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すみだトリフォニーホール 14:00~ 3階正面 シューベルト:交響曲第8番 D.759「未完成」 R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」 新日本フィルハーモニー交響楽団 指揮:ダニエル・ハーディング うーん.................................... 結論から言うと、私はあまり感心しませんでした。 悪い演奏ではないんだけどね......... 問題は、シューベルトなんですね。主に。 とても上手な演奏ではあるんです。よくコントロールされていて、よく音が配置されているといった風の。確かに、きちんとした演奏なんですね。ただ、歌ってないんです。 少しきちんと整理しておかないといけないと思うのですが、そもそも、楽器の集合体であるオーケストラが「歌う」とはどういうことか。 一般には、主題などの旋律をきちんと表情を持って演奏出来ている事、となるのでしょうか。ただ、これがどういうことかをもう少しきちんと考える必要があります。 歌い手が - この場合は独唱でも合唱でも同じ事なのだけれど - 歌う、歌えている、という場合は、まず、旋律線をきちんと押さえられている事は当然なのですが、もう一つ、歌詞がきちんと押さえられているか、も重要になります。端的にいえば意味は分からなくてもいいのですが(本当は良くないんだけど)、少なくとも、自分が何を発語していて、それが音楽の中でどのような抑揚、繋がりを持って発語されるべきか=歌われるべきか、ということをイメージしていないといけない。 この時、歌い手は、旋律をイメージしていると同時に、歌われる言葉の繋がりも念頭に置いて、それをどう歌うか折り合いを付けている訳ですが、これを別の言い方をするなら、旋律の表現の仕方が言葉によって規定される、とも言えると思います。 器楽が旋律を奏する場合、言葉のような、歌い方を規定する具体的な外部要因はありません。だから、その分、器楽奏者は、その旋律をどのように取り扱うか考えなければいけない。とはいえ、独奏曲のような場合には、それは存外難しい事ではなかったりします。独奏者がどうするか決めればいいのだから。センスは問われます。腕も問われます。でも、それだけのこと。複雑な問題にはならない。 オーケストラの場合は、ちょっと違う。オーケストラは、複数の楽器でパートが構成されていて、そうしたパートが複数集まって出来上がっている。なので、まぁこれは合唱の場合にも言えるのだけれど、一つの声部を同じ楽器で、或いは異なる楽器で繋いで行く事も出来るし、その複数の声部が更に絡み合って旋律を紡いで行く事も出来る。 当たり前と言えば当たり前なのですが、オーケストラの場合、この旋律をどのように紡いで行くかを構築して行くのは指揮者の大切な仕事。 そして、この一見当たり前のようなことを始めたのが、実はベートーヴェンとシューベルト。古典派の作曲家でも、似たようなことはやっていたけれど、それはあくまでフレーズが、そしてそのフレーズの組み合わせと展開で音楽が組み上がって行く様がきっちりとしている中での事。この大枠の構成感を壊す方向に動いたのがベートーヴェン、その構成を換骨奪胎して別物にする方向に動いたのがシューベルト、というとアバウト過ぎるかも知れませんが、まぁ大体そんなもんでしょう。 「未完成」あたりは、シューベルトのオーケストレーションが割とはっきりと出ている曲だと思います。旋律としては比較的はっきりしているようなのですが、フレージングとして考えると、実は切れるようでなかなか切れ目がない。特に第2楽章はそう。こういう曲の場合、オーケストラ自体の能力も問われますし、指揮者の指導力も問われる訳ですが、これがねぇ… 演奏としては、とてもしっかりした演奏だと思うんです。結局ここに書いてないけど、5月の特別演奏会にしても、マーラーとかやらせると「上手い」演奏をするんですね。しっかりした演奏。でも、率直に言って、何をしようとしているのかもう一つ分からなかった。というより、大袈裟に言うと、私はシューベルトでゲシュタルト崩壊を起こしかけたんですね。音は鳴っている。しっかりした、恐らくはいい演奏。でも、一体どういう構造で、どういう風にフレージングを仕掛けているのか。音楽として、フレーズとして、これはどういう音楽なの? ハーディングが、意図的にそのように仕掛けたという可能性は否定しませんが、それならもうちょっと分かるようにやってくるだろうと思うし、そもそもそういう作り方では無かったので、これはやはり演奏が実質的には、全体としては歌ってない、ということだと思うのです。 