関本洋司のblog

2004年06月30日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 とうとう黒澤明について語るべき時が来た。

 生前、黒澤は、アメリカの批評家が最近複数のカメラを使っていることがわかるようになって来たと嬉しそうに語っていたという。渋谷陽一はインタビューで自分一人だけが見えていることについて黒澤に質問をしていたが、黒澤は『まあだだよ』における空襲後の焼跡のシーンの準備を例にわかりやすく語っていた。焼ける前の立体的な建物の構造を頭に入れていないから、美術スタッフのつくる「焼跡」が不自然になるのだ、と。
 黒澤が左翼運動をしていたことや、のちに現場での協同作業を疎外するユニオンの弊害についての言説を考えても、黒澤について考察すべきことはまだ膨大に残されている。そうした考察の前提となるスタッフに対するインタビューが活字化されているのは喜ばしいことだ。(ただ、後期の作品のタイトルを担当した書家の今井凌雪に対するインタビューがないのが残念だ。)
 世界が「焼跡」になる前に、『乱』を頂点とする作品群を、64億いる人類の何パーセントが理解できているのか? そのパーセンテージは子供達によって増える傾向にあるのか? 不遜かも知れないが僕はその統計が知りたい。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年06月30日 00時23分59秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: