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昨日、嫌なことがあった。嫌なこととは、オレがオレより年上の仕事仲間の勤務態度に関して諌めたことだ。その男はオレより10も年上で、当初は「上級のスキルを持った詳しい人」として鳴り物入りでプロジェクトに配属されたが、それほど使い物にならなかった。その40男は、本来9時に会社が始まるにもかかわらず、10時半や11時に出社して悪びれる風でもない。昼食後の午後は眠気をガマンすることなく船を漕ぐ。仲間に対して横暴で、客にも平気でタメ口を使う。しかも来なくてもいい宴会には必ず来る。おまえは何なんだ、とは誰もいえないのだ。昨日は客先にいた。オレが客先に行くと、なぜか彼も客先に来ることが多い。仕事はあまり関わっていない。オレは奴に好かれているのだろうか。うわ、やめてくれ。客先にも平気で11時に来た。すぐに昼食の時間になった。飯を食う時間に間に合わせて出社するような奴と一緒に食事をしたくない。しかもそいつはくちゃくちゃくちゃくちゃ音を立てて飯を食う。オレはがっかりした。午後になった。始業時間になっても奴は席に現われない。ラウンジで仮眠をとっているのだろう。まあいい、いつものことだ。寝ぼけた顔でダラダラと戻ってきた。奴にはすることがないらしい、本を広げてただ読んでいる、たまに船を漕ぐ。この男は、隣のおねいちゃんに仕事を引き継いでいるが、この男の仕事は穴だらけだからおねいちゃんは彼の穴を埋めるので精一杯だ。それでも男はえらそうに理想的な仕事とはなんたるかを説明している。オレなら3日でキレる。おねいちゃんは根気強く聞いている。男は説明を終えるとまた本に向かった。本に向かって3秒もしないうちに船を漕ぎ始める。ここは客先だ。人通りの多い通路に面していて、おそらくこの男がずっと寝ていることは噂になるだろう。オレは恥ずかしくなってきた。同じ会社の仲間が寝ている。だらしない会社だと思われる。同僚は注意しないのだろうか。この会社はどうなってる。ものすごく恥ずかしくなった。意を決して、はす向かいの男の席へ行って小さい声で、「あの、寝過ぎじゃないっスか」といった。起きた彼はオレの顔見て眩しそうに目をしばたいたかと思うとすぐに不機嫌そうになった。それは不機嫌になるだろう。上司でもなんでもない年下のオレに諌められたのだから、恥ずかしくならないほうがおかしい。奴も奴で不機嫌だろうが、オレもものすごく嫌な思いをした。世の中、言わなきゃわからない奴が多すぎる。誰かに道を作ってもらわないと、なにも出来ない奴が多すぎるんだ。そういった奴を見るたびオレは、嫌な気持ちになる。
2003.06.30
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2,3日前、うのはなとチャットをした。2人は愛を語り合っていた。いやウソだ。「イベントを思いついたの」うのはなは言った。「日にちを決めて、同じテーマで何か書くの。」「1日、1テーマってこと?」オレは要領を得ないまま返答した。「そんなことしたら好きなこと書けなくなっちゃうじゃない、ちがうの、 テーマを決めるのはその日だけ。で、みんないっせいに書くの」そこまで言われてようやくオレは内容をイメージすることができた。「つまり、『コラボ日記プロジェクト』というわけだね?2人の。」オレがそういうとうのはなは、「リバースで日記リンクしてるひと、みんな誘ってみたらどうかな?」ということはこの企画がもし実現した場合、オレの「オススメ新着」には、同じタイトルの日記やコラムが、ずらっと並ぶということになる。想像して、少し背筋がぞくぞくしてしまった。しかし確かに気持ちいいことかもしれないが、同じタイトルが並ぶことのメリットは、オレにしかない。つまりオレが日記リンクさせてもらってる人には、オレの欲望のために働く、という印象がつきまとうことになる。リスクはそれ以外にも、オレのところが集約店だとしたら、他は傘下店ということにもなりかねない。個人として独立して日々情報を発信している拠点に対し、組織としての集約化を促すのは失礼かもしれない、とも思った。だが企画の面白さ、たとえば他の人はどんな視点でこのテーマを捉え、そしてどんな切り口で文字を綴るのかといった単純な興味や好奇心、あるは単に祭りとして、同じ目的に向かって突き進む一体感のようなものの共有がもたらす快楽といったプラスの要素も多く含まれていることも確かだった。オレは悩んだ。しかし本当はほとんど悩んではいなかった。要は、「やる」か、「やらない」かである。「やらない」ということは、喜びも悲しみも怒りも戸惑いも、何も発生しないということだ。やってもし失敗すれば、マイナスな感情が発生するかもしれないが、オレはこの企画に、プラスに転じるであろう光明を見出した。「で、いつよ?」とオレは貪欲にうのはなに食いついて、話を引き出した。期日は7月7日。七夕さまの日である。なんとなくロマンティックでいい。7月7日、同じテーマで我々は作文を書く。なんとなくステキだ。オレは宣伝を受け持つ。日記リンクさせていただいている4人に、打診のメッセージを送ったのが日曜(6/29)の夜。今日(6/30 20:30)の時点で、mimiとつなみ嬢から色よい返事をもらっている。残るはまるみちゃんだけとなるが、まだメッセージを見ていない可能性が高い。まるみちゃんが参加してくれれば、まず計画はコンプリートだ。また、ゲストによる参加も大歓迎で、楽天の「テーマ」としても登録するつもり。まだ肝心のテーマは決まっていません。そのうち、発表します。
2003.06.29
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新しい家を見に行った。中古物件だから正確には新しいとはいえない。しかしほどよく清掃されいて、あまりクロスも汚れていないから新しくは見える。平成8年築だから7年経つ。誰かが7年使っていたにしてはキレイなのかもしれない。今のマンションは2DK。荷物が増えすぎて、いる場所がなくなった。物置で暮らしてるみたいなのだ。だから引越しは必要なことだったのだが、オレはあまり乗り気な態度を示さなかった。環境ががらっと変わってしまうことへの恐怖や、老後とかいう嫌な言葉をイメージしてしまうこのとのストレスや戸惑いから、逃げ出したかったからだろう。今週の木曜に契約が完了し、犬小屋のような白い家は晴れて我々のものになった。喜びや興奮や感激といったような感情は湧きあがってこない。新しい家で暮らすためにまず何をすればいいかとか、荷造りのためのダンボールは果たして足りるのだろうかとか、今ある家具をどの部屋にどう配置するかとか、そういった事務的なことのほうが重要だ。部屋の間取りを測りに行った。今日は引越し業者に家具の配置を知らせるためだ。この家を見るのは2回目だ。1度目は購入を決める前。1度見たら覚えてしまえる間取りだったから、新鮮さは無い。部屋数も広さも今の倍以上ある。しかししばらく暮らせば、このがらんとしたコ綺麗な部屋には荷物があふれ、埃にまみれていく。オレは家具の配置よりも、駅からの距離や、近くの商店街にどんな店があるかとかのほうが気になった。西武池袋線の椎名町と東長崎、そして何線だか知らないが地下鉄落合南長崎の3つの駅のちょうど中間に位置している。どの駅までも10分程度かかる。それほど遠くもないが近いともいえない。中途半端な位置にある。周囲には住宅しかない。駐車場がついている。向かいの家は、我々の家より金持ちそうだ。向かいの家の、セコムのステッカーが張られている駐車場のシャッターが開いた。出てきたのは黒いBMWだ。オレはクルマを持っていない。だだっ広い駐車場スペースに、自転車だけあるのはなんとなく貧乏くさいから、いつかクルマを買ってしまうかもしれない。気になっているのは、ロードスター。
2003.06.28
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月島のもんじゃ焼き屋へ行った。月島へ行くのは初めてだった、というような昨日の詳細な日記を書いていたら、パソコンがオーバーヒートによりエンストした。おそらく2000字は超えていた。いつもなら狂ったように泣き叫んで暴れるのだが、今日は不思議と落ち着いていられた。朝まで飲んで二日酔を引きずっていたし、向かい酒を飲みながら書いていたこともあって、ため息ひとつ吐き出すだけで済んだ。昨日行ったもんじゃ焼き屋は、月島の「近どう」。おいしいかどうかはよくわからなかったけれども、みんなで鉄板を囲むのはとても楽しかった。キュートな銀行員は、肩の割れた薄手のニットを着ていて「あいてますよ」といったら「そうなんです、開いてるからよく触られるんです」と答えた。酔っていたこともありついその露出した肩をオレは触ってしまった。艶やかな肌だった。2次会は大門でカラオケだった。月島から大門までタクシーで向かう途中、正面に東京タワーがライトアップされて浮かび上がっていた。映画「マトリックス」の公開初日、東京タワーが緑色になったらしくその話でタクシーの中はもちきりだった。結局カラオケは朝までになった。午前4時近く、10人の男女はその全員がスダンでリングになっていた。そしてデタラメな踊りを繰り広げていた。カラオケ屋の天井には2箇所、穴が開いた。オレも汗だくになってしまった。疲れたが、とても楽しかった。でもきっと月曜には、何事もなかったような顔でみんな、仕事をしにくるのだ。
2003.06.27
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昨日チャットで女の友人と話した。おととい話していた友人とは別の女だけれども、日替わりで違う女とチャットしているオレはどうだモテモテだろう?ということを言いたいわけではない。言いたいわけではないが、女性と会話するのは楽しいことだしパソコンの前でだらしなくニヤけてしまっていることも事実だ。ただ終始ニヤニヤしてる訳ではなく向こうが真剣は話をしてきたときは真剣な表情で聞くしそれは相手が男であっても変わらない。ただ、実際に会って話を聞くときよりも、パソコンを通じて会話しているときのほうが表情はデタラメなことは確かだ。なぜかというと、感情を表情にして相手に伝える必要がないからだ。例えば悲しい話を真剣にされたとき、ヘラヘラした顔つきで聞くわけにはいかない。相手が悲しいことを伝えようとしているのに楽しそうな表情をしているということはうまく悲しみが伝わっていないかもしれないという誤解を植えつけることになってしまう。だから神妙な話は神妙な顔で聞かなければならないし、楽しい話は楽しい表情で聞くべきだと思っている。女は、簡単なあいさつとオレの忙しさを気にする言葉の後に、「報告がある」と告げた。すわ妊娠かはたまた結婚か、「報告」という言葉に対してオレに反射的に浮かんできた2の句は恋愛に関するよき事象だったから思ったままをタイプした。ところが彼女はそのいずれをも否定した。そして淡々と次の言葉へ移行した。「彼氏とお別れしてしまいました」記号や装飾文を使って祝いのメッセージを送信しようと待機していたオレの指が一瞬凍りついたように固まって動かなくなった。その一瞬の後、彼女とその彼氏のイメージやエピソードが浮かんだ。この男女は、オレが属していた仲間の中で関係を発生させた。オレはその始まりの目撃者だった。くっついて1度別れて、またくっついて今回2度目の別れとなるその二人の関係のあらすじをオレは彼女の報告により知っていた。その一連の流れとして今回は「報告」というタイトルの最終章としてオレに伝えてきたのだろう。昨夜、一つの物語は完結した。ハッピーエンドではないかもしれないけれども、彼女は前回よりも納得していそうだったから、オレとしても彼女の気持ちを沈めるために言葉をかけてやる必要はなかったし、どちらかというと彼女は本当に報告だけしにきたといった感じで、オレはただ話を聞いてやるだけでよかった。今回はどうなのか知らないが、2人が別れるにいたった原因というかテーマの一つとしてオレが認識しているのは、男の恋愛に対する身勝手さだ。男の言い分はこうだ。「趣味に打ち込みたいから、あまり2人でいる時間をとれない。」しかし女は、彼ともっと頻繁に会いたいと思っている。会いたいのに会えないという状況は非常に苦しいことで知られている。きっと男は、彼女の希望を出来る限り取り入れて歩み寄ろうとしたが、女が望んだラインには達しなかった。とそういうことなのだろう。趣味と恋愛を天秤にかけてるよう男はダメだ。そしてそういうことを口に出して女に説明している行為自体、非常に恥ずかしいことだ。別れ際を女のほうに決めさせた、という情報を入手していて、そこから分析するとこの男はおそらく、最後の最後まで別れの言葉を言わなかったに違いない。状況は別れるほう別れるほうへと策略を差し向けておいて、女から別れの言葉を引き出すように振舞っているとしか思えず、それでも別れの言葉もいわないということはつまり自分は悪人ではない、という状況説明であり、この期に及んで非常に見苦しい。1度目にこの2人が別れたという話を聞いたとき、オレは「男に社会的制裁を」ということを主張したが仲間に退けられた。仲間の集まりに別れた2人は揃って出席し平然としていた。女は後にそのときの心境を語ったが複雑だったという。信じられないのは男のほうであった。女がケータイから何から全て消し去り、男を忘れる努力を繰り返していたにもかかわらず、男の気まぐれにより電話をしてみたりメールをしてみたりしていたらしい。やがて2人は友だち路線に活路を見出し愛情だったものや別れの苦しみを友情として紛らわそうとしたが不自然であるということになりまた付き合いだした。この男に限らず一般的に、恋愛という局面においての「犯罪者」は男のほうだ。それほど、女のほうが数倍傷つくし、男は身勝手なまま平然としていられる。オレはこれを報告してきた女のほうに感情移入してしまっているから全面的に男が悪いという結論を打ち出したしそれは社会的倫理観からもそれほど乖離していないだろう。この男には、彼女の前にも、そしてオレの前にも、現われてほしくない。
