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はるか昔、神話の時代、大国主命と少彦名命が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、急病で倒れてしまいました。大国主命は小彦名命を手のひらに載せて道後温泉の湯に浸し温めたところ、たちまち元気を取り戻し、喜んだ少彦名命は石の上で踊りだしたというのです。「伊予国風土記より」その石がこの写真の「玉の石」なのだそうです。道後温泉本館の北側にありました。風化した花崗岩っぽく見えます。道後平野は中央構造線上にあり、そのちょっと上はもう内帯で、広島変動と呼ばれる白亜紀のマントル対流により大量に発生した花崗岩が出ている地域です。玉の石が生まれたのも、はるか昔、日本の領土の骨格ができつつあった神話の時代ですね。 道後温泉は日本三古泉といわれ、その中でも一番と言われているようです。なんせ縄文人が知っていた温泉なんだそうです。近くには足湯場もあり、朝早速体験入湯、とっても気持ちよかったです。熱海の駅の足湯を思い出しました。
2008年10月31日
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ようやく来ました。憧れの道後温泉本館です。一番上に白鷺が乗っかっています。調べてみますと、 「白鷺伝説」と言って、昔、足を痛めた白鷺が岩の間から流れ出る湯に浸していたところ、傷は癒えて、飛び立って行くのを見て、村人が手を浸すと温かく、温泉であり、効能を確認したという、道後温泉の発見伝説によるものだとか。この白鷺の下は赤い色がついていて、独特の雰囲気を出してますね。実は、本館は宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」に登場する「油屋」のモデルになったのだそうです。言われてみれば、なるほどです。 こちら正面、一番有名な写真ポイントですね。私達も何枚も記念写真を撮りました。前日はおなかがやや不調でしたが、翌朝体調も戻り、朝の散歩をした帰りの本館全景です。堂々としていますね。泊まったホテルはちょうど本館の後ろに字が見えていますね。「葛城屋」です。他の大きなホテルも皆、本館の後ろに位置しています。なんせ本館が道後温泉の顔ですから。
2008年10月30日
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夕方、ようやく内子町の歴史保存地区に到着しました。電線を地中埋設し、かつての姿を残そうとする努力が垣間見えました。webより解説を引用します。----------------------内子町は、江戸時代末期から明治時代にかけて木蝋の生産で栄えたが、大正に入ると、木蝋は価格の安いパラフィン蝋に取って代わられた。1950年代頃までは整髪料や化粧品などへの需要があったが、その後急速に需要が減少し、現在ではほとんど生産されていない。内子町は木蝋の衰退とともに、過疎と高齢化の問題を抱えることになった。 1970年代半ば、内子町は過疎からの脱却と地域振興をはかるため、歴史景観を保全する運動として「町並み保存運動」を始めた。しかし時は高度成長期、開発中心の街づくりが全国各地で行われるなかで、古い町並みを残し、老朽化した家屋の建替や改築を制限する町並み保存運動は、そこで生活する住民にとって受け入れ難いものだった。 そこで内子町は、道路に面した外観の保全に重点を置き、内側の生活スペースは住民の自由に任せるなど、生活との両立に配慮し、老朽化した家屋の修理や現代建築物の修景(建物の外観を周囲の景観にあわせて修理すること)に一定の補助を行うなどの施策を実施した。また粘り強い住民説明により町並み保存運動への理解を深め、定着させていった。 現在、人口2万人の内子町には年間50万人を超える観光客が訪れ、地域振興策としての町並み保存運動は一定の成果を収めている。--------------庭石や石垣に使われている石は、皆変成岩ですね。奈良を思い出しました。唯一の和蝋燭の店です。製作しているところを見せていただきました。はぜの実から「ろう」を作るのだそうです。かなり大変な作業です。これから道後温泉へひた走ります。
2008年10月29日
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四万十川を発ち、内子町へ行く途中、宇和島でトイレ休憩。さて宇和島といえば、宇和島真珠。写真は宇和海に浮かぶ真珠養殖です。宇和海は豊後水道につながり、対岸は九州佐伯です。御木本幸吉さん夫婦の苦労はここでもついに花開いたのですね。妻は真珠の半球までできた段階で他界。完全な真珠球を見ることはできなかったそうです。合掌さらに宇和島は「闘牛」でも有名。角をワイヤ-で矯正して正面を向かせ、互いに突き合う危険な勝負です。合掌そういえば、すこし前のことに成りますが、宇和島水産高校の練習船がアメリカの潜水艦にぶつけられ、沈没して、多くの犠牲者を出したことが思い出されます。合掌バスはもう四国輪郭の半分以上を走っています。お遍路さんとほとんど同じコ-スです。ただ立ち寄っていないだけです。合掌