シューベルトの音楽は、元々、きちんと演奏すれば放っておいても勝手に歌う、という面があることはあります。でも、オーケストラの場合は、独奏曲などとは違って、やはりある程度の意思を持って作って行かないと難しいと思うのです。 後半は「英雄の生涯」。 より良かったと言えばこちらの方なのでしょう。マーラー同様、次から次へといろんなものが出て来て、爆音あり、独奏もあり。でも、そういえば、この曲はシューベルトみたいな音楽の造りとしての複雑さというのは、実はあまり無いのかも。 というか、まぁ、正直、私あまり好きではないのでね、R.シュトラウス自体… 独奏なんかは結構上手かったですよ。そういう意味では聞いて楽しく無い訳じゃないんです。 でも、結局、私が今日聞きたかったのは「未完成」なのでね.... 3階でやたらぶらぼおーを連発するオッサンが居ましたが、正直、一体何がどういう風にぶらぼおーだと思ったのか、小一時間ばかり問い詰めたい気持ちではあります。 アルミンクがミソを付け、一方で震災時のこともあって、急に株を上げたハーディングではありますし、確かに実力はあるとは思うんですが、正直言うと、新日フィルのようなオケでやるとムラが出てしまうのかなと。 そういう意味では、やっぱりアルミンクは得難い人材であり、アルミンクと築いたものは決して小さくなかった筈なのだけど、ね。アルミンクは「未完成」でのああいうところは逃さなかったと思いますよ、多分。
2012年07月07日
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東京文化会館 14:00~ 5階右手 ブラームス:悲劇的序曲 ヴァイオリンとチェロの為の2重協奏曲 ベートーヴェン:交響曲第7番 <アンコール> シューベルト:劇音楽「ロザムンデ」~間奏曲第3番 ヴァイオリン:渡辺玲子 チェロ:長谷川陽子 東京都交響楽団 指揮:山下一史 まぁ正直言うと私は結構前から都響が嫌い、と言っては言い過ぎならば、偏見を持ってる、というところだと思う。 嫌いな理由は、実のところ、オケや演奏自体以上に、お客なのですよね。 東京の場合、割とオーケストラによってお客の雰囲気が変わるというのはあると思います。私みたいに複数のオーケストラの定期会員になってる、なんていうのはどちらかというと少数派で、普通の人は何処か一つのオケの定期会員になっていて、後は単発で買う、というのがむしろ多いのではないだろうか。 それが理由かどうかは分からないけれど、確かにお客の雰囲気というのは、オケ、場合によってはその定期演奏会のシリーズが演奏される場所で変わるように思います。 N響のお客、少なくともNHKホールのお客は、良くも悪くも平均的なイメージの「クラシックファン」といったところかと。これが新日フィルになると、地元です的な雰囲気を漂わせたお客が明らかに増える。多分、シティフィルだったか、ティアラこうとうあたりの演奏会も同じ傾向なのではないかなと。東響のミューザでのコンサートも、そういう雰囲気はあったのだけど、如何せん川崎駅前は地元感がどうしても希薄な土地で、お客の雰囲気にも特徴はあまりないような。 東フィルは、オーチャードの定期は客筋が「コアからちょっとずれた」感じ。日曜日の午後にコンサート聞く、という、お楽しみ的な雰囲気があって、だからか、なんとなく客筋の幅が広い感じ。 で、都響。口の悪い言い方をすると、客筋が、「中途半端なクラシックおたく」な感じなのですね。いや、もっと言ってしまうと、「半可通」という言い方が一番しっくり来るような。うるさ型のように見えるんだけれど、実はうるさいだけで、あんまりものを知らないというか.... で、この人達の都響に対する評価や忠誠心が妙に高いんですよね。 オーケストラに贔屓筋のお客が付くのは、それはそれで結構なことではあります。ただ、私、都響に関して悪い評を目にする事が極端に少ないのです。例えば、東フィルなんかは、もう東京では「へぼオケ」としての定評がすっかり定着しているような気がするのですが、一方ではちゃんと褒めるところは褒める人もいて、それはそれでバランスしているのかも。ところが、都響は、あまり悪くいう人が居ないんですよね。で、こういうと、「それこそ都響がいいオケだという証拠」みたいに平気で思ってそうで...... このへんが偏見の偏見たる所以ではありますが。 ただ、冷静に考えると、都響はベルティーニやインバルに率いられて、とかいうんだけれど、ベルティーニがマーラーを録音したのはあくまでケルンだし、インバルだってこれまで都響とは録音はしてないんですよね。