全37件 (37件中 1-37件目)
1
今日は、草野球の試合で関西電力の南港発電所隣接のエルシティナンコウ球場へ行きました。ここには南港発電所のPR館があって、私の子どもたちが小さい時に夏休みの宿題の自由研究を兼ねて行ったことがあります。 PR館の前には、今はなき関西電力の高砂発電所にあった中圧タービンがありました。これは撤去されずに置かれていました。 説明の表示もそのまま残っていました。 それにしても、南港発電所のPR館はとても出来がいいなぁと思っていたので、閉鎖はとても残念に思いました・・・。
2018年04月30日
コメント(0)
GW真っ最中ですが、草野球の試合もありまして楽しみなんですよ。今日は、住之江区のエルシティナンコウ球場で練習試合がありました。 ここは、関西電力の南港発電所の一角にあります。南港発電所は、10年ほど前に在籍した部署の時に何度も仕事で行ったことがあります。高さ200mの煙突、「白ネギ」とも呼ばれているとか・・・。 まずまずの広さなのですが、外野は雑草が生えまくり・・・。以前はもっときれいに整備されていたように記憶してるんですけどね。 そういえば、この球場隣接した南港発電所のPR館があったのですが、閉鎖されてしまったそうで・・・。 さて、試合相手はメッツ倶楽部さん。何度も対戦したことがあるチームです。今日はキャッチャーで出場、H12さんとバッテリーを組みました。 試合は、3回裏にタイムリーと私のエラーで2点先制されてしまいましたが、4回表に押し出しで1点返しました。しかし、5回裏に再び私のエラーで1点失いました。いずれも三塁への悪送球で、リプレーを見ているようで情けなかったです。6回表にI5さんのタイムリーで1点返したものの、やはり私の2つのエラーのせいで3-2で負けました。 打つ方も全然ダメで、打率も早くも1割を割り込みました・・・。【今日の成績】 1打席目 三ゴロ 2打席目 三ゴロ 3打席目 四球 21打数2安打3打点6三振7四死球 .095
2018年04月30日
コメント(0)
GWに入ってとてもいい天気ですよね。 今日は、同じ集落の人達とBBQをしました。 私の家の近くに少し広いスペースがあって、そこにBBQのセットなどを持ち寄りました。肉とBBQセットは私が準備し、肉は昨日、私の実家のある堺市まで買いに行きました。BBQの火起こしも手馴れたもので、みなさんが集まる頃にはいつでも肉が焼ける状態に整備しておきました。 11時頃からみんな集まりだして、結局15人弱が集まり状況で、暑かったせいもあってアルコールも進みました。肉もとても好評でした。 ところで、元々は災害に備えた炊き出しの訓練をしましょうということだったのですが、それは名目であり、同じ集落の人とこうして集まることが少ないし、高齢化も進んで顔を合わす機会が減ってきているから、GWという時期なのですが集まっていろいろ話す機会を持ちませんか、ということで現在の集落の役員を務めていただいているIさんから話があったものでした。 時折顔を合わせている人達とも久しぶりに話すことができて、とても楽しい一日でした。
2018年04月29日
コメント(2)
一人焼肉、一人ラーメン(区分けカウンター席)など“お一人様需要”が広がる中、コンビニのアイスにも“お一人様需要”が生まれている。 コンビニのオリジナル商品、ロングセラーブランドの高質版の150円~200円の高価格商品が、この2年続けて約25億円ずつ増え、価格帯別販売高で最も伸長。1人時間・ひとり癒しを楽しむスイーツとして購入されている傾向がある。メーカーも「ひとりじめ時間」をパッケージにうたった商品をコンビニ先行販売するなど、“お一人様需要”を後押ししている。 コンビニアイスは、“大人需要”を取り込み近年のアイス市場の成長の一端を担っている(売上構成比はアイス市場全体の約3分の1)。アイスは高価格帯といっても200円前後の手頃さもあって、シュークリームやケーキなど洋生菓子との価格差も縮まり、男性にとっては気恥ずかしさなく購入しやすいのも特徴。家でもお酒を飲まない若者の増加を背景に、数年前には「スイーツ男子」という言葉が流行り、大人男性も一人でじっくりスイーツ時間を楽しむ需要が表面化した。【食品産業新聞から引用】 これからだんだん気温が高くなって、アイスの美味しいシーズンになってきますよね。私は、コンビニでは積極的にアイスを買う方ではないのですが、出張先の飲み会のあとにホテルへ戻る際にアイスを買って行くことがあったり、時折無性に食べたくなって飲み物と一緒にアイスを買うこともあります。 最近のコンビニのアイスは、ちょっとお高めのものも見られますが、私はそんな高いものはよほどのことがなければ買いません。低価格の定番のものと決めていますので、ガリガリ君かジャイアントコーンかな。でも、迷ったらスーパーカップ! やはりこれかな・・・。 そういえば、いつだったか前の職場の時に、久しぶりにハーゲンダッツのクリスピーを見つけたんです。テンションが上がってボスに「これっ! ハゲですよ、ハゲっ!」って言うと、「あけやんさん、ハゲはダメでしょ!」って言われてハタと気がつきました。よくみたら、ボスの頭が・・・。 それはさておき、男の人がスイーツ好きでもいいじゃないって思うんだけど、やはりダメなのか? このブログでも紹介しましたが、かなり前に北海道へ行った時にコンビニ横で販売されているソフトクリーム店に営業車の営業マンだけでなく、タンクローリーやトラックの運転手が普通にそこでアイスクリームを買っているのをみて、疲れたらアイスだよなって思ったものです。ただ、飲み物もないと喉が渇くのが玉に瑕かな・・・。 話を戻して、コンビニも男性向けアイスをもっと企画してもらえたらうれしいです。できたら、低価格でシンプルなものがいいなぁってね。
2018年04月28日
コメント(0)
今日は、休みをもらって家の作業と私のライフワークの一つである献血、それと毎年この時期の楽しみである「劇場版名探偵コナン」を見てきました。今作品が18作品目で、「ゼロの執行人」でした。 例によってネタバレになるので詳しくはHPなどをご覧いただければいいのですが、今回は警察と検察、双方の思惑が複雑に絡んでいて、加えて裁判などのことも出てきますから小さなお子さんには難しいかもなぁって思いました。私の娘はコナンの映画が好きなのですが、まだ見に行っていないのでそのようなことを話すと、「がっつり勉強したところだからメッチャ楽しみ!」と話していました。 ちなみに、来年も19作品目がつくられるようで、今度はこれもコナンのシリーズでは人気キャラクターである怪盗キッドが出てくるようです・・・。
2018年04月26日
コメント(0)
アイドルグループ「TOKIO」の山口達也メンバーによる強制わいせつ事件を受け、テレビCMを放映する企業や自治体などは対応に追われている。 スズキなどがCMの中止を決め、県産農産物のイメージキャラクターに採用している福島県はPR用ポスターを撤去。山口メンバーの芸能活動の無期限謹慎も決まっており、影響は長引きそうだ。 スズキは、TOKIOが出演する小型車「ソリオ」のCMを2015年8月から放映していたが順次中止。ヤマト運輸は4種類のCMを26日までに別バージョンに差し替えた。 20年以上起用してきたフマキラーは、今年も殺虫剤の需要が伸びる5月以降にTOKIOのCMを流す予定だったが、変更を決定。テレビやラジオで多くの番組に出演するだけに、各局とも放送内容の見直しを迫られている。 県は、東京電力福島第1原発事故に伴う風評被害を軽減するため、農産物の安全性を訴える広告にTOKIOを12年度から起用。事件発覚後、26日には県庁内からポスターを取り外した。18年度も新たなCMやポスターを作る予算を計上しているが、TOKIOについては「検討中」(農産物流通課)としている。 【時事通信ネット版から引用】 この事件は影響が大きいですよね。 アイドルといってもすっかりいい年齢になっているTOKIOで、ジャニタレの中では鉄腕DASHなどで活躍していて私も好きなのですが、未成年の女子高生への強制わいせつ事件というのはインパクトがありすぎてね。 