全23件 (23件中 1-23件目)
1
2023/12/31/日曜日/朝夕は涼しいチェンマイ、チェンライ12/29 仲間が2人増えて朝ごはん。私もチェックしていたお店ではあったけど、カオマンガイがとても人気のお店キアットオーチャとGoogleマップには出ているけれど、お店のメニューにはギアッ・オチャーとある。日本語メニューがあるくらい、ここに来る日本人が多いということ。ただコロナ禍以降日本人ツーリストが減っているらしい。メニューが頼み方、食べ方を詳しく教えてくれる。4人でお腹いっぱい食べて1500円ほど。自信を持ってご馳走できます!美味しいカオマンガイこのお店の並びは美味しそうなお店がいくつか並んでいます。さて、本日は、ドーイステープの2つのお寺とモン族の村を訪ね、夜は文化センターで舞台を観ながらお食事という盛りだくさんの予定。↓街中の電線が凄いことに!古いものを処分せずに積み上がってこうなったらしい。古いものは捨てよう、自分。朝9時にホテルピックアップで、本日から3日お世話になるドライバーのティンさんは、何と元会計士。早期リタイアして、観光ドライバーとして小さな組織で働いているのだとか。↑ホテル側の住宅◼️ワットプラタートドーイステープドーイというのはランナー国だったこの地方の言葉で山を意味する言葉と聞く昨日から年末年始のお休みに入ってここを訪れる市民で大変なラッシュ。山のほぼ頂上付近にあるドーイステープ寺院にお詣り。ケーブルのようなリフトで上る。↑工事中らしいパゴダ?は足場まで黄金色お堂は眼下に広がるチェンマイの街から臨める。それはきらりと輝く仏陀の額の光のようでもある。それにしても実に多くの人がお寺に参拝し、お花を備えドネーションする。山にはお墓も付属していて、この地に葬られることを願う欧米系のお墓も、百年以上前に生まれた日本女性らしき人のお墓もあった。◼️ワットパーラートここは知る人ぞ知るお寺らしく、先のお寺に比べると人はまばらで、チェンマイの人よりも観光客が多い。タイの他のお寺とは明らかに違い、瞑想的な雰囲気が漂う。どうやらヒンズー教の流れも汲むような様式が伺える。お寺全体は深い山の中にある。お寺の周りは水の流れが豊かである。静寂があり、池の向こうの遠く下に古都チェンマイが臨める。タイには数え切れないお寺がある。その中で私が訪れたのは十の指にも足りないほどだけど、ここはきっと、もっとも好むお寺の一つになるだろう。
2023.12.31
コメント(0)
2023/12/31/日曜日/チェンライの朝は15度12/28チェンマイのお昼ご飯ワットチェルディアンからほど近い所に評価の高いレストランを発見。こんな竹林プロムナード突き当たりを右へレストランに入ってみると、ヴィラ風な中庭空間はプールになっていて親子が泳ぎ、お年寄りはプールサイドで寝そべっているではないか。五つ星ホテルの付属レストランであるらしい。ランチセットのようなメニューはなくて、アラカルトで選ぶ。一皿が300から500バーツほど。これに180だったかのビールを2本。少し奮発しましたが、この環境は素晴らしい。味はせんれんされている。一皿の量が多くて、何とか残さず。お宿は高くて無理。ランチなら気軽、チップの無い日本風もありがたい。プールサイド奥のトイレルームの統一感も美しい。また訪れたくなるタマリンド。ホテルに帰ればゾウさんがお出迎え。
2023.12.31
コメント(0)
2023/12/28/木曜日/晴れると日差しは強い旧市街までなら150バーツ均一タクシーで、旧市街の予約していた小ぶり、お安めホテル到着。タイのタクシーはぼったくりが多い、の風評はよく聞いたけれど、今までのところそんな心配無用の対応が行き届いていて、観光客への配慮を感じる。チェンマイの人はどの人もびっくりするほど人当たりが柔らかく温かい。台南とか沖縄のようなリラックス感あふれるなぁ。8時過ぎの到着なのに、当たり前のようにフロント女性が荷物を運んでくれる。チェックインは10時!に可能、えー!よかったらカフェで飲み物をどうぞとのこと。凡そ日本では得られない歓待ぶりに感激しまくり。たくさんの欧州人をチェンマイの空港でも街でも、よく見かける。日本人は減少傾向らしく、街角はタイ語、英語、中国語だけ。コーヒーを飲んだ後、二つのお寺を徒歩で参詣◾️ワットプラシン観光で賑わう街中なので、つい忘れがちだけど、ワット=お寺は神聖な場所。タトゥーも肌の見せすぎも禁止です。社会科の郊外学習中の女子中学生に囲まれて、インタビューを受けてしまいましたー明るく、元気で可愛らしい。大勢のお坊さんが朝のお勤めを行じていました。タイの方は老若男女、敬虔な仏教徒が多い。↓左はワットプラシンの一番好きな仏さまお寺出口の辺りはモン族のハンドクラフトショップや飲食の屋台が出て、この辺も一層の賑わい。マカデミアナッツが500バーツ。2400円は高い。明日、モン族の村を訪ねる予定なのでリサーチ程度に気にしておくことに。◾️ワットチェルディアン↓看板に惹かれて入って行くと、門は閉じられていた。どうやら180度向こうに回らないと入れないらしい。↓目と鼻の先なのだけど。ぎらぎらの日差しの中を半周、ようやく門へ。入場料のために入り口を一つにしているのかな?因みにタイの人は無料。このお寺はチェンマイの中でも権威の高い、古いお寺で、その創立の頃から生えていたと言われるゴムの木が入場者を迎えてくれる。お寺はこの木と命運を共にしているとのことで、とても神聖な木なのだ。ジグラット?か出雲大社かチェンマイ旧市街のほぼ中心にあり、ランナー王国の仏教帰依、王の権威の象徴でもあるような仏塔。14世紀末に建てられ始め、15世紀半ばに完成した。タイがいくつかの王族に分かれ、西のビルマ北の元など中国からのせめぎ合いの中で王国を数百年繁栄させたその始祖はメーンライ王それは鎌倉幕府成立の百年後のこと。スリランカから高僧を招き、一時期は南アジアの仏教のセンターにもなったという。↑右上、歴代の高僧のポートレートの中で好きなお顔
2023.12.30
コメント(0)
