全11件 (11件中 1-11件目)
1
今週始めに、土下座ちゃんととてもいい感じになったのがいい形で繋がり続けています。ぶつかり合ったからこそ、もっと信頼しあえる、ということを知るためには、どっちが上とか下とかいうのを、どこまで取っ払えるかに尽きると思うのですが、そういう意味では、本当にいい感じで彼女と打ち解けたことが自信になりました。この冬、銀座まで付き添ってもらった赤いワンピースがそろそろお疲れモードになりました。私としては、赤は、サンタのユニフォーム色と思っていたのもあって、春を待つ季節に繋がるように、何か新しい服を探して馴染みの洋服屋に行きました。タイミングがようやく整ったようで、やっと開いてた…。(苦笑)行こうかな、と思ってから、踏まされた無駄足は単なる無駄足ではなかったけれど。その店に関しての行く気は失せても普通だと思う…。…かといって違う店に行くと、バチあたりそうな気分になるのも相変わらずで、もはや、身動きが一切取れなくなっています。(笑)この店に転がり込まされてから、もうずっとこればっかだよ!(笑)この「待たされる感」の惨めなことはお話になりませんが、そこも一緒に文句を言える店なので、もう、いつも以上にめちゃくちゃに自由に、何が欲しいのかも定まっていないくせに、これは似合わない、あれも似合わない、と文句を言いながら選びました。待たされまくった挙句に、似合わないものなんか買うもんか!…とはいえ、似合うものが実に少ないという難しいお年頃です。(笑)おまけになんだか、昭和レトロな洋服が流行ってきていて困ります。(笑)こういうのは、若くて昭和と関係ない子じゃないと似合わないんだよもー、あたしが着ると一気に昭和のおばちゃんになるんだよーとブツブツ文句を言いながら、二つのコーディネートのハザマで揺れまくりました。片方は、チベットラムのリアルファーのベストに、楽チンそうに見えて、あっちこっちが寸足らずになりそうな危なっかしい紺のジャージ素材のワンピース。もう片方は、紺のカシミアセーターとレトロな裾広がりの縦縞のシックなスカート。店主は、紺のカシミアセーターの方が優しく見えそうだ、と言うのですが、顔に当てると、ちょっと険しい色に思えました。私の気持ちは、ほとんどチベットラムに持っていかれていて、そのやわらかい質感と、ふんわりしたベージュの甘い色合いが、私の顔に優しい気がして迷っていました。リアルファーだから、安くは全然無い!(笑)まぁ、値下がりしていてもとの値段からしたら半額というところまでお勉強していただきましたけれど、あたしとしたら、清水の舞台から飛び降りるんだか、清水の舞台に飛び込むんだか、ワケ分からん!!くらいの冒険です。(笑)実際にどう着たらいいの?コートの下にリアルファー?もっこもこ?とか、道中のコーディネートだって考えなくちゃならないし、贅沢品にもほどがありますが。…たまには、「好きになっちゃったほう。」で選ぶかと言うことになったのを知ったのは、適当な店主との適当な会話の結果、私の口から飛び出た、「こっちが好きになっちゃったんだね。」という私の言葉からでしたが。好きだから、で、洋服を選ぶ、って、43にはなかなかの苦行ですが。(笑)その言葉にうなづいた店主の素の表情と、私の気持ちだけが頼りなんですが、その私の気持ちとやらにモザイクがかかっています。(笑)モザイクかけたの、私じゃないぞ。多分だけど。(笑)こっちでオッケーなんだろな?と、サンタに脅し文句でも言うかのような気分で、ファーベストとワンピースを連れ帰って、即効で着替えてしまいました。毛皮のベストといったら、マタギのユニフォームですからね。(笑)ま、いろんな意味で、似合う似合う。(笑)似合いすぎて笑えるレベルでした。(笑)これを着て、お山に行って、狩でもするか…。ただ、その贅沢なベストを着てから、私が一気に優しくなっちゃって、もう大変。(笑)わが教室自慢の抱っこレッスンが、毛皮で!!ですから、子どもたちも一気にふにゃふにゃです。(笑)羊の親子ってところ?(笑)…落ち着いて考えると、狩は女の仕事じゃない、ということにでもして、おうちを守るほうのユニフォームということにします。羊のかあさんのいいところは、文句を言うときも優しいの!それわがままでしょう?って言うときも笑顔!言うこと言うけど、怒っていないという、天下無敵の仕上がりのために、あの下りか…と回想しても、ちょっと笑えるというすごい逸品でした。そして、それだけでいいんだねぇ、と知るという流れの確かさに、サンタが飛び込んできたのは、もはや必然で必要不可欠で、この先も続く、ただ、それだけのことでした。怒られないのに、優しく文句を言われるのは、子どもたちにとっても嬉しくて仕方の無いことのようで、どの子もみんな、かわいいだけの振る舞いでした。みんなそっと触ってくるしね。(笑)触れたくてウズウズするような優しい風合いが、全員を優しくする、まさにベストなチョイスだったということにしましょう。(笑)さすがにお高い洋服だけあって、それぞれに違うポストカードがおまけについているんだ、と、見せられたカードに記された文字は、「あなたはあなたが思っているよりも魅力的。」でした。「こんな言葉に、素直に甘えられるようになれればいいのに。」…やっぱり私の口から飛び出た言葉が、自分の予想外のものだったけれど、「そういう風に甘えればいいのに。」…と、店主が言ったか言わないか、そこのあたりで記憶はおぼろげになっていくけれど。ま、とりあえず、そのカードくらいは保管して、春が来るまでの短くてあいまいな季節を、柔らかく過ごそうと思っています。…しかし、よりによって、チベットラムとはねぇ。(笑)今週の私が、チベット顔したブヒブヒブーブー音のするちっちゃな赤ちゃんを抱っこしたからこそ、チベットラムにしたんですけど。これ着て、あいつを抱っこしたらいいだろな!で選んだんですよ!もー、あたしにしてはホントによく頑張った。(笑)…こっちに逆らわずに進んでるんだから、もうあんまり怒らないでよ!と、サンタに向かってボヤきながら、優しく穏やかな春が来るのを待とうと思っています。ま、あたしとしては、あれは怒っていたんじゃなくて、険しい道で嵐がすごかったから、それよりでかい声でサンタが「こっちだ!こっち!!」と叫んでいたんだと解釈しているのですが、まぁ、現在は、嵐の恐さと「こっちだこっち!!!!!」の恐さがごちゃまぜになっているんだろうと思われます。そこばっかりは、やっぱり私にはよくわからなくて当然だし、その割にはよく笑ってる!と思うと、やっぱり安心します。そこで泣け!と叫んだ人たちのことを早く忘れさせてほしいもんだよもー。(笑)誰に代わって天罰を下していたんだ、あいつらは!です。(笑)今でこそ、こんな風に、幼いワガママを、未来を見越して「いいんだよ。それでいいんだよ。」といえるけれど、そのために、おぼろげな何かを見なくてはならなかったんだし、それも納得しています。自分の知らない嵐に、弱弱しい子どもを放り込むよりは、自分の知っている嵐から幼子を守れる女にするために、サンタが頑張っていたことがわかればわかるほど、その細やかさにジーンとしますけれど。相変わらず私の心配性が、「さすがの万能さんに、ここまで気を遣わせるとは、気の毒なことをしたかもな。」に向かってしまうあたりの微調整は、やっぱりサンタにお任せするより他になさそうで、私としては格段に楽になりました。いくら万能さんとはいえ、ここまで組むのは大変なんだよもー、と、パズルを作った本人が、自分で作っておいて文句を言うのを笑って聞けるようになる日まで、きっとあたしは、愉快なパズルを解いていればいいだけなんだと思っています。サンタの悪ふざけの解読が、宇宙の暗号を読み解くかのように難しいんですが、命は大切に、というルールにさえ則っていれば、とりあえず絶対に道がブレることはない、とだけは、この体が覚えています。それだけが頼りで、やっぱりそれがとても良かったと思うと、時々訪れる空白の時間も、あんまり恐くなくなってきていて、ほとんど全部幸せってこういうことかもなぁと思ったりしています。
2015年01月30日
コメント(2)
振り返れば、とてつもなく丁寧に仕込まれた一日でした。ちょっと遅れてやってきたサンタからの誕生日プレゼントってところかなぁと思います。アサイチで、20年来の友人から遅れてごめんね、なお誕生日プレゼントの手袋が届き、あたしは、それをはめて生徒のおうちに遊びに行きました。二人目の息子を産んだ彼女の家で、2歳のお兄ちゃんと2ヶ月ちょっとの弟と遊びまくりました。こいつらがまた、二人揃って、サンタ印だけでできているようなもので。それがますます濃くなっているだけのことで、あたしはただただアタフタ…というか、呑気の極みのような態度で過ごしました。下の子がやってくるときのサンタの騒ぎがすごかったのは、それだけ色々と仕込が長かったんだから、いい加減に気づけ!だと解釈しています。(笑)便秘気味の赤ん坊と言うおもしろいヤツでした。無言で「抱っこしろ。」と言って来る様子。あやし方まで指示してくるようなでかい態度。便秘だというから、ちょっとそれらしいツボを押した瞬間に、ブッ!とお尻が鳴りました。…いい加減にしてくれ。(笑)ユラユラと静かに腕の中で揺らしていると、ブッブッ!って鳴り続けていましたけどね。オマケに泣く時には、ブヒって鼻も鳴るという。将来、絶対にシュッととがりそうなキレイな鼻なのに、ブヒって言うの。…いい加減にしたら?とは思うけど、このブヒブヒブッブッと鳴く小さな男の子を、私に抱かせたかったヤツがいるらしい、と、改めて静かに人生をそいつに委ねることにしました。(苦笑)子豚の音がするけれど、顔はチベット風。…そのセンスが微妙すぎて、サンタの悪ふざけがますますエスカレートしているところで、その思いの深さを確認すればいいんだろう!!←半分キレ気味。