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さて、京都遠征2日目。ホテルは駅前の都ホテル京都八条さんで、朝食付きプラン。豆乳の湯豆腐が染みるわ。車はホテルの駐車場で、お昼まで預かってくれるので、地下鉄で散策。これが後で裏目にでるんだな…。先ずは京都御苑へ正面は京都御所。全部回るには広すぎるなー。南半分を散策して、このまま徒歩で二条城へ向かおう。てくてく西へ歩いて、京都府庁を横目に二条城を目指します。二条城着。いつ来ても壮大やね。二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、二条在番によって守られていました。3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸のために城内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが数多く加えられました。壮麗な城に、天皇を迎えることで、江戸幕府の支配が安定したものであることを世に知らしめたものです。1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことは日本史上あまりにも有名ですね。東大手門は二条城の正門にあたり、現存の門は1662年(寛文2年)頃の建築と考えられています。築城当時は現在のように櫓門(2階建て)でしたが、寛永の二条城行幸時には天皇を2階から見下ろさないようにとの配慮から、一重の門に建て替えられたと言われています。前に来た時には、この東大手門と東南隅櫓の内部が公開されていました。東大手門や東南隅櫓にはちゃんと石落としの構造が設けられていたり、火縄銃をかけるための竹釘が並んでいたりと、二条城もちゃんとした城なんだなって思いましたね。唐門は、二の丸御殿の正門にあたり、切妻造、桧皮葺の四脚門でその屋根の前後に唐破風が付きます。門には長寿を意味する「松竹梅に鶴」や、聖域を守護する「唐獅子」など、豪華絢爛な極彩色の彫刻を飾ります。相変わらず、何回来てもきれいだな~。唐門をくぐって、二の丸御殿に入ります。東南から北西にかけて、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が雁行形に立ち並ぶ御殿です。部屋数33室、800畳余りもある内部は、代表的な「松鷹図」をはじめ、将軍の威厳を示す虎や豹、桜や四季折々の花を描いた狩野派の障壁画(模写画)で装飾されています。御殿内は撮影NGです。ちなみに、二条城順路の一番最後にあたる大休憩所の隣に「二条城障壁画 展示収蔵館」があるんですが、二の丸御殿の障壁画の原画を間近で鑑賞することができます。時期によって展示物が変わるので、見たい原画があればHPを要チェックですね。二の丸御殿で見ることが出来るのは、レプリカなんですよね。さて、ここで困ったことが…。女衆達が、「ちょっとお昼も近いし、歩き疲れたから、車取ってきてって」って!「ええ!これから二の丸庭園行って、本丸見ようと思ったのに」まあ、ホテルの駐車場が、昼から有料扱いで、びっくりする金額が課金されるんで、取りには行かなくてはいかんでのですが、このタイミングで頼むのーダッシュで、車を回収して、再度二条城で2人をピックアップしましたよ。二の丸と本丸は次回のお楽しみだなここから、最後の鳳凰目指して移動します。京都を第二京阪→京滋バイパスと渡って南下して、宇治着。お昼もかなり回ってるし、ちょっと腹ごしらえしますかネ。ここ宇治は、お茶の産地ですから、抹茶ラーメンでも食べますかね。塩ラーメンに抹茶のトッピング。もちろん麺は緑色で抹茶が練りこんでます。餃子にも抹茶が練りこんであって、抹茶塩でいただきます。「マツコの知らない世界」で抹茶スイーツマニアの特集でやってたお店(田中九商店)だったんで、入ってみたんです。味は普通です。遠くで抹茶の香りがする程度。ラーメンの抹茶トッピングは、おすすめしませんね。1杯50円に惹かれて、餃子のお口直しにいただいました。すっきりした甘い味でした。もち、お買い上げ。お茶屋さんが軒を連ねており、いいお茶の香りがそこら中から漂ってました。女衆がお土産店にお買い物に入っちゃったんで、隣の団子やで時間つぶしです。煎茶、抹茶、ほうじ茶の団子です。1本食べて、まだ出てこない、また1本食べて出てこない。結局3本食べたじゃん!本日のメインイベントの平等院鳳凰堂平等院鳳凰堂は、平安時代の摂政・藤原頼通(ふじわらのよりみち)が、極楽浄土を現世に再現しようと試みた壮麗な寺院です。宇治は京都南郊の宇治川を望む景勝地。平安時代の初期から嵯峨と並ぶ貴族の別荘地で、紫式部の長編小説「源氏物語・宇治十条」の舞台にもなっています。光源氏のモデルの一人といわれる、嵯峨天皇の皇子 源融(みなもとのとおる)も、別荘として宇治に「宇治院」、嵯峨に「棲霞観(せいかかん):現在の清涼寺」を営みました。「宇治院」は、その後、宇多天皇から天皇の孫 源重信へと引き継がれ、長徳4年(998年)に、摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となります。そして道長が万寿4年(1027年)に没した後、長男の関白・藤原頼通が永承7年(1052年)に宇治殿を寺院に改め創建したのが「平等院」です。時の世は、釈迦の死後2000年経つと、仏法が衰え世の中が乱れるという末法思想に支配されており、特に1052年(永承7年)は末法元年とされ人々に恐れられていました。10円硬貨のデザインが平等院鳳凰堂だということは皆さん知ってますよね。