2023/12/28/木曜日/朝曇り午後晴れ4時起き。朝未だ来のホテル予約リムジンバスの集合時間は4:50スワナンプーム空港へは10分ほど。空港到着ロビーは4Fここにチェックインカウンター、荷物ドロップ。エアアジアカウンターはDかFなので、バス到着の入り口ナンバー4からは左サイドを目指す。自動チェックイン機を使っていると、空港の親切なスタッフがガイドしてくれる。親切で美しいお嬢さんたち!タイ国内便でも空港には2時間前に着くのがオススメとのことだったが、早朝ゆえか。ボーディングはとてもスムーズ。国内移動のサインを追って、41ゲイトへ。朝ごはんお店ロードの最終辺りで、亭主の好きな飲茶、肉まんとエビシュウマイ朝ごはん。↑このエビシュウマイはお値段多少高めと思ったものの、大変美味しかった。エアアジアは1時間のフライトなので、前のクラス席以外は飲み物もなし。機内がとても寒いので、上着が必要。スワナンプームを朝焼けの中、飛行機に乗り、90分くらいで着いたチェンマイ空港では、この街らしいモン族の民族衣装がお迎え。旧市街内に宿を予約したので、移動のタクシーを探す。旧市街までは一律150バーツでタクシーが直ぐに配車される。
2023.12.29
コメント(0)
2023/12/27/水曜日/バンコクは生温かいかつて高速道路の事故で出発便に間に合わなかった事がトラウマになり、空港まで車の時は十分早く家を出ることに。↓頂き物の干し柿を家に残す気になれず持参する。41ゲイト待合で、二人してぱくつく。タイエアラインの出発は15分ほど遅れる。到着もしたがって遅れる。成田を12時に離陸、飛行機から解放されるとこちらの時間で夕方5時45分ほど。夕日がとても美しい。スワナンプーム空港到着は2階。地階のマネーチェンジショップの方がレートがよい、と聞いて垂直移動する。EVはとにかく満員、遅い。のでコストコで見るような移動方式の方へ。イタリア人らしき人が、団体でのイクスチェンジは大金だから、レートの良いところがいいんだけど、みたいな窓口で尋ねていたが、その窓口さん曰くどこも一緒です。みたいに答えてたので、レート微妙なのかも。ざっと1バーツが4.68円。ほぼ5円。円が随分安くなっているとため息。ホテルに予約を入れた送迎車。到着後に電話しても、これがつながらない。タイの国際番号二桁を省いた後、0を足して電話するまでにも手こずる。ショップのお姉さんに助けてもらう。別の電話番号を調べてくれた上に電話までしてくれるもつながらない。タクシーで行こうかとも思ったのだけど、日本からレスキュー登場。何と日本からはスムーズにつながった模様。4番出口と3番出口の間にボードが左右ずらりと並んでいて、そのボードを管理している人に予約している旨を伝える仕組みたい。↑しかし沢山の中から探し当てるまでに時間がかかる。ホテル名を見つけた時は奇跡?みたいな気持ち。待つように指示される。ひたすらぼんやり待つ。あのーとおずおず、未だでしょうか?と切り出そうとすると、担当のおじさんは5分待てという。私たちの側でまた欧米人カップルが、ボソボソとまた5分待てって言ってるわよ!と。しかし、5分待つことなくさくさくと乗り合い場所へと誘導リムジンバスは私たちだけを乗せて空港最寄りのホテルまで10分ほど。ホテルの部屋たどり着くともう8時前である。ホテル外に出て、地元の人で賑わうマーケットみたいなレストランで、トムヤムクンとフライドライス、ビーフンと牛肉のスープ、シャンビール330パーツで夕飯を済ます。昔のほうが安い、でも少しは安い!旨い!一人800円くらい。明日は4時起きで移動。
2023.12.27
コメント(0)
2023/12/26/火曜日/だんだん明るくなる〈DATA〉 出版社 双葉社著者 上田早夕里2023年3月25日 第1刷発行「小説推理」2021〜2022掲載の加筆修正〈私的読書メーター〉〈金本位制ならぬ阿片本位制。そんな東南アジアの近現代史がよく分かるノワール小説。清朝末期の混乱が凝縮したような魔都上海を中心に、青幇と呼ばれる組織に関わりを深める黄基龍こと日本人ジロー。貧農を嫌い一旗あげようと辿り着いた上海で営む小商い。そこにやって来た謎の女が差し出す最上級の阿片種を巡り帝国軍秘密組織や青幇組織、国民党、雇われ暗殺集団などが入り乱れる抗争に英仏からの独立を目論む植民地国の動きまで、複雑な背景をすっきり読ませる。中国的擬家族の結束に招かれながら個人であることを選択するジローの新しさ、良し。〉大英帝国とは恐ろしい妄想帝国だったのだなぁ。インドを侵略、綿花プランテーションを建設し、現地の人間を安い労賃で奴隷の如くこき使い、植民地や同等の国々に売り捌く。ところが対中国貿易では豊かになった英国国民のお茶の流行の背景もあり、赤字がかさむ。時はアメリカ独立戦争の時代、戦争には金がかかる。そこでインドで作らせたアヘンを中国に蔓延させて巨富を得るべく動き出す。狙い的中、中国人のアヘン中毒患者は年を追うごとに倍増していった。本当に酷い。モラルとか人間らしい心のカケラもない。こんな行為が彼らの宗教心にフィットするのか。そんな思想のたどり着く果ては不毛の極寒地だろう。アヘンと共に恐ろしいのが金、なのである。差配一つ、指一本で巨万の富を得て権力の上に立つ、そんなゲームが大航海時代から繰り広げられている。そんな世界は要らない。心穏やかな、慈しみあう世界を取り戻したい。WHOのやっていること財務省のやっていることまさにお薬と金、だと知る2023年末
2023.12.26
コメント(0)
2023/12/24/日曜日/クリスマスイブ最終的にはサンルームでしっかり乾燥させる。 着てもらうのを待つプルオーバー糸問題で悪印象をイトイさんに負わせたりして申し訳ないと思いつつも、考えざるを得ない。立派な上場企業代表取締役の氏にとって、末端もよいところの一消費者の私の懸念なんぞ、へとも思わないでしょうけれど。手編みという温かい世界に、資本の利潤横取りは、私はちょっと違うと思うのだ。このキットは2万円を超える買い物になる。三國さんがダイレクトに販売すれば3割はお安く、編み物好きに届くのではないだろうか。糸の製造者にしても応分の利益が上がるのではないだろうか。それが全体を包み込む〈贈与〉に近いのではないだろうか。とつらつら考えたので、キット残糸を直接オフィスまで返しに出かけることにした。先様は幸い我が事務所からは徒歩圏内。真意をお互いに伝えあうというか、トラブル解消は顔と顔を合わせて禍根を残さずに。対応の担当者はうら若いお嬢さん。 こんな方がさまざまな苦情を引き受けているのか、ビジネスとしての組織の一員なのかと思うとほろりとする。ビジネスではなく、営みとしての編み物を作家、糸の製作者、編み物ファンと繋がる仕組みはもっと小さくてよいと思う。そんなことまで伝えることはできなかった。彼女にしたってたまたま異動でニット担当なんだろうなあ。特に手編みが大好き、という風ではないのだし。別の日サイチカさんのインディなショップの、彼女のキットが再販売されていた。12000円ほど。これも配送ではなくダイレクトに買いに伺った。大きな組織の販売と何が違うか。カラフルな毛糸の飾り紐は、私に手渡す前にクルクルと自ら撒いて贈り物のように手渡してくださる。あ、これこれ。喜び重なる。三國さんキットと合わせての出費は少々痛い。けれどこれも勉強のための経費かな?もれなくニットの手編みが付いてくる!のだし。小さな心遣いが心に火を灯すクリスマスイブ編み始めるのはちょっと先アンゴラモヘアのふわふわくんにやられたか、くしゃみ鼻水の花粉症模様
2023.12.24
コメント(0)
2023/12/23/土曜日/これから世界は明るくなる朝に京都で舞台を観てからすでに30余日が過ぎた。その間未知の3人の女性と会話した。新規の飲食店7軒ほど利用した。決算、納付、歳末新年事務仕事を終えた。週末立て続けに離れた街で暮らす子ども夫婦が泊まりに来た。山小屋の冬仕舞いをして、数冊の本を読み、セーターを仕上げルームシューズを編んだ。初試みの野沢菜漬けはカビを出してしまった。その間にも折に触れレイディマクベスを意識に甦らせた。東京公演の抽選が全て外れた中、自嘲気味に京都公演を申し込んだら一つだけ当選してしまった、という。11月16日の夜の公演京都滞在23時間で、紅葉も見ず。甚だ印象深く忘れ難い公演となった。舞台そのものに加え舞台を観に行く、という行為そのものにおいても。なんといっても、アダム・クーパー に舞台で再会できる喜び。併せて天海祐希が共演という信じられない贅沢な千載一遇。天海祐希さんはアダム・クーパーの大ファンだとか。彼女にとってもこの舞台はドリームカムツルー思い起こせば、昨年2月の雨に唄えばコロナ禍の大規模規制の艱難辛苦を潜り抜けて、満を辞しての華やかな喜びに満ちた舞台、の筈が。スタッフに感染者が出てしばらくお預けの中、泣いていいのか、笑うべきか。私たちは舞台を観た。2年間味わうことができなかったそれを。観客は全員マスク、拍手は立つこともなく、粛々と退席する運びではあったけど、想像もつかないリスクを取って舞台で躍動したアダム・クーパーそして何とまあ、今回は日本語で演じられる舞台に彼が立つというのだ。とてつもないリスクをまたもや。一体どんな舞台になるのか。オファーを受け入れたアダムの勇気をアマミ・ユウキの膨大なセリフが鼓舞する。現実と芝居が撚り合わさり、歴史と時代が撚りあわさる。或いは男性性と女性性、支配と被支配、子どもと大人。肉体と精神、知恵とさかしま、嘘と誠。鳴り止まぬ戦禍の背景だけが太古からの魔女の声のように、人の心の荒野に吠え続ける。一際印象的なレイディとマクベスの腕だけのDNA様のダンス。それが見る者をして過去も未来も、この今という時間の中でねじれねじれて、原作では仄めかされるだけの、存在しない二人の子どもが、娘として立ち現れる。吉川愛母レイディは初め白いパフスリーブの付いた黒いロングドレス。そのパフがいつの間にか取れて、現れる娘の白い、愛らしいワンピース。原作では王の正しき後継をエンパワメントする侯爵マクダフが、弾丸ならぬダンカン王の縁戚で、女性で、レイディの友人役、というねじれねじれた設定の白黒ドレスで現れる。鈴木保奈美原作では逡巡するマクベスを腰抜けと叱咤し、王殺しを遂行させるレイディは、結局その猛々しいパーソナリティを女の肉体が持ち堪えられない生理として表現されているように思うが。舞台のレイディは子どもを出産することで戦場に明け暮れた無敵の肉体が働かなくなり、城=木枠の東屋か鳥籠のような舞台設置の内に留まる暮らしとなっている。そんな彼女はマクベスをそそのかし、ダンカン王を亡き者としてマクベスを王に据える。しかし戦争に明け暮れたマクベスの心はすでに壊れて、王として屹立することができない。歯噛みしながら臣下の不審を取り繕うレイディは、マクベスに弾を撃つ。唯一自分を慰めてくれた父であるマクベスの喪失を前にして、娘はレイディと同じことをレイディに果たしてしまう。始終、鳥籠の外部にいた娘はこの時、鳥籠の内の人に変化する。マクダフはすかさず、転げ落ちている王冠を娘に被せるも、娘はそれを払いのける。マクダフはそれを拾い上げ、再び娘の頭に王冠は座る。と同時に鳥籠の中に更に小さな檻が天井から落ちて彼女は捉えられる。彼女は叫ぶ。どうする!あなたはどうする?そんな問いを残して舞台の幕が降りる。ああ、なんて暗いテーマなんだろう。なんて暗い時代だろう。しかしこの舞台を作り上げるために海を超えて言語を超えて、一座は想像も及ばない努力を重ねただろう。コミュニケーションギャップを超える試み、それこそ芝居の原点で、見せるものとその舞台裏も捻り合わせの一芝居、ご覧じろう、という心意気。感ず。
2023.12.23
コメント(0)
2023/12/22/金曜日/冬至イサガーのアランツイード 100g編みながら足に合わせて細部を変更している。サイズM左M、右Sでかつほぼ編図どおり。右はクリが深い。私的には履き口ができるだけ甲に被るのが好み。指定より2段早めに左右の召し合わせをしている。次は四段早めに召し合わせしてみようかな。この糸は100gあるので、M一足半が編める。ブーツタイプだとM一足とS半くらいは作れる。ひとかせ2090円くらいで購入できる。糸の性質とルームシューズの性質、それにデザインの三相がこの上なく組み合わせがよい。履き心地抜群、温かい。機内持ち込み用にしたい。プレゼントにも!速目に編める方なら半日でできそう。
2023.12.22
コメント(0)
