全30件 (30件中 1-30件目)
1
先日の日曜日、寝屋川第二野球場で練習試合がありました。心配された寒さも太陽が出ていてそこそこ暖かく、今日はマシでした。 相手は大阪ドリームスさん、ガゼルスは9人ギリギリでしたが、私はいつものサードで出場でした。 ガゼルスは初回にY30さんの内野ゴロのあいだに久しぶりの得点をあげ、続く2回にも相手守備陣の乱れを突いて、一挙4点をあげるなど幸先良いスタートを切りました。 ガゼルスの先発はT26さんで、相手打線に打たれながらも要所を抑えていきましたが、中盤以降少しづつ点を返されて5回にはとうとう同点にされてしまいました。 しかし6回にヒットと相手エラーも重なって3点を上げて突き放しました。しかし、最終回に連続ヒットなどで二死満塁。最後の打者は私のところへゴロが飛んできましたが、落ち着いてアウトにしまして8-6で勝ち、今年入っての初勝利となりました。 私は二打席目にライト前にポテンヒットを打ち、今年初ヒットを記録しました。1本出ればちょっと安心かなぁ・・・。【今日の成績】 1打席目 遊ゴロ 2打席目 右ヒット 3打席目 四球 4打席目 投ゴロ 5打数1安打1打点0三振1四死球 打率 .200
2012年01月31日
コメント(2)
昨年仕事で行った福島で、飯坂温泉へ行った話は前にここで紹介しましたが、その際に利用した福島交通の桜水駅から歩いて10分足らずの所においしいおそばのお店があるとの情報をネットで得ましたので行ってきました。 他にも福島にはおいしいお店があるのでしょうけど、時間の都合上ここへ行くことにしました。 ちなみに、わたしは讃岐うどんの時もそうですが、「なるべく公共交通機関を使って行くことが出来る範囲でおいしそうなところを探す」ことをモットーにしておりまして、それであれば車が無くても、あるいはお店に駐車場が無くても大丈夫ですからね。 今回行った遊里庵(ゆうりあん)には駐車場があるようでしたが、駅から10分足らずで行くことができましたし、交通量の多い道から一本入ったところにありますので割と分かりやすかったです。歩いて探すのも楽しいものですが、車だと知らないところで道が狭かったりすると焦りますからね。 さて、お店の外観はなかなか雰囲気がよくて、入ってみるとカウンター形式と座敷、テーブル席がありましたが、そんなに大きくはありません。早速メニューをみて、「牡丹もりそば」を注文しました。数に限定があるようですが、この日はまだ残っていました。 そして出てきたのが、これです・・・。 白っぽいそばですね。 このそばは北海道産の「牡丹種」というものを使っているようで、つなぎ等を使わない十割そば(そば粉と天然水だけで打つ)だそうです。やや細目のそばでしたが、喉ごしがよかったですよ。 そばつゆかつお節や昆布をベースにしており、も辛すぎず甘すぎずという感じで、そばと合っていました。 薬味(向かって右のムラサキのもの)も「辛いかも知れませんよ」って言われたのですが、福井のおろしそばで慣れている私にとっては辛いけど勘弁してくれ~っていうほどではなく、ほどよい辛さでした。 デザートの「そば寒天」もなかなかおいしかったです。ちょっと甘めだけど、これはこれでいいなぁと思いました。 ところで、他のお客さんの様子をみてみると、天ぷらを注文されている方が多かったです。そうか、天ぷらもおいしいのか・・・。ということで、また行く機会があれば、天ぷらも注文してみたいと思います。
2012年01月30日
コメント(4)
先日、姫路に出張した際に姫新線で活躍しているキハ40を見つけました。姫新線は少し前から新しいディーゼルカーのキハ122、キハ127が活躍していますが、写真のキハ40も残っていまして、中でも写真のキハ40 2091号は2006年に兵庫県でおこなわれたのじぎく国体の時のマスコットキャラクターの「はばタン」がラッピングされた車両となっています。 国体自体はもう6年前の開催になりますけど、そのデザインがよかったのか2007年から兵庫県のマスコットとして活動しているとのこと。だから、最近各地で人気のゆるキャラのなかでご覧になったことがあるかもしれませんね。 ちなみに、はばタンのプロフィールなどは、兵庫県のHPに載っておりますのでどうぞごらんください。 さて、このはばタンのラッピングが施されたキハ40は主に姫新線での運転となりますし、前出のとおり他の新しい車両が主力ですから見つけるのは難しいかもしれませんけど、かわいいはばタンの表情をみてください。
2012年01月29日
コメント(2)
私のデリカSWは新車以来の走行距離が164千キロを超えました。大したトラブルもなく、今日も元気に動いています。消耗部品は少しづつ交換しておりますが、今回はタイヤを交換しました。前回は2006年9月に109千キロの頃に交換していますので、約5年ぶりの交換となりました。 交換直前のタイヤです。約5年あまりよく働いてくれました。このタイヤで北海道へも行ったし、広島や愛媛、高松など約5万5千キロも走り続けました。すっかり溝も浅くなって、雨の日はちょっと怖くなってきましたので、いいタイミングだったかもしれません。 今回もこれまでと同じく、ブリヂストンのDUELER A/T(215 80R15)にしました。このタイヤは少し固めでロードノイズもやや大きめなのですが、個人的には気に入っています。 ところで、私は前に乗っていたデリカSW、その前に乗っていたギャラン、さらにその前に乗っていた中古のカリーナもタイヤはずっとダンロップでしたが、このデリカSWからブリヂズトンにしています。 5年前と比べてタイヤの値段がやや値上がりして高くついてしまいましたが、タイヤだけはあまりケチりたくないですからね。なんとかまた5年は持たせたいと思います。
2012年01月28日
コメント(2)
政府は27日午前、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故への対応に当たった15会議体を調査した結果、原子力災害対策本部(本部長・首相)など10の会議が議事録を作成していなかったことを公表した。このうち3会議は、議事概要すら未作成だった。野党は政府対応に批判を強めており、国会論戦の新たな焦点に浮上してきた。 議事録も議事概要も作っていなかったのは、同本部と緊急災害対策本部、被災者生活支援チーム。政府・東電統合対策室や官邸緊急参集チームなどは議事録を未作成だった。 調査結果を受け、公文書管理を担当している岡田克也副総理は同日午前の閣僚懇談会で、2月中をめどに、議事概要を事後的に作成するよう関係閣僚に指示。また全ての閣僚に、公文書管理法に基づき文書管理の徹底も求めた。この後、岡田氏は関係者の処分について記者団に「(未作成の経緯などを)議論するので、その結果次第だ」と述べた。【時事通信ネット版から引用】 会議で議事録をつくらない会議ってある? 重要な会議であればあるほど議事録って必ずつくるでしょ。どういう話がでたのか、どういう結論になったのか、これがなければわからないでしょ。 例えば、あなたが会議に出られてその内容を上司に報告するとき、配布資料だけ回覧しますか? せめてどんな内容の会議だったかを簡単にでもまとめませんか? にもかかわらず、前代未聞の原発事故なのに議事録をつくっていないだなんて、ありえませんよ。 役人といえどもきちんと議事録を作っているはずだから、何らかの横槍が入ったんじゃないかって思うんですけどね。つまり、前代未聞の原発事故であり、下手に詳細な議事録を残されたら、「あの時、この人がこう言って指示した」なんて言われるのが嫌だからあえてつくらなかった、あるいは作るなと指示したんじゃないかって思うんです。なにしろ、「国民を欺くのことと自己保身にかけては定評のある詐欺政党のことですからね。 だから、本文にあった会議ではとんでもない内容が報告されていたんじゃないかって思ったりします。すでに原発が想像を絶するような状況になっているにもかかわらず、これを表にしてしまうと政権のみならず党そのものが吹き飛んでしまうと思って、あえてそのような情報を外に出さないようにするために、議事録をつくらなかったのではないかと。 そういうことだから、あの日のブタエダノの会見において引きつった顔で「直ちに健康に影響はない」って答えたのか。加えて、その後福島を訪問したブタエダノ、フルアーマーにもかかわらずたった5分しか外にでなかったのか・・・。 不思議と辻褄があうなぁ~ そうなると、「よっぽど議事録がつくられるとやばい内容を議論していた」ってみなしてOK? 詐欺政党のことだから今更こんなことが起きても驚きはしないけど、こんなことだから良識ある有権者には信用されないし、いくら消費税増税などの話を持ち出しても野党は協議に応じないということがわからんのかな。 野党時代に「とりあえずなんでも反対」しかしてこなかったし、「いかに有権者にバラ色の未来を語って欺くか」しか考えてなかったから、いざ困難な事案に直面しても自己保身しか考えつかないんだろ? ホント、早く解散総選挙でこいつらまとめて「タダの人」にしてしまいたいです。
