2007年12月06日
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テーマ: 唐津街道(17)
カテゴリ: その他
北九州市・戸畑から洞海湾を挟んだ対岸の若松へは市営渡船がある。6百メートルを3分で結ぶ。古い戸畑の待合所はまさに「昭和」の雰囲気。壁に一枚のポスターがはってある。若松出身の俳優、天本英世さんを記念する映画祭の案内だ。開通近い若戸大橋を舞台にした1962年の映画「海猫が飛んで」を老舗料亭で上映する企画。静かに町おこしが進んでいるようだ。

 唐津街道はやて舟運でにぎわった遠賀川にぶつかる。全長64キロの川が運んだのは時代の富だ。江戸から明治にかけ、米や筑豊の石炭が底の浅い木造船「川ひらた」で河口の福岡県芦屋町や、堀削水路の堀川を通じて若松に運ばれた。最盛期には川ひらた7千隻が行き交い、芦屋では船づたいに足をぬらさず川の向こう岸に渡れたといわれた。掘り出した石炭は焚石と呼び、福岡藩は芦屋に焚石会所を設け、売買の統制をした。

 若松から芦屋まで、同行の半田記者が歩数計で計ったら約3万8千歩、距離で25キロに。少々疲れ気味で訪ねたのが町営施設「芦屋釜の里」だった。
芦屋釜 と聞いてピンとくるなら茶道に詳しい人だ。茶の湯釜の名器で、室町時代にもてはやされた。現在、国の重要文化財に指定されている茶の湯9点のうち8点は芦屋釜が占める。芦屋は250年近く鋳物師の街として栄えた。しかし、この釜は江戸時代初期にこつぜんと消える。製法も伝わっていない。

 芦屋釜の里は釜の歴史を展示しながら、工房で若い鋳物師を養成。「芦屋釜の復興」をめざしている。学芸員の新郷英弘さん(31)によれば、35歳の工房長が町の嘱託職員としてすでに10年間、鋳物づくりを続け「あと5年した独立し、町内に工房を持ってもらう計画」。もう1人は大学院で鋳金を勉強した26歳の男性。鋳物師になりたくて職員公募に応じ、工房で毎日働いている。

 ベテラン鋳物師の指導のもと、工房が力を注いだのは室町期芦屋釜の復元品の製作だ。重文の釜を実測し、製法を研究。6年間で4点を復元した。「本物の釜はとても薄く、厚さ2ミリを達成できず3ミリがやっとだった。今春、ようやく1点だけ2ミリのものができた」と喜ぶ。
 1469年に芦屋の鋳物師が製作した釣り鐘に、対馬市厳原町の金(重文)がある。天女やハスの花の飾りをあしらい、当時、朝鮮半島で作られた装飾の多い鐘と似ている。「朝鮮の鐘は室町の人々のあこがれの的だった。願主の希望により、和鐘の作り方で朝鮮鐘を模したのだろう」と新郷さん。響灘の向こう大陸からの文化の風を鋳物師たちは肌で感じていた。

 一方、町営「芦屋歴史の里」で学芸員をしている山田克樹さん(45)は考古学の側から芦屋釜にアプローチする。忘れられないのは94年。役場に近い金屋敷跡から、霰地紋の鋳型片を見つけた。釜の製造を裏付ける貴重な遺物だ。大学で考古学を専攻後、タウン誌づくり、書店の店長などを勤め、30歳にして初めて町の文化財担当の職を得た。その直後の発見だっただけに感慨は大きい。「芦屋は掘れば何かが出てくる興味あふれる地」と意欲を燃やす。





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最終更新日  2007年12月22日 09時30分55秒
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