2023/12/20/水曜日/うららかな南窓先月中旬頃から編み始め、思わぬアクシデントで途中のお休みを挟み、昨夜遅くとじはぎも糸始末も終わる。ところで、このアンゴラヤーン。毛足がふんわり長く、模様編みの隣り合わせの色が微妙に馴染んで仕上がるところがとても好くて購入に至ったのだったが。小一時間も編んでると右下画像のように毛が盛大に衣服に付く。室内をふわふわと飛んで、目や鼻、口にも侵入して来る。翌朝顔を洗うとモヘア状が手にまとまりくっつく、という試練であった。やれやれ( ´Д`)y━・~~完成の開放感!モヘアくしゃみからの開放感!元々は自分へのクリスマスプレゼントだったけど、ちゃんとクリスマスに間に合う!トップダウンで編むセーターの袖丈は難しい。自分に合わせながら適切な長さを選択できるという利点が活かせないのである。以前編んだセーターも、手を前ならえすると腕が10センチほど飛び出てしまう。これはデザイン上致し方ないのだろうか?実は今回もやや短めに仕上がってしまった(;_;)袖とのバランスを考え、身頃は編図より7センチほど短めに仕上げた。袖のゴム編みが身頃のゴム編みよりずっと下にあるフォルムが好み。身頃を短くしたのはヨーク部分が編図より膨らんで大きくなったのも原因。針の指定は2号だったけれど1号で編んだ。にも関わらず、大きめに仕上がった。糸2本の模様編みはどうしても膨らみがち。↓水通し前に平場で確認あちゃー、発見。目こぼしがある!まあ、こんなものである。ワタクシですもの。すでに糸始末したのに、修復する→右。水通しを15分くらい。そっと押して排水、バスタオルにくるんで水分吸収、平干しこれを眺めるのが編み物全ての中で一番好き。しかしこの糸は水通しするとメリヤスの目が殆ど見えずフェルト地みたい。手で成形していると、モワモワとまたもや毛玉がΣ(゚д゚lll)右↓
2023.12.20
コメント(0)
2023/12/19/火曜日/最高気温8度、曇天の1日〈DATA〉 岩波新書 1944著者 國分功一郎2022年10月20日 第1刷発行〈私的読書メーター〉〈新書であるのに読むのに随分時間が掛かった。新書というのは知識の概要とか表面をさらっとおさらいするイメージを勝手に囲っていました。全て咀嚼することは能わず、ただ朧げに今まで折りに触れ読んできたシュタイナーの人智学、論語、或いは仏教の理性的論者方の文章に触れた思いがします。スピノザの認識の三段階の先にはどうしても学解の対象ではなく実践の理解が示されている、と思いました。そういう意味では学問を超えているような。こんな知性が17世紀半ばにオランダで、民衆の理解し得ない共和制と共に息付いていた事実に驚くばかり。〉読書中、最も心動かされたのは、実はオランダのハーグで1672年に起きた、共和政指導者デ・ウィットに対する民衆の非道な「厄災の年」殺戮事件だった。私はこの事件を扱ったとも知らず、デュマ『黒いチューリップ』を読みたいリストに入れてみたものの、そのまま長く放置している。この事件が起きた時、しかもその現場から徒歩にして15分ばかりの場所でスピノザはエチカを記述していたという。当時の欧州は、新旧キリスト教徒の間で残忍な殺戮が100年も続いていた。魔女狩りと称して、薬草で病人を救ける女たちが告げ口で火炙りにされ、村人や町人の見せ物と化し、恐るべき暗黒の歴史を刻んでいたのだ。シェイクスピアはその時代に生まれた旧教徒で、『ハムレット』はオランダの王家の悲劇だった。『ハムレット』に見られる王殺し、姦通、自殺、毒殺さえ、優雅な推理小説に思えるほどに「厄災の年」殺戮事件は陰惨だ。優れた理性的なリーダーが世に現れて、人間の尊厳をかかげ、理想的な統治を法に基づき執行しようというのに、民衆はたとえ愚鈍だろうと年幼かろうと、血すじとしての王を求めるのだ。そして知的な理想は、民衆になぶり殺され、その皮は剥がされ、肉がこそがれ、市場で売り捌かれるのだ。この現実!自己の中にエチカ=倫理を持ち得なければ、一神教の妄信的行為は人をして、かくまで惨虐に兄弟を殺し得るのだ。民衆が煽られた背景には、100年を超える宗教戦争、大航海時代の貿易がもたらす巨大な富と利権が絡む、秘密裏に結託した英仏のオランダ侵攻があった。煽られる民衆とは私に他ならない。何が真実かも見えず、小さな利益に汲々として。老いてどんな変化が心身に訪れ、どのように朽ちるのか、漠とした不安は予測される自然災害と捻り合いながら私の意識を昏くする。コロナは、ワクチンは、国家主権は、個人の人権は、少子高齢化は、経済は、パー券は、万博は、ひもじい思いをしている子どもたちは、インボイスは、リニアは、木原事件は、出稼ぎ男娼は、、、われら民衆はどうしたいのか、世界がどうあってほしいのか。デカルト:Cogito ergo sumスピノザ:Ego sum cogitans考えつつ存在する「スピノザは、総合的方法こそが哲学の真の方法であると考えた。」「定義、公理、定理、証明」ユークリッド幾何学原論、「エチカはこのような様式で書かれた」手の仕事を科す素描画家/アムステルダム/レンブラントレンズ職人/デルフト/フェルメール倫理的決断が理性を自立せしめるその名も『知性改善論』という自伝的著作。所有、官能、名誉の欲からどれだけ自由でいられるか、の考察。それを考えている間はそれから離れられるという発見精神がものを理解することが多くなるにつれて、同時に精神は、理解の道をいっそう容易にたどるための新しい道具を獲得していく真であることは公共的に共有されるとみたデカルトの道は科学へと進行し、共有されないとみたスピノザは、ある種秘教としての哲学は進んだのか?人間の本質は欲望悪魔のようなものは四角い円のようなものでありえないと分かるものに過ぎない。「どうすれば人間は、悪魔を仮定しようなどという考えが心をかすめもしない生き方ができるようになるか、それを考えようではないか。これこそが【エチカ】で開陳されるスピノザ哲学である。」神には外部がない神は永遠であって始まりも終わりもない。神は存在し、また作用するにあたって、自身の法則以外のなにものにも左右されない。全ては神の法則、すなわち、自然の法則に従って起こる。神は実際には、常に既に変状して存在している。