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2024.02.12
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カテゴリ: 特撮(怪獣を除く)
​​ 若大将とすみちゃん(澄子) in 「太平洋の翼」 2024/01/29開始






















既に2019年暮れごろにはスカパー放映の「太平洋の翼」のめぼしいと判断したシーンをデジカメ撮影していたが、意余りて筆進まずの歯がゆさを自ら感じて年月ばかり過ごしてしまった。

東宝怪獣映画への大いなる興味は、予期せぬ新たな娯楽として『若大将』シリーズへの関心と、昭和36年(1961)作品「世界大戦争」で目を見張る思いで見た女優・星由里子(ほし・ゆりこ)さんへの憧れを再燃させることとなった。
故・竹内博氏が「本作品の彼女の美しさは絶世であった」と書いたほど、田村冴子(たむら・さえこ)役の彼女は、その美しさを際立たせた着物姿も抜群に似合っていて、己れの住まう半径何キロ以内には望むべくもない希少な美人にすっかり心を奪われていた。




終生、結婚には縁のない私の負け惜しみに思われても仕方ないが、一般庶民の多くは、男女ともに、かなり妥協の末に、お互いを『二人と存在せぬ理想の人』とは到底思えぬ相手と所帯をもって家族を営んでいる。ごくまれに双方共にかなり整った夫婦ものを見かけることはあるが、これとて、美男美女というほどではない。いずれも主役を演ずるに値せぬ容姿容貌だからだ。

それゆえかどうか、わからないが、映画に主演する男女は、まあ間違いなく水準以上のカップルである。
漫画、アニメなどにさえない若者役の設定で登場する者も同じで、高橋留美子さんの大ヒット作『めぞん一刻』でも、うだつの上がらぬ五代裕作なぞ、明らかに長身でハンサムに描かれている。だからラブストーリーというものは、ファンタジーである。現実には存在せず、ひたすら夢物語として見果てぬ創作に尽きる。

さて。ところが、私の女優評価は礼賛には終始しない。偉そうに書くつもりはない。我が家では星由里子さんを礼賛するのは当時小学五、六年生だった私くらいで、しかも女優を綺麗だなどと口に出そうものなら、兄が妙に潔癖症というのか、「ブスは黙ってろ」と仮にも男の私にこの言葉をぶつけたことがあったから、まず言い出せなかった。

そこへ来て、のちに再婚した花登筺(はなと・こばこ)氏と死別した時の喪服姿に、私自身違和感を覚えていたところ、母が「なに、この人 ! ずいぶん器量が落ちたねえ」とズバッと言ってのけた。私もそう思っていたのだ。


しかしその星由里子さんも、70代半ばほどで病没なさり、まさしく『美人薄命』『佳人薄命』の通りになったと感慨深い思いである。
星由里子さんがハリウッド女優などに優るとも劣らぬ美しさで魅力を放っていたことがあるのは、まぎれもない事実である。







今にして思えば私は理論武装が苦手な人間で、主義主張はむしろ人一倍あるのに、己れの説を声に出して相手に伝えることがダメだった。
大学の時も普通免許に関心がない私に兄が言った。
「二十歳(はたち)にもなって車の免許一つ持ってないのはみっともないぞ」と。

そして私は渋々教習所に通い出したが、ここで取得する見込みもその気もない未公認のところで、文字通り三日坊主に終わった。
のちに、私が自動二輪免許と普通免許を共に取得した頃、私のオートバイを見て兄は「何が楽しいのか全くわからぬ、興味なし」と言った。
この時私は口答えこそしなかったものの、兄にかげりを感じた。一応持ってて乗らないのならともかく、二輪免許そのものを持たない者に批判の資格なしと思ったのだ。あえて反論するなら「車の免許が社会人の常識でバイクはどうでもいいというのなら、必要なければ車も要らないのではないか」。
これものちに、自動二輪免許を所持する人にある程度共通の特徴を知ってなるほどと思ったことがある。
称える意味もあるので実名を出すが、元AKB48メンバーで、現在バイク女子としても活躍中の平嶋夏海(ひらじま・なつみ)さんは、お父様が現役のライダーであり、彼女がモトグッチの大型オートバイを購入し実家へ帰った時も、娘さんに誘われるまま、近くをこのオートバイで走って来て、親子で話に花を咲かせたと思われる動画があった。

