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父の家の家事全般は、基本的に、大きい洗濯物と夕食は姉で、家屋内外の清掃全般と休日の朝昼食と夜食及び、ゴミ出しは私の分担です。おかげさまで、楽しんでやっております。先日は、小さな庭の針葉樹の葉も落ち切って、久しぶりに植木屋さんに剪定に来て頂きました。25年程前、バブル景気の時になりますが、元々植木屋さんだった工務店の社長さんを、両親が惚れ込んで建てて頂いたのが、父の家です。その時に、向かいが植木屋さんで、松の木を植えておられました。それを見た社長のお父さんは植木屋さんでしたので、庭を作る時に、『奥さん、向かいの松が立派でっしゃろ。負けたらあきまへん。』と言って、松を植えて下さったと、嬉しそうに母が話していたのを思い出します。ですから、枯らしたりは、絶対に出来ないという思いがあります。今は、永く仲良くして下さって、母の葬儀の際も、何かとお世話下さった向かいの松のライバルの植木屋さんにお願いしてます。母も喜んでくれていると信じています。 剪定前 ↓ 作業中 ↓ 剪定後
2011.03.10
この前のブログで、うっかり猪を食べたとお伝えしましたが、今日は禅居庵・摩利支尊天様の月例ご縁日で、大般若法会と坐禅会及び法話がございました。これは行かないと、 と思い参じました。その後、ロータリーの例会に出席する予定で、時間的にも充分に行けたのですが、ご存知と思いますが、例会の主たるプログラムは、卓話を拝聴するのですが、和尚様の法話を拝聴したら、『今日は、これで十分だ。』と思い、縁日仲間の山本さんと食事に行きました。法話の内容で、私が和尚様に感謝したいのは、社長であったり、父親であり、又は息子である娑婆での私の立場は様々あり、厳密には、人と対峙する関係がまだ沢山あるなか、常にと言うか、最近、生意気な心があって、自分の立ち位置でしか、物事を見てなかったせいで、傲慢さが対峙する人間関係において、あったと気がついたように思います。ですから、文句を言う、人の話は聞かない、総じて、人に厳しく、自分に優しくといった具合の心持ちでありました。他にも、坐禅会に参加されて、和尚様の法話を拝聴されていた方は、勿論、居られましたが、和尚様は、最近の私の言動・行動を見て、忠告して下さってるように思えました。これも、独りよがりの、最近の悪い傾向なんだと思いますが・・・ご修行時代の問答の川と橋の例えで、有難く拝聴しました。橋は動かないで、川の水は動いていますが、道場で、己事究明に努めて、永く坐禅をして坐りきった禅僧は、自分が、川の水に成り切って、橋が動いている境地を味わえるそうです。深い、心に染み入る法話でありました。私の猪を食した処分は、保留だそうです。穏便かつ寛容な処分であります事を、私と共に願って頂ければ幸いです。
2011.03.09
昨日、若い社員と共に、営業に出ましたら、会社に円覚寺管長青松軒老大師がお見えになったとの報が入り、急いで帰社しました。運よく、月曜日は、会長がロータリーの例会後に、会社に顔を見せて下さる日だったので、会長が応待してくれて助かりました。京都の建仁寺に用事がお有りで、その後に、来年度のカレンダーに掲載させて戴く墨蹟を持参下さったのでした。語句は、発刊後のお楽しみですが、当初にお願いした語句は、円覚寺僧堂内の隠寮の名称と同じくして、管長様は、当方が分かった上でお願いしたと思われた因縁がありました。社員も、大慌てしたようですが、どちら様がお見え下さっても良いように、清掃をしっかりする事の大切さを再認識しました。
2011.03.08

昨夜、京都の名門旅館柊屋さんで、鹿肉と猪肉を食する機会がありました。ロータリーで、お世話になっているK氏は、ご自分所有の裏山の猪や鹿を狩猟される趣味を持ってられて、お誘いを受けた時に嫌な予感がしたのですが、美味しく頂く羽目になりました。私がお世話になっている建仁寺の禅居庵は、本堂とは別に摩利支尊天堂を護持されており、沢山の信者さんの信仰の対象になっております。国内の三代摩利支尊天の一角を担う由緒あるお堂であります。摩利支尊天の神(仏)のお遣いが猪であるので、和尚様は、猪を食する事はされずにおられます。私も、その気持ちで、永くお付き合いをしたかったのですが、断るわけもいかず、鍋と焼肉にと、沢山に頂戴した次第です。和尚様には、申告をさせて頂きましたが、処分は考えておくとの事でした。 私にとっては、歴史的一日でありました。