で、音楽監督だか常任指揮者だかだったデプリーストは殆ど無かったことにされそうな勢いだし。 なんかおかしくないかい?その評価って。なんで都響といえばインバルでベルティーニなの? まぁその辺は都響に限らず皆おかしいんだけど。 で、響の森。確か、この日はあまりめぼしいところがなくて、じゃぁ都響でも聞いておくか、と思って買ったのでした。我ながらいい根性してるよな... で、演奏ですが...... やっぱり都響は都響だったかな........ 4月にインバルがストラヴィンスキーを振った時、「さすがの都響もちょっとグレードアップしてきたか?」と思ったのですが...... 日本のオケの悪い癖、音がでかくて一本調子、が出てしまいました。要するにフォルテとフォルティッシモしかない、という奴ですね。まぁ指揮者の問題はあるにせよ、今は他のオケではもうちょっとマシな演奏をやる傾向ではないかと思うのですが....(読響は下がやってるから怪しいな....) 結局これって音楽に表情が付かないので、聞いててつまらない訳ですよ。デュナミークは基本のきだと思うのだけど。テンションの掛け方も、無闇矢鱈とテンション掛ける訳ではないけれど、使い分けが感じられない。音高を追う分には出来ているんだけれど、そうした表情付けが感じられない。 後半のベートーヴェンの7番は、むしろこちらの方が良かったかな。ただ、あの曲は正直言ってそうしようと思えば全編イケイケでフォルテとフォルティッシモでもある程度「出来上がる」曲なのだけど、まさにそういう感じの演奏。思い返すに、「のだめ」でこの曲が売れた時も、聞かれ方としてはそういうものだったのかねぇ。でも、この曲は、必ずしもそれだけじゃないと思うんですけどね。 後半改めて見てみたら、編成は14-12-10-8-6?(バスだけ見そびれた)の結構大掛かりなもの。今時、東京文化会館にしてもベートーヴェンの7番にこの編成は大きいと思うけれど、まぁ、それで奏者に余裕が出るのなら、それはそれでありかも知れないけど..... まぁ、私は、こういうのは、あまり好かない。 でも、場内は大盛り上がりでしたよ。 演奏家はお客が作るものでもある、と考えるなら、これは定期演奏会ではないけれど、やっぱりちょっと甘いよね、と思うのではあります。 アンコールのロザムンデ......うーーーん............. 一生懸命抑えてやっていたようではあるけれど、そういう問題ではないんだよな、多分........
2012年07月01日
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新国立劇場 14:00~ 4階左側 マノン:本島美和 デ・グリュー:山本隆之 レスコー:福田圭吾 音楽:ジュール・マスネ 編曲・指揮:マーティン・イェーツ 東京フィルハーモニー交響楽団 ちゃんと(一応)舞台の見える場所で観ました。いや、本来この日がメインだったんだけど。 えーと、正直、マノンの話は、オペラにしても、あまり好きではないのですよね。というより、あんまり興味涌かないというか。その上、一応火曜日に途中からとはいえ観てしまったので、もう一つつまらないというか..... 申し訳ないついでにもうちょっと言うと、正直、踊り手の違いを感じてしまう所でもありました。火曜日のゲスト組2名の踊りは、あまり見えない位置で観ていても、「分かりやすい」踊りだったのですね。表現力?インパクト?踊りのキレの良さ?詳しくは分からないけれど、確かに、今回のペアとは違った。 特に幕切れ。マノンの死の直前の踊り。ゲスト組の2名は、マノンの死が切迫しているのが分かるような、というより予感させるようなものを感じさせてくれたのだけれど、今回の二人は、確かに熱演しているのだけれど、分かりにくかった。演目によっての向き不向きとか、色々あるだろうけれど、この「マノン」というバレエは、ある意味現代的な、クラシックバレエのような要素を多く残しつつも、表現を求められる演目だと思うので、雄弁さ、ある種の分かりやすさが先に立ったのかな、と。 というか、前日夜更かしが過ぎて眠かったし.....いや、そんなには寝てないけど....... オケも、ちょっとお疲れ気味でしょうか。この位の演目で疲れられちゃ困るんですけど、全体的にいい演奏ではあったものの、細かいキズが結構あったような。致命的ではないし、低弦陣が結構頑張っていて良かったとは思うけど、まぁ、もう一日だし、頑張れ。
2012年07月01日
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