関本洋司のblog

2004年10月23日
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テーマ: 戦争反対(1190)
カテゴリ: 資料
 国連について、この日記でも再三触れている「文学界」11月号の討議より引用させていただきます。カント、マルクス、フロイトを柄谷さんは援用していますが、同時にそれらがマルクス(主義)批判でもあるところが重要だと思います(この討議ではプルードンに触れられていない点が残念ですが、マルクスに関して言及される時、プルードンの思想は常識としてすでに附随、考慮されているということだと思います)。

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 柄谷(行人) 国家は他の国家に対して国家です。国家主権もそういうものです。一国の中だけで考えると、主権者は国民であり、国家は必要ないといえるかもしれない。しかし、国家の揚棄ということはけっして一国だけで考えることができません。だから、カントは「世界共和国」の理念を考えたわけです。マルクス主義者はこれを馬鹿にしたけど、「インターナショナル」なんか国家の揚棄にはなりません。コミンテルンとかいっても、ソ連が支配することになる。「国家の死滅」は国内だけで考えることはできない。とすると、やはりそれは、カントがいうような世界共和国の漸進的な実現を通すしかない。僕は現在の国連はまだまだ遠いとはいえ、そのための一歩だと考えています。国連によって国家を拘束するというだけではなく、それからいわば国家の「超自我」のようなものが出来て自己拘束するようになるのが望ましい。日本の憲法はそういうものです。
 大澤(真幸) 浅田さんが言うように二段階革命でいいと僕も思うんですが、その一段階目にできるだけ二段階目への布石を入れておくことが大事な気がします。たとえば柄谷さんの言っているくじ引きというアイデアはすごく面白い。たんなる民主主義の原理だけだったら、社会民主主義が好きな普通の人たちと何ら変わらないけれど、くじ引きを入れておくと、既存の民主主義にない原理がそこに入ってきますよね。
 柄谷 まあ、くじ引きはギリシアの民主主義の根幹ですけどね。
 大澤 確かにそうですね(笑)。そうやって二段階目への布石を一段階日に組み込みながら進む。国連についても同様で、国連の常任理事国に日本が入るとか、そんなことはどっちでもいいような気がするんですよ。
 浅田 それこそくじ引きで決めればいい。
 大澤 その通りです。そもそも常任理事国制度というのがそうとう身勝手なものでしょう。日本は、常任理事国にどうやったら入れてもらえるのかなどということに腐心するのではなくて、むしろ、今や機能しなくなってしまった、常任理事国制度を中核においた安全保障理事会に代わる、あたらしい安全保障の枠組みを提案するとか、もつと超自我的な提案をしていけばいい。反論できないような提案はいくらでもできると思うんです。そうやって一見ふつうの国連の民主革命なんだけど、さらにもう一歩先に進むための小さな手がかりをそこに組み込むことができるんじゃないか。
 柄谷 しかしそれを実現するプロセスを考えると、いかに高邁な意見を述べたところで、国家がいうことを開こうとしないでしょう。ですから、議会でない「直接行動」的な運動がグローバルに必要だと思うし、それは実際に可能です。



 この中で、特に浅田氏の国連の常任理事国をくじ引きで決めればいいという発言は痛快です。
 僕もサッカーのワールドカップ予選で対戦相手を決めるのようなやり方で常任理事国を決めればいいと思っていましたが、くじ引きというのは偶然性というよりも平等性を皆にもたらすので、権力を分散するには一番いい方法かも知れません。
 NAMという柄谷さんがはじめた社会運動でも代表をくじ引きで選びましたが、(僕も参加したところ)見学者をはじめ参加者のみなさんが同一の時間と場所を共有するので、たいへん愉快で有意義な方法だったということを付け加えさせていただきます。

追記:
 長くなりますが、同じ「文学界」11月号の討議の中にネット掲示板に関しての美術家・岡崎乾二郎さんの興味深い考察がありましたので、以下、御紹介します。ちなみに岡崎さんは「もしも憲法9条がなくなったら」(別冊世界)の表紙や冒頭のイラストを担当されている方です。

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 岡崎(乾二郎) ~具体的に何か生産する場面ではもちろん、会わなければどうしようもない。メタレベルの言語なんかでは伝えられない。サッカーのチームと同じく、協働の生産ラインを作るためには互いに何が具体的にできるのか、どんな欠陥があるのかオブジェクトレベルで認識しあうことが重要ですから。時間もかかる。しかし、そうした具体的な場面に距離を保つ余地も同時に必要なわけで、別にブログなんかがあってもいいと思うんですね。
 けれど匿名掲示板というのは問題にする必要もないと思うのは、たぶんほとんどの人が確信のない意見を試しに書いてるだけでしょう。そもそも書き込む本人の意見も代表していない。たぶん、それに対して、どういうリアクションがあるか観察しようと好奇心で書いている。たとえば実際目の前で柄谷さんとしゃべっているときにはいいかげんなことは言えないという感じがあって、誰でも、よく考えてから話すけれど(笑)、掲示板にはそういう緊張感がない。
 大澤(真幸) どうしてだろうね。本来はネットのほうが不特定多数の人が見てるんだから、ずっと責任を持って発言しないといけないはずなんだけど。
 岡崎 不特定多数の人を前に、こういう人間がいたらどういう反応がでるのか、練習というか、リサーチするみたいに書いてるんじゃないですか。しかしそれは道路の渋滞予想みたいなもので、みんなが渋滞予想して行動すると外れるというのと同じパラドックスをはらんでいると思うんですけどね。まあ、掲示板では、こういう仕組みがすでに露呈して破綻してきてるんじゃないかな。
 浅田(彰) そう、だれもがあらかじめ受け手の反応を気にしてマーケティング・リサーチ的に振舞う傾向があり、それでバンドワゴン効果から雪崩現象みたいなことが起こったりもする。誰も人のことなんか気にしてないんだから、思ったとおりに書けばいいんだけど----というか、他人の反応に先立つ自分の考えというのがなくなってきているのかもしれませんね。



「文学界」の11月号は近年ない充実度です。まだ購入可能だと思うので、興味持たれた方はぜひお近くの書店でお求め下さい。





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最終更新日  2004年10月23日 00時17分14秒
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