「存在するすべての物は神の本性あるいは本質を一定の仕方で表現する」これはまさに大乗仏教的な思想ではないだろうか。人間精神とは身体を対象とする観念しかし、人間精神は身体を認識しない。精神が身体について認識するのは身体に起こることだけである。スピノザは動物どころか無機的な物質にも精神があると(程度の差こそあれ)みているキリスト教密教とか神秘思想のようでもあるが、観念に目を凝らしていけば矛盾なく成立する、のだろう。意識が陥る原因目的の転倒のメカニズム現れている意識の下の広大な無意識層について、フロイトに先駆けての考察自由な意志というものはない。感情の模倣喜び、悲しみと欲望の3つが基本的感情であり、こらの組み合わせによって全ての感情は説明される。同類と感じる者には、その者と似た感情を抱く。妬みは受動のモード、能動的に生きるにはどうするか。『エチカ』の中断エチカを中断し、『神学・政治論』を執筆しなければならなかった、時代背景序文での呼びかけ、来るべき哲学者にむけて。ものごとを自分で判断する自由、考えたいことを考える自由は誰も放棄することはできない。これは最大の自然の権利である。なぜ思想の統制を行なってはならないか。それが権力の自由にできるキャパシティを超えた目論見であり、それを目論む体制は暴力的にならざるを得ない。自然状態ならば人は意識を伴う衝動によって自然権を行使しているだけだが、契約が成立し法が存在するなら、行為のもたらす意識は法についての表象をもたらす。ここまで。エチカについて拙い反省を試み、短日の半分を費やした。経験を通して、つまり身体の変状を通した意識は、この世に悪も善もないことを理性に表象した。という言い方はできる?ただ悪い関係と良い関係はある。スピノザのいう能動的に思考し、生きるということは倫理の実践を必ずや伴うのだと理解する。欲望が私を存命させるが、理性はそれに意味を与えんとする。大いなる自然の現れの中で、客観を主体的に生きる、ことを常に意識する。
2023.12.19
コメント(0)
2023/12/17/日曜日/晴昨日とうとうサイチカさんのワークショップに参加できた。情報をキャッチした時には既に満席、という連続だったのだ。松陰神社前駅まで乗る世田谷線が大好き。このお店に立ち寄る気分が上がります。その線路の際、駅とは目と鼻の先に小さなニットのお店が不定期開店一番手前にあるコーナー的なお店は、ラトビアの大きなバスケットがお出迎え小さなスペースなので、参加は4名まだらしく、それでいつもすぐ満席になることが分かった。本日はルームシューズ作り。製作図は暮しの手帖今月号に掲載なので、それを購入して参加のこと。編み物苦手な編集者さんが頑張って編みながら、詳細に手順を載せてくれている、との楽屋話も。糸はイサガーのアランツイード手のきつい方7.ゆるい方6号を用いる。サイチカさんのショップ、糸と針にはイサガーの糸がたくさん揃っています。好みの糸を選び、ヤーンを糸巻きして、開始なんと、こんな方法があった!展開図である編み図をコピーし、立体模型をさささ、と見せて頂く。かわいいカップにルイボスティー、ほっこり休憩していたら。他のみなさまとのサイズ違いにアレ?と気づく私。6号のつもりでなんと!9号で編んでおりました(T-T)ロックのイヤミスΣ(゚д゚lll)もう半分以上時間を費やしてしまったので、解くことは諦めてアドバイスに従い、このまま編み進めて仕上げまでの手順を習うことに編みながら、フェルト化させて縮毛してもよいかもと考える。編み方を忘れない内にと、帰宅後に糸の分量を考慮して6号針で始めから編んでみる。大きさを比べると歴然。大きい方は可愛くない!そんなこんなで、やはり6号で。爪先まで到達してばたんきゅう。
2023.12.17
コメント(0)
2023/12/15/金曜日/曇り小雨静邨 ★初訪問千代田区12/15 ランチ訪問半カレー丼ともりそば 1000円先ず半カレー丼が。出汁で伸びたカレーには豚こま肉が数片、ルーはとろみが強く、蕎麦やらしいもの。日本のご飯によく合う。全体的に馴染客が多そうで地元で長く繁盛している様子が伺える。自家製石臼挽き東京二八蕎麦加盟店らしい。おお。久しぶりにお蕎麦にウズラ卵初めての紅葉下ろし添え、更に胡麻ダレも。蕎麦はとても美味しい。つゆは江戸前の、濃い甘口。蕎麦湯はさらさら。私的にはツユを濁らせたくないので、カレーにウズラ卵を落とす。うわ、美味しい。胡麻ダレのツユも混ぜずにこれのみお蕎麦をちょちょっと付けて、最後は蕎麦湯割りで頂く。神保町の、いかにも東京らしい蕎麦屋さん。ついでに さゝま に寄って和菓子3種を買う。一つはツレ、二つはアテクシ↑上から うす氷、柚子饅頭、冬ごもり和菓子は名前もうつくしい。
2023.12.15
コメント(0)
2023/12/14/木曜日/晴世田谷蕎麦 石原本店 ★初訪問世田谷区12/13 ランチ訪問日替わりもりそばと牡蠣の炊き込みご飯 1265円これは二八だけれど十割も扱いあり。人気店らしく2時頃伺ったけれどほぼ満席。蕎麦は細めだけれどコシも強くツユも旨い。オネギの量が多いけれど、ツユの量は少ない。よく冷水で締めてある。BGMがジャズ、という蕎麦こだわりの飲み屋的なお店。そのブームはいつ頃始まったのだろうか。これとは別にジャズを流さず、ひたすら求道的に蕎麦にこだわるお店もポツポツとある。お蕎麦に目覚めたのはこの数年なので、背景はよく分からない。清潔できっちり仕事をしているお店が好みではあるけれど、それぞれの個性が楽しめるのも良い。LINE友だちになれば百円クーポンがもらえる。ランチで使用させて頂きました。
2023.12.14
コメント(0)