2003.06.26
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昨日、女の友人とチャットをしていた。恋愛観や男女の相違についての話題になったとき、彼女は持論を発表した。「語りすぎる男はもてない」一般論として言った言葉には違いなかったが、オレはそういった話をするとき、自分はセーフだろうかといつも考える。そういえばこの日記で、少し語りすぎている気がする。オレは、「グサ」という返答で、「語りすぎる男はもてない」という条件が自分にも当てはまっているかもしれないと思ったことを表現した。普段は、必要なこと以外はしゃべらない。酒を飲むと少し饒舌になるかもしれない。いや饒舌とは違うかもしれない。ただ騒がしくなるだけともいえるだろう。酒を飲んでもまだエンジンがかからないときは、「あまりしゃべらないね」といわれることもある。自分で言うのも何だけれども、オレには非常にデリケートなところがある。胃腸が弱いしアレルギー体質だが、だからデリケートというわけではない。それよりも、対話において必要以上に他人の出方をうかがうところがあって、例えば人と話すとき、そのスタンスをおおまかにキャッチし分析した上でないと、上手く話せない。不安定な立場からの物言いになって、自分の立ち位置がさだまらないと思い少しパニックになって失敗する。例えば、相手が話をしたがっているのか、逆にオレの話を聞きたがっているのか見極めることは重要だ。そのバランスも知っておく必要もある。だから「対話」に関してはデリケートというか、慎重すぎるところがあることは、自分でもわかっている。ところがこういったネット上での日記や作文は、相手のことを気にせず喋れる(書ける)という特質がある。それは相手の顔が見えないからかもしれない。そういったところだと、独り言のように思いついた言葉を、考える暇もなく外へ出せるから、結果、「語りすぎる」という傾向が生まれてしまうのだろう。酒を飲んだときも、たまに誰と飲んでるかわからなくなるときがある。他人を意識しない領域へ入ると、言葉や感情はフィルター無しで外へ出る。映画「ランドリー」の中のセリフを思い出した。「クボヅカくんて、あまり話さないのね。 でも無口な人は、頭の中でいっぱい喋ってるんだよね。」で、無理矢理まとめると、「語りすぎる男はもてない」といわれてオレは何を思ったかというと、もう少し少ない言葉で表現する技術を身につけようかな、というようなことだ。
2003.06.25
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世にケータイが普及して久しい。今でこそケータイの無い生活など考えられないけれども、たかが10年前は誰もケータイなど持ってはいなかった。パソコンにも同じことが言える。10年前のパソコンといえば、DOSの黒い画面だったし、インターネットではなくパソコン通信で、しかもそれらはごく限られた特別な人のためのものだった。ケータイもパソコンも今でこそ手放せなくなってはいるが、わずか10年で技術はめざましい進歩を遂げ、関わる商品はことごとく普及していった。ケータイにはカメラまで付いてしまう始末である。ケータイにカメラが付くということは、捉えた決定的瞬間のような写真が誰でも撮れるということでもある。とはいえ、不便な昔を懐かしんでいるわけではなく、便利な機械をいまさら捨てるつもりはさらさらないわけで、オレもあわよくばそういった最先端の技術がもたらす恩恵にあやかりたいと思っている。ところが、テクノロジーは日夜進歩し続けていても、使う側の人間は全く進歩しようとはしていない。カメラ付きケータイの場合、本当はケータイにカメラなど付いていても付かなくてもどちらでもよかったはずだ。テレビや周囲の仲間がカメラカメラ騒ぐもんだからなんとなく付けてみたという人がほとんどで、どうしても必要だからこれにしたという人はまずいないといっていい。ということは、ケータイのカメラは本当は必要ないということだが、今さらなかったことにするわけにはいかない。アメリカでは、ケータイをかざしてコーラを買えるらしい。おそらくブルートゥースとかいう技術と、携帯会社の料金徴収システムと、クレジット会社のシステムが結びついて実現しているに違いない。それに較べたらスタンドアロンのカメラ付きはまだ子どもだましともいえる。ケータイをかざしてコーラを買う技術を応用すれば、駅の改札もケータイで通れるようになるだろうし、高速道路のETCだってわざわざ高価な装置を買わなくても通過できるようになるだろう。本当はそういった仕掛けを作る技術は既に存在するはずだけれども、開発はおろか計画すらされないのは、ドコモや道路公団、JRや東芝やJCBといった、異種業者相互に垣根や摩擦があるからだ。日本の多くのベンチャーは、技術はどうか知らないが巨大資本に対して圧倒的に腰が引けている。ブルートゥースを使った画期的なシステムを開発したいというベンチャーがいたとしても、携帯会社や交通機関や家電メーカーといった大企業を取りまとめる力が不足しがちだろう。仮にITゼネコンのようなところが話をまとめたとしても、大企業は資本だけでなく必ず技術も介入してくる。相互の利害があるから規格はなかなか統一されず、設計だけで3年以上かかるかもしれない。開発して採算がとれなさそうな場合、資本自体が撤退してしまうことも考えられるし、例えば何か特別な許可が必要な場合、運輸省だか郵政省だかに申請しようものなら、官僚は大企業以上に保守的で封建的で新しいものの導入を嫌うからそこで1年は滞るだろう。JRの改札システム「スイカ」がいい例だ。あれはおそらく10年も前に立てられていた計画だと思うが今になってようやく導入された。しかも私鉄や地下鉄と共有できず使いにくいことこの上ない仕上がりになってしまっている。技術も古い。そういった意味では高速道路のETCも同じだ。スイカもETCも、そのシステム自体で採算がとれないといくら新しい技術が生まれても次のシステムに移行できない。当然といえば当然だが、企業も行政も採算ベースで自分の利潤のみを追求しているから画期的な計画がスムーズに進行しない。だからスイカのようなシステムが今ごろになってようやく出来上がったぐらいで大喜びしているけれども、何兆円もかけたシステムの採算はいつ頃とれそうなのかアナウンスもない。新技術による開発にブレーキをかけているのは、大資本が利益のみを追求する体制やであり、社会的にミスを恐れるその体質だ。横に繋がりにくいことや経営者だけが潤っている企業の現実を見ると日本は中世の封建制度から未だ脱却していないともいえる。と、社会派を気取ってみたが本当はそんなことを言いたいわけではなかった。オレの構想はこうだ。「ケータイで個人のキャッシュフローを全て制御する」つまり、ケータイが財布の代わりになるという構想である。自販機や駅の改札、高速道路の料金所に関しては既に触れた。次に実現可能そうなのは、コンビニのレジにケータイをかざして清算する装置だ。それから、クレジットやローンの申し込みや清算もケータイの料金明細で行う。宴会の割り勘や麻雀の負け分を清算するには、お互いのケータイ同士をかざすと入力した金額が自動的にシフトされるような仕掛けがいい。こういったことは技術的には今すぐにでも実現可能だろう。しかし一番の問題はセキュリティーだ。もし落としてしまっても誰かに使われないようにするためとか、電波の混信による意味不明なキャッシュフローが発生した場合の対処とか、開発費用のおそらく半分以上はこの危機管理に投じられるはずだ。しかしセキュリティー問題を一気に解消する方法がある。体内にブルートゥースチップを埋め込んでしまうという方法だ。ブルートゥースチップは住基ネットとも連動していて、生後1年以内にチップの埋め込み手術が行われる。全ての国民の左手の手のひらにチップが埋め込まれる。これを義務化する法案が去年可決された。拒否するとローンや融資が受けられない。チップにはGPSも内臓されていて警察は犯罪者の場所をすぐに特定できる。ところがある日、チップの制御装置が国際テロ組織に盗まれてしまった。国民は怯えた。衛星からピンポイントでレーザー射撃される恐怖に怯えながら暮らさなければならないからだ。政府は対策に乗り出すが、特殊編成部隊はレーザーによりことごとく撃ち抜かれた。埋め込みチップに照準を合わせれば遠隔地からの狙撃も可能だったからだ。対策会議は、ある男の存在を知った。チップの埋め込みを拒否し自衛隊をクビになった男が、工事現場で働いているという。エージェントは、ヘリで男が働く工事現場へ向かった。「安田、テロ組織と戦ってくれ」「なぜ俺が?今さらそりゃないぜ」「任務終了後の身分は保証する。チップが埋め込まれていると、狙い撃ちされる。 我々はチップのない人種、いわゆる『リジェクター』を探している」かくしてリジェクターズは、テロ組織に敢然と立ち向かうのであった。
2003.06.24
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引越しのために解約と開設の手続きをしたい。という旨のセリフを今日オレは何度言ったかわからない。まず昨日の夜、公共料金やサービス料金を支払っている会社や役所の電話番号を調べるということから始まった。伝票などに書かれた番号をいちいちメモ帳に書き出した。ここでいうメモ帳はWindowsのワードパッドではなく、紙のメモ帳だ。これだけでも大変だった。そして明日は朝からいろんなところに電話をかけて手続きをしなきゃいけないな、と心に念じてから寝た。明日は「電話の日」と自分の中で設定して寝た。そうしなければならないほど心構えが必要だったし、心構えが必要だということは、少し緊張もしていた。最近電話をかけたり受けたりするのがものすごく億劫になっている。家の電話がなるのは、必要のないセールスか間違いか実家にいる親からしかないし、逆に電話をかけるのは、プロバイダがトラブったときぐらいしかない。そういえば仕事ではよく使っているけれども、目的の人を呼び出すときの手続きじみたあの「恐れ入ります○○さんいらっしゃいますでしょうか」とかいうセリフを言うのが嫌いだ。恐れ入ってもいないのに「恐れ入ります」ということや、全然お世話になっていないのに「お世話になります」ということに、カラダが反発してしまい、体調によっては3回のうち2回も噛むことがある。そういった要因がいくつも積み重なって、電話がものすごく億劫なものとして、オレに刷り込まれてきた。しかし今日は引越しのために「電話の日」と決めた。ということはオレは今日、電話マシーンになる。マシーンになるということは、好き嫌いや、気分や雰囲気や空気などといった概念を、全て捨て去ることを指す。リフレッシュルームに入った。腰から取り出したケータイを左手に持ち、メモ帳を広げた。まず最初は、としまテレビ。「引越しするんですが、解約または移転の手続きをしたいんですが。」あいにく担当者は代休をとっていて不在だった。翌日折り返してもらうことにした。幸先が悪い。60点。次にWOWOW。解約の旨を告げたら、「わたくしどものほうでなにか不手際落ち度はございましたでしょうか」という慇懃な言葉。高感度よし。解約完了。まずは1件。95点。読売。あー、とか、うー、とかしか言えないような言語障害が出てしまった。担当者不在とのことだったが、住所だけ聞いただけで名前も電話もきかないまま折り返すといった。失敗だった。日を改めて、カスタマーセンターへかけ直すことにした。0点。以下、電気:75点。水道:65点。ガス:70点。そして電話、さすがNTT、「98点」。本日の最高得点である。マイナス2ポイントは、電話番号が変わってしまうことにたいする不快感だ。話は変わるがそういえば、この機会にケータイのメールアドレスを変更することにした。いい加減迷惑メールがウザくなったからだけれども、奴らに屈するのが嫌で、1日に10通以上もの迷惑メールを受けながら、変更を頑なに拒んできたが、耐え切れなくなった。何日かの施行期間を経て問題なければ、通知可能な人には通知する。