真相はよくわかりませんが、よくわからないのが女子高生が20時ころに呼び出されたからといって、出歩くというのはどうなのか、っていうところですよね。芸能活動をしている女子高生だったら仕事の一環ではあるのかもしれないけど、それでもどうなんだろうね。そのあたりがよくわからない。それと、山口メンバー(→このメンバーって呼び方、なんとかならんのか?)が部屋に一人だったのか、それとももう一人いたのか。女子高校生は二人いたようだし・・・。 まぁその辺はそのうちわかるんだろうけど、ほかのメンバーにしてみたらホントいい迷惑で、CMやイメージキャラクターとして使っているスポンサーにしてみてもとんでもない損害なわけです。本文にあったように、スポンサーの方ではCMの差し替えやポスターの撤去などが進められていますし、TV番組の方でも対応がすすんでいるでしょうから、その影響はかなりのものになると思います。 そう考えると、CMやイメージキャラクターってとても大変なんですね。ちょっとしたことが大きな損害につながる恐れがあるわけだからね。 さて、このあとどのようになるのか。無期限謹慎とのことですけど、芸能界のことですからね。過去にはシャブや大麻で捕まってもいつの間にかシレっと復活しているからなぁ。今回のケースはイメージが悪すぎるから、さすがにシレっと復帰は難しいかな・・・。 それにしても、DASHでは木工などで器用な一面を見せていたのに、残念ですね・・・。
2018年04月26日
コメント(0)
先月、東京勤務していた時に泊まっていた大井町のアワーズイン阪急の近くに気になるメロンパンのお店がありました。時折、線路むこうにある品川郵便局へ行くときに、そのお店の前を通っていて気になりつつも買ったことはありませんでした。しかし、東京勤務の最後の日に買うことができました。 焼き目のはっきりとしたメロンパンで、サクサクでした。ワゴン車の後ろにオーブンを積んでそこで焼いている移動販売車をみかけることがありますが、あれはあれでいいんでしょうけど、このメロンパンはまたそれとは違うものでした。 「メロンパンファクトリー」というお店で、小さなお店ですがお店の中にはオーブンがあるようです。 お店の方も気さくで、東京に行く楽しみが増えたなぁって思っているのですが、肝心の東京へ行く機会が今の部署ではほとんどないようで・・・。
2018年04月25日
コメント(0)
広島で活躍し、2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が23日、上行結腸がんのため、都内で死去した。71歳。京都府出身。通夜・葬儀は家族のみで執り行う。お別れの会などは未定。 衣笠氏は、1965年に広島に入団し、68年から一軍に定着。87年、40歳の時に、米大リーグ、ルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の持つ、2130試合連続試合出場を48年ぶりに塗り替える、2131試合連続出場の世界新記録(当時)を達成した。 連続試合出場記録日本記録・世界2位記録、連続フルイニング出場歴代3位、通算安打数歴代5位、通算本塁打数歴代7位など、数々の記録を打ち立て、87年9月21日に現役引退を表明。その際「可能性を求めて野球を続けてきたが、走、攻、守の三拍子そろった野球ができなくなった。カープは守備のチーム。自分が納得できる守備ができなくなっては、これ以上プレーすることは耐えられない」と、声を詰まらせながら現役との別れを告げた。 引退後は野球解説者として活動。87年に王貞治氏に次いでプロ野球2人目の国民栄誉賞を受賞し、96年には野球殿堂入りも果たした。【スポニチアネックスから引用】 カープのレジェンド、鉄人こと衣笠祥雄さんがなくなったとのこと。 とにかく丈夫な体で、インコースの近いボールにも動じることなく、死球にあたっても平然と一塁へ向かう姿は、「この人の体ってどうなっているんだろう?」って思ったくらいです。もちろん、生身の人間ですから、何度かは骨折したこともあるんですけど、総じて頑丈な体で大きな怪我はなかったように記憶しています。その結果が当時の世界記録の2131試合連続出場ですからね。 それとあのフルスイングですよね。目いっぱい振り回してくるわけですから、相手投手も投げづらいですよね。豪快なスイングが目に浮かびます。 そういえば、数年前に娘と一緒にズムスタへ行った際、「衣笠祥雄レジェンドTシャツ」を見つけました。っていうか、最初見かけたときはなぜこんなところにゴリラのTシャツが?って思ったのですけど、レジェンド衣笠さんでした。すみません・・・。 衣笠さんのご冥福をお祈りします・・・。
2018年04月24日
コメント(0)
私が長年通っている散髪屋さんに行く時に利用するのがJR学研都市線の鴫野駅。ここは、以前も紹介したことがありますが、複々線化工事が行われています。 まずこの写真をご覧下さい。これは2013年頃の様子です。今、私が立って写真を写しているホームは、京橋方面へ行くホームで、反対側は放出、長尾、木津方面へ行くホームです。 それが今ではこんな感じに。5年のあいだにかなり変わりましたね。 上の写真と比べてもらうと、線路が一本少なくなっていますよね。その分ホームが広くなっています。 加えて、先の写真にあった放出、長尾、木津方面のホームが工事中になっています。ちなみに、現在の放出、長尾、木津方面へ行く列車はこの写真のホームから乗車します。 放出方面には線路が続いていまして、何らかの工事が完成すれば、広がったホームも元に戻されるようです。 ちなみに、京橋方面へ行くホームは新しくできた線路のところにできています。 2013年当時はこんな感じ、まだまだ工事中でした。 さて、鴫野駅の工事完成の様子がよくわからないのですけど、おおさか東線と学研都市線を分離して、特におおさか東線はそのまま新大阪方面へ伸びるということですから、どんな線形になるのかなってね。 奈良方面から新大阪まで乗り換えなしに行くことができるのは便利になるなぁってね。でも、今の部署はそこまで新幹線や特急を使って東京方面や北陸方面へ行くことがないので、個人的にはメリットないなぁ。奈良を訪問する観光客には便利になるのは確かだけど・・・。 それにしても、このような定点観測じゃないけど、こういった何気ない写真も撮っておけば比較ができて面白いですね。
2018年04月23日
コメント(0)
今日は、住之江公園球技場で練習試合がありました。元々は公式戦の予定だったのですが、相手チームの事情で中止に・・・。そこで、別のチームとの練習試合となりました。相手は、侍チャバンさん。平均年齢27歳くらいという若いチームで、ユニフォームもバラバラでした。ガゼルスは9人ギリギリという有様でした。 さて、1試合目はO3さんが先発、私はキャッチャーで出場でした。試合は、相手打線がよく振れていて、2回表に4点、4回表に3点と失点、いい当たりを右に左に打たれていました。ガゼルスも反撃したいところだったのですが、相手投手に抑えられて唯一のチャンスだった無死1、2塁で私が併殺打に倒れるなどして、結局10-0で負けました。 2試合目は、H12さんが先発、私は再びキャッチャーで出場、途中からセカンドに移りました。試合は、1試合目同様に初回から3点失う苦しい展開、ガゼルスもたまにヒットは出るものの連打ではなく、結局6-0で二試合連続の完封負けとなってしまいました。 ところで、2試合終わってもまだ1時間近く時間があったので、もう一試合することに。いかに試合展開が早いというか、ガゼルスの打線が淡白だったかわかるものですが・・・。3試合目は私が先発、M23さんとバッテリーを組みました。 初回にヒットやエラー絡みで6点をいきなり失う展開、その後も2点、3点と失って最終的には時間切れで3イニングで終了。ガゼルスは一本のヒットも打てませんでした・・・。 私もよく打たれましたが、それでも変化球で空振りをとったり、三線も2つとりました。また、途中からはキャッチャーがフルスイングさんに変わりましたが、わたしの遅くて急に変な方向に曲がる変化球をよく止めてくれました。 それにしても3試合、イニング数にして17イニングもよくやったなぁって思いました。【今日の成績】1試合目 1打席目 三ゴロ 2打席目 投併殺打 3打席目 投ゴロ2試合目 1打席目 三振 2打席目 四球 3打席目 二ゴロ3試合目 1打席目 三振 19打数2安打3打点6三振6四死球 .105
