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このごろひどくいらいらするのは、なぜかということを考えてみる。一つは歴史小説を読みすぎかもしれないということ。歴史小説にはほとんど武士のことが描かれている。武士はだいたい見栄とプライドと闘争のことだけを考えている。武士にあこがれてプライドが高くなり、自分が尊重されなかったり、非礼を働かれたりすることに我慢がならなくなってきた、という説。一つは、日記を更新していなかったことによるガス抜き不足。不安や不満を、誰かにきいてもらったり、同意してもらったりすることで安心するということがあるけれども、ストレスを排泄できずに毒素が体内に蓄積しているからという説。あるいは漠然としたへの不満の矛先が、目先の対象、たとえば満員電車の乗客であるとか、とろいコンビニの店員などに向けられているのかもしれない。仕事はわりと忙しいけれどもちょうどよく回っているほうだと思うし、芸術的表現もできているから、ストレスはないしプライドもそこそこ満たされている。そういえば仕事でヒマな時間帯がなくなっている。ちょっと時間が空いたからコーヒーでも飲みにいくというようなことがなくなった。ちょっとの時間が惜しいわけではない証拠に、煙草を吸いに行く回数は減らない。減らないが煙草を吸っているときにアタマの中を整理して、次に何をすべきかみたいな前向きなことを真剣に考えているから完全にアタマを休めているわけではない。そういえば禁煙について最近やたらとうるさい。直接的にうるさくいわれているわけではないけれども、一般的に喫煙は縮小傾向にあり歯止めがきかない。煙草を吸っている人を見るだけで煙くもないのに煙たそうな顔をしているような奴がいて、逆に喫煙者はそいつらを煙たく思う。このまま喫煙者が圧倒的な少数派になっていって、汚物でも見るような目つきで見られでもしたら、そのことで殺人が起こってもおかしくはないような気がする。少数派は常に虐げられる運命にあり、こうも続くと暴動でもおきないかなと不逞な期待を抱かずにはいられないものの、暴動は大人数で起こすことであり、少数が暴発するにはまず多数派工作しなきゃいけないジレンマについても、延々と悩み続けなければならない。多数派工作のあかつきに出来上がった集団は集団として一個の意思しか持たないひとつの人格であり、それを形成するひとりひとりはもはや人間とは呼べず、ただの人数でしかないということをなにかどこかで書いたような気がする。多数のなかにいたくないと思う精神の潔癖さはたぶんもとからの性質なんだと思うし、かといって少数派として虐げられることも潔く認められない。とすればもう武士になるしかないけれども、悲しいかな武士は血脈がものをいう。というようなことを煙草を吸っている間に考えているから、仕事のアイディアも上手くまとまらず、忙しくなってゆく、という悪循環も、ともすれはいらいらの原因の一つかもしれない、と無理やりまとめる。中国にこんな詩があるらしい。忙裏、山、我ヲ見ル閑中、我、山ヲ見ル相似テ、不相似(アイニズ)忙ハ総テ、閑ニ不及(オヨバズ)忙しいとき、山が人をみていて、ヒマなとき、人がやまをみる。同じようでいて全然ちがうくて、山に見られるより山を見るほうがいいにきまっている。というような意味だろう。このへんに山なんかあったっけ。
2007.06.28
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