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タイでの引っ越しは、非常にいやらしい! といって、日本のようなちゃんとした引っ越し専門会社がないと言いたい。トラック会社か、個人経営トラック(中形か軽トラック)を雇って、数人の若者を付けてくれる制度。 料金は距離と物の量により、だいたい1、000~5、000バーツ前後。 しかし、どこの経営者(個人素人も、専門会社も)でも「絶対信用できない」。 ものが壊れたり無くなったりした事は、責任追求できない。「知らん」としか返事しないからだ。 雇い前に、いくら「信用できるか?」と、問いつめても「はい、大丈夫です。うちらは誰も盗まないから、安心して下さい」等を言っても、同じ。 今まで、実家(タイで)数回引っ越し経験あった。 その都度に必ず、何かがなくなった。貴重品ならば、意識的に見張って、自分で運ぶなりにするけど、他のちょっと高価なものでは、「まあ、大丈夫だろう」と思うと、目的地の新家に着いた数日後のもの整理すると、いくら探しても出て来ない!割れ物類が割れたりしたことは、「当然」! 「ちゃんと、持って(盗んで)行かれた」!と、覚悟しなければならない。 信用できる引っ越し専門会社は、殆どが海外への引っ越し専門会社だけ。 だから、タイ人の引っ越しは、貴重品、高価なものはだいたい自分で持って行く。。。。 そして、最もいやらしいことは、引っ越したそれまでに住んでた家です。 ゴミやいらないもの等が散乱したまま。 タイ人の殆どと言っていいほどは掃除もしないままで「行ってしまった」。 バンコク中心街に家を開けて、貸家にした事での経験からです。家を使い方も乱暴で汚い。 傷だらけか壊した器具をそのまま、等。。。いらないものやゴミはそのまま残していった。 本当に住んでいた家に、「お金を払った借家」であっても、「感謝」する気持ちは全然ない。 「お金を払って住んだ家だから」と思うのが、たいていタイ人の考え方ですので、要注意! このために、新しい家、綺麗なアパートやマンションは、「信用できる外人限定」が多い! 外人は「借家」だから、大事に使う、壊さない、汚さない、注意深くすることは「常識」からです。 ここまでは、「引っ越しタイ人」の様子を書きましたが、突然話しを変わります! 今度、この「タイ万華鏡」ページも引っ越しさせて頂きます! 勝手ながら、大変申し訳ございません。 なぜかと言うと、画像容量は限度に達しました!なので、第2の「家」へ引っ越し!! 「タイ万華鏡ー2 / THAI KALEIDOSCOPEー2」との新家のネームプレートです。 URL://plaza.rakuten.co.jp/thais/ 今日からです! 美味しいアイス・チョコラ・フォンデューで待ってま~す。 どうぞ、よろしく。
Feb 1, 2007
冬は、インフルエンザが流行り季節となる。近年来、薬に強い新種ウィルスが発見につれ、日常環境が注意深くしなければならない。 鶏のインフルエンザ騒動のなかに、鶏肉、卵(特に生で頂く場合)だけに注意する感覚が多い。実はどんな食べ物にも注意したいですね。 数日前、タイから送ってきた画像があった。タイで日本料理ブームで、日本の干物が好きな人も多いということで、魚の干物が人気メニューの一つになる! しかし、この画像を見るとショックした彼からの画像添付で問いにきたメールは、「日本人が干物を朝食の定番と聞いた。(鶏)インフルエンザに大丈夫?」。。。 どこかのページで拾った画像だと言ったが、恐らく日本のものだと思いますけれども。。。 「大丈夫だと思いますよ。日本人は焼いたり、揚げて食べるから。そのままの生で食べないよ!」としか返事しょうがないです。 しかし、ゆっくり考えながらこの画像を見ると、彼が恐い事が分からないではない!
Jan 30, 2007
今、タイで飲食業界に料理コンテストが非常に流行っている。バンコクの大手スーパ「ザ・モール」バンカピ支店が主催した「ソムタム選手権」は1月7日に行われ、新年の始めての飲食イベントを盛大に成功した。 イベント名称は『全タイ「ソムタム」全世界へ舌鼓を打つ』に、プロを負けないアマも沢山参戦した。 ソムタムを、どこまで美味しくでき、特徴を限度に表現できるアレンジ作品として全世界へアピール出来るかが、求められた課題。 エントリー作品から決勝ラウンド数十作品のなか、「美味しく、美しく、外人に慣れじみ易い」で表現した作品が、優勝作に選ばれた。作者は「ラチャモンコン・タンヤブリ技術大学」の栄養学科の男子生徒2人組。 優勝作品は、より栄養価を上げるために、白胡麻、黒胡麻、赤マメ、カシューナッツ、トウモロコシ等の穀類がたくさん入っている。本来の材料であるトマトとインゲンは全体といっしょに潰さないで、サイコロ状にして混ぜたアイディア的な造り。 現場での観戦者や、マスメディアを通して見た人々に賛否両論の反響は多かった。最も多い反論は、「ここまで『変貌』したソムタムは、もはやソムタムではなくなって、洋食の前菜『オーダーフ』」だと。。。 画像1:両優勝選手とトロッフィー。以下2~4は様々な容器に入れる同作品展示例。
Jan 28, 2007
低いグラスに入った「ソムタム」。新素材を取り入れたものが、黒胡麻、カシューナッツ、トウモロコシ、エビ等々。
Jan 28, 2007
ワイン、カクテルグラスにすると、オシャレな「ソムタム」は、エビとレタスで以外と目立つ前菜的な存在感になった。
Jan 28, 2007
パティーや立食には色彩的な考慮したい時、ティーカップセットに入れてみた。。。
Jan 28, 2007
ランナー地方(チェンマイを中心に周辺の北部各県を含む)の料理は独特な味で、材料と作り方は、中部のバンコクや南タイ等総べて他地方と違う。 その特徴の一つは、ココナツミルクや、油(動物性、植物性)を使わない。 もう一つは、野菜が多く使うこと。畑の野菜の他に、山の幸をふんだんに使う。他地方にないものなのでよそから来る人々が見た事ないや名前も分からない山の幸が季節折りに豊富ある。豊かな自然環境のお陰だろう。 また、辛さはマイルドで激辛はない。香辛料も少なめに使うから、「上品な味」だと、バンコク人に言う。 健康指向やダイエットが流行りに、ランナー料理が脚光浴びるになった。。。。 ナムプリック、ヤム、サラダ、和え物、煮込み、スープ、焼くが基本。 油を使ってフライパンで炒めたり、揚げることは本来ランナー料理にはない。 観光客好みに応じて油を使う料理が後からのもので、商用的なのだ。 どのカレー種にしても、全然ココナツミルクを使わない。ナムプリックと材料で鍋に煮出すのような作り方が基本である。 ただし、日常食べる「カーオソーイ」だけは、脂っこい汁がある。ココナツミルクが沢山つかって、カレー粉と香辛料が多く使われる。この「カーオソーイ」はカレー粉で黄色になる汁が中心であるため、「よそ」から来た料理だそうです。 ビルマでは同じものを、熟すバナナと食べる習慣があるだけど。。。 「ランナー美人」や、「チェンマイ美人」は昔からの言葉がある。 気候と食べ物からでしょうか、文化や芸術的な町の環境に育てた女子が、心身ともに美しき民族になることは当然。。。画像は、市場の屋台料理。 奥の左鍋は、ジャックフルーツの若実のカレー。右は「ケング・ハンレー」(これもビルマ料理だと言われる学者がいる。ココナツミルクを沢山つかっている唯一のカレー) 手前のバナナの葉っぱで包み焼き(左側)は「アブ」(包み焼き)と言う。中身は色んなものがある。魚や、豚挽肉と卵、豚の脳みそ等。 右側は、「ホ-ヌんグ」(包み蒸し)と言う。中身は魚、鳥、豚肉、タケノコ、野菜等々。