2018年04月22日
コメント(2)
今日は、午後から西宮へデリカSWの12ヶ月点検へ持って行きました。その作業中は、前に住んでいた甲子園の周りを散策しました。 やはり思い出深いのは、近くの甲子園浜です。上の子どもが小さい時には、散歩コースでした。 引き潮だったので、子どもたちがカニを見つけてはしゃいでいました。 ちなみに、この甲子園浜のあるところは、甲子園球場ができるまでに今の高校野球に当たる中等学校野球大会が行われていた鳴尾球場があった場所だそうです。 甲子園浜に続く道路は、甲子園筋とよばれていて、かつては阪神電鉄の路面電車である甲子園線が上甲子園まで運行されていました。写真に見えるフェンス沿いにかつての浜甲子園の駅があったそうです。 今の時期は、ちょっとしたところに花が植えられていてきれいですよね。 ちなみに、私は前出の甲子園筋に程近い団地で新婚生活をスタートしたので、この土地はとても思い出深いところなのです。 そんなところで見つけたのが、ローソンの阪神タイガースバージョン。このお店は、私が住んでいた頃にはありませんでしたので、最近できたものでしょうね。 ズムスタの近くには、広島東洋カープバージョンのローソンがあります。 甲子園へ行くと、ほぼ必ず行くのが「百楽」という中華屋さん。ここの麻婆丼が好きで、今日もいただきました。近くの阪神甲子園球場では、阪神=巨人戦のデーゲームをやっていましたよ。
2018年04月22日
コメント(0)
今日は、とてもいい天気だった奈良地方です。そんな状況でお出かけしましたが、場所は広陵町で行われた「靴下祭り」へ。 毎年春と秋に行われていますが、その靴下祭りで楽しみなものがあります。 黒滝村のこんにゃくです。 前にも紹介しましたが、醤油ベースで炊き込まれていておいしいんですよ。箸は、吉野杉でした。 そして、こんな感じで販売されていました。 おいしいのは私だけでなく、ここへ来る人はみんな知っているので、かなり並びました。
2018年04月21日
コメント(0)
このところ、私のメアドに楽天から怪しげなメールがやってきます。 今回紹介したいのは、「TRYX3(トライ3)楽天市場店」というところからの自動配信メールで、アウトレット品のハイビジョンテレビを注文したことになっています。 あのね、そんなもん注文した覚えもないし、テレビはもう間に合ってますからあえて買う必要はないわけです。 これって、スパムメールですよね。このトライ3というネットショップは実在しているようで、そこでも注意喚起の表示がありました。トライ3側でも迷惑しているみたいです。 そういえば、先日は楽天カードの関係でもメールが来ていたけど、楽天カードは持ってないし・・・。 楽天ももうちょっとしっかりと対策しないといけないんじゃないの? まぁ、私は怪しいメールは即消しにしているんだけどね。 メールといえば、レイバンのサングラスシリーズのスパムメールに変わって、最近ではオークりーサングラスのシリーズが多いです。ホント、これもいらんメールだわ~
2018年04月20日
コメント(0)
今日は金曜日、カレーの日ということで、今回も南森町のKOHYOスーパーで買ったカレーパンです。 4月から職場の部署が変わりましたが、昼休みは南森町まで行って買い物して、近くの大川沿いのベンチで座って昼食を食べています。息抜きというか、外の風に当たらないと昼からの仕事にも差し支えるかなってね。
2018年04月20日
コメント(0)
先日、コンビニで懐かしいベビースターラーメンをみつけました。 ちょっと大きさは大きいのですけど、このキャラクターでしたよね?今では、キャラクターは変わってしまっていますけど・・・。 ちなみに、こんないろいろなバージョンってありましたっけ? 私は、子どもの頃に駄菓子屋に行っても、小遣いがなかったのと、あまり買い食いをすることをしなかったので、いつもパッケージを見ているだけでしたので覚えていないんですよね・・・。 ベビースターラーメンは、旅行や出張の帰りのビールのお供に買うことがありますが、変わらぬ味でいいなぁってね。
2018年04月18日
コメント(0)
いつも「あけやんの徒然日記」をごらんいただきまして、まことにありがとうございます。 2005年8月1日に始めたこのブログも、ついに150万アクセスを達成しました。 どうもありがとうございます! これからもどうぞよろしくお願いします!!
2018年04月17日
コメント(0)
先月の東京での仕事の休みの日には、箱根や草津、日光、甲府へ行きました。その際には多くのバスに乗ることができました。 箱根では、国道1号線を走る路線バスに乗って芦ノ湖まで行きました。東海バスはこのようなカラーリングで、その多くは「前中扉」のバスでしたが、写真のバスは珍しいトップドアのみのもの。東海バスでは、前中扉といっても実質は中扉は使っていなかったので、このようなトップドアのバスでも使えるはずなんですよね・・・。 日光では、東武バスに乗車。これは世界遺産をめぐるバスだそうです。特装車両ですが、私が乗車したのは同じカラーリングながら、特装車両ではありませんでした・・・。 これは、東武バス日光が日光と鬼怒川温泉のあいだを運行しているかつての路面電車の東武日光軌道線の車両をイメージしたものです。モデルとなった100型は、今でも岡山県の岡山電気軌道で2両が活躍しているそうです。 ちなみに、かつての東武日光軌道線は、日光駅から馬返まで結んでいたそうで、今回は私もバスで移動したのですが、鉄道車両にはきつそうな坂が多かったです。 草津では、JR長野原草津口駅から草津温泉バスターミナルまで、JRバス関東の路線バスで移動。路線バスといっても、観光バスタイプのものでした。しかも、途中のバス停には停車しない「急行」のバスにも乗ることができました。 草津温泉バスターミナルは、このように頭を突っ込んで停車、乗降客を乗せると、バックして出発していくことになっていました。 ちなみに、JRバス関東は、国鉄バス時代からの伝統であるツバメマークが描かれていますね。 ちょうどこんな感じです。 そういえば、北海道の小樽駅前における北海道中央バスもこんな感じでした。 最後に、これは甲府駅前の山梨交通の車両。青いバスはラッピング車両ですが、その右側のバスは、かつての山梨交通の塗色だそうです。今は、国際興業バスとよく似たものとなっております。 普段見慣れないバスをたくさんみたので、写真に収められる限りは収めてみましたが、なかなかタイミングがあわなくて難しかったです。
2018年04月17日
コメント(0)