(笑)かわいい上の子とは、トイレで遊ぶという、これまた大事な役目がありました。トイレって楽しいところなの。多分だけど。(笑)2歳の男の子が、トイレでも育っていくように、あたしが課せられた役割は、かなり微妙。(笑)ママと言うよりは、やっぱり恋人です。なぜかここで。(笑)あたしの賞味期限はまだ切れていないらしいから、今はこれで行くしかないとやはり諦めました。小さな赤ちゃんが育つ、私にとっての空白地帯を埋める時には、必ずサンタが一緒です。そこがとてつもなく良くて、とてつもなく胸に迫るところで、それがずっと続く、とサンタに言われるたびに、あたしはやるせなくなるのですが、仕方ない。(笑)私も選んだことだから。その大切でデリケートな時間を経た私が、夜、先週、土下座してまで「甘えの線引きはここまで!」と教えた中学生に会う頃には、その子の不安が見えるようになっていました。恥ずかしそうな笑顔でちゃんと来た彼女に、これ以上、何を望むものも無いけれど、優しい言葉がたくさん見つかるのは、チベットブー介のおかげですけどね。(笑)あたしは彼女に改めて謝りました。自信のない、不器用なあなたなのに、器用に見えて損しちゃうんだね、わかったよ、ごめんね、と。何も言わずに首をゆっくり振った彼女は、相変らずの彼女らしい強気さを保ちながら、相変らずあたしに甘えながら、それでもほんの少し恥ずかしそうで、全てが愛しく見えました。チベットブー介の小さな兄貴は、別れ際のあたしに、とてつもなく愛らしい声で、「ありがとう。」と言いました。このごろ、サンタが「ありがとう。」「ありがとう。」と五月蝿くて、それが何より不満な私は相変らずいます。(笑)何をありがとう、なんだよ、と瞬間的に思ってしまう。そんな言葉が似合わないような日々を過ごさせたくせに!と、私に良かれと尽くし続けてくれたサンタ相手にキレるしかない私はどうしてもまだ残っています。ただ、いろんな子どもたちの声が、ありがとう、と私に絡みつくときに、そのありがとうの深さも徐々に認められるようになってきて、イラッとは、しにくくなってきました。なんとなく、今ならわかる、サンタのありがとうだけが残る頃がやってきて、その意味が、イラッとするのとはちょっと違うところにあるらしい気がしてきました。まさかの、そういう意味でのありがとうか、と思ったら、そこには笑う私しかいないだろうし、泣いたとしても、それは嬉し泣きでしかない、と、片付けられそうな気がしてきました。…サンタ相手だったから、やけに大きなありがとうだという、ただそれだけのことが、私がイヤイヤ言い続けた理由だとしたら、そのうち慣れればなんとかなるだけのことだと思っています。サンタと私の音楽は、子どもの笑い声。その長い約束が、果たされていく過程が私の人生の全てになりました。
2015年01月27日
コメント(0)
週明けから、生徒へのイヤミ土下座だった割には、サンタのご機嫌が麗しくて何よりでした。…ったく、全部まとめてこっちこい!って態度でいればいいならいいで、早く言えよもう、と、教室の守護神と設定した割に、ひどく無作法に振舞えるサンタ相手に、心の中で細かくボヤきながら過ごしました。そのくらいに、教室の大家族化が親密で、家が違っても、あっちとこっちが兄弟姉妹で一族がめちゃくちゃに絡み合うようなことばかりでした。土曜日なんか、やっぱりパパの花盛りで、3人もパパが来てましたよ。(笑)そのうち一人のパパには、強引にピアノを弾かせたりして、そこにまた花束みたいなキレイな姉妹とママが来て、それぞれの家族にそれぞれの家族の自慢をするのが私という、とんでもないことになっていました。キレイな音色で、ポツリポツリとパパがピアノを弾くとか、そこに精一杯お洒落したかわいい女の子がコロコロ集まるとか、完璧な極楽になっていますが、どうせサンタの仕込みです。…去年までも、ずっとサンタがいるにはいたけど、出方がねぇ、とため息つきたくなることはあります。(笑)…あれで、あの対応の私もどうかと思うけれど、その後、この対応ができるあたしって、ホント、心臓どうなってるのかしら、と思いながら過ごしました。…私の記憶力のめちゃくちゃさは、もはや、自分でも慣れました。それに対するサンタの記憶力の緻密さは、腹が立つほど筋が通っていて、「ここでそれか!」とか「今それか!」と、ほとんど、あちゃーという気分でいるだけでいいのですが。普通、単品で思い出が蘇ると言うことはなく、そこに付随するものがあって当然だと思われます。思い出のオマケが醜いのはいつものことで、それを記憶の表層に上げておいて、サッと塗り替える、というペンキ屋サンタの腕前もスピーディになってきていますが、一旦、まとめて上げんの。とりあえず、イヤなのも一緒に。(笑)そこで、エッ?!となって落ちると後が大変なので、そこで自分を保つのだけに徹しています。今週は古くからのお友達のピアノの先生たちとの新年会もあったけれど、やっぱり似たような気分で過ごしました。…しかし、ギャグが冴え渡って、全員笑いっぱなし。ところどころで、こっそり「ギャッ!」となっている自分を、これまたキレイに無視して、むしろそういうときほど、派手に笑わせておきました。…ユーモアの精神ってホント大切です。新年会でも笑い声の中央に置かれて、そこだけ鍛えられていればいいんだから、まぁ、楽勝でもありますが。笑い声の隙間に、全くブレずに置かれたサンタの贈り物は、鈴なりのヒヨコさんたちという想像を絶するようなものばかりですけれど。…勝手に子沢山にしやがって、と、後からボヤいて笑って、そのスケールに軽くゾッとして、後は寝ちゃう、そんな感じです。ヒヨコさんたちが、あまりに幸せそうで安心しているようで、そこがいいです。月曜に中学生を「勘違いするな!」とつるし上げた分だけ、他の子たちがますます安心しているようで、ホッとしました。あれが間違いならば、他の子たちがこんな顔にはならないでしょう?と、サンタと頷きあうような、そういう気分で過ごしたいのは山々ですが、サンタの存在感の出し方に相変らず問題があるので、そこら辺は適当にしています。…ついでに、幸せそうに安心した子どもが、教室につくなり、ふにゃーっと眠りそうになったり、安心させすぎもどうだ?というところもあります。…でも、一番大切なのは、眠いこと、お腹がすくこと、そういうこと。(笑)…そういえば、抱き上げただけで眠ってしまう新生児もずいぶん昔にいました。あの時、今のように自分を肯定できていたら、その後の道がどれほど楽だったか、とは思います。ナーバスになっている母親の胸から、私の腕に移っただけで眠る幼子を、今の私なら、もっともっと安心させて休ませようとしただろうに。その母親も含めて。…ただただそうあればいい、と、がなりたて続けたサンタとしては、私こそ遅い!なのでしょうけれど、あのときの私にそれができっこなかったことは、誰より知っていたくせに、で済むのが、守護神がサンタでよかったところ。がなり立てるから逆走したんだバカたれが、と愚痴を言えるのもサンタ相手でよかったところ。…というか、当時の私の取り巻きさんたちが悪役過ぎただけのことかもしれません。彼女たちは、それぞれに率先して、私のその気持ちを踏みつけたことを思うと、母であることの難しさを学ぶべき時期だったと、そう片付けることにしていますが。土曜の最後に来た女の子がおもしろかったので、弟子入りしちゃおうかな、と、私は笑いながら言いました。小学生の女の子ですが、従姉妹のうちで生まれた赤ちゃんの様子を話してくれるときに、ずば抜けています。赤ちゃんは天使、とは、一応一般論ですが、あいつら結構ずるがしこいところもあるし、そこを見抜く視線がなんとも言えずいいんです。(笑)甘える様子も、相手を見定めているように見えるんですって!若い子にはかわいく甘え、そうでない方には、「抱っこさせてやるよ。」くらいの勢いで。(笑)そのほかの観察眼も鋭くて、聞いているだけで笑えてしまうものばかりです。幼子のワガママに振り回されない、案外、肝の据わったママになるかもしれないし、そうなってくれたらいいなぁと思います。みんながみんな、この殺伐とした社会を生き延びるために必死であることは、赤ちゃんのうちから始まっている、ということを、小学生が見抜いているわけです。子どもの心理、大人の心理をファンタジーのように作り上げておいて、そこで本音で生きられなくなっている人たちが悲鳴をあげるよりは、そのくらいクールなほうがいいのかもしれない。でも、クールすぎてもつまらないから、それでもなんでも、自分よりも弱いものを守ることが楽しい、という風に色々が繋がっていったらいいなぁと思います。そうなるためには、誰かとコミュニケーションを取ることが、世界で一番おもしろいって生徒達みんなに覚えて欲しいと思っています。ピアノは、そのための脇役でいい。そのほうがずっといい。サンタと私の意識の一致が、そこでずれることは今後もないだろうし、安心することや、笑えるベースのない音楽は、音楽とすら呼びたくない、と、今の私は思っています。真剣に頑張ることは尊いけれど、悲愴な気持ちで拷問に耐えるようにして音楽が生まれるよりも、音の始まりには笑い声が満ちていて欲しい、と祈ってさえいれば、教室のハーモニーもますますきれいに広がっていくだろうなぁなんて甘いことも思うようになりました。
2015年01月25日
コメント(0)