2008年10月28日
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日本最後の清流=「四万十川」は、四国西南地域を流れる延長196Kmの一級河川で、四国第2の河川です。流域や海岸は、付加体という名前をプレ-トテクトニクスにより、世界に証明した、有名な地域で、四万十帯と呼ばれます。ここの地層は、古いものが新しい物よりも下にある不思議な層序をなしており謎でした。日本の気鋭の学者達が研究し、海洋プレ-トが海溝で大陸プレ-ト側の下にもぐりこみ、大陸プレ-トの下側に付加される=底付けされることによって層序の謎が解明されました。日本は世界がプレ-トテクトニクスを受け入れても、まだ旧来の地向斜論が大勢でしたが、これにより大きく変化していきました。 橋の上から見た四万十川です。ゆっくり流れる平和な川ですね。観光屋形船に乗り、1時間ほど楽しみました。途中、投網をしている猟師がいました。漁は多くはなかったようです。こちらはシバヅケ漁とかいう方法でうなぎをしとめた場面です。なんだかあまりにタイミングが良くて、やらせかな?とつい思ってしまいました。途中、船の中で昼食のお弁当が出ました。中に小さなうなぎ(かけら)が入っていました。右上です。ご案内によれば、四万十川で獲れた天然うなぎだそうです。私には中国うなぎとの区別が出来ませんが、ありがたくいただきました。水の色は緑がかっていて、透明度は低いのですが、生き物は沢山いそうでした。そういえばゴリという名のおいしい魚もとれるようですね。川風がここちよく、とっても癒されました。
2008年10月27日
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さすが南国土佐の高知市です。実際には、南国市と土佐市の間に高知市があります。朝ホテルから出ると、街には南国ム-ドの椰子(?)の木が青空にそびえていました。最初に向かうは桂浜。坂本竜馬が太平洋に向かって日本の将来を思念したとかしなかったとか。巨大な坂本竜馬像です。月の桂浜といわれますが、日中の光にも映えています。桂浜では五色石なる石が有名で、以前いただいたこともありましたが、これなんですね。なんだかホ-ムセンタ-で売っている庭の砂利石にそっくり。おばちゃんが売っている石の奥に、これぞ五色石という綺麗どころが並んでいました。確かに綺麗です。昔はこんな綺麗な石が所狭しとならんでいたのでしょうか。仁淀川が三波川帯、秩父帯、四万十帯地域を横断して流れ出たために、石英脈、*石灰岩の白、緑色片岩、*凝灰岩の緑、赤色チャ-ト、*赤色頁岩の赤、灰色チャ-ト、*泥岩、*玄武岩、黒色片岩の黒など色とりどりの磨耗礫が作られたといわれます。かつての茨城県日立の海岸とソックリ!前写真を載せましたが、どちらが桂浜で、どちらが日立海岸かわからないほどです。これで両海岸を制覇できました。実際に歩いた場所では砂浜しか見えず、今回は砂を採集してきましたが、左側の場所で、現在もモノクロが主ですが採れるようです。(*補足:岩石種類を増やしました20081106)
2008年10月26日
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高知県といえば坂本竜馬。坂本竜馬といえば高知県。一日目の宿泊地は、ホテル南水。坂本竜馬の生家跡に建てられた由緒あるホテルだそうです。そのため、ホテルの前には坂本竜馬の石像が立ち、ホテルの中には沢山の坂本竜馬と明治維新にかかわった人々の資料があふれていました。こういうホテルも歴史に触れることが出来て楽しいです。夕食は、もちろん、鰹のたたきの食べ放題と皿鉢料理。鰹をたたきを食べ過ぎて翌日一日中おなかが不調でした。食べるのに夢中で料理の写真を忘れてしまいました。
2008年10月25日
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以前長崎のオランダ坂でご紹介したのが、日本三大ガッカリ名所。一応、札幌の時計台、高知市の「はりまや橋」、沖縄県那覇市の朱礼門です。でも朱礼門は周囲が整備され、ガッカリどころか、すばらしい印象。で、押しも押されもしない合格点がこの「はりまや橋」です。これを見たいと思っていましたが、今回バスの車窓からですが実現。念願の三大ガッカリ名所を制覇です。こちらが夜のはりまや橋。こちらが朝のはりまや橋です。赤い欄干の狭い橋が、どうやらそうだというのですが、隣の花崗岩っぽい石橋も「はりまや橋」だと言われます。で、その先代の赤い欄干の橋も地下にあり、さらに前の橋まであるそうです。