Jan 26, 2007
やっぱりアフターファイブは、その1日の疲れを解消してアイディア等を見つけ、元気付けて翌日のために活用したい時間空間ですね。 バンコクで1年前開店したばっかりトレンディーな穴場。ニュースタイルが好きな若者だけではなく、チックな雰囲気好きの中高年層にも人気。「ズリク」(Zurich)は、モダンスタイル内装で、壁や天井のカラーと照明の変化は、独りでのゆっくり飲みにも寂しくない。ライブバンドは毎日ジャズや、ポップス、ソール等替わって演奏するのが嬉しい。遅い時間になるとDJによってお好みなリズムミュージックスをやってくれる。 名前からは洋食専門だと思うと、全然違います。タイ料理が中心でメニューにはどれでもとっても上手い。お勧めが店自慢の「プラ・クラポン・トーッナムプラ」(鯛揚げナムプラかけ)、「ケングペット・ペッドヤング」(ローストカモ・レッドカレー)、「ホーモックタレ-ト-ッ」(シーフードホーモック揚げ)。メニューリストには100数品があり、お味と清潔さは日常利用や客接待にも間違いない場所。 食事から二次会としての利用も素晴らしい場所ですので、一回入ったらリピーターになってしまう。このために新店であっても常連客が段々多くなる。 アクセス:ランクスアン通り。営業時間17:00~01:00年中無休。TEL02ー254ー6463
Jan 25, 2007
ハト(=ノッカウ)は「平和、純粋、平素」をシンボルとすることで、玄関にハトの籠をかける家が好かれる。ハト飼い趣味はタイの昔からの伝統的だった。 タイ習慣は一般家庭で殆どが3種類のペットを飼う。 それは、犬を番犬に(昔から家と家の間にフェンスがないし、階段を上がればそのまま家に入るため、下の広場に犬を繋ぐ)、ネコを鼠対策に、ニワトリが卵と食用か鳴き声や観賞用。 これが標準的だが、この3種ペット以外にハトを飼う家は「上級者」をイメージの価値観があるため、亭主自信が心理的に「金持ち」や、「ランク付き」にする目的にもあった。。。もう一つの理由は、「福を呼ぶ」と信じて好まれる。そして、隣家お互いに比較して綺麗な鳴き声を自慢になり、コンテストまでに各地域や県大会、東南アジア大会までに展開した。アジア地域大会はヤラ県(タイ南)に毎年開催する。近隣国のインドネシア、マレーシア、シンガポールから参加者も多い。 ハト飼い趣味が最も人気はタイ南各県で、殆どの家はハトの籠がある。特にヤラ、ナラティワ-ス、パッタニ-3県が中心で、ハトのファーム(ヒナ生産者)があって「綺麗な声」の鳥を求めて大会やファームへ訪れる内外客が多い。しかし、綺麗な声を鳴く親鳥は、子供には「綺麗な声」に限らない。鳥の声が遺伝しないらしいと言われる。当たり外れがあるため、生産者にも、買い求める客にも「求める」綺麗な鳴き声は「くじ引き」となっている。。。 相場の値段は、2~3ケ月のヒナ(雄メスペアで)鳴き声保証するものは2~6万バーツ、鳴き声は保証しないヒナ(成長につれ、声が変わる可能だという前提)はペアで3万バーツから、鳴き鳥(おとな)ペアで10万バーツから、綺麗な鳴き声のペアおとな鳥は100万バーツから、現在の最高な鳴き声が綺麗(コンテストで優秀)のが300万バーツ。 「ノッカウ」の種類が沢山あって、東南アジアの森林に生存している。綺麗な鳴き声と綺麗な色の種類だけはよく飼われる次ぎの2種類。 「ノッカウ・ヤイ」(ノッカウ.ルアングとも呼ぶ)はやや大きい、声も大きい。男性的な声(ベース)が多い。 「ノッカウ・シャワ」は比較的に小さくて声が高い(ソプラノ-かティーノ)。 もう一種はよく見かけるが、色が赤に近いなので「ノッカウ・ファイ」(=火のハト)と呼ばれ、「不幸を呼ぶ」とされ嫌がる品種になったので、飼う人がいない! この「ノッカウ」の習性は、群で群集をしない。単独かペアで行動する。朝晩によく鳴くのために、観賞と鳴き声を聞くために飼われる。 この「朝晩鳴き」が健康な鳥にしかないなので、ここからはタイ語のスラングになって、日常でもよく使われている。 付き加えてここに御紹介します。 「ノッカウ」とは「男性の陰茎」! 「ノッカウ・マイカン」とは「鳴かないハト」!!=「性行為に使用出来ない性器の問題で「ED」の男性、性能不振者」!!!。。。。 以下2~4の画像へ続き。。。↓↓
Jan 23, 2007
「ノッカウ・シャワ」はハトの種類のなかに一番小さい。鳴き声は高くて一番綺麗なので最も人気。
Jan 23, 2007
「ノッカウ・ルアング」やや大きくて、鳴き声はベース音状。
Jan 23, 2007
「ノッカウ・ファイ」(=火のハト)と呼ばれ、名前からきた「不幸を呼ぶ」とされ嫌がる品種になった。
Jan 23, 2007
遅い新年会へ数人の後輩に呼ばれた。楽しい雑談から、どう言う訳か分からないが、自分達の日本人上司や同僚を悪口の話しへ展開してしまった。。。 1人から始まった職場での日本人の「嫌な事」を切出すと全員が賛同して次々と出してスッキリした気分のようだった! 彼らにとって日本人の「嫌なこと」を「ワ-ステン」としてまとめてみた。 1)人の前に平気でげっぷをすること。(食べ過ぎかもしれないが、食後のタイミングが悪い) 2)お茶やコーヒー、スープ、タイカレー等の汁もの、ラーメンや麺類(スパ-ゲッティー)を飲食する時の啜り音。日本人がそうなる事は理解できていても、隣に座ると「耳が痒い」と言う。(耳触りから嫌な気持ちになって押さえられない) 3)特に男性に多いケースは、何か気に入る「美味しいもの」の時、スピードと大き口すぎるの食べ方(口に入りきれない量と大きさで入れること)。タイ人から見ると「食べるではなく、詰込む」ように感じ取った。(誰かに奪われないような食べ方!) 4)事務所で朝一番に近付くと、納豆とネギの臭う。。。。 5)人の前、人と喋る最中でも平気にオナラを放る。相手や廻りが聞こえる程でもシラン顔でやること。 6)小用を済んだまま。(手を洗わない男性が殆どだと)握手される時に嫌がって断わりたいこと。 7)ソ-ファーの応接セットに座る時、女性相手でも(向き合ってでも)男性が足を開き過ぎる。(股間を見せたがるような感じを受け取った) 8)男性が女性の肩を叩く。(セクハラに感じ取る) 9)特に男性は、かゆみをかく時遠慮なく失礼な事でも公(人の前)にすること。(陰部やへその下、お尻、股など)10)電話を話しながら鼻をほじったり、耳掻きをしたりなどすること。 あくまでは、数人のタイ人達の事実環境である。また、そこにいる同僚たちも極一部の日本人ですので、ここにお断りします。
