す古い友人にメールを送ってみました。私より何百倍も負担の大きな舞台で、何百倍も思い任務を背負っていた彼女がくたびれ果てている姿を見るとき、あまりにも気持ちがわかってなんとも言えなくなりました。そんな風に生きていたら生きているのが辛くなるんだよ、と言う事しかできませんでした。正しいばかりを追いかけていたら、息が詰まる。だって、正しい、は、厳しすぎる。それはあくまでも理想論で、机上の空論。他人が他人を裁くときによく使われがちな常識ですが、正しいことしかしないで生きている人なんて、私は見たことはないです。ちょっとぺロッと舌を出して、ズルをする。そのくらいで、大きな流れで結果、正しいと思ったほうに少しでも動ければ御の字。でも、弱っているときほど、「あなたのここが悪い」「あなたのここが悪い」と突きつけられることを知っていると、「止まって!」と叫ぶことしかできないけれど、止まることそのものが怖くなっているほど追い詰められている状況もわかります。彼女の誕生日のお祝いを送ったあと、しばらく続いた縁が徐々に途絶え、私もまた自分の毎日を過ごしていました。今の状況は、私に比べて彼女のほうが、さらに壮絶。でも、そんなに重く感じないのは、私も少しだけ歩いた道だから。こんなに遠くで20年前の縁が命綱になることの不思議さに、二人でどれほど驚いたことかわかりません。二人で一緒に作った遠い昔の大きな舞台。出演者も多く、スタッフも多く、その規模は、その後私が一度も経験することのないほどの大きさで、求心力のある彼女だからできたこと。でも、その求心力が、彼女自身を攻め立てる時には、どれほど悲しくて痛いだろうと何度も思いました。一方の私は、人数の少ない場所で思い任務を背負うというタイプの道でした。そういう違いがお互いをいたわる余裕を生み出すもので、不思議な縁に思いを何度も遠くまで馳せました。二人でピアスを選んだり、お化粧をしたり、料理をしたり、寮での同室という縁は、今でもやっぱり似ています。贈り物は、あのときと同じようにおしゃれにまつわるものだったりして、選ぶたびに「どんぴしゃ!」と喜んでくれる彼女が徐々に弱っていくのを見るのは辛かったです。食べることを拒否し始めた彼女に「ご飯を食べて」と言わんばかりに夫婦茶碗を送っていたり、外出ができなくなった彼女に「これ持って、出かけられるようにする」といわれるようなクラッチバッグを送っていたり。状況を知らずに送られる私の贈り物は、「生きて」というメッセージになって行きました。それが今の彼女にどれほど辛いかわかっているから、なお辛い。でも、大切な友人が生きることにどれほど苦しんでいても、「死んで」とは言えない、と思って、自分の贈り物に彼女が生きる意味を見つける様子を聞いていました。無意識に始まる自傷行為のすさまじさ。それは、彼女の人生の全てがある種の自傷行為になっていく様子も、はたから見ているからわかる。どうか、自分を罰しないで、休んで。それを彼女に伝え続けながら、過ごしました。久しぶりのメールに返信はまだありません。「休んでいる」というメールであることを祈るばかりです。
2013年08月05日
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あまり空模様は良くない8月はじめの日曜日。この1週間もいつもどおりいろんなことがありすぎて、1週間前に借りたDVDのことですら、内容がどうだったか、見たか見ないか怪しいくらいです。(笑)不思議な流れがあって、「そこまで自信あっちゃうのさん」たちが「一気に自信をなくすほどご自身を振り返る」なんてことばかりがありました。私は何も変わったことはせず、通常運転してるだけですけど。(笑)その通常が一般的に通常かどうかはさておき。(笑)自信があるのはいいことだけど、どこまでもどこまでもその自信とともに土足で誰かの心の中に踏み込んだら、やっぱりいつかはひっくり返ることもあるんだなぁ、なんてぼんやり思いました。でも、変わらず信頼できる人たちはそのまま同じトーンで会話ができて、生徒たちとも仲良しで、時々もろい私を、生徒たちがそっといたわってくれるのもいつものままです。