2023/12/12/火曜日/雨のち晴知られざる未開の道はなを永遠に黙して永く永く無限に続く新聞記事で見つけたコンサートはタイトルが長すぎて覚えきれず、知人に伝えるのにマゴついた。ただただ伊藤野枝の名に呼ばれて会場へその内容は伊藤野枝とその同時代を生きた女性音楽家たちをめぐるコンサートとトークと銘打ったとおりのものだった。↑明日館へは目白駅から歩くことが多い。今回は徒歩時間の短い、慣れない池袋駅を下車した。メトロポリタン口に近いところでは光輝く広場が迎えてくれる。明日館の建物、その風景は都内建造物中で一番好きかもしれない。学校建築をフランクライドライトに設計依頼する、という驚き。当時の日本の文化度は世界でも先進的で優れていたのだはなかろうか。しかもこれが一私立学校の学び舎なのだ。垂涎、自由学園。伊藤野枝は1895年生まれ、1923年没。自然死ではない、関東大震災の大混乱に乗じて憲兵大尉甘粕正彦に殺害されたのだ。未だ20代であった。ライトの設計監督によって二代目帝国ホテルが披露されたのはまさに関東大震災のその日のこと。百年の来し方を瞑目せずにいられない。今年、まさに9月1日、の帝国ホテル百年事業のランチに出かける前には映画福田村事件を観た。未曾有の災害に、社会主義者も朝鮮人も癩病者も被差別者も新聞報道も転倒した、させられた、ことを映画は鋭く描写していた。軍部の権力が勃興し、自由や権利は後退した。圧倒的武力の前で、徒手空拳の私たちは「壁にぶつけられる卵」のように無力だ。今宵、百年前に立ち戻り、伊藤野枝の激しい生涯を野枝と同時代の日本女性音楽家による3曲、日本の語りに即した楽器琵琶のための新曲が披露された。野枝に捧げる琵琶の作曲及び企画はフランチェスカ・レロイという英国人の若い女性音楽家だ。会場は断じて自由学園でなければならないだろう。学園の創立者、羽仁もと子は当人によれば、日本最初の女性新聞記者、なのだ。学園はヨハネ福音書の「真理はあなたたちを自由にする」から名付けられたという。それは震災の2年前のことだった。あなたたちには、男だけでなく、女も子どもも、世界中の人が含まれる、ということを感覚的に身体的に把握できない男たちが制御する当時の日本で、豊かな才能、思想を変節することなく伸びやかに歌い切った女性作曲家、すなわち幸田延/ ヴァイオリンソナタ第一番変ホ長調外山道子/ 日本民謡による組曲 〈子守唄〉〈追分〉〈籾引歌〉吉田隆子/お百度詣の代表作が演奏された。西洋音楽受容の幸田延それに対して日本のオリジナルを問うた外山道子社会や環境音楽を見据えた吉田隆子重なりながら展開される音楽の喜びが披露された。演奏はヴァイオリン、吉田薫子ピアノ、前田朱音二人の呼吸はぴったり、吉田さんの繊細な音の響きは美しいだけでなく芯を感じさせた。これを英国人女性が見せてくれた、なんだか日本の女性を勇気づけてくれているような音楽会幸田延の第二楽章辺り、涙ぐみそうになった。私たちの賢明な選択がきっと世の中を明るく温かいものにしていく、と歌っていた。こんなステキな女性たちが全く初めての道を勇気を持って一歩踏み出していたよ、百年前に、と。↓来年2月、伊藤野枝の映画が公開される。レロイさんは、瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を読んで伊藤野枝に強く関心を抱いたという。瀬戸内寂聴は震災の前年1922年の生まれ、百年を超えて生き今年亡くなられた。合掌。
2023.12.12
コメント(0)
2023/12/11/月曜日/政局キックバックがにぎにぎしい曇天ここまで編んでストップ。というのもメインの糸の状態がやはり納得いかず。家人からもきちんとクレームするべきだ、双方にとってそれが良いことなのだとエンパワメントされる始末なのだった。それやこれやで十日ばかり放置する。ほぼ日さんとのやりとりは最初はうまく噛み合わずようやくに納得して落ち着いたのは、メインの糸の交換、というもの。当初はロットが違えば色が変わるとか、未使用分の糸の交換を提示されたが次第に上の結論に至った。そんなやり取りの中、私も今まで編んだ部分を全て解くことを覚悟した。ツレの入院先、京都弾丸も重なり目まぐるしさもほどほどにならないかしらん。そうしこうしている内に届いたスペアの糸。↓上の巻。最初のキット糸は下の巻画像からは認めにくいかも、だけど。糸端のコンディションや巻糸小口のコンディションからも余りに状態が違うではないか。キットの糸はまるで解いた糸の巻き直し、という印象、まるで中古品である。スペアの巻は、後ろ身頃分を既に使用したキットの巻よりも量が少なく見えるのだが、容量を測ると細いスペア糸の方が60gほど重いのである。スペアの糸は艶やかでしっかりしている。編み地の表情が異なると予測され、後ろ身頃裾のゴム編み残り部分をスペアの糸を用いることはできず、ボワンと膨らんでいるキットの糸で編み切った。編んだ部分を解くことは先に諦める。アンゴラという糸の性質かもしれないけれど、まるで使用前使用後状況を二つの巻糸で見てしまったために、これはムリかもと判断した結果。何度かのメールのやり取りの結果、納得した落としどころではあったが、三國さんのキットには手を出し辛い、という印象が残った。糸の製作者とニットデザイナーがダイレクトにやり取りできない仕組みが、手編み愛好者には向かないと思う。大きな株式会社が間に入る事業とは思えない。比較も兼ねて、大好きなニット作家のサイチカさんから購入しようと考えてインスタ見たら、いいなぁと眺めていたソルドアウトのプルオーバーが再開、のタイミング♬
2023.12.11
コメント(0)
2023/12/10/汗ばむ陽気〈DATA〉著者 三國万里子発行所 新潮社2022年9月30日 発行2022年12月20日 4刷〈私的読書メーター〉〈タイトルのイメージとは随分異なる。作者であるニット作家の三國さんがどんなきっかけで編み物と出会い、デザインし、実際にどんな作品に結実したか、そんな回顧が作品と共に展じられるのかなあと妄想していたので。表紙の人形。素材である木とマッチングしていてとてもよい。人形はお顔が命?メムリンク彷彿の禁欲的な求道的な堅さが私好み。三國さんによるカーディガンもしっくり馴染んでいる。ポングラッツ人形も奥さまが草木染めした毛糸で編まれた衣服でそれが木彫の顔とこの上なくよい取り合いだったなあ、と思い出した。〉本書で一番心惹かれたのが、Sasha Luneva さんの木彫りのこの人形。って、だって彼女の作品はこの人形に着せたミニチュアカーディガンくらい。随分前に彼女の編み物本を買い、その中でも和風ウロコ紋様のミトンが気に入り何枚か編んだ。他にも作品を見て想像しながらボレロも編んだ。そうしてキットを「ほぼ日」から取り寄せた。取り寄せたキットの編み方図。作り目=キャストオンは、その手法の指定が無い。作り目はおろそかにできない、ということを最近ようやく理解するようになった。デザインや糸の個性に相応しい作り目の手法が本当に豊富にある。それらの技術は考案した人からその知合いへと次々とリレーされ、改良されて、みなの集合知になって来た歴史そのものなのだ。どんな作り目を選択するのか。その集合知からもっとも相応しい一つを最初の作り手が決裁するものなのだ。と思うのだ。これが無いことの頼りなさ。というものを感じた。思いかえせば、インディ意識の高い編み物仲間は、三國万里子さんのデザインを求める人が少ないように感じる。言葉で直接聞いた訳ではないけれど。楽しく編めればそれでよし、なのではあるけれど。デザインが好みならそれでよし、かもしれないけどもやもやとしてしまう。