Jan 22, 2007
タイの鳥籠はもう一つの高級美術品である。 単なる鳥を入れて飼うためのケースではない。このために鳥籠を蒐集しながら鳥を飼う仲間がいる。 特にジャワ-鳩を育てることは昔からタイや東南アジア国々が流行ってた。 鳥はもちろん、籠もこだわりで、作った時代が古ければ古い程がいい。形や材料も重点で価値が決まる。 総べてが手作りなので高度な技術がいるため、現在鳥籠製造者が非常に少ない。全国では数軒しかない。 バンコクはノングチョック区に一軒で、南のヤラ-県、パッタニー県を合わせて数軒。 たいてい飼い主は、鳥もそうですが、籠をもご自慢したい。このためにいい籠をいくつも持っている処が多い。鳥の数よりも籠の方が多く持つ飼い主は当たり前な世界。。。 伝統的な鳥籠の形が丸い型に決まっている。「サテング」と「コー・イー」という2型がある。肩から丸く膨らんで下に少し凹むのが「サテング」、「コ-.イー」も丸肩だが、膨らむが少なくてかなり直線でしたまでになる。 高級籠は、屋根の部分が木か象牙。彫刻して模様をつけるものもある。中に鳥の停まる木としては、水牛の角で作る。 フックは鉄か象牙で縁起模様に彫刻する。例えば龍神か鳳凰等。高級品の単価は3千バーツから5万バーツまでもなる。 バンコクにある鳥籠製作所を見学する事をお勧めします。 住所:28番地、ム-5、ソンカーサンティスック・ロード、クラトウムライ区、ノングチョック町バンコク 電話:(662)988ー3530 見学可能時間 午前8時~午後5時まで 年中無休 画像は、鳥を多く飼っている家。籠が普通のものが多いが、左下が高級品の籠、バックの列、緑カバーと手前のとなりは高級品籠。 以下2と3は、籠の美しさが見られる。↓↓↓
Jan 20, 2007
「サテング」型の鳥籠。 フックが象牙で出来て、模様はタイ伝統的な「唐草」もようで、ブルー色で染める。模様の部分が白抜き。 胴の廻りの横線は藤製、タテの線は「マイチャン」の木。 お値段は3~5万バーツ。
Jan 20, 2007
これが「コー・イー」。廻りの横線の部分と中の鳥の停まり木は水牛の角で作ったもの。相場のお値段は20、000バーツ。
Jan 20, 2007
美味しそうな鮭が手頃な値段で3~4切れ一パックはよく買った。バター焼き、フライ、酒入り味噌煮等々のメニューをしたが、タイのラ-ブに始めて試した。 タイではアジや貝類のラ-ブがありますが、鮭は輸入魚なのでどうしても洋食材として扱われる勝ち。 この「外人」と「タイ人」は意外とマッチして美味しい協賛ができた!。。。 材料: サケ(サイコロ状か適当な大きさで契る)100 グラム 赤玉葱(センきり)1/2個 万能ネギ (細かく切り)2 本 パクシー、ミント(細かく切り) 2 大さじ 炒り米(粉に挽く) 1 大さじ 粉唐辛子1小さじ(辛さが苦手だったら半減か1/4小さじに) 乾燥唐辛子(油で揚げて) 3~4本 ナムプラ、レモン汁、砂糖 適量 生野菜(キュウリ、キャベツ、白菜、ホウレン草、ネギ等々)食べ易い一口大に切る 作り方:1)生サケだったら茹でてからサイコロ状に切って水切り。2)ミックスボールにサケを入れ、調味料のナムプラ、レモン汁、砂糖、こな唐辛子を入れて(サケが崩れないように)軽く混ぜる。3) 揚げ唐辛子を除き、全部の材料を入れてもう一度掻き混ぜる。味見ながら好きな辛さと酸味、塩倍を 調整する。4) お皿に盛り、残りミント、赤生唐辛子、揚げ唐辛子を綺麗にトッピングして出来上がる。 生野菜(キュウリ、キャベツ、白菜、ホウレン草、ネギ等々)添えて出す。***塩鮭だったらできるだけ塩味を抜いてから使用。この場合はナムプラを少なめに、味をバランスにみながら調整する。***炒り米は、ナマ米をフライパンにから炒りする。キツネ色に変わり始めるとフライパンから出して粉に潰す(クロックか、擂り鉢、胡麻グラインダー等ででもいい)
Jan 19, 2007
タイ人90%以上の人々は「お守り」を身に付ける。首にかける仏像ロケット(様々な材料で作ったもの)、国王写真入りロケット、トラの牙等々。 最も古いお守りは、昔の子供、特に男の子は腰にヒモで吊るす陰茎の形に彫った木製の小さなお守り。「プラッド・キック」と呼んで、現在は大人の男女を問わず重宝として携帯している。いつから始まった習慣か歴史や文献にはないが、恐らく戦争が多い時のアユタヤ時代からだと言われる。 どこのメーカでもいい分けではない「プラッド・キック」は、奇跡を現せる有名なお坊さんが作ったのは「守る」に効果的ですので、相場では数十万バーツまで売買している。 材料は木材や、珊瑚、角、象牙等が主だった。 木材の場合は、どの木でもよいではない。縁起がいい木の名前を選ぶ。例えば、マヨムの木=人気を呼ぶ、チャンの木=魅力をつける、パユンの木=応援される等々。 猛獣、拳銃や刃物等総ての武器(爆弾や地雷も含めて)、事故、災害等も総ての被害から守ってくれる顕著的な働きがある「本物」は、今が少ない。 そのように作れる霊的な強い力を持つ人物が現在いなくなったからです。お守り専門店には、形だけのものが多い。流行りで買い求める人が多くなりますので、偽物でも売れている!画像は黒象牙で作ったもの。マントラの文字入りで、材料からも文字入りからもなるこの作品が最高級だといわれ、お値段はペアで6桁だという。 以下3まで続く。。。↓
Jan 18, 2007
ヒンズー教やバラモン教に信仰対象される「シワ・ルング」(=シワ創造の神の陰茎)とは違う。 タイ独特なお守り「プラッド・キック」は、2様な説がある。。。 一つは、密教から伝来ものであったという。密教が四千年前からタイや東南アジアに流行っていた。仏教やヒンズー教に影響を及び、信仰対象物を混合したことで、仏教の密教やヒンズー教の密教となるように達した。 密教は性器が「総べてのモノの誕生」だと言う事を重視し、お祭りや信仰行事には性器や性行為に関わる事が多い。また、呪い術で「マントラ」や、人体にかける呪い等も密教の特徴である。 男性陰茎に象った彫刻ものを携帯したり、裸婦の模様、マントラ等を身体の中央部(背中や胸、腕等)に刺青等をした事で、総べての被害から守れるとは、密教の教えにあったから、信じる事は絶対的だったため、このような「奇怪お守り」が広まったわけである。 もう一つ、ヒンズー教やバラモン教の「シワ・ルング」を見真似て、連想した昔タイ庶民は、何かを身につけてお守りするに発展したこと。山村に拾った木をお寺へ持ってお坊さんに作って貰った。 そこで、ヒンズー教のあの「陰茎」が第一印象であったその坊さんは、単なる1本の木を丁寧に心込めて「あの人々を守る、幸せにする」という念入りでナイフで「陰茎」の形を削り作ってあげた。また再度に数時間から数日間をかけて「入霊」式を済ませて手渡した。「信じるから来た力となる」庶民たちは、奇跡まで会ったため、以来「陰茎さま」が流行り広がって現在まで続く。。。。画像は象牙で作ったもの。10センチの長さに3センチの直径で、材料と龍模様リリーフ入りがポイントで、これが数万バーツ!
