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'25 4月の近征ツーリングは、「旧国鉄倉吉線廃線跡ツー」として、倉吉市関金に行ってきました。本日はこの2台で回ります。かつて倉吉駅から関金の山守駅まで約20kmを結んでいた国鉄倉吉線。昭和60年3月末で廃止となり72年の歴史に幕を閉じました。廃線から月日がたった今でもレールやホーム跡が残り、「日本一美しい廃線跡」として有名な観光スポットです。関金にある泰久寺駅跡から山守トンネル入口付近までは竹林の中に廃線跡があり、幻想的な風景が広がります。「泰久寺駅跡」までは約1km、竹林エリアまでは1.2kmとなっています。泰久寺駅まで来ました。ここからは、廃線跡を通って、竹林を目指します。スタンド・バイ・ミーの世界ですねこの区間の竹林はおみごと。写真にエフェクトかけてみました竹林ゾーンはトンネルまででおしまい。トレッキングイベントの時は、トンネルの中も入れるみたい。再び観光案内所へ戻ってきました。約2.5kmの楽しいウオーキングでしたね。観光案内所の隣にある燻製専門店「燻製道楽」さん燻製料理専門のレストランで、単品のテイクアウトもできます。燻製玉子をゲット。これがめちゃ旨いんだわ。さて、観光案内所から、廃線跡を横目にさらに西へ。大山はまだ雪をかぶってますね。ランチは、「サテンドール」さん。お店は元は診療所だった建物を本格洋食レストランとして改装されています。本来は、様々な地産地消のコース料理がウリのお店で、優しい味の手作りソースが絶品とのことなんですが・・・、時間がないツーリング途中の食事なんで、もう一つの看板メニューの欧風カレーをオーダー。侮るなかれ、三日かかってつくる本格的洋食屋のカレーです。まさにホテルのカレーの味でした次回はコース料理を頂きに来たいですね。少し北に移動して、松井酒造さんのウイスキー工場へ。ちょっと前から工場見学を中止していたのは知っていたんですが、やっぱり駄目でした。商品の直売所は、あるのかなって思ってたけど、それも無しでしたわ。フォルツア先輩が、夕方から予定があるので途中離脱するとのことだったので、関金温泉へ入って解散しましょう。関金温泉の元湯で、源泉かけながしの共同浴場「関の湯」さん開湯120年、源泉かけ流し ラジウム泉の共同温泉です。小学生以上 200円朝6時半からやってます。ボディソープ、シャンプー&リンス等はありません。温泉て不思議ですよね。お湯につかっただけで元気になる。道の駅「犬挟」で、フォルツア先輩と別れて、倉吉に再北上しようか迷ったんだけど、ここまで戻ってきたら、西進して蒜山界隈を回ります。ひるぜんジャージーランドで、濃厚ソフトクリームで休憩です。大山スカイラインは4月17日15:00から冬季通行止めが解除されていますから、大山回ってみますか。鬼女台展望台。大山に近づくにつれて、まだまだ残雪があるな鍵掛峠まで来た。やっぱりここからの大山が、一番迫力があるな。ここから桝水高原までの間の「大砂防地帯」は、それぞれの沢で雪崩の恐れがあるので、まだ冬季通行止めが継続中でした。大山スカイランを戻って、再び蒜山高原へ。蒜山高原センター「ジョイフルパーク」へバイクを停めて、GREENable(グリーナブル)へGREENable(グリーナブル)は、岡山県真庭市の国立公園 蒜山(蒜山高原)の豊かな自然の中に誕生した、誰もがサステナブルの価値を身近に体感できる観光文化発信拠点施設です。建築家・隈研吾氏が設計監修したCLTパビリオン「風の葉」、ミュージアム、ストア、アクティビティを通じて、楽しみながら持続可能な暮らしを体感できる施設となっています。施設の象徴である「風の扉」は、真庭市の木材で作られたCLT(直交集成板)を使い、東京・晴海に建設された隈研吾氏設計監修の「CLT PARK HARUMI」が真庭市蒜山高原に移築され、“GREENable”の想いを具現化する蒜山の新たな観光文化発信拠点施設として、生まれ変わったものです。蒜山高原センターの桜は満開でした。ボチボチ帰還しましょう。蒜山ICがすぐそこなので津山までは高速、そこからは下道で帰ります。小腹が空いてて、蒜山では我慢したんだけど、やっぱり何か食べようと思ったら、この看板にやられたわ院庄IC降りてすぐの「いっちゃんラーメン」。店内に鉄板を囲んだカウンターがあるラーメン屋で、鉄板焼きとラーメンが楽しめるお店です。津山は肉処で、旨いホルモンが流通していることから、古くから焼肉屋、ホルモン焼屋が多いんですよ。ホルモンが美味かった御馳走様。無事帰還。今日のお土産は、松井酒造さんのクラフトハイボール2品とクラフトビール1品です。これ、お手軽価格で旨いんですよ。