双子のレッスンはいつも以上にかわいらしくて、ほのぼのしました。ピアノがぞっとするほどうまくなっていた兄には、「もうちょっと上手になったら教えてあげるね」と前置きして、ラジオ体操の曲をご披露。人生初のラジオ体操に行ってきた双子は、スタンプを押す冊子まで持ってピアノに来ますからね。そんなときは、ここもラジオ体操の会場に歩み寄らなくては。(笑)プレイボーイの弟は、私の頬をいとしそうに撫で回し、その撫で方で、前日まで尾を引いた私の「ブスのおばさん事件」の傷を洗い流します。オマケに「先生にこれをあげる」と「ドレミレー♪」という謎の音楽を奏でてくれました。演奏中にいちいちこちらをチラリと見て微笑むパターンが、もう少し進歩して、曲をプレゼントしてくれるまでになったのかしら?その割には音が少ないけどまぁいいか!!麦藁帽子にサマードレスの明るい女の子が、ほんの少し元気のない私を心配したのか、「明日、あたしが行くママたちのバンドのライブに一緒に来る?」と誘ってくれたけど、今はまだ無理。(笑)夏のバンドフェスティバルはボウリングよりは敷居が高い。(笑)一人っ子の女の子がパパとママがライブに出る間、客席で一人でいるのかな?とちょっと気になって、おばあちゃんとかもいるかな?なんて思いながらも「演奏中、どうしてるの?」と聞いたからかな。どう想像しても、彼女が私を誘ってくれることの後ろにはやさしさや好意しか見つからないので、そこだけありがたく頂いておきました。夏のバンドフェスなんて、そのままだったら、苦い苦い思い出になるところなのに、麦藁帽子のひまわりが咲いたような思い出に塗り替えられてしまうかもしれません。その次に来た女の子は、なんと、夏祭りにでかける浴衣で登場。(笑)「お祭りに行くなら、少し早い時間にする?」と言ったら、そうしたい、と言ってたけど、この時間はミッキーのパレードかも。あら、ミッキーは大丈夫だったかなぁ?と思いながらも、彼女たちが決めたことなんだから、と気にしないようにしていたら、「お友達が踊るのを見に行くから、この時間でいいの」と、すっきりとした表情で言いました。大きな花を頭につけ、フリルたっぷりの浴衣は去年のものだからとてもミニになっちゃったと言いながら、出会った頃より明るい笑顔が増えたその子をパシャパシャと写メにおさめます。夏祭りに行かなければ、夏祭りが寄ってくれる。夏のバンドフェスが苦手なら、かわいい女の子が誘ってくれる。どこかで傷つけば、とてもハンサムな年長の男の子がまるで素敵な紳士のように私を甘やかしてくれる。(笑)そんな事実ばかりが山積みの夏の日曜日。今日は少しだけ心に引っかかる日です。何年も私がしていた仕事が、違う誰かの仕事になる初めての日です。それがどうなっていくかをまったく気にするな、といわれてもそれは無理ですが、思っていたより、成り行きが気にならないことに自分でも少し驚いています。私がその仕事をする時期が終わったという、とてもシンプルなことなのかもしれないです。とても大きくて、役割の重い仕事だったので、毎年この時期は、心が擦り切れるような思いがありましたが、今年はその残響がうっすらとあるくらいです。私がしようとした仕事の中身がいいものだったか悪いものだったかを判断するのは私のすることではないけれど、私が感じた重みは、確かなエネルギーとして次は誰かに課せられることもあるかもしれません。それを持つのが、新しい人なのか、今までご一緒させていただいていた人なのかはわかりませんが、どちらにせよ、それは軽いものではないんじゃないかなぁとうっすら思います。
2013年08月04日