Jan 18, 2007
現在、タイではこの携帯「プラッド・キック」はさらにブームとなっている。商売繁栄を願ってお店に祭っているところもある。小売りのソムタム屋、クエッティウ屋等も材料ケースに「プラッド・キック」を、食材と一緒に入れているのがよく見られる。。。「守られた」実例の話しがたびたび飛び舞うため、「プラッド・キック」製造業者(奇跡を現せるための有力な僧侶からの入霊や儀式をされていない単なる「もの」。普通商人が作ったもの)は多くできた。 そして、「守る」効果うんぬんよりも、趣味として蒐集する事が、全世界の静かなニュートレンドとなった。蒐集家には、本物、より古い時代のもの、珍しい形なもの、大きさ、細小なもの、珍しい材料で作ったもの等々でランク付けられ、差の価値が決められる。 最大専門店主は、ヨーロッパ、アラビア諸国、インドネシア、ブルーネイ等全世界から買い求めに来る客が毎日多く尋ねてきたという。数カ月前にブルーネイの王子様(現国王の弟)が国務大臣と内務大臣を供に個人的に来タイした。その目的は、金、銀、銅(純正金銀銅)の3点セットの「プラッド・キック」を数百万米ドルで買って帰ったという。趣味で蒐集のためだそうです。 外人蒐集家にとっては、「プラッド・キック」を「エロ美術品」として見る。世界中のエロ美術品の中に、どこの国にもないタイの「プラッド・キック」が人気の理由は、巧妙な技術に作られ、様々な材料だったなのです。 また、単なる観光客にお土産として作ったエロ美術品ではなく、実際にタイの人々が使ったもので、風習に関する必需用品だからです。この点では、他国のエロ美術品よりも価値があって珍しいものとなった。画像は、バンコクの骨董街リバーシティーに「プラッド・キック」専門店主と「陰茎さま」。数万点の様々な材料で作ったものが有名店。国内外蒐集家によく知られた「陰茎様専門店」。このお店の年間売り上げは8桁だと店主が囁いた。。。
Jan 18, 2007
タイ壁画は、殆どが古いお寺の本堂の内壁に描かれる。 現在、最古に残っている壁画はアユタヤ時代のお寺にあるため、お寺に壁画を描く風流は恐らくアユタヤ時代から始まった。 しかし、殆ど当時の建造物の老廃に伴い、この大事な壁画は段々と消えて行く。漆喰の上に描かれた壁画は、たいてい釈迦様の一生を表わしたものがメインとしたものが多い。 また、庶民の生活ぶりや、当時の話題的な出来事、祝い祭り、情操教育の目的で道徳や仏教の戒律等を物語る絵画等がある。 バンコクのエメラルド寺院(ワット・プラケオ)の外周内壁の壁画は、バンコク首都設立と合わせて「ラタナコーシン」王朝を始めた時に、王宮とエメラルド寺院を建てた当時の元の壁画は、現在殆ど残っていない。何度も修理されてきたからだった。最後はバンコク200周年記念のために最大な修復した際、美術局職員によって全面的に上描き直された。 (次ぎの2へつづく)↓画像は、現在のワット・プラケオの壁画。ラマヤナ物語。
Jan 17, 2007
ここの壁画はタイ文学の最も重宝とされた物語りであるインド伝来の「ラマヤナ物語り」(ヒンズー教の神話)の事です。 タイ義務教育にこの物語りは国語教科書となり、中からは詩、風習、諺等を学ぶところである。 このためにタイ人には「ラマヤナ」(=「ラマキャン」と呼ぶタイ語)が知らない人がいない。伝統芸能(古典舞踊、コーン劇(日本の能演芸に当たる)、リケー劇(庶民的な舞台劇で、日本の歌舞伎のようなもの))に、特に古典舞踊とコーン劇は、全部の演目は「ラマキャン」に決まっている。 このように、たいていの壁画は、必ずと言っていい程の事は、主になる内容とはあまり関係ないユーモアな場面が随所にあること。 伝統的な技法の他に、壁全面積の中央部や、目立たない隅の処に、ユーモアやエロ的な事を描く事が欠かせない。これは、見る人に飽きないためだそうです。画像はアユタヤ末期の古寺にある壁画のエロチックの部分。
Jan 17, 2007
和食が健康にいいということで、日本料理レストランがあり溢れるなかに、「イン・トレンド」のバンコッキャンたちはどこで食べるんだろう?。。。それとも、「おいしい」として人気になった日本料理レストランはどこだとしたんだろう。。。 バンコク市内日本レストランは約500余り軒があると、専門誌によっての調べでした。その中には最高級の本格的なレストラン、各大中小ホテル内レストラン、○○デパートやショッピングセンター内、ファミレストやチェーン店、商店街や裏道の中小料理店までを含めた。 実は、 一般庶民の大部分は未だ和食指向ではない。口に合って満足できる刺激的な味のタイ料理が一番で、その次ぎの理由は、和食が高価だといった。日常生活に高いお金で払うならば、好みな味で満足できるの方がいい。 一方、経済的な余裕がある市民では、「おふくろの味」はもちろん捨てられないながら、トレンディーとしても、健康とダイエットにも、和食がいいと言う事。この経済的なグループの人達は、週に数回から月に数回まで和食を楽しむ。 しかし、タイ人としての彼らは、日本料理専門店(本物)が集中している日本人街の「タニヤ街」(シーロム・ロード)へはあまり行かない。他エリアにある日本料理専門店、本格的な料亭等へも行かない。。。 (次ぎの2へ続く)↓画像は、「Daiichi」の寿司バー。
Jan 16, 2007
その理由は、高価的なことよりも「日本語が分からないから(好きなものを)注文しにくい」。「日本人専門店では、緊張感で難しい」との内面的な悩まされた。。。 そうした心理的な事が熟知した企業は、「高級で本格的な日本の味」と「入り易い雰囲気と、いかにロープライスなところ」を進出したブランドネームで成功した。。。そして、年々チェーン店が拡大している。 「おいしい」(OISHI)と「だいいち」(DAIICHI)が、今のタイ(バンコク)2大ブランドネーム和食レストランとして、成功した2企業。トレンディーなタイ人(バンコッキャン)に選ばれ、人気スポットとなった。 毎日の昼と夕食にはどの店も混み合う。土日祝祭日の昼には予約しなければ、1時間以上も待つことは当然との噂!2極の商戦では休日の昼を集中に「特別プラン」等を催す。 「健康で安くて満腹で美味しい」が致命的なキーワード。(キーワードの『美味しい』とは、日本の本格的な味よりもタイ人に口に合った美味しいということ) 「おいしい」がさらに本店を拡大して裕福階級顧客にチョイスを、多国籍的な料理(イタリア、中華、グリル、シーフード等)を導入しながら、日本料理をより多くて充実な150メニュー以上に改革した。面積を拡大し、新しい「おいしい」としての新名は「おいしいグランド」。 一方、ライバル的な存在の「だいいち」は「変わらない料金でより多く食べられる美味しいもの」を特別企画で挑戦にスタート。画像は、「おいしいグランド」のグリルコーナーからの一例。
Jan 16, 2007