要するに『血』なのかと察するばかりだ。では私はどうかというと、父が若い頃、所帯を持ちながらも敗戦処置による『公職追放』で、思うに任せぬ就職事情下、複数の職業に就いて苦労した中で、のちの出光興産のガソリンスタンドに勤めた時期があり、この時オートバイの後部に石油缶などを積んで、当時はほとんど未舗装だった国道一号線を走った経験を持つ。



新明和興業(現・新明和工業)がかつて販売したポインターエース(250cc)





またも脱線してしまった。さて、ここで東宝昭和38年作品『太平洋の翼』に目を向けてみる。
折しも若大将シリーズが軒並みヒットし続けていたが、私自身は昭和40年当時、中学一年生で、映画のラブロマンスもほとんどピンと来ない体質にとどまって、このシリーズものも、怪獣映画との併映作品としてたまたま見たにとどまる。

しかし、私はこれとは別にフジテレビ系列で毎週放映の30分番組『勝ち抜きエレキ合戦』に夢中になっていて、特に趣味として今に続くドラムのリズム、ビートの妙に魅せられ始めていた。昭和40年は、キングギドラ二回目の登場となる『怪獣大戦争』を見に御殿場駅近くの映画館へ徒歩で出かけたが、この時併映の若大将シリーズが『エレキの若大将』で、この頃既に軽音楽の楽器をドラムのみに絞っていたかどうかは覚えていないが、沼津東高にかよっていた兄に加山雄三氏の『君といつまでも』、『夜空の星』収録のシングル・レコードを帰りがけに買って来てくれるよう頼んでいて、帰宅した兄からレコードを受け取ってうれしかった記憶がある。私が特に聴きたかったのは『夜空の星』であり、ドラムのリズムをまねて、両手の人差し指などで机をたたいて興じていた。

映画『太平洋の翼』は昭和38年に公開済みだったが、見たい映画をすべて見せてはもらえない家庭環境であり、しつけだったので、当時兄が購読していた中一コース(学研)のグラビアページに鮮明に掲載された戦艦大和の巨大模型にくぎ付けになった記憶だけは今なお鮮明である。「東宝が新しく公開する戦争特撮映画のために、こんな巨大な戦艦大和を造ったのだ ! 」、グラビア写真を見て一目でここまで察せられた。この巨大模型、東宝では『太平洋の翼』のほか、昭和56年(1981)『連合艦隊』でも本格的な模型が造られている。

スケールは関係書を調べる限りでは、『太平洋の翼』では縮尺15分の1、『連合艦隊』では20分の1の模型が造られていて、これを単純に割り算して、前者が17.5メートル、後者が13メートルである。『太平洋の翼』では、東宝が誇った特撮大プールに浮かべたばかりでなく、富士五湖の一つの山中湖にも浮かべて、さらにヘリコプターで空中撮影されてもいる。




これ以上マニアの一人としての検索には限界があり、新旧の戦艦大和模型の縮尺、サイズの正否を決するのは無理だ。



さて、ここで記憶を改めてさぐってみる。私が初めて『太平洋の翼』を見たのはいつごろ、どこであるいは何んの手段でかということだ。
確かに後年テレビ放映で見たかも知れないし、さらにのちにはスカパー放送の作品を複数回録画もしている。なお、蛇足だが私は録画した映像からDVDにダビングする時、以前はハイビジョン画質を選んでいたが、これはハッキリ言ってパナソニックの不親切に迷惑をこうむった。

パソコン内蔵のプレーヤーで再生しようとしても、ハイビジョン画質でダビングしたものは再生不可能とわかった(パソコンは富士通のデスクトップパソコン、内蔵ディスクプレーヤーはCorel WinDVD)。
これこそは経験的に学んだことであり、ソニーなど他社の機器との互換性に難があるのならまだしも、パナソニックが何年か扱っていた富士通のパソコン゛でも、そのような不都合が出たのは確かだ。なお、今はこの二社は契約をやめている。
聞くところではパソコンの売れ行きが不調のようだ。恐らくより簡便なスマートフォンなどに多くが利用機会を移しているのだろう。私はかつて日本語ワープロにとことん慣れ親しんだ。そしてこれはパソコンに駆逐された。そして今そのパソコンが安価で使えるスマホなどに駆逐されつつある。
あえて自慢めいたことを書くが、私は年来の文章趣味人間であり、それはよく言われた「読書習慣」ではなく、ひたすら書くことを趣味として続けた結果、脳中の思いを文章で記録し残す形でまとまった。
しまった。また脱線した。