本当は、洋服屋に行っておいたほうがめんどくさくならなさそうな流れだったので、行ったのですが、毎度の事ながら結界を張られていました。(笑)タイミングが合わないと開いていない恐ろしい洋服屋です。前回、確かに「もう待たせませんからね。」っつったけど、相変らずです。仕方がないので、そのルートの先にある楽器店に行きました。今、営業さんの引継ぎ後でちょっとゴタゴタしていて、自分で行っちゃったほうが楽なので。…ゴタゴタの内容が、どうやりくりしようかホントに悩まされるレベルです。楽器店には頑張ってもらわないと困りますが、こちらが年老いてくると、頼ってこられたりして。お互い持ちつ持たれつ、なのは、わかる。でも、お友達にお願いするような軽さで、お店やさんに頼まれてもできないことがあります。…それは、違う!と思うし、それじゃ、こっちの限界を超えていますから、はっきりさせるべきことにぶち当たったら、まぁ、キレイに言いたいことだけは言わなくちゃ、くらいに、そこはかとなくけんか腰でしたが、見事にイケメンに転がされて何事もなく帰ってきました。(笑)若いボクちゃん相手だと、オバちゃんが弱いってわかってて、かわいい子を店頭に置いたなコンニャロメー!という感じで、「はぁ、もうこれはホストクラブにでも来たことにしよう。」と、すぐさま態度を改めました。(笑)かわいい生徒が、「もう、次に弾く曲は決まっているの。」と言った曲の楽譜もプリント楽譜で購入できました。便利な時代になったもんだね、と、気分は、浦島太郎でした。「こころ」という吉俣良さんの曲を、ママが昔弾いていて、それを習ってきてねって言われたのって言われれば、それにするのが一番です。教室にない楽譜もある、とか、そういうこともまだわからない小さな女の子の「次に弾く曲は決まっているの。」という言葉の強さを大切にするほうが、サンタが喜びます。(笑)おかげで、あたしはイケメンにうやうやしく(←ややホストクラブ風ながらも)エスコートされて、「こころ」を購入。(笑)あたしのこころはどこ行った、とか言ってる場合じゃない。(笑)今は、お金で買えるかもしれません。(笑)イケメンの耳にはピアスの穴。爪はきれいに男性用の無色のネイルが施されていました。…やっぱり、そこはかとなく、ホストクラブっぽい。(笑)いつの間にか、店の様子が一変していました。帰り道、洋服屋をもう一度覗いたら、電気がついていたので、車を停めて行ってみたら、今度は鍵がかかっていました。結界のほうがこの様子なら、あたしはご飯です。一瞬、「電話しろって言ってたかな。」という考えに珍しく至ったのですが、お店に締め出された挙句、玄関先で電話?…喧嘩しちゃうかもしれない。(笑)やめておこうということで、かなりすごすごと引き返しました。電気がついているのに開かないドアを引っ張る気分って、すごく惨めでした。(笑)鍵かかってんのかよ、です。(笑)開店時間はとうにすぎとる!(笑)本当にこういう小さなところで、惨めな気分にさせる店で、でも、違う店の服を着たら呪われそうな恐ろしいところです。本日は電池切れだ。飯だ、飯となれば、サンタも怒らないだろうと、なぜかサンタに遠慮しつつ、教室に戻りました。なぜか、キレイな服を着ないと呪う呪いの発端にもあいつがいそうな気配なので、ここでも遠慮です。(笑)こちらの素材にいくら問題があるとはいえ、ここまでする?ということの発端にもいるのは同じやつでしょうから、いつでも私は八方塞です。その道のりを一言で言うと、最低!!(笑)←ホントはちっとも笑ってませんが。(笑)女の命はどう転んでも顔で、そこに難があれば、洋服や髪型や化粧に頑張ってもらうと言うことが不可欠です。そこがどうなっているかで、社会の態度はコロコロ変わります。常識と現実の違いを、その辺りで認識しすぎて、もう、何もかもがいやになりました。(笑)相変らず砕かれた気持ちと体を引きずりながら教室に戻りました。…さっそく弾いた「こころ」の美しさは、軽く涙腺が緩むものでしたが、後は別に購入した簡単な曲で遊んでおしまい。久しぶりに、美しく丁寧に弾く楽しさをうっすら感じたものの、どこもかしこも電池がもちません。(笑)私の場合、ピアノの電池切れは致命傷ですから、ここはそっとそっとゆっくりつながせてもらうしかありません。仕事のために弾くのとはまったく別の、私の楽しいピアノは、まだ生まれたばかり、というところでしょうか。でも、生徒たちは元気一杯でした。その柔らかな存在の暖かさだけが飽きない、という、とてつもなく当たり前のところで、それぞれがどれほど音楽が好きであるかを全身で表現していました。この寒空の下でも、ピアノを弾くと暑くて、シャツ一枚とか。(笑)学校で歌っている「恐竜のチャチャチャ」を耳元でくちずさむ様子とか。ママまでご機嫌で口笛を吹いていたりとか。そしてやっぱり「この子が来た以上、この道以外はありえなかった。」と私が腹を括った第一号、フランス人形が口にしたその言葉とか。「他ではあたし、甘えられないんだから。ここで甘えるんだから。最高。」って、無防備な顔をして。膝の上でさらにさらに幼くなっていく美しい少女のまつげのカーブや、ほっぺのライン。見ても見ても見飽きないその美しさを、味わいました。確かにこの子が、この甘やかし練習法で、とてつもなく成長したのも確かめられる頃です。(笑)ピアノの上達と、情緒の発達が、歩みを揃えることがあると、昔の私は知りませんでした。昨日、雷落としちゃった子も、このくらい小さなところから預かれればよかったかな、と少し思いました。膝の上で育てることまで出来なかったとしても、あんなに難しく行き違っちゃったのは、違う教室から来たからかな、とか。もっと甘えていたかったんだね、とか、やっぱり後からしかわからないことがあります。ま、甘える=暴言、という方程式は、正直、キライですが。(笑)それには多分、一生慣れることもないだろうけれど、年老いたらなんとかなるかな、と思ったりしています。傷つくなんて若い証拠だと。(笑)そろそろ色々と落ち着いてきているので、今、私が腹の立つことは当たり前のことばかり。今ほど、サンタが「こっちで良かったんだよ!」とニコニコしていることもないのですが、それに一番腹が立つという恐ろしい現状の諸悪の根源は、「お天道様より我を崇めよ」という意識でしか動けない上に、それに気付けない人のサガという当たり前のことのようです。その人たちが残した傷跡が、私の次の一歩を前もって踏み潰していたことを、今、心底納得しても、過ぎた時間は戻りません。潰されたほうは、私。潰したほうは、私じゃない。その限界地点で、助けに来たものの大きさが、その強さを物語っています。人のサガがこれほどまでに軽々しく他人の息の根を止めようとするなんて、先に知っていたほうが得に決まっています。私は、割とサンタに苛められたほうだと認識しているので、今は、サンタを罵っておいて、現実で怒りを小出しにするパターンが多いのですが、それで許されると言うのは極上の贅沢だとまではわかります。…しかし、苛め方の全てが気に食わん、というのはあるので、今はものすごいプンスカモードで、これでいいんだよ!を発見するたびに、フン!とそっぽを向くことにしています。(笑)女というのはこういう風に高飛車であっていいらしい、というのを、最後の最後に知らせるために必死であってくれたのがサンタなのはわかっているのですが、「あれでは絶対にわかりません!むしろ頑張ってそう思おうとしすぎて混乱しました!」というのも譲れないので、今は、そここそ絶対に頑張らないことにしています。(笑)ふてくされているときに、一番見えるもの。「お天道様より我を崇めよ」チームの汚さたるやお話になりませんが、そこはきっとサンタが適当にやっつけておいてくれてるに違いない、と思うときには、「お願いね♪」という態度なのですが、それ以外は、「フン!」という、そんな態度で良くなっている今が、ようやくホッと一息の始まりなのかもしれません。なぜホッとするかと言えば、辛い時期をより辛くした人たちにバチが当たっているのを見るからでなく、「アイツのあれは酷いね。」と、ようやくサンタがこっそり囁き続けてくれるようになったからですが、そこでフン!とは何事だ!ですが。…わかってんなら、他のところでなんとかしておいてよね、と文句を言えるレベルのアイツだとしか思えないので、とりあえず、今は「おせーよ。バカ。」です。ホント、こればっかりは、今の私にはどうにもできなくて、困っています。(笑)そして、その生意気な態度が許されて初めて、生徒のワガママと生意気の細やかな違いが見えるという現実がある限り、文句だけ言う私と、それにビクともしないサンタの奇跡が回り続けるだろうということへの信頼が蓄積することを祈るより他にありません。
2015年01月21日
コメント(0)
年明けの月曜レッスンは今週が初めてでしたが、あまりの濃さにどうなることかと思いました。…というほど、混乱したわけではなくて、キレイにまとまりましたけれど。もちろん、キレイにまとまるように念入りに下ごしらえされた状態がそこにあったので、レッスンごと、スイッチポン♪くらいで、自分の役割と思われるものを演じきった、という感覚です。ただ、喜怒哀楽のすげー濃いヤツがそこにあって、用意した側のすごさがそこにあって、ポン♪するだけの私の一点集中の濃さがここにある、そんな流れでした。数年に渡り、今思えば、「正しいところで雷落として。」と、自ら私に全てを委ねていた女子中学生は、自らの望んだとおりに、ワガママの限界地点を踏み越え、そこを私に踏み潰されていました。私も、色々あったから、こういうのはイヤだったけれど、ここは、トラウマになろうが、なんだろうが、ここから先の怖さを知らずに社会に出したらコイツが嫌われて捨てられて終わり!という点を踏み越えてきたところで、ドッカーン!(笑)と打ち砕きました。(笑)ほんと、数年、いや、数十年に渡るサンタのしごきのおかげで、こんなところでも理性的にパフォーマンスとして、怖がられ役を演じきってるのは、ええ、愉快なところもあったかもしれません。(笑)大人になっても、自らのワガママやごまかしを煙に巻くために、そこで雷落として子どもを壊す人はいますが、そういうんじゃなくて、「ここから先は地獄です。入るな!」という役割に徹するためにあたしが辿った道の怖さを知らんヤツにそれをたーんと教えるという相変らずの損な役回りでした。