何度も架け替えられているんですね。江戸時代、堀の両脇のお店の往来用に架けられた小さな木橋がル-ツだそうです。そのなんていう事のない橋を有名にしてしてしまったのが、罪深い「よさこい節」。さらにそれを全国に広めたのが、ペギ-葉山さんの「南国土佐を後にして」です。「はりまや橋」には何の罪もないのです。・・・・・・・♪ 南国土佐を 後にして都へ来てから 幾歳ぞ思い出します 故郷の友が門出に歌った よさこい節を土佐の高知の ハリマヤ橋で坊さんかんざし 買うをみた月の浜辺で 焚火を囲みしばしの娯楽の 一時をわたしも自慢の 声張り上げて歌うよ土佐の よさこい節をみませ見せましょ 浦戸をあけて月の名所は 桂浜3番は省略。・・・・・・・・この1番の、「坊さんかんざし買うを見た~♪」気になるフレ-ズですよね。禁断のロマンスの香がしませんか。これがはりまや橋を有名にしたようにも感じます。・・・・調べたら、出てきました。以下引用です。----現在の歌詞は、安政2年(1855)五台山竹林寺の脇坊、南の坊の 僧純信が、高知城下の鋳掛け屋の娘お馬を好きになり、はりまや橋のたもとの 小間物屋でかんざしを買い与えたのがいつのまにか評判になり、「おかしなことよな はりまや橋で 坊さんかんざし 買いよった ヨサコイ ヨサコイ」とよさこい節で歌われ有名になってしまった。いたたまれなくなった 二人は駆け落ちしたが捕らえられ、破戒と番所破りの罪で城下の三カ所でさらし 者にされたのち、純信は国外へ(現愛媛県川之江)、お馬は仁淀川以西に追放された。------悲しい話があったのですね。ここまで歴史を紐解けば、高知の「はりまや橋」、心に残る橋になりました^^。
2008年10月24日
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空海が著した本の中に記載されている珠玉の言葉のほんの一部です。・・・・・・ 三界の狂人は狂せることを知らず=迷いの世界に狂える人は、 その狂っていることを知らない 四生の盲者は盲なることを識らず=真実を見抜けない人々は、 自分が何も見えていない者 であることがわからない 生まれ生まれ生まれ生まれて 生の始めに暗く=生まれ生まれ生まれ生まれて、 生のはじめがわからない 死に死に死に死んで死の終りに冥し=死に死に死に死んで、 死のおわりをしらない ・・・・・・・ああ、本当に私達は、知識情報があふれ、科学万能の世界に生きていながら、何処から来て何処へ行くのかも、自分が何物なのかも知らない。だからこそ、今生を楽しむしかないですね♪
2008年10月23日
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実際には、空海も、空と海のほかに、この岩石を毎日見ていたでしょう。 ここ室戸岬には、様々な岩石があるようです。中でも斑レイ岩の貫入岩体で有名です。今回後から調べてわかりました。この写真が斑レイ岩です。白い部分は斜長石、黒い部分は主に輝石です。室戸岬のものです。大きな結晶になっており、花崗岩と同じようにきわめてユックリ冷え固まったことがわかります。糲(れい)は「玄米」という意味であり、黒地に玄米のような白っぽい斑模様がある岩石という意味だそうです。花崗岩の場合、白地に黒雲母の斑模様があるのと対照的です。もともとは地下深くでひっそりできたマグマが、膨大な時間をかけて上昇してきたんですね。このマグマの形成年代の調査資料によれば、約1400万年前ごろといわれ、それはちょうど日本海拡大がほぼ終わり、四国海盆の元の海嶺が口をあけて広がり、海洋地殻を形成して沈み込んだ時期に一致します。おそらくこの日本を含む一帯の地下深部にホットプル-ムが湧き出てきたのでしょう。フィリピン海プレ-トの形成、伊豆小笠原列島の形成、日本海の形成、南シナ海の形成、日本火山の爆発、そして四国海盆の形成、いずれもこのホットプル-ムが根本原因ではないかと思われます。この近辺は遊歩道があり、亜熱帯植物があります。サボテンの花が優しく咲いていました。リュウゼツランやアザミなども咲いていました。空と海だけではなくて、岩石も花もある室戸岬でした。
2008年10月22日