2012年01月27日
コメント(2)
野田佳彦首相は26日の衆院本会議で始まった各党代表質問で、消費増税が09年衆院選の民主党マニフェストに違反するとの批判に「衆院議員任期中に消費税率の引き上げは行わない。従って公約違反ではない」と反論した。「やり抜くべきことをやり抜いたうえで国民の判断を仰ぎたい」と早期の衆院解散・総選挙には否定的な考えを改めて表明。自民党の谷垣禎一総裁に「改革の方向性、考え方に大きな違いはなく、ぜひ協議に応じてほしい」と与野党協議への参加を要請した。 谷垣氏は消費増税を柱とする税と社会保障の一体改革について「マニフェスト違反は明らかだ。民主党政権に(消費増税法案)提出の権限は与えられていない」として、衆院解散・総選挙で国民に信を問うよう迫った。首相は「一体改革も(自公連立の)前政権から引き継ぎ、避けては通れない与野党共通の課題として実現を目指している」と強調。「政策の是非については次の選挙で国民に判断いただく」と消費増税を争点とする解散の可能性にも言及した。 公明党が与野党協議に応じる条件として提示を求めている年金制度の抜本改革案について首相は「民主党での議論を踏まえ、政府としても具体的な給付と負担など必要な検討をしたい」と前向きな考えを示した。抜本改革によってさらに消費増税が必要となるかどうかは「新しい制度への切り替えには相当長期の移行期間が必要で、(10%に引き上げる)2015年度の段階で大きな追加財源が必要になるものではない」と述べるにとどめた。 玄葉光一郎外相が外交演説で竹島問題に言及したことに関連し、韓国政府の撤回要求に対し首相は「撤回を受け入れることができないと(韓国側に)明確にした」と強調。東京電力福島第1原発事故を受け政府が設置した原子力災害対策本部の議事録が作成されていなかった問題については「事実であり、誠に遺憾だ」と述べた。【毎日新聞ネット版から引用】 「衆院議員任期中に消費税率の引き上げは行わない」。だから公約違反ではないって言っているどぜう、ホンマにそうやったかどうかハトヤマとかいうルーピー野郎に聞いてみ。 「経済が厳しいときに何で消費税の議論をするんだ」「この4年の間に消費税を上げる議論をする必要はない」 こんなことを言っているんだけどね。現在なんかあの選挙当時よりも経済が厳しい状況なんだけど、なんでいつの間にか消費税増税の話なんて出てくるんだ? これを公約違反と言わずしてなんというのか? しかも、 「衆院議員任期中に消費税率の引き上げは行わない。従って公約違反ではない」 「やり抜くべきことをやり抜いたうえで国民の判断を仰ぎたい」って、次の衆議院選挙で良識ある有権者の皆さんが「民主党」って書いてくれるとでもまだ思ってる? かなりおめでたいヤツか真正の馬鹿ですね。民主党が政権取ってから何か日本国民のためになるようなことをしたか? 沖縄の基地問題をこじれさせ、原発事故を収束できずむしろ拡散させ、媚韓・媚中の数々・・・。ろくでもないことばかりやんか。 ただ、対する自民党もどうなんよ。かつての民主党みたいにとりあえず反対しとけばいいと思っていないかな。まぁ、とりあえずは詐欺政党を引きずりおろしてほしいけど・・・。 大阪維新の会が国政に打って出るとかなんとか言われていますが、ハシモトや大阪維新の会は外国人参政権に賛成なんでしょ。結局は民主党と一緒じゃん。 そう考えると、もし解散総選挙となっても選択肢がないんだよなぁ。ホント困るんですよ。以前このブログでも紹介しましたが、ある作家の先生がろくでもない選挙候補者を見て『食べたくもない料理を出されて、「さぁ食べろ」って言われている』旨をことをコメントされておられましたが、まさしくそうなんですよ。 本当の意味で、日本をしっかり守れる人。議員定数も歳費も大幅カットして行政のムダも大幅にカット! そんなことをしてくれる人っておらんわな~ あ~あ・・・
2012年01月26日
コメント(4)
今年限定で16年ぶりに再結成される女性5人組バンド「プリンセス・プリンセス」の復活ステージに、9人組バンド「米米CLUB」と3人組バンド「TM NETWORK」が競演することが分かった。イベント会社の呼び掛けに、80~90年代に一世を風びしたスーパーバンド3組が呼応。3月20日、千葉・幕張メッセで開催される東日本大震災の復興支援ライブに集結し、熱いステージを繰り広げる。 今年限定での再結成を発表したプリプリの復活ステージが決まった。 プリプリが出演するのは、3月20日に幕張メッセ国際展示場9、10、11ホールをぶち抜いて開催されるイベント「ALL THAT LOVE -give & give-」。5人そろってステージに立つのは、1996年5月31日に東京・日本武道館で行われた解散ツアーの最終公演以来、約16年ぶり。5人は「誰よりも、メンバー5人が楽しみに、夢にみてる瞬間です。16年ぶりに決心したこの思いが、会場を昔みたいに、いえ、それ以上に揺らせるように、頑張ります!」と意気込んでいる。 また、競演アーティストも懐かしい顔触れがそろった。97年3月に解散し、06年4月に再結成した米米は約2年ぶりのステージ。ボーカルのカールスモーキー石井(52)は「当日は米米らしい、楽しいステージにするのが一番いいと思ってるんです。沈鬱(うつ)な雰囲気の米米CLUBなんて誰も見たいと思わないでしょうし(笑い)、ストレートに米米ならではのステージを披露したい」と抱負を語る。 一方TMは、ボーカルの宇都宮隆(54)、キーボードの小室哲哉(53)、ギターの木根尚登(54)の3人がそろうのは08年の全国ツアー以来。宇都宮は「3人で集まって『一緒に音楽をやりたいよね』というタイミングで、このイベントに声をかけてもらった。笑顔を未来につないでいくことを連想させるようなライブにしたい」と話している。 3組とも、80年代後半から90年代にかけて大ヒットを連発したスーパーグループ。当時はヒットチャートでしのぎを削った仲だが、イベント会社「ディスク・ガレージ」の呼び掛けで競演が実現した。なお売り上げの一部が被災者支援と復興のために寄付される。【スポーツ報知ネット版から引用】 プリンセス・プリンセス、米米クラブ、TMネットワークといえば、私が就職した1986年辺から互いにしのぎを削っていたグループでしたね。私は特にTMネットワークがお気に入りで、今も一緒に野球をしているYR1君にカセットテープにダビング(時代がわかるでしょ)してもらって、当時乗っていた中古のカリーナのカーステですり切れるくらいまで聴いたのを覚えています。歌詞はかっこいいし、音楽も素晴らしかったですね。 プリンセス・プリンセスも「世界でいちばん熱い夏」「Diamond」などといった名曲があって、女性バンドグループとして人気でしたね。中でも、「Diamond」は1989年6月に北海道へ行った時に、借りたレンタカーのラジオからくり返し流れていたのを覚えています。おかげで、「Diamond」のイントロやサビの部分が流れると北海道の光景が目に浮かんでくるくらいです。 米米クラブは私の妻もお気に入りで、コミックバンドのような一面もありましたが、「君がいるだけで」「浪漫飛行」のような名曲もあって、私もカラオケでよく歌いましたよ。 今ではこれらのグループの曲はYou Tubeにアップされていつでも聞くことができるのは嬉しいのですが、それ以上にうれしいのはコメントの内容です。私なんかは懐かしいと思うのですが、当時はまだ生まれていなかった中学生や高校生が「この時代の曲はすばらしい」とか「もっと早く生まれてリアルタイムで聴きたかった」というコメントがあって、いい曲は何年たってもいいと思えるのだと、いうことでリアルタイムで聴いていた者としてもうれしくなります。 そんな伝説的なグループが、時を越えて集まってライブをするとのこと。 これはすごいことですよ。ぜひ見に行ってみたいものですが、チケットはとれないだろうし、仕事だから無理だなぁ。見に行ける人がうらやましいです。