(笑)まぁ、ホントのことを言えば、朝から雲行きはすでに怪しかった。(笑)あまりに吹っ切れすぎてしまっていて、昔、私を地獄に放り込んどいて息の根を止めて自らのプライドを守ろうとしたやつらに、今会ったら、あたしがなんかすごい酷いこと言っちゃうから会わせないで!くらいのことは、サンタに祈ってました。(笑)そしたら、うまい具合に「ここ、ここやっつけていいやつ。」とおぼしきのが目の前に転がってきたからそうしただけのことで、後味悪い。(笑)仕方がないので、怒った後にわかりやすく全てを説明し、大丈夫、ちゃんとまだまだ待ってるから、と伝え、謝り始めたらおもしろくなっちゃって!(笑)自分が悪かったとわかっている中学生に、もう一押しイヤミの土下座をかますという、本当に鬼もビックリするような猿芝居を一発。(笑)「笑顔で導けなくて、本当に申し訳ございませんでしたっ!!」と、先生に土下座で謝られれば、心に残るだろうと思うや否や、すっごい土下座ですよ。そのときの彼女の「もうやめて!」という気持ちもわかったし、ヒイヒイ言ってるのもわかったけど、お前に足らなかったのは、そのヒイヒイだ!というのは譲れなかったので、おもしろがって土下座しました。ほんと、こんなに性格悪くなって大丈夫かしら。(笑)さぼりにさぼり、暴言に暴言を重ね、友達づきあいみたいにしてきたのは、お前を私より大きく育てたかったからだ!調子に乗るな!先生に言われる前にやってりゃできた、ということを言ったおまえがいいすぎじゃ!と、その一点だけはホントに怒りました。(笑)言われる前にできないから、お前が子どもで生徒でガキなんだから、そこまで手柄と勘違いするな!お前がボスじゃない!というヤツです。きっと、親御さんたちもこの一点ではみんな苦労して、間違いを繰り返しながら、必死で子どもを育ててる…はずだけど、現実がどうだかは知らない。(笑)どこからどう見ても、それに十分応えられる逸材相手でもあります。(笑)もちろん、笑顔で「できた!」と喜んだ顔も見ました。その後で、その「できた!」が、自分の努力の結果とすり替えかけた瞬間の雷です。(笑)できるようにさせたのは、あたしとサンタとの地獄経由の二人三脚ですけれど?です。…人のワガママがここまで手柄をかっさらって勘違いすることはわかっちゃいたけど、目の当たりにすると、ホント、「これは許せん!!」という風にも思うんだなぁと、しみじみ回想しました。あたしは確かに問題が多い。でも、あんたの指導には、サンタの手も入ってるんだから、そこ勘違いしたら、バカになるのはあんたです!っていうところで雷落とせるようになるなんて、あたしも出世したな、ということにしときますけれど、別にそこまで思っちゃいません。(笑)むしろ、後から思うと、こともあろうにこのあたしが土下座するように、細かに伏線を張られていました。(笑)私の考えの中にはないもの、でも、最高に効き目のあるものは、こんな風にサンタにいつも届けられていますが、正直、ところどころはうんざりです。(笑)先生に土下座までさせて、どうなっとんじゃ?まで考えないために、私の脳は、その辺りが、サンタによってボカされている、と思わなくちゃやっていられないところはあります。(笑)みんな、お天道様の前では無力、を、勘違いして、お天道様より偉い、になったらどうなるかなんてわかってると思うんだけど、違う人は案外多い。相変らずの、そんな危うい綱渡りが続いています。それでも、私を信じて、私に「やる気を教えて。」と言っていた彼女のことですから、これならいける、と思ったし、涙をこぼしながらの返事を振り返ると、ちゃんとわかっていすぎたこともわかります。あの子でよかった、とすら思いました。そしてそのときに、「この線を踏み越えるのは、親相手でも、友達相手でも、社会相手でもダメ!!わかった?」と言えるように仕組んどいてくれてありがとよ、くらいはサンタに対して思いますが、違う方法もあるだろう?とか、ちょっと思っています。(笑)とりあえず、土下座は思いつかなかったから、ありがと、くらいです。使えるね、こりゃ、くらいです。それ以外は、なんじゃこりゃ!です。(笑)「親相手でも。」というセリフがいいじゃない!と思うのですが、思い返したらアイツの仕込みでした。ガーン。(笑)変に昔の嫌いな人に会ってイヤミを言うより、イヤミ土下座のほうが、よっぽどいい、とまで思えるのが日常になる前に、このイライラ虫をやっつけたいだけの私はいますが、その辺りも、勝手にサンタが図っているので諦めました。(笑)一晩たって、やっぱり少しだけは心配ですが、大丈夫とも思えていて、このジレンマは親身で悪くない、と思っています。…それに絡まって、私自身の初めてのピアノの先生のことを思い出しました。天才少女と謳われた先生が、不器用に私の行く末を心配して叱ってくれた時のあの感じ、あれも親心みたいなものだったな、なんて。外国人のピアニストと離婚した話、ハイヒールにパジャマで家を逃げ出した話、結局、今は独身で高齢の母と過ごすことになった、と書かれた年賀状。色々なものが、蘇りました。思春期の私がやる気を出せなくなった時の、あの先生の不器用な叱り方は、母であろうとしたそれだと思うと、ちょっと幸せな気持ちにすらなります。私がうまく進めなくなった様子と、あんなすごい先生がご自身を重ねてくれていたかもしれない、とかも思いました。理由は、今の私にはわかるし、わかる私が振り返っても、あの先生は、ホントに真っ正直に私を愛そうとしてくれていました。私のそばに相変らずピアノがあることが、時々うんざりするけれど、あの先生との思い出だと思うと色合いが変わります。劣等生だったけれど、だからこそ、今ここにあれるわけだし、優等生には見えないことが見えるのだと思えば、ピアノにまつわる全てすら、御伽噺になるかもしれません。…ただ、ボカしが相変らず入る。先は長そうだ。(笑)このごろのサンタはやることがでかくて大変ですが、ここ、書き換えたかったのね、と思うとちょっと笑えます。親心としてすんなりと通るものは、案外と他人の方が持ってる。そんな当たり前のことに落とすために、サンタが絡まりこんできたからこそ混乱していますが、それは当然です。(笑)この混乱は、サンタと私の終わらないハーモニーだということだし、それをいちいち怒る私がおかしい、と、サンタが怒るのもわからなくもないけれど、ここら辺の下りになってくると、怒るより他にないことが多くて元気が出ます。封じては育たない。出させてばかりじゃただのワガママ。その境目は、サンタの計らいによって、毎日毎日細かくなりますが、子ども相手の仕事ならそれは仕方ないとまでは思います。…ただ、イライラしているのは、子どもってどこまでよっ!!という、その辺りのことだと思います。人数多いわ、年齢もどこまで上がるんだかわかったもんじゃないわ、で、イライラしているだけなんだと思います。…まだ、たったの43歳なので、ここまで懐広げるのには色々と不具合があったし、不満もある。(笑)そしてその不満に対処するときだけ、サンタの表情が微妙に見えてポカーンとしています。…そっち?ってやつ。もうただそれだけ。(笑)それは全く気付かなかったなという見たことの無い表情を見るような気がして、そりゃ天国と地獄を毎日往復させられるわ、と、改めて思うばかりになりました。…あの順路で、それはないだろう、それは、という辺りが必死で誤魔化されている毎日ですが、ほんと、さすがにここは私が出る幕ではないので、諦めて不満タラタラで運ばれています。(笑)
2015年01月20日
コメント(5)
調律師さんの手が入って、恐ろしいほど澄み切ってしまった音色が、ちゃんと生徒たちを導くようにして、ゆったりと広がっています。アラフォーの独身女性の大人の生徒さんがいるのですが、その人がハナミズキを弾いたら、これまたすごい発見が続いて、二人で呆気に取られるようにして過ごしました。まず、生徒さんの心理が全部音色に乗って、こっちに届くわけですよ。(笑)練習不足なのに、調律後のピアノ弾くのおっかないなぁという不安が、最終的にゆったりと弾いている本人の体中がポカポカするピアノに変わるまで、笑い声だけでレッスンできました。教本だ、礼儀だ、なんてものは、もう、どこにもないけれど、音色だけが道しるべで全く問題ないわけです。練習不足?当たり前じゃない!生徒が一人でちゃんと練習できるなら教室なんていらないわ!おほほ!なんて心境に、私が達するなんて恐ろしいことです。でも、不可能ではありませんでした。…ただ、ものすごい介在がそこに必要で、その介在ときたら、容赦ないことこの上なく、とりあえず、私を鍛えまくりしごきまくっていましたが。だから、昔かたぎの先生は、怒っちゃうんだろうなぁ、ここで、と思うくらいに今はなりました。…礼儀??あはは。そんなもの、あったらそもそも生徒じゃないわ!生徒なんて子どもと一緒!って反応で、全然腹が立たなくなってきています。かといって、腹が立つ相手がゼロになるなんていうファンタジーではないので、「こっち!!!」と怒鳴りまくったサンタを今は脳内で罵りこき下ろし、レッスンになると、サンタへのイヤミを込めて、「あたし、あんたにあれだけさせられたけど、ここはこういうことを言っちゃうの。」と、美しい言葉でレッスンを演じきっています。(笑)あの後で、これができる自分が怖くなりますが、サンタへの嫌がらせと憂さ晴らしと思えば、おもしろくて仕方がありません。もちろん、そこをサンタへの感謝で、というのが、世の中的に一番美しい形になるのでしょうけれど、今の私がそれを平気でできたら警察いらねえし、くらいのもので、イヤミと意地悪とあてつけで美しいレッスンをする、というのが、一番気分が上がります。サンタがあまりに、「どうだすごいだろ。」とうるさいので、段々胸糞悪くなってきて、「フン。こっちもこう演じられてすごいだろ。」