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みなとみらいホール 18:30〜 2階左手 ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲ト長調「田園風」RV.151 ヴァイオリン協奏曲集「四季」 フルート協奏曲ト短調「夜」RV.439 フルート協奏曲へ長調「海の嵐」RV.433 ヴァイオリン協奏曲「ムガール大帝」(フルート編曲) フルート協奏曲ニ長調「ごしきひわ」RV.428 <アンコール> モリコーネ:映画音楽「ミッション」〜ガブリエルのオーボエ リムスキー=コルサコフ:熊ん蜂の飛行(フルート編曲) ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲 RV.114 ヴァイオリン協奏曲「冬」第1楽章 フルート:アンドレア・グリミネッリ 新イタリア合奏団 (ヴァイオリン独奏:フェデリーコ・グリエルモ) たまたま今週は何も予定を入れておらず。申し訳なくも、読響・都響・スクロヴァチェフスキ・インバル という用語は、あまり私を動かす力はないのです.... で、たまたま某所で安売り券が出ていたので買ってみました。新が付くとはいえ、イタリア合奏団はDENONに盛んに録音していたところだし、まぁそれなりだろうと。 このコンサート、実は半ばはフルートのアンドレア・グリミネッリを聞くものだったようで。で、惹句が「パヴァロッティに愛されたフルート」だそうで.....ふーん........ というか、パヴァロッティがフルートなんてわざわざ愛したとも思えないのだけど...... まぁ、正直、あまり特記すべきことはなかったかな。申し訳なくも、アンコールの熊ん蜂の飛行は、あんまりそれっぽくなかったかな、と。フルートで吹く事自体に無理がある気が...... それはさておき。 新イタリア合奏団、所謂古楽器の団体という訳ではないと思ってましたが、チェンバロ伴奏に加えてテオルボを加えるという不思議なスタイル。楽器はともかく、ガット弦くらいは使っているのか、という感じの響き。 後から気付いたのですが、2階左側、結構舞台に近い所で聞いていたので、チェンバロの音が必要以上に聞こえていた気が。アンコールの時に、舞台からより遠い所へ動いてみたら、結構バランス良く聞こえて来たので、ちょっとあちゃぁな感じでしょうか。 正直、演奏はあまり上手いとは言えないと思います。本来鳴る筈の無い音が不用意に鳴ってしまったり(ミスタッチというか、余分に鳴らしちゃった、という奴でしょうか)、なんとなく音程が微妙に揺らぐような感じだったり。所謂上手い演奏ではない。例えば、最近聞いた中で言えば、フライブルクとか、ルーブル音楽隊とか、ああいうのに比べるとちょっとどうかと。 でも、それはそれとして、こういう感じでまとめてヴィヴァルディを聞かされると、これはこれで聞いて面白くはあるのですよね。そういう面ではこの人達は十分面白い。この日の昼間はスクロヴァチェフスキと読響がベートーヴェンを、翌日曜にはインバルと都響がマーラーを、それぞれやってる筈で、それはそれで評判はいいのでしょうが、私にとってはきっと面白かったのはこの演奏会の方だろうと。ここには、お題目抜き、巨匠ならざる人達が一時の、しかし出来るだけ上等な楽しみを聞かせようとした演奏がありました。 アンコールの4曲、まぁ、フルートのソロはあれですが、いずれも思わずウンウンと頷きたくなるような演奏でした。ちょっと妙な喩えですが、野球場で野球を見ているような気分。臨場感、今、そこでプレーが行われているという意味合いでのライブ感とスリル、それに通ずるものがある、そういう演奏だったなと。 .....きっと実買価格も一番安かったと思うし(苦笑)
2012年09月30日
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すみだトリフォニーホール 14:00〜 3階正面 ブリテン:イリュミナシオン ブラームス:ドイツ・レクイエム ソプラノ:リーサ・ラーション バリトン:ロベルト・ホルツァー 合唱:栗友会合唱団 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:クリスティアン・アルミンク 新シーズン定期の初回ですが.... 前は去年同様行儀の悪い夫婦。両隣はこれまた落ち着きのないオッサンに爺さん。自分も大概落ち着きの無い方だけれど、こいつらは格別。ああ、こいつら単発ならいいんだけど.....今年は行きたくなくなったぞ、もう。なんで50絡みとか、年寄りのクラシックファンとかって始末に負えない連中がこう多いんだろうか...... 愚痴でございます。 イリュミナシオンはあまり聞く機会の多くない曲だと思いますが、ボストリッジがブリテン曲集を録音した中で歌っていたり、録音でも珍しいというほどではなし。 ラーションはこの曲を得意としているそうで、確かに歌い込んでいる風で、安定した歌唱。これはとても良かった。この後、月曜日に聞いたピオーもブリテンを取り上げていたけれど、ブリテンは英語圏の歌ものでは貴重な歌曲作家ではあるし、それがまた佳曲が多いので(洒落ではない)、もっと聞かれてもいいと思うんですけどね。 