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室戸岬といえば、台風で有名になりましたが、空海が悟りを開いたところとしても有名。今から1190余年前のことです。場所は、みくろど。車窓から若き空海の像が見えてきました。そこで、ちょっと空海=弘法大師の解説をネット情報おりまぜていれておきましょう。 空海は、774年(宝亀5年)、香川県多度津郡屏風浦(現在の善通寺市)に生まれました。15才で京に出て勉学に励みましたが、一人の出家者との出会いから、生地である四国の山や海辺に修行を求め、厳しい修行をしました。徳島県の第21番・大龍寺がある岩山で百日修行をした後、その苦行では悟りを得られず、さいはての地、室戸岬の洞窟で修行後に神秘体験をしたというのです。一心に真言を唱えていたある夜明け前、虚空蔵菩の化身である明けの明星がにわかにその輝きを増し、突如空海のもとに飛来してきました。その瞬間、空海は悟りを開いたといわれています。これは彼自身の著に記載されている話です。洞窟の中からみた外の風景(空と海)から後に名を「空海」と改めたといいます。ここがその洞窟=「みくろど(御蔵洞)」です。空海、宇宙的でかっこいい名前です。実際にはそれ以前に「如空」とか「教海」とも名乗っており、その合体形とも考えられます。その後804年(延暦23年)、31歳の時に、遣唐使として唐に渡り、長安の青龍寺にて、密教の第一人者であった恵果(けいか)からその極意をすべて学んで2年後に帰国しました。ブッダの悟り、イエスの悟りもまた、厳しい修行で得られなかった悟りを静かな祈りによって得ています。不思議な合致です。もうすこし出ると、空海が1200年前に見た、空と海がはっきり見えます。修行が足りないせいか、悟りは手に入りませんでした。でも、空と海のほかに、もうひとつ見えたものがありました。
2008年10月21日
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高知県に入りました。次第に室戸岬も近づいてきました。海岸を見ると、波間に黒い烏が。いやサ-フィンですね。波が結構荒いようです。 バスガイドさんが、回覧してくれたのが、この写真の「さかづき」です。底がとがっているので、全部飲み干さないと、置けません。さすがは高知県です。なんと酒豪の日本酒一気飲み選手権もあるそうで、優勝者は一升瓶を15秒で飲み干すんだそうです。(そのままでは急性アルコ-ル中毒になるからはかせるそうですが。)私の実母の両親は、この高知県出身です。どちらも既に亡くなりましたが、酒豪ではなかったと思います。育った環境で違うのでしょうね。私の会社の同期の方も高知県で育ったようで、大変な酒豪です。私はこれまでお付き合い程度には飲めましたし、ほぼ毎日ビ-ルを飲んでいましたが、手術後に快復のために断酒してから、既に4ヶ月。すこしのビ-ルでも不快になり、飲めない体質になってしまいました。今夜、久しぶりの飲み会でしたが、ウ-ロン茶では、盛り上がりに欠けます~(^^;;;。
2008年10月20日
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徳島を越えて、ひた走り、阿南海岸を過ぎると、第23番札所「医王山」薬王寺に到着。今回、ここが唯一の四国遍路=八十八箇所霊場です。名前からして、強力な厄除け、傷病平癒のにおいがする、薬師如来をご本尊とするお寺です。門を入ると写真のように右に大きなわらじが鎮座。お題目として、「おんころころせんだりまとうぎそわか」と唱えると、般若心経を唱えたことになるという、いかにも~です。私は、仏教徒でもないのですが、なぜか般若心経なら暗唱できます。山の斜面にありますので、眺めも楽しめる寺院です。私達観光客のほかに、別の観光バスから白装束のお遍路さんたちが降りて、お寺に入って行きました。そう、主役は私達ではなく彼らです。四国はお遍路を抜きで語れません。お遍路さんの由来を紐解けば、はるか空海の時代にさかのぼります。ネット情報を圧縮引用して解説しますと、・・・・・四国は古代より辺地であり、修験者の修行の場でありました。讃岐国に生れた空海もその一人でした。空海が偉大な足跡を残して入定後、後の修行僧らが空海の足跡を辿って遍歴の旅を始めました。これが四国遍路の原型となりました。「同行二人=空海と共に旅する」はここにあります。ご存知のとおり、空海=弘法大師です。時代がたつにつれ、空海ゆかりの地に加え、修験道の修行地などが加わり、室町時代には僧侶の遍路が盛んでした。江戸時代には民衆の遍路も増えてきて、名著『四国遍路道指南』が書かれました。ここに今日の四国遍路が確立しました。遍路の目的は、信仰による傷病平癒、贖罪などでありました。白装束は、旅の途中いつ倒れても良いという、チベット仏教の五体投地にも通ずる気構えともいわれます。そのときには杖を卒塔婆代わりにするのだとか。人の悩みはいつの世も同じであります。ご本尊は薬師如来が多いわけです。巡礼の基本スタイルは「一人での歩き遍路」ですが、30km/日の健脚で約40日かかります。現代では、県別のバスツア-や自転車遍路など、様々な形があります。私の友人は若い頃、10回ほどに分けて、休日を利用して、歩いて制覇したそうです。「歩かなきゃ、お遍路じゃない、若くなければできない、一人で行かなきゃ意味がない」そう語っていました。語られることのなかった、彼の悩みは何だったのでしょうか。見せてもらったスケッチの中の、雪をかぶったお寺が、彼の人柄に似合わず厳しくて印象的でした。また話が脱線してしまいました。さて、次は、空海の修行の場、室戸岬へ~
