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「華麗なる一族」を見るともなく見た。時代設定が1960年代なわりには、せりふや演出が最近っぽくてデタラメだと思った。それにキムタクの演じている役がキムタク以外の誰にも見えず、うまく感情移入できなかった。さておき、このドラマの開始とほぼ時を同じくして、高視聴率番組「発掘あるある大辞典2」が打ち切られた。ありもしない効果を捏造し視聴者からの信用を失った「納豆ダイエット騒動」による。「あるある」で報じられたダイエット効果を信じた消費者が納豆を買い占め、スーパーの店頭から納豆が消えるという社会現象が起こった。このことを取り上げようとした週刊誌が、取材過程でテレビ局に質問状を送ったことでこの騒動はあかるみになった。たいして面白くもない華麗なる一族を見るともなく見ながら、そういえばあるあるはこのドラマの裏番組なんだなということを思い出した。物語の面白さとは関係なく、華麗なる一族というドラマには、セットといい出演者といい、ものすごくお金がかけられている印象を受けた。そういえばキムタクも、いろんなバラエティーに出て、番組を宣伝していた。ある程度の視聴率がないと、製作費ぶんの元がとれない契約なのかもしれない。テレビマンも大変だ。裏番組に「あるある」がなくなって、そのぶんの視聴率が流れ込むことも「華麗なる」に利するということを考えるとひょっとして、納豆ダイエット騒動に端を発した「あるある」打ち切りは、視聴率稼ぎの一環として、テレビマンが仕掛けた陰謀なのかもしれない。
2007.01.29
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「かきぞめ」で「天城越え」を書いたと書いた。画像UPのリクエストがわずかながら1件あったことをきっかけとし、そのあまりの下手さ加減に笑うに笑えなかったことへの自戒の意味もこめて、ここに掲げてみようと思う。筆下ろしした(童貞を捨てたということではない)先週から何枚か書いたものが溜まってきたので、それも一緒に載せるわけだけれども、人前に出してもいいかどうかについては、考慮から全く外れたままであることはつけくわえるまでもない。まずは1枚目。問題の天城越え、石川さゆりヴァージョン。小学生かそれ以下かと自問したい。今ながめてみると「天」はそれほど悪くない。でもそれは「城越え」がもっとひどいからにほかならない。「城」も「越」も間違っていることがよくおわかりいただけると思う。2枚目の天城越え。2枚目とはいえ、1枚目とこれとの間には何枚もの練習過程がある。最終的に納得がいったというわけではないけれども、「今日のところはこれが限界だろ」的な仕上がり。「城」の真ん中のみょーんと長いやつは、最後にもっと鋭い角度で上にはねるべきだったと悔やまれる。そのほかにも悔やまれることはいちいちあるけれども、妥協するとはこういうことだ。3枚目。さゆりちゃんつながりで「津軽海峡」。1発勝負のわりにはわりとうまく書けたような気がした。気がしたのに、こうして改めて見てみると、線が最初は細かったのに段々太くなっているし、全体のバランスはよくないし、個別にみても傾いてたりクセがあったりして、つまり総合的に下手であった。でも「海」はちょっと気に入っている。下手なりにも自分で自分の好きなところを探すぐらいの慰めはゆるされてもいいようにも思う。このこともつまり妥協ではあるけれども。4枚目、日をあらためて書いた「旗艦三笠」。今読んでいる「坂の上の雲」から軍艦の名前。気分を変えてフォントを楷書ではなく行書にしてみた。楷書のようにかっちりしていないので、ごまかしが利くかと思いきや、本来流れるような筆はこびにしなければならないところが、つじつまあわせでとってつけたようになり、かたちをなぞるのに精一杯でした、のような出来になった。軍艦の力強さは伝わってこない。5枚目。海軍の象徴を書いたついでに陸軍を悩ませた「旅順要塞」。坂の上の雲の司馬遼太郎はほとんど神の領域にいる。旅順要塞を攻めあぐねて数万の兵を死なしめた無能の将、乃木希典と、乃木軍の旅順攻略に象徴されるような、無能者が指揮をとる愚かさと、その愚を許すシステムのさらなる愚かさは、今も昔から変わっているとは思えず、この小説は聖書のように読まれるべきであることを考えても、司馬遼太郎は神である。と長くなってしまったけれども、またフォントを変えて書いてみた「旅順要塞」。なんとなく書家っぽい仕上がりになって満足している。書いているときに一番楽しかったのもこのフォントだった。最後6枚目は、誰でも一度は書いてみたい「新宿鮫」。自分の中ではいい感じになってきた。「宿」のなかの「百」が小さいし少しナナメだが、なんとなく新宿鮫を表現できているような気がする。書けば書くだけうまくなる、とはいかないし、下手なことは自覚しているから、出来上がりをみてもうれしくはならないけれども、書いている真っ最中は、なにげに楽しい。習字ブーム到来である。こんなところで書いている。書机というよりも、作業台というほうがふさわしい。