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生徒たちのお休みが多発なので、この日が夏祭りと知るくらいになってしまいました。(笑)昨日、美容院で「夏は好き?」と聞かれて、美容師さんは夏好きなのに、間髪いれずに「嫌い!」と言ってしまいました。なぜ?と問われ、少し考えました。暑いから、と答え、「仲間がいないからかもしれない」と付け加えました。私のまわりで夏が好きな人は、仲間の多い人が多くて、人付き合いがうまい人が多い。夏に愛される人は、ひまわりみたいな人たち、というイメージがあります。私も、夏の花火が好きだった頃があるはずだけど、それは遠く遠く思い出すのも困難なほど遠くなってしまいました。…美容院で、先日のお出かけのジロジロ事件について話しました。同じ歳、もうすぐ20年近くお世話になってることになる美容師さんは、情け容赦なく分析しました。「いい話だと思う!!それは後ろは大成功!!ってことだよ」「つまり、顔まで来たらチーン☆ってことでしょう」「後ろだけでも素敵で良かったじゃん!!」…全体的にあんたも相当失礼ではないか?(笑)だから、「もう二度とチーン☆とされないように切って」と微妙なリクエスト。後ろは歳相応におばさんらしく、前から見たらブスが目立たないようにしてくださいってことさ。そんな気持ちで、美容院に行く女性っているかしら。なんかおかしいと思うんですけど。美容院に行く女性は、ちょっと素敵になりたいのが普通だと思います。私だって、せめてすこしはいい感じにとか思います。なぜか異様にハイテンションの美容師さんは、最後に言いました。「やった!俺の切った後頭部が勝ったって気分」…そこに競争があるなんて、夢にも思わなかったので、驚きました。背中から見られるときの自分を頑張った私の努力は無視かい。やなやつだな。(笑)人間、後頭部だけで歩いてるわけじゃないんだけど。知らない人に後ろから見ただけで勝手に期待され、そして前から見て失望され、知ってる人に後ろからだけでも期待されたなんていいじゃん!といわれ、俺の勝ち!ってどういうオチ?(笑)私は一体、誰のために生きてるの?ってなもんですよ。後ろからみた知らない人が満足するような顔と年齢でなかったら、私の負けとか?仕掛けても無い戦争に巻き込まれた挙句、勝ち負けのルールも相手任せで、結局私が負けるって何?(苦笑)小さなことだけど、傷つけられた気分になったようで、今度は美容院から帰ってきて泣き伏す有様です。新しい頭にもまだ慣れないし。短い時間ですが、急に自分がグロテスクに見えてきた瞬間もありました。冗談なのもわかってる。気さくさなのもわかってる。でも、あの奇妙な視線の気持ち悪さを知らないで言われても、ちょっとズレてる!!(笑)それでも、次の日になれば、「結構うまく切ってくれたな」と思ったり。勝手なものです。ブログを書きながら夏を思い、時間になれば、麦藁帽子とサマードレスの似合う明るい女の子がレッスンに訪れる夏を重ねていれば、きっといつかは夏が好きになってると思ったりもします。少しピアノが行き詰まったらしいひまわりのような女の子が、いつもの態度を脱ぎ捨てて「どうやって弾くの?」と尋ねてきます。「こうやって弾くの。まねしてごらん」彼女に渡した新しい楽譜は、二人で一緒に頑張らないと進めないけど、大好きな曲。好きな曲だから弾けるようになりたい。…その気持ちなくしては、誰も頑張れないことを、ようやくわかるようになってきました。
2013年08月03日
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前日、プリクラなんてものを久しぶりに撮って、どえらいショックに見舞われたところ、翌日は、何の偶然か「写真の日」になりました。(笑)午前中の大人の生徒さんから、立て続けに3組の家族写真を見せてもらうことになったんです。最初の写真は、大人の生徒さんのご長男の結婚式の写真です。スイーツ博というイベントをやっていたこともある会場らしく、スイーツが素敵!あんまり見ると食べたくなっちゃうので、そのあたりはハイスピードで飛ばしながら見ました。新郎新婦、新郎の両親、新婦の両親。写真というものの語る力の大きさに、好き勝手なことをワーワー言いながら楽しく見せていただきました。その次はかわいい七五三の写真です。スタジオでの撮影。ドレスでポーズにいつものオマケくんもタキシード。…このタキシード、床に届いちゃってますけど?と笑いながら見ましたが、オマケくんも何のかんのでいろいろわかるわけで、言葉を選ぶとなかなか毒も出しにくい。