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新国立劇場 19:00~ 4階左脇 音楽:ジュール・マスネ 編曲:マーティン・イェーツ マノン:サラ・ウェッブ デ・グリュー:コナー・ウォルシュ レスコー:古川和則 振付:ケネス・マクミラン 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:マーティン・イェーツ 実は週末にチケットを買ってあったのですが、Z席に申し込んでみたら当たったので、出来れば行ってみよう!ということで、2幕から見てきました。 いや、見えないんですけど(爆) 確かに、こないだの白鳥の湖の時も見にくかったけれど、今回は更に輪を掛けて見にくい位置。というか、思いっきり身を乗り出さないと見えないっすよ、という場所。 頑張っても半分しか見えないので、半分諦めて聞いてましたが.....聞くだけだと、チャイコフスキーの時はまだそれなりに楽しめたけれど、今回はあまりそうでもなく。音楽的に決して悪い訳ではないんだけど、やっぱり舞台が無いとこれはつまらなかった。 というわけで、なんとなく見えたり見えなかったりで帰ってきました。以上!って感じですね、ハイ。 ウェッブとウォルシュのコンビはやはり動きが良くて、踊りとして見ていて楽しかったかなと。いや、一部見えた、というのが正確なんですが.... やっぱり皆知ってるから、なんですかね。バレエのZ席は買えるみたいだけど、オペラはさっぱりです..... 週末、ちゃんと観よう.....
2012年06月26日
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オーチャードホール 15:00~ 3階後方 ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲 ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 レスピーギ:バレエ音楽「風変わりな店」 <アンコール> ロッシーニ:ウィリアム・テル序曲~スイス軍の行進 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:アルベルト・ゼッダ 実はオーチャードは土日連荘だったのですが、昨日は新国ネタを書いてしまい、今日は今日でやはりこちらを書きたかったので。昨日は小山実稚恵で、それはそれで面白かったんですけど、また次回。 ......ああ、こうして書かないネタが増えるのね.........来週も忙しそうだし.....もう暑いしなぁ..... 閑話休題。 ゼッダの東フィル客演です。今日が最終日。そして今日は別プロ。 いきなり冒頭から十八番のロッシーニ、とはいっても「ウィリアム・テル」序曲ですが。しかし、この序曲も東フィルで聞くのは久し振り。20年くらい前はバブルの頃で、それこそ連日歌手のリサイタルとかで東フィルが動員されて、合間にこういうのやってねぇ...... うん、いい演奏でした。いわゆる「ウィリアム・テル」を演奏しまーす、というのではなく、これからあのながーい「ウィリアム・テル」本編をやりますよ~、その序曲ですよ~、という、これからオペラを観るのだ、と思わせるようなしっかりした演奏。 そして、本日のメインとも言うべき「田園」。こちらも期待を裏切らないいい演奏。木曜日のオペラシティでの演奏に比べると、弦がより豊かによく響いていたように感じたのは、ホールの違いなのか、聞いてる場所のせいか、曲故か、本当に良くなったか、それとも単に気のせいか......気のせいかな?ともあれ、いい響きでした。管も、特に木管のクリアな音が良かった。必要以上に重くならず、活力があり、かつ丁寧。全体に、とても落ち着きのある演奏だったように思います。こんなにいい東フィルを聞いたのは久し振り。 正直、ゼッダはこれまでも何度か東フィルの定期演奏会で振っていて、それも聞いてはきたのだけれど、「ロッシーニのオペラの第一人者」という印象が強過ぎて、こんなに「オーケストラの指揮者」として面白い人だとは思っていませんでした。勿論、「ゼッダなら...」という期待があるから買ってはいたのだけど、ここまでとは。 