先月、日光東照宮や華厳の滝に行った時に利用したのがJR日光線でした。日光線は、宇都宮から日光までを結んでいる路線で、今ではすっかりローカル線となっていますが、かつては日光への観光客を東武鉄道と競合した路線でした。 現在の日光線内は、特急など優等列車は運転されておらず、普通列車のみで運行されているのは205系が使われています。かつては東京近郊で使われていたものです。 国鉄時代には、157系という当時の特急用車両に準じた車両としてこの日光線に投入されたことから、国鉄も日光への観光客輸送はかなり力が入っていたということですね。 写真は、当時の157系をイメージして塗装されたJR東日本の185系ですが、なかなか格好いいですよね。(今では運行終了している) さて、オリジナルの205系はロングシートなのですが、ここでもそのまま使われています。外国人観光客は荷物が多い傾向があるので、クロスシートよりはこちらの方がいいかと。 日光駅に到着しました。 日光線の駅名表示は、JR東日本オリジナルとは異なるものとなっています。 日光駅の外観です。 ここも最近、改装されたものだそうです。かつては、優等列車が到着するたびに大勢の観光客が降りてきたんでしょうね。 駅舎の上には、龍の絵が描かれています。どう言う意味があるのかわかりませんが・・・。 駅舎の上にもあがることができました。 シャンデリアがあって、雰囲気もあっていいですね。古き良き時代には、貴賓室とかあったのかな。そんな雰囲気を感じてしまいます。 そこには、日光駅の歴史も紹介されていました。 それによると、日光線は元々は日本鉄道の路線で、1909年に鉄道国有化法により国鉄になったんですね。また、前出の157系による運転開始は1959年ですが、それはこの日光線が電化されたことによるもので、その前の1956年にはキハ55系ディーゼルカーによる準急列車が運転されていまして、これも日光への観光客輸送に投入されたものでした。 このように、日光線は国鉄にとってはとても重要な路線だったわけですが、1982年に線内を走る優等列車がなくなってからは普通のローカル線になっていますが、東北新幹線が開業して宇都宮駅で日光線に乗り換えることができるようになっていますから、乗り換えの手間はあるとしても東武鉄道といい勝負をしているように思えるんだけど、やはり東武鉄道の方が優位かな・・・。 ところで、日光から宇都宮へもどる列車は同じ205系ですが、帯の色が異なっていますね。この205系は東北本線用の車両なのですが、日光線にも乗り入れているんですね。ちなみに、この列車は宇都宮行なのですが、終点宇都宮でそのまま黒磯行きになっていました。
2018年04月16日
コメント(2)
今日は、草野球の試合がある予定だったのですが、あいにくの雨ということで早々と中止が決まってしまったので、妻の要望でコストコ和泉へ行きました。先日も平日に行ったそうですが、買い忘れたものがあるのと私の実家の母親にも渡したいものがあるということで、行くことになりました。 9時半頃に着いたので、駐車場は空いていました。買い物は、元々決めていたものが多かったのでスムーズでした。 さて、コストコへ行けばいつも買うのがホットドックなのですが、今回はメロンのスムージーにしました。「キャンタロープ メロンスムージー」というそうですが、夕張メロンの香りが強かったです。ちなみに、今月登場の新商品だそうです。 それから、堺の私の実家へ行く前にももうひとつ買い物へ。KAWA(カワ)という和歌山に多いパン屋さんに行って、生クリームサンドというパンを買っていきました。 少し小ぶりな黒糖食パンなのですが・・・ このあいだに、生クリームをはさんであります。なかなか美味しかったですよ。 母親もこのパンと、そのほかコストコのパンなどをもらってうれしそうでした。 今回は妻も一緒に行ったので、とても楽しそうに話をしていました。私のみで行くよりも、妻や上の子どもと一緒に行くと、とてもうれしそうなんですよね・・・。
2018年04月15日
コメント(0)
今日は午前中、とてもいい天気だった奈良地方です。 今日は、主に草刈りのために畑へ行きました。雑草が伸びつつある状況だったので、先手を打ってきれいにしました。 さて、じゃがいもはようやく芽が出てきました。 これは、新2号畝のじゃがいも。一つはいい感じで大きくなっていますが、そのほかも小さな芽がでています。 こちらは、新7号畝のじゃがいも。けっこう芽が出てきていますね。 その隣の新6号畝のうすいえんどうは、花も咲いてきたり蔓も伸びてきました。 ただ、密集しすぎかな・・・。 たまねぎは・・・、大きくなりませんね。 GWくらいに全て収穫して、新玉ねぎとして食べてしまおうかなってね。
2018年04月14日
コメント(0)
今日は金曜日、カレーの日ということで、久しぶりに金曜日にカレーを食べることができました。 義弟からもらったレトルトのカレーだそうです。かなり辛いとの話だったのですが、そこまで辛くはありませんでした。どこかのホテルのカレーのレトルトのようでした。
2018年04月13日
コメント(0)
滋賀県彦根市の滋賀県警彦根署河瀬駅前交番で、同署の井本光(あきら)巡査部長(41)が拳銃で撃たれて死亡し、殺人容疑で同僚の男性巡査(19)が逮捕された事件で、2人はともに事件の16日前に同交番へ配属されたばかりだったことが12日、県警への取材で分かった。県警は2人の間のトラブルについて「現時点で把握していない」としているが、捜査関係者によると巡査は「罵倒(ばとう)されたので撃った」と話しているといい、県警は動機や経緯を詳しく調べる。【産経新聞ネット版から引用】 ちょっとこの事件は衝撃的なものでしたね。警察官が同僚を拳銃で殺害するって、これまではなかったことでしょ? 自殺するというのは時折あって、それもそれでどうなのって思ってしまうけど・・・。 動機は「罵倒された」とのことですけど、社会人一年目っていうか、実際に現場に出てまだ2ヶ月くらいなわけでしょ。上司に怒られることだってあるとは思うんですよ。それにいちいち反応していてはいけないわけだけど、ただそこには程度っていうものがあるでしょうね。 つまり、言い方とか指導の仕方ですよ。ボロカス罵ればいいと思っているバカ上司もいるだろうしね。ボロカス罵っていうこと聞けばいいけど、それってそのバカ上司の教育係としての能力がないっていうことだよね? 何も甘やかすことはないんだけど、「適切に指導する」ことが大事だと思うんだけどね。 私の場合は、32年前に高卒で今の職場に入りましたけど、当時は「新人類」なんて言われていたのを思い出します。なんだか今までと違う新人が入ってきたと思われていたようでしたけど、罵倒するようなバカ上司はいませんでしたよ。まぁ、私が新人当時に、罵倒するようなバカ上司の下に配属されていたら、その上司と衝突する前に速攻で辞めていただろうな・・・。いや、一発ぶん殴って辞めているかも。 話を戻して、この事件の全容はわかりませんが、新人を指導すること、まぁ新人に限らないかもしれないけど、指導する方の立場としたら理不尽なことを要求したり、相手の立場にも立った指導をしないと、このようになってしまうのではないか、そんなことを考えさせられるような事件でした。
2018年04月12日
コメント(0)
今年2月に仕事で茨城県ひたちなか市へ行きました。その最寄駅が勝田駅だったのですが、勝田駅の北方には勝田電車区がありまして、その関係か勝田止まりの列車もあります。さて、勝田駅構内も意外と広いわけですが、2月に行った時点ではかつて特急「スーパーひたち」などに使われていたJR東日本の特急車両の651系が留置されていました。 廃車前提の留置なのかどうかわかりませんが、2編成が置かれていました。 「スーパーひたち」は新しい車両に置き換わったことから、一部は直流区間へ移籍して651系1000番台となっているとのこと。これは、JR西日本の「しらさぎ」で使用されていた683系が「くろしお」「きのさき」など直流区間へ移籍しているのと同じパターンですが、JR西日本の場合は形式を分けて289系としているところが異なっています。 いすれにせよ有効活用されているのはいいのでしょうけど、この留置車両はかなりくたびれていたのでどうなるのかな・・・。あれから2ヶ月経過しているので、現状はどうなっているかわかりませんが。
2018年04月11日
コメント(0)