後はディズニーシーのアトラクションの「一番ショックなタイミングの写真」!!「あたし、どこだ?」と問われても、いないように見えますが、あ、頭をさげて、脳天の分け目だけが見えるこれだ!!とか、パパ、いい笑顔でいい風受けてるような顔してるけど、ほんとは気絶してない?とか、いろいろおもしろいところがありました。「これは、インディジョーンズ」と、得意そうに話す彼女。…彼女が今、一生懸命練習してるのがインディジョーンズの曲だもんね、なんてことに気づくには、脳がやられまくっておりますワタクシ。(笑)説明を受けているうちに、「あ、あああ、ああ、そうか」なんてなっておりました。ディズニーの夢の国にお出かけの際も、ピアノがくっついていってるってわけね、ということに気づくのはいつでも、どん尻です。(笑)別の生徒とは、ゲゲゲの鬼太郎やルパン三世を、ジャジーにアレンジしない?なんて話になって、抵抗されたり、喜んで受け入れられたり。難しくて自信がなくて受け入れないのか、シンプルなバージョンがすきなのか、めんどくさいのか、生徒の気持ちを読み取る先生の「極悪の3Dメガネ」は、フル稼働。でも、もしかしたらそれは、とても謙虚な美しい気持ちかもしれないし、極悪3Dメガネをちょっとずらして現実を見つめることも必要だし。うっすらと瞳に宿る涙を見つけたり、ママやお邪魔さんたちの妹たちの様子を見ながら、あれかなこれかな、と考えるいつものレッスンが続きました。スケジュールの都合で、いつもと違う曜日に来た生徒のオマケちゃんは、今日はやけに「あたし、ここにいるんですけど!!」と全身で主張。なんでだ?ああ、ピアノのレッスン始めたいって言ってたっけね、と、これまた鈍く反応したりしながら、オマケちゃんにも小さな宿題をフライングでお持ち帰りさせてみたりして。ちょっと照れくさそうな距離感を持って訪れた「連日のクソババアちゃん」とは、頂き物の素敵でチョーおいしい飴をはじから試しながら、いつもどおりのレッスンに戻っていきます。一緒に遊んだ次の日のレッスンが、少し照れくさいなんて…かわいいやつめ。「まだ昨日の洋服のこと気にしてるの?バカみたい」とこれまた遠慮なく、この上なくやさしく私をなぐさめられるのはやっぱりクソババアちゃんが秀逸。(笑)飲み屋のママと真逆に向かってダラリとコーディネートされた私のゆるいチュニックとサルエルデニムは「あたし、そのジーパン嫌い。」といわれ「でも、あたし、これすごく好き」と押し問答になったりしましたが、一言で言うと「バイクとか乗り回して、チィーッスとかいいそうなだらだらした悪い人みたい」…今日の私はそっちか!!(爆笑)どうもワルでダーティなイメージが私の周りを漂っているのは飲み屋のママと大して変わってないのかもしれないけれど、このくらいじゃないとやりきれない日もあるんだから、ちょっとだけ待っててよ、なんて思う。レッスンが終わり、何本かの電話をあちこちに。調律のこと、中古のアップライトピアノのことなど、楽器屋さんに頼まなくちゃならない仕事が数本。私の調律師さんにお願いしていた仕事が、うまくそことつながらなくなり、どうたどっても、大手ピアノメーカーを冠にした楽器店につながっていってしまう流れです。私がこの街でピアノとともに生きることが決まった日。その店から私の6畳のアパートを占領する3畳の防音室とグランドピアノがやってきました。その日に出会った同じ名前で同じ歳の人にお願いする仕事がここでいきなり3本。うまく仕事をお願いできない長い日々も、生徒としてだったり、お店の人としてだったりしながら、そこにずっといてくれた人にようやく発表会の盛り花のお礼ができる日がめぐってきました。あの頃から比べたら、社会はなかなかシビアで、今年はとうとう盛り花はなくなりましたが、盛り花があった日々があったことは事実。そしてそこにその人がいるのも事実。花がなくなる頃に、恩返しができそうな予感が少しだけ当たります。縁がつながっていなくては、仕事も一緒にできない。