本質的な事ではないかも知れないけれど、今回ゼッダは4日間で2プログラム・3公演を振っていて、この2プログラムに全く共通演目がない。そして、このプログラムの内、譜面を見ながら指揮したのは、ベリオのみ。パーセルも、ケルビーニも、メンデルスゾーンも、まぁロッシーニはともかく、ベートーヴェンも、最後のレスピーギも、全部暗譜です。珍しく無いと言えば珍しく無いですが、このスケジュールでこの多彩な演目で、ですよ。どんだけこの人の抽き出しは沢山あって深いんだろう、と思ってしまいます。(東フィルの場合、実は、2プロ振るのにメインの1曲は両プロ共通、というケース、少なくないのです) 後半はレスピーギのバレエ音楽「風変わりな店」。これは、ロッシーニの「引退」後に書き溜めた小品集「老いの過ち」(プログラムには「老いのいたずら」とありましたが、確か昔はこんな風に言っていた筈...)から選んで編曲したもの、だそうです。 正直、聞くのは初めてでしたが、なかなか面白かった。ローマ3部作のような派手さはなく、品のいい可笑しみがあって、楽しい40分ほどの音楽の詰め合わせ、と言ったところでしょうか。ここでもゼッダはオーケストラから響きのいい音を引き出していて、とても気持ちよく聞けました。 終演後、喝采に応えて、となれば予想通り「ウィリアム・テル」序曲の最後、スイス軍の行進。こちらは先ほどよりちょっとだけはっちゃけた感じの演奏で、それがまた面白かったかな。 この演奏会、3階席右端1列目の2つ目当たりに座ってた、Yシャツにノーネクタイの年配のオッサンが、前半一曲目の後で思いっきり怒鳴ってました。後ろの人に身を乗り出さないでくれと注意されたのにキレたんですね。「うるさい!文句あるんだったら前の席買え!」だって。 このオッサンが身を乗り出していた理由は大体見当が付いていて、オーチャードの3階席は、実は手摺が視界に入ります。そうすると、指揮者が見えないんですね、あの辺だと。つまりこのオッサンこそ「一階席買え!」てな話でありまして。 なんというか、こういう人は、もう二度とコンサートとか来ないで頂きたいと思います。前にも書いたけれど(あれまだ終わってないんだよな。続き書かなきゃ...)、コンサートというのは、パブリックなものであって、つまりは他人が居るから成立するもの。であれば、そこでは自ずと社会に於けるルール、公共の場に於けるルールというものが優先されます。チケットを持っている、ということは、決してその場その時間占有し好きに振る舞える、ということではない。 このルールが分からないという事は、はっきり言って、社会生活が出来ないという事を意味します。こういう人は公共の場に出て来てはいけないのです。社会の迷惑だから。仕事してるとかなんとかじゃないんです。自分の人間関係の中に閉じ篭ったままその辺を歩いている、そのままで出て来るから、公共の場に身を置く以上求められるコミュニケーションも取れないし、ルールも守れない。社会的引きこもりとでも呼ぶべき存在。 でもなぁ、こういう人、多いんだよなぁ、最近......
2012年06月24日
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新国立劇場の次期芸術監督陣が発表されました。 http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/30000092.html オペラ部門の芸術監督は、現在の尾高忠明から、飯守泰次郎に変わるそうです。 ................? 正直、どういう考えの下の人選なのか、さっぱり分からないんですよね。 率直に言って、それほどのオールドファンでもなく、元々ドイツのオケものをこよなく愛する訳でもない(そうなんですよ!)私としては、飯守泰次郎の名前にそれほどの思い入れやインパクトは無いんですよね。「要はシティ・フィルの人でしょ?」てな感じで。何度か聞いた覚えはありますが、別にそれほど凄い人という印象は無いし。まぁ、だから、指揮者として、この人を呼んで来るとはなんと素晴らしい!という感じでは無いんですよね。まぁ、そこまでの指揮者なんてそうそういない訳で、別に飯守泰次郎がだめじゃんと言ってるつもりは無い。 で、問題は、「芸術監督」という役職にあります。 そもそも、新国立劇場は誰に芸術監督を頼んで、何をやらせたいんでしょうね? 