2012年01月25日
コメント(2)
野田佳彦首相は24日の施政方針演説で、消費増税を柱とする社会保障と税の一体改革実現への決意を改めて表明。自民党の福田康夫、麻生太郎両元首相のかつての演説を引用し、与野党協議に応じるよう自民党に呼び掛けた。 「与野党が信頼関係の上に立ってよく話し合い、結論を出し、国政を動かすことこそ政治の責任だ」。冒頭、野田首相はこう指摘すると、「4年前、当時の福田首相がこの演壇から与野党に訴え掛けた施政方針演説の一節です」と紹介した。さらに、野田首相は、社会保障改革のくだりでも「これ(消費税を含む税制抜本改革)は子や孫に負担を先送りしないためだ」と述べると、「これは3年前、当時の麻生首相の演説の言葉です」と強調した。 与野党の立場が逆転したとはいえ、当時の福田、麻生両首相も今の野田首相と同じく、衆参の「ねじれ」に苦労しながら、社会保障や税制の改革に取り組んでいた。「立場を超えた国民のための協議」を強く迫るため、野田首相は、両元首相の演説にあえて触れたという。【時事通信ネット版から引用】 野党だった頃の詐欺政党は、時の政権に何をしたのか。よ~く思い出してみ。審議拒否なんてざらだったし、わざわざ大きなフリップに漢字の読み間違いをさらしていたのはどこの政党や? カップラーメンの値段をしつこく聞いていたボケは誰じゃ? ほれ、言ってみぃや! そんなお馬鹿な詐欺政党は野党、特に自民党が協議に応じないことを自民党政権当時の施政方針演説の一部を紹介して協議に応じるよう呼びかけたつもりだろうけど、参加していた野党のみならず、良識ある有権者の皆さんはこう突っ込んだでしょうね。「お前がいうな!」 今国会でいつの間にか議論することになっている社会保障や税制の改革に併せて進んでいる消費税増税の話だって、「(消費税に係る)議論すらしない」と大見得切って先の衆議院選挙の時に言ってたし、マニフェストにも書いてあったと思うんだけど。埋蔵金もあるんだったよね。忘れたとは言わせねぇぞ、この悪党め。 ついでに、どぜうが幹事長だった2009年頃、マニフェストについて「書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらない」「天下り法人を無くして天下りを無くす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしい」と堂々と語っている動画がYOU Tubeにアップされているそうですね。今、詐欺政党がやっていることとどう違うのか。誠意ある説明が聞きたいですね、どぜうがダメなら詐欺政党のボンクラ議員、説明してみ。 先の衆議院選挙では自民党は増税やむなしとして、詐欺政党は消費税増税の話なんて「議論すらしない」として選挙を戦ったわけで、そりゃ増税されるよりもされない方がいいという有権者の心情を巧みに突いたんですよね。それを今更増税の議論だなんて、これを「詐欺」と言わずしてなんというのか。 次は代表質問があるんでしたっけ、その時に詐欺フェストに書かれている内容を全てさらして、詐欺政党が何をしてきたのか。あるいは詐欺フェストに載っていないのに勝手に進めているものは何か。洗いざらいさらけだして、解散総選挙に追い込んでほしいと思います。
2012年01月24日
コメント(4)
米写真用品大手イーストマン・コダックの経営破綻が米社会で衝撃を広げている。かつて世界を席巻した「フィルムの巨人」がデジタル化の大波にのみ込まれた構図は、ひとつの時代の区切りを印象づける。写真文化を普及させ、映画など米カルチャーを支えた足跡も小さくないが、再建の道筋は多難だ。(中略) 「コダックイエロー」と呼ばれた黄色いパッケージの写真フィルムが市場にあふれ、首都ワシントンの写真用品店は「コダックは別格。黙っていても毎日何十本とフィルムが売れた」と往時を懐かしむ。1995年には手軽に撮影できるポケットカメラを発売するなど、一般家庭に写真を浸透させたのもコダックの功績といえるだろう。 89年には世界初の透明な映画用ロールフィルムを発売するなど、映画産業にとっても欠かせぬ存在で、ウォールストリート・ジャーナル紙のコラムニスト、ジョン・バッシー氏は「20世紀における伝統的な米国ブランド」とまで形容する。 だが、80年代に入って富士フイルムなどライバルとの競争が激化。さらに皮肉なことに75年にコダックが初めて開発したデジタルカメラの普及が、業績の落ち込みに拍車をかけてしまう。デジカメ関連の機器開発でも後手に回り、写真のデジタル化を徹底して追求したライバルに対し、「中途半端な多角化」(アナリスト)がかえってあだになった格好だ。 今後のコダックだが、当面は米金融大手シティグループから9億5000万ドル(約730億円)のつなぎ融資を受け、裁判所の管理下で再出発を図る。不採算事業を整理し、プリンター事業を中核に据えて、2013年中の再建手続き完了を目指すとしている。【フジサンケイ ビジネスアイから引用】 私は小学5年生くらいからカメラに興味をもちまして、以前このブログでも紹介しましたが亡き父からもらった1960年製のカメラで撮影していました。また、高校に入ってからは同級生が写真部にいた関係もあって、白黒フィルムを譲ってもらって撮影していました。今ではデジタルカメラが主流になって、私自身もデジカメを使っていますが本当はフィルムのカメラの方が好きなんです。 さて、私がカメラを持ち出した頃から普通にカラーフィルムは売っていましたが、緑色のパッケージの富士フィルム、オレンジ色のサクラカラー(後にコニカカラー)、それと本文にもあった黄色のコダックの三社がありまして、私はよくサクラカラーを使っていました。たまたま近所にできた写真屋さんがサクラカラーをよく取り扱っていたからだったように記憶していますが、別にどこでもよかったんですけどね。 でも、コダックだけはカラーフィルムでは使ったことがなかったんです。というのも、本文にもありましたが、海外ブランドということもあって私にとってはちょっと高級で高いなイメージがあったんです。他のメーカーと競合しているわけですから、価格的にはそんなに高くはなかったかもしれないんですけどね・・・。 高校に入ってからは白黒フィルムを使うようになりまして富士フィルムの「ネオパン」を使っていましたが、時々コダックの「トライ×」(仲間内ではトラペケと呼んでいました)を使うことがありました。それまでは使ったことがないコダックでしたが、びっくりするほど高くなかったと記憶しています。それでもちょっと高級感を感じながら使っていたかな・・・。コダックの白黒フィルムって、プロの人が使うことが多い(実際にもそうみたいですけど)と聞いていましたから、仕上がりが違うようにも感じました。 ただ、写真部の同級生からトラペケは評判が良くなかったんです。というのも、現像する際にフィルムの缶からフィルムを取り出す作業がトラペケはすこぶるやりにくかったとのこと。フィルムの缶がかなり頑丈につくられているのが原因だったそうですけど、よくわからないこだわりのひとつだったんでしょうかねぇ。 そんな懐かしい思い出があるコダックでポケットカメラなど目のつけ所は素晴らしかったんだけど、デジカメ全盛の現在にあっては企業としての「選択と集中」が誤ったということなんでしょうね。そういうことで、伝統的な企業が経営破綻するなんて寂しいものですね。 本文にもありましたが、経営再建には前途多難のようですけどどうなるんでしょうね・・・。 という話題をとりあげていたら、久しぶりにデジカメではなくフィルムカメラを使ってみたくなりました。シャッタースピードや絞り等を考えながら撮影するというところに面白さがあったんですけど、デジカメや最近のカメラは「誰でも手軽に」仕様になっているからちょっとなぁってね。快適仕様のカメラとは対極にある1960年製のカメラを使っていた私にとってはそう感じていましますわ~ 失敗も多くて凹んだことも数多くありましたけどね・・・。
2012年01月23日
コメント(2)
