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恐竜境に果てぬ第1章第1節その1


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恐竜境に果てぬ第1章第2節その1


恐竜境に果てぬ第1章第2節その2


恐竜境に果てぬ第1章第2節その3


恐竜境に果てぬ第1章第3節その1


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2024.02.29
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カテゴリ: 数学・数式
『兄による数学指導』の想い出 ​ 

2003.12.23

お兄ちゃんやーい。 加筆訂正再録
カテゴリ:数学・数式
12月23日 火曜日 天長節

あえて固い内容にしてみる。勉強の話である。

私は友人を一人も持たぬ者である。むしろまだ世の中のことが何が何だかわからぬ小学校低学年から高学年までのうちは、言いたい放題したい放題をして、友の如き者、更には気楽に話せる特定の女子が常にいたが、中学以来、思想一変したのが原因か、ごく気楽に付き合える友人が一人もいなくなった。休日突如訪ねて来る級友なぞ誰もいない。これより以後、女子と気楽に話すことも出来なくなっていた。

横道にそれるが、中一初めの頃、気軽に話しかけてくれる女子が一人いたのに、なにゆえか、休み時間などに、彼女とおしゃべりを楽しもうという気が起こらず、気がついたら彼女でさえ、ほかに親しく雑談などが出来る級友を得て、私は孤立が始まった。記憶が正しければ、彼女は小6の時、同じクラスで、変に飾ったりしないが男女両方から好かれる好印象の生徒だった。
私には既に『女性崇拝の念』が根本にあり、この傾向は長じて好色に著しく傾いてゆく。



己れに出来そうなことはただ一つ。学科の勉強を根気・能力の続く限りやることだった。「そうしたら、次の学級委員選挙では、何かの役職に当選するかも知れぬ」と勝手に思い込んだ。もとより人気投票と知っていたはずだが、今一つの可能性にかけたのである。無論、三年間ほとんど無役だった。
これ又鮮明に記憶している。
中一初めての学科の勉強を教わった日の夜、勉強しようと思った。ところが何をどうしていいか、全く見当がつかない。

その日の授業を振り返ってみた。担任の先生が社会科担当で、軽い気持ちで始めたのか、「地図記号の見方」から始めたことを思い出した。社会科のノートを開くと、確かに書き写してある。
発電所・港・桑畑・果樹園などいろいろ書いてある。とりあえずこれを覚えこむことから始めた。数学は本格の内容には入らなかったようだ。
三つ上の兄は既に沼津東高一年生であるが、やはり新入生である。

中学数学の本格授業が始まった。こちらはまず何から始めたかは全く記憶にない。正の数・負の数あたりが初め近くに位置しただろうか。そして、以前も書いた通り、「文字式」が最初の巨大な壁となった。たとえば「一の位がa、十の位がbの数字を文字式で表わせ」というものがどうしてもわからない。アルファベットを数字に例えることが出来なかった。
兄も高校の課程に入って忙しそうである。

両親は狭い自衛隊官舎の三間つまり部屋数が三つしかない部屋の二間を兄弟二人に与えてくれた。ただし、からかみ一枚隔ててすぐ、兄弟二人の机が、くっつかんばかりに横並びにしてある。
兄を頼むのは簡単なようで実は恐ろしかった。思い切って文字式のことを手ほどきしてもらおうと思って問うたら、「そんなの自分で考えろ!!」という叱責が返って来た。




ややあって、一度ピシャリと閉めたからかみが開いて、「どう、見せてみろ」と相変わらず恐い口調だが、兄が個人教授に乗り出してくれる顔をしていた。ただし、叱られながらである。「お前な、中学以降の数学は、算数じゃないということをまず肝に銘じておけ ! ! 小学校では答えを出すための計算ばかりやって来ただろ・・・。何だ、返事ぐらい出来ないのか ! ? 」

「うん、じゃない。はい、だ」
「はい」
「声が小さい ! ! やり直せ」
「ハイッ ! ! 」

まるで軍隊である。だが私は挙止整った軍人の動作が実は好きだったので、覚悟を決めて、上官から訓示を受ける部下のつもりになって、従うこととした。

「ハイッ」
「その式を書いたところで、それから先一歩も進めないところを想像できるか ? 」
はっきり言ってよくわからない。兄は察したらしく、
「例えば、一の位が5で、十の位が2の数はいくつかという問題があったとするな」
「ハイッ」