ドイツ・レクイエム。今回のメインは勿論これではあるんですが... まぁ、正直、ガッカリ、です。 問題はやっぱり合唱。 前回聞いたのはマーラーだったか、あれよりは多少いいとは思うんですが、正直、平版なんですよね。失礼だけれど、何を歌っているのか分かってやってるんだろうか、と。音楽的にも、言葉としても、抑揚というものがあると思うのだけど、まるで下手な読経のよう。別に「ドイツ・レクイエム」だから言っているのではありませんが。 ざっくり100人くらいは載っていると思いますが、きちんと歌っていればこんな人数は音楽的に必要は無いと思います。人数増やして音量大きくすればいいというものではない。むしろ、人数はある筈なのにスケールの小さい歌になっている。発音にしても、抑揚、ひいては音楽的表現にしても、無駄に人数増やすものだからぼやけてしまう。要するに、「つまらない」んですよね。 他のオケにしても、例えば東響のように、アマチュアを起用することはよくあるのだけれど、正直、当人達の「つもり」と実際に聞いてる側の受け止めとでは相当ギャップがあるのだろうと思います。冷たい言い方だけれど、聞き手は音楽を聞きに来ているのであって、発表会に来ているのではないのだから、つまらないものはどうしたってつまらない。送り手の事情は知ったこっちゃない。 たとえば、ちゃんとした合唱団なら、フルオーケストラに対しこの半分程度の人数でも十分伍して行けると思います。無論、ひょっとするとトゥッティ勝負になれば苦しいかもしれないけれど、音楽としてきちんとしたものをそれで出せるなら、聞く側は納得するというものです。 定期会員継続の特典CDは「ジークフリート牧歌」とベートーヴェンの1番。今年は楽章抜粋ではないのね〜
2012年09月19日
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Blue Note Tokyo 20:00〜 Christian McBride (b) Jeff "Tain" Watts (d) 小曽根真 (p) セットリスト(一部不明) 1.バウンシング・イン・マイ・ニュー・シューズ 2.ノヴァ・アルヴォラーダ 3.ガッタ・ゲット・イット! 4.ロンギング・フォー・ザ・パスト 5.マイ・ウィッチズ・ブルー 6.テイク・ザ・テイン・トレイン <アンコール> 1.? 2.? アンコールの曲目を聞きそびれてしまいましたとさ..... ツアーがあるのをチェックしそびれていて、気付いたのがこの間タワーレコードで新譜を手に取って、ツアー情報を見て、という体たらく。慌てて電話して、連休中で取れたのはこのセットだけでした。まぁ、元々ダブルヘッダーのつもりだったので、いいっていやぁいいんですが。 久々の小曽根真トリオは、最近出た新譜の曲を中心にしたセット。 というか、新生トリオとして初のツアーです。No Name Horsesなんかの活動中心で、前のトリオは自然解消といったところでしょうか。非常に落ち着いた感じのトリオになりました。 そう、良くも悪くも落ち着いてるんですよね。言えば、そこが不満かなと。 個人的に、小曽根真に期待しているのは、言わば something new progress なんですよね。いや、そんなの勝手な話で、随分な無茶振りではあるんですが、しかし、普通の地口で展開されても楽しくないんですよね。例えばソロを取った場合の展開で「え?」と思わせるようなどっきりがある。或いは、不協和ではないけれど普通の協和音でもない、そういう和声進行を探り当てる。そういうsomething new progress が小曽根真の魅力だと思っているし、だからクラシックをやっても面白いと思うんですよね。 今日は、最後からアンコールに掛けては結構ノってはいたんですが、ちょっと通常運行がメインだったかなぁ、と。分かってますよ、得手勝手な話だって事は。でも、普通に想像の範囲でそれぞれがソロを普通に取って、おしまい。それはちょっと聞きたいものではないなぁ、と。派手にドラムが展開するだけなら、それは予定調和の内。そこからどんな意外性があるのか。そういう意味では、落ち着いちゃってる感じかなぁ?と思ったのは事実。でも、最後はちょっとブリリアントだったし、基本的にはいい演奏ではあるので、取り敢えずいいかな、と。 アンコール前のMCで、「僕が最初にレコードで聞いたガーシュインのピアニストが来てくれている」というので誰だろう?と思ったら、アンドレ・プレヴィンでした。 ああ、そうでした、この人のガーシュインは確かに名盤でした。しかし、元気な爺さんだ(苦笑)こないだNHKホールで杖突いて介添え付で出て来たから(コンマスまで思わず介添えしてたし)、ああ、あと何年出来るんだろう、と思ったのですが、あんた、あのブルーノートの階段上り下りしたんかい!(苦笑) つい嬉しくなって、柄にもなく「マーラー、良かったですよ。また来年も来てね」と帰り掛けに言いに行ったら(オフの所大変失礼致しました)、一緒に来てたのは小曽根さんのマネージメントしている事務所の人でしたとさ。なんか計画があるのかしらん....