今日は私にとっての今年の開幕戦がありました。草野球にはシーズンオフというものはなく、1月から試合です(笑)。今日は豊中市の服部緑地スポーツ広場での練習試合、昨日までの雨は上がってグラウンドも水溜りはありませんでした。風もなく、日も照っていて寒くはありませんでした。 今日は練習試合で、相手はGAIYA BBCさん、若手主体のチームでした。私はいつものサードで、ガゼルスの先発はT16さんでした。試合のほうは立ち上がりからT16さんのピッチングが冴え、3回まではパーフェクトピッチングでした。ところが、4回にエラーから2点を失い、続く5回にも四球やホームランなどで3点を失ってしまいました。 反撃したいところでしたが、相手投手のサイドハンドからの速球に手こずり、相手の巧守にも阻まれて得点できずでした。 結局5-0で負け、前回の試合から15イニング無得点になっているとのこと。打線が冬眠中のようです・・・。 私の方もヒットは出ずでしたが、守備ではボテボテのサードゴロを間一髪アウト(セーフっぽかったけど)にしました。【今日の成績】 1打席目 三ゴロ 2打席目 二フライ 2打数0安打0打点0三振0四死球 打率 .000
2012年01月22日
コメント(0)
去年、三重県の養老鉄道に乗車する機会がありました。養老鉄道は近鉄名古屋線の桑名から大垣を経て揖斐までを結んでいる路線で、2007年10月に近鉄から運営が移管されました。近鉄になる前も複雑な経歴を経ているわけですが、線路の幅も近鉄標準の1435mmではなく、南大阪線と同じ1067mm(すなわちJRと同じ)となっています。 使われている車両は600系とよばれ、元は名古屋線の1800系や南大阪線の6000系だった車両です。色も近鉄標準のマルーン(小豆色)に白のツートンカラーではなく、旧標準だったマルーン一色になっています。 表紙の写真の612号は元名古屋線だった1800系の1802号だそうです。塗装も近鉄の旧標準色だったマルーン一色です。私にとっては「近鉄=マルーン」ですから、とても懐かしいものです。 それから、かつての近鉄では行き先の方向板をさげていました。意外と認識性がよくて好きだったのですが、行き先表示器がついてからはせいぜい方向板をさげていたところは時々臨時の方向板をさげるくらいになっています。この612号には養老鉄道の利用を促す広告板がさげられています。 さて、乗車したのは石津駅まででしたが、のんびりと乗車することができました。その様子はまたの機会に・・・。
2012年01月21日
コメント(4)
一般的に鉄道車両の妻面(連結部分)はいわゆる「食パン切り」のようにまっすぐに切られていることから、「切妻」とよばれています。これはカモノハシのような風貌が特徴の東海道・山陽新幹線のN700系もそうです。正面はあのような特徴ある顔であっても、中間車両との連結側は切妻になっています。 車両によっては元々運転台があったものを中間車両化するときに、運転台を撤去する工事を行いますが、運転台があったことがわからないような方法をとる場合と残す場合があります。関西の私鉄では後者の「残す」方が多いようです。例えば、京阪2200系とか阪神5000系とか・・・。 表紙の写真の近鉄8459号もそんな車両の一つです。ご覧になると分かるように、角ばったスタイルではなく、曲面が見て取れるかと思います。この車両は元々8559号として登場したものの、1972年8月に発生した「近鉄奈良線爆破事件」により被災した車両で、それを復旧したのがこの8459号というわけです。ちなみに、この事件は結局未解決となったもので、ついでに同じ事件で被災したもう一両も8167号として復旧しています。 この車両の特徴としては、前出にもあった丸みを帯びた妻面と運転台の跡地を独立した窓を設置しているところでしょうか。近鉄の場合は2枚を1つにまとめた連続窓が外観上の特徴ですから、こんな窓は珍しいです。 さて、この車両は近鉄8000系のシリーズの一つであり、奈良線や京都線で主力として使われている車両でしてよくみかける車両です。あまりスタイル的に特徴のあるものではありませんが、その中にあるちょっと変わった車両、というわけです。昨日のブログの話にあった近鉄田原本線で運用についていることがありまして、たまに乗るときにこれが入っているとちょっとうれしいかな・・・。
2012年01月20日
コメント(2)
私の地元にはJRの他に近鉄線が2路線あることは以前このブログでも紹介したと思います。そのうちの近鉄田原本線の終点、西田原本駅前にはすぐ近くにある近鉄橿原線の田原本駅との間に古い家が密集していました。それも西田原本駅周辺にあっては今では立ち退きとなってバスやタクシーの乗り場がつくられています。橿原線の田原本駅の東側方は相変わらず狭いままですが・・・。 さて、西田原本駅前には前出のとおりすっかり様変わりしていますが、未だに古い木造の建物が残っています。表紙の写真はその一つでして、建物の入り口左側の看板には『日本通運田原本営業所』と書かれています。「ゆうぱっく」と書かれたのぼりがありますから、今も使われているものと思います。 この周辺が再開発になる前に何度かこの前を通りかかった時には、小口の荷物が置かれていて古きよき時代の「荷物取扱所」という感じがしました。まぁ、その後日通も宅配事業に参画して、先ごろ郵便事業の「ゆうぱっく」に統合されて個人向けの小口宅配事業からは撤退したのはご存知の通りです。 それはさておき、このような古い木造の建物、特に事業所の建物ってだんだん姿を消してきているように感じます。特に事業所の場合は統廃合なんかがありますし、土地の転売のために取り壊し、なんていうこともあります。 ここもいつまで残っているかわかりませんけど、何とか古きよき時代の姿を残してくれたらいいですね。ただ、建物の周辺にも再開発の波が押し寄せている様子、どうなんだろうね・・・。
2012年01月19日
コメント(2)
経済産業省原子力安全・保安院が関西電力大飯原発3、4号機のストレステスト(耐性評価)結果を「妥当」とした結論をまとめ、提出するはずだった意見聴取会。議事進行の混乱を恐れた保安院は、会場に傍聴者を入れず別室でモニター中継する方法を取ったが、反原発を訴える人たちが傍聴を求め反発。十数人が委員らのいる会議室に押し掛けた。 午後4時すぎから、経産省11階の会議室で開始予定の意見聴取会では、反原発を訴えるプラカードを手にした人たちが「密室で決めるのか」などと口々に保安院を非難。対応を協議するため、事務局の呼び掛けで一部委員が別室に移動しようと席を立つと、「逃げるな」と怒号が飛んだ。 聴取会には、原発に批判的な立場を取る井野博満東京大名誉教授や元プラントメーカー技術者の後藤政志さんらも出席していた。席に残った後藤さんは「公開は絶対の原則。技術的にも確認していないところがまだあるのに、大飯3、4号機がこれでいいと評価終了というのはひどい」と怒りをあらわにした。【時事通信ネット版から引用】 福島第一原発の事故が依然として収束していないのに、他の原発の再稼動を認めるというのはどうかと思いますよ。本当に大丈夫なのかって。その辺はきちんと学術的あるいは技術的見地からの判断なんだろうと思います。そういうことをきちんと説明するために意見聴取会というのを開いて、説明する場を設けられているのに反原発を叫ぶ人たちが事実上妨害したために、結果的に非公開になってしまったのは、双方にとっても残念な結果になったんじゃないかって思うんです。 別に経産省の肩を持つわけじゃないけど、前回行った時にやはり反原発の人たちの不規則発言で議事進行が妨げられたということで、今回のようにモニター中継になったのはやむをえないと思います。議論は議論として、きちんと定められたルールに乗っ取って行うものであるのは至極当たり前のことです。逆に言うと、今回のようなモニター中継になってしまった原因は反原発の人たちにあるんじゃないですかねぇ。 私は反原発の人たちのいうことも分かるから、余計にきちんと双方がお互いの立場から意見をぶつけてほしい、感情的にならずに進めてほしいって思っているんですけどね。でも、こんなことばかりやっていたら、「反原発派=まともな議論もできない集団」っていうことになってしまって損じゃないかなってね。 もっと言うと、せっかく原発に批判的な立場として意見聴取会に参加する予定だった大学の先生や元メーカーの技術者の人に対しても、意見を述べる機会を実質的に奪ってしまったことになってしまったわけですし。 結局は、この意見聴取会の対象となっていた関西電力大飯発電所のストレステスト結果は妥当ということになりましたが、何だか後味悪く感じました。