2003.06.23
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今朝は涼しかった。雨が降りそうな気配だったが涼しそうだからつい自転車で会社に来てしまった。仕事はそれほど忙しくない。やる気になれば多分、3日で終わる仕事を3週間ぐらいかけてやっている。なぜやる気になれないかというと、よくわからない。多分、本質的に必要とされていない仕事だからだろう。雨が降ってきてしまった。道には傘を差している人と差してない人がいて、その割合は半々ぐらいだ。自転車だと、乗って帰るのは諦めなければならない割合でもある。そろそろ止みそうではある。もうしばらく待ってみる。今日は10ヶ所ぐらいに電話をかけた。税額や保険料が間違っていた件で区役所の税務課や国保課に電話したのが始まりで、水道局・東京ガス・東京電力・NTT・としまテレビ・読売新聞等、転居にともなう移設の申し込みをした。区役所の国保課は最低だった。まずタイミングが悪かった。朝シャワーを浴びているときに一度電話が鳴ったし、税務課と話しているときに鳴ったキャッチホンはあれはおそらく国保課だろう。税務課の対応は非常に良かった。説明も納得できるものだったし、誠意も感じられた。問題を早期に処理しておきたかったから、タイミングの悪い国保課の電話を待つのはやめて、こちらから電話することにした。電話に出た区役所のおばちゃんに、「国保課お願いします」と言ったら、「コクホカなんて課はありません」といわれ、「国保年金課ですか?」と直されて取り次がれた。わかってるなら一言余計だろうと思い瞬間的にキレそうになったが電話はすぐに転送音に変わってしまった。オレは担当の名前を言って取りつないでもらったはずなのに、電話に出てきたのは話が全く通じていないスタッフだった。オレはさっき税務課と話した内容と顛末を全てこの同じ役所の人間に伝えなければならないという最悪の事態に陥った。途中「修正申告しましたか」とかいわれて「いやそうじゃなくて去年までそっちで勝手に修正していて、今年から修正してくれなくなったわけで」と説明したりで話は全くかみ合わなかった。ようやく全てのことを伝え終えて、国保課の人間はどうやらコンピューターに向かったようだった。そしてよくよくきいてみると、実はまだ税務課で新しい額が入力されていないようだから、というところで一旦言葉を区切った。オレはそこでまたたらいまわしにされたり面倒なことになるのを想像して激しく苛立った声色で「はあ」と大きくいった。それで役所はようやく居住まいを正した。「税務課のほうから、金額のほうが入力されましたら、確認いたしますので。。」あたりまえだ。口座振替も一旦停止にしてくれ。今日もキレ気味な一日が始まった。
2003.06.22
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引越し業者を家に呼び、訪問見積をしてもらうことになった。普通は何社か競合させて、1番安い見積を出した業者を選ぶらしいが、休日に何度も同じような話を聞くのは面倒だしそのための時間を割くのもバカバカしい。オレが選んだ業者は、「アリさんマークの引越社」。ここに決めた理由は、メールに書かれていた概算見積額が格安だからでも、名前を知っていて信頼できると思ったからでもなかった。会社の喫煙室で同僚と引越しの話をしていたとき、「どういう業者からメールが来た?」と聞かれ、「たしかアリさんマークのなんとかとか、」と言ったら同僚が、「ああそこはいいって話よく聞くよね」といった。オレはアリさんなんとかという引越し業者は全く知らなかった。どころか、メールが来た業者全ての名前を知らなかった。だから業者のネームバリューで判断することは出来なかった。ところが「アリさん」は、ごく身近にいる人間が知っていてしかも、「悪くない」という観測を語らせていた。この時点でアリさんはかなりリードした。アリさん以外は、メールの文面があまりにも淡白すぎたり、逆にくどすぎてアタマが悪そうだったりした。くどくてアタマの悪い文面を紹介する。>お部屋の中からお部屋の中までお運びさせていただきまして、インターネット>割引をさせていただきまして、できるだけお勉強させていただきたいもので、>上司に交渉させていただましたところ、60,000~70,000円(税別・保険代>(1,000円))まで、何とかOKを、取らせていただいたのですけれども・・・というわけでアリさんは、日曜の午前11時に家に来た。このために部屋を片付けたし今朝は早起きもした。シャワーを浴びて髪をセットしているときにチャイムが鳴った。アリさんは指定時刻の10分前に現われたのだった。遅刻をしないのは誉めるべき点かもしれないが、10分前に来るのもどうかと思われる。慌ててワックスのついた手を洗って玄関先に出た。この場合、どちらかというと遅刻してくれたほうが嬉しい。リビングに入ってきたアリさんの営業担当は、ニット界のプリンスに似ていた。声も挙動もたたずまいも物腰も物言いもそっくりだった。オレは彼の目を見て話すのがものすごく照れくさくなり茶を差し出したりタバコを吸ったりしてその照れくささを紛らわした。主にこの引越しイベントで主導権を握っているのは嫁であり、オレは与えられた仕事をこなすだけの立場だから、アリさんを家に呼んだ時点でオレの仕事の終わりといえば終わりだった。ニット界のプリンスには8割方、嫁が対応した。プリンスによる自社の宣伝や輸送する家財道具のチェック等がひとしきり終わり、いよいよ見積額の発表の頃合になった。大きめの電卓にプリンスがはじき出した数値は、「115,000-」。「・・・はい。」と嫁。オレは(うわ、たか)と心の中。反射的にプリンスを見たが、彼の目は見積書のあたりをさまよわせて、「確かに業界内で一番安いかというと、そうではありません」というような、若干高めの見積り額にたいして言い訳ともとれる言葉を翻していた。神妙な空気が流れた。「もう一声、なんとかなりませんか」オレは勇気を振り絞っていった。「なりますよ!」プリンス、待ってましたとばかりに言って、「実はもう一つ、割引の枠が残ってるんです」と続け、その内容や、なぜ今までこの割引を隠していたのかということも説明しだした。つまり、オレが「もっと安く」と言い出すことを見越して、当初の高めの見積額を提示したのだった。東京にはあまり、「値切る」という文化がない。値切るのはむしろ恥だという意識が定着しているといっていいかもしれない。アリさんマークの引越社はもともと、中部や近畿に拠点を置く業者だという。割引を小出しにするというテクニックは「値切る」という行為が文化として定着している関西圏で生き残るために必要だったのかもしれないと分析できるけれども、最初からそう言えよ、とも思う。オレは、「もう一声、なんとかなりませんか」というためにだいぶドキドキした。オレが値切りの言葉を言えたのは、ここが業者の事務所でもホテルのラウンジでもなく、自分の家だったからだろう。結局、最終的な金額は10万を大きく割り込んだが、もし値切らなかったら当初の額になっていたわけで、それでも仕方なく払っていただろう。大阪商人にとって、東京の客はもしかしたら、ものすごくチョロいのかもしれない。
2003.06.21
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引越し業者の多いことよ。インターネットで引越しの見積をしてくれるらしいサイトがあって、タンス1、テレビ2、大人用自転車3とかいう風に入力し「送信」ボタンを押した。ところがよくよく見てみると、数ある引越し業者に、うちが引越しする旨のメールを一斉に送るシステムになっていて、そこに書いたのはYahooのメールアドレスだったんだけれども、来るわ来るわ宣伝を兼ねた概算見積のメールが。2時間ほど放置してたら10通ぐらい溜まって、その中にはどこから聞きつけたかリサイクルショップのメールまであって、その文面はというと、「もう引越しはお済みですか?」って、今見積依頼出したのに済んでるわけねえだろぐらいの勢いで返信してやろうかとも思ったが大人げないから止めた。メールなら読むのにそれほど時間もとられないし好きなときに読めるけれども、最悪だったのは業者から営業の電話が何本かかかってきたことだ。確かにケータイの番号は書いたけれども、オレは概算見積をメールでくれとはいったかもしれないが、電話をくれとは言っていない。「○○マークの引越センターですが、お時間よろしいですか?」お時間はよろしいが、ここで電話を受ける筋合いはない。「いやあの、こういった電話、いろんな業者からくるんですか?」それに概算でも見積の内容を見て、業者を選定するのはあくまでも客であるこちら側だから、気に入らない業者には連絡をしないし、逆に気に入ったらこちらから連絡を入れる。「いえ、一度直接お話をおうかがいしてからと思いまして、当社大変お安くなっておりますし信頼のサービスを心がけておりましてどうか・・・」「あの、電話で営業してくれって頼んでませんが」「すみません失礼しました」とかいうやりとりを3回ぐらいした。今日も朝からそれらしき番号が表示されケータイが鳴ったが全て無視した。引越し業者ごときに、オレと電話で話せる資格はない。そういえば今朝、不愉快なことがもう一つあった。1週間ほど放置していた郵便物の中に区民税と国民健康保険の納付書があって、中身を見たら驚いた。課税される所得金額が、莫大な数字になっていた。どういう数字かというと、必要経費や控除額が差し引かれる前の数字だった。よって課税額や保険料も天文学的な数値だった。こんな額を毎月払っていたら間違いなく破産するような金額だった。間違いとしてもやっていい間違いと悪い間違いがあるが、これは最低のミスだ。オレは腰骨のあたりがずしーんと重くなった。今日が土曜なのはわかっていたが、すかさず役所に電話した。非番かなにかの、つまり税務課でも国保課でもないただの気弱なおっさんが出たが、オレはかまわず、課税金額がおかしい旨を告げた。まくしたてた。散々オレの話を聞いたあげく、気弱なおっさんが発した言葉は、「今担当の者が不在でして、月曜に再度ご連絡していただくようなカタチで・・」ぶちーキレた。それにカタチってなんだカタチって。「あの、まず今行ったことを担当に伝えて、確認とってから折り返してください」役所が土日働いていないことの不満や、このミスが住民基本台帳という訳のわからないシステムが導入されたことで起こったであろうという確信が一気に怒りのこもった区民の声として行政側に届いたらしく気弱そうなおっさんは、「かしこまりましたでは整理番号おわかりになられますか」と続けたのだった。オレは一息ついてその足でパチンコ屋へ向かった。まだ、午前中だった。朝からパチンコして勝ったためしがない。ジンクスに立ち向かうべく千円札を3万円分投入したが、戻ってきたのは2万7千500円だった。今日は寝ていたほうがよかったみたいだ。
2003.06.20