2012年09月17日
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東京文化会館 14:00〜 4階右側 パルジファル:福井敬 アムフォルタス:黒田博 グルネマンツ:小鉄和広 ティトゥレル:小田川哲也 クリングゾル:泉良平 クンドリー:橋爪ゆか 読売日本交響楽団 二期会合唱団 指揮:飯守泰次郎 演出:クラウス・グート はっきり言って予想外の出来ではありました。 元々二期会はプロと呼ぶに値しないというのが基本評価ですが、今回はお弟子さんの不愉快極まりない下品な「ぶらぼおおおおおおお」が無かったので、その点だけでもまずは多少ましだったと。 但し、それ故か否か、会場はかなり空席が。ちなみに私はC席だったのに4階脇席の決していいとは言えない席。そして、C席までは売り切れだったのですが、3階席から空きが目立ち、1階はかなりの空席が。それはそれでどうなんだ.... ま、二期会だからどうでもいいけど。 一応各人それなりに最後まで保ったようです。ただ細かいことを言い出すと色々あるのではありますが。外題役の福井敬はそれなりに最後まで歌い切ったようです。ただ、こういうパルジファルも、あり、なのかねぇ....という感じなのではありますが。あんまり合ってない気がするんですけど....まぁ、取り敢えずこの人としては良しとしていいと思います。 後の歌手も、それなりに最後まで破綻は来さなかった。その点は評価出来ると思います。約1名、どうも変な聞こえ方をしているのがいたけれど、後はまぁそれなりに。端役は端役だしね。合唱も、一応。ただ、特に女声陣に感じたのだけれど、声量はあるし、だから恐らくは声量重視で選んだとは思うのですが、どうも歌い方が古臭いなという感じの人も少なからず居て、ちょっとどうかとは思いますが。 飯守泰次郎指揮の読売日響。ここを聞くのは久々ですが、今日は割と良かった。この辺は指揮者のコントロールというか指導が割とよく行き届いていたのでしょう。ただ、フレージングは、ちょっとどうかなと。やはりパルジファルは息の長いフレージングが欲しいなと思うのですが、なんだか微妙な感じで。そこも計算の上と言うことなのかも知れませんが。 その辺とも関係するとは思いますが、音量はありました。それがただやけくそに大きくしている訳ではないので、その点は良かったでしょう。でも、音楽として俯瞰した時、ちょっとよく分からなかった。まぁ、当方もそんなにパルジファル良く知ってますという訳ではないのではありますが、これでいいのかな?と思うことも。なんというか、フレーズと言うか、部分部分でパキッと印象に残る瞬間はあったのではあるけれど、そういう感じ方でいいのかしら。 最終幕、鐘の音がガンガンにPAで掛かって、それがオケを十二分にサポートして。それはそれで決して間違いではないとは思うけれど、ちょっとずるい下駄の履き方かな、と思わなくもなかったり。ま、いいけどね。 流石に二期会としてここは意地を見せなければ、というところだったのでしょうかね。この前に観たのはワルキューレだったけれど、あれに比べれば相当にましだったのは確か。 演出は、難しい所ですね。 演出ノートによれば、救済を渇望する者達と、パルジファルが第一次大戦直前に広く受け容れられるようになった事との連関から、第1幕を第一次大戦開戦頃、第2幕を大戦後の復興期、第3幕をナチスの権力奪取に至る時期、という設定を言わば借景にしたらしい。 モンサルヴァートは何処ぞの療養所(「魔の山」!)、そこを支配、というより指導と言うべきか、しているのが先王ティトゥレルの一家で、アンフォルタスとクリングゾールは元を糾せば一族(兄弟?)であったが仲違いし、という設定。それ故、クリングゾールの城もモンサルヴァートであり(3幕で2幕に出て来た装飾の残骸が示されている)、結果的にこの療養所は軍事指導者として最終的に登場したパルジファルによって「乗っ取られる」。最後、パルジファルに指導されることになった療養所に最早居場所の無いティトゥレル・ダイナスティーの残された両名、即ちクリングゾール(滅んでいないのですよ)とアンフォルタスは、療養所の外で力なくベンチに腰掛けつつお互いを半ば慰め半ば拒絶し、恐らくは事態を諦めて受け容れる。第1幕と第2幕で自らに押し付けられた役柄を、その衣装を焼き捨てることで拒絶することを示したクンドリーは、それを受け容れることなく、立ち去る。 ...それって、現代的価値観から言っても、描き方から言っても、「アンチ・パルジファル」ですよね?救済の否定、と考えるべきですよね? 