インドシナ半島での一番大きい面積をもつベトナムの食文化は、簡単に言えばタイと中国のミックスしたものです。 タイと同じか似ている食べ物でありながら、個性的な特徴がある。また、フランスの支配下時期があったため、その上にまた、フランスの食文化にも影響された。フランスパン、フォー(フランスパンに好きなおかずを鋏んで食べる)等が日常朝食となることである。 タイでのベトナム料理は、昔、極一部の個人付き合った人にしか知らなかった。 その後、ベトナム戦争時代に数十万人の難民がタイへ逃亡した時からが始まった。 難民キャンプから次第に、タイ人との血縁でできた2、3世か、永住権を貰った人や、ベトナム系タイ人等がタイの東北地域を中心に多く定住した。 その人たちの祖国の食文化に触れたタイ人には受け入れ易いため、ベトナム料理が東北からバンコク、そして、全国へ広がった。 約20数年前の健康ブームに則ってベトナム料理が大ブレークとなり、バンコク市内だけは大中小規模のベトナム料理店が数百軒も一気に開店したという。 タイ人好みの味をアレンジしたベトナム料理になるの一番キーポイントは、刺激的な辛さとアクセントした味。 本来ベトナム料理の辛さは、マイルドな味。辛さが欲しがる客(消費者個人)には、生唐辛子を添える形にする。調理には唐辛子を潰して入れたり等はない。辛く食べない人には、添えてきた唐辛子を口に入れない限りには、ベトナム料理が辛く感じない。( これがタイ料理と同じものでも、大きな違うところ) 肉の消費量は、ベトナム人の方がタイより遥かに多い。牛肉料理が多くあります。代表的なのが、フランスパンと食べる「赤スープ煮込み牛肉」。画像は、ベトナム料理と街の市場。 (次ぎの2へ続く)。。。。↓
Jan 15, 2007
ご飯にかけるおかずやカレー類は、タイと同じものばかりだが、ベトナムの違ったところは、様々な野菜が、必ず添えてでることです。どこのお店でも無料サービスとなる。ベトナム本場の店や地方によっては、生か茹でたもの、ただの油炒めのものや、塩と炒めたもの等々。 カレーライスお店には、このような「野菜バスケット」の他に、もう一つ無料でサービスするものが、「野菜スープ」。 ベトナム人の習慣は、主食を食べた後に必ず野菜スープを頂く。 クエッテェウ(ベトナム語は「フォー」=英語の「PHOR」に近い発音)は、ベトナム料理が好きな人には必ずこの麺類が好き。 本来、「フォー」はベトナム北部地方の料理である。牛肉か、とり肉、豚肉がある。とり肉が一番人気ですが、最近の現われた新メニューがエビのフオー。ベトナムのクエッテェウは、スープはそれぞれの肉の骨から採った出汁のためが、美味しさのコツ。(牛骨、とりから、豚骨、エビ殻等) ベトナムのクエッテェウ(「フォー」)には、タイのように『調味料セット』(砂糖、ナムプラ、粉唐辛子、酢唐辛子、挽きピーナツ)がでない。しかし、小さな小皿に甘塩っぱい「ナムチム」が出される。そして、別の小皿には生唐辛子数本がともに出される。 ベトナムの「ナムチム」は、全国的にどこでも同じ味での「酸っぱくて少し甘い」。こってりした透明汁にセンきり人参が主だが、店によってはおろし大根を混ぜる。ベトナム料理の殆どがこのナムチムをつけて食べる。豚肉のソセージ「ネームヌアング」だけはこのナムチムを付けない。 お粥や雑炊はタイと同じですが、お米を炊く前に、弱火で空炒りする。このためにベトナムのお粥、雑炊のお米が薄黄色と独特な香りがある。画像は現地本場の牛肉フォー。お野菜添えは茹でたものに、レモン2切れ。
Jan 15, 2007
タイは果物の天国だと言われる。 熱帯国では一番種類が多い果物がある国なので、年中の季節果物が出回っている。 他国のものよりお味が美味しいため、全世界へ輸出される。年々増えていく一方な状態になっている。 その中に、「果物の王様」と言われるのが「ドリアン」です。 ドリアンの大きさと重さ、皮の刺での恐さ、実の味、強烈な香り等々総べてが特徴を持つ果物なので、「王様」とされた。 ドリアンの原産地はインドや大平洋の島々だが、タイの気候と土壌に合うため、一番美味しくできて収穫量も世界1となり、現在全世界へ輸出量が一番多い。 昔は、タイで植えていたドリアン種類が100数品種があった。しかし、美味しくて量的に生産ができるから、人気品種だけが残り、現在は主に4種類しか作らない。その人気順としては、モーントン、カーンヤーウ、チャニー、クラドウム。 エネルギーになる脂肪質の他、ドリアンにはまた蛋白、炭水化物と様々なミネラルが含有する。 100グラムの実に、カロリー値は、150~190で、かなりカロリーが高いものなので、あまり沢山食べると「肥りやすい」とは、かなり真実だと。 身体があったまる効果ですので、アルコール飲料と食べることは禁じる程である。実際に、そのために亡くなる人が少なくない! 高血圧や糖尿病の人には、ドリアンを避けた方がいい。 数年前から国内外観光客に人気になった「果樹園体験ツアー」。タイの東側の果物産地各県は、毎年のシーズンに観光客で賑わい。各農園は設ける「果物食べ放題、収穫体験」は充実で魅力的になった。 一番多い果物の種類が出回っている時は、4月から7月まで。(マンゴ、ドリアン、マンゴスチーン、ミカン(マンダリンオレンジ)、ランブタン(ルーッゴ)、スターフルーツ、ロンゴン、グワーワー等々)バナナ、パイン、ココナツ、パパイヤ、サトウキビは年中出回っている。モーントン(ドリアン)は産地によっての収穫と技術で年中売っている。。 以下6番までは、ドリアンの花のつぼみから結実までの画像です。。。
Jan 14, 2007
ドリアンの花は、意外と見たことがないタイ人でも多い。ドリアン果樹農家でなければならないかも知れない。 これが、つぼみの形で、薄緑の花びらが段々と白くなってから咲く。
Jan 14, 2007
花が横枝から1ケ所に十数本の花の小枝がたわわになり、下向きでぶら下がる形。
Jan 14, 2007
ズームして近く見えるのがこのように咲いているドリアンの花。純白で優しい感じな花。 いい香りで綺麗な花びらだが、普通の花よりかなり厚くて硬い。
Jan 14, 2007
花が散ると次ぎの段階は、このようになる。。。 若いドリアンの実。まだ、真ん丸で可愛い。キーウィ-フルーツの皮と同じ色。 暫くなると、一番大きくて形がいいだけを残して撤果する。
Jan 14, 2007
最後は、このように大きくて重い、刺がいっぱい果物になる。。。(画像は「モ-ントン」種類) この成長した果物の王様は、あまり完熟して木から落ちるころには、ドリアンの木の下で歩くのは危険ですので、果樹農家は、できる限りその時期前に収穫してしまう。 ドリアン園に勝手に入った他所から知らない人は、たまたまドリアンが落ちて脳天に真当たって即死という話しがあった。(以前聞いた事があった) 農家にこの話しを確認してみた。昔は実際にあったが、現在は農家が良く知ってて早めに収穫するためあり得ないこととなった。。。