もはやテーマはまとまりを著しく欠いてしまったが、急ぎ『太平洋の翼』に戻る。まず一つ言えるのは、これよりさらにおよそ三年前の昭和35年『太平洋の嵐』は映画館で見ている。味方の命(めい)による雷撃処分で空母飛龍沈没後の海中の山口多聞(やまぐち・たもん)少将と加来止男(かく・とめお)大佐との会話シーンに何やら不思議な感覚だった記憶がある。海中に没した空母飛龍の発令所と思しき場所の柱に自らを縛りつけた二人の亡霊が、前途への憂いを語り合うシーンだ。
昭和38年の『太平洋の翼』ならばさらに見ていても何らおかしくないはずだ。
ただ、戦争特撮映画は個人としてすべて興味を持ったわけではなく、たとえば昭和40年『太平洋奇跡の作戦・キスカ』は、恐らくモノクロ作品だったことが理由かも知れず、結果これは映画館では見ていない。

『太平洋の翼』を映画館で見たかどうかは結局わからなかった。どこかでテレビ放映されたのを見たことにしてもよいが、なにゆえかひっかかる。
昭和43年『連合艦隊司令長官・山本五十六』は、これは確かに父と車で沼津まで出かけて見た記憶がある。さらに昭和44年の『日本海大海戦』は一人で出かけて見ている。これは艦船しか出ない特撮映画と知って、ともかく見ようとの決意があり、多分映画館で見たのは私だけだった。高校二年の夏だった。旗艦・三笠の雄姿も脳裏に焼き付き、久しぶりに戦争特撮映画を堪能出来た満足感があった。しかし私の世代でも、我が国の対外戦争には興味がない高校生が多かった。ついでに書くと、同じ高校時代に見た「トラ・トラ・トラ ! 」も全く同じで、そのすぐ前に「シェーン」は軽く提案しただけなのに、全員で見たのだが、「トラ・トラ・トラ ! 」には全く興味を示さなかった。

さていよいよ、昭和38年『太平洋の翼』に入るが、ここに掲載したかったのは、同時期に大ヒットを飛ばしていた若大将シリーズのことにもかこつけて書きたかったからだ。若大将・田沼雄一と澄子(すみちゃん)のことをどうしても連想するのは当然のことと言える。若大将が海軍士官ならば、すみちゃんは、束の間大東亜戦争時にタイムスリップした日本美人の典型で当然で、二人が会話を交わしながら基地の近くを歩くシーンは全く決まっていた。
「よお ! ご両人っ ! 」と大向こうから声がかかりそうな名場面である。

内地帰還の命を受けて、フィリピンから輸送機で飛行途中、滝海軍大尉(だいい)は、敵機の攻撃により、数名の部下を失い、さらに燃料切れのおそれ大なるにより、投棄出来るものを極力機外へ投棄と命じた。その中に玉井兵曹の遺体もあったが、機は何んとか危地を脱して、滝は内地に帰還した。
ほどなく玉井の姉を名乗る婦人が訪れて、彼女・玉井美也子(たまい・みやこ)は、戦死の報は知らされていたが、今少し詳しく話して欲しいと告げ、滝は己れが行動した通りのことを語る。美也子は絶句し、両目に涙があふれかかるが、そのままひとことも告げずに、その場を立ち去った。

以上が言わばもう一度描かれる美男美女二人のシーンの伏線である。
星由里子さん演ずる美也子が、このまま二度と現われないはずがない。
滝たち紫電改搭乗の精鋭パイロットたちが米艦載機相手に大活躍したあと、基地近くの静かなたたずまいの城址公園をゆっくり歩く滝と美也子の姿。いや、これは城址どころか松山城そのものなのだろうか。知識がなくロケ地情報も見つからなかったので残念だが、二人の背景の石垣は見事な巨大さで、石垣だけが残るいかにも城郭を失った城跡には見えない。