2012年01月18日
コメント(2)
今日は二つの話題をお送りします。 まずは、ろくでもない詐欺政党の話を三題です・・・。 政府は18日、二酸化炭素(CO2)など温室効果ガス排出量を2020年までに1990年比で25%削減する中期目標の見直しに向け、本格的な検討に入った。東京電力福島第1原発事故に伴うエネルギー政策見直しと併せ、エネルギー・環境会議が今春に2020年と30年の目標について選択肢を提示し、夏までに取りまとめる。環境省の中央環境審議会(中環審、環境相の諮問機関)小委員会が同日、原案づくりに着手した。【時事通信ネット版から引用】 こんなの、ルーピーの思いつきというか、わけわからず何の根拠もなく「25%削減」って言っただけでしょ。あっ、一応根拠はあるか、「原発を増設しよう!」っていうことだったかな。 ところが、先の東日本大震災の津波で福島第一原発が大きな被害を受け、未だに収束していないわけですから、全く思惑とは違うことになってしまったわけですね。 「原発を誘致したのは自民」っていう人が相変わらずいますが、それに乗っかったのは詐欺政党ですからね。しかも原発増設を目論んでいたはずだし・・・。 もうね、こんな無理な看板はとっとと下ろしてしまえ! 野田佳彦首相は18日午後、首相官邸で民主党の菅直人前首相と会い、スイスのダボスで25日から開かれる世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)への代理出席を要請した。首相は「自分も本当は行きたいけれど行けないのでよろしく」と求め、菅氏も受け入れた。菅氏は首相に代わり、東日本大震災からの復興への取り組み状況を説明する見通しだ。【時事通信ネット版から引用】 前出のルーピーの馬鹿さ加減にターボがかかった史上最低宰相のスッカラ菅。福島県をはじめその近隣の地方や遠く離れたところまで放射性物質を拡散させた張本人と言っても過言じゃないでしょう。コイツ、まだ議員やっていたんですね、良識ある日本人への嫌がらせか?! そんなスッカラ菅がどぜうの代わりに世界経済フォーラム年次総会へ代理出席だって、なめとんか。だいたいこんなヤツに経済なんてわかるんか? 確か去年だったか日本の格付けが下がった時に「そういうことには疎い」と発言したくらいのヤツですよ。 詐欺政党も政権詐取してたくさん優秀な人がいてるんじゃないの? 詐取したからこんなヤツ以外誰もおらんのか・・・。 野田首相は18日午前、首相官邸で連合の古賀伸明会長と会談し、「社会保障・税一体改革だけでなく、政治改革、行政改革という身を切る部分も含んだ包括的な大きな改革になりつつある。何としても(通常)国会中に実現したい」と述べた。消費税率引き上げの関連法案とともに、国会議員定数削減の関連法案と国家公務員給与削減法案の通常国会成立に強い意欲を示したものだ。【読売新聞ネット版から引用】 スッカラ菅の後に詐欺政党の代表となったどぜう。コイツも食わせ物ですな~ 詐欺政党が政権詐取した時の詐欺フェスト、なんて書いてあったかもう一回見たほうがいいんじゃないの? 「消費税をあげることについては議論すらしない」という触れ込みじゃなかったか? なのに、いつの間の消費税増税の話になっているのか。 今の日本の状況から、とても増税して大丈夫かどうかわかりそうなものなんだけどね。子ども手当て(パチ屋手当て)は継続、東日本大震災の復興でいろいろ大変な時期に韓国や中国には献金、自分たちの歳費は削らず消費税増税・・・。全くもってふざけているとしかいいようがありませんな。 どぜうは解散も視野に入れている、という情報もありましたけど、それならいっそ解散やってくれた方がいいよ。良識ある有権者は詐欺政党に騙されたって思っている人が多いから。だからといって、自民党やそのほかの政党に流れるかどうかは別だけど、とりあえずは詐欺政党に入れるわけないから。
2012年01月18日
コメント(0)
今年も1・17がやってきました。1995年のこの日の早朝に発生した阪神・淡路大震災からもう17年も経つんですね。今朝のおは朝では、あの当時の揺れを再現できる施設での体験をレポートしていましたが、そのレポーターがNMB48の人だったんですけど、その震災当時には産まれていなかったり、2歳だったりという話を聞くともうそんなに経つんだと思いました。まぁ、私の子どもたちもまだ産まれていませんでしたし、まだ私は結婚していませんでしたからね。 17年経っても忘れられないのがあの震災。去年のブログにも書きましたが、私にとっても神戸勤務だったこともあって未だに強烈な印象が残っています。そして阪神・淡路大震災を知らない世代も増えてきた今日、あの震災のことを後世に残して行かなければならないと思っていたら、3月11日に過去最大級の東日本大震災が起こりました。あの揺れは私の職場でもありましたけど、その後まさかあんな大きな津波がやってきて大きな被害がでるなんて想像できませんでした。加えて未だ収束しない原子力発電所の事故でしょ。地震の多い国日本ですから、日頃からの備えは多少なりともしていたとしても、それがいつやってくるかわからない。まさしく「災害は忘れたころにやってくる」なんですね・・・。 ところで、あの17年前も去年の震災も、いずれも政府や政治屋が頼りなくて住民はもちろんのこと現場でも混乱したわけですが、「危機管理の意識が低いんじゃないか」と思えるような連中がばかりですわ~ 国会議員なら国のためにしっかりと舵取りを行うべきなのにそんな高度な意識を持っている人、いるのかな・・・。政治主導をはき違えたバカタレは一名いたけど。 それにしても、媚韓・媚中のヤツらに「日本国民を守ろう」という意識があるとは思えませんけどね。本来なら、そんなことにカネ使っている場合じゃねぇだろって。 すみません、話が脱線しました。 私は、今日も5時半頃に起きて地震発生時刻である5:46に神戸の方を向いて手を合わせていました。
2012年01月17日
コメント(0)
毎日寒い日が続いていますね。こんな寒い日のスイーツといえば温かいもの系統になりますね。例えばたい焼きとか大判焼き(太鼓焼き、今川焼き)がありますが、みたらし団子もいいですよね。私が高校生の頃、学校から帰るときに駅前の和菓子屋さんでみたらし団子1本だけ買って帰ったことがよくありまして、どちらかというと「甘い餡」よりも「温かい団子が食べたかった」方なんですけどね・・・。それは今でもそうかな。 さて、大阪でみたらし団子というと、阪急十三駅前にある「喜八洲」(きやす)が有名です。十三駅の西側の改札口を出て商店街があるのですが、そこにあるお店が本店だそうです。私も何度か行ったことがありますが、十三駅構内にもありますし、百貨店に入っているところもあります。私は十三駅構内で買うことが多いですけどね・・・。 さて、ここのみたらし団子の特徴は、注文したら「団子を焼く」作業から始まって、ほどよく両面が焼けたら餡の中にドバッとつけて完了。アツアツを入れてくれるので待つ必要がありますが、できたてはさぞかしおいしいでしょうね。いつも持って帰るからわからないけど。 ところで、このお店が大阪駅前第4ビルの地下に入っていたときにも買いに行ったことがあります。ここは今ではもうなくなってしまったようなのですが、その時の店員さんの包装作業の素早いこと。みたらし団子を入れた箱を包装紙の上に置いてあっという間に包んで、紐掛け(最近は行われていないようですが)も店員さんが箱を何度か回すとあっという間にできているというもので、とてもマネできない技でした。その技を見たさに何度か足を運んでいましたが・・・。 このみたらし団子はタレントさんにも人気だそうで、誰か忘れましたがテレビで取り上げていたのを覚えています。ちなみに、私もよく知っているお店を紹介してくれるのはありがたいのですが、お店によってはその影響で混雑になってしまうと「余計なこと言わんでくれたらいいのに・・・。」と思ったりしますわ~ 先日、妻に買って帰りましたが、妻はここのみたらし団子が大のお気に入り。残った餡をパンなどにつけて食べるくらいです。また、ここはみたらし団子以外にも各種和菓子があるのですが、妻はぼた餅もお気に入り。あんこが甘すぎないのがいいようです。私もここのぼた餅は好きですよ。ぼた餅はまた次の機会に・・・
