~弾丸ツーリングREPORT~
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義親の入院が長引いているので、見舞いに行ってきました。今回の朝うどんは、新規開拓で丸亀の岡田にある「つよ志」さんここ、朝7:00から開いていて、朝うーが楽しめます。しかも太麺店主さんが、カブ主らしく、最近はバイカー御用達うどん屋ともなっています。昔からの付き合いのゼファーオーナーズクラブの仲間にこの夏うどんOFFの企画を頼まれているので、その下見も兼ねています。見舞いも終わり、必要品の買い出しも済んだので、帰路につきます。前回にも増して健康状態がアップしていました次は退院の手伝いですね。今回も少し時間があるので、ソロモンクロニクルの調査に向かいます。伝承によると、仁賢天皇の時代に、この地に白髪の老翁が天下り、この地を「宮内」と改めるよう発言したのが起源とされています。保元の乱の後、讃岐の国の嵩徳上皇を尋ねた源為朝が、阿波国との境にある相栗峠で弓を引いたところ、うなりをたてた矢はこの毘沙門獄に当たり、はねかえって白人神社におちた。この古来弓は、現在は神社の宝物となっており、旧正月14日お的神事が今に伝えられています。ちなみにソロモンクロニクルに女優の山口智子が参戦してきてて、先般ここ白人神社にも来ていました。白人神社の祭神は、瓊瓊杵尊、天照大神、伊弉冉尊、豊秋津姫命に加えて、崇徳天皇、源為朝が祀られています。白人神社の祭祀は、古来75人の宮人(みょうど)が担ってきているそうです。穴吹町史には、「古代忌部の一族がこの村に住みつき、麻や穀物を作るようになった。豊作を願い神明山に集って祀りを行った。やがて聖域を区別するために石を積んで磐境が築かれた。この一族が宮人の先祖である。」とあります。自然に考えると、この75人は忌部一族で、PART2で触れた、麻の紋章でイスラエルとの繋がりが疑われています。そこで、今回の調査の目玉。白人神社の奥の院の磐境神明神社。磐境神明神社とは、すべて石を積み上げた東西約二十二メートル、南北約七メートルの長方形をした磐境です。磐境とは、神が降臨する岩石もしくは石を築みめぐらした一定の場所のことを指します。日本の神社の作りとしては異様なつくりをしている磐境神明神社ですが、これは古代イスラエル人が各地に作った「高き所」と呼ばれる礼拝所にとてもよく 似ているそうです。磐境神明神社を見た元駐日大使エリ・コーヘン氏は「これは正に古代イスラエルの礼拝所であると感じた」と言葉を残しています。石積みの中に入ると、高さ1m弱に積まれた祭壇の上に、石で囲まれた木製の小祠が5つ祀られています。祭神は、右から国常立神、瓊瓊杵尊、天照大神、伊弉冉神、豊秋津姫神となっています。伊弉諾神ではなく妻の伊弉冉神、天忍穂耳命ではなく妻の豊秋津姫神と女神が祀られているのはなぜ何だろう?忌部一族は、イスラエル人だったのか今一度、古事記と聖書の読み比べが必要なのかもしれませんね。道中を岡山へ戻るんだったら、高松経由が最短になったので、高松でうどんにしましょう。この時間に開いてるお店も少ないのですが、高松駅前まで出てきたんで、チェーン店でも旨いお気に入りのめりけんやさんで肉ぶっかけにしました。次回調査は、PART1時に荒天で断念した剣山登頂に行くしかないですよね。
2025年05月06日