Jan 14, 2007
日本人友達夫婦に聞かれたことで、今タイへ2~3週間旅行には安全でしょうか?。。 年末大晦日の夕方に連続爆弾テロ事件のニューズに気になったそうです。チケットや宿泊等は自分達ですでに手配済みなので、キャンセルしようかと迷うところ。 ご主人は現地のタイ人友達に問い合わせしたその返事は、「マイペンライ」、「ただの、旧タクシン政権の嫌がらせ」、「日常の安全な生活や活動は平常で、タイ人誰1人も気にする人はいないよ」等々。聞けば聞く程心配が増すばかり! 一般的にタイ人は元来の人の良で、楽観的な性格をもつ。「マイペンライ、忘れてしまいましょう。。。」という諺はあるなのだが、危険を無視や、公私を区別が分からないまでの風習になるとは、外人に理解しにくい。のんびりで無責任と思われることはしかたがない。 全国の重要な公共機関、施設等が厳重体制警備を実施しているとはいえ、街で人が多いショッピングセンター、公共交通地点等はそんな気配はない。 このために、 1)テロを防ぐ万全対策はないが、このような事態にはなるべく単独行動は止めた方がいい。(団体やグループを参加しない個人観光客が多い現在) 2)現地での旅行会社のオプショナルツアー等と行動することが、自分を守ることの基本だと言える。 3)信用できる現地でのタイ語が話せるガイドか、タイ人の日本語が通じるガイドを一緒に行動すること。 4)自分で航空券やホテルの手配した個人旅行の場合、万が一の時に自分を探してくれる旅行会社がいないので、携帯電話をレンタルする等連絡手段を確保するのも考えるべき。(成田空港の出発ロビーにレンタル携帯サービスがある) 5)緊急連絡のため、タイにおける日本大使館、領事館、バンコク日本人会、大手旅行会社等の連絡電話番号を持って出発すること。 *****どんなことがあろうとも、タイ人は「お客さま」を待っている気持ちは変わらない。。。***** 画像は、新年を迎えるバンコクの新顔「スワンナプーム」空港と花火のある夜景。
Jan 11, 2007
パッタイが知らないとは、まだタイ料理が知らないだと言えるかも知れない。すでに世界トップランクされた「トムヤムクン」に肩並び存在するパッタイは、簡単で美味しいし、どこでも食べられるから、海外でもよく知らされている。 今年「お初」タイディッシュは、これを選びました。格があって美しい容器にいれると、パッタイ・カイホーは本当に「迎春」ふさわしい。 (人によっては「パッタイ・ホーカイ」とも呼ぶ) 「カイホー」=卵包み(「カイ」も、「ホ-」も、タイ語の第2声調(低平調)の発音ですけれども、ホ-は「Oー」の発音よりも「ORー」にしないと、カイホ-(0ーの発音)は、「鶏が鳴く頃の未明」の意味で、なんと、「未明のパッタイ」!は、タイ人がびっくりして、爆笑する。 材料: 車海老 2尾(頭と尻尾を残して、邪魔の足やヒゲを切り、皮剥いておく) センレックかセンチャン 60グラム(約15分間水にひやしておく) 卵 2 個、 ピーナツ(フライパンで空炒って粗潰す)4小さじ 干しえびを揚げて 4小さじ 甘い沢庵 みじんきり 1大さじ 生モヤシ 一つまみ(下を切っておく) 韮 3本、適当な長さで切る 焼き豆腐1個(約1センチサイコロ状に切る) 赤玉葱(みじんきり)2小さじ タマリン汁 1大さじ、 ナムプラ 4小さじ 砂糖 2大さじ、 レモン汁 1大さじ パクチ-、赤唐辛子センきり、レモン4当分切り、韮、生モヤシ。
Jan 8, 2007
作り: 1)まずは卵をボールに解し掻き混ぜてから、よく熱したフライパンに少量の油を入れ、フライパン全面に卵をスプーンやフォーク等で、繰り返し少しずつ線状に流し一枚の編み状をつくる。出来上がるとお皿に広げておく。 2)海老は真直ぐになるため、串を尻尾から頭までさして、味つけに少しナムプラをかけてから、熱した油のフライパンに揚げて、色が変わったらすぐ上がって串を抜き、置く。 3)油2大さじをフライパンに入れ、熱くなったら赤玉葱、タクアン、焼き豆腐を入れて炒める。 4)3)にセンレックと出し汁2大さじを入れて炒める。麺が柔らかくなるとナムプラ、砂糖、タマリン汁を入れて全体をかき混ぜながら炒める。麺が少し乾いてきたら、残り卵を入れて、麺を上に被せてモヤシ、韮、揚げ干しえび、ピーナツ、レモン汁を入れて全体をよく掻き混ぜてできあがる。 5)1)のお皿に(編み状の卵の上に)4)を載せて、綺麗に四角く包み込む。パクチ-、センきり赤唐辛子を上に飾り、生野菜と揚げた海老を添えて完成。お好みで砂糖や粉唐辛子、素唐辛子、粗引きピーナツ等を添えてもいい。 ****センレック、センチャンが入手出来なければ、ビ粉か崩れない春雨を代用してもいい。****美味しいパッタイは、麺がちょうどの柔らかさ、硬過ぎないし、味がよく滲んで炒めたもの。****ニンニクは、お好みでみじんきりニンニクを最初から入れても結構です。
Jan 8, 2007
タイ語の特徴の一つは声調(トーン)を持つ事で、頭子音に韻をつけて音節になるが、単なる「音」であって「語」ではない。 さらに声調が加わって始めて意味を持った「語」になる。これが、タイ語を習う外国人にとっては一番厄介な事である。 日本語や英語のアクセントとは根本的に違うからだ。 聞き慣れないと区別しにくいタイ語の声調は、5段階の高低がある。これで声調を一つ間違えば大変なことになる。言葉の意味が全然違うわけです。同じタイ人でもバンコクの標準語の人は、東北や南の方言を聞くと時々勘違いこともあった。。。 声調は各音節の発音は、決まった型の音楽的高さの推移の他に、力学的強さの推移と、時間的長さよりなることがある。厄介なのは音楽的な高低の音調の推移である。 この音楽的な高低さは、個人によって異なっても別に問題がない(独特な発音の地域の方言は別として)。普段、話しをするときは中間の高さで話す。これが話音域である。 話音域は5段階で分ければ、平らに発音のが第一声調(中平調)、高さを低く抑えて平らに発音するのが第二声調(低平調)、上から下へ落とすように発音するのが第三声調(下降調)、第四声調は下から上へ上昇する発音で、第五声調は四声調よりぐ~っと上がっていくように発音する(上昇調)。 最も楽な発音のが平らな発音の第一声調であって、最も苦労のが第四声調である。画像は、バンコク王宮内の「プッタイ・サワン・ティッパヤアーッ」ホールの内壁画。日本浮世絵の美人画に似ることは不思議だった。。
Jan 7, 2007