昭和26年(1951年)に、十円硬貨の意匠として閣議決定し採用されました。発行は1953年。10円硬貨の平等院鳳凰堂は細密にデザインされていますが、これは発行開始当初は高額硬貨であったため、偽造防止の意味も含めて決められたものだそうです。なんと、改修作業中につき中堂は開門しないとのこと。また鳳凰堂の内部拝観も予約販売で売り切れとのこと。2時間以上待つなら1人だけ空きがあるって…。こりゃまた残念。この中堂の中の阿弥陀如来像が見たかったし、そもそも中堂の壁画も、天井画も、部屋自体のギミックも中堂の長押上の壁を飾る浮き彫りの菩薩像52躯も何も間も、全部国宝。中堂の中は見たかったな~。ちなみに、この屋根の鳳凰って、1万円札の裏面に使われてるって知ってました?裏面の左側に立ってます。全然知らなくって、今回の旅行で知りました。2004年11月1日から現行デザインだったんですね。表面の福沢諭吉しか知らんかった~お金持ってないのがバレバレやな。中堂内観者一行を見送って、順路を進みます。まあ、ミュージアム「鳳凰館」で、中堂にあるものの一部は見ることが出来たんで、良しとしますか…。でも、中堂の天井画はみたかったなあ~。あとは、岡山に帰るだけ。京滋バイパスから名神→新名神→山陽道と渡って無事帰宅しました。次男も人間的に大きくなってましたし、次に会うの年末の帰省か、1月の成人式かな?
2021年10月31日

コロナの各宣言や、各制限が解除されたので、次男に会いに京都へ行ってきました。今回は娘も同行してます。娘はコロナで京都修学旅行が中止になっちゃったので、次男のアパートへ行くまでに、京都散策しながら行きますねまずは、ド定番の金閣寺から。ここは、自分も小学校の修学旅行以来かな❓あれから何度も京都に来てるけど、北のはずれにポツンとあるからか、なんだか縁がなかったんだよね。お庭の紅葉は、まだこれからって感じ。小学校の時に見た金閣寺は、金箔がハゲハゲで、なんだかくすんだ感じだったんだけど・・・。めっちゃ、きれいじゃん!!私が修学旅行で来たのが、昭和57年頃。改修履歴を調べたら、昭和62年(1987)秋の昭和の大改修で、漆の塗替えや金箔の張替え、更に天井画と義満像の復元を行ってました。その後も定期的に屋根の葺替工事と合わせて小改修を行っており、令和2年(2020)の秋の葺替工事を終えたばかりで、一番きれいな時に見ることが出来ました金閣寺は正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つです。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。一層は寝殿造で法水院、二層は武家造で潮音洞とよばれています。三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物です。ちなみに、二層と三層は、漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(サワラ)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(コケラブキ)で、最頂部には鳳凰が輝いています。今回の旅のテーマは「鳳凰」散策終わりに、抹茶と和三盆でちょっぴり休憩。金閣寺を後にして、東山へ移動し銀閣寺へ・・・。銀閣寺は、正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つです。銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐台形の向月台があります。もう1週間遅ければ、紅葉がきれいだっただろうな~銀閣寺の俗称のとおり、慈照寺の象徴というべきものが観音殿(銀閣・国宝)です。義政公は自らの宗教観を託し、一層を心空殿、二層を潮音閣と命名しました。鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的建造物として有名です。そしてここにも鳳凰。華やかな印象の「金閣寺」に比べ、落ち着いた印象の銀閣寺。質素ではありますが、銀閣は、「わび・さび」を尊ぶ、東山文化の象徴ですね。確かに銀閣は京都に背を向けて建っています。自分の世継ぎ問題に端を発した応仁の乱で京の都が焼け、政治も上手くいかない義政は、現実逃避するように隠居先として東山山荘を建てましたが、都に背を向けた銀閣の姿は、義政の「もう京の都を見たくない」という気持ちの表れかもしれませんね。お庭散歩をたっぷり楽しんで、銀閣寺から出てきました。女性陣は抹茶ソフトをほおばっていますが、私はこれ行ってみました。う~ん。チョット、広告と違わんか?ここから、少しだけ哲学の小道を歩散策して、次男のアパートを目指します。次男のアパートはここからすぐなんですケドね。約1年半ぶりの次男の部屋でした。次男は、宿題のレポートを仕上げてから出るわとのこと。一旦我々はホテルへチェックインして、再度南座前で待ち合わせて合流。祇園へ向かいます。花見小路通りから脇道に入って・・・。一見さんお断りのにおいのする赤ちょうちん街を抜けて・・・。今回お世話になる「萬’燕楽」さん。2年前に友人と来た時に、祇園の香のする、いい雰囲気のお店だったので、リピートです。久々に次男とゆっくり話をすることができました。この後、次男と私は2次会へ繰り出し、夜は更けていきました。
2021年10月30日
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