2012年01月16日
コメント(4)
今日は私の住む集落の「とんど」がありました。とんどは去年もこのブログで紹介しましたので詳細は省略しますが、今回もサツマイモを持って下の子どもとともに行って来ました。 ところで、先日兵庫県たつの市へ出張した際にもとんどの準備をしているのを発見したのですが、バスで移動していたので写真に写すことができませんでした。そのとんどの様子は表紙の写真のものとは異なり、竹やわらでやぐらのように高く組んでいてかなり大きなものでした。周りが田畑で住宅と離れていることもあるんでしょうけどね。 また、その出張先の方のお話では、昔はこのとんどを隣の集落の人に燃やされないように守るようなことをしていたとか・・・。ちょっとしたバトルみたいですね。 話をもどして、例によって竹が爆発する音にびっくりしながらサツマイモを火の中に入れて出来上がりを待っていました。そして、集落のベテランの方に世話をしてもらいながら出来上がり、おいしくいただきました。
2012年01月15日
コメント(0)
炎のストッパー、殿堂入り--。野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は13日、競技者表彰のプレーヤー部門で元広島の津田恒実投手(享年32)、北別府学氏(54)を選出した。津田氏は闘志あふれる投球スタイルで抑えとして活躍。しかし93年7月20日、脳腫瘍のため志半ばでこの世を去った。会見には夫人の晃代さん(48)と一人息子の大毅さん(23=会社員)が出席。故人の思い出を語り、受賞を喜んだ。表彰式は7月に予定されているオールスターゲーム第1戦(京セラドーム)で行われる。 まさに記憶に残る投手だった。太く短い野球人生。津田氏は右手中指の血行障害を患い、脳腫瘍に侵され、現役生活は10年で終わった。記録面では野球殿堂入りした先人に大きく劣る。しかし得票は昨年の212票から237票へと伸びた。 「マウンドで首を振ったら必ず真っすぐ。味方にも敵にも分かった。それでも真っすぐ勝負にこだわった」。91年に津田氏とダブルストッパーを務めた広島・大野チーフ投手コーチは振り返る。86年5月8日の阪神戦(甲子園)では、9回1死満塁で弘田、バースをオール直球で2者連続3球三振。同年9月24日の巨人戦(後楽園)では、直球をファウルした原(現巨人監督)が左手首を骨折した。91年4月14日の巨人戦(広島)で、最後の相手となったのがその原。北別府氏の後を受けて8回から登板も、無死二、三塁から同点の左前打を浴びた。そして降板。これが津田氏の生涯最後のマウンドだった。 「巨人戦は体調が悪いのは分かっていた。つらかったですね」。晃代夫人は自宅テレビで観戦。翌15日に広島市内の病院で精密検査を受け、脳腫瘍と診断された。「ツネ(津田)のためにも優勝しよう」。当時の山本監督やナインはポケットにお守りを忍ばせ、一丸となって優勝を果たした。 精神面の弱さを克服するため、津田氏は「弱気は最大の敵」「一球入魂」と書いたボールを持ち歩き、マウンドでは阿修羅のごとく振る舞った。しかしユニホームを脱ぐと一転。冗談好きで「優しい人」(晃代さん)になった。ファンの脳裏に今も鮮烈に刻まれる「炎のストッパー」。時空を超えて、その勇姿がよみがえった。【スポーツアネックスから引用】 伝説のストッパー、津田投手が野球殿堂入りになったとのこと。強かった時代のカープを支えた北別府投手とのダブル受賞と言うことで、天国の津田投手も喜んでいることでしょう。 津田投手と言えば、たとえ相手に読まれていても直球で押してくる投手でしたね。球の速さでは山口高志投手(元阪急)や最近だったらクルーン投手などすごい投手もいるわけですが、例えば山口投手の場合は大砲のような文字通り剛球を投げ込んでいたのに対して、津田投手の場合は速いだけではなくて球のキレとか、その勢いが半端なかったように思います。 その球の勢いは本文にもありましたが、原現巨人監督の手首を骨折させるくらいのものだったわけですからね。 それから本文にはありませんでしたが、津田投手と無二の親友の森脇選手(現オリックスコーチ)との仲は闘病生活を続けていた時にも続いていて、「俺の年俸を半額にしてでも現役復帰させられるよう球団にかけあってやる」と励ましていたとのこと。その後、残念ながら帰らぬ人となった後に森脇選手自身の結婚披露宴の席上で、津田投手の席を用意していてその写真はスポーツ新聞の記事で見たことがありますが、涙を誘うものでした。 故障などで低迷から復活し、その速球を武器にしてセ・リーグの強打者を打ち取り、当時最強打者だったランディ・バース選手に真っ向の直球勝負で3球三振に切ってとり「津田はクレイジーだ」と言わしめたくらいの伝説の投手、もうこんな投手は二度とでてこないかもしれませんね。 そんな選手をテレビで見ただけで生で見る機会はありませんでしたが、こんな投手を見ることができた時代にいたということだけでうれしいものです。
2012年01月14日
コメント(0)
今日は仕事終了後に、同じ職場で野球部の仲間であるYR1君と「スパワールド」へ行きました。スパワールドは、大阪以外の方なら「ジャンジャン町や通天閣の近くにある温泉施設」って言った方がわかりやすいかもしれませんが、数多くの風呂が用意された施設でたまに1000円で入館できるキャンペーンをやっています。 今日は先日来の寒さと比べたらマシだったのですが、それでもやや寒かったのでサウナに入って暖まりました。まぁ、YR1君と呑みに行く時はサウナに行って汗を流して飲みに行くのが定番なんですけどね・・・。 それにしても、先日も呑みに行ったところなのに、大丈夫かオレ・・・。 さて、スパワールドは初めて行ったのですが、温泉の種類が多くてなかなか面白かったですよ。のぼせに注意しなければなりませんが、1000円キャンペーンの時にまた行ってみたいと思います。 ところで、このスパワールドの近くには前出のとおり通天閣がありまして、そこへも行ってみました。大阪に勤めていても数えるくらいしか行ったことがないんですけどね・・・。通天閣の下には「王将」のモニュメントがありました。
2012年01月13日
コメント(2)
昨日は姫路の方へ出張でしたが、その帰りに私がアマチュア無線開局当時からお世話になっている神戸市在住のTさんと一緒に飲みに行ってきました。無線の上でつながることは最近ではほとんどないのですが、年賀状のやりとりは欠かさずおこなっております。そして、「アイボールしましょう」といいながらもなかなかタイミングが合わなくて、実はTさんと飲みに行ったのは震災前の1993年か94年頃以来でした。その時はまだ神戸の街もいろんなお店がありまして、何軒か飲んだ後に締めに連れて行ってもらったラーメン屋さんのチャーシューがおいしくて印象に残っています。(ただ、何というお店だったのか思い出せないんですけどね・・・。) さて、久しぶりのアイボールということで、まずは私の定番のお店である三宮の「まこと」へ行きました。このお店はTさんもよくご存じのお店とのことで串カツで軽く呑んで、その後に「まこと」とはちょっと違う串カツ屋さん(というか、ウスターソースで食べる一般的なお店)を経て、三宮の「神戸たちばな」へ。ここはTさんのよくご存じのお店で、高級感ある居酒屋でした。やっとのことで腰を落ち着けて呑むことが出来きて、お店の方からの差し入れをいただいたりしながら、楽しい時間を過ごすことが出来ました。 23時頃お店を出て分かれたのですが、久しぶりにたくさん呑んだので、どうやって家にたどり着いたのか断片的にしか覚えていません・・・。三ノ宮から新快速に乗ったことと、大阪駅のベンチで座っていたこと、大阪環状線に乗り換えたこと、以上3つくらいしか覚えておらず、どうやって環状線から大和路線に乗り換えたのか全く記憶がありません・・・、危ないなぁ~ でも、妻にはメールしていて、その受け答えもちゃんとできていたんだけど、ほとんど覚えていない・・・。ついでに駅まで迎えに来てもらいました。 それはさておき、Tさんどうもありがとうございました。
2012年01月12日
コメント(4)