ゆっくり歩を進めながら、穏やかに美也子が話し始める。
美也子「先日は失礼いたしました。お呼びだてしたりして、申し訳ないと思ったんですけれど、お詫びをしないではいられなかったものですから。
女の私(わたくし)にも弟の遺体をお捨てになったことがやっとわかるような気がして来たんです」
滝「いや、わからないほうがいい」
美也子「え ? 」




滝「いつまでも僕を憎んでいてくれたほうがいいんです。僕を許そうとして、あなたの戦争への憎しみまでがぼけるのが困るんです。
心の優しい女なら、僕を憎まないのはウソです。しかし僕は憎まれても戦う。憎まれれば憎まれるほど、戦う勇気が湧いて来るんです。








美しい日本の風土の中に優しい日本の女の心が生きている。
僕はそう信じて戦いたいんだ。その美しいものを守るためにも戦いたいんだ。
僕を許してはいけない。憎んでください」






美也子(かぶりを振る。そして滝を見つめる)「・・・」
滝(さすがに照れたような顔つき。そりゃ、こんな美人に見つめられたら・・・)「・・・」
美也子「死なないで・・・死なないでください ! 」そう言うと彼女は走り去ろうとするが、その挙止は映像では見せない。美女を慮(おもんぱか)ったかどうかは知らないが、少なくとも演出上の効果を期したのか。






今度も別の意味で美也子は泣き出しそうになっていたのではないか。
滝は照れたように伏せていた顔を上げて、美也子の姿を(多分)追おうとするが、これが本作品上の二人の最後の待ち合わせの場面となる。
滝の言葉もまあ我々普通のまたはそれ以下の顔の造作レベルの者たちが言葉にはとても出来ないキザな文句だが、美男美女の会話ではかなりかっこよく聞こえる。私なんぞ最後は思わず「すみちゃん ! 」と軽く叫びたいもんだと思いもしたが、現実には星由里子さんはまこと、今昔に共通する結婚を選んでいる。

昨今の女子アナなぞも、プロスポーツ選手と結婚する女(ひと)、医師と結婚する女(ひと)、実業家と結婚する女(ひと)だらけで、ほんっと、その通りだと認めるにやぶさかでなくなりますね。しかも縁に恵まれずに離婚したとしても、もう次のチャンスが必ず待っている。
要するに高収入の男と結婚するに決まっているということ。間違っても、保育士と結婚した音無響子さんのようなことはしません。『めぞん一刻』は創作世界にしかあり得ないファンタジーです。姿の良いセクシー女優さんがさえない男に本気で迫ってくれるAVと同じ世界です。ついでに書いとくがほんっと、セクシー女優さんたちの美人度・美形度・清楚さ・上品さ、さらに少なからぬ女優さんたちの知力の高さ、例えば学歴は大卒が珍しくない昨今である。


話を戻して最近近くの例で言うと、テレ東一番の美人アナウンサーと称えられた角谷暁子(かどや・あきこ)さん。少なくも私は彼女を初めて画像などで見た時、その美しさとさらに美しいうえに可愛いと思わせるルックスに圧倒されました。お相手はただ医師というのではなく、開業医として医療法人経営に敏腕をふるう勝ち組中の勝ち組男。角谷さんの人生選択は当然と言えるほど正しい。





またも変なムードに引っ張っちまった。いや言葉遣いが乱れた。軌道修正、ヨーソロー!
そう言えば、映画も前半部を過ぎ、佳境にさしかかる頃、味方の戦死などでいら立っていた滝が突然離陸出撃せんとして、上空であっけなく敵機につかまり、あわやという時、味方機の敵機撃墜に救われるシーンがある。滝は「ありがとう、誰だ、名乗れ」と命令口調だが、横に並んだ味方紫電改の窓から千田司令が「バカ者 ! 」と怒鳴り𠮟りつけながらも、滝を誘導して助けるシーンに胸がすく。世界のミフネと呼ばれた御大・三船敏郎氏に加山雄三氏との組み合わせもぴったりに映る。

千田司令は言うまでもなくモデルとなったのが、これも大東亜戦争をおおよそ知る人には周知の源田実(げんだ・みのる)氏である(なお旧字体表示では源田實氏)。東宝戦争映画は、実在の人物をモデルとして、劇中には造語による名前を使うことが目立つ。もちろん、連合艦隊司令長官・山本五十六氏などは実名のままであるし、その他にもいくつもある。
創作された名前から実名をさがすのもまた一つ勉強になる。