先日の日曜日は、妻と下の子どもが中学時代の部活のメンバーで夕食へ行くということだったので、私と娘で柏原市にある「三四六」というラーメン屋さんへ行きました。ずっと前から気になっていたお店で、国道25号線沿いにあって、古い車が置かれているんです。古い車好きな私にとっては気になっておりました。 国道に近いところに置かれているこの軽四車は、スズキのスズライトキャリイ。今のキャリイのご先祖さんみたいなものです。この当時は、ボンネットがあるタイプだったんですね。ちなみに、このモデルは1961年からつくられた初代のモデルだそうです。 その奥にあるのが、ダイハツハイゼット。1968年から作られた3代目にあたるモデルです。 このハイゼットも先のスズライトキャリーもドアの開閉が、今の車とは逆に開くパターンですね。 さらにその奥にあったのが、ブルーバード。ダットサン310系ともいいますが、「ブルーバード」の名前が付いた初代の車です。1959年に登場、このモデルはテールランプの形状から中期にあたりモデルではないかと。 「ブルーバード」の名称も日産の歴史の中から消えて久しいのですが、日産の屋台骨を支えた車名なのでいずれ復活してほしいけど、ゴーン体制では無理かな。っていうか、ルノー傘下では無理か。 すみません、ラーメンの話でしたね(汗)。 こんな感じのメニューになっていました。塩としょうゆがメインでした。 私は塩、娘はしょうゆでした。シンプルな味でした。 お店自体はそんなに大きくないのですが、先客がいたし、その後も次々にお客が入ってきてなかなか流行っていました。
2018年04月11日
コメント(0)
JR東海は9日までに、東海道新幹線(東京―新大阪)で運行する新幹線「700系」を、2020年3月までに引退させることを決めた。 後継車両の「N700A」への置き換えが完了するためで、先頭のくちばしのような形状から「カモノハシ」の愛称で親しまれてきた700系は、運行開始から21年で同新幹線区間から姿を消す。 JR東海とJR西日本が共同開発した700系は、1999年3月に運行を開始した。東海道新幹線では20年春から全車両が最高時速285キロで運行されるため、同270キロの700系の引退が決まった。 JR西の山陽新幹線(新大阪―博多)では20年以降も運行が続けられる見通し。【時事通信ネット版から引用】 東海道・山陽新幹線で運行されている700系が2020年に引退するとのこと。東あの独特の形状がようやく馴染んできましたけど、最初はなんじゃこりゃ?って感じでした。それから、車体の両端部にコンセントがついているのは便利になったけど、例えばD・E席の両方で1つしかないので意外と不便だったりしたんだけど(苦笑)。 最近は、N700系が増えてきて700系が使われるのは、主に「こだま」でみかけますが、たまに「のぞみ」でも臨時便で運行されることもありますね。そのたまに乗る臨時便の「のぞみ」に乗車することもあって、なんだかその時にはちょっとがっかりかな・・・。窓側にコンセントないからね。 東海道・山陽新幹線も世代交代がどんどん進んでいて、N700系の後継も登場するとのこと。3月までの部署では東京~新大阪間を何度も利用しまいたが、今の部署ではそんな遠出をすることはないので、知らないうちに700系は引退しているんだろうなってね。 そういえば、私が就職した1986年当時は、まだ0系の広窓車が普通にあったし、100系が徐々に増加していく状況でした。その後、300系が「のぞみ」として登場して一気に東京~新大阪間が近くなり、500系はその形状から特徴ある車両でインパクトがありました。ここまでは、すでに東海道新幹線では見られなくなっているというのは、時代を感じるし私も年をとったなぁっていうところですね。
2018年04月09日
コメント(0)
なかなか畑作業の様子を紹介できていませんが、あまり芳しいものではないんです・・・。l 新4号畝の玉ねぎですが、あまり草丈が伸びていません・・・。 新3号畝も同様。肥料をやらなければならない時期が、雨だったり出張でいなかったりしたのが原因かと・・・。おそらく、ミニ玉ねぎで終わりそうな感じです。 うすいえんどうの方は、ようやく蔓が伸びてきてくれて、花も咲いてきました。 新2号畝のじゃがいもです。こちらもようやく芽が出てきまして、大きくなってきました。新7号畝も順調に芽が出てきています。 ちなみに、新1号畝にはチンゲンサイと大根を植えてみましたが、まだ芽が出てきていません。 やきもきしながら見守っている、っていうところですね。
2018年04月08日
コメント(2)
今日は、JR弁天町近くの磯路中央公園運動場で練習試合がありました。12人と多くの参加で賑やかでした。試合相手はホッパーズさん、平均年齢がガゼルスと同じくらい高そうでした。 試合は、1回表に幸先良く一挙5点をあげました。相手投手の始球式のようなゆる~い球をうまくとらえていました。ガゼルス先発はO3さん、1回裏に2点失うも以降は得点を与えませんでした。 3回表にも3点、6回表にもM13さんのホームランなどで4点を効果的に追加点をとり、12-2で勝ちました。 私はサードで出場、守備機会は1回しかありませんでしたが、難なくアウトにしました。また、5回からはO3さんをリリーフして2イニングを三振2つをとり、無四球でした。これまで2試合に登板し、四死球連発で防御率も42.00ととんでもない数字だったのですが、6.00までになりました。(まだまださっぱりですが) 打つ方も、3打席目にセンター前タイムリーを打つことができました。 【今日の成績】 1打席目 遊ゴロ 2打席目 三振 3打席目 中適時打 13打数2安打3打点4三振5四死球 .154
2018年04月08日
コメント(0)
奈良公園(奈良市)で3日から、名物「鹿せんべい」の売り場に“正しい与え方”を説明した看板が設置され、ちょっとした話題だ。英語、中国語、日本語で「じらさずにすぐちょうだい!」などと書かれている。 外国人観光客がシカの写真を撮ろうとして、鹿せんべいをなかなか与えず、怒ったシカに噛まれてケガをするなどのトラブルが急増しているからだ。そもそもシカってじらされると怒るの? という素朴な疑問もある。「奈良の鹿愛護会」の担当者がこう言う。 「じらされると怒りますよ。気性が荒い? 草食動物で攻撃的ではありませんし人間にも慣れていますが、もらえるであろう目の前にある餌がもらえないと、そりゃ怒ります。人間と一緒ですよ」 県によると、奈良公園の人とシカのトラブルは2016年には118件(121人)だったが、17年には180件(186人)と過去最多に。外国人観光客が8割近くを占め、中でも、中国人が114件と断トツだ。 「平日の奈良公園の観光客は、ほとんどが中国人ですからね。確かに、マナーの悪さが目につく時もある。中国では動物から菌に感染して死亡するケースが日本より多く、動物に噛まれることに敏感です。日本人なら、ばんそうこうを貼って済ますようなケガでも、中国人は命に関わることだと思い、血が出ていなくても相談にくるそうです。それもトラブル件数急増の一因でしょう」(県政担当記者) 実際、シカが体当たりしてきて骨折するなどの大ケガは、年間1件程度だという。 とはいえ、野生のシカが生息することで有名な広島・宮島では、生活環境被害や観光客への危害が問題化し、10年ほど前から“餌付け”が禁止になっている。奈良でも「餌付けを条例で禁止する方針を固めた」などと、昨年、一部で報じられただけに、トラブル急増のせいで鹿せんべいがなくならないか心配になってくる。県の奈良公園室担当者がこう話す。 「昨年の報道は知っていますが、あくまでうわさレベルの話で、そのような条例はありません。スナック菓子や弁当をシカに与えたり、悪質になるとお酒を飲ませる観光客もいます。歯止めをかけようと検討会を開き、餌付け禁止の条例も含めて検討したことはありますが、鹿せんべいを禁止にすることは検討したこともない。奈良のシカは天然記念物に指定されています。人がシカに餌を与える光景が奈良の風景にふさわしいからです。だから、餌付けのすべてを禁止するということは、あり得ません」 まあ、観光の目玉のひとつがなくなれば、県の財政にも響くだろうし、ひと安心だが、観光客も最低限のマナーぐらいは守るべきだろう。【日刊ゲンダイ デジタルから引用】 先日、久しぶりに奈良公園に行きましたが、確かに外国人観光客が多かったです。欧米系の観光客もそれなりにあったのですが、相変わらず中華系・朝鮮系の観光客が目立ちました。マナーのいい人もいるんでしょうけど、私が見る限りは危うい人もいましたね。さすがに鹿に噛まれている人はいませんでしたが、鹿せんべいを上げるタイミングがおかしい人はたくさんいました。 このような看板も設置されているのですが、日本語で書くよりも中華系・朝鮮系の文字をもっと大きく書いておいたほうがいいと思うけどな。 さて、外国人のとんでもマナーのおかげで、鹿へのえさやりができなくなるのはおかしいですよね。もっとも、外国人向けのガイドブックに、『鹿からのおねがい』を書いといたらどうかな? 「もったいぶらんと さっさとせんべい よこさんかい!」奈良公園の鹿は、神様のつかいと言われていましたよね。その神様に対してもったいぶったり、ましてや酒飲ませるバカもいるそうですからね。もうホント、そんなヤツラには来て欲しくないね。