確かに、パルジファルは元々訳分からん話だし、それ故に如何様にも描き方はあるのだけれど、それはどうなんでしょう。話の持って行き方からしても、グルネマンツに再会したパルジファルは、その後の事態の推移を聞いて衝撃を受け、アンフォルタスを救済し王となる決心をし、グルネマンツの洗礼を受け、クンドリーに祝福を与える、確かにこの辺からクンドリーの態度が拒絶に向かうのではあるけれど、そこから最後の軍事指導者としてのパルジファルの登場へはちょっと唐突。 これ、チューリッヒでは受け容れられたとは思うけれど、例えばミュンヘンじゃちょっと無理なんじゃないかと思うんですが。ナチ台頭の現場にしてカソリックの強いミュンヘンでは厳しいような。なんだかんだ言ってもチューリッヒとはその辺の事情も、オペラでの演出の受け止められ方も違うし。 加えて、日本で、これ、どの程度受容されたのかしらん。初日、2日目は知らず、少なくとも今日は全く演出への拒否は聞かれなかったけれど、この演出の衝撃をどの程度感じたのかしらん。
2012年09月16日
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NHKホール 18:00〜 3階後方 マーラー:交響曲第9番 NHK交響楽団 指揮:アンドレ・プレヴィン 新日とのダブルヘッダーですが、今日は結局こっちの方がより面白かったということになるのか... 散々聞いといて何を今更、ですが、基本的に、私はマーラーの交響曲は嫌いなのです。はっきり言ってあのとっ散らかった感じでだらだら続くのが大嫌い。そういう意味では後期ロマン派は皆とっ散らかっていて長いので、好きと言えそうなのはブラームスくらいなのですが。 でも、日本人は、何故かマーラー好きなんですよね。だから、日本のオケはマーラーやりたがるし、外来オケも時々マーラーをやる。それ故、マーラーは結構聞いてるのですが、例えば定期演奏会に入ってたり、この指揮者を聞きたいと思うとマーラー、とか、このオケを聞こうと思うとマーラー、みたいな。好き好んでマーラーを選んでるつもりはないんですが。 で、今回は、「プレヴィンを聞こうと思ったらマーラーだった」の口。 但し、9番は、最終楽章のアダージョはそうでもないしな、ということで、それなりに楽しめるかと思って行ったんですが.... 結論。 いい演奏だったと思います。 その結果、マーラーは9番でも実は本質が変わらなかったんだと気付きました。 楽しかったっちゅーか面白かったっちゅーか、まぁ、9番が前より嫌いになったような...(笑) いや、つまり。 私はマーラーのとっ散らかったようなびっくり箱みたいなのが下世話っちゅーか品がないなー、といつも思ってる訳です。マーラーは歌曲はいいのだけど、それ以上の構成感は無いと思うのです。そのまんま交響曲に着手してしまっただらしのない構成感の無さがもうどうしようもない。これに比べりゃシューベルトの方が余程構成感があって、ある意味音楽としてしっかりしている。無論、時代がそうさせた、ということはあるのかも知れないけれど、あのとっ散らかった感はやっぱりイヤ。 そりゃぁまぁそのとっ散らかった感じがいいというのだろうし、その中に盛られている断片がいいとかいうのはあるのだろうけど、そう思う一方で、センスの無い奴が食べ放題で皿に何でもかんでも載せまくってグチャグチャになってるという類いの卑しさというか安っぽさを感じてしまうのであります。 そりゃたまにはそういうのもいいけどさ。でも、それって、あくまで安っぽくて卑しいのを楽しむの類いだと思うのですね。食べ放題だって、折角なら見た目に拘って美味しそうに盛ろうよ。もう一回行きゃいいんだから。 それはともかく。 で、そのマーラーでも、9番の第4楽章はちょっと違うだろう?という気はしてたのですね。まぁ、5番のアダージェットと同じなんだけど、これはちょっと違うよね、的な。で、やっぱりそういう聞き方をしていたのですが、今日の演奏はちょっと違った。 いい演奏ではあるんですけど、よく見えるんですよね。実はあれやこれやとっ散らかった音が沢山盛り込まれているのが。今更ですが、よく聞くと、金管が騒ぐわ、木管が騒ぐわ、例によって打楽器大忙し、と、あれ、こういう曲でしたっけ?という感じ。なんとなく、静謐な、消え入るような弦の音が見事な...という印象だったのですが、よくよく考えてみると、第4楽章が25分くらいとして、その内精々4分の1くらい。後は、決して攻撃的ではないし調和しているとしても、実は他の楽章とそれほど違わないような。実際、このアダージョ、テンポ上げたらとっ散らかってることに変わりは無いと思うのですね。