先月、仕事で行った福島で2011年最後の献血に行って来ました。福島県内の献血ルームは、今回行った福島県赤十字血液センターといわき赤十字血液センター、会津赤十字血液センター、郡山駅献血ルームの4箇所のみだそうで、郡山駅以外はいずれも最寄り駅から少し離れています。車があれば大丈夫でしょうけど、公共交通機関を使って行こうとすれば少し不便です。 さて、今回行った福島県赤十字血液センターへは、福島駅東口から平田行きの福島交通バスに乗車することから始まります。土地勘のないところで路線バスに乗るのはやや不安もありますが、最寄のバス停からすぐという情報を頼りにバスに乗車しました。この日は雪が降るあいにくの日でしたが、定刻どおりに運行されていました。 バスは赤十字会館前バス停で下車、大きな建物が目に入りましたが、そこが福島県赤十字血液センターでした。広々とした敷地にある大きな建物で、周りに大きな建物がないせいかその大きさが際立っておりました。ただ、献血する場所はそんなに大きいわけではなく、むしろ先日行った大阪の献血ルームの方がゆったりとしていました。 今回は血漿の成分献血でしたが、寒い日だったこともあってカイロをあててもらいながらの献血となりました。その結果は、相変わらずコレステ君が200超えの高止まりは続いていました・・・。 ところで、献血後の景品はバスタオルなどがありまして、最近は洗剤になってしまった大阪と比べるとはるかに充実しています。東日本の献血ルームはだいたい景品がいいんでしょうか? 何にしようか迷いましたが、バスタオルをいただきました。 もうそろそろ次回の献血にいけそうなので、またがんばって行きたいと思います。
2012年01月10日
コメント(0)
大阪市営地下鉄の駅員を殴ったとして、大阪府警阿倍野署は8日、公務執行妨害容疑で、東京都文京区の自称東大2年、武本登容疑者(20)を現行犯逮捕した。府警によると「覚えていない」と容疑を否認しているという。 逮捕容疑は8日午後10時10分ごろ、大阪市阿倍野区阿倍野筋の市営地下鉄天王寺駅の構内で、男性駅員(49)の左頬を右手で1回殴ったとしている。 武本容疑者は、乗車ホームを間違え、別のホームへ線路を横断して移動したことを駅員にとがめられたことに腹を立てたという。大阪市出身で、この日は成人式に出席後、自宅に帰る途中だったといい、逮捕当時はかなり酒に酔っていたという。【産経新聞ネット版から引用】 今日は成人式でしたが、相変わらずバカな新成人が多くておもしろいですね。 せっかく20歳まで育ててもらったのに、こんなバカな事件で前科者ですか。ホント、親はどう思っているのか、あるいは親の育て方が悪かったのか。情けない親ですね~ さて、酒に酔っていて「覚えてない」だと? 『酒に呑んでも呑まれるな』って言葉は知らないだろうな、どうせ自分の限界もわからずに無茶呑みしたんだろう、どうせ。 ところで、本文にあった「自称東大生」っていうのが酔っ払いらしくていいですね。『東大=東京大学』ではなくて東海大学、東洋大学、あるいは東京電機大学のことを自分勝手に「東大」って言っているんじゃないの? もしくは、東京在住ではなくて本当は大阪在住だったりして。だったら東大=東大阪大学? すみません、話がそれました。 どこの大学に在籍していようが、酔っ払って人をぶん殴ってただで済むわけがない。しかも20歳超えているから少年法とは無縁、よってバッチリ名前もオープンになったし。後悔してもいまさら遅いし、ジタバタせんとちゃんと反省するんやな。 それにしても、その他のニュースでも新成人が暴れたなんていうものがありました。マスコミもこの日はネタに欠かしませんね・・・。もういい加減、成人式なんてやめてもいいんじゃないかな、どうせバカ騒ぎしかしないんだし。私の頃も前に書いたかもしれないけど、成人式の会場に行ったものの、結局は小学校からの友だち数人と抜け出してカラオケに行ったくらいですから、あえてする必要はないと思うんですけどね。
2012年01月09日
コメント(0)
テレビドラマ「特捜最前線」などで知られる俳優の二谷英明(にたに・ひであき)さんが7日午後4時58分、肺炎のため入院先の東京都新宿区の慶応病院で死去した。 同志社大文学部英文科を中退後、54年にラジオ佐世保に入社し約2年、司会や英語放送のアナウンサーを務めた。 日活入り後は小林旭、宍戸錠ら武骨なキャラがそろう中、知的な青春スターの代表格として人気を確立。俳優人生を通じ、日活時代を含め100本以上の映画に出演した。 71年に日活を退社後は主にテレビドラマで活躍。テレビ朝日で77年4月に放送が始まった「特捜最前線」は警視正役で主演。渋さあふれる演技ではまり役となり、87年まで放送509回を数える長寿番組となった。 一方、ドラマのスポンサーともなった日産自動車「セドリック」のCMに、72~87年の15年間にわたり出演。重厚な二枚目キャラで車のブランドイメージアップにひと役買った。【スポニチアネックスから引用】 『渋さを極めた大人の刑事ドラマ』とよばれた「特捜最前線」において神代課長役を長らく務めた二谷英明さんが亡くなられたとのこと。長らく入院されていたのは知っていましたが、とうとう復活することはなかったんですね。っていうか、もう81歳になられていたんですね・・・。 二谷英明さんといえば、私にとっては前出の特捜最前線のイメージが強いのですが、元々は本文にもありましたように日活の映画スターでした。っていうか、どちらかというと主役級の石原裕次郎さんや小林旭さんにからむ善役よりも悪役が多かったような・・・。例えば、「俺は待ってるぜ」の組織のボス役とか、「紅の翼」の飛行機(グライダー)ジャック犯、「赤いハンカチ」の元刑事で事件の黒幕の役など。「夜霧よ今夜もありがとう」では密出国する外国人役もされていました。 その他にもいろんな役をされておられましたが、私の印象としては他の日活スターとは少し違ったポジションでした。 それから、二谷英明さんといえばやはり本文にもありましたが、「セドリック」のイメージキャラクターも長らく務めておられました。1972年といえばセドリックとしては初めてクラウンに販売台数で勝利した230型でしたね。その後330型、430型とY30型までイメージキャラクターを務めていたし、特捜最前線でもセドリックが使われていたので、「二谷英明」=「特捜最前線」=「セドリック」、という図式が成り立っていました。 そんなセドリックも今ではタクシーなどの営業車に名前を残すのみとなったし、今般二谷英明さんも亡くなられて、昭和がますます遠くなったように思います。 二谷英明さんのご冥福をお祈りします・・・
2012年01月08日
コメント(2)
今日は妻の実家の家に、大勢の親戚が正月の挨拶にやってきたので、私の家族も行きました。子どもたちもたくさん遊びに来て、お年玉をあげたりもらったり、ゲームをしたりして時間をすごしていました。子どもたちの年齢もほぼ1歳ずつずれていて、年齢が近いせいかとても仲良しなのです。 さて、子どもたちにとって正月の楽しみといえばお年玉。渡す前に準備をしながら私が子どもの頃のお年玉について思い出していました。私の子どもの頃は1000円くらいだったと思います。今は3000円くらいが相場なのでしょうか、今回はそうでした。また、私が子どもの頃には伊藤博文の1000円札でしたが、デザイン的にもよくできたと言われるこのお札、個人的にも大好きでポチ袋からこのお札が見えると喜んだものです。 ところで、逆に5000円札だったら「ん?」って思っていました。奮発してくれた方には申し訳ないのですが、当時の5000円札は聖徳太子の5000円札、個人的にはデザインはもう一つだったかなぁ・・・。5000円いただけるなら、1000円札×5枚がいよかったんだけど・・・。 10000円なんてもらえたのは、ずっと後になってからだったですね。今の子どもたちは一般的にはどうなんだろうな。 私の子どもたちもお年玉をもらったり、お菓子をもらったりして喜んでいました。正月の楽しみですもんね、親にとってはクリスマスに続く出費に頭が痛いですけど・・・。
2012年01月07日
コメント(2)