みたいな気分でやりくりすると、ストレスが限りなく減っていきます。(笑)私の威張るところ、そこかよ!ですが、「遊びの教室」を、このご老体ひとつで切り盛りするのはこたえるのっ!(笑)試練がハンパないんだから、そこで憂さ晴らしするしかないの!(笑)数年前に、クソババアちゃんに「ここは、音大とかコンクールのための教室じゃなくて、遊びの教室だ!」と言われた頃、まだまだクソババアちゃんと折り合いが全然ついていなかった私は、気絶するほど傷つきました。(笑)当たってますよ、ああそうだ。(笑)でも、お前、そのための教室だったらちゃんとした生徒として頑張るって話かよ、ですよ。(笑)どの生徒もおいしいところだけツマミ食いで、練習大嫌いで、遠慮はないという悪魔のサイクルで、今ここにいる私としては、それすらも笑い話になりましたが。今は逆に「遊びの教室」であるということの奥深さに、「そうだよ。」と、静かに答えられるようになっていると思います。本当の遊びは、お祭り騒ぎでもないし、浮かれ気分だけでもないし、見えないところに、ものすごい技能と経験が、まずなくては始まりませんから。(笑)そこら辺は、世界レベルの技術者にお墨付きもらったし、「そうだよ。」って言えるかな、という時期には入っています。だから活動範囲の割に、あの逆境かよ!と今なら腑に落ちるわけです。(笑)砂場で泥んこ遊びしているみたいな楽しさでピアノを弾いていても、いずれその子が音楽を生涯の友にするために、という目線をぶれさせないためだけに、サンタが舞い降りた教室は、ところどころ相変らずの悪夢が点滅していますが、その悪夢の質がとんでもなく、お下劣であることが、逆にホンモノだろうな、という感覚があります。高尚ぶったことを言って、生徒を煙に巻くことだけはない教室としては、このくらいの生活密着度がベストなのは、わかる。(笑)わかればいいか、というのは、これまた別の話で、そこまで腑に落ちるほど出来上がっていませんが、そんなのかまっていられません。(笑)アラフォーの大人の生徒さんが、こんなピアノは見たことないし、こんな音色もみたことない、みたいな、なんかそんなようなことを言っていました。音色をみたことない、という表現がいいです。(笑)そこ、私のこだわりでした。そういえば。(笑)彼女のイメージでは水晶が浮かんだようですけれどね。私は高笑いしながら答えました。確かにこの教室のこのピアノには、なんかが取り憑いていて、極楽みたいな音楽にあっという間に連れて行っちゃうけれど、それってちっとも威張ってなくてとってもお下劣なところが、ホンモノだって思うの、と笑い転げながら話しました。こうなってくると、生徒たちがピシッとしてくるのは、当たり前のことかもしれませんけれど、生徒をピシッとさせるために辿った道と照らし合わせると、そんなんどうでもいい。(笑)ただ、ピアノに取り憑いた怪しいやつは、年がら年中私に対しては威張り倒して、怒鳴り散らして、悪態をつき続けて、脅かし続けていますが、ここまで来てみると、むしろそこがおかしい。(笑)整えた景色は、山盛りの生徒が笑いながら、真摯に成長し、その生徒を支える家族が全員より抜きのサポーターばかりで、その中央に私を置いてあるというだけのことですけれど。その中央は、ちょっとイヤだったので、相当反抗しましたし、相当な苦労もあったけれど、怒鳴られ脅された割にはいいところに配置してもらってあるとは思います。…だからこそ、改めて思うことがただひとつだけあって、「他の道ではダメだったの?」みたいなところがどうしても拭えませんが。(笑)他の道ではなく、この道で、ここ、だから、あれ、というオチだったようですが、演じきっているはずの私の笑い声がややホンモノ寄りになる頃、いきなり態度を変えてきたヤツがいます。もちろんそれはサンタ以外の誰でもなく、変わった態度が、完全に私の予想と反していたことが、色々の食い違いだったんだろうな、と振り返っているわけですが。…怒鳴り倒されていたら、普通、その愛情の深さになんて気付いている暇もねえや、とか、それがシンプルにトラウマで腹が立ってならないとか、ああなって当然でしょ、とか、段々雲行きが怪しくなっていきます。(笑)仕方がないので、今後は心置きなく、サンタをいじめ倒して、ご機嫌取りを延々とさせてやろうと私は企んでいます。ここまできたら、結局それしか残らないし、ここまでちゃんとついてきたあたしとしては、そのくらいの老後の楽しみがなくて、何を奇麗事を言っていられるかってくらいの気分です。完璧なるもの、万能なるもののおぼろげな背中は、チラ見せして、ついて来い!と怒鳴ったほうが、「ああこっちについてきた良かった!」と思わせるところの責任は負えるくらいでないと、話が混乱します。完璧に役割と言うか、立ち居地というか、なんかよくわからないところを交替したらしい私とサンタですが、ようやく心地いいくらいになってきました。ほんと、気に入らないヤツをねじ伏せて君臨したがる人のサガってヤツには苦労させられましたが、その苦労の分だけ、もっともっとものすごそうなヤツに文句だけ言っていて、明日のことなんて考えなければいいというのは、いいご身分だなぁと思っています。
2015年01月17日
コメント(2)
前回の調律は、秋の発表会直前に当たらないように、あえて、夏の終わりごろに来てもらっていました。それが、耳に鋭すぎなかったため、割とゆったり過ごせた良いサイクルが、調律さんとの関係にもいい影響だったように思いました。もともと、腕はものすごくいいし、ステージ慣れしているし、好みの音色は贅沢な絢爛豪華なもの、ということで、結局、教室そのものを成長させてもらったなぁとしみじみ思える頃になりました。…まぁ、その道のりの邪道っぷりで、全身傷だらけみたいになった気分も、そろそろ癒える頃ということもあり、元気良く毒舌を振りまきながら、楽しく過ごしました。本当に活動範囲は小さかった割に、ピアノのありとあらゆる秘密を知るには十分なカードを持たされていた私は、調律、という技術に長けた人と話すのが、今はほんとにおもしろくなりました。お互いに、調律する人、弾く人、という違いはあるけれど、音色に関して思うことがピッタリ揃ってきたことが、お互いの垣根をはずしてくれたんだろうと思います。立場が違うからこそ、相手のいいところが良く見える時期ってヤツですよ!秋の発表会の本番で、調律したての一番風呂のようなピカピカの音色のところで、ほんっとにキレイに弾けちゃって、「リハーサルでこんなん出ちゃったら、もうあとは奇跡が起きるはずは無い!」とビクビクしながら必死で乗り切ったことも、笑い話になりました。「一番風呂」っていう表現が、お互いに、ドンピシャにわかるんです。そこでうまく弾けたら後が怖い、というのも、本当に良く伝わっていて、話しているうちに、反芻しなおすものもありました。リハーサルで、調律師さんの前で奇跡のようにきれいに弾けたら、本番の演奏がどうなっても、仕事はしてきた、と思える、なんて考えながら本番をこなしていたんだよ、なんていうことの隅々まで、うまく伝わる相手は案外少ないと言うか…調律師さん以外にはいないかも。(笑)そりゃ、ピアノ道の達人の皆さんからしたら当たり前のことであっても、私にとっては、あっちこっちでギャースカ上がる、ちびっ子花火をなだめてなだめて、その後で大トリを取る、というのは、苦難でしかありません。(笑)「本番はね、ケモノ道だった。一寸先は闇というような。」という言葉は、昨日、思い至った言葉でしたが。改めて振り返ると、その言葉以外には当てはまらないこともあります。一番風呂のピアノは、傷ひとつ無い音だとしたら、発表会の大トリは、荒れたピアノでいきなり本番と言う意味で、それはまた別のことだから。調律後は、なんの流れか知りませんが、調律師さんを前に、いろんな曲を弾いて、「その作曲者が意図してこの和音をここに置いたのなら、やっぱりそれはすごい!!」なんて、調律師さんならではのこだわりを聞いたりして遊びました。調律後のピアノはあまりに絢爛豪華な音色過ぎて、私の一番初めの感想は、「ダメ!これ以上、本気で弾いたら、飽きちゃう!飽きちゃう!」という私の予想に無い言葉でしたが。(笑)より高みへと間違いなく誘う音色がそこにあって、あたしはもう、そこは違う!というか、これ以上その深みにはまって、飽きちゃったら元も子もないというか、なんかそういう感覚でした。弾くだけの仕事なら、こんなこと言っていられないのかもしれないけれど、サンタが私に今託している教室は、「子どもが笑って弾くこと。」そこをはみ出ることは、とにかく今のところは絶対に許されていません、という気分になっていますから。ある意味、調律師さんに対しては、めちゃくちゃ失礼とも取れる言葉であるかも?という心配とは裏腹に、むしろ、それは褒め言葉のように受け取られ、調律師さんからの私への賛辞が続きました。…こんなにキレイな音はなかなか出せないもんなんだ、というシンプルなお墨付きは、音色の技術者からもらえるものだとしたら、最高の賛辞だと思うけれど、わしゃ、そこはどうでもかまわん!(笑)あれだけの日々と、あれだけのカードと、サンタの導き。それがあれば、逆に言えば、普通にここにたどり着いても不思議はない、ということが、喜びとまっすぐに繋がらないからこそ、多分、私が生徒に優しい言葉を選べるのだとしたら、このくらいが一番いいだろう、と私は思っています。何しろ、この絢爛豪華な音色の一番風呂は、教室の場合は、サザエさんが浴びます、という時間帯でしたから。(笑)かわいくて真剣な小さな女の子の、愛らしいサザエさんは、まだお魚くわえたドラネコまでしか行っておらず、追っかけられるかどうか、これからですよ、というくらいのもの。(笑)そこで、五月蝿いことを言いたくないんです!今の私は。(笑)なんなら、ドラネコ追っかけずに、遊んじゃうサザエさんであってもらってもかまわない、という感じ。