この二大スター俳優共演のシーンから千田司令のセリフを抜いてみる。
千田司令「列機を操縦する方法を教えてやる。
血気にはやって独断専行、勝手な行動をとる奴は、容赦なくぶっ放す。こうやるんだ。わかったか」
叱られた滝もニッコリして「はい」と返す。
千田司令「帰れ。松山基地よーそろー」

またこの映画では制作スタッフ曰く、『ヘルダイブ』と称されたかなりハイレベルな操演が使われていて、東宝特技陣の自信のほどがうかがえる。
と書きつつも、私はヘルダイブなる操演方法がよくわからず、劇中の飛行シーンからあえて推測してみたが、正しいという確信も何もない。
ただ素人考えながらも、編隊機と離脱機を同一画面に一気にとらえた見事なシーンがあるので、正確との自信がないままだが検討してみる。

★ヘルダイブの操演★
飛行機の編隊を見せるだけなら複数の模型をピアノ線で吊って撮影すればいいが、編隊機はそのままの姿勢にしておいて、ダイブする飛行機を一機また一機と編隊から離脱するように見せるには、操演用のクレーンを少なくも二つ用意しなければならない。







「東宝特撮映画全史」より、映画「太平洋の翼」のヘルダイブ操演と思(おぼ)しき画像。編隊機は右から左へと進む。


編隊機用のメインのクレーンがまず一つ必要だが、ダイブする飛行機用のクレーンを、メインのクレーンの先端部に取り付けて、先端部を円の中心にして、ここに吊るした模型を一機ずつ動かして、編隊から離脱してゆくように見せる。離脱機は主翼を大きくバンクさせて視覚効果をたっぷり見せるために、飛行機を水平に吊るやり方ではなく、編隊機と同じく、模型を例えば図のように吊って、カメラも横にして撮影する。ここで主翼を吊ったピアノ線を回転させると、カメラのファインダーには、翼を左右方向にバンクさせるように見える。


ヘルダイブ操演シーンを映画の画面から90度回転して再現した画像。実際の撮影ではこのように吊ったと思われる。


文献画像などを参考に、下手ながら手描きでヘルダイブ操演のピアノ線の吊り方などを推測して描いたイラスト。カメラはこちら側から、機械を横に、この場合は左に90度傾けて撮影と思われる。


とりあえず、私が実際に鑑賞した『太平洋の翼』DVDから「ヘルダイブ操演」と思(おぼ)しきシーンを例示してみたが、この方法は様々に技術進歩して、複数の方法が確立されていったとも察しられる。
かつて特撮映画の特殊技術は言わばトップシークレットで、必ず公表、周知されないものだった。私たち特撮ファンもそれで当然と承知していた。

この流れに革命的とも言える変化をもたらしたのが竹内博氏、池田憲章氏(お二方ともに故人)である。特に竹内博氏は円谷英二特技監督の偉業をたたえ伝え、池田憲章氏は東宝特撮の技術面を関係書を通して、巨細に述べて下さった。
どちらかというと、怪獣映画に傾くきらいのある竹内博氏に比べて、池田憲章氏は、戦争特撮映画に言い及ぶこと少なからず、東宝特撮、円谷特撮の奥深さに迫ることが出来て楽しかった。

CGがあれば特撮なんぞ何んでもござれと、まるでかつての特技陣苦心の特殊技術を時代もの、時代の遺物扱いする者がいるようだが、結果の巧拙にしか興味の持てぬバカ者と言えよう。
この者にどんな性質、特徴があるか、わざわざ調べたはずもないから憶測しか出来ないが、まあ結果主義、実利主義であろう。明らかな特撮画面を見て、極めてリアルに仕上がっていたら是とするのだろう。

ただ、私見を述べるなら、初めて「スターウォーズ」を見た時、冒頭の巨大宇宙船の、いつ果てるとも知れぬ船体が長く続き、ようやく最後尾が現われた時は確かに見事だと感心したが、戦闘シーンで、数々の戦闘機がヒラリヒラリと身をかわして、光線などを発射するシーンは、見続けるうちに「何か平面的だ」と思えて来た。