勿論そういうテンポで演奏されることはないのではありますが、それにしても実は静かにとっ散らかってる。それを、弦を強調することで辻褄合わせてる気がするのですが、今日のプレヴィンの演奏は、むしろ管楽器や打楽器がきちんと聞こえてしまうので、その辺がよく分かってしまう。 じゃぁそれは悪い演奏なのか?というと、決してそうではないと思います。個々のパートはそれぞれにいい演奏をしているし、それが決して調和していない訳ではない。ただ、弦がトゥッティで切々と歌い上げようとしている脇で、実は管楽器が叫んでいる、それを塗込めないというだけ。 なるほどねぇ.... 私は、ああ、マーラーってやっぱりこうだよね、9番も実はこうだったのか、という意味で面白かったし、演奏そのものは決して悪くないと思っていて、それでいてやっぱりこうなのかマーラーって(笑)という感じだったのだけど、これ、マーラー好きの人にとってはどうなんでしょう....これはこれでいいのかな......私はいいと思うんですが。 このまま行くと、マーラーよりブルックナーの方がいい、って言い出す日が来ないとも限らんなぁ(笑)ちなみに、ブルックナーも嫌いと言いながら、本当に時々、何年に1回くらい、「ああ、このくらいのオケで聞くと面白いのかも」と思うことはあるのですが......マーラーの交響曲は.......うーむ。 プレヴィンは、とうとう、指揮台へは介添え付での登場になりました。もう、後何回聞けることやら。 そのプレヴィンは、実は、マーラーはあまりやってないそうで。何となく分かる気はします。ある意味洒落者でもあるプレヴィンに、マーラーはあんまり合わないような気はしますし、それでいて、いやだからこそ、プレヴィンで聞いたら面白くかつより一層本質を把握出来るかも、と思ったり。
2012年09月15日
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すみだトリフォニーホール 14:00〜 3階正面 シューマン:ピアノ協奏曲 <独奏アンコール> シューマン:子供の情景〜トロイメライ ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 <アンコール> バルトーク:ルーマニア民族舞曲〜棒の踊り ピアノ:弓張美季 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:クリスティアン・アルミンク もう先々週のコンサートですが、今シーズン初。まぁ、この2週間前にルツェルンあたりで聞いていたので、今シーズンもへったくれもないもんですが。 お目当ては田園。好きな曲なんですけどね。 結論的には、もうちょっとだったかな、という感じ。 これを聞きながら、ああ、そういうことか、と思い当たったのだけれど、日本のオーケストラというのは、デュナミークということに関しては、音の強弱しか持ってないんじゃないでしょうか。 前から「なんで日本のオーケストラはテンションの掛かった音ばっかり出すんだろう?」と思っていたのですが、ルツェルンで素晴らしく無駄な力の抜けた音を聞いた後、悪くは無いんだけどもうちょっと硬いよなぁ...と思いながら聞いていて、気が付いたのが、クレッシェンド。 田園の第一楽章にはクレッシェンドが多用されています。さぁ田舎に着いたぞ!というわくわく感みたいなものを表すかのような、あれ。徐々に音が湧き上がっていくような。 あれを「もうちょっとなんだよな〜」と思いながら聞いていて、思い当たったのですが、あのクレッシェンドは、「音を強くしていく」のではなくて、「音を大きくしていく」のだと思うのですね。音量を大きくしていくだけでなく、スケールが大きくなっていくような感じを出して欲しい。そうするとボウイングとか、楽器の使い方みたいなところまで含めて音を作っていって欲しい、と思うのですが。 でも、一般的に、クレッシェンド=音が強くなっていく、になっているような気がするのですが。フォルテ=強く、フォルティッシモ=もっと強く。ピアノ=弱く、ピアニッシモ=もっと弱く。でも、フォルテ=テンションを掛けて強く楽器を弾く、と決まっている訳ではないと思うのですね。ピアノだって、弱いとは限らない。 その辺に問題があるのかなぁ、と思ったり。 演奏自体はそこそこ楽しんでは帰ってきました。 前半のシューマンは、まぁ、いいんじゃないかしら。独奏の弓張という人は若い人。それはいいんだけど、アンコールがトロイメライというのは、まぁアンコールだし、何だっていい訳で、だから選曲としてはベタで無難だけど間違いではないが.....ピアノ協奏曲の後にトロイメライは、ちょっと合わないかなぁ.... まぁ、いいんだけど。