なんなら、お魚でドラネコをおびき寄せちゃうサザエさんであってもらいたいくらいの呑気さでいたいんです。調律師さんの帰り際、かわいい小さなサザエさんがやってきました。私と二人で「弾いてごらん?」と誘ったのですが、小さなサザエさんは、キラキラと金色に光りながらも、「きかれてると、はじゅかしい。」と言いました。最高です。(笑)そんなこんなで、多分、世界レベルの技能でこっそりと調律された豪華なピアノは、未来を担うかわいい子どもたちの素敵なおもちゃになりました。何しろ、うちのピアノ、やっぱり相変らずいい音色になっていく一方で、これからもっと大事にしたい、と調律師さんがたくらんでいました。これは、とにかくすごい逸品だから、軽々しく手を入れないでゆっくり様子を見よう、という流れになってきました。私も調律師さんも15年歳をとりました。15年前の私たちとは価値観が変わってきて、それがゆっくりと丁寧に、にどんどん歩み寄って今があります。絶対にこっちでいいはずだ、というサンタのお墨付きは、すでに前もってありました。…サザエさん経由ではありますが、確かにこっちでいいはずです。(笑)色んな技能を詰め込んで、めちゃくちゃになる若い時期を過ぎたら、その中の良い物だけを厳選して、ゆったりと子どもたちを見守れるようになりたい、と、なりはじめている今だから笑えることがあります。ここで笑えるために、あの日々ならば、仕方ない、と思う時期はありました。でも、それは、もう少ししたら、その全てが笑い話になるかもしれない。その全てを支配する手綱は、どうしたって、サンタに握っていてもらうより他になく、それこそがうちの教室のいいところだということだけブレなければ、後はきっとなんとかなると思っています。調律とピアノを弾くという別の作業が重なる転機になった曲が、クソババアちゃんと行ったコンサートの曲であるところが、何よりとにかくいいんです。清塚信也さんのオリジナル曲、「ナチュラル」であるところが一番いいと思っています。その例えようもなく美しくシンプルな曲の片方を、サンタが握ってくれている、と、私が迷わずに信じていけば、ただそれだけでいいなんて、なんという御伽噺だ、と思ったりもします。…御伽噺は、甘いだけじゃないけれど。(笑)甘いだけの御伽噺で無いからこそいい、と、もう少し先の私は思うはずです。今の私はその辺りでごちゃごちゃ文句を言っているところはありますが、その文句も笑い混じりになっているのも事実だし、結局のところ、サンタ好みにまわされている御伽噺なので、サンタの笑いのツボと私の笑いのツボに少々のズレがあるところもまた、いずれそれでよかった、になるんだと思っています。今私が褒めたいのは、サンタの手腕よりも、あの全てをこちら向きに解釈できた自分だったりします。(笑)…相当難問だよ、あればかりは、と思うと、やや苦みばしった顔になるのも、あと少しの間、くらいかもしれませんが。(笑)調律師さんは、厳しい言葉を浴びせられた私からの文句に、「引っ込めないけど、失礼しました。」と言いました。私のほうは、「合ってるのは認めるけど、許さない。」と言いました。(笑)許さない。それは、私としては、忘れない、に一番近い言葉で、言葉の割には甘さが含まれていることを祈るばかりです。
2015年01月16日
コメント(0)
まだ、ほんの数日しかレッスンしていませんが、「今年は、いつもの年とは違いすぎる…。」…と、つくづく思うような深みと真剣さのある、それでいて、全てを包み込むような優しさのある時間がぐるぐる回っています。特に教えることで困ることなどはなく、かつてならまったくもってイライラしたことが、さっぱり気にならなくなってもいます。ここまで譲ることが、不可能ではないということは、生易しいものではなかったけれど、譲れるようになればなったで、そこは清清しいほどあっけなく、まるで何事も無かったかのような軽やかさで過ぎていくだけです。それこそ気まぐれに訪れる大人の生徒さんたちとは、ここまで楽しく親しく実りのある時間を過ごせるようになるんだな、と、いいタイミングで言葉を重ね、気持ちを重ねるだけになりました。気まぐれに訪れてくれるからこそ、私の気持ちに合う、ということもあるなんて、今にならなければ体験できないことですが、そうなってしまえば、それは恩寵だのなんだのとメンドクサイ言葉を絡める暇も無いほど無理なく過ぎていきます。大人の生徒さんたちは、何か意図でもあるのか?と思いたくなるほど、連携するかのように、ただただ、「先生の教え方のおかげでとても楽しくて嬉しくて仕方がない。」と、目を輝かせていました。私自身は、「そうでしょうねぇ。でもそれは、あたしのしたことじゃなくて、ぜーんぶサンタが計らってますから、別にどうってこともないんですよね。」感だけで、どこかとてもシニカルなようで、余計に生徒さんたちは、一生懸命、私を励まそう、楽しまそうとしてくれていました。…それでも、だって私、何もしてないもん!という感覚も私の現実で、その辺りは、どうにもならないのが今の課題であり、これからの全てであるかのように、そこで腕を振るえるのは、結局サンタただ一人、と言わんばかりに、サンタが「どうだわかったか。」「どうだすごいだろ。」「ほれ見たことか。」くらいにドヤドヤしています。(笑)それを見るたびに私が吹き出す、というだけが私の楽しみなので、せいぜい威張ってドヤドヤしていてもらおうと思っています。そのドヤドヤは、どう頑張っても憎めない茶目っ気と、無視することが不可能だった存在感だけでできているかのようで、これほど万能な何かが、ここまで私に良かれと物事を運ぶその掟破りなやり方には、驚嘆せざるを得ませんが、あまり驚嘆していると疲れるので、ほとんどスルーしています。(笑)その私の適当な態度にもピッタリと絡むように、物事はとてつもなく優しく、とてつもなく私を気遣ってくれていますが、私のほうは勝手気ままなネコのように、気に入ったところだけをツマミ食いしています。先週は、美容院にも行ってきました。いくら長いお付き合いとはいえ、ここまで気楽に過ごせるようになるとは、と、改めてビックリするところはありました。お互いの知らなかった顔を、今、改めて知るような新鮮さもありながら、何もかも委ねていればいい、という空間は、ありそうでないものでもあって、十分に気持ちが華やぎました。美容院ってそういうためにあるんでしょう?というその全てが、ほんの2時間に詰まっていることは驚きですが、お互いにその2時間が楽しくなるように言葉を選ぶということにおいては、気がぬけないところもあって、だからこそいい、という感じでした。20年近く、女にとって一番重要なポイントを預けちゃっている、ということはすごいことです。どう転んでも、顔は女の命で、髪型はそれを最も近くで左右しますから。尽きない話題は、年末旅行の銀座の食いしん坊ネタだったり、お腹のすくような話ばかりだったらしく、夕刻まで予約でびっしりの美容院の店長にとっては、ある意味地獄ともなったようですが。(笑)開店1番乗りのお客が私でごめんなさいね、って感じでした。(笑)「このまま、夕方まで何も食べれないなんて…。」と、悔しそうに言っているのがおもしろくて仕方がありませんでした。食べることが楽しみすぎて少し困っている、という同じ歳の店長ですが、技能へのこだわり、お客さんへのサービスなど、歳を重ねる間にいいところにおさまってきているようでした。父になり、自分の幸せを、若い世代にわけたくなるほどなんだ、と言うところなんて、聞いているこちらも気持ちが良くなるような言葉です。そういう大人って、実はすごく少ないよね、と、思うからこそ、なんですが。土曜日の教室のレッスンは、何の因果か、イケメンパパが豊作で、そのためにも美容院に行っておいて良かった!(笑)私よりもずいぶん若いイケメンパパが訪れると、ギクッとしたもんですが、美容院のパワーで今年は絶好調でした。暴れん坊の双子のおうちは、クリスマスに女の子が生まれたばかりですから、当然パパが同伴です。実はこっそりイケメンですが、なぜか全く緊張しないという珍しいパパでもあります。暴れまくる双子は抱っこさえすればおとなしくなり、穏やかにピアノを弾くし、パパには緊張しないということで、暖かい時間を共有しました。色気づき始めた双子は、パパと私の名前を楽譜にいたずら書きしてハートで結んでいましたが、あたしが相手じゃパパがかわいそうでしょ?と普通に言える、そのくらいのパパの若さですから私も余裕がありました。午後には、とにかくママと娘たちがみんなピアノ教室に来てから、とにかくキレイになる一方と言う謎のファミリーのパパが来てしまいました。こーれーがまた!!イケメンなの!!ものすごく若いけど。(笑)パパに送られてきて、パパと離れがたくて、寂しそうにしている娘の気持ちが手に取るようにわかってしまって、別の意味で大変でした。あたしったら、二人の仲を引き裂く意地悪ババアみたいじゃない!と思ったら、これから仕事に向かう、と教室を後にするパパを送り出すのが気の毒になって胸が痛みました。(笑)仕事だから仕方ないし、別に割り込んでるわけでもないけど、この二人、とてもじゃないけど、引き裂けない!と思ったら、胸が痛くて。(笑)ママも大好きだけど、パパの大好きとはちょっと違うの、と、顔に書いてあるかのような女の子の顔って、本当に輝いているんですね。(笑)パパと娘は恋人みたい、ってこのことか、と思って、女の子の顔を見つめていたら、私まで幸せになりましたよ。(笑)確かに金色に光るんです。(笑)サンタが私に見せたかった景色は、この金色の世界だというのは、もはや全く疑う気も失せました。(笑)そして、なぜそれを僕が君に見せたかったか、という点において、世界で一番ボンクラな君の目を覚まさすために、今、忙しくて腹が立つ、とでもいいたげなサンタの背中は、いつでも背中ばかり向けていますが、多分、顔を見たらほっぺが真っ赤なんだろう、ということにしてあります。そうじゃなくちゃ、全てがおもしろくなくなるし、そうであれば、全てがおもしろくなるから、という理由だけですが。多分、それでいいと思うし、それが違っても、私としては知ったこっちゃありません。全ての物事の向うにいる、何か特別なもののおぼろげな背中を、私は見たと思うことが少なくありません。そのきっかけはピアノだったはずなのに、もう、その背中を追うときに、ピアノなんてなんの用もないかのように脇役になっていますが。だからこそいいし、それが正しい、と、告げるその背中は、私にピアノのありとあらゆる秘密を教えたその後に、私の世界に残る小さな秘密を君と共有しよう、と誘うかのように、かなり魅力的であるのが困ったところです。(笑)