2008年10月19日
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「坂東太郎」=利根川、「筑紫次郎」=筑後川、そして、「四国三郎」と呼ばれる吉野川。日本三大暴れ川ですね。徳島市の河口近辺で橋の上の車窓から撮影です。四国の内陸部には若くて険しい山が連なり、ほとんど平地がありません。太平洋の大量の湿気を受けた山から下った水が一気に集中するので、暴れるのも無理からぬことです。内田康夫の推理小説=「藍色回廊殺人事件」を読むと、暴れ川=吉野川の治水事業関連で色々問題が指摘されています。そこから犯罪がおき、名探偵浅見光彦の冴えた推理が始まるわけです。さて、吉野川の流れは、途中から、ほぼ中央構造線に沿って東進し紀伊水道に注ぎます。構造線上では横ずれ運動で岩が破砕されて周囲よりくぼ地になる結果、構造線上を川が流れることがあります。茨城県では棚倉構造線に沿って久慈川などが流れています。中央構造線では紀伊半島の紀ノ川もそうです。中央構造線とその下の御荷ぼ構造線の間の地域は、三波川変成帯という緑色変成岩の多く出る地域です。特に徳島産は阿波の青石と呼ばれ、日本の庭石の最高峰です。伊予の青石、紀伊の青石、秩父の青石も同じ三波川変成帯で産出する緑色片岩ですが、阿波にはかないません。緑色をしているのは、原岩である堆積岩が低温高圧で変成する際に、緑泥石、緑簾石、角閃石、藍閃石、蛇紋石、緑閃石などの緑系の鉱物を生じるからです。実は茨城県日立の一部にも三波川変成帯のような緑色片岩が採れる地域があります。個人的には三並川変成帯の延長だと思っています。四国では、三波川帯にキ-スラガ-タイプの大きな銅山があります。別子銅山ですね。そして日立にも同じキ-スラガ-タイプの銅山(日立銅山)があるのです。おっと、話がかなり、横ずれ断層になってしまいました。話もそうですが、写真まで緑色変成していますよね。口直しで、最終日に見た緑色岩の絶景露頭を後日のせますので、お楽しみに。そういえば、徳島市を望む眉山は、昔、藍閃石やルチルの産出でも有名でした。ということで、バスは徳島には止まらず、海岸沿いを南下し、日和佐に向かいます。そこは四国八十八箇所霊場の一つでした。
2008年10月18日
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四国をお遍路しました。といっても2泊3日ですが。羽田を朝発ち、高松空港に午前中に到着。最初についたのが鳴門公園です。淡路島から明石海峡大橋、大鳴門橋を経て四国に車で来ることが出来ます。写真は大鳴門橋を背景にした緑色岩です。鳴門海峡では、この主柱の間に一日4回、潮流が速くなり、渦潮が発生します。大きいものは直径20mにもなるのだとか。橋の下部に渦の道という遊歩道があり、主柱の間で渦潮が見えるところまで歩いていけるそうですが、(強化ガラスの透明床があるそうです)残念ながら時間的に渦潮がでていなく、高所恐怖の私は、行かずにすんで安堵。(実は旅の最後に・・・それは後日。)緑色岩の色はなんとなく緑簾石っぽい。紀州の青石のように見えます。ここ鳴門海峡は、中央構造線が淡路を正面に見てすこし右にある位置。地層は内帯端部の中世代「和泉層群」で、この一帯は「鳴門砂岩」と呼ばれるそうです。この橋の袂に歩いておりていき、砂岩だらけを確認しました。四国といえば、中央構造線、ミカボ構造線、仏像構造線と3つの大きな横ずれ大断層が平行に並んでいるところで、地質的にも有名な場所ですね。早速ご当地ソフトわかめソフトを調達。なんとなく、ぬるっとした独特の食感、おいしいです。近くに「大塚製薬の美術館」もありましたが、車窓で我慢して、私のル-ツのひとつ徳島へ~
2008年10月17日
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10月第一土曜日の夜は恒例の土浦花火大会です。全国で有数の規模です。今年はちょっと離れた高台の横断歩道橋の上から眺めました。ビデオもとりました。綺麗な花火がとてもよく見えました。ワンシ-ンをお見せします。
2008年10月16日
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十勝岳連峰は大雪山連峰とあわせて北海道中央部にそびえるいわば北海アルプスです。旭川空港からの眺望です。さらにその下の日高山脈とあわせて、北海道を縦断する高地帯を形成しています。隣のここ上川盆地を含む低地帯は、まるで北海道のフォッサマグナ。過去の海溝の名残りのようです。十勝岳は連峰のほぼ中央に位置する活火山です。1926年の大噴火では大規模な泥流を発生させ、それは三浦綾子の小説に詳しく記載されています。北海道開拓史のヒトコマとして、厳しい自然に立ち向かった先祖の苦労が偲ばれ、なかなか読み応えある作品でした。1962年にも成層圏にまで達する噴火をしています。補足:大雪山は「だいせつざん」か「たいせつざん」か?現在も決着していないようです。ちなみに、北海道では多くの人が古くから「たいせつざん」と読んでいましたが、ある頃から、だいせつざんが正解と教えられました。でも最初は「たいせつざん」という呼び方だったようです。