「お前、はいはいって、声だけはたくましいけど、ちゃんとわかってるのか ? 」
「だって、お兄ちゃんが『はいっ』と大きな返事しろって言ったから・・・」
「バカヤロ ! ! ま、いい。いいか、教えてくれる人に対して、ふてくさったような態度とったら、金輪際教えないからな。教わる者の態度だけは守れよ」
「わかってるよ」
「やめた」
「あ、お兄ちゃん、言い方間違ったら謝るからさ、俺ここがわからないと、先へ全然進めないんだから・・・」
「じゃあ、今の返事言いなおしてみろ」
「言いなおすって ? 」
「バカか、お前。わかってるよって今言ったろ ! ! そういうのは返事とは言わない。口ごたえというんだ」
ようやく私も察して、
「あ、わかりました。言いなおします。ハイッ ! ! 」
「よおし。じゃ、続き行くぞ。今の問題の答え言えるか ? 」
「ええーと・・・25」
「小学校ならそれでいい。だけどダメだ。文字式の世界で言うと、それは単に2と5を並べてにーごーと言ったに過ぎない」
「・・・」(わかってない)
「じゃあ聞くけど2と5はどっちが大きい ? 」
「5」
「バカ ! ! 25の場合を言ってるんだ。25の2はただの2か ? 」

おつむの回転甚だしくのろく、しばし考えるが、ようやく、
「あっ、25は20と5だから2のほうが大きいや」
「そうだろ。つまりこれは20+5なんだ。もっと進めるとな、20はいきなり20じゃない。2を十倍したものだ。だから2×10だ。それを5と足すんだ。だから全部で、2×10+5だ。どうだ、全然計算なんかしてないだろ」
「うん、じゃなかった、ハイッ ! ! 」
「よし。じゃあな、一の位がaで十の位がbの数字だったら、どう表わす ? 」

既にへとへとである。予想はしていたが、いきなりアルファベットが来たからである。
「ちょっと待って。考えるから・・・」
「言葉遣い改めろ ! ! 」
「あ、しばし待って下さい。ただいま急いで考えますので」
本当にまるで軍隊である。ちょっと照れくさいが、私より数段優秀な兄に憧れてもいたので、叱られても、反感を覚えるどころか、軍隊調で行けば必ず助けてくれる兄ということも知っていたから、懸命に言葉に気をつけ、且つこの難題に挑んでもいた。

「えーと、b×10+a」
「ようし、わかって来たな、と、言いたいところだが、お前は文字式の決まりを怠ってる。よく考えろ ! ! 」
「ハイッ ! ! 」
ここまで来てようやく気がついた。答えた。
「10b+a」
「よし。もう一度言うぞ。その正解よくみてみろ。計算してるか ? まるで式そのものだろ ? 」
「ハイッ」
「お前、返事は良くなったけど、何かほかの言葉しゃべってみろ」
「ハイッ、その通りです ! ! 」

実はこのあたりから、突如脳中に何やらはじけるものがあり、以後、方程式のむつかしい文章題でつまずくまでは、文字式問題がスラスラ解けるようになった。
だが兄は私を操縦することも巧みである。
「なあ、ひろ(私の呼び名。厚和と書いてひろかずと読む。そんなこた、どうでもいいか)、腹減ったな」
「うん」。ここからは軍隊式でなくとも良い。だが私は空腹ではない。要するに兄が即席ラーメンを作ってくれと、言っているも同然なのである。
「サッポロ一番でいい ? 」、「おお、いいな」。

現に母がサッポロ一番の即席ラーメン(味噌・塩・しょうゆ)味三種類を常備してくれていた。好みは人それぞれだろうが、このサンヨー食品のサッポロ一番は今なお台所に用意してあり、私たちはサッポロ一番が文字通り一番おいしいと認めていた。