2015年01月12日
コメント(4)
明日からレッスンだし、今日のうちにバセドウの定期検査に行ってくるかなぁ…と内科にいたら、やけに電話がかかってきて、「今日、急なんですがレッスンに行ってもいいですか?」と、小学校の先生から言われました。慌てふためいちゃって、すごい返事をしながらも、数時間後には仕事が始まりました。…かえってそのくらいのほうが良かったと思いますが、「今日っ?!」「今日ですかっ?!」と、素っ頓狂な返事をしていた自分がちょっと恥ずかしくて困りました。(笑)幸い、いつでもずっと変わらずとても真面目な方なので、いつもどおりにレッスンして、ザッと色んなことを振り返っていると、ああ、本当に変わらない人と言うのはいるんだなぁと、しみじみその先生の良さがわかりました。自分の派手さのためでなく、生徒を成長させたい、と願う地味な部分で一生懸命であることに、誇りすら感じないような人という感じがします。誰かのためでなく、その目的のために、ただそこにあれることって、すごいと思うんですよねぇ。私がこんな人だったら、誇りたくなる、威張りたくなるようなことをしていることすら、ご自身では気付いておらず、自分の至らないと思う箇所に対して、常に努力をするような人です。そんな方が、「こんなに苦労したことはなかった。」と、職場でのことを、ポツリとおっしゃったときには、そこまで大変だったのかぁとしみじみ思いました。浮かれた意味合いで「子どもが好きだから、学校の先生やってます!」みたいな事を言わなさそうな人だからこそ、その方が、「子どもに関わらない仕事をする人をうらやましく思った。」と、言うことに深みを感じました。でも、もちろんそういう方の仕事のすごさで、「でも、ようやく子どもたちをかわいいと思えてきました。」という、素晴らしい言葉がついていて、私はそれがとても印象に残りました。こういう方のレッスンが、フライングのようにして1年の始まりにあったことは、幸先いいなぁ、と思っています。もちろん、私特有の、だからこその、苦みばしった反芻は避けられませんけれど。(笑)こういう先生が、レッスンしたら「楽になりました!!」とおっしゃってくれるのは、もちろん私の喜びであるべきです。(笑)ところがどっこい、そこが相変らず、我ながら音信不通という痛ましい現状は、その後の私を元気良く怒らせていました。(笑)ピアノと言うのは打楽器だ、という言葉を知ったのは、ジャズ関係の場所にいた時のことですが、その言葉の意味を、生徒や相手にわかるほどの言葉に咀嚼できる人はいませんでした。今の私は、それをその先生に伝える言葉を持っているけれど、それを言葉に落とせるところまでの辛さというのは、今思い返しても相当だった模様です。(笑)こんなときは、元気良く、サンタをののしるんだ、そうだそうだ、とばかりに、一人でプンスカしていました。今思うと、ジャズとクラシックの境目に曖昧に存在する、本当の音楽というものを知るための道にいたことは、過ぎた日々になりました。そこにいるときは、わからなく、そこを過ぎるとわかる、それも当たり前のことです。だからこその、私お得意の「ここまでしたいって、あたしほんとに言った?」とか「ここまであたしにさせていいって、あたしほんとに言った?」みたいな文句が出て出て止まらない。(笑)こっちは何しろ相変らずポンコツマシンのあっちこっちをガムテープくらいで補強するようにして、場当たり的にやりくりしているだけですから。(笑)それもガムテープをキレイに切ってる暇もないような騒ぎですよ!引き裂いたガムテープで切り貼りして、30分持たせりゃいいか、みたいなそんな危うさです。(笑)ガムテープ貼らないと、怨念が出ちゃうからってだけのことですが。(笑)ま、そのくらいに音楽に関してならば、なんとかなるからこそ、の時期。思い返すと、あれもこれもダメだった、と、一人反省会が始まりますが、それがすっかりサンタ相手の文句大会に変わったのは、何よりですが、サンタ的にどんな気分かは、私の知ったこっちゃありません。(笑)怪しい反省会の結論としては、「あたしは、どんなときも、あたしの知る全てを相手に伝える努力はしたもんね。」「あたしは、どんなときも、あの先生を見下したことはなかったし。」と、自己弁護だけが先走っているようなところはありますが、それも致し方ございませんて。(笑)そこでしか、プライドとかいう変なもんをつなげないんだもの。2015年の滑り出しがこんなんでいいのか悪いのかも構っちゃいられませんが、とにかく始まってしまいました。今日は、年末に会ったかわいい年中さんの女の子のレッスンから始まります。その子の必死な言葉が、なぜか胸を締め付けたのは、ついこの間のことのよう。「またここに来たい。」ただ、それだけの言葉を搾り出すために、年中さんの女の子が、あんなに必死で真面目で寂しげな目をするなんて、ばあさんまだまだボケちゃいられませんよ、と、私は私に叱咤激励すべきところですが、そこは、ややナナメに、サンタに向かって、「ちゃんとついててよねっ!」と怒り狂っているところです。(笑)
2015年01月08日
コメント(0)
この新年は、本当に穏やかでした。毎年続いた意地悪爆弾がピタリと止んだので、ホッとしながら過ごしていました。ああいう爆弾を放り込む人たちには共通項がありましたよ。泣く子を黙らせるために、泣く子本人をぶっ殺しちゃいそうな人々でした。…そういう方々とのご縁が途絶えて良かった良かった、と思っていたらば、ホカホカしたほうの爆弾がコロコロと放り込まれていたことに気付きました。…赤ちゃんゴロゴロ爆弾です。(笑)正月早々、縁起のいいのはこっちだよね♪でも、なかなか手ごわい方面から放り込まれているのはなんとも言えません。(笑)その存在だけで、教室を瞬時にジャングルに変えてしまう双子のおうちに、女の子が産まれたとさ!!…そーれーーーもーーーーーー、クリスマスに。サンタがまたもや何かを企んでいると思って何が悪いっ!?(笑)思えば双子との日々も壮絶でした。もう本当に、こんなにジャングルでサバイバルみたいな経験をさせられたことはありませんでした。彼らと過ごすだけで、もうそれはたった30分を生き延びるための戦争だ~っ!!(笑)あの双子、あのママ。…そこに新作プリンセス!!…なぜか私が慌てるのですが、仕方ありません。それが、過ごした日々というものです。とても真面目で真剣で従順なママですが、全てを私に頼るの…。(笑)男の子で双子だったから大変だったんだろうな、と回想するのですが、あの様子だと、プリンセスはかなり早めに丸投げされそうな予感です。写真の様子では、ツンととがった鼻がすでに、美少女だけど生意気そうな予感がしたと、あえて記しておこうと思います。…どう転んでも女の子です。それこそ、ところどころのいいところでは、勝気に育ってもらわないと、あとが続きません。(笑)あそこんちの兄ちゃんたちがあれでー、お姫さまのお顔があれでー、ママがあんなんで、パパがあんなんだと…。何を頑張ればいいのかわからないけど、すごく頑張れアタシッ!!(笑)他にもいい感じのちっちゃい殿様がやってきます。生徒の息子で次男という…。アタシも歳取るわけだ、という…。昨年、長男とお腹の大きなママと時々遊べましたけれど、とうとう出てきちゃったからね、殿様が!(笑)生まれてまだ2ヶ月も経っていないのに、すでに笑いのツボ満載の殿様です。王子とは諸般の事情で絶対に呼べません。まず、とにかく顔が、和風かアジア。(笑)まだ、写メでしか見ていませんが、日々、コロコロ変わっていくその顔に、和風だなぁなんて感想を呑気に抱いていると、あっという間にチベットくらいに飛んでいく味わい深い子です。チベットとかのお寺で修行していそうな子どものお坊さんみたい!と思っていると、すぐさま、ねじり鉢巻が似合いそうな顔になっていくんですよ。…角度もあるんだろうけれど、一言でタイプを決めきれない柔軟な存在感。(笑)ママはブスだ、ブスだ、おっさんだ、とばかり言っています。上の子が王子だったから、まぁ、それと比べるとちょっとばかりあれですが、美形と言うものはそう考えるとつまらないところもあるということにしておこう。とにかく今のところは。(笑)このファミリー、上の子が1歳くらいになるまでだったかな…かなり遊んだけれど、上越に引っ越してしまっていて、ここでようやく長野に帰ってくることになったんです。関係が濃すぎて、完全に3人目のおばあちゃんの気分ですが。(笑)パパ方のおばあちゃんよりも、ママ方のおばあちゃんよりも、私になつきますように!←悪い勝気の例ですが。(笑)…最近はこのぐらいの態度でいるほうが、サンタのしごきがマシになる、と、ようやく諦めました。(笑)…サンタがガミガミ怒って、私を向かせた方角が、そっちだと思うかアホ!と、やっぱり愚痴りたくなることもあるけれど、一通り可能な限り確かめたところによると、そっちのようです。…ある意味、一番簡単なことだよねぇ、と反芻します。誰もが、そうしたくて、そうしすぎて、ごちゃごちゃする方角。(笑)わーたーしーが、一番っ!!