2008年10月16日
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北海道でよく見かけます。「おんこ」の木になる、「おんこ」の実です。別名、アララギ、一位(いちい)ともいいます。落葉松のような形ですが常緑の針葉樹です。夏から秋にかけてなる真っ赤な実は食べられます。でも中の大きな種は有毒なので要注意。成長は遅いのですが長命です。10mを越える高木もあります。香木で有名なキャラボクは「おんこ」の親戚です。写真は実家の「おんこ」の実です。私が子供の頃からある父の大切な木です。風雪に耐えて、やせていますが、庭の木の中でも一番風格があります。私の父のようです。今でもリッパに実をつけていてとてもうれしく思いました。
2008年10月15日
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線炉は続くよどこまでも。一応JR富良野線。富良野まで続いています。でもさらに帯広まで続いています。実は釧路まで続いています。いやいや網走まで続いています。・・・・ここを左に曲がります。真っ直ぐ行くと、ご存知美瑛・富良野。緑ヶ丘の手前に神楽岡があります。その昔は緑ヶ丘はただの緑の岡でした。今は大学、高校、団地が広がっています。岡を登る途中にあるのが、このサンクロ-ド=サン蔵人。スイ-ツショップで有名らしく観光バスもよく止まっています。実は子供の頃小学校に通う途中で、ここは牛舎があったところでした。牛の糞の香がただよってくさいところだったのです。 その辺りからプラタナスの並木道となります。左が神楽岡公園ですね。とてもいい感じです。並木道の右側には、綺麗な建物、特に教会がいくつか建っていて、なかなかです。最近知ったのですが、この通りを「ロマンチック街道」とよんでいるそうです。子供の頃、砂利道で、いつになったら舗装されるのかな?牛舎がくさいよ~そういいつつ通った通学路がです。ちょっとびっくり(^^)。
2008年10月14日
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懸賞当選作家、三浦綾子さんはふるさと旭川が生んだ作家です。その初期の代表作「氷点」の舞台となったのが、ここ「外国樹見本林」です。美瑛川(びえいがわ)から、散歩の延長で足を伸ばしてようやくたどり着きました。とっても懐かしい場所です。その中に建てられた、三浦綾子記念文学館がここです。その昔、氷点、泥流地帯、天北原野、続・氷点、石ころの唄、塩狩峠、そのほか多くの自伝小説など、悩める青春時代に、三浦作品を読み漁りました。クリスチャンの凄さを学びました。懐かしい思い出です。サインもいただきました。そこからすこし歩くと、超懐かしい建物が・・・。あれ? でもよく見るとちょっとちがうような(^^;;;。私が通った「神楽小学校」です。当時のグラウンドに校舎が出来ていて、校舎のあった場所がグラウンドになっていました。だからこんなに現代的なんだ~♪綺麗になってよかったね~♪みんな元気でがんばれ~(^^)。
2008年10月13日
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懐かしい美瑛川に行ってみました。今は水量が少なめでした。美瑛川は、もっと下流で、神楽岡公園の近くを流れている忠別川と合流し、さらにその先で石狩川と合流しています。その後石狩川はカムイコタン渓谷に入ります。小さい頃、父とこの美瑛川に魚釣りに来たことを思い出しました。小さなウグイが釣れました。もっと沢山砂利があリました。足元の石を眺めると、赤色チャ-ト、緑色岩、蛇紋岩、安山岩などが沢山転がっていました。堤防を下流に向かって歩きました。2kmほど歩いて、見本林の近くまでやって来ました。回りの木々はもう秋の装い。左が美瑛川、右が見本林。なんだか小学校時代に戻ったようなふとそんな気持ちになりました。ふと気が付いたのですが、今日10/13はブログをはじめてちょうど1500日。よく続いたものだと我ながら感心感心(^^)。
2008年10月12日
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語源は七回かまどに入れても燃えないと言われるほど燃えにくいからといわれますが、はたして?かまどに入れなくても、そのまま燃えているような真っ赤な赤い実が大変美しい木ですね。旭川の木として知られ、下の写真のように、マンホ-ルのふたにもなっています。実は北海道では、旭川以外にも多くの自治体がこの木を自治体の木としています。