2012年09月12日
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新国立劇場 オペラ劇場 15:00〜 4階正面 アミーナ:光岡暁恵 エルヴィーノ:中井亮一 ロドルフォ伯爵:デニス・ビシュニャ テレーザ:牧野真由美 リーザ:納富景子 アレッスィオ:前田進一郎 公証人:藤原海考 皮肉なもので、こういう日に限って心身共に充実、元気もあるという..... 結局、行ってきました。夢遊病の女はそうそう何度も観られる演目でもないし。 平均的には、昨日より良かったのかも知れません。というか、今日のテノールもなんか変なのだけれど、昨日の明らかに「こらあかん」というのとは段違い。ただ、具体的にどこがどう変、というのは説明しにくいのだけれど、えーと、力量のある歌手の場合、絶対そういう処理はしないと思うんだよな、という感じの歌い方で.... リーザは、声質的にはともかく、歌でも舞台でもより演技がきちんと出来ていて、音楽的。リーザの場合、演出的に、はっきり昨日と今日とでは違っていて、これは演出家の指示なのか各人の判断なのか、ただ、昨日に比べると洗練の度合いが違う。失礼ながら昨日のは振る舞いの見せ方など、舞台に対する理解度の低い役者が、リテラシーの低い観客向けに見せていた演技、といった趣。 テレーザは、まぁ、昨日の森山京子と比べちゃ可哀想でしょう。役も役だし。 伯爵のビシュニャは、まぁ、これはこれでいいかな、といったところかと。 問題はアミーナの光岡。 あのですね。確かにこの人声はいいと思うし、声量もある。問題は、何を歌っても一緒なんですよ。確か去年のルチアでも、この人何歌っても一緒だな、と思ったのだけれど、それを裏付けるような歌唱。若いから経験不足で仕方ない?ある面そうだとは思います。でも、結婚を控えた嬉しさを爆発させるのも、嫉妬深い恋人との会話も、夢遊病で夢うつつの場面も、恋人に捨てられての嘆きも、全部殆ど差が無い聞こえ方しかしないのは、やはり表現力が無いと思うのです。 それと、この人は、アジリタを持つ役を歌うにしては、どうも高音が弱いらしい。かなり高い所まで力強く行けるのに、肝心の一番高い所だけどうにも弱い。ぶら下がる、震える、硬くなる。ただ、どうにも気に入らないのは、その結果、高音でのヴァリアントでもって、徹底的に一番高い所だけ避ける避ける。その一つ下の所でコロコロ転がして逃げちゃう。 そういうヴァリアントの使い方するなよ、いい若いもんが。 例えば、グルベローヴァが、もうかなり苦しくなってる中で、それでもなんとか歌いこなそうとヴァリアントを駆使する、それで高い所を凌ぐ。そういうことならまだ分かるけれど、ありゃもう日本なら年金が貰える歳ですよ。それを、若手の歌手が駆使する見苦しさ。しかもグルベローヴァは実際には決めるべき所はがっつりビシッと決めに来る。 ある意味ミスキャストだと思います。例えばヴィオレッタやミミなら、この人結構いい歌歌えるんじゃないかと思います。決して高音命の役柄じゃないし。それに、地力としての声はいいものを持っているんだから、そうした役できちんと経験を積んで行くべきだと思うんですよね。でも、なまじっかある程度歌えるからこういう起用になるんでしょうけれど。だからといって、ああいう逃げ方は - 当人は逃げたとは思っていないかも知れないけれど - 如何なものかと。 オーケストラと合唱は、まぁ、多少練れた部分はあるのかも知れません。 ただ、やはり音楽的か?という点で、不満の残る内容ではありました。
2012年09月09日
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新国立劇場 オペラ劇場 15:00〜 4階右端 ベッリーニ:夢遊病の女 アミーナ:高橋薫子 エルヴィーノ:小山陽二郎 ロドルフォ伯爵:妻屋秀和 テレーザ:森山京子 リーザ:関真理子 アレッスィオ:和下田大典 公証人:藤原海考 藤原歌劇団合唱部 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:園田隆一郎 演出:岩田達宗 なんというか、かなり頭の痛い公演でした...... はっきり言って目当ては高橋薫子ですが、まぁ、藤原だし、最近低調とはいえ演目も演目だし、期待してはいたのですが。 合唱団。 藤原歌劇団は、もう20年以上、ほぼ毎年、本公演は大抵聞いているつもりですが、この数年、質が落ちて来てるな、と感じている、というのが正直なところです。