ってヤツ。(笑)私の場合、大層、運の悪いことに、私が一番の悪い例にばっかりに翻弄されて生きてきたので、こんなことになっちゃったんだと思っていますが、その分、いろいろわかったことはあります。誰も彼もが自分が一番でそれでいいけれど、それを自覚していなかったり、そこを欺こうとしていたり、そういうことが深まるのは、必ず後で悪い結果になっていくし、その悪い結果っつーやつは、甘くないもんです。それは必ず死を孕むところまで行きかねないことに対して、とてつもなく読みが甘い年長者だっているし、なんでもかんでも敬えばいいってもんじゃない。私がサンタに直々に教わったことは、多分、そんな呆気ないことですが、呆気ないことほど遠いこと遠いこと!(笑)そして、そのカードの切り方を知ってしまった私に対して、周りがガラリと変わる頃です。その手のひら返しを、醜いと呼ばずして、なんと呼ぼう、と思うことは残念ながらあります。どんなときも唯一変わらなかったのは、全ての向うにいるサンタくらいのところはあるのですが、変わらないというのもなかなか厄介なのがサンタの困ったところです。(笑)そもそも、そっちに変わらないってことだったわけ?というのは、やっぱり私には理解するのが一番難しく、今もすぐ忘れ、すぐとんちんかんになるところだったりします。改めて思うと、あの流れで、そっちだと信じられた私の方がよっぽど苦労して、損ばかりして、相変らずとんちんかんになっていますが、それは仕方がないでしょう?と睨んでおけば一日が回っていくと言う程度に色々がおさまってるならまあいいか、と言う感じです。この先、道に迷うことはまだまだあるだろうけれど、子孫繁栄!子どもは笑って育め!くらいのツボさえ抑えとけば、サンタにどやされることも減るだろうと思うんですよね。意外にも、そんなことを完全に履き違えている人の多さにゾッとしたとしても、自分の生き方がそれであれば、後はきっとなんとかなるだろうと、ただそれだけくらいを自分に言い聞かせています。ここまで来ると、ピアノなんて、ホント、それを推し量るための単なる材料にしか過ぎなかったことも思います。音楽だって崇高なものだけど、それを奏でる人間に上も下もあったもんじゃなくて、その音楽を、誰のためにどう使うか、それだけのことからはみ出ちゃいけないんだと私は思うんです。そこから先は、私たちの領域ではない、と、そこで謙虚になれない人とは、ちゃっちゃと縁を切りながら、今までよりも身軽に、日々を過ごしていくその傍らに、そっと音楽があればいいとわたしは思ったかどうか、そこは定かではありません。私にとっての音楽は、もしかしたらそんな風にも寄り添ってくれないほど、ずいぶん昔から、難しく遠くなっていたのかもしれないけれど。…私の場合は、音楽よりも尊いものが満ちているように、サンタが仕組んだ甘い甘い罠が、その甘さゆえに時に私には何よりも苦く思えることも、いずれ過去になることでしょう。苦く思わせたのは、サンタでも、私でもなく、人のサガである、と、私は思うのですが、その答えは、生きている間に得られなくとも仕方のないような、途方もなく遠いものでもあるように思うこともあります。今の私はまだまだそこをやりくりするだけで手一杯で、遠くは見えないけれど、きっと、その辺りをホカホカ爆弾が運んできてくれるんだろう、と、楽しみにしています。
2015年01月07日
コメント(0)
ここ数年、元旦から心に爆弾が放り込まれるようなことが続いていたのですが、今年は全くありませんでした。こっちが動いていないのに、とてつもなく浅はかなところから放り込まれた爆弾を防ぐ術はありませんでしたが、気の持ちよう、というのは恐ろしいものです。あんな爆弾、わざわざ放り込むほうが悪いんだよ、と、キレイさっぱり腹さえ括れば、爆弾のほうから逃げていくって、ホント、可能ならば、なるべく幼い頃に教わりたかったもんです。(笑)ま、教わりようがなかったし。43にはなっちゃったけれど、今、今だからいいんでしょ!とでも思って、2015年をのほほんと過ごすことに決めました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。年末に1年前の自分のブログをちょっと読んでみて、そのぶりっ子ぶりに一人で笑っていました。チョーびびってんのに、なんとかキレイにまとめようとしているその様は、我ながら痛ましいところもありましたが、基本的に考えていることは微塵もブレていないのもよくわかって、ほほえましくもありました。そりゃ、びびるわ、と、今の私がちょっと前の私に優しく思うなんて、昨今、全くございませんでしたから、よほど、銀座の住人モードがいい意味で、尾を引いているようです。2日には、久しぶりに甥っ子と義弟がやってきました。社会人1年生がまもなく終わりかけている甥っ子が、ワイルドさを増し、それでいて、今までどおりの繊細さで、大切な気持ちを一つ一つ話してくれる様子は相変らず心地よかったです。ほんとに、血なんか1滴もつながっていないのに、ちゃんと親族扱いしてくれるのは、すごいと思います。法的にはおばちゃんですが、気分が若返っちゃって、「歳がべらぼうに離れたお姉ちゃんと思ってもらおうかしら。」と心の中で舌なめずりをしていました。(笑)若い世代が、社会情勢を先に読んで不安になっているのなんかも、しみじみわかる歳になってしまいました。彼が欲しがる自信のピュアさは、育むべきもの、と、改めて思います。悪く考えたらキリがない自分の未来を、なんとか繋ごうとしている、と、言葉の端々に伝えてくる様子は、まだまだ初々しさがあるようで、キラキラしていました。なぜ、こんなにまっすぐな気持ちを、曇らせたり、この上に立とうとするのか、さっぱりわかりませんから、そっちの人々の国には行かず、相変らずのお花畑でキレイなことを言っていればいいんだな、と、改めて思いました。1年前の私は、今思い返してもビックリするような、ギフトのようなファミリーが教室に押し寄せていたらしく、「こんなに価値のあるものに対応できるかしら??」でびびっていたようでした。(笑)カードがさすがに足りないかと思ったけど、全然足りなくなかった、という1年を過ごした分だけ、また、肝が据わってしまったようで複雑ですが、仕方ありません。むしろ、「私になんてカードが足りない!」と思ったことがいけなかったのだと、今ならわかるんですが、私が私にそう言ったわけじゃないので、私にそう言ったり、そう感じさせた状況でも恨んで、後は、我が家のサンタが「見ろ見ろ!」と言うほうでも見ていることにします。恨む、というのは、悲観的な意味でなくて、裏を読む、みたいな意味ですが。目をそむけるんじゃなくて、裏を読むだけ。そこで自分がどうあったか、は、嫌なところは見たくないですから、ついつい全部見たくなくなるし、読みたくもなくなるのですが、裏だけ読んで、表はサンタに任せとく、そんな感覚でいます。なにしろ、他人を制圧したいという欲求を持つ人も残念ながら少なくないわけで、その行き着く先に何があるかなら、見るだけ見たよ、ほんとに、という記憶はとりあえずまだ持っています。それすらも、持つべきものだけ持たされているだけ、蘇らせられているだけ、という感覚も今のほうが確かなので、その辺りは、他人事のように読めることもあるし、まだまだダメなところもあって、そのまま、ありのままでいいようですが。クリスマスは過ぎたように思うのですが、教室の守護神をサンタに定めといてほんとに良かった!年中、クリスマス騒ぎのような勢いで、どこまで遡っても、もはや、危うさのほとんどなくなった形で、サンタが私の記憶を繋いでくれています。それが、こんなに笑えるものばかりになっているように、と、いつかとてもとても遠い昔に約束は当然なされていた、とでも思っているほうが、よほど極楽気分でいられます。何もかも忘れたほうの役目が私でよかった、と、時々思うようにすらなりました。思い出させられるときに、ごくごく当たり前の人の営みと言うものを、まるで音楽のように笑い、まるで絵画のように楽しみ、時には、その全てを宗教のようにすら読めるなんて、かなりパンチの効いた笑いの精神でも持っていないと、無理だったと思えてなりません。相変らずサンタのおふざけが危険な場所を通り抜けることはありますが、それをゲラゲラ笑えるって、あたしって凄い…と思ったりもします。…こればかりは、おぼこい娘っ子には、絶対に無理!と思うと、そこが一番笑えます。こんなに真剣に全てを整えてるのに、どうしてそこで笑うの君は、と、ボヤくのがサンタのほうに変わったように思える頃でもあります。だって、ここは笑うのが約束だったでしょ?と、覚えてもいないけれどとりあえずそんな風に誤魔化すようにしてやり過ごすのがベストな気がします。そのくらいに、本能的に相手を制圧したいと言う気持ちが、殺意に繋がるほうを向いていることすら気付かない人と言うのは、残念ながら少なくなくて、その鋭さをこの身に受けるように思う時の痛みは、無視したところで必ずどこかを蝕んでいることはあるわけです。その古傷が、私の記憶の届かないほどまで遠く疼くことを知るときに、まだまだ気持ちがグラッとするし、そこから目をそらさないことが、私のほうの約束だったように思う瞬間もどうしても今はゼロになりません。強くなるために必要な時間すら奪ったものを、今はまだ許せないとしても、こういうことは、嘘ではやり過ごせないものだったりします。きっといつかは、それすらも采配だったのだと、私は笑い転げるだけになるのかもしれなくとも、今はまだまだ曖昧です。ここは、自分を誤魔化さなければそれでいい、と、サンタが悠長にしているとでも信じて、私もゆったりと構えるほうが良さそうな気がしています。
2015年01月03日
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1