2008年10月11日
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まず上川神社の石達を紹介します。これは石灰岩ですが、その中にチャ-トや各種の礫を含んでいます。鉄分を含んだ赤色珪岩もしくは赤色チャ-トです。これはちょっと変なのですが、私の目には、ミグマタイトにみえます。まるでとろけるチ-ズのような、流動的な紋様が見えます。ミグマタイトは高温変成岩なので、何故ここにあるのかわかりません。ミグマタイトではないのかも?あとでゆっくり調べてみようと思います。ここまでが神社で見た石達です。これからは近所で見た石です。緑色片岩だと思います。去年ドイツのロ-レライで見た緑色片岩を思い出します。これも緑色片岩と思いますが、黒い部分は蛇紋岩かも知れません。凄い力を受けたことを物語る曲線です。茨城県で見かける石とはかなり趣が違う石達です。ここで太古に起きた地質史上の事件の凄さと複雑さを、静かに物語っているかのようです。興味深いです。
2008年10月10日
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神楽岡公園の中に上川神社があります。上川支庁を代表する神社です。上川神社の手を洗い、口をすすぐ、お清めの場所にあるりっぱな岩です。岩はおそらく黒色片岩。下にある緑の石は緑色片岩でしょう。お清め岩の足元にあった石です。表面の割れ目模様からすると、ほぼジャスパ-だと思います。どこからやってきたのでしょうか。謎です。ここは神居古潭(かむいこたん)変成帯のすぐ近くです。この黒色片岩ぽいお清め石は、間違いなく石狩川の急流に浸かっていた石だと思います。理由は、小石の摩擦作用で穴が開く、甌穴がこの岩にあるからです。この辺りで撮れる黒い石は神居古潭石と呼ばれ、水石の石では日本三大銘石の一つ、人によっては最高峰といわれます。ですからその関係の方が見ると、怖ろしいお値段がつくと思われます。現在神居古潭では岩石採集は禁止です。ここでカムイコタンの説明を入れておきます。旭川市神居町にある神居古潭は,旭川市西部にある渓谷です。大雪山系の石狩岳から流れ出る石狩川が10km にわたって中生代の変成岩を削り荒々しい渓谷美を形成しています。川が先に出来てその後にこの一帯が上昇したために、渓谷が出来たと思われます。石狩の流れは渓谷よりも悠久なのですね。 両側から山が迫り、石狩川の川幅が急速に狭まるこの地では川は渦を巻き激流となり水深も深いところでした。最深部は70mにも達するといわれます。昔はここに鮭が重なる様に遡行していたようです。そしてここに大きなアイヌの集落がありました。 古くは縄文の時代からといわれ、アイヌ人が縄文人の子孫である証だと思います。 アイヌ語の「カムイ(神)のいるコタン(部落,在所)」という言葉からこの名がつきました。カムイはニッネカムイつまり魔神を指しています。奇岩怪石が多く、舟の難所であったので「魔の里」と呼ばれていました。 またここには神居古潭おう穴群があります。おう穴とは急流や滝壺などでみられる円筒形の穴です。旭川市の天然記念物になっています。 神居古潭を中心に南北にのびる「神居古潭変成岩帯」は大昔、北海道が形成されたとき北海道の西半分と東半分がここで衝突し、つながったことを示すものとして地質学上、世界的に貴重なものとされています。ここには蛇紋岩、青色片岩、緑色片岩、黒色片岩、チャ-ト、石英片岩など低温高圧型の多種の変成岩が出てくるので有名です。中には翡翠輝石を含む石もあります。昔は国鉄の函館本線が石狩川沿いに走っていて、渓谷を眺めることができましたが、トンネル化され、現在は車窓からは見ることが出来ません。このトンネル工事は蛇紋岩特有の破砕作用により、かなりの難工事といわれ、なくなられた工事関係者を供養する慰霊碑がトンネル入り口に建っています。魔神は岩の中にいたのです。
2008年10月09日
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時事通信社より引用。-----------------------------------巨人、セ・リーグ連覇=史上最大の13差逆転-プロ野球 プロ野球のセ・リーグは10日、巨人の2年連続32度目の優勝が決まった。 優勝へのマジックを「2」としていた巨人がヤクルトを3-1で破り、阪神が横浜に3-4で敗れたため、巨人の1位が決定した。セの連覇は1992-93年のヤクルト以来15年ぶり。巨人としては89-90年以来18年ぶり。 7月9日の時点で阪神に今季最大の13ゲーム差を付けられていた巨人は、9月の12連勝などで猛追。8日の阪神最終戦に勝って今季初めて単独首位に立ち、セで史上最大のゲーム差を逆転した。復帰3年目の原辰徳監督は就任1年目の2002年と合わせ、3度目のリーグ制覇。 ・・・・2008年10月10日 21時26分 時事通信-------------------------------------球史に残る伝説となりました。長嶋さんもさぞ喜んでいることでしょう。経済効果はどうなのでしょうか?これで株価と円安と景気が戻ってくれればいう事ないのですが・・・。