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東京湾の周辺に何があるのか位置関係が全くわからない。おおよそ月の半分は飯田橋にいて、もう半分は浜松町で仕事をしている。「浜松町」が東京湾に面しているということを、昨日思い出した。知ったのは去年の夏で、駅や仕事場から海が見えるわけではないから、普段はほとんど意識していない。なぜ浜松町が海の近くにあることを思い出したかというと、宴会をどこでしようか、という話になったとき、まず夏らしく「ビアガーデン」はどうかという案が出た。インターネットでビアガーデンを検索しているうちに、バドガールがウエイトレスなところを見つけた。それは水道橋グランドホテルのビアガーデンだったわけだけれども、結局女性は行ってもあまり楽しくないだろうということで却下された。ふと、浜松町から船に乗れることを思い出した。東京湾ディナークルーズ。東京湾の夜景を見ながら、ビアガーデンを楽しんだ思い出が蘇ってきた。竹芝桟橋の日の出埠頭は浜松町北口から徒歩10分。交通機関ターミナルとしての「港」は、駅とも空港とも違う独特な雰囲気が漂っている。待合室には必要以上と思われる椅子や休憩スペースがあり、歩いたり座ったりしている客は出発の時刻がさし迫っているからといって慌てる風でもなく、ただだらだらとビールを飲んだり、横になったりしている。乗船口がどこにあるかわからないし、ある時刻になると急に長蛇の列が出来ていたりする。ノリが掴めない。この列が乗るであろう船が到着してもなかなかゲートは開かないし、出発時刻を過ぎても、だらだら歩く列はまだ船の中に収まらないが、係員に急がされることはない。全体的に、とてもルーズな時間の流れなのだ。ぐらぐらと揺れながら埠頭から離れると、もう方向感覚がなくなる。今どこにいて、どっち向きになっているのかわからない。あたりはブルーがかったグレイから、藍色のような黒に変わってくる。一定のスピードを維持した航海体勢に入ると、潮風が顔や髪の毛を乱す。暗い空を見上げると、何か飛んでいる。最初、異常な数のトンボだかイナゴだかと思ったものは実は、羽田で発着するジャンボジェットだったことに気付く。数え切れないほどのジャンボジェットが虫のように飛んでいて、よく事故を起こさないな、と思ったりする。潮風で顔や首筋はベトベトになり、酔っているのがビールのせいなのか船が揺れてるせいなのかよくわからなくなる。言葉に詰まっても困らない。ただ海や空や街の明かりを見ているだけで楽しい。といった経験をオレは誰かに味わわせてやりたくて、「今度の宴会、船上ディナーにしようよ」ということを提案したら、船酔いするからダメ、とかなんとか言われて即刻却下された。「船で宴会」という企画は、絶対思い出に残ると思うから、この夏、機会があったら企画したい。この日の話し合いでは結局、女性は楽しくないだろうということでバドガールは却下されたし、まだ梅雨が明けていないということでビアガーデン自体ボツになった。「屋形船もんじゃ」も一旦候補に上がったが、笑いではなく違うものがこみ上げてくるかもしれないということで「月島もんじゃ」になった。月島のもんじゃ焼きは確かにおいしいかもしれないが、それほど記憶には残らないだろう。
2003.06.19
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引越しの日程が決まった。7月13日である。ただしこれはオレが独自に決めた日程であり、まだ引越し業者に連絡もしていないから正確には「決まった」とはいえないかもしれない。しかしオレがこの日に引越しすると決めた以上必ずする。今のマンションは14日に解約することにして管理会社には連絡したからもう後には引けないのだ。これからいろいろと面倒な仕事が続く。まず引越しのための見積依頼を出さなければならないしそのためにある程度の荷造りも必要だろう。運び出せるものは先に運んでから本引越しをする予定だからそのための準備も必要だ。電気電話水道ガスの手続きもあるしプロバイダ契約も面倒だ。オレはおそらくインターネットに依存しているからパソコンの無い生活は考えられない。プロバイダ契約が済むまでネットに接続できない空白の日が何日か生まれることが想定されるがそのときの禁断症状に耐えられるかどうかということも不安だ。家具の切替もスムーズに行わなければならない。つまり古い家具を粗大ゴミに出し、新しい家具を受け取る日付を同じに設定するのがベストだということだ。でないと地べたにテレビを置かなければならないし、ベッドがない状態で眠らなければならなくなる。そういったイベントやタスクをエクセルで作ったカレンダーに書き込みプリントして冷蔵庫の扉に張ってはみたけれども、どうも実感がわかない。時間の経過とともに増えつづけた衣類や雑貨や本やCDや調味料や領収書をいちいち整理して箱に詰めたりすることを考えると非常に現実から逃げたくなる。カレンダーによるともう、引越し業者に連絡しなければならない日はとっくに過ぎてしまっている。なんとなく面倒だから、明日でいいやと思ってしまい、ノビノビになっている。明日出来る仕事は今日やらない、というのがオレのポリシーだけれども、そろそろポリシーをまげなければならない時期かもしれない。
2003.06.18
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デジカメで撮った写真を、DPEに持って行って、初めてプリントしてもらった。カシオエクシリムは1.2メガピクセル程度だったから、プリントしても画像はそれほどキレイにならないと思っていた。しかしやはり写真は紙で保存したいから、「どんなもんかな」という意味も兼ねて、フィルムカメラで撮ったものとあわせて、プリントしてもらおうと思ったのだった。DPEの店頭には、コンビニのATMのような装置が2台置かれていた。セルフサービスでプリントの申し込みをさせるシステムだったが、初めてだったこともあり、機械の使い方がわからないふりをして、店のおねいちゃんに使い方を説明させた。ふりをしたというより、本当にわからなくて戸惑っていたわけだが、どちらでも同じことだ。デジタルプリントATMでは、プリント、ROM焼き、プリント+ROM焼きの3種類のコースが選べた。とりあえず最初だしと思ってプリント+ROM焼きにしたが、この選択は正解だったといえる。次に画面には、メモリーカードから取り込まれた画像のインデックスが現われた。1枚ずつプリントの枚数を設定できるらしいが、面倒だったから全部1枚ずつプリントすることにしたがこれは失敗した。80枚の中に、どう考えても必要のない写真が30枚以上あったことに後で気付いたが遅かった。1時間経った。思ったより仕上がりがキレイだったから驚いた。1.2メガピクセルでも、写ルンですなどよりシャープでいい絵で仕上がった。若干色調が淡かったのと、輪郭線の色がほんの少し滲んでいたこと以外は何も問題がなく、フィルムカメラで撮影した写真とは違う感じだったけれども、それが独特の味にもなっていて面白かったし、プリントして正解だった。オレのエクシリムをクビからぶら下げて終始撮影していたのはオレではなく、マニュアル5速のスカイラインクーペを駆るクルマ好きの男だったわけだけれども、彼が撮った写真の6割に小池栄子が写っていた。この写真群を見た嫁は、「カメラマンは、このコのことが好きなんじゃない?」と鋭い観測をした。確かにスカイラインクーペの男は、終始小池栄子の近くにいてシャッターチャンスをうかがっていた。出来上がった写真を見ても、小池栄子だけやたらと写真映りが良かった。話はそれるが、女に「写真映りがいい」とか「フォトジェニックだね」とかいうと、必ず機嫌悪そうに「写真映りだけね」とふてくされられたり、「実物はよくないっていいたいわけ?」と怒られたりして困る。「写真映りがいい」という言葉には、写真の完成度という観点から見て、純粋にモデルとしての女性の美しさを称えているというような意味が含まれているのだけれども、なかなかそうは受け取ってもらえない。ともあれ、小池栄子はフォトジェニックだった。スカイラインクーペの男に直接、「小池栄子好きなんじゃないの?」と聞いたら、「いやいや一番近くにいたから」と茶を濁したが、まんざらでもないような顔になっていた。
2003.06.17
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「凧揚げがこんなに楽しいとは思わなかった」キュートな銀行員はオレに向かってそういいながら、ベースへと戻ってきた。一緒に戻ってきた友人に、「でも絶対明日とか筋肉痛になりそうかも」とも言っていた。確かに、ただの凧揚げとはいえ、運動量は想像以上に激しい。もっと日差しが強く気温が高かったら、汗だくになっていたはずだ。適度な運動により食欲が湧いてきた。丁度バーベキューコンロは網から鉄板に変わり、焼きソバのための具が炒められているところだった。「おい焼きソバまだかよ」椅子に座ったまま凧にも興味を示さず、顔を真っ赤にさせてただの宴会をしていた5,6人の酔っ払いに対して、オレはわざと横柄な口調で次の料理を催促した。この広い公園で、室内にいるのと変わらない宴会のスタイルでいる彼らを揶揄したわけだが、当然冗談だった。「なんだよ、ただ座って待ってるだけのくせになあ」一番いい椅子に座ってふんぞり返っていた男は、となりのおねいちゃんに向かって馴れ馴れしくそう言って笑いを誘っていた。宴会組はもうだいぶ仲良くなっているらしかった。「中村さん、クルマって、オートマですか?」とキュートな銀行員がいった。大抵のレンタカーはオートマだが、なぜクルマのことを気にするのだろうと思って、「そうだけど、なんで?」と聞き返した。「じゃあ大丈夫だ。帰り私が運転しますよ。だから、じゃんじゃん飲んじゃってくださいビール」と銀行員はいった。帰りは運転するから、こころおきなく飲んでいい、ということだった。ありがたい提案だった。行きは、この銀行員の友人をピックアップするため彼女は、友人と我々とを繋ぐジョイントの役割をした。だから買い物組の我々とは別のルートで来ることになっていた。しかし帰りは、行きほどで気を使う必要もなく、すなわちジョイントは必要ない。それにどちらかというと彼女は池袋ターミナルだったから、もともとはオレのクルマに乗るのが正解といえば正解だった。ただそういったことを省いても、オレの代わりに運転を買って出てくれたということは純粋に嬉しかったし、もしかしたらオレとドライブしたいためにそういってくれたのかな、とか思ったりもした。そして車内で2人っきりになったときに緊張してしまうかもしれないとも思った。あるいは二人ではないにしても、クルマを返したあとに「反省会」と称して酒を飲むことになるかもしれないし、そのときに、一度酒が冷めたカラダはもう一度反応してくれるかどうかということも心配の種だった。オートマティックハンドガンのガス銃で空き缶を撃ちぬく遊びは、男に評判がよかった。ランドクルーザーのラジコンを走らせようと思って持ってきたが電池が無かった。興味の無いような顔をして最後まで凧をあげようとしなかった男に、少し安定して飛んでいる凧を手渡したらものすごく喜んでいた。やがて日が暮れた。集合写真を撮り終えると、ちょうど雨がまた降り出してきた。青いファミリアバンの助手席に、沈むようにして座った。運転席にはキュートな銀行員がいる。オレが話し掛けると、クルマが走っているにもかかわらず、わざわざオレの方を向いて返事をするのだった。あまり話すと危険そうだから、少し黙っていた。そしたら眠くなってきた。今、女を抱いて、少しだけ眠れたら最高に幸せだろうな、と思った。
2003.06.16