「そこが地獄なら、地獄を出てきたほうがいい」と、誰よりも強く言ってくれたのが、その人であったことは、仕事なのか、友情なのか、そんなことどちらでもいい。彼女にお願いする仕事は、気持ち悪いほどタイミングがよく整ってしまう。それは、彼女がスタンドプレーヤーではないからだと今は信じる。私の仕事の仕方が歯がゆいから、と私の仕事を先回りして、生徒を減らしていく人との仕事は少し様子を見るしかない。シビアな選択に心を凍らせながら、最後の最後に、ナガレの広告屋さんに「何度も足を運んでもらったから」と広告代を払うとき。営業トークの全てを情け容赦なくあしらいながら、目も合わせる元気がないけれど。「次回もお願いします」に「つぶれてなければね」と応じ、「前もそれ言ってた」と言われて、ここまで言えば記憶にも残るよね、と苦々しく思うとき。まるで追い出すように夜の道にその人を放り出す瞬間、「先生はみんなの憧れだから」と、これまた無責任に遠い県の遠い街の広告屋さんが営業トークを放り込んでくる。「ごめん。私、お世辞は聞けない頭になってるから」と応じながら、「憧れ」という言葉がこれほど似つかわしくなくなった自分を思って、またため息をつきます。それでもその言葉が脳内をこだますることを、自意識過剰と言われるのかもしれないけれど、そうなりたかったのに、と思うときも、その言葉はもっと強くこだますることを私はわかる歳になりました。
2013年08月02日
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待ち合わせは9時ちょっと前の小さな駅でしたが、どんだけ波乱万丈だ?と思うような小さな出来事の揺さぶりを受けながら、走り回って準備をして、たどり着きました。かえってすがすがしい気持ちになり、待ち合わせの「クソババアちゃん」と会ったときにはいい気分でした。もちろん、のっけからダメ出しの嵐でしたけどね!(笑)本日のお叱りは、「ハイヒールが高すぎる。全てにおいてとんがりすぎている。飲み屋のママみたい」に終始しました。(爆笑)確かに生粋のセレブ?の女子中学生の休日姿と並んで歩くと、この夏一番の私のお気に入りのニットワンピースが、なぜか飲み屋っぽい空気をかもし出すというか、あたし自身がかもし出すというか、おもしろい化学反応だなーというか、なんというか。そのおかげで、後ほど、わたくしはこれまた久しぶりの災難に見舞われるのですが。(苦笑)ハイヒールの高さも、このワンピースに対しては必然として選ばれたものです。これより低いと一気に足が、ど太く見えて野暮ったくなるんです。彼女の文句も、いつもほど気にならなかったのですが、なかなか前途多難な幕開けでした。観た映画は、3Dのモンスターズユニバーシティ。とてもかわいくておもしろかったけど、あとから思えば3Dというのは、脳への刺激も結構ありそうです。その後、プリクラに移動したおばちゃまには少々刺激が強すぎました。(苦笑)脳の疲労とともに失われるのは、自信ですが、そこに突き刺さってきたある視線。二人でぶらぶらと歩いていると、まったく見知らぬ40代くらいの男性が自転車で私を追い越しざま、あからさまに侮蔑の表情を浮かべながら私の全身を嘗め回すように見ました。それはクソババアちゃんもびっくりするほど明らかに悪意に満ちた視線でしたが、こっちも相当いい感じで、やさぐれまくっております。こちらが二人なのをいいことに「なにあれー、あの人ちょっとひどくないー」というような嬌声をあげて撃退しておきましたが、「いったい何?」と気になるのはその後ずっと尾を引きました。心当たりはあります。なぜか、この日に限って飲み屋ムードに傾いたミニワンピースの編地模様から透ける白いスリップドレスがスリップに見えちゃう想像力たくましいおじ様がいる可能性がありやがる!!こんなにすけたニットから下着を丸見せすることがあると思う夢見がちな人はいるかいな、と思うその夢見がちな人がいる可能性がある。根拠もある。そういえば、ずいぶん前、どこかのコンビニでいやらしい言い方で、そんなことを言ってたおじ様がいらしたわい。