多音節の単語で頻用される語は、相手が誤解や吃驚させた間違い声調を発音したタイ語をしゃべる外人の事例がしばしばある。 例: マ-(中平調)=来る マ-(高平調)=馬 マ-(上昇調)=犬 グライ(中平調)=遠い、(クライ=誰) グライ(下降調)=近い マイ(高平調)=木、木材 マイ(低平調)=新しい マイ(五上昇調)=絹、質問の尾語 「スアイ」(=美しい)を第五声調(五上昇調)の変わりに楽な第一声調(中平調)に発音してしまった事で、(=不幸)となった意味で本当に不幸の中の不幸だ! 「グライ」(=近い)の第三声調を、第一声調(中平調)には「遠い」の意味となってしまう。。 さて、「馬が来て、犬が来ない」という事は、タイ語の「マーマー、マーマイマー」を発音してみて下さい。 (馬は第四声調、来るは第一の中平調、犬は第五声調、「マイ」は第三声調(=否定)) もう一度、「卵を売るは誰?」=「クライ・カーイ・カイガイ」。。。。 (クライ=誰<第一声調>、カーイ=売る<第五声調>、カイガイ=鶏の卵<第に声調>) いかがでしたか? タイ語発音の声調に負けないで。。。
Jan 7, 2007
一周期十二支の最後にやってきた「豚チャン」に当たる今年、タイでは「金豚」(キントン!)フィーバーで年を始まった。。。 年々重ねて12カ年で一周と数える風習は、数千年も前からアジア全域にあった。中国で発掘した陶器類や瓦等に十二支のモチーフが最も古い。一方、インドの古代遺物にも十二支の模様が見られる。 アジアの仏教国であればどの国にも「十二支」がある。キリスト教やイスラム教圏では、十二支が知らないか、無興味である。多宗教が混在するマレーシアは、仏教信仰の中国系は十二支を信じるが、イスラムや、キリスト教信徒にとっては「ナンセンス」なのです。 島国のインドネシア、フィリピン、ブルネイ等は、島の原住民独自文化に、大陸から仏教文化の影響されなければ、十二支が知らない変わりに、後からやってくるキリスト教やイスラム教が主流となったためキリストやイスラム文化の色が濃い。 タイでの「猪」年を「豚」年です。また、大昔の「ランナー王国」(現在はチェンマイ県圏)は、「豚年」ではなく「象年」だそうです! 「猪と豚は違いではない」と考えるタイ人は、元々は猪を捕獲し家畜とし、それを食用に改良し続けてきたのが豚となったなのだという事。 大晦日に起きた「同時爆弾テロ事件」は、1)「トンチャン」が持って来たなのか、2)悪戯の「戌」が思い出に残したなのかが、庶民の(忘年会の)飲み会にクダラナイ論争になった。。。画像は、タイ製豚チャンの貯金箱。模様は泥んこになった悪戯豚ちゃん。。。
Jan 5, 2007
タイ人は占いが好き民族だと言っても可笑しくなさそう。。。 毎年の年頭には、必ず自分の新年度の運を情報誌から見るタイ人気質で、新聞や雑誌等は年末号か新年号は普段より売り上げが数倍も上がる!その原因は個人運から、国の運、職種の運等々が「占い師」の書いたページで「特集」や、「保存版」が増ページがあるからだ。 タイ国の生まれ年は「寅」年だ!(バンコク王朝はラマ1世王によって始められた時、「国の大黒柱」を納める式が行われた年である事から) 今年、トンチャンでの「タイ国」運について、人気で権威占い師が殆ど揃って言う事は。。。 『豚が裕福のシンボル(丸い形からのイメージ)だが、元は猪なので「荒い」習性をもつ』だと言う事で、全体像は、『今年のタイは、勢い発展するが一方、国民の中に二局での意見食い違いからくる争いがまだまだ続く。爆弾事件は外資系に大きな影響を与え、戸惑わせられる「豚チャン」。(農業)豊作で輸出が大成功で経済を大きな支えながら、自然災害が多い年、国民に奇病が発生し流行り騒動が起きそう、国民の重要人物が失う模様。。。』だっていう事!画像は、同じタイ製の貯金箱。タイ独特な模様が個性的でお土産には最高かも知れない。幸運呼びながら、お金が溜まりそう。。。
Jan 5, 2007
十二支にやってくるそれぞれの年には、人間の生まれ年と相性がよい、悪い事があるらしい。。。 「デイリーニューズ」新聞等の人気占いページに名占い師が書いたもの一部を、ここに紹介してみたいと思います。 まず、十二支の順を並べるから始まる。 子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥。 相性がいい年のグループは、 子+辰+申、丑+巳+酉、寅+午+戌、卯+未+亥。(3年おきで4年目) 各グループに生まれた年同志の人は相性がいいし、協力すれば成功になる、同情で助け合いたい等々。 ウサギ年と羊年の人は、今年の「トンチャン」に相性がいいので、最高ないい開運の年となる。。。 違いになる年(相性が悪い)のグルーップは、 亥x巳、 子x午、 丑x未、寅x申、 卯x酉、辰x戌。(5年おきで6年目) この他にまたそれぞれ生まれ年に相性がいい、悪い月と曜日がある!数字にもある!(切りがないからここで省こう!)画像は、中国製の金きら金置き物。日本の3猿の変わりに、聞かず、言わず、見ず3豚チャン(その隣に「何もせず!」にっこりする豚チャン)
Jan 5, 2007
また、お土産に大喜ぶ今の流行る縁起もの「豚チャン」キャラは街に溢れる。街中各デパート、特にヤワラード中華街はトンチャンオブジェ-一色! 置き物は中国輸入金銀の豚チャンが一番。去年から引き続きヒットなった日本マンガのモノクロブタちゃんキャラクター、豚チャン顔のキーホールダ-、携帯のストライプ、貯金箱、日本の東照宮の「三猿」は「見ず聞かず言わず三トン」となってしまった置き物等々。。 そして、「初詣」は豚チャンお参り! あるとは思わない豚の神様が!バンコク郊外から約2時間のナコンパトム県にある「ウボンランシーチュラマニ-財団」(タイ、中国、チベ-ットの十二支の縁起もの展示資料館)に祭っている。画像は、ナコンパトム県にある「豚の神さま」。中国伝来神さまの一つ。
Jan 5, 2007
初詣のもう1ケ所は、バンコク市内に昔からあった「豚像」に違いない。 この豚像は、ラマ5世王の王妃さまは、50才の誕生日記念に、生まれ年の「豚」銅像が欲しかった事を知り、同年生まれ側近者が造って献上したもの。 トンチャン像は銅で造られ、高さ58センチ、幅80センチで石の上に立った。 灰色のサンドストーンの台に、王妃への祝辞とお名前が刻まれた。市民の福祉を願い、通る庶民に「飲み水台」となるため、その下に水道の蛇口が造られた。 以後頻繁に壊れたから蛇口が外され、たんなる記念像となり現在まで至る。 そして、今年の幸運を呼ぶ食べ物は、やっぱり「豚」がキーワードとなるもの。 「ム-クラタ・ビュッフェ」(韓国焼肉をタイがリアレンジしたもの)が最も人気。 日本の力士が引退して起業した「ちゃんこ鍋専門」のように、タイならではのボクサーが、「ム-クラタ・ビュッフェ」専門店を開業した。ボクサーがこの業界に成功した事は始めての例として、次から次ぎへと後輩のボクサーたちは真似て次第に全国的に広まった。現在は6軒あってどれでも人気なお店ばかりなっている。。 タイ人にとっては、韓国の焼肉よりも、この「ム-クラタ」の方が口に合って美味しい。。。 一方、日本在住タイ人にはは?。。。 強いて今年の縁起食べ物だったら、恐らく「トンカツ」、「豚汁」、「豚コツラーメン」、「シャシューメン」、「豚角煮」、「ショウガ焼き」、「酢豚」、「ポ-クソルテ」だろうか?