折に触れ言うことですが、日本人は、そもそも「常任指揮者」とか「音楽監督」とか「芸術監督」なるものがどういう意味を持ち、何をやって欲しいか、ということにあまりに無頓着なように思います。 オーケストラの場合の話は今回とは別件なので割愛しますが、例えばオーケストラなら、オケ自体の練度を上げるという音楽面の仕事、プログラミングを組み立て、中期的なオーケストラの計画を立てる仕事、そして営業面での仕事、とまぁこのくらいの仕事が本来あって忙しい筈なのです。日本のオケの場合、そういう仕事をしないのかさせないのか、全然そういうことが出来てなかったり、不適切な指揮者を選んでしまったり、たまに当たりを連れてきても、真価や活用法が分からず追い出しちゃったりする訳ですが。(ラザレフ、シモ、デュトワ、アシュケナージ、デプリースト.....) オペラハウス(っつーかパレス(笑)か)といってもオケのいない新国立劇場の場合、よって、基本的に音楽面の仕事は無いに等しい。合唱は専任が居ますしね。ちょっとツッコむと、これだけ芸術監督が変わって、合唱の方の陣容が変化しないのもおかしな話ですが。それはともかく、そうすると、プログラミングを立てて、営業するというのが仕事な訳で、それに、有望な指揮者や歌手を引っ張って来るという仕事がある訳ですが、今の飯守泰次郎にそこまでするほどの力があるんでしょうか?これは指揮者としての実力とは全く別の話です。例えば、分かりやすく言えば、飯守泰次郎に頼むより、小澤征爾に頼む方が遥かにいい指揮者や歌手は呼びやすいでしょう。ハーディングだっていい。或いは、私は大嫌いだけど、NBSの佐々木ネズミ(チュー!)の方が、現実には、歌手を呼ぶ上では知名度は上でしょう。そのかわり新国のS席は4万円になって、3階正面はS席にされるだろうけど。 いや、ひょっとすると、そうではなくて、未だ実力者なのかも知れないですけど、どうもそういう感じじゃなさそうだし。 結局、最初の話に戻る訳です。一体新国立劇場は何をしたいのか。例えば、2012-13年シーズンのラインナップを見ていると、とてもじゃないけど、「オペラパレス」なんて大層な名前に似つかわしいようなキャスティングとは言えないと思う訳です。特に指揮者とか。 個人的には、それはそれでいいような気はするのです。新国立劇場は、世界のオペラハウスの中で、登竜門的な位置付けを得る。だから、ここには旬のトップクラスは来ないけれど、これから伸びて行くような若手の有望株が来る、そういう劇場にしたい、とか。 でも、そういう訳でもないんでしょう?と言って、何か凄いことをやってくれる訳でもない。 確かに、オペラをやろうとすると、しかも今の新国立劇場の練習期間と公演期間だと、拘束期間も長いので、なかなか大変だとは思います。 けれど、それならそれで、何故もっと上手いことを考えないのか。例えば、日本には、毎年のようにプレヴィンだってインバルだってラザレフだって、エッティンガーやハーディングだって来てるのに、これまで使ったのはエッティンガーだけでしょう?勿論「東フィルだから」というのはあるかも知れないけれど、それ言ったら飯守泰次郎とかどうすんの? 新国立劇場には、中長期的戦略、いや、そんな上等なもんじゃない、「どうしたいか」ということが欠けていると思います。その理由は恐らく、「何をするつもりなのか」を説明する必要がないから。説明する必要がないから考えてない。少なくとも練ってない。取り敢えず惰性で公演を続けて行く為にどうすればいいかだけ考えよう。多分そんなところじゃないかと。というのは言い過ぎですかね? いや、例えば、これが国立劇場だったら、それ自体が日本でも有数の伝統芸能の殿堂の一つになっていて、何をやるべきかもある意味決まっているので、惰性的なことでも(そうじゃないかも知れないですけどね)立派に存在意義があり、方針が出来ると思うのだけれど、新国立劇場でオペラをやるというのはそれじゃ済まないと思うんですよね.... ところで、バレエ部門の方は、あっさりビントレーが退任な訳ですが、これはこれでどうなの?というか、そもそも新国のバレエ部門って上手く行ってるんですか?自分はたまに見て「いつもより多く回ってるな~」くらいにしか見てないので(というかその程度のうっかりな見方しか出来ないの)よく分からないんですが、どうなんでしょう?