2018年04月07日
コメント(0)
ISUZU PLAZAの2階には、他にも貴重な車が展示されていたのですが、いすゞの乗用車の中で異色の自動車といえばこれでしょう。 そうです、117クーペです。 トラック・バスのメーカーが作ったと思えないくらいのスタイル。しかも登場時期が1968年ですからね、そんな時期に日本車でこんな車があったなんてすごいです。 ついでにいうと、初期モデルは、ハンドメイドで作られていた部分が多かったとか・・・。 奇しくも展示されているのは、初期モデルなんです。 1972年以降のモデルチェンジからはアメリカのGMと提携した関係もあってか量産化部分が増えたそうで、さらに1977年からの最終モデルはヘッドライトが角目になったりしながらも1981年までの13年にわたって作られた名車なのです。 この初期モデルのカタログは、自動車のカタログでありながら有料だったと聞いたことがあります。それくらいこだわりにこだわったモデルだったんですね。 カタログつながりで、やはりトラックのカタログを。 これは、フォワードのカタログ。この写真のモデルは、1970年に登場した初代のモデルチェンジバーション(1972年)ですが、このマイナー後のモデルはなんと1986年までの長きにわたって作られていました。今のミニバンのように少し鼻がでたようなモデルで、私は「おっさん・フォワード」とよんでいました。おっさん顔でしょ、見た目が(笑)。そんなおっさん顔が好きだったんですけどね。 こちらは、4代目のフォワード。形式が810だったこともあって、テレビCMでは「810フォワード(走れ・フォワード)」とよばれていました。このモデルは、私が大型免許を取りに行っていた時に教習車として乗りました。運転しやすかったですよ。 少し時代はさかのぼって、1967年頃のいすゞの商用車のカタログだそうです。私が生まれた頃のものですね。 トラックは、先日紹介した初代エルフのマイなチェンジ後のもの。ヘッドライトが4灯になっています。 後列右端は、マイクロバスのスーパーライトバスです。このバスは、私が堺へ引っ越してきた時、周りに買い物できるところがあまりなかったことから、少し離れたスーパーが運行していたのを時々母親と一緒に乗っていました。 スーパーライトバスの左は、エルフのルートバンかな。ルートバンは、エルフの荷台がバンタイプになっているもので、今のエルフにはラインナップされていないみたいですね。 あとの2台はベレットのライトバンのエキスプレスです。そういえば、ベレットは展示されていなかったなぁ。117クーペと並ぶいすゞの乗用車の名車の一つなんだけど・・・。 壁面には、文字ばかりがランダムに表示されていますが、よく見るといすゞの車名やキャッチコピーが描かれています。 さて、自動車メーカーの博物館って初めて行きましたが、なかなか面白かったです。特に、いすゞの場合は、ベレットや117クーペのような魅力的な乗用車を作りながらも、トヨタのような販売網が少なかったり、トラック・バスメーカーの悲しさか乗用車部門に注力してもらえなかったのか、いい車なのにそこまで売れなかったのはもったいないと思いました。 いすゞは、前にも書きましたが、亡き父が記念すべき初めてのオーナーカーだったこと、たまたま会社の車がいすゞの乗用車だったりトラックだったりしたこと、私も教習車として乗ったことなどいすゞの車両には何かと縁があるなぁってね。 今度は、ほかのメーカーの博物館にも行ってみたいと思いました。
2018年04月07日
コメント(0)
富士フイルムは6日、白黒写真用のフィルムと印画紙の製造・販売を終了すると発表した。カラー用製品の製造・販売は今後も継続する。 同社は1934年1月に設立。同年2月から白黒用の印画紙など写真感光材料の製造・販売を開始し、カラー写真が普及する1970年代まで主力商品として同社を支えてきた。しかし、カラー写真の普及やデジタル化に伴い、最盛期だった65年ごろの1%程度まで出荷量が減っていた。同社では、コスト削減などを進めたものの、採算がとれず安定的な供給が困難となったことから、製造・販売を終えることにした。 製造は既に終了しており、フィルムは今年10月、印画紙は種類別に今年10月から2020年3月までの間に順次、出荷を終了する予定。 写真家の山田久美夫さんは「いつか、この日が来ると思っていた。白黒フィルムは同社の創業事業であり、たくさんの人に愛されてきた、ひとつの写真文化が、経済論理で消える。デジタルで疑似表現はできるが、いまの写真文化を培ってきた、本物にはもう戻れない」と、写真が道具を使う文化ゆえに訪れる時代の変化と白黒フィルムなどの製造・販売の終了を惜しんだ。【毎日新聞ネット版から引用】 私は、学生の頃、お金はないけど鉄道写真は撮りたいということで、写真部の友達から長尺の白黒フィルムを中古のパトローネに移してもらって、それで写真を撮って現像はその写真部の友達にお願いするということをしていました。 白黒フィルムといえば、「白」と「黒」しかないわけですから、この二色でいかにカラーに負けない味わいを出すか、そんなことを考えて写真を撮っていたかな。当時使っていた私のカメラは、1960年製の古いカメラだったので、シャッタースピードも露出も全て手動。経験と感がものを言うようなものを当時高校生だった私は使っていました。 そのカメラの話は、このブログのかなり以前にしているのですけど、当時の最新式のカメラには負けるけど、決して引けは取らないと思っています。 さて、そんな白黒フィルムがついに今年一般販売を終了するとのこと。確かにデジカメが普及してくるとフィルムでわざわざ撮影することないしなぁってね。これも時代の流れといえばそれまでだけど、かくいう私も長いことフィルムのカメラで写真はとっていないしな。 ということは、いずれカラーフィルムもなくなるの? こちらは、「写るんです」があるからしばらくは大丈夫かな。 ただ、一般発売はなくなっても、証拠写真を撮ったりするのはフィルムカメラでないといけないらしですね。デジカメだと加工される恐れがあるからだとか・・・。 ネットのコメント見ても、みんな白黒フィルムは一度は使ったことがあるみたいですね。私も最初はカラーフィルムを使っていたのですけど、カラーフィルムにない白黒フィルムの魅力(←安さに惹かれたところが大きいのですが)、すなわち前出の白と黒でどのように表現するかというところに難しさや奥深さを感じたものです。 そのようなことを書いていたら、久しぶりに古いカメラに白黒のフィルムを入れて写真を撮りたくなりました。
2018年04月06日
コメント(0)