Jan 5, 2007
昨日の夕方、バンコク市民は例年の大晦日のカウントダウンを楽しむどころか、悲惨な同時爆弾事件に会った。 人ごみ集中街6箇所がほぼ同時に現時爆弾が爆発し少なくとも15名が悲傷し、2名死亡、2名重傷者を出した。 一番最初爆発したのが戦勝記念塔近くのバス停留所、その次はほぼ同じ時間でクロング・トイ市場入り口、そして、サパンクワイの交通警察の交番、4個目はスクンヴィット・ソイ62、5個目はシーコン・スクエア・デパ-トの駐車場、6個目はノンタブリ県の交番。 夕方6時の国歌が街に流れる時間を合わせて、修了したその瞬間に全6箇所が一斉に爆発した。 カウントダウンイベントに最も参加者が多いショッピングセンター「セントラル・ワールド」では、ゴミ箱に隠された爆弾が時限前、偶然に掃除員に見つけたため、店長は緊急客非難を全館報道して、爆弾を排除ができ、被害を逃れた。 その後、市内の他のデパートが殆ど早めに閉店し、予定した様々なイベントは全面中止となった。 サナムルアング(エメラルド寺院前広場)とプーカウトング(ワット・サケーッ寺)では、 バンコク都庁主催で最大なカウントダウンイベントも緊急中止した。 政府関係のある情報源の個人的な見解では、今回のテロ事件を起こしたのは、南のイスラム過激派には関係ないだろうが、タクシン元首相のバックアップする軍人たちの方は怪しい。 政府の正式な報道官は、今のところは、原因と犯人、バックアップした団体等が判定できないと発表した。 国安対策局は軍部と警察を協力体制で全国の重要な処を厳戒体制をとっている。チェンマイ、パタヤ、レームチャバング、プケット、スワンナプーム空港等の軍部関係施設や空港、港は既に安全対策を構えた。画像は、クロング・トイ市場の入り口に、警察が現場検証している。
Jan 1, 2007
元々年賀状は200年余り(18世紀)に、ヨーロッパが使い始めた。 カード状(トランプの大きさ)の一枚紙に祝辞を記して訪問先の家へ渡す「ビジティング・カード」(Visiting Card)だった。 カードをこのような形で使った事は段々と広がり、綺麗なクラシック模様等が縁に印刷した物で市販にでた。 クリスマス後の寒い時期が長いヨーロッパ庶民は、お互いへ訪問して談話を楽しむ事はお正月の過ごした。次第に詩やロマンスな語句、写真等のカードが多様化となり、クリスマス、バレンタインへと広がり現在のようになった。
Dec 31, 2006
約120年前(ラマ4世王時代)、キリスト宣教活動のためにタイへ入ったアメリカ人医師博士「DR. DAN BACH BRADLEY、M.D.」(タイ人通称「ブラッドレー医師」)は、西暦1837年にタイ活字を考案して、その5年後タイ始めてのカレンダーを発行した。 キリスト信仰導きが目的で宣教活動をしながら医師として当時のバンコク市民を治療した。画像は、ブラッドレー博士。
Dec 31, 2006
ブラッドレー師はまた、タイ語版と英語版の新聞「THE BANGKOK RECORDER」を発行した。 その英語版に、「ラマ4世王は、各国の領事館と職員、お知り合い外国人の方々へ「祝辞カード」を送られた」との記事があった。 この文献によって、タイで一番始めた「年賀状」は、約120年前にラマ4世王によって使われた。。。(画像は、当時のタイ語版「THE BANGKOK RECORDER」情報誌、バックには英語版)
Dec 31, 2006
現在の国立資料館に、数百枚のラマ5世王時代の「年賀状」が見られる。 種別としては4様があり、その一つは、現在の名刺の大きさぐらいに手書きや印刷で、 次ぎは外来の印刷カードで重ね折りたたみ式や、観音ビラ等の形、 3つめは普通の紙に祝辞を書いて著名する。この種は当時の高級公務員が国王へ送る祝辞カードが一番多い。 最後は写真のネガで画像用紙に焼き、その上に手書きするもの。 当初タイでは年賀状を送るのは、(タイのお正月が国際式と合わせるまで)4月の始まるか3月下旬頃からです。 「ソーコーソー」(=ソンクァム・スック=幸せを送る)という頭文字を使って現代まで定着し、年賀状の「決まり文句」となったのが、ラマ5世王時代に始まった。 この訳で「年賀状」を「ソーコーソー」と言う事になった。 「新年 あけまして おめでとう ございます」を、タイでは「サワッディーピーマイ」。年賀状に書くことも、新年挨拶も、この決まり言葉を言う。 画像は、バンコクでニューイヤーのライトアップ風景。 電気版の右下に黄色文字は「サワッディーピーマイ 2550年」
Dec 31, 2006
後1日だけで年号が変わりますね。西暦2007年を、否応とも関係なく迎えなければならない。 タイでは現在仏歴が一般的に用いられている。正式とされる官文書にはタイ仏歴だけが認められる。 仏歴(=ポーソー)とは、仏陀がネハンに入った年を元年とされる。 しかしながら、実際にBC何年に当たるかは、いろんな説(見方)がある。昔タイは、その年(己)の6月の15日(ネハン当日)の月曜日として数え方(陰暦)を、アユタヤ時代までしていた。しかし、バンコク王朝に入って、ネハンの年を0年とし、翌年を元年とすることに改めたから、アユタヤ時代の数え方と1年の差ができた。 歴史に出来事を、年号に表わす記録に最も使われてきたのが「チュンラサッカラーット」(=小歴で、ビルマ歴、仏歴をマイナス1181)であり、4月から始まる。また、この年号を昔の編年史等に用いるには、必ず十二支と末尾年を表わす言葉を添える。(小歴を12で割って余りによって「0」は戌、1=亥、2=子、3=丑、4=寅、5=卯、6=辰、7=己、8=午、9=未、10=申、11=酉年となり、それぞれを呼び号で現わす)例えば、小歴1234年を、タイ語に記するは「サッカラート、1234ピ-マロング、チャッタワソック」となる。(=1234年、辰の年、末尾4の年) バンコク王朝歴(ローソ-)が公式に使用されたのはラマ5世王時の2432年に、遡ってラマ1世王時から1年を「ローソ-1」と数え、当時は108年にあたる。それは僅かの24年間だけで、2455年(ローソ-131年)にラマ6世王によって、改めて太陽歴に合わせた。 故に仏歴が始めて公式に用いられたことは、ラマ6世王時の仏歴2455年2月23日(大正元年)からである。しかし、まだタイ式での仏歴の元日は太陽歴の4月に始まり3月に終わっていたので不便があったことに、2483年(昭和15年)は4月~12月の9ケ月のみとし、2484年からは太陽歴の1月~12月に合わせた。アジア地域の仏教国同志のスリランカ、ビルマは仏陀がネハンに入った時から数えて、タイでは1年経ってから数えるので1年の差となった。 仏歴を西暦へ変換するには、仏歴を-543=西暦。(例:2549-543=2006)
Dec 30, 2006
去年(2548)の12月末に、全国民へ送られたプーミポン国王の年賀状。 左上は3行にタイ語で書かれた。この3行の言葉は、年賀状に決定的な語である。 一番上は「ソ-コ-ソ-」(頭文字)=「ソンクゥアム・スック」(=幸せと送る) 二行目は「ポーソ-2549」(頭文字)=「プッタ・サッカ・ラーッ2549」(=仏歴2549年) 三行目は「サワッディーピーマイ」=新年おめでとうございます 下中央は「コ-チョング・ミークゥアム・スック・クゥアム・チャロン」=幸せと繁栄でありますように。 二行目は英語の「ハッピーニューイェアー」。 国王と愛犬「クン・トング・デェング」で、特に年賀状の為に王宮内のグラウンドで撮影された。 縁のデザインは、人の笑顔(全数696個)
Dec 30, 2006
今、バンコクで秘かにブームになっている事がある。。。 トップスターコンサートよりも、どんなイベントよりも、今、バンコク市民が好んで行くのは「モータ-ショー」です。 去る11月29日に開催された今年の最後で最大の盛り上がった「MOTOR EXPO 2006」は、男子客が多かった。 車が好きで行くのは別として、多くの男性客は「車の側にいる美人」を見に行く! カメラ持参は常識となり、車の写真を撮るではなく、その「プリッティーガール」たちが狙いだ。 「プリッティーガール」としてアルバイトする女子大生に大人気。楽な仕事だし、短時間で収入が高い。 また、人気で知らされる人になると、業界各社から次ぎのイベントへの予約が圧倒的だ。バイト賃金は自由自在にアッピールすることもできる! ある観客は、「ビューティーコンテストよりも、プリッティーガールの方が綺麗し、近く寄ってスナップもできるし、無料入場だし、最高だ!」と。。。 元気になるイベントを参加するならば、どこのイベントよりも、プリッティーガールを会いに行った方がいいかも知れないね。 さて、来年のモーターショーは? お早めにブックマークしておかなくちゃ。。
Dec 29, 2006
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