2012年06月23日
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オペラシティコンサートホール 19:00~ ピット席 パーセル:アブデラザール組曲 ケルビーニ:交響曲ニ長調 ベリオ:フォーク・ソングス メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」 <アンコール> メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」~第4楽章 メゾソプラノ:富岡明子 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:アルベルト・ゼッダ ゼッダが3ヶ月振りに来日しての東フィルとのコンサート。今回は定期演奏会2プロ、全3公演になるのかな? 東フィルを凄く聞きたいと思ってる訳ではないけれど、ゼッダが振るのであれば行けるなら行っとくか、「イタリア」だけでも聞いてみたいしな、ということで買ってありました。僥倖が重なって、最初から聞けてしまったのは実に幸運。 オペラシティは響き過ぎだしそれほど好きなホールではないのですが、2階オルガンの前のピット席は指揮者がとてもよく見える面白い席。見え方的には、距離感も含め、サントリーホールやミューザ(あれも来春開場予定だけど大丈夫なんかいな?)より面白いです。 今回は、どうせ行けるかどうか分からないなら、というつもりで、こちらを買っていました。 これが大正解。もうね、ゼッダの指揮が面白い。 ベリオ以外は暗譜で振っていたので、指揮姿が非常によく見えるのですが、予想に反して流麗というより躍動的。特に「イタリア」の指揮の表情・表現の豊かなこと。 それと、素人目に見ても、何をコミュニケートしたいのかすっと分かる、そんな感じの指揮なのですね。分かりやすい。 音楽的には、これも、やはり「イタリア」が一番でした。他も面白かったけれど、ベリオは声ものだからピットで聞いていると流石にツライし(これは選んで買ってるんだから仕方ない)、ケルビーニも面白かったけれど、やはりなんといっても「イタリア」。前のめりになって行く、けれど重心は決してバランスを崩さない、そういうテンポの取り方。 予想外だったのは第2楽章。「巡礼の行進」みたいな言われ方もする、やや荘厳な雰囲気のある曲ですが、これを思いの外速めに演奏していて、決して重々し過ぎない。「イタリア」では、特にこれがあるからか、各楽章のテンポ感、表情がパキッと様変わりしてしまうように感じることが少なくなくて、それはそれでいいと思うのだけれど、こういう風に演奏されてみると、ああ、これは曲全体がこういうものなんだ、と却って納得してみたり。 とてもいい演奏でした。東フィルには悪いんだけど、これが東フィルでなかったらもっと面白いのに、と思ってしまうくらい(苦笑)いや、例えば、スカラ管とか、ボローニャのオケとか...でも、まぁ、ボローニャあたりだとボロが出そうですけどね。ただ、まぁ、やはり東フィルは弦が硬くなりがちだったし、その辺は、毎度のことだけど、不満は、ねぇ? 最終楽章の快演で場内大盛り上がり。お客さんは申し訳ないくらい1階席が空いていたのだけれど、鳴り止まない喝采に応えて第4楽章を再演。これも先の演奏に違わずいい演奏。そしてゼッダの躍動する指揮も相変わらず。凄いですね~プログラムが終わった時点で21時回ってたので、最終的に終わったのは21:25。長い長い。最近の東フィルとかは定期演奏会も短めだったのだけれど、盛り沢山で面白い演奏会を聞かせて貰いました。 金曜日にサントリーで同じプロをやって、日曜日にはロッシーニのウィリアム・テル序曲にベートーヴェンの「田園」。これも楽しみ。しかもプログラムはこれで前半(笑)後半にレスピーギのロッシーニ編曲ものがあるという....これも楽しみです。
2012年06月22日
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NHKホール 18:00~ 3階左手 リムスキー=コルサコフ:組曲「サルタン皇帝の物語」 グリエール:ホルン協奏曲 <独奏アンコール> ? チャイコフスキー:交響曲第4番 ホルン:ラデク・バボラーク NHK交響楽団 指揮:ウラディミール・アシュケナージ もうなんつーかどんどんブログネタが遅滞していく........ 6月のN響はアシュケナージが来演。アシュケナージといいデュトワといい、常任にしては御退任頂いて、客演させるという、なんだかなーなシステムですが、N響はずっとこのシステムで行くんですかねぇ。 退任させといて、客演するとそれなりに気の入った演奏にはなるんだけど、それもなんだかなぁと思わなくはないのだけれども。 