いすゞのボンネットトラックTX80のあとは、今やいすゞのトラックの代名詞ともなっているエルフの初代を見ました。 初代エルフは、1959年に登場。ディーゼル車はその翌年にラインナップされたそうです。1968年まで製造され、後期型はヘッドライトが2灯から4灯になりました。 ドアの開き方が今の車両と逆になっているところにも注目です。このタイプは、今ではすっかり見かけませんが、しっかり閉まっていないとドアが開いてしまう欠点があったとか。 車体の真ん中には、いすゞのマークとELFの文字が。この当時の車両って、コストカッターなんていう言葉なんてクソ喰らえっていう感じでちょっと贅沢なおしゃれをしていますよね。 ドアのところに取り付けられていた朱色の丸が気になって近寄ってみると「DIESEL」と書かれていました。さすが、『ディーゼルはいすゞ』というところ、こういったところも手を抜いていないんですね。 今のトラックなら、荷台が低い「スーパーロー」仕様もありますけど、この時代はこの高床タイプが普通でしたね。荷物の積み込みも大変だったと思います。 テールランプは、ブレーキランプとウィンカーが一緒になったコンビネーションタイプ。ただ、これはオリジナルではないような・・・。というのも、このコンビネーションタイプは、2代目のエルフに使われていたのはよく見たんですけど、初代も使われていたのかな・・・? ちなみに、このコンビネーションランプは、私の実家の塵芥車において長らく使われていました。こだわりなったのかな・・・。 エルフの横には、以前このブログでも紹介したベレルが展示されていました。1962年から製造され、いすゞとしては日産のセドリック、プリンスのグロリア、トヨペットのクラウンに並ぶ車格をイメージしたのに、車体などのトラブルなどからなかなか販売には繋がらなかったとか・・・。 そんな不運の車だったわけですが、スタイルはなかなか個性的。三角のテールランプって、ありそうでないんですからね。 その三角のテールランプにつづくラインも、今見るとより個性的かと思うんですけどね。 展示されているベレルは、もちろんディーゼル仕様。 私の亡き父が乗っていたベレルもディーゼルだったそうです。母親の話では、さすがに車体色は黒ではなく、ベージュと白のツートンだったようです。でも、この写真を見せたら、「あぁ、この車だったね。最後は、どれかのドアが外れてしまってね・・・」って、どこまでボロボロだったんだろうか。 運転席を覗いてみました。亡き父もあのハンドルを握って運転していたんだろうなってね。 母親と私は後席だったんだろうなってね。私は夜泣きがすごかったそうなので、毎夜この車に乗せられていたそうです。ただ、車に乗ると機嫌が良くて、逆に寝てくれなかったとか。その当時から車好きだったんですね、たとえディーゼルでとんでもなく振動する車であっても(笑)。 ところで、TX80、エルフそしてこのベレルとも、稼働可能だそうです。今度は動いているところを見てみたいし、亡き父が運転していたベレルを運転してみたいって思いました。
2018年04月06日
コメント(0)
ISUZU PLAZAの二階には、体験ゾーンやいすゞの歴代の車両が展示されていました。 いろんな体験ゾーンがあったのですが、私が一番気に入ったのがこれ。 エルフのキャビン部分を塗装するものです。もちろん、実際に塗装するのではないのですが・・・。 塗装のタレもリアルにみえるというもので、これは何度かやってうまくできたものをアップしました(汗)。 それから、ドライブシミュレーターもありました。モデルは6×2のGIGAです。コースは、高速のルートと海までのルートの二種類ありました。この日は、平日ということもあって予約した人だけということで混雑しているわけではなく、両方のルートを行いました。 こちらが、海までのコースの結果です。「S」というのはなかなか素晴らしい成績だそうですよ。 高速道路のルートも「A」でした。 これでも一応、中型免許を持っていますからね(笑)。実車の運転はないけど・・・。 ただ、二つのルートの共通して言えるのは、システム上仕方ないところですが、バックミラーの位置が実車とは違うので、その違和感がありました。要するに、左折するときの左の巻き込み確認だったら、私は首をしっかりミラー側とその下の方を見るようにしているし、左に曲がってからも右後方のオーバーハングも右側のミラーで見る癖をつけているので、その確認ができないところがとまどいました。 もう一つは、6×2というロングボデーですから、後ろの長さの間隔がつかみにくいところでしょうかねえ。その辺は、最初の交差点や画面に映るミラーで確認できましたけどね。 さて、展示車両の中では、昭和のはじめのバスも展示されていました。 これは、スミダM型という車両で、いすゞの前身の石川島自動車製作所が1929年に製造したもの。 乗車定員20人と今のマイクロバスよりも乗れなかったんですね。 この時のテールランプって、ひとつだけだったんですね。っていうか、バックランプがないのは大丈夫だったのかな? いすゞの昔のトラックといえば、個人的にはボンネットトラックのイメージがあるのですが、このTX80型は1948年に登場したモデルです。 最大積載量は5t、こんなに大きく見えるけど5t積みだったんですね。 後ろから見るとこんな感じ。省略されているのかもしれませんが、テールランプとバックランプがありません。 ボンネット部分に取り付けられているいすゞのマークです。昨日紹介したいすゞのマークと異なりますね。このデザインもわるくないですよね。 TX80のカタログです。ヂーゼル自動車工業となっていますが、その横にはいすゞのマークが・・・。1949年にいすゞ自動車と改称するまでは、ヂーゼル自動車工業だったようです。(そのあたりは、ウィキペディアを参照) 我が国の戦後復興は、このようなトラックが担っていたんでしょうね。 貴重なカタログも展示されているとは、さすがいすゞの博物館ですよね。
2018年04月05日
コメント(0)
先月、東京で勤務していた時に休みをいただいて神奈川県藤沢市にある「ISUZU PLAZA」に行きました。ここは、あらかじめ予約をしておかないといけないのですけどね・・・。 最寄駅は、小田急江ノ島線の湘南台駅。ここから専用のバスで向かいます。バス停の行き先には「いすゞ」と書かれています。 やってきたのは、いすゞの観光バス、ガーラ。(写真を撮ったのは、ISUZU PLAZAですが) これで向かいました。 いすゞのマークです。古い車両にはこのエンブレムでしたね。いすゞはこのマーク以外にもありました。そういえば、私が子どもの頃は「ゞ」が「ご」に見えて、「いすご」だと思っていました。 早速見学に行きます。一階にはいすゞの歴史ある車両と最新の車両が展示されていました。 これは、いすゞが最初に作ったトラックの「ウーズレーCP型」。正確には東京石川島造船がイギリスのウーズレー社と提携して1924年に作ったものだそうですが、日本の自動車の歴史はトラックやバスから始まっているんですね。 いすゞの路線バスのエルガです。地元の奈良交通はいすゞの車両を多く入れているし、最近はいすゞと日野自動車がバス部門を統合してJ-BUSを作ったため、日野製であってもいすゞ製と外観も中も変わらないのが残念ですけどね・・・。 車内です。あまりにもお馴染みすぎるのですが・・・。 ノンステップバスが全国的に増えていますが、中扉から後ろへ行くにはステップがあるんですよね。 自衛隊に納入されているSKWです。ベースはGIGAかな・・・。 このSKWは、東日本大震災の時に海沿いの基地において浸水の被害があったものの、多少の修理ですぐに動いたとか。強靭な足回りとエンジン周りなんですね。 運転席にも座ることができました。 今は、自衛隊のトラックといえどもATなんですね。もちろん、PWも標準でしょうし。 ところで、屋根って幌仕様なんですね。もちろん、鋼板仕様もあるんですけど、幌仕様があるとは知りませんでした。 荷台部分は、こんな感じ。簡易な椅子もあるんですね。 快適装備は、エアコンくらいでしょうけど、これとて最近のものでしょうね。 もちろん、現行の車両も展示されています。 これは、小型トラックのエルフ。小型トラックの代名詞みたいなものですね。このクラスは、三菱のキャンター、トヨタのダイナがあります。他にも日産のアトラス、マツダのタイタンがありますが、これらはエルフのOEMになっています。 こちらは、中型トラックのフォワード。パッと見はエルフと同じスタイルになってしまいました。 先ほどのエルフもそうなんですが、フォワードも運転席に座ることができます。 ただ、小型トラックも中型トラックもATなんですね・・・。 運輸業界もMTでははやらないのかな・・・。MT車好きにはなんとも肩身が狭いものです・・・。 そんな中で気になる一台が。これはタイで販売されているmu-xというSUV車です。 堂々としたスタイルはいいですね。全長4850×全幅1860×全高1830とかなり大きいです。 なんとこの車、MTだったんです。やるじゃん、いすゞ! バックのギアの位置が1速の左上にあるちょっと特徴的なシフトパターンなのですけど、実際にクラッチ踏んで操作してみると、「やっぱ、MTだよな」ってMT乗りでも思います(笑)。 ちなみに、この車について日本での発売について質問してみたところ、販売予定なしとか。なんとも残念です。もう少しダウンサイジングすれば売れると思うんだけどな。ただ、MT車ということもあって「同じような要望はよくあります」とのことでした。 さて、2階には別の楽しい展示がありました。(続きはまた今度)