さて私は、返礼の意味もあるから、かいがいしく働く。湯の量など、兄の好みも既に知っているから、取っ手のついたナベで、手際よく作ると、盆にナベ敷を乗せて、そこにラーメンのナベを乗せ、すぐに兄のところへ持っていく。直接ナベで食べると、スープを飲むのにヤケドしそうになるから、大きなスプーンも忘れず用意する。
「おお、サンキュー。いつも悪いな」と言って、ハフハフ言いながら兄はおいしそうに食べ始める。
なお、これも忘れぬうちに書いておくが、兄弟二人の学習時間中、毎晩工夫して夜食を用意してくれたのは母だった。この工夫はかなり手間をかけていて、即席ラーメンではない様々なおやつを二人に提供してくれた。何らかの原因で、私が兄の夜食を作ることもあったが、恐らくいつもの夜食のほかに、遅い時刻に兄一人が食欲を感じることがあったものと察しられる。中高の都合六年間、ほぼ欠かさず作ってくれた。

この時代、『主婦』といえば、今でいう専業主婦をさした。外へ仕事に出る婦人は「兼業主婦」と呼んで、一段低いものとして見下していた。ただし、我が母は、いざという時のために女も働けるようにすべしと心得ていて、パートがあれば比較的近所のオフィスに赴いて仕事をし、パートがない時は、夜、ほとんど常に内職仕事をしていた。

何回も書いたが、この兄の存在がなかったら、つまり兄が凡庸な頭脳で、スポーツにうつつをぬかすばかりの俗物だったら、今の私は存在せず、せいぜい御殿場南高程度で終わり、人生が大きく変わっていたのである。
月刊誌「少年」の面白さを私に伝えてくれたのも、ゴジラの凄さを伝えてくれたのも、ほとんど、語り口巧みな兄である。その兄も、私が何とか教授業で糊口するようになると、私を対等に扱ってくれるようになった。かつての恐さがうそのようである

この昭和50年代当時、私は兄より先にあの世に行きたいと願っていた。兄は大学理科系を目指していながら、歴史物語や我が国古典の妙を語り、興じさせてくれるのだ。この兄が先に逝ったとしたら、今度こそ凄まじい神経の病が再発して、私はダメになるに違いないと確信していた。身内自慢で終わったようにみえるが、私の気持ちとしては「お兄ちゃん、大好きだよー」という本心を吐露したつもりである。持論として私は可能ならば、数学・物理学・化学を戦力として国立大学理科系学部を目指すべしと考える。

私が押しの強い危ない男と見かけだけ親密になってのち、この男の本性の恐ろしさに気づいた時、私を一喝し「いいか、ある年齢になったら、男が男にほれては危険だ。それは任侠の世界につながるようなものだからだ。そんなヒマがあったら、女にほれろ ! ! 女にほれてうまく行くと、所帯がもてる、子供に恵まれる。所帯を持てなくても、交際相手がいる生活が格段に楽しいものになる。女にはとことんほれろ」
と、諭してくれたのも兄である。こののち、例の「もちや」(富士宮市あさぎり高原)が縁で一人の女と付き合うこととなる。

残念ながら、兄は昭和63年(1988)暮れの会社の健康診断で、白血病が見つかり、およそ七年の闘病ののち、急性転化して世を去った。
そして私は神経症が再発し、食べ物がのどを通らなくなって衰弱、入院加療で当時の処方薬に効き目があり、何んとか回復したが、この内服薬の離脱症状でせん妄という精神症状を起こし、閉鎖病棟の精神病院に入院することとなった。

兄、もしも先に逝くことあらば、私は無事では済まぬだろうとの予測は当たった。
目下はずいぶん軽くなった薬の常用で普通の生活を出来るまでになってはいる(富士市内の精神病院通院中)。
だが、尊敬、憧憬の兄は既に平成七年、1995年に旅立って、兄のいない生活のむなしさだけは常に感じている。
「いいヤツほど先に逝く」と、戦時中の将兵が言ったそうだが、私にとって兄がそのいいヤツに当てはまる。

生業(なりわい)がなければ人は自活してはいけないが、私の場合、自惚れに思われるかも知れないが、中高時代に学科の学習をある程度習得したことが、のちの身入り(みいり)のある程度の良さにもつながった。
逆に高校時代など、好きなドラムを何が何んでもやろうとしていたら、今の生活は存在しなかったことは間違いない。
今、2019年2月から始めたドラムの進展がはかばかしくない。つまりドラムという楽器も、道は遠いということだ。ただし、このドラム・レッスンは講師の先生の人柄にも助けられて、何んとか続いている。


★追記事項★











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最終更新日  2024.11.27 05:33:16
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