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男はほとんど雨に打たれても濡れることをさほど気にせず、コンロの炭が落ち着いてくると、まずは手始めに焼鳥から並べられることになった。たまに木の枝や葉の隙間からこぼれ落ちてくる水滴が火に落ちて「じゅう」という音を立てた。いい音だ。野菜を切り終えた女は木陰に並んで立ち、心配そうにコンロを眺めながら初対面の男と会話を交わしていた。通常の合コンと違い、屋外の調理をともなったイベントは会話に困ることはない。言葉に詰まったら天気や食料の具合について意見を述べたり、あるいは無言でも何か仕事をし続けていればいい。「豪雨」と表現してもいい雨脚になって一時は我々を絶望的にさせたが、しばらくすると雨は止んでくれた。風上の東の空が少し明るくなっていて、これは夕立のようなタイプの雨だったことがわかり安堵すると、立ったまま並んでいた女たちが働き出した。女たちはアルミホイルを正方形にカットし、その上にバターを塗った。そしてエリンギだかしめじだかのきのこ類を並べたり、にんにくを丸ごと包んだりしてホイル焼きの準備をし始めたた。コンロでは焼鳥が出来上がっていて、ビールを飲みながら調理していたオレやもう1人の男が1ほんづつつまみはじめるとコンロの周囲は皿を持った若い男女で溢れた。ひとしきり皆に焼鳥が行き渡ると今度は網の上を女たちが用意したホイル焼きが占領した。きのこやニンニクを丸く包み、上の部分を絞ってタマネギのようなカタチになったこのアルミホイルは、「メタルスライム」と名づけられ親しまれた。豚肉の細切れや牛ステーキの網焼きが始まった。バーベキューは焼肉のたれではなく、塩コショウがいい。鉄板ならばそれに醤油をたらすと味が引き締まってなおいい。塩コショウは持ち運びの利便性からアウトドアでは良く使われる調味料だ。焼肉のタレはまず、人の好みにより辛口を甘口の両方を用意しておかなければならないし、皿に注がれたタレに浸す動作が必要であり、ということは左手は皿により塞がれてしまう。右手で箸を持つわけだから、結果両手が塞がれてしまう。これらのことから焼肉のタレは、アウトドアには非常に不向きということがわかる。肉や野菜が消費されてゆき当座の空腹は満たされた。室内ならばとりあえず歓談がてら自己紹介でも執り行われるところだが、男女11名に対して椅子は5しかなく、すでに顔を真っ赤にさせて酔った人からコンロの周辺を陣取ってしまい動く気配は全く無かったし、青いビニールシートはまだ雨で濡れて渇いていなかったから、残りの6名はなんとなく立ったままになっていた。機をうかがっていたオレは、「そろそろ凧でもやろうよ」といってショートスキー用のバッグを開き、凧を出した。「へえ、それに凧入ってるんだ。」客は凧よりもバッグに注目した。確かに、どの凧よりもバッグの方が高価だ。照れくさそうにそのことを言いながら凧を組み立てた。組み立てるといっても後ろに棒を1本通すだけだ。オレは近くにいたおねいちゃんを無理矢理誘導し、凧糸の糸巻き部分を持たせた。この時点でこのおねいちゃんはまるで凧には興味がない風だったし、オレも、確か1度紹介されて聞いたはずのこのおねいちゃんの名前を忘れてしまっていた。しかし凧揚げには名前は必要なかったし、むしろおねいちゃんのやる気もあまり関係なかった。オレはこのおねいちゃんが絶対凧に夢中になってしまうことをわかっていたからだ。オレが凧を持ちおねいちゃんが糸巻きを持った。糸を延ばしながら離れること10数メートル。両手で掴んでいた凧を空へ放った瞬間、おねいちゃんの口は開き、視線はそのまま上へ上へ向かった。おねいちゃんには、空飛ぶ物体をコントロールするという新しい快感が芽生えてしまったようだった。そしてその予想以上の快感の深さに戸惑っているような表情を浮かべていた。「ひっぱって、で、すぐにリリース」とかいうアドバイスを与えることなどで、オレの中にも、このおねいちゃんに新しい快楽を植えつけたという自負や快感が湧きあがった。最初のおねいちゃんの凧を遥か上空50メートルまで揚げ、うまく軌道に乗せたところで、再度オレはベースに戻って新しい凧を組んだ。そして組んだ端からおねいちゃんに手渡してはサポートし、安定するまで見守ってはまた組んで、という作業を繰り返していった。当初は誰一人として凧には興味を示さなかったが、最終的に5機の凧が上空で風に煽られながら制止した状態になると、おねいちゃんたちは皆真剣な表情で、コントロール下の凧を誰よりも高く飛ばそうと競いはじめたりした。やがて我々の仲間はもとより、周囲のバーベキュー客も、灰色の空に舞い上がってなおも上昇し続ける5機の凧に注目し始めた。多くの歓声や羨望に包まれて、凧をコントロールするおねいちゃんたちは緊張した。しかしそれは注目を浴びる者の宿命だ。ステージ上で芸を披露するエンターテイナーが抱く緊張であり、緊張は快楽をともなっている。そしてこの壮大な凧ショーを演出したのはオレだ。その自負心こそ、凧プロデューサーであるオレにとっての快楽なのである。オレはこれから、「タコのひと」として憶えられてしまうだろう。複雑な気持ちだ。
2003.06.15
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王子で女一人、西新井で男一人をピックアップし、北池袋のドンキホーテで食材や炭などの買物をするのがオレの仕事だった。この日のために車を借りた。1日借りて1万円程度。今月はこれ以外に車を使う予定はないから、つまり車にかかる月額は1万円。維持費だと思えば安いものだ。2人を拾ったところで、西新井から池袋まで戻るルートがわからなくなり迷った。道順を示す看板には、上野や川口とは書いてあっても、「池袋」とは書いてなかったからだ。足立区や荒川区あたりの土地鑑は全くなく、普段クルマに乗りなれていないこともあり、ルートマップがうまくアタマに浮かばなかった。それでも午前8時にスタートした青いファミリアバンは10時にドンキに到着した。買物の場所をドンキに指定したのは、激安のブランド品を買うためではなく、もちろんバーベキューのための炭や、レジャーのための道具にこと欠かない店であることも重要だったが、もっと重要なのは「肉のハナマサ」が隣接していて、その建物全体が、複合ショッピングモールになっていたからだった。肉のハナマサは、さまざまな種類の肉がキロ単位で売られているような、いわゆる飲食店が仕入れに来るようなタイプの店だった。10人クラスのバーベキューの食材は、一般のスーパーよりこういった業務用の店の方が割安だし種類も豊富だ。1.5キロの豚肉細切れのパックが千円以下で買えるし、ねぎま20本パックが580円というお買い得さである。我々は買物リストをチェックしながら、カート2台きちきち分の食材を買い込んだ。バーベキューの場所は、「道満(どうまん)グリーンパーク」にした。外環と首都高5号線が交差する美女木ジャンクションあたりの荒川の中洲に、人工的に作られた湖がある。湖の周りの舗装路は自転車用の周回コースになっていて、年に何度か、トライアスロンの大会が開かれたりする。普段は子供の遊び場や、バーベキュー広場として開放されていて、誰でも自由に利用できる。最初は、実績のある戸田橋あたりでやることを提案したが、より快適にというか、風景とか芝生とか清潔なトイレとか、環境的な気持ちよさを考慮して場所を選んだら、ここになった。オレはバーベキューなど、屋外ならばどこでやってもいいと思っている。ところが、バーベキューを禁止している公園があったりするから、まずここでバーベキューをしていいのかどうかを気にすることがある。戸田橋付近の河川敷の場合、周囲ではサッカーや野球やサイクリングなどは行われているけれども、バーベキューを楽しむ人はまずいない。たとえオレが戸田橋でバーベキューをやろうといって若い男女を連れてきたとしても、「えーホントにここでやっていいのかな」と心配する奴があらわれる。心配ごとを抱えたまま肉を食ってもおいしくない。だから、誰か他に同じことをやっているような場所、例えば「バーベキュー広場」とかなんとか書かれた場所を、最終的には選んでしまうということになる。火やゴミの始末もろくに出来ない若者がバーベキューをしてきたからこのようにバーベキューは迫害されているが、若者に説教するつもりもないし、若者を怖がって放置しつづけてきた大人を諌めるつもりもない。ただオレは、火の始末もゴミの始末もできるスキルを持っているから、どこでバーベキューをやってもいい、とそう思っているだけだ。現地、道満グリーンパークに到着した。途中1度雨に降られて、車内には重い沈黙が流れたが、駐車場で他の仲間達と合流するころになると雨は上がってくれて安心した。いつもネクタイを締めている仕事仲間の、見慣れない普段着を見て笑顔がこぼれそうになったが、うすら笑いで止めて、余裕感を演出しながら車から降りた。見慣れないおねいちゃんが、3人いた。このイベントは、我々システム屋と、銀行のおねいちゃんとのコラボだった。「ひとついいですか?」と質問してくるときに立てる人差し指の反り具合が、たまらなくキュートなあの銀行員のおねいちゃんである。この企画は、そのおねいちゃんが、「本部」からよりすぐりの同期を連れてくるといい、オレが社内からよりすぐりのいい男を連れてくるといったことで成立したイベントである。その話が成立した時点でオレの仕事の半分は終わったといっていい。あとはセオリー通りに進行させてゆけば、自動的にイベントは成功するから、計画段階、いわばイベントデザインは工賃に含まれない。残りの半分の仕事は何かというと、雨が降らないように祈ることや、もし当日雨が降ってしまった場合にオレがどういった立ち振る舞いをするかとか、どんなことがあっても、客により気持ちのいい時間を送ってもらうための配慮を怠らないことだ。そうしてこの企画が成功したならば、次回や次々回へと続く足がかりになる。もはやオレはこの時点で、将来をも見越して行動していた。3人いた見慣れないおねいちゃんの一人は、小池栄子に似ていて、もう一人はアメリカ人のような顔をしていた。さらに最後の一人は非常にゴージャスな顔つきで、丈が短く、胸元の甘いTシャツを着ていてオレの目をクギ付けにした。丈の短いシャツと腰の浅いGパンの間から見える腰は腹の類は微妙に悩ましい肉付きをしていた。クルマから広場へ荷物を運ぶためにかがんだりしたときに見える腰の地肌の部分の幅は20センチを裕に超えたが、裾をひっぱったりして隠すといったそぶりは全く見せなかった。これは我々男どもに対するサービスと受け止めて間違いはなさそうだと思ったが、誰も露骨にその女の腰や、甘い胸元に夢中になっているような感じではなかったからオレも右にならった。青いビニールシートを敷いた。男はコンロを組み立て、火を起こし炭をくべた。女はナイフとまな板で、野菜をカットしはじめた。誰が指示するわけでもないこの役割分担は、どこのバーベキューへ行っても変わることはない。オレは火にも、野菜にも関与しない。何をするかというと、ビールを配り、椅子に座り、枝豆を用意する。そして誰よりも先に、飲み始める。仕事をしている人がいるのに、肝心の客がいなければバランスが悪い。だからオレはいつも、客を演じる。客がいることで、火を起こしたり野菜を切ったりしてる奴にモチベーションが生まれる。だからオレはいつも、「客」という仕事に徹することにしている。腰を露出しているおねいちゃんは、青いビニールシートに正座して、とうもろこしを手でひねり折っている。一番太い部分を折ろうとしてダメで、近くにいた若い男に、「あーんこれできない。やって。」とも言ってるようだ。キュートな銀行員はリーダーシップを取って効率的に仕事を進めている。2本あるナイフを持っているのは、キュートな銀行員と、小池栄子だ。小池栄子の胸元も甘い。オレのエクシリムを持ってキャメラマンを自称している男は小池栄子を好きになってしまったようだ。彼女のいる周辺に向かって、しきりに撮影している。やがて炭に火が回り、そろそろ焼き始めようか、ということになったとき、オレの頬に、嫌な感触の水滴が襲いかかってきた。「あれ、やべ、きた?」「大丈夫。風流れてるし、雲薄いから、すぐ通り過ぎるよ。」楽観的な観測が相次いだ。この時点で小降りな雨を、気にしない振りをしながら皆は仕事をしていた。ところが、仕事を中断せざるをえないほどの雨が降ってきてしまった。せっかく火を起こしたコンロを消すまいと木陰に移動しなければならないほどの雨だった。やがてビニールシートを半分に折って、野菜カットチームのためにテントをしつらえた。周囲を見渡すと、タープやテントを張った豪華なバーベキューグループしかおらず、雨に降られて困っているのは我々だけなような気がした。オレはなかば開き直り、雨粒が入ったビールを飲み、湿ったタバコに無理やり火を付けたりして、濡れることを楽しんでる様子を仲間に刷り込もうとしたりした。野菜は全てカットされ、大量の肉はパックが開けられていた。木陰に移動し、辛うじて火が保たれたコンロ。立ったまま傘を差し、不安そうに火を見つめるおねいちゃんたち。「これもいい思い出だよ」と楽観的な面持ちの男ども。オレもそれほど気にしてはいない。止まない雨は無いからだ。風呂上りのような髪の濡れ方になりながら、ビールを飲んだ。開き直るより他に、仕様がない。
2003.06.14