2018年04月04日
コメント(0)
私のライフワークのひとつ、献血は200回を超えてなかなか回数が伸びておりません。その原因の一つが、何度も成分献血をするために針が刺さる部分が堅くなって針が入りにくくなっているのです。よって、ちょっと献血へ行くのが間隔が空いています。 210回目は、大阪・森ノ宮の大阪府赤十字血液センターへ行きまして、211回目は山梨県甲府市の甲府献血ルーム「グレープ」へ行きました。 甲府駅から徒歩5分くらいのKokoriビル2階にありまして、最近移転してきたようです。 最近の献血ルームは、広いしきれいですね。ここもそうでした。 今回も成分献血でしたが、前出のとおり血管が浮かないのと針が入るところが硬くて、いつもの左手ではなく右手で行いました。 さて、2回通じての結果は、コレステくんはかなり落ち着いてくれて、211回目には168までに落ちました。 それから、今回の山梨県の献血で、関東1都7県全制覇しました。これで、北海道、宮城、福島、栃木、群馬、茨城、埼玉、東京、神奈川、千葉、山梨、長野、富山、石川、福井、愛知、三重、滋賀、京都、奈良、和歌山、大阪、兵庫、島根、広島、山口、香川、徳島、愛媛、福岡、鹿児島の31の1都1道2府27県で献血となりました。
2018年04月04日
コメント(0)
京浜東北線や東海道線で東京から横浜へ向かう時に、線路沿いに気になるモニュメントがあるのをかなり以前から気になっていました。 こんな感じでタイヤでつくったモニュメントがあるんです。いつか行ってみたと思っておりましたが、先月東京にいるときに行ってみました。日中に行くと子どもたちが多いので、早朝に行くことにしました。 最寄駅は、京浜急行の雑色駅。「ぞうしき」って読むんですね。 雑色駅は、高架駅になっていました。駅前にはアーケードのかかった商店街がありました。 この高架下の案内地図には、これから行こうとするタイヤ公演こと西六郷公園の説明がありました。1969年3月に開園したとのこと。 正確には「西六郷公園」のはずですが、「タイヤ公園」の文字が目立っています。 このようにゴジラをイメージしたようなタイヤで作られたモニュメントが目立ちます。 大小様々なタイヤを使った遊具もあって楽しそうです。 ジャングルジムにもタイヤが使われています。 この公園は、1969年3月に開園したとのことですが、実はこの公園は私が子どもの頃に持っていた図鑑に紹介されていたのを覚えています。タイヤを使った公園ということで、こういう公園であそびたいって思っていたのですけど、当時はどこにあるかもわかりませんでした。 時は流れて就職して東京へ行ったある日、偶然に乗っていた東海道線(京浜東北線だったかな)の社内から一瞬だったのですが、この公園が見えた時になんだかうれしくなって、「本当にあの公園はあったんだ、しかも東京だったのか」って思ったのですが、その後もなかなか行くことができませんでした。 今回、その思いを約45年ぶりに叶えることができたような感じでした。 ちなみに、使われているタイヤは、1969年当時から変わっていないのか例えば昔のブリヂストンのマークが入っているものもありました。ただ、やや老朽化しているようでした・・・。 いつまでも長く子どもたちの遊び場として使って欲しいと思いました。
2018年04月02日
コメント(7)
今日から新年度ということで、人事異動や新入社員が入ってきたりと一日バタバタしていました。かくゆう私も、3年ぶりに出向元の職場に戻りましたが、その部署は私が10年前に在籍していた部署。仕事の内容は全然違うのですが、戻ってきたもののパソコンのシステムが変わっているなど終始バタバタでした。仕事の内容もややこしいし、大丈夫かなってね。 しばらくは、ブログの更新の間隔が空くかもしれませんが、ご容赦のほどを・・・。
2018年04月02日
コメント(0)
満開の桜も、ここ数日のいい天気のために散り始めているところもあるようですね。毎年なら、一度くらいは花冷えの日があったりするのですが、今年は気温が高くてそんな日はないですね。 さて、先月の東京勤務の際に、目黒川の桜を見てきました。目黒川の桜は、数年前にも見ていますが、今回も行ってみたくなって夜桜を見に行きました。 ぼんぼりが雰囲気を盛り上げています。 人でも多くて、なかなか前に進めません。そりゃそうです、目黒川沿いにお店がでていて、そこで飲み物や食べ物を買い求める客が列に並んでいたりして、ごった返していました。 私もスパーリングワインを買って飲みながら歩きました。ただ、あてを探していたのですが、どこもいっぱいで結局ワインは飲み干してしまいました・・・。 目黒川へ覆いかぶさるように咲いている桜、本当にきれいです。 ただ、人が多すぎてゆっくり見るということができなかったので、別の日の早朝に見に行くことにしました。 夜桜もいいのですが、桜はお日様のある時間帯がいいかなってね。 目黒川が見えんくらいの桜・・・。 お客さんが少ないから、ゆっくりと桜が見られるし、早朝に行くのがいいなぁってね。 でも、私と同じような人もおられたし、近所の方は散歩がてら来ているようでした。 最終的には、中目黒まで行ってさらにその向こうまで歩いてみると、こんな感じでした。目黒川の上にかかっている駅が中目黒駅です。 ところで、目黒川の桜以外にも、福山雅治さんの「桜坂」のところにも行ってきました。 東京多摩川線の沼部駅が最寄駅になります。東急の中でも3両編成の列車が走る多摩川線の沿線にあったんですね。昼間に行くとたくさんの人が来ているだろうということで、これも早朝に行きました。 これが桜坂、赤い橋が特徴的ですね。沼部駅からの上り坂になっています。 桜坂を登りきったところに、このような木製の標がありました。この標の説明によると、この道は旧中山道の切通だったそうで、かつてはもっと急坂だったようです。 石造りの標もありました。 前出の赤い橋の名前は「桜橋」というそうです。 反対側も押さえておきました。桜橋というと、大阪にもありますけどね・・・。 桜橋から望む桜坂です。この桜橋の上で写真を撮る人が多いんでしょうね。 桜坂に植えられている桜は、桜坂の切通部分に植えられているのですけど、こんなに立派な桜なんですね。こ 桜坂の上から沼部駅方面を望みます。そんなに急坂、ということもないのですけど、地味に下っています。 ところで、先ほどの桜坂の石造りの標の横に「國旗掲揚塔」というものがありました。 「オリンピック東京大会記念」とありますから、1964年の東京五輪のときのものなんでしょうか。ということは、ここを聖火ランナーが通ったとか・・・? さて、桜のシーズンが終わるまでに紹介したかったので、かなりごちゃごちゃとした書き込みになりましたが、とにかく桜っていいですね。桜前線は、今頃はどのへんなのかな。仕事しなくてよくなって、お金に余裕があったら、各地の桜の名所をめぐりながら北海道まで行ってみたいなぁってね。
2018年04月01日
コメント(2)
全37件 (37件中 1-37件目)
1