多分、そこらへんが問題か、あるいは、筋肉たくましいおみ足がハイヒールで強調され、「ご覧ください」とばかりに自己主張している可能性があるんでしょうね、と落としておきましが、舐めるように見回しておきながら、自分はさもちゃんとした人間だ、という顔をするためにそこに侮蔑の表情を加えるというその人が、なんともはや失礼だな、と思ったわけです。そもそもの勝手な誤解があちらの思い込み。私はこんな人に思い込みをさせるということまで想像して洋服を着ないといけないくらい頭を使って服を着るくらいなら心に鎧を着てしまったほうが楽です。それでもなんだかとても悲しい出来事でした。この服を褒めちぎってくれた人たちにもこの白とのコントラストを見せていたわけだし、その人たちのほめ言葉もうそ?とも思いたくなる事態は、私がようやく楽しみ始めた洋服への興味すらも打ち砕かんばかりの出来事でした。ようやく、人のほめ言葉が届き始めた私の心を、そのまなざしひとつで叩き割るのは、その人の目的だったのかもしれませんが、私、その人に何か今までにしたわけじゃないですから。その人の日ごろ積み重なった腹いせの矛先がたまたまそこにいた私に向かったことは、単なる偶然の悲劇です。ただ、すごくすごくミラクルみたいな可能性ですが、考えるともうひとつだけ別の解釈ができます。後ろから追い越しざま、下から上へと這い上がったその目線は単なるエロガッパ視線。侮蔑でなく、単なる邪悪。最後に目と目が逢ったとき、その人、ハッとした顔して素に戻ったんです。しまった。ババアだ!!って意味の「素の表情」だとしたら、無理に色っぽい格好をしたこの女、下着みせやがって、みたいな見下した視線で這い上がってみたら、思ったより年増だったのかもね、ということにしておきます。あまりに引っかかる顔でしたからついつい反芻してしまいますが、私が自尊心を守るには、このくらいしか残ってないくらいのすさまじいまなざしでした。素に戻って、びっくり仰天。顔見たら意外におば様ですから、それは下着ではないのですねー。残念ですー。というびっくりだったら愉快ですね。なんかその人への天罰として、嫌な役をさせられた感もありますが。今日は、傷つきすぎてデニム。しばらく、足は出さない…かもしれない。唯一の救いは、一緒にそのまなざしを受けたにもかかわらず、「次はボウリングに行きたい」とか「楽器屋さんにも行きたい」といいながら、べったりひっついてきて、「汗臭いとかそういうんじゃなくて、その制汗剤は時間がたつと車のシートのにおいになるからつけないほうがいいよ」というほどの至近距離にいるクソババアちゃんの存在でしょう。本日のミッションが終わったあとも、教室にも寄ってピアノ弾いて帰ったからね。もう、クソババアちゃんにはパラダイスってなもんでしょう。(笑)翌日もチューしてくるキモいキャラのメールを送ってくるし。(笑)飲み屋のママのことが大好きなのね!!(笑)しかし、ボウリングの件についてはしばらく考えさせとくれ…に、私がならざるを得ないとして、私のどこに問題があるのかとこれ以上つつかれても、こちらももはや、なすすべもないし、なすすべを考える元気もないということに対して、一切の迷いももてないほど心はボロボロです。(苦笑)ボロボロすぎて、痛くも痒くもないのは、幸いなんかじゃないことは、私の感想です。でも、本当に私も強くなった。夕闇が忍び寄るにつれてさらに弱った私の心は、無遠慮な生徒の言葉に対してはいつもよりも、それこそそのまなざしのように厳しさのあるものになりましたが、その言葉を吐いた生徒の未来にきっと役立つ、という確信を持ちながら静かに言いました。「どんなにそちらが親しく思っても、そう無遠慮に言われたら私には悲しいことがあるんです」と。そして、またいくつかのうそを重ねました。「先生は大丈夫。ごめんね。厳しいことを言ったけど、私は気にしていないからね」そのうそに罪があるのなら、私は罪人なのかもしれないけれど、そのうそを付け加えないことが善ならば、私には、善人になることは不可能です。
2013年08月01日
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