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広島からはるばるやってきた杖レとかいうふざけた名前のふざけた奴は、相変わらず暴力的な存在感を示していたけれども、オレはなんの障害もなくリラックスして話していたし、奴も遠慮なしにオレの後ろ首を噛んだ。1度目や2度目に会ったときと何も変わらなかった。宴会の最後のほうで、オレが奴の「鼻」を噛み返そうとしていささか激しいバトルになって、壁にかかったポスターがずり落ちたことで、杖レはオレが本気で怒ってしまったと思ったかもしれない。思われたとしても、思われなかったとしても、どっちでもいい。オレは杖レの「鼻」に噛み付きたくて、渾身の力をこめたがなしえなかった。途中オレと杖レがもみ合っているときに、人が通ろうとした。オレはそいつを通させようとして少し力を抜いて壁に身を預けた。しかし通ろうとしていたそいつは、ものすごく迷惑そうな顔を崩さなかった。「お前らは迷惑なんだよ」ということを、おれが教えてやるぞ、というような顔をしていた。オレはキレた。キレたが、すぐに誰かに止められた。その後も杖レの鼻を目指した。ものすごく本気な力を込めたつもりだ。結局杖レの鼻は、噛めなかった。でもなんとなく、気持ちよかった。友人とは呼べない間柄だったといったのは間違いだったかもしれない。
2003.06.13
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梅雨だ。このごろ天気には神経質になっている。というのも土曜に、「凧揚げ+バーベキュー」というイベントが控えていて、必ず晴れてくれないと困るからだ。プロジェクトメンバー一同は、客である銀行員のおねいちゃんを迎えるために、綿密な計画を立てた。まず誰がクルマを出すのかということと、誰がどういうルートで誰を迎えに行くかとか、待ち合わせのための場所や時間も1人1人設定して、現地には何頃着くかなどといったクルマの手配から始まり、バーベキューだから、コンロは誰が持っていて、包丁やまな板は誰が持ってきて、肉や野菜や調味料といった食材を買うのは誰なのかということも考えたし、もし雨が降ったときのリスクヘッジとして替わりにどんなイベントがいいかなど危機管理も怠らなかった。机上では、カンペキな計画だと思う。これだけの労働力を使って計画を立てたのに、もし当日雨で計画を行使できなかったら最低な気持ちになるだろう。だから、晴れてもらわないと困る。現在、雲が切れて「晴れ」といってもいい曇りだ。さいわい明日の予報は、曇りは最低でも昼までキープされるらしい。夕方まで続いてくれるとありがたい。今日(13日:金曜)は広島から友人がやってくる。いや、「友人」とは呼べない間柄かもしれない。確かまだ2回しか会っていない。正確には、「友人の友人」と説明するのが正しいのかもしれないが、まだ2回しか会ってないことが「友人」と呼べない理由ではない。1度しか会ったことのない「友人」もいるからだ。広島くんだりからはるばるやってくる彼を迎えるために、東京に住む仲間たちが大勢集まることになっている。オレも快く迎えたいから、なにか土産でも買っていきたい。「東京タワー温度計」がいいと思ったが、今から買いに走るのもちょっときびきしい。東急ハンズで凧を買うついでに、なにか気の利いたおもちゃがないか探してくるつもりだ。彼と会うのはこれで3度目だ。会った回数は親密さとは無関係だが、なかなか会えない友人と会った回数をカウントするのは重要なことだ。1回目は大阪で、2回目は東京で、といったように、カウント数だけで、場所や日時や周囲の状況がよみがえってくることがある。ただし、5回以上だと難しい。明日は朝早いから、今夜はあまり遅くはなれないが、歓迎してないわけではない。
2003.06.12
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2年か3年前、会社の女のコと仲良くなった。同じプロジェクトで仕事をしていた女のコがいて、そのプロジェクト自体結束が固かったというか、その女のコが行動的だったからということもあってか、休日にキャンプをしてみたり、浴衣を着て花火大会へ出かけたり、あるいは温泉旅行へ行ったりしていたことがあった。男子5人に対して女子のメンバーはそのコ1人だったから、女の数が足りないということで、そのコの同期や、学生の時の友人が呼ばれることになり、イベントにはよく、キレイなおねいちゃんがやってきた。男どもは当然、大喜びだった。オレが仲良くなったのは、同じプロジェクトの女のコではなく、彼女と同期のコのうちの1人だった。スリムで背が高く、エレガントなファッションの知的そうなコだった。メールを交換するうちに、飲みに行こうという話を切り出したのは、オレではなく向こうからだった。断る理由は何もなかったから、新宿で知る限り一番お洒落な店を予約したり、ホテルの最上階のラウンジで生演奏を聞かせながらカクテルを飲ませたりしていた。グループ的な付き合いに加えて、そういった秘密のデートを何度かしていたから、親密になるまでにそれほど時間はかからなかった。やがてプロジェクトが解散し、1人だけいた女のコと疎遠になると、グループ的なイベントは無くなっていった。かつてメンバーの1人だった男は、解散する前の「いい状態」を忘れられず、水面下で連絡を取り合って再度イベントを企てようとしたが、解散したプロジェクトに人を集められる効力があるはずはなく、それでも何度か宴会をしただけだったが、テンションは低くなった。やはりプロジェクトは、解散と同時にすっぱりと忘れるのが正しいというオレの理論が証明されたわけだ。その親密になった女のコとも次第に疎遠になっていくのだが、オレが客先へ常駐することになって物理的に離れてしまったからというのが疎遠になった決定的要因だった。そのコとはもともとフロアが違って毎日顔を合わせていたわけではなかったが、職場が離れたら全く顔を合わせるということがなくなった。次第に会ったり、連絡したりする理由がなくなっていった。1年前に、今いるビルに戻ってきた。彼女が一つ上の階にいることは知っていた。「なっちゃん上(のフロア)にいるよ」とオレに教えてくれたのは、プロジェクトの遊びイベントを取り仕切っていたあのコだった。親切なのか、裏があるのかはよくわからなかった。そして彼女の名前はなっちゃんといった。それから数回顔を合わせたが、軽く会釈するか挨拶するかといった程度の関係でしかなかった。社交辞令として「また飲みに行こうよ」という内容のメールを送ったり、「じゃあ今の仕事終わったらいきましょう」というような返事を受けたりしたが、話はあまり進まなかった。話が進まないということは、意欲がないということだから、オレもそれ以上深く誘うといったようなことはしなかった。そして1年が流れた。今日、タバコを買って戻り、フロアの扉を開けようとIDカードをかざそうとした瞬間、向こう側に人の気配がしたからオレは避けた。扉が開いて、出て行く人を待ってから入ろうとして、体を横にそらした。見慣れない女だった。女はゆっくとした動作で扉から出そうになって、やがてものすごくゆっくりな動作になった。オレが待ってるのに、なぜ早く出てくれないんだろうと思って顔を見上げると、なっちゃんだった。久しぶりだった。向こうも不意にオレの顔が現われて驚いたかもしれない。一言も言葉を交わす間もなく、0.6秒視線を絡めただけですれ違って行ってしまった。そのときの、なっちゃんの視線は、とてもエロティックだった。席に就いて仕事に向かっても、その少し上気したような潤んだような、妖しくもつれるような波形の視線が気になって気になってしょうがなくなり苦しんだ。しばらく苦しんで身動きとれずに妄想が膨らんでいたその時、メールが鳴った。
2003.06.11
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金に関して、割と無頓着なほうだと思う。漠然と、貧乏だけにはなりたくないとは思っているが、今そこそこ不自由なく暮らせる程度の金は稼いでいて、これ以上稼いだとしても、使い道はない。1千万プレイヤーにはほど遠いが、月給十数万で、次の給料日まで切りつめなければならないほど、困っているわけでもない。つまり今の状態に満足しているといえば、している。確かに、「給料倍にする」と言われたら嬉しいかもしれないが、ギャンブルに負ける回数と風俗に行く回数が多くなり、酒や食事が豪華になる程度だろう。貯金も少し増えるかもしれないが、額面だけ見てニヤニヤする趣味はない。給料が2倍になれば、そういう「プチ豪華」な生活ができるかもしれないが、ただそれだけのことで、あまり嬉しい感じがしない。給料が2倍になっても、生活スタイルが割安感に満ちあふれているからなのかもしれない。給料が2倍になったときの生活はイメージできる。ところが、給料を2倍にするために何をすればいいのか、全くわからない。単純に、倍の時間働けばいいということではない。今毎日8時間働いているとして、倍の1日16時間働くことにすれば、確かに給料も倍になるかもしれないがしかし1日16時間働いて、給料が倍というのも割りに合わない。しかも残業代がかさむということは、会社にとって不利益なことだから、ある日突然クビになってしまうかもしれない。また、人の倍のスピードで仕事をこなしても、給料は倍にはならない。スピードが倍ということは、同じ時間でこなせる仕事量も倍なのに、ひとりあたまの単価は、それほど変わらない。3倍仕事をこなしたとしても、3倍プレイヤーの単価は、3分の1の人の1.5倍にもならない。道路や建物を造るときに見積もられ設定される費用の中には当然、人件費も盛り込まれていて、その人件費が一番高価だから最終的に莫大な金額になるわけだけれども、例えば柱を1本立てる場合に何人がかりで何日かかるかといったように細かく割り振って、1人あたまに換算した場合の人件費は、ほぼ常識的な額面になる。ただそれが給料に直結するわけでは決してなく、一旦会社の売上として計上されたあとに、会社としての利益分や雇用のための経費を差し引いた額が、給料として手元に渡ってくる。「一般的な生活」をするために過不足のない金額は、常識的な概念として存在してるか、もしくは誰かが決めたことだけれども、それから大きく外れたような設定になることはまずないといっていい。だから2倍働いても、2倍の報酬はもらえない。別にそういうシステムを悲観しているわけではなくて、つまり何をいいたいのかというと、収入が向上する見込みがなく、かつ現状のままで満足している場合、仕事に対して向上したいという意欲も、薄れてしまうということだ。不自由なくあるいは過不足なく暮らすことを目標にしてきたからこそ、そうイメージしてイメージに近づくように努力して今に至ったが、行き詰まった。行き詰まったということは、もう先のイメージが全然見えなくなったということでもある。一番ヤバいのは、そのことに対してオレが危機感を抱いていないということだ。さて仕方がないから、豪邸に住んでベンツに乗り、遊んで暮らすイメージを思い浮かべてみようかな。
2003.06.10