妙に高校生とか学生風が多いなぁ、と思っていて、気が付いたのだけれど、バボラーク目当ての吹奏楽系の学生が多かったのですね、恐らくは。 そのバボラークの奏する協奏曲はなかなか。グリエールはソ連の20世紀前半の、どっちかというと体制側の作曲家(ソ連作曲家連盟の議長職にあったってことは...ねぇ...)らしいのだけれど、それに見合うが如く楽曲は恐らくは社会主義リアリズムだかなんだかに見合った、つまりはモダニズムはほどほどに抑えられ、アヴァンギャルドな面はあまり見られず、というスタイルなので....ええ、面白かったですよ。割と聞きやすくて。バボラークの妙技も聞けたし。 前半最初のリムスキー=コルサコフは、まぁ前菜的位置付けだし。メインディッシュはやはりチャイコフスキーなんでしょう。曲が曲だけに盛り上がりました。なんだかんだ言ってもやっぱりチャイコフスキーは心ならずも(?)盛り上がりますねぇ、終楽章で。(6番は第3楽章だろうけど)たまに聞くといいもんです。そう何度も続けて聞きたいとは思わないけれど.... そういや、これは、つまり、ロシア音楽プロなんですね。 アシュケナージは、どうなんでしょうね。もう普通にいい演奏でした、という時点で、御馳走様という感じなんだけれども。これぞなるほどアシュケナージだな!という感じはないんですよね、演目的にも。私がうっかりしていただけかも知れないけれど、でも、演目的にもそうだし、アシュケナージ自身基本的に王道を行く類の人だと思うので、いい演奏でしたね、ということでいいんじゃないかな、と思うんですが。
2012年06月17日
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新国立劇場 14:00~ 3階正面 というわけでローエングリン二回目。楽日です。 まぁ、ほぼほぼ前回と同様の感想です。やはりフォークトが一頭抜きん出た感じ。全般に歌唱陣は今日が最後だからか、やや吹っ切れた感じではあり。とはいえ、やっぱり実力差がねぇ.... 今回は正面で聞いていたからか、思いの外ハインリヒやテルラムント、エルザが健闘していた感はあります。とはいえ、やはり息切れしてる部分もあったりして、ダメとは言わないけれど、相手の出来がいいだけにねぇ、という感じ。変わらぬ出来だったのは伝令かなと。オルトルートは........武士の情け....... 合唱団も前回同様の感想。やはり、健闘してはいるものの、力不足は否めない。これはオーケストラも同じで、結局の所、合唱にせよオケにせよ、余裕を感じさせるくらいでこなしていかないと、安心して聞けないのです。実際、前回も今回も、明らかに余裕 - というのは手を抜いてるとかではなくて、もう一回歌えって言われたら歌えますよ、的な意味での - があったのはフォークトただ一人。オケは、管が相応に頑張っていただけに、弦の実力が問われてしまったといったところかと。余裕を持っていて欲しいオケの中でも、なにより弦が一番余裕たっぷりであって欲しいのでして、ね。 シュナイダーの指揮は、言ってしまえば音楽的に「格好悪い」もの。ローエングリンはワーグナーの中でも中々に颯爽とした音楽でもあるから、テンポ良く一気呵成に流れよく行って欲しいと思うこともあるけれど、シュナイダーは勢いに委せず、よく言えば丁寧に音楽を積んで行く。だから、もう一つ流れに乗れないと感じる面もあるけれど、まぁこれはこれできっちりと作っているので、それはそれでいいのではないかなと。 ただ、これは誤摩化しが利かないので、弦の非力さなんかもよく見えるようになってしまうのではありますが.... 演出は、やっぱりねぇ。 根本的に、舞台を使って物語を紡ぐということが上手く出来ていない。だから、いわば一つ一つの情景のカットを次々に出しただけに近い。舞台自体がかなり具象的なものであれば、それはそれで手法として成立するのだけれど、この舞台はむしろ簡素なものなので、そうはいかない。 人の動かし方もまずい。というより、あるカットでは、合唱と歌手の配置が意味を持っていて、それはそれで分からなくはないのだけれど、その間の繋ぎが出来ない。「ハイ次のカットはこうでーす。こっちへ動いて下さーい」といった感じで、稚拙。 加えて、そのカットが正直それほど心動かされるような出来ではないので、つまらない。まぁ、救いようが無い。オペラとして邪魔をしている、ということではないので、比較的酷評されないのかも知れないけれど、正直意味が無いものを見せ続けられても.... それと、細かい話で言えば、陳腐だと言う意味で趣味が悪い。分かりやすいのは前回書いたゴンドラだけれど、舞台奥に一面に設置されているスクリーンの映像がこれまた.... 1幕の最後、白鳥の騎士が勝った!というところでスクリーンに映されるのは花火を模したCG。或いは、2幕の後半、エルザに、白鳥の騎士の素性を知りたいという疑念・邪念が育って行くのを、うにょうにょと蠢きながら育って行く紫の何かのCGで表現。 CG映像それ自体が趣味が悪い訳ではないのだけれど、例えば、歓喜の爆発を花火のCGなんぞで見せられると、結構な数の日本人は本物の花火を見慣れているので、むしろ陳腐に思うのではないかと思うのです。ゴンドラといい花火といい、私だけかも知れないけれど、日本の特殊事情として、こういうものを舞台で見せられると、日本人としては陳腐に感じてしまう。そういう事情をちゃんと演出家にFBすべきだと思うんですけどね。もし彼等がそういうことを分かっていたら、別のことを考えたんじゃないかと思うんですが。