2023.12.10
コメント(0)
2023/12/08/金曜日/陽光眩しい大寒〈DATA〉著者 ウィリアム・シェイクスピア訳者 木下順二発行所 岩波書店1997年9月16日 第1刷発行2021年7月5日 第24刷発行〈私的読書メーター〉〈ある台詞が放たれるや登壇する人物。異なる話題なのに台詞内容はその人物の内実や未来を暗示している、とシェイクスピア劇を観ていて感じたことがある。リエゾン視覚化?木下順二氏の後書きにその点が触れられていた。大海の水と洗面器一杯の水の対比や王が身にする衣装の比喩の指摘など改めてなるほどなあ!魔女的存在はマクベス自身気づいてない自分の、否、人間の地金が独特な気候風土の中でホログラム化した、の印象強まる。魔女裁判の時代に沙翁のメタ認知、木下氏のいう今日的マクベスが時代に符合し過ぎ、かの政治家にこの台詞ぴったりとは。〉木下訳の言葉のノリは江戸っ子伝法な、というか石原裕次郎の若い頃の東京ことばはきっとこんな、みたいな勢い。しかし下品に落ちることはないのが氏の持ち味。翻訳って面白いのねえ。戯曲って面白いねぇ。時代がかった言い回し、宗教的な了解の引用、語られれば即ち現実という即妙、なんぞはシェイクスピア劇のドラマツルギーそんな緊迫やスピード。それが会話一つ一つに欠損なく幕が降りるまで一貫して流れる。素人の私にも感じられる木下訳の上質感。こんな台詞で聞かせられれば、換骨奪胎、時もところも変えて戦後間もない日本の、仁義なき、大企業出世闘争物語にもなりうると感じた。言葉ってすごい。話し言葉って。さて。ヒースで魔女に初めて出会ったとき、マクベスは同輩バンクォーと共に在った。それは彼らには予期せぬ遭遇だった。そそのかす魔女にマクベスの心は千々に乱れるが、バンクォーは冷静であった。再び魔女に会ったとき、マクベスは一人であった。しかも自ら望んで会いに行った。魔女と人間が出会うために、また預言と幻影を得るために、あり得ない種々を大鍋のるつぼに混ぜ入れる、かの儀式。そのナンセンスなごった煮。マクベスは人間界では悲劇だが、転倒した魔女界からは滑稽な見ものだったのかも知れぬという惨劇。レイディマクベスの落差の振り幅は人間界を超えているようにさえ感じる。あのような認識を生身の人間は長時間持ち堪えることはできない故の狂い死にの結末なのだろう。病膏肓に至った妻に効かせる薬をマクベスが叫ぶ。「大黄でもセンナでも」大黄は漢方薬、これらは女性の便秘薬に用いられる。最近、丁先生の対談読んだところなのだ。過剰なもの、停滞したものの排出。そっか。断捨離だ!世のレイディのみなみなさま。塵は塵に 灰は灰に
2023.12.08
コメント(0)
2023/12/06/水曜日/雨のち晴うむ。我が家からは多摩川越えて、神田川越えて、隅田川越えてやって来たのだ江戸川。とおい、とても。うらうらと陽光届く土手の空のまあ、どこまでも広いはるかさよ。その土手の緑がお日様の光を呼吸している、そんな様子が窓いっぱいに輝いているげんげ工房5日前の予約とあった。第3、4週の水木金土とあった。お茶とお菓子付きとあった。10時から3時までとあった。幾つかを全て取り払い、ヒンメリを教えていただいた。お昼をどこかで買って伺いますという私にマクロビランチと息子さん手製オニオンスープとトマトエリンギひき肉パスタまで用意くださった。それに有機農法ワインも!話がどんどん弾んだ。話があちこち飛んだ。共通の知り合い、共通の考え方が重なり積もる。工房を主催する恵津子さんは小学生の先生を定年まで全うして、その後5年間教師指導官を務め、退任された。3人の息子さんを産み育て。全給食の時代、マクロビ弁当を持たせ。↑左の本が一人で作るのに役立ちそうだった。夏休みには平和や原発、環境人権、パーマネントカルチャー問題に絡む世界中のカンファレンス、見学、学習会に参加してきたという。いわゆる観光旅行はしたことがないのだとか。そして、自宅の一部を地域に開放し、幼児から高齢者まで、アート手仕事を教えながら社会問題への発言や上映会、哲学カフェも開催する。こんな場所があるってすごいことだ。恵津子さんだからできるのだ。↓大麦はご友人の育てたものとか。市販の下の麦と色がまるで違う。濃淡があり、あるものはまさに金色に輝く。我が家からは往復5時間。それでもまた訪ねたい。恵津子さんに会いに。そんなに長く学校の先生をなさっていたら、記憶に強く残る生徒さんもいるでしょうね?と尋ねたらぱっと顔を輝かせ子どもってすごいですよね!とおっしゃった。すべての子どもがかけがえがない宝なのだ、彼らに育てられてきたのだ言外にそう言ってられるように感じた。その一言の中に出会った全ての子どもの顔がうかびあがるかのように。そうしてヒンメリが出来上がった。我が家に光が灯る、金色麦の。
2023.12.06
コメント(0)