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現在、6月10日火曜、午後3時45分。仕事中である。正確には、仕事の時間中というだけであり、これを書いているということは、会社の利益に結びつくような生産性のともなった行為という意味での、「仕事」はしていない。2時ぐらいから今まで、睡魔が断続的に襲ってきてオレを苦しませた。エクセルなどの画面が開いているようなパソコンに向かっているから、仕事に対する意欲が全くないわけではないのだが、あまりにもひどい眠気だったため、昼はほとんど何も進んでいない。眠い理由は判っている。昼食のあと、昼寝をしなかったからだ。一応寝ようとはしてみた。しかし眠れなかった。その、眠れなかった理由も判っている。なぜ眠れなかったのかというと、心配ごとがあるわけでも、エッチな想像をしてしまったわけでもない。朝食を、抜いてきたからだ。朝食を抜いた状態で昼食を摂ると、急激に血糖値が上がる。血糖値が上がるにつれて体温も上昇する。案の定、食後うっすらと額に汗をかくほどになった。12時30分、いつもの昼寝の時間だ。椅子を低くし、リクライニングを倒す。腕組みをして、デスクに向かったまま首をもたげる。目を閉じて、5分か10分経過すると仮眠状態に入る。いつもは、そうやって昼寝をしている。ところが今日はまず、いろんな想像が頭に浮かんできてしまった。脳が活発に働いているらしい。急に血糖値が上がったからだろう。次に、カラダが熱くなってきた。背中や首のあたりがチクチクしてきた。目をつむったまま、掻いたり擦ったりした。また腕組みの体勢に戻り、眠りにつこうと試みた。だめだった。だから、寝るのをあきらめた。そのせいで、午後はずっと睡魔に苦しめられた。しかし、これを書き始めてから15分が経過しようとしているが、だいぶラクにはなってきている。現在、午後5時半。いわゆる「定時」。ぽつぽつと、上着を着てカバンを持ち、あわただしく会社を出る人もいる。オレは朝、30分程遅れて出勤するから、定時きっかりには帰れない。たとえ定時で帰ったとしても、誰にも咎められることはないだろうけれども、なんとなく、7時ぐらいまでいることが多い。7時ぐらいに仕事が、きりのいいところまで上がったら、帰ることにしている。7時から仕事を始めると、9時や10時になってしまう。早く帰っても特になにもすることはないが、そろそろ夕飯を食いたくなる時間。毎日9時までガマンするのは、つらい。最近家で、何をしているかというと、ゲームをしている。飯を食って、皿を洗ったあとに、いつもゲームを始める。11時から0時か、あるいは1時ぐらいまで、「ギャロップレーサー6」というゲームをしている。競馬のジョッキーになったプレイヤーは、調教師の依頼を受け騎乗する。優秀な成績を残すと信頼を得て、いい馬に乗れるようになるし、ビッグレースにも参戦することができる。技術を磨いて成長し、勝利数やタイトルを獲得しながら実績を積み重ねて、一流のジョッキーを目指すというゲームだ。結構、楽しい。
2003.06.09
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クルマの中で何を聴くかというと、ラジオだ。昔はJ-POP中心のNACK5(ナックファイブ:79.5MHzだから)が多かったが、今はJ-WAVE(ジェイウェイブ:81.3MHz)が多い。より会話が少なく、軽快な音楽を流してくれるチャンネルを選ぶとそうなる。この場合、演奏されている曲目はなんでもいいが、できれば「言葉」を意識しなくていい英語の曲だとありがたい。ただ日本語詞の曲でも、歌詞はほとんどアタマに入らない。今はクルマを持っていないから、ラジオを聴く機会は、まるで無くなったといっていい。考えてみると、ラジオはクルマの中でしか聴かない。そう言った意味では、本は電車の中でしか読まない。ハマった本だと、気になって気になって仕方なくなって、夜更けまで読むこともたまにあるかもしれないが、本のページを最初から開くのは必ず、電車の中だ。だからもしオレが、全く電車に乗らなくなったら、本を読むという習慣もなくなるだろう。郊外に住んでいたときは、クルマが無いと不便だった。「ハチロク」というクルマを先輩から譲ってもらった。走り屋たちが好んで乗る車種らしいことは、もらったあとに気付いた。「なに乗ってるの?」「古いトレノっす」「へぇ、結構、改造してるの?」必ずそういった会話になった。「ハチロク」の商品名は「レビン」だったが、この年式のレビンはレビンではなく、「ハチロク」と呼ぶのが正しいらしい、ということを何度も聞かされるうちにオレも、「ハチロク乗ってるっすよ」と誇らしげに言うようになった。しかしオレは走り屋でもメカマニアでもなかった。どちらかというと安全運転だし、ボンネットを開いても何がなんだかさっぱりわからないし、わかろうとする意欲もない。話がそれてしまった。つまりオレにとってクルマは、男のロマンでもステイタスシンボルでもなんでもなく、単なる交通手段であり、生活を便利にしてくれるためのただの道具だということだ。ハチロクから四駆の「ジャズ」に乗り換えたがすぐに手放してしまった。それ以来、クルマは所有していない。クルマを所有するコストが、利益に繋がらなかったからだ。だからオレはクルマに乗らなくなった。だからラジオも、聴かなくなった。小型のラジオを買った。名刺サイズで、胸のポッケに入れても重くない。たぶんマイルドセブンのエクストラライトより軽い。買ってみて始めて気付いたが、ラジオは日常生活では必要なかったのだ。ふと、自転車通勤をしているときに、胸ポケットに入っているラジオを引っ張り出してみた。片手で操作できる。左耳に、イヤホンを刺した。J-WAVEが流れてきた。ペダルを漕ぐためにオレの足は絶えず回転してるが、まるで深夜の中央道を走っているような気持ちになった。女の声で、聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。「ひどく淡い、色の薄い夢を見た」とかそういった内容だったと思う。「口づけを交わそう」ともいっていた。もとは、オリジナルラブというグループの曲だったかもしれないと思った。「色の薄い夢」という言葉が、心に残った。
2003.06.08
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「人を見た目で判断しちゃいけない」とよく言うが、果たして本当に、見た目で判断しちゃいけないのだろうか。薄汚れた身なりをして浮浪者に見える痩せた男に、金を稼いで豊かな暮らしをしたいという経済的な感覚があるとは到底思えない。チェックのシャツの裾を安物のジーンズにきっちり収めた痩せたメガネの男はきっと、アニメと秋葉原が大好きなはずだ。日曜に子供を抱いてドンキホーテに来る親子連れはきっとオデッセィを買っても何をしていいかわからず、とりあえずバーベキューでもするかということになってコンロを探しにやってきたついでにアディダスのTシャツを買ってしまうに違いない。たいして似合っていないのに、どうこれ似合う?ああ結構いいじゃんなんてなクソつまらない会話をしているに違いない。といったように、ファッションや顔つきやスタイルなどの「見た目」は、人の生き方を象徴している。「男の顔は生き方で決まる」というセリフがアタマの中に残っている。友人のこすりつけ最高が言っていた言葉だが、元は北斗の拳だかの主人公が言ったセリフらしい。そういわれてみればそうかもしれない、と思う。新しい出会いがあったとして、第一印象「あ、怖そうな人かな」と思ったとする。でも話していくうちにだんだん打ち解けてきて、「最初怖そうな人と思ったけど全然違って、実は優しい人なんだ」ということが解ってきたという話もよく聞く。しかし、「実は優しい人」という判断自体、間違いだ。自分を対外的に、優しそうに見せることは割と簡単に出来る。自分を優しそうに見せておいた方が会話がスムーズに進行するし、恋愛においてもおそらく有利となるから、人に優しく接する、という技術は経験とともに身についてくる。しかし荒い気性や暴力的な体質は、血に染み付いているいわば血統のようなものだから、「優しい」技術でカバーはできても、本質的な部分は変えられない。ファミレスの従業員には、兵士のような顔つきの男はおそらくいない。工事現場に、事業部長のような風格を持った男は存在しない。「運転手の青木」はいつも丁寧な物腰だし、「まかないの平田」は猫背の小男だ。金曜の宴会。オレが見た目だけで、こいつとは一言も話したくないな、と判断した男がいた。色白のメガネの出っ歯で、唇の端に唾を溜めながら話しそうな痩せた男だ。仲間の誰もが、そいつの方を見て話そうとはしなかった。オレは今度新しく入ってきたおねいちゃんと、もう一人の男と、ヒモパンの脱がし方について討論していた。左側のヒモだけ外した状態が最高なんだよ。えどうして?右利きだからだよ、それでもずり落ちるか落ちないかの、微妙なところでとめる。え待って待って、ヒモパンといえどもヒモを外さずにちゃんと脱がすべきだろ。でも知ってました?水着でヒモになってるやつあるじゃないですか、あれ飾りなんですよ。え、マジ?なんちゃってなわけ?そうなんです。あのヒモほどけないんです。というようなバカバカしい会話をしていたとき、一瞬会話が途切れてしまった。なんとなく罪悪感にさいなまれて、メガネのオタクくんに一言二言話題を振ってみた。そいつはニタニタ笑いながら、「そんな話急に振られてもこまりますよ」としたり顔で言ってのけた。ヒモパンの話は、そこで終わってしまった。つまり見た目が最悪な男は、話しても最悪だということのサンプルだ。
2003.06.07
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金曜。宴会があった。プロジェクトチームに新しく入ったメンバーの歓迎会と、抜けるメンバーの送別会だ。このプロジェクトも、30名に迫る勢いでメンバーが増え続け、大所帯になった。プロジェクトといっても、一つの仕事にたいして全員で取り組むわけではなく、細かい案件を、一名から数名のまとまりになって並行的に処理してゆくから、案件が終了すれば人はいらなくなるし、また新しい案件が発生すれば人が必要になる。そういったスタイルでプロジェクトは進行しているから、当然人の増減も頻繁に発生する。「歓送迎会」という名目の宴会は、平均して月1回のペースで行われている。この歓送迎会以外にも、案件終了時点には「打ち上げ」があるし、何の名目もない、「ただの飲み会」もあったりする。今週は、水曜と金曜に宴会があった。金曜の朝、なんとなく胃が荒れている気がした。昼には大正漢方胃腸薬を飲んだし、5時半過ぎには飲むヨーグルトを飲んで、胃に壁を作っておいた。それでも、胃酸過多な感覚はおさまらなかった。水曜の宴会のダメージが、まだ残っているような感じだった。このところ胃の調子が悪い。食ったものがいつまでも胃に停滞しているような気がする。今日は土曜。夕方までうまく動けなかった。昼におにぎりを2個食ったが、それを消化する能力がこの日の胃にはなかった。アミノサプリを2リッター買ってきて、ビールの替りにがぶ飲みした。枝豆があったからついビールに手がでてしまったが、飲んだのは1本だけだった。晩飯は、そうめんだった。深夜0時を過ぎて、ようやく落ち着いてきた。暴飲暴食は少し控えようと決意したが、果たして憶えていられるかどうか。
2003.06.06
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今週から、自転車通勤を再開しようと思い、決意をこの日記にも書いた。1週間のうち会社が営業しているのは5日だが、結局その5日のうち、自転車通勤できたのは、たったの2日だけだった。月曜は、客先へ行くかもしれなかったから電車にした。結局客先へ行くことはなかった。ものすごく天気がよくて、自転車でこなかったことを少し悔やんだ。ここで決意表明をしたのもたしか月曜だったと思う。幸運にも火曜は晴れた。決意表明をしてしまったし、雨も降らなかったから、自転車通勤しないわけにはいかなかった。全く自転車に乗っていないわけではなかったが、会社まで無事たどり着くのかどうか少し不安だった。ズボンの裾をゴムバンドで留めて、漕ぎ出した。ネクタイは、カバンの中。カバンは、前カゴの中。住宅街の一方通行を逆走し、山手通りへ出る。山手通りはいつも工事中。地下に車道を埋めるための工事。車道を地下に隠して、地上には花を植えるらしい。石原都知事によるプロジェクト、「東京パリ化計画」。山手通りを左折し目白通りに入り、飯田橋を目指す。比較的自転車が走りやすい道。JR目白駅の、客待ちのタクシーが並ぶ列。乗降のため2重停車するタクシーとのわずかなスペースを、すり抜ける。よくぶつかりそうになる。ぶつかることもある。怒鳴られたら、逆ギレする。目白通り沿いにの田中真紀子邸には、報道陣が、たまにいる。報道陣を監視する警官もいたりする。その前をかすめるのだが、なぜか緊張してしまう。フォーシーズンズホテル椿山荘を過ぎたところの急な坂を下ると、江戸川橋。ようやくカラダが暖まってきたころ、会社に着く。水曜も自転車で会社に着たが、昼過ぎから雨になり、夜中まで止まなかった。宴会があったこともあり、会社に自転車を置いて帰った。木曜は電車で会社に来て、自転車で帰った。昨夜降り続いた雨に打たれて濡れたオレの自転車は、すっかり乾いていたどころか、泥や埃が雨に流されて、ピカピカになっていた。こういうのを、「怪我の功名」と言うんだっけか。違うかもしれない。ただ、「怪我の功名」って言ってみたかっただけかもしれない。
2003.06.05