JR西日本管内では国鉄当時からの車両が依然多く活躍していますが、関西エリアでは先月初めに阪和・紀勢本線で活躍していた新快速色の113系が引退するなどだんだんみかけなくなってきました。 ↑ 先月引退した新快速色の113系、この写真は私のQSLカードのデザインの一つです さて、京都地区では湖西線や草津線で113系が活躍しています。元々これらの線区では国鉄当時から113系700番台とよばれる耐寒耐雪仕様を強化した車両が使用されていまして、それは現在でも基本的には同じです。(その後、高速化に対応するためブレーキの改造がなされたことより5700番台となっています。) ↑ 近江舞子駅に停車中の113系5700番台 そして、国鉄当時から写真の「湘南色」に塗られた車両が活躍していましたが、その後このブログでも紹介したいわゆる「カフェオレ色」に塗り替えられた車両が増えつつありました。 ところが、JR西日本の方針変更により塗色の単色化がなされることになり、この京都地区の113系も例外ではなく「抹茶色」になりました。 ↑ 抹茶色になった113系5700番台、隣にカフェオレ色が・・・ なんていうんですかねぇ、安っぽくも見えますよね~ 見慣れないせいか、なんだかなぁ~ そういえば、国鉄当時の電車(国電)はかつてはこげ茶色(チョコレート色)とよばれる塗色ばかりでした。関西ではその後になって朱色に塗り替えられた車両が多かったわけですが、時代は繰り返すんですね・・・。 話をもどして、塗色が単色化されても113系には変わりないわけですから、末永く活躍してくれればいいですね。
2012年01月06日
コメント(2)
今日は私の家の都合で休みを取っていました。その用事も終わりましたので、下の子どもと一緒に同じ町内にある明神山(273m)に登ってみることにしました。この山は以前にも無線の運用で登ったことがあるのですが、それ以来行ったことがなかったので行って見ることにしました。 下の子どもも保育所の遠足や学童保育で行ったことがあるそうですが、やはりそれ以来行ったことがないとのこと。ちょうどいい機会でした。 ふもと、といっても住宅地に登山口があるのですが、そこからゆっくり歩いても20分くらいで到着します。全部コンクリート舗装されていて、先日来の大風で飛ばされたのか落ち葉や枝がたくさんありました。坂もそんなに強烈ではないので、地元の方も登っておられました。山頂には神社があるせいかもしれませんが。 山頂に到着して少し休憩しました。風が強くて寒かったのですけど、下の子どもは学校でローマ字を習っているので説明看板のローマ字表記で読み方を勉強していました。 帰りはそのまま下るのも面白くないので、案内看板に書かれていた「展望台」を探してから帰りました。展望台とは名ばかりで、視界は上の写真よりも開けていませんでした・・・。 結局1時間半くらい遊んでいましたが、いい運動になりました。
2012年01月05日
コメント(0)
暴力団関係者との親密な交際を理由に昨年8月、芸能界を引退した吉本興業の元タレント、島田紳助さん(55)について、同社の大崎洋社長は4日、大阪市内で行った「創業100周年プロジェクト発表会見」で、紳助さんの復帰を希望する考えを明らかにした。 大崎社長はあいさつの中で「私たちは(島田)紳助君の才能を惜しみます。願わくば、社会、ファン、マスコミの皆様のご理解をいただければ、いつの日か吉本興業に戻ってきてもらえるものと全社員、全タレントが信じています」などと話した。 大崎社長は昨年末に紳助さんとメールで何度かやり取りしたが、復帰についての話は出ていないという。「本人の意見は尊重したいし、そもそも復帰したいかどうかも確認していない」と大崎社長は話しており、具体的な内容などは全くの白紙としている。 紳助さんは昨年8月、緊急会見を開き、暴力団関係者との間で親密な交際があった事実を明らかにし、芸能界から引退すると発表。テレビ各局がレギュラー番組の突然の打ち切りを決めるなど社会的にも関心を集め、芸能界と暴力団との関係に一石を投じた。【産経新聞ネット版から引用】 芸能界と言うところは大麻や覚せい剤でつかまっても、しばらくしたらまた復帰することがありますよね。一般の会社ならこうはいきませんけど、「犯罪には甘い」世界なんですね。まぁ、甘いと言えば政界もそうでしたね。怪しいところから献金を受けていたり、賄賂をもらったりしていて離党したり議員辞職しても、次の選挙には何食わぬ顔で出てくる。それに投票するバカも悪いですけどね・・・。 すみません、話がそれました。 さて、昨年8月に突然芸能界を引退すると言って一方的に辞めた島田紳助。「暴力団との付き合いがあったら切腹します」だったかな、大見得切っていたけど、結果的に辞めたのであればそれがあったと自ら言っているようなもの。それはそれで自分の意思で辞めたんだからいいわけだし、吉本興業という会社としても痛くもない腹を探られなくていいわけだから、めでたしめでたしと思っていたんですけどね。 実際にはそうは言っても会社としては大きな稼ぎ頭が抜けたわけだからとてもつらいわけで、かつての横山やすしさんがそうだったように「復帰してほしい」と思っているんでしょうね。 でもね、時代は昔と変わってきているわけですよ。これまでならそれでよかったのかもしれないけど、今はそうは行かなくなってしまったわけでしょ。それに、別にいなくなったからといって、現場ではそんなに困ったこともないと思うんですけどね。若手や中堅のタレントにしてみたらチャンスなわけですから。世代交代が少し早く進んだということでね。 まぁ、このような話が会社のトップから出るとは思いませんでした。会社としてのコンプライアンスが疑われますね、新年早々から。大丈夫ですか? 少し飲みすぎたんじゃないの?
2012年01月04日
コメント(4)
今日は昨日の強風が収まった奈良地方です。 今日は毎年恒例のアマチュア無線のお祭りである「QSOパーティ」の移動運用として、例年と同じく信貴生駒スカイライン上にある十三峠へ行ってきました。強風は吹いていませんでしたが、曇り空で標高が約450mということもあって風が冷たくて寒かったです。 今回も同じ職場でこのブログにも時々コメントをくれる同僚のyoshi君と一緒に行きました。私は50MHz帯を、yoshi君とその息子さんは144MHz帯を交信していました。私自身は昨日に144MHz帯で33のアマチュア無線局と交信することができたこともあって、今日は50MHz帯で運用しましたが、結果的に40局と交信することができました。中でも、私が卒業した高等学校の9歳年上の先輩と交信することができたのはびっくり。当然お互い面識はないのですが、話の中から同じ学校と言うことが分かり、それだけでなく学んだ先生も同じだったのでとてもびっくりでした。世間ってせまいですね・・・。 ところで、やはりこのブログにコメントを下さるJF3MTMさんが遊びに来てくれました。無線の上ではつながったことがあるのですが、アイボールするのは初めてでした。こういうアイボールができるのも、おもしろいものです。 この二日間で77局と交信することができました。初めて交信した方もたくさんおられて、なかなか楽しかったし、前出のとおり高等学校の先輩や私と同じような珍名さんとも交信できて、アイボールもできたし有意義でした。
2012年01月03日
コメント(4)
あけましておめでとうございます。 今年も「あけやんの徒然日記」をよろしくお願いします。 今年の年末年始は例年通り、私の堺の実家ですごしておりました。そして、3年ぶりに大神神社(三輪明神)と安部文殊院へ1月1日の未明に行ってきました。寒いかなって思ったんですけど、そこまで寒くはなくて風もありませんでした。とはいっても、そこは奈良ですから冷えましたけどね・・・。 大神神社の絵馬です。今年は昇り竜のごとく災害からの復興や体たらくの政治が劇的に変わればいいですね。 さて、前出の通り正月は堺の実家で迎えましたので、雑煮も堺で食べました。 例によって、私の実家では雑煮の上には「鰹節+青海苔」がかかっています。 ところで、左側のお皿の上に乗っている一番上の「伊達巻」。これって、関西以外ではあまりみかけないって聞いたのですが、みなさんのところではいかがですか? けっこう甘めの伊達巻なんですけどね。私は好きなのですが、私の家族はそうでもないです・・・、なんでやねん! それから、夜は焼肉をしましてビールもしっかり飲んでいました。また、普段はあまりしゃべることの少ない弟と夜遅くまで酒を飲んで話していました。こういうのもいいものですよね。
2012年01月02日
コメント(6)
全30件 (30件中 1-30件目)
1