ただ、演目や出演者など、それなりに企画がしっかりしているので、付き合っても残念に思う事はまぁ無かったのですが。去年、震災直前に行われた「ルチア」の公演で「あれ?」という感じだったのだけれど、今回、はっきりとそれが出てしまった感じです。 端的に言うと、音楽としての演技が出来ていない。音楽としての表現が出来ていない、と言うべきでしょうか。2幕2場の中で、合唱がフォルティッシモでパッと出る。その時、それは、その音楽の中で、というのはつまりオペラの中ではその話の中で、ということになりますが、どういう音楽として鳴るべきか。それが考えられていない。流れの中では、「強く歌う」というよりは、「大きく歌う」という感じであって欲しい所なのですが、正直、定められた音高で声を出すので精一杯なのでしょうか。藤原ってここまでとは思ってなかったのですが... 無論、これには、指揮や演出の問題も大きく関わっていると思います。はっきり言えば、指揮者は力不足。オーケストラをきちんとコントロールし切れていない感じで、とても音楽としてどういう表現に持って行くか、合唱まで含めて詰め切れていないのではないか、そう思わせる出来。パッと見、というか、ちょっと聞いた感じでは、一応形になっているだけに始末が悪い。アマチュアの演奏会じゃないんだから、プロとしてどういう音楽を提供するか考えてるのか?と言いたくなる。 演出に責任があるのか?あると思います。演出の良し悪しではなくて、演出家だって聞いたら聞いたなりに、この程度の指導はしなければ話にならない。何故なら、そこでどのような歌を聞かせるか、どういう音楽で表現するか、というのは、物語を作る、という意味で、演出家にも責任はあります。 但し、演出そのものは、細部の詰めがやはり甘いとはいえ、決して否定されるほどのものではなかったとは思います。ただ、1幕2場の村人が伯爵の部屋へ来る所は、間延びしてしまって、間抜けに見えます。あれはよくない。今更直し様は無いだろうからどうしようもないですが。というか、あれだけ音楽的に問題を抱えてる中では、あれ以上細かい所をどうこう言っても、まぁ無理だろうな。 エルヴィーノは、無惨の一言。これがまた今の藤原の問題を象徴しているのやも。 何故この人を起用したか、事情があるのか無いのかみたいな話はともかく、理由はまぁ分かります。声が甘い。タリアヴィーニとか、ヴンダーリヒとか、ああいうタイプの甘い声を連想させる甘さ。ただ、如何にもこの人は非力。声量がある、無い、ではなくて、そもそもオペラの舞台で歌い切る地力が足らないのではないか。1幕、高い所が出ないだけならまだしも、声が一本調子、しかもすぐ破綻を来す。挙げ句に妙な所でブレス。せめて、声が無いなら無いで、きちんと歌い切れるスタイルで多少声量が劣ってもいいから音楽的に歌って欲しいのですが、残念ながらよくある「頑張っちゃう」タイプ。 これしか居なかったの?2幕は多少持ち直しましたが、そもそも力量不足なのが見えてしまっているので、まぁどうしようもない。 幸いにして、他の歌唱陣はそれほど悪い訳ではなく、それがせめてもの慰み。 但し、リーザの関真理子。どうやら関係者なのかサクラ的集団が陣取って、2幕2場の歌(アリアと言ってもロッシーニならソルベット級)を歌い終わるや否や、まだ音楽が鳴っているにも関わらず大騒ぎ。 あのですね。藤原歌劇団というのはプロだと思ってる訳ですよ、こっちは。サクラにブラボーさせるような、二期会的な真似は止めて頂けませんでしょうか。残念ながら、幾ら内輪で騒いでみても、一般のお客は「ああ、この歌手はこういうことしなきゃダメな歌手なんだ」と認識するだけですよ。はっきり言って、むしろ避けて通ります。日本如きで虚構の「実績」を作ってみても、笑い者になるだけですよ。しかも、正直、端役で。関係者呼ぶなとは言わないけれど。 あとはまぁ、ほどほど。そう、アミーナの母親役が割にしっかり歌ってるな、と思ったら、森山京子でした。まぁ、なんというか、この人も、芸達者というか.....ある意味、損してる、とまでは言わないけれど.....新国と藤原が礼を言わなきゃいけない人、ですかねぇ。 さて、高橋薫子のアミーナ。 正直、昔ほどの声の軽さではないし、一方で安定感もやや衰えて来てるし。声量も以前に比べると、なんですが、やはり、いい。特に、弱音での声の綺麗な事。カーンと何処までも通る声、というのではないのだけれど、決して声量的に無理をしないから、やはり安定している。その声が、ここ一番では、ビシッと響いて来る。 特に、1幕2場や2幕2場での、夢遊病状態でのソットヴォーチェ。なんだかんだ言っても余人の追随を許さない見事な歌です。