2008年10月08日
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一年ぶりに北海道、旭川市の南に位置する神楽岡公園に行きました。私のふるさとです。白い白樺の幹が夏の雰囲気です。でも実際には、紅葉が秋を奏でています。木々は、もうすぐ冬だとつぶやいています。一年は、あっという間ですね。
2008年10月07日
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「質量の起源」である「カイラル対称性の破れ」を最初に提唱した南部先生が、2008年度ノ-ベル物理学賞を受賞!!!他の2名も日本人です。現在実験が進められているLHCによってヒッグス粒子が発見されたら、更に先生の価値は上昇するでしょう。日本よりもアメリカでの評価が高く、アメリカに帰化されて長いです。ほかにも、弦理論の初期のアイデアを提出されたり、素粒子論、物性物理学などの現代物理学の発展に深く貢献されました。高等数学を駆使する、いわゆる天才肌ですね。いまや物理学の基本概念と成っている「自発的対称性の破れ」という現象を最初に自発磁化の説明に使用しました。是非ノ-ベル賞をと昔から思っていたので大変嬉しいです(^^)。
2008年10月06日
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機材繰りのために飛行機は予定よりなんと1時間半も遅れてしまい、夕暮れの大雪山連峰風景はおあづけ。飛行機を降りたら、気温表示は8.8℃。さすが北海道、ぶるっと震えました。9月27日の事です。すぐに旭川駅方面へ向かうバスに乗り暗い中を約30分。1年ぶりのJR旭川駅に到着。 発着時刻を眺めると稚内、札幌、網走、深川、新千歳空港など聞きおぼえのある駅名が並んでいます。昔学生時代には、毎朝晩この改札口を通ったんだな~と、いまさらながら懐かしく思い出されます。その富良野線は残念ながらまだ来ません。仕方なく家へ電話して父に迎えにきてもらうことにしました。
2008年10月05日
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北海道へ帰るフライトは、JALの先得?、お安いメニュ-から選びました。おかげで正規の半額ですみました。予約の時に、Jクラスというのがあって、聞くと多少エコノミ-よりも座席のスペ-スに余裕があるとのこと。羽田→旭川は2時間かからないので、エコノミ-でも全然問題ないのですが、話のネタになるかなとも思ってです。実際に座って見るとやはり前後左右の余裕がありらくちん♪足のふくらはぎをを乗せるプレ-トも操作ボタンで出せます。リクライニングもゆったり。おまけに足を乗せることが出来るゴムひものようなものもついています。サ-ビスはドリンク一杯プラスなような。場所も機体の先頭なのでゆれやジェット騒音も少なくて気分は良かったです。次回も出来ればこれにしたいな。お値段はエコノミ-より1000¥アップです。
2008年10月04日
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秋の田舎を代表する赤い花と白い花です。
2008年10月03日
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アメリカのコロラド州産、煙水晶です。「けむりすいしょう」と読んでいたら、ある方が言うには「えんすいしょう」が正しいのだとか。ホンマかいな。英語ではスモ-キ-クオ-ツですね。ちょこっとついているアマゾナイトがコロラドらしさを演出しています。スイス産と見まがう美しさです。
2008年10月02日
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大きいサイズの一部拡大です。こちらの蛍石も確か北米産ですが、ラベル紛失により詳細は不明。石集めの初期に購入したもので、もう5年近くになります。模様から個人的に想像するに、瑪瑙と同様に微結晶が沈殿集合したタイプなのか?それとも結晶タイプなのか?微妙です。微結晶タイプなら染色も可能?でも聞いたことがありません。まあ、これはどうでもよいこと。紫色はミ-散乱現象によるものだと言われますが、これは違うのでは?これもどうでもよいことですね。いずれにせよ、たおやかな曲線美、色彩美にうっとりしてしまいます。紫と緑の組み合わせはどこか源氏物語風ですね。
2008年10月01日
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