2023/12/05/火曜日/家にいる日は曇天でも好〈DATA〉著者 ウィリアム・シェイクスピア訳者 石井美樹子発行所 河田書房新社2021年5月20日 初版印刷2021年5月30日 初版発行〈私的読書メーター〉〈同じ翻訳テキスト再読。あらら読むたび新た。2年前の私は今の私ではないことの証明か。先日の初冬が本日は小夏。今どきの天候のように落ち着かぬマクベスが心情。ヒースに現れた三人の魔女にたぶらかされ夫人に油を注がれ、忠臣マクベスは王を殺害し、側近に罪を被せた上で彼らも討つ。さもさも忠君義憤の二枚舌。悪業がばれれば王殺し、の恐怖に彼の剣は次々と血塗られる。死人に口なし。死者の思いはマクベスの独白に、彼の幻視に、大地の空気に織り込まれマクベスという人間を震わせる。或いは、過去から未来から三人の魔女の姿を結ばせる。〉問題の fair is foul, foul is fair. 石井訳では 晴れは曇り、曇りは晴れこういう訳は初めて。きれいはきたない、が慣れ染めている。スコットランドやアイルランドの変わりやすい天候は、短日滞在の私も経験している。一日の中に晴れも曇天も雨も夏も冬もあるような日には「fair is foul, foul is fair. 」とも確かに言いたくなるだろう。それに連動するマクベス登壇の最初の台詞を「こんなに天気が悪いのに戦いに勝ち、こんなに良い日は初めてだ。」と訳している。これはどうか。救いようもなく人殺しに堕していく主人公マクベスの第一声とするには物足りない。これから先のマクベスの運命が織り込まれたものになるにはどうすべきなのか。魔術によって、「バーナムの森がダンシネンの城にやって来るまで」、また「女から生まれた」者によってはマクベスは滅ぼせない。本書訳では女から ではなく女の股から、と表現される。マクベスを討ち取るマクダフの産まれた経緯からするとその方が整合性も高く、すっきりする。この言い回しについては、後書きにシェイクスピア時代のイギリス国教会埋葬式の『共通祈禱書』から次の引用がある。「女から生まれた者が生きるのはつかのま、人生は悲惨に満ちている。…花のように伐られ、やがて影のように消える」OED Oxford English Dictionary を駆使し、幅広くキリスト教研究も重ねている訳者の努力に敬意。訳者が『マクベス』の主題は二律背反の二枚舌、と見る歴史背景に、議事堂爆破計画未遂事件があったという。これぞ王殺しとテロを目論む事件だった。カソリック神父ガーネットの『二枚舌の論考』は、英国で締め付けのきつくなったカソリック信者が生き延びる方便として書かれ、二枚舌論が巷間、論議の的となり、社会現象となったという。事件の真相は、カソリックの根絶やしを図った英国王の最側近である国務長官のでっち上げ、というのががまことしやかだ。盧溝橋事件であるか。事実、この事件を機に英国のカソリック教徒への差別と迫害の歴史が始まる。とどのつまり誰が益したか。歴史はそこからよく見えて来る。宗教と政治の権力闘争の17世紀初頭英国、大航海時代の富が偏在しはじめたその時代。大資本家時代の幕開けに。11世紀のスコットランドを舞台に、魔術的二律背反の枠組みの中に、二枚舌のマクベスなる臆病な残忍な偽の王をいっとき現出させ、結果、人間の留まるところを知らない欲望を裁断する。マクダフのいう自由はどこまで有効なのか。そんな問いも含み幕が降りる。バーナムの森は動いた。女の股から生まれなかった漢がいた。この二律背反はどうか。動く森バーナム。トールキン『指輪物語』のエントはこれが源泉か。お釈迦さまは母である王妃が花園で咲く花に手を伸ばした時、その脇から生まれ出て歩いたのだった。聖王の統べる古い秩序世界が、サカシマに破壊された。それは二枚舌を繰るニセの王だった。二律背反に符合した新たな勢力はこれを討伐した。穏やかな眠りが再びもたらされた。しかし、fair is foul, foul is fair. と見据えた魔女らは杳としてその行方が知れぬ。ヒースに忽然と姿を現すか、我らの時代に。
2023.12.05
コメント(0)
2023/12/04/月曜日/快晴白州手打ち蕎麦 くぼ田白州町 台ヶ原天もり十割蕎麦 1950円二八+小天丼 1750円ということでやっぱり外食の時にはツイお蕎麦。平日のお昼ちょっと前なのに並び待ち。外に並んでいても、中に記入ボードがあるのです。二八と比べるとやはり十割蕎麦が断然お蕎麦そのものの魅力を放つ。ここのツユはバランスが取れている。天ぷらは衣がやや重い。この蕎麦屋には別の訳もあって寄り道している。愛犬が亡くなる一ヶ月前の昨年8月に、お店の入り口でレオを暑さしのぎさせていただいた。大人しく待てるようならどうぞ、とのことだった。レオはとても大人しかった。未だ知り得なかったけれど、その頃から悪性のリンパ腫に犯され始めていたのだ。この蕎麦屋の、この場所に、一年四ヶ月前、確かにレオはここにいた。ケージの中で静かに私たちの食事が終えるのを待っていた。新蕎麦は甘くて少し喉につかえる、のだ。
2023.12.04
コメント(0)
2023/12/03/日曜日/山は寒いが好天満月庵北杜市武川町蕎麦と炊き込みご飯 ¥1000半年ぶりくらいかな、須玉から甲州街道を少し戻った辺り、右手にある満月庵本日のお蕎麦は、この武川町で、お店のご主人←かわいい元気な女性←が育てた常陸秋蕎麦の実を用いた二八。初めての試みなのだとか。しかも本日が初日。初の初の新蕎麦!小さな畠につき2、3日で使い終わる分量らしい。同時に収穫の山ワサビ=ホースラディッシュも添えられて。凄い巡り合わせでお蕎麦が頂けた。感謝、感謝。常陸秋蕎麦らしい淡い緑色先ず山ワサビと一緒に口に運べば蕎麦の強い甘さにびっくり。水分多めに含んだ蕎麦は瑞々しく、身体内部からの清流を感じるよう。ご主人さま、あとはツユの出汁をもう一踏ん張り。いやいや、この蕎麦は塩が良いかも。炊き込みご飯がまた、実家で食べるような慈愛溢れるお味。ごちそうさまでした!↓同行のレオぽんも他にお客さんがいないとあって三味線演奏してくれる。窓の向こうには富士山が遠く臨めるのだった。
2023.12.03
コメント(0)
2023/12/01/金曜日/好天手打蕎麦 ふじや新宿区十割蕎麦 ¥980月に少なくても一度は訪れる、わたし的蕎麦のスタンダード店。わさびの量がたっぷりあるのも嬉しい。しばらくわさびだけで頂き、ツユを使う。なので、割と多めにツユが残る。こちらの蕎麦湯、ちょっと粘度が強い。もう少し緩く、熱くしてくれるといいな。
2023.12.01
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1