2011.03.07
今のニュースは、沈没寸前の民主党の政局ネタには、うんざりです。早く、経済政策の道筋だけでも、立てないと日本国は沈没してしまいます。私の様な政治には、疎い人間でも危機感を持つわけですから、かなりだと思います。京都大学の入試問題ですが、当事者の若者は、かなり優秀な若者であったのに、間が差したんでしょうね。母親を楽にして、喜ばしたい気持ちもあったと思います。時代がネット全盛時代となり、厳正なる入試に、この種の行為が行われた事を各大学も鑑みて、対策を講じ警鐘にする変革期だと思います。仙台の若者の個人攻撃は、マスコミには控えてもらい、罪を償ったら、受験にトライ出来る道を残してほしいと思います。犯罪自体には、社会問題として関心ありますが、彼の人格、生活には興味がありません。私の母の兄は、数年前に他界したのですが、京都大学を卒業して、学問の道を選び、鹿児島大学の名誉教授となり、晩年は、生まれ育った大阪に戻り、私立大学で週に一度ぐらいの講義を担当して、おじは、『勉強してるんだ。』と言ってましたが、母校の京都大学でフランス語を教えに来てました。専門は哲学でドイツ語のはずですが。何回か、その授業が終わるのを待って、お酒大好きのおじに御馳走になりました。その際に聞いたのですが、昭和20年代の京都大学の文学部は、受験する時点で、英語の辞書を、全て理解しておく学力が必要であったので、とにかく勉強したそうです。このおじは、私と似た性格で、飲むと機嫌がよくなり、顔も、通夜の際に、京大の友人が、『幸ちゃんの、若い時にそっくりやな。』と言うほどに、そっくりで、そこは母も認めるところでした。余談が長くなりましたが、NLの若者が亡くなった事と仙台の少年の事件と将来ある若者の話題が続きますが、これからの日本国を担うのは、間違いなく彼らの世代であります。温情ある報道を願います。、
2011.03.04

昨日、夕方に東福寺管長更幽軒老大師の遷化の新聞記事を見ました。昼に、永源寺管長仙巌室老大師との相見の際に、『どうなされてるだろうか。』と話題にされたばかりで、岡山で静養されてるとばかり思っておりました。その時には、すでに遷化されてたのです。無常であります。弊社の創業の初期の時に、やはり、社名の名づけ親でもある恩師元南禅寺管長寒松軒老大師の遷化という父にとっては、辛い別離がありました。入院されていると、沢山の衣を着たお坊さんが見舞いに来られるので、入院患者には、気持が好くないだろうという柴山老師の自らの計らいで、エレべーターに近い病室への変更を申し出られました。すると、病院側が老師の思いが分からず不満を言ったそうです。すると、温厚な父が、猛然と抗議したそうです。本師柴山老師の看病におられた福島老師が、その様子を何処からか見てられて、当時の様子を何回も、私に話して下さり、弊社を温かく見守って下さった原点を教えて下さったのだと理解しておりました。晩年は、私の字の下手な事を心配下さり、『親父に教われ。千眞工藝の社長として恥ずかしいやろ。』と言われたもんです。最晩年は、柴山老師の話をすると、嬉しそうに涙を流されて、墨蹟依頼をすると『何とか、トライしてみます。』と言って下さった状況を鮮明に思い出します。お書き頂く事は叶わず、以前にお書きになられた墨蹟を掲載させて頂いておりました。それは、老師の千眞工藝を盛りたててやろうという温情に他なりません。臨済禅を、人に伝える事のみに尽くされて、美術品やお金には、興味を示されない、禅僧であられました。思い出は尽きませんが、老師に教わった今を生きるという気持ちを大切に、仏心を宿し、残り少ない人生を生き抜く覚悟であります。合掌。
2011.03.02
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