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6月1日は、衣替えの日じゃなかったか。今はどうかわからないが、以前はNHKの昼のニュースか何かで、夏服を着た街のおねいちゃんや、薄い色の制服を着たOLを映し出したりして衣替えの時期到来をアナウンスしていた。確か学校でも、制服の上着を着てこなくてもよくなるのが6月1日からだったはずだ。「衣替え」という言葉を聞かなくなったのはいつからだろう。NHKのニュースを見なくなったから、アナウンスされていることを知らないだけなのかもしれないし、制服を着ないから、あまり意識する必要がなくて気にしていないだけかもしれない。ところで、今日は暑い。こりゃ夏だな、と思いカレンダーを気にしたところ、6月だった。暦の上では、なんとなく夏になっている。今日から、上着を着ずに仕事へ出かけることにした。夏に上着を羽織って出かけても外は暑くてすぐに脱いでしまうし、電車や会社の中ではいつもワイシャツだけになる。空調が、上着を着られない温度に設定されているからだ。最初から最後まで上着を着ることがないなら、最初から持ち歩かないほうが合理的だ。だから夏は、上着は着ない。街を歩く女も、薄着になってきている。白いワンピースがやたらと目につく。やたらと目につくのは、白が眩しいからなのか今年の流行だからなのか、あるいはちょっと生々しくて目を奪われているからなのか原因はよくわからない。おとといだったか、白いワンピースを着た女の、水色のパンツが透けて見えたときはびっくりした。何か得したな、と思ったと同時に、透けてることに気付かないのだろうかというような余計な詮索もしてみたりした。とにかく今年の夏は、白いワンピに釘付けである。会社が、ノーネクタイでよくなるのが6月からではなく7月からだ。すでにネクタイを締めているだけで息苦しい気温になってきたが、7月までガマンしなければならない。夏にネクタイを締めなくていいのは非常に合理的だしありがたいのだが、ワイシャツにネクタイがないスタイルは、ものすごくだらしがない。機能性を重視するか、ファッション性を重視するか、毎年悩みの種ではある。去年の夏から、オレが所属している事業部にだけ、「カジュアルエブリディ」という制度が導入された。「カジュアルフライデー」とはよく聞くが、それの毎日版が、カジュアルエブリディだ。ただし客先に行くことが多い我々は、カジュアルで出社しても急に客先へ行かなければならないことがある。わざわざ着替えたりするのも面倒だから、いつものネクタイ姿で出社することのほうが多かったりする。といったように、毎年この時期になると、服についてよく悩む。そういった意味で、特にこの時期の女性はうらやましい。
2003.06.04
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ワイシャツは2回着る。ただ2日連続だと貧乏くさいから、1日置いて違う色を見せて、一昨日着たシャツを着る。金曜はよく宴会があり、酒気にまみれるから1回として、週に3枚あればいい。20代前半のころから貫き通してきたライフスタイルだ。ところが、ワイシャツは2回着るものではないらしいということを知った。というのも先日の宴会で、ある男のワイシャツの素材の話になった。その男が着ているワイシャツの生地や色や模様が珍しいからだった。誰かが、「独身なのに週に2回同じのを着てくるってことは、誰か洗ってくれる人がいるんじゃないかと思ってるんだけどね」と、女と一緒に暮らしているかもしれないという少し踏み込んだ推測をした。オレはその男が女と暮らしているかもしれないということには全く興味がなかったが、違う言葉に反応した。それは「2回同じのを着てくる」だった。オレがごくあたりまえのように、「え、ワイシャツって2回着ない?」というと座は一瞬沈黙した。「え、2回着るの?」と3秒後にようやく誰かが口を開いた。オレの方針を真っ向から否定したいような苦々しい顔つきだった。それでもオレは負けずに、「うん、2回着る」と自信たっぷりに言ってみたが、周囲の視線が急激に冷ややかになって行くのを感じ、オレはどこを見ていいのかわからなくなり始めていた。3枚ぐらいしか持っていないというわけではない。数だけなら20枚以上持っているが、色や柄が変遷する好みや流行に合わなくなり着なくなったのを除いても、10枚は確保している。ワイシャツの下にはTシャツを着ている。それほど汚れるとも思えない。1日着ても、糊付状態はキープされている。それなのにまたクリーニングに出すのはもったいないとも思っている。そういった意味では、貧乏性なのかもしれない。さすがに夏は汗をかくから、1日で交換するけれども、ズボンは常に肌に触れているにもかかわらず割と何日も履くから、それに較べたらワイシャツを2回着るぐらい、許されてもいいはずだ。そうやって力説したが、オレと同じように2回着る奴はひとりもいなかった。仕事や遊びで泊まりになり、家に帰れない日の翌日でも、新しいシャツを買うという人もいた。それほど「2回着る」という行為は、最低らしい。だから今週からはちゃんと、1日1枚を励行している。いくら汗をかいても、平気だ。誤解されると困るから言っておくと、下着や靴下は、ちゃんと毎日替えてます。
2003.06.03
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このごろ少し太った。体重はおそらくベストから1kgも増えていないが、体感的に腰の周りの肉量が増えたような気がする。具体的には、ベルトを締めたとき、今までは指2本入っていた隙間が、今や指1本も入るかどうか。しかし少しぐらい太ったからといって危機感はあまりない。ダイエットをしようとも思わない。ただ、このまま年に何kgかずつ着実に増え続けるのはヤバいから、少し成長のスピードがおさまって欲しいとは、なんとなく思っている。そういえば最近自転車通勤をしていない。仕事が忙しかったことや、現場が遠かったこと、あるいは雨が降り続いていたことなどから、このところ自転車に乗らない日が多くなっていた。少し太ったのは、きっと自転車に乗らなくなったせいだろうと、オレは思い込んでいる。自転車通勤を再開させれば、脂肪は燃焼されて、もとのスリムなカラダに戻る。はずだ。明日から、また自転車通勤をしようと思う。いつものことだが、こうやって考えを言葉にしてからでないと、行動できない。思考の結果が言葉になり、言葉は再度思考に影響する。「○○しようと思う」と周囲に宣言するということは、自分に言い聞かせるということでもある。思考を重ねて最終的に打ち出した結論、つまり対外的に発する言葉のその反響が自分自身に影響することで、ひとりマインドコントロールを行う。そして自分のカラダが自動的に動くようにする、というこれは技術だ。そうしないと、思考はなかなか行動に結びついてくれない。急に思い出したが、「ねえ、わたしのどこが好き?」と聞きたがる女は困る。女のその手の質問に対する男側の正しい答えはおそらく、「近くにいたから」とか、「お互いに好き合っているほうが恋人同士として合理的だから」などだと思う。しかし「ねえ、わたしのどこが好き?」と聞きたがる女がどういう回答を望んでいるかというと、「キレイだし優しいし、一緒にいて楽しいし安心する」なような言葉だろう。間違っても男は、「おっぱいがでかいから」とか、「サービスがいいから」などと言ってはならず、アタマをフル回転させて彼女の長所を並べることになる。考えた挙句の男が例えば「可愛いから」という言葉を発した。自分の口から出た言葉は、女に伝わるのとほぼ同時に、自分自身の意識にも働きかける。「彼女は、可愛い」という意識だ。何度も繰り返して聞かれることにより、可愛いということを刷り込まれる。「ねえ、わたしのどこが好き?」これはただの不安を取り除くためのコミニュケーションではなく、女が男に自分のよさをアピールし、刷り込むための、技術なのだ。
2003.06.02
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持っていたケータイはソニーの504。正式な商品名は「SO504i」。これにした理由は、マットな黒だったから。ちょうど1年前、確か504が売り出されてからすぐに、ほとんど正規の価格で買った。他のメーカーの端末に較べ一回り大きかったし、そもそも「iアプリ」とかいう機能も必要だとは思わなかったし、結局iアプリは一度も使わなかった。iモードでチケットを予約したり、渋滞情報を調べたりしたこともない。iモードのメニューで出来ることは、ほとんど他で代用できるからだ。要町から地下鉄有楽町線に乗って池袋へ向かった。余談だが、織田信長の弟に、織田有楽斎(うらくさい)という名前の人物がいる。軍事や政治よりも、芸術や茶道に親しんだ大名である織田有楽は晩年、江戸にも屋敷を持ち、そこは芸術家たちのサロンとして機能していたらしい。今の、有楽町(ゆうらくちょう)である。有楽町線池袋駅の改札から西口方面へ向かう通路にケータイショップがある。余談だが池袋は、西口に東武デパートがあり、東口に西武百貨店がある。オレはどちらかというと、西武派だ。しかしケータイショップは東武の系列だ。別に必ず西武でなければならない義理はなにもない。間口二間ほどの軒先に各社の携帯端末が並べられていた。ドコモの505が発売されているはずだったが、見当たらなかったから、とりわけ色やデザインが気に入った古い機種からなんとなく見始めた。するとショップのおねいちゃんが近づいてきて、「値段きいてください」といった。そういえば値札に価格は明記されておらず、「店員におたずねください」と何か期待感を煽るメッセージが書かれているだけだった。オレは遠慮なしに、気になった端末の値段を片っ端から聞き始めたが、3台目ぐらいからおねいちゃんは返答に躊躇しはじめた。本当は、あまり多くを語りたくはないのかもしれなかった。余談だが、ケータイショップが端末を売った場合、客がその店で買った端末を使っている間じゅう、何らかの報酬がケータイ会社から出るシステムになっている、ということを聞いたことがある。アムウェイみたいだと思った。そしてなぜケータイが安い価格で販売されるかというと、その報酬でもって元を取ることを見越して、赤字でも台数をさばき、より多くの客を抱えたいらしい。「P251is」のところに、「当店人気No.1」と書いてあった。人気No.1ということは、多くの人が買っていて個性に欠けるという半面、機能が充実していて使いやすいことの裏付けでもある。本当はもっと個性的なデザインの端末が欲しかったが、とりわけドコモに関しては、どれも似たようなカタチをしている。時代の流れに逆行して、折りたたまなくてもよい端末も探してみたが、カメラ付きで折りたたまないタイプは売っておらず、ならばどれをとっても変わりばえしないと思い、「P251is」に決めた。色は、もちろん「黒」である。手続きが終わるまで、1時間半ほど時間が空くことになった。空き時間を使って、髪を切ることを思いついて、美容院は予約しておいた。この無駄のない時間の使い方を思いついたとき、人知れず小躍りしたくなった。池袋から地下鉄有楽町線で要町へ戻った。このごろよく行く美容院は、担当のおねいちゃんがいつも一緒だ。出来上がった髪型はあまり気に入らないことが多いが、何しろそのおねいちゃんと話すのが楽しくて指名しているようなものだから、少しぐらい気に入らなくてもいい。気取らず、しかもつかず離れずなスタンスでごく自然に話す担当のおねいちゃんはいつも陽気にケタケタ笑う。キャバクラのおねいちゃんというよりも、友人と話すような気楽さがあって、オレは非常にリラックスしている。髪を切られるとき、これほどリラックスしたことはこれまでなかったかも知れない。散髪を終えて会計を済ませ、店の外へ出るといつも、2階にある店舗から階段を1階まで降りて、「ありがとうございました。また、お待ちしてます」と別れを告げられる。「また、」のところが少し鼻にかかったトーンになっていてドキッとする。しかし1階はスーパーになっていて、おばちゃんたちが目を光らせているから、デレっとした顔になるわけにもいかず、クールを装って「どうもありがとう」とだけ短くいうだけにとどめてその場を去る。彼女がオレの後姿を、オレが見えなくなるまで見つめつづけているかどうかは、わからない。そろそろ、デートへ誘ってもいい時期だろうか、とかなんとか思いながら、買ったケータイを受け取るため、まだ地下鉄有楽町線の駅へ向かった。
2003.06.01
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