2007.01.13
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正月気分は紅白は見たし箱根駅伝も見たし、朝から晩まで酒を飲んでいた日もあった。正月を満喫したようでもあるが何かが物足りない。そういえばすごろくも福笑いも、凧揚げも羽子板もしていない。ただしこれは今年に限ったことでも、我が家に限ったことでもなく、どの家庭の光景からも、どの人の心の中からも忘れられている。ふと「かきぞめ」をしてみたくなった。筆と墨と紙を買ってきた。ついでにすずりと文鎮もだ。筆だけはちょっと高かったが、あとは何百円かで買えた。習字は中学のころ以来やっておらず、下手だったし大嫌いだった。字をうまくかかなきゃいけない意味もわからなかったし、型にはまった書き方を強いられることも窮屈だった。普段書く字もめちゃくちゃだし、上手く書きたいという意識もない。なぜ急に習字あるいは書道に興味が沸いたのか、どこをどう切り取ってみても、自分のルーツからは見出すことができない。しかしどういうわけか筆と墨で、文字を書きたくなったのだった。フェルトだかウール地だかの下敷きに半紙をのせて文鎮でおさえる。その右横には墨汁をたらしたすずりが置かれている。昨今のすずりは石製ではなくプラスチックで出来ていて、長方形ではなく丸いタッパのような形をしている。筆を墨液に浸して穂先をならす。ならさなくても新しい筆だからちゃんと尖がっているのだけれどもなんとなくならす。この時点でまだ書くことが決まっていないから、ならしながら何を書くか考えている。何気ない所作のようで筆ならしは、なるほど考えをまとめるときの手持ち無沙汰を紛らわせている。それに気持ちを筆先に集中させる効果があるかもしれない。とそんなことを考えているから一向に書きたい字が思い浮かばないのであった。仕方がないから小学生の習字でよく見かける「天の川」とでも書いてみようと、すずりから筆を離した。しかしはたして練習と称し、なかなか目的を遂げられないでいることへの苛立ちと折り合わせるために、安易な気持ちで筆を走らせてしまっていいのだろうかと迷った。そしてそのように心に迷いを抱えたままなにか字を書いてしまうということは、この「書道」というスタイルの基本方針に反するのではないかと葛藤した。ところが一旦すずりから離れた筆には紙以外の行き場がなく、無計画な筆は白い紙の上に着地した。黒い液体が暴力的に白い紙を汚していく様には破壊とか侵略とかいった言葉がふさわしく少し恍惚とした。熱中しながら筆を走らせている中で、手ごたえを感じてもいた。割とうまく書けるような気がした。まんざらでもないかもしれない。そうして「天」の文字が描かれた。紙を縦横4区画に区切った右上にかろうじて収まってはいたものの、文字単体としても紙への収まり具合として見ても、あまりにもいびつな「天」の字だったので愕然とした。書いている最中のイメージとも乖離していたし、一般的な評価にひいき目を加味してみても、あまりにも下手くそな「天」だった。ショックで10分ぐらい、半紙に描かれた「天」を見つめ続けた。しかしいくら見たところでいいところは一つも見つからなかった。紙をくしゃくしゃにしてもう一度やり直したくなった。しかしそれもためらわれた。そんなことをしたら一生「天」を書き続ける羽目になりそうな気がした。かといって「の川」とも続けたくなかった。「天城越え」ほとんど混乱していたから、なぜそう書こうと思ったのかもうわからなくなってしまっていた。しかも「越」は正確な漢字を覚えておらず、この世に存在しない文字になった。ここまでくるともう混乱はおさまり逆に開き直って、左端の開いたところに「石川さゆり」と名前を入れたりしたが笑えなかった。下手な現実を受け入れる冷静さと、下手なことを認めたくない情熱の、どちらかというと情熱が勝る。思い描く「天城越え」をどうしても書きたくなってきた。といっても美しい「天城越え」のイメージがないから上手く書けないのだろうし、そもそも正確な漢字を知らない。パソコンで楷書フォントを拡大した紙を印刷しそれを「おてほん」とした。なるほど手本の文字と、そらで書いた「天城越え」を比べてみると書き出しの位置やバランスがまるで違うことがわかった。しかも「城」の字も間違っていた。手本を見ながら2枚、3枚と書いていっても、手本通りにはならなかった。開始位置はもっと下からだなとか、全体的に左に偏りすぎてるとか、この線とこの線は等間隔にしたほうがいいとか、技術的なノウハウはたまってくる。しかし10枚以上書いても、当初よりは幾分ましになったかもしれないと言える程度で、出来栄えは全く納得がいくものにはならない。ふと疲れを感じた。書き始めてから3時間以上経っていた。肩が凝っていたし身体がこわばっていた。でもこの感じは悪くない。結構、はまる。
2007.01.09