2012年06月16日
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新国立劇場 14:00~ 3階右側 ワーグナー:ローエングリン ローエングリン:クラウス・フローリアン・フォークト エルザ・フォン・ブラバント:リカルダ・メルベート ハインリッヒ・デア・フォーグラー:ギュンター・グロイスベック フリードリッヒ・フォン・テルラムント:ゲルト・グロホフスキー オルトルート:スサネ・レースマーク 伝令:荻原潤 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:ペーター・シュナイダー 演出:マティアス・フォン・シュテークマン 新国のローエングリンは開場の年以来だそうで。でもその間に何度か観てる気はするんですが....記録を見てもこの数年では2007年の新日の演奏会形式しか観てないような。まぁ、要は、久し振りです。 結論から言ってしまうと、ローエングリン役のクラウス・フローリアン・フォークトの一人勝ち。まぁ、勝つべき、勝って欲しい人が順当に一人勝ちなので、基本的には文句ありませんが。 まぁ、もう、はっきりパキッと声が違う。声が綺麗で、良く通り、声量があって、歌い回しがしっかりしている。ここ数年でも久々にちゃんとした歌手がいい歌歌ってくれてるなぁ、という感じです。 正直、他の歌手は「並」。一番良かったのはエルザですが、正直、格別いいという訳ではないというか。普通に「いい」という感じ。あれだけ歌えれば...ということにはなると思いますが。後の諸役、オルトルート、テルラムント、ハインリッヒは、もうちょっと声があれば、とか、まぁそんな感じ。それなりにそれぞれありましたけどね。まぁ、でも、フォークトの前では......公平に言って、伝令は役としてはそれなりにちゃんとやれてましたが、まぁ、そこ褒めてもしょうがないか.... 合唱はややムラがあり、いい所も含めて限界かなぁ、という感じ。限界が見えちゃうのは厳しいですね。新国の合唱団も、もうちょっと安定して欲しいと思います。 音楽的には、結局、オーケストラが一番ギリギリ頑張ってた感じでしょうか。個人的には、もうちょっと弦に柔らかさを伴った厚みがあったら良かったのに、と思いますが、まぁ、そこまで求めるのは酷なのか。十分及第点ではあるでしょう。シュナイダーの指揮は、ややゆっくり目のテンポで、ともすれば力技で突き進みそうなこの曲をよくコントロールしていた、というところでしょうか。ただ、それが、見ようによってはもっさりした音楽に感じられるというのはあるかも知れませんが。とはいえ、このくらい纏め上げてくれれば文句はありません。2幕の前に一部ブーイングがあったり、あまり好意的でない評もあるようですが、じゃぁどんなのがいいのか説明して欲しいものではあります。クナッパーツブッシュとか、クライバーとか、そうでなきゃダメだとか、そういう話なのかしら、ね。 演出はねぇ........問題が多い......... まず根本的に人、特に群衆の動かし方が下手くそ。日本ではよくある話だし、時々そういうのはありますが、ちょっと芸が無いにもほどがあるという感じ。「簡素な舞台」というのがコンセプトだとは思いますが、正直、簡素な舞台であればこそ、人の動かし方は重要度を増すのだけれど.... それと、ローエングリンの登場。あのですね、アイディアは決して間違っては居ないのかも知れないけれど、日本では、宙吊りとかは結構人口に膾炙しているので、むしろああいう格好の美男子がゴンドラで降りてくると、玉姫殿かどっかの結婚式場を連想するのです。誰か言ってやればいいのに。で、終幕は、タダの人になってしまったし、白鳥はブラバントの跡継ぎに戻っちゃったからか、歩いて舞台から退場。とても理に適っていますね(棒読み) ええと、それは様式美としては如何なものかと。 些事と言えば些事なのですが、演出が見た目で揺さぶるような種類のものではないだけに、そういう細部でずっこけると、乗れないんですよね、お客としては。
2012年06月11日
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