同じことを、後年『東宝戦争映画編 特撮映画大全集』の編者が書いていた。CGばかりの特撮シーンは平面的な質感を残さざるを得ず、アニメっぽくなる。いっぽうミニチュアには立体感がある。
もっとも昨今はアニメばかり見て、観察眼が初めから無い者がいる。私はディズニーが描いた動きのしなやかなフルアニメを知っており、鉄腕アトム以降、粗製乱造されたテレビアニメのぎごちない動きに辟易して、中学二年くらいには、アニメを一切見なくなったものであるので、テレビアニメのリミテッドアニメに体質が合わない。





かつて日本の東宝の特撮をはるかにしのぐと言われたレイ・ハリーハウゼンの特撮も、迫力を感じたのは最初だけで、ここに現われる恐竜や怪獣ことごとくが、モデルアニメーションの限界から逃れられぬ『ぎごちなさ』で画面いっぱいにガクガクして動いているから、遂に目障りに映るようになった。
どうやらアニメにどっぷり浸かった世代にはこれがわからず違和感を覚えぬようだ。一種の鈍感とみるしかないのか。

またしても脱線した。もっともアニメ制作技術も長足の進歩を見せており、今やフルアニメ、リミテッドアニメという二大別は時代遅れとも承知せざるを得ない。かつてセルロイドに直接描いて彩色していたアニメ―トも、CG(コンピューター・グラフィックス)の発達により、パソコン上でデジタル彩色を行なうことで例えば直接着色することによる乾燥までの時間経過や色調補正などが省力化されている。

いい加減横道にそれてばかりで、駄文羅列が著しくなっているので、またも軌道修正する。
若大将コンビのシーンも良かったことに加え、本作品では戦艦大和の沖縄特攻とは無関係な松山の紫電改を絡めて、創作ながらも心に響く感動を呼ぶシーンも作られている。このあたり、徳川時代の史実に創作を巧みに加えた東映時代劇とダブる感じもある。

松山基地の紫電改は十機余りの編隊を組んで戦艦大和を見送りに出かけるが、千田司令の命じた通り、定刻に達する頃、まず加山雄三氏演ずる滝大尉(だいい)が大和の武運長久を祈りますと機上からあいさつすると全機遠ざかって行ったが、このうちの安宅(あたか)大尉(だいい)・稲葉上飛曹・水野二飛曹・丹下一飛曹の四人が、編隊を離脱して行く。

再び戦艦大和上空に飛来した四機の搭乗員が、対空無線により、官氏名を告げる。このシーンではそれまでのマーチ「敷島艦行進曲」に代わって、おなじみ「同期の桜」(メロディーのみ)が流れる。映画鑑賞をいくらしても、さすがに官氏名の正確な聞き取りはきついので、ハードディスクの字幕をオンにして何んとか書き取った。以下に記しておく。


「大阪府南河内郡(みなみかわちぐん)道明寺町(どうみょうじちょう)出身、海軍大尉(だいい)・安宅信夫(あたか・のぶお)」(夏木陽介氏)。


「福岡県宗像郡(むなかたごおり)玄海村(げんかいむら)出身、海軍上等飛行兵曹・稲葉喜平(いなば・きへい)」(西村晃《にしむら・こう》氏)。なお、西村氏は大東亜戦争中、本当に特攻隊員だった。


「島根県那珂郡(なかぐん)弥栄村(いやさかむら)出身、海軍二等飛行兵曹・水野健一(みずの・けんいち)」(新野悟氏)。なお、正確な読み方がわからないので、漢字のお名前のみにしました。


「千葉県夷隅郡(いずみぐん)長者町(ちょうじゃまち)出身、海軍一等飛行兵曹・丹下太郎(たんげ・たろう)」(渥美清氏)。

終わります。―了―

資料・参考文献等 「東宝特撮映画全史」、「東宝戦争映画編 特撮映画大全集」
          東宝昭和38年作品「太平洋の翼」ビデオ(日本映画専門チャンネル放映版)



星由里子さん(映画「太平洋の翼」公開の昭和38年1月の時、星由里子さんは弱冠19歳の若さでした)





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最終更新日  2024.02.13 08:58:02
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