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昨日は大晦日だった。大晦日には紅白歌合戦を見ながらそばを食う。そんな習慣になって数年。割と楽しみにしているし、実際見てもショーとして楽しい。1年のしめくくりとして、1年を振り返るきっかけとして、セレモニーとして、紅白は大晦日の茶の間にかかせないイベントだ。さて今年の紅白はどうだったろう。□おおまじめに歌をきく今年流行った曲の中で特にいい曲は間違いなく「宙船(そらふね)」だ。TOKIOは当然この曲を歌って演奏した。パフォーマンスは平凡だったがいい歌だった。点数をつけるなら12点。10点満点の12点だから相当いい。たまたま2006年に生まれよく歌われたけれども、これからも歌いけられる名曲になるに違いない。次によかったのは徳永英明。「壊れかけのRADIO(レディオ)」を歌った。歌も上手かったし曲もよかった。壊れかけのRADIOが流行ったのは私がラジオをレディオと発音することの気恥ずかしさや照れくささを感じていた中学のころだったろうか。歌と同時進行で聞き手に感慨や感傷的な気持ちを思い起こさせてくれる哀しくも切ない歌声とメロディーとそしてプロの仕事だった。これも12点あげてもいい。いや13点いくかもしれない。□演歌がんばれ毎年紅白の出演を楽しみにしている歌手が演歌ジャンルの中で3人いる。細川たかし、前川清、そして石川さゆりである。この3人は、歌のうまいのはもちろんのこと、いつも名曲、ヒット曲をチョイスしてくれるから客として満足できる。知らない演歌歌手がでてきて、どこでヒットしてるかわからないヒット曲を歌って去っていくことがあるけれども、総合的な音楽ショーにそんな自意識は必要ない。そういう意味で、細川たかし・前川清・石川さゆりの特に3人は、どの曲を歌えば客が喜ぶかを知っていて、毎年それを裏切らない。今年も10点の歌唱とステージだったと評価したい。さゆりちゃんについては、毎年「津軽海峡冬景色」か「天城越え」のどっちかなのだけれども今年(去年?)は「夫婦善哉」。ちょっと物足りなさも感じたけれども、まいっか。来年(今年?)以降の要望は、八代亜紀の「舟歌」をききたいと思う。このホシの八代亜紀は泣ける。□DJ OZUMA前評判で一番注目度が高かったのはなんといっても「DJ OZUMA」であろう。「アゲアゲEVERY騎士」におけるもともと派手なアクションと、チンコ出す出さない発言で物議をかもしたマイクパフォーマンは紅白の宣伝に一役も二役もかった。チンコこそださなかったものの、ダンサーの「裸ボディースーツ」にはびっくりさせられた。抗議が殺到していることが報じられNHKはすぐに謝罪し、後評判においても世間を賑わせてくれた。「けしからん」という声もわからないでもないけれども、けしからんと言われたくてやってるわけで、けしからんことは結構楽しいし、ショーとしての完成度は最高だった。オッパイの絵ぐらい許してやれる度量を持てよ、と大人ぶってる大人にいいたいけど、でもあれで抗議0件だったらそれはそれで悲しいだろうから、世の中はなんとなくうまく回っている。□紅白的なもの毎年旬なお笑い芸人が、紅組か白組かの応援に駆けつけている。ザタッチとか桜塚やっくんとか色々出たけれども、今回一番注目されたのはなんといっても「星野あき」である。胸元からオッパイが半分出ていたわけだけれども、DJ OZUMAの裸ボディースーツよりもよっぽど刺激的だった。あれは一体どういうことになってるんだろう?いやあの衣装をゆるすNHKも、衣装の中についても。□総合的にショーとしての進行はスムーズでメリハリがあって仕事がいつもよりもプロっぽくなっていた。たしかに仲間由紀恵の司会は下手で素人くさく、もうちょっとトレーニングしたほうがいいと思うことはあったけれども、その素人くささが演出の一部として成立していて、うまくごまかしがきいていた。出場歌手については、なぜこの人が、と思うような人も出てたような気がするけれども、たぶんあらゆる年齢層や人の好みをまんべんなく満たしてあげようとすると、ああいう選び方になってゆくのかもしれないとも思う。そういう意味で総合点は100点満点で60点。全ての人をおしなべて楽しませるということは、個々の演奏者が最高点の歌を歌っても、全体的には平均点ぐらいにしかならないジレンマをかかえることであるので、常に平均点であることが理想的なのかもしれない。□これからの紅白に望むことただやっぱり、サザンとか宇多田ヒカルとかが出てきたらもっと盛り上がるような気がする。ヒット曲があるとは思えない五木ひろしとかがでてくるのもまあいいけれども、歌う曲がないなら無いなりに、日本や世界の名曲を歌ってあげるようなプロ意識を見せてほしい。それほど期待してるわけじゃないけれども、プロのいい仕事を見ると、客としてはうれしいし、気持ちよく新しい年を迎えられる。サブちゃんの定番「まつり」で2006年の紅白は締めくくられた。歌合戦は白組が勝利した。順当な判定だったと思う。「ゆく年くる年」で除夜の鐘をききながら新しい年を迎えた。やっぱりこの年越しが一番いい。2007年、あけましておめでとうございます。
2007.01.01
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