あそこからの幕切れに向けてのアジリタは、もっと力強ければ、というか、爆発的であってもいいんだけど....というのは、流石に無い物ねだりでしょうけれど。まぁ、あの美声が聞けてよ御座いました。正直、前回の「セヴィリヤ」でのロジーナは、あまり良くなかっただけに、今回は良かった。 今回改めて思ったのだけれど、この人の声は、どことなく、田舎娘に合う気がするのですね。こっちが勝手に思っている。イタリア系オペラの「田舎娘」のイメージに合う声かな、というような意味ですが。愛の妙薬のアディーナとか、ドン・ジョヴァンニのツェルリーナとか。いや、ロッシーニに会わない訳じゃないんだけど、イメージが.... それと、妻屋秀和。森山京子と並んで、新国の低声脇役陣といった趣ですが、久々にいい役でした。とはいうものの、伯爵なのに三枚目役なのは変わらず、それが又妙に合っているような気が.....2幕2場の最敬礼なんて、ねぇ。演出の関係ではあるだろうけれど、いい役の筈なのに、ねぇ(笑) ちょっと真面目な話に戻すと、結局、こうしたいい歌手が歌っても、ベースがぐだぐだだと、正直聞いていてきついんですよね。オペラなんて、大抵の演目は、目当ての主役が出ずっぱりではないのだし、ベースがしっかりしていてくれないと退屈になってしまうのだけれど。ただ、藤原は、その意味に於いてはレベルがそれなりに揃っていると思っていたのだけれど。 今回、天井桟敷から見下ろす格好だったのだけれど、失礼ながら、合唱団を見ていると、平均年齢上がってるなー、としみじみ思ったのですよね。互助会に押されて厳しいとは思っていたけれど、折角昭和音大とタイアップしているのだし、もう少し冷徹に若返りを図らないと厳しいのではないかしら。平均年齢が上がっちゃダメ、という訳ではないけれど.... 明日も買ってるんだけど、明日は高橋薫子も、妻屋秀和も、森山京子も出ないんだよな......どーしよー....
2012年09月08日
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というわけで、今更ですが帰ってきました。 実の所先々週には帰ってたのですが、帰った翌日とんぼがえり(笑)で出張で、先週はそのフォロー+強烈な時差ボケでとても書く気にならず..... 今年もザルツ、ペーザロ、ルツェルンと回ってきました。 最後にルツェルンでアバド指揮、ルプー独奏のルツェルン祝祭管のコンサートを聴いて来たのですが、これが一番良かったかなと。 とにかく、オーケストラが大変良い。ここも「祝祭管」の例に漏れず、マーラーチェンバーオケを母体にしつつの寄せ集めなのですが、そもそも本当の意味で腕がいい。弦五部で、日本のオーケストラでは当たり前の、テンションの掛かった音というのが全く無い。常に弦の音にふくよかな響きが伴っていて、強奏であっても、決してテンションの掛かった硬い音というのが出て来ない。やわらかく、しなやかな音。 勿論、そういう音を求める場合も皆無ではないのだけれど、今回のプログラムはベートーヴェンの3番の協奏曲にブルックナーの1番。このプログラムでは「求めている」訳ではないでしょう。結局音楽というのはまず第一に音なので、幾ら解釈を云々してみても、そもそも基点の基点である「音」の良し悪しが全てに響くのだと思います。本来弦楽器っていうのはこういう音を出して欲しいものだよね、という音が出て来ている。 勿論各奏者の腕の良し悪しもあるけれど、結局それだけでは音は出ないので、やはり指揮者であるアバドの教導も大きいのでしょう。 アバドはもう何処かの常任という訳ではないので、なんとなく日本では影の薄い存在になっている気はしますが、やはりこの人は凄いと思います。 それと、ルプーの音!リリカル、と盛んに言われて来た人ではありますが、ベートーヴェンってこんな音だったか、と改めて思うような、ぞくぞくするような官能的な音。アンコールに「悲愴」の第2楽章を弾いたのだけれど、これがまた絶品。 去年来た時に無理してでもソロを聴いておくべきだったかなぁ....まぁ、今度聞けたからいいけれど。 正直、こういうの聞いてしまうと、日本のオケとか聞くのが辛くなるという話はあるんですけどね… 日本の演奏家に限らないだろうけれど、もう少し、音というものに気を配るべきではないかなと思います。合わせる事も、解釈も、確かに大事だけれど、結局音楽の基点は「音」であり「響き」なのだから。 さて、日常に戻らねば...
2012年09月01日
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