2025年04月26日

'25 4月の近征ツーリングは、「三十郎と子供店長に会いに行くツー」と題して高梁市界隈に行ってきました。集合場所は岡山県高梁市南町157の「肉屋カフェ」その名の通り赤木食品さんは肉屋さんで、その一角をライダーズカフェとして開放しています。所狭しと来訪者がステッカーとサインを張っていましたわ。お肉屋さんなんで、カフェに「肉吸い」があるんです。肉吸いは肉の吸い物の事ね。この日は、翌日のイベント出店準備のために、臨時休業だったんだけど、店の前に止まるマフラーの音を聞いた御主人が急遽我々のために店を開けてくれました。ありがとうございました。本来は、先に昼食の予定だったんだけど、肉吸いでお腹もいいことから、腹ごなしも兼ねて、先に山城へ登りますか。天守閣へは約20分の山道を登らなければなりません全国には、天守が残っているお城が12城(現存天守12城)あり、備中松山城はその一つに数えられています。現存天守12城は・弘前城(青森県弘前市)【国宝】・松本城(長野県松本市)・丸岡城(福井県坂井市)【国宝】・犬山城(愛知県犬山市)【国宝】・彦根城(滋賀県彦根市)【世界遺産 /国宝】・姫路城(兵庫県姫路市)【国宝】・松江城(島根県松江市)【国宝】・備中松山城・丸亀城・松山城・宇和島城・高知城の12城。中四国が多いな。また、お城は、その立地から「山城」「平山城」「平城」と分類され、備中松山城は「山城」に分類されます。 現存天守12城の中で「山城」の形態をとるのは、備中松山城だけであることから、備中松山城は、「天守の残る唯一の山城」ということができます。備中松山城は、市街地の北端にそびえる標高約480mの臥牛山に築かれています。備中松山城は、鎌倉時代から戦国時代には「戦のための城郭」として、江戸時代には「備中松山のシンボル」として、備中の拠点としての役割を果たしてきました。天守閣には現在の猫城主「さんじゅーろー」がいます。平成30年7月に起きた西日本豪雨災害では城のある高梁市も甚大な被害を受け、観光客は激減。しかし、豪雨災害後、さんじゅーろーが城に住み着くようになり、地元のテレビや新聞など多くのメディアに取り上げられると、備中松山城への来城者数はV字回復。いまも右肩上がりが続いており、国内のみならずアジアなど海外からも、噂を聞きつけた猫好きたちが、険しい登城道をものともせずさんじゅーろーに会うために次々と訪れているんです。さて、天守閣へ天守閣では備中松山藩の歴史が掲げられているんですが、外せないのが山田方谷さん。山田方谷(1805年~1877年)は江戸時代末期から明治時代初期の漢学者、備中松山藩士です。学者として藩に仕えていた方谷でしたが、藩主板倉勝静(1823年~1889年)のもとで藩政改革を断行し、大きな成功をおさめました。山田方谷の藩政改革は、10万両(約600憶)の借金をわずか8年間という短期間で返済し、さらに余剰金まで蓄えています。勝静が幕府の老中となると、その政治顧問として幕政にも関与しました。江戸幕府で老中を務めていた板倉氏は幕末に朝敵(朝廷・天皇の敵)とみなされ、備中松山藩は危機的状況に追い込まれます。この有事に引退していた山田方谷は呼び戻され、「無謀な戦いを避け、藩の存続を図るしかない」と無血開城を決断し、新政府軍に降伏。この決断により城も守られました。さて、本日メインイベント子供店長のラーメン店へやって来ました。お昼時間からズレて訪問となったので、並ばずに入店できました。私たちが入店した後、後続が入って来てすぐに満席になってました。「麺とり森田商店」は元々は米穀販売・製粉業。店主が、ラーメン大好きな息子にも安心して食べられるように、よい素材のものだけを選んで、理想的な中華蕎麦の味を追求しているラーメン店です。ダシには岡山地鶏や伊吹島産の煮干しや鮮魚のアラ、野菜などをブレンド。鶏醤油ラーメンは鶏ガラと魚介のダブルスープ。奥出雲の老舗『森田醤油店』の醤油を使い鶏油でまとめた一品です。チャーシューもレア感を残した絶品でした店主のラーメン好きな息子さんが、2代目店長として、テキパキ接客してました。2代目店長は店を始めた時は小学生だったけど、今は中学生かな?さて、フォルツア先輩が高梁へ来たら、「必ずお土産にコレがいるんです。」ってことで「あおやぎ」さんへあおやぎさん人気NO.1の「生どら」シリーズです。甘いものは併せて高梁紅茶をゲットしてきました。高梁紅茶の茶葉は標高460mの茶畑で栽培され、緑茶用と同じ品種の茶葉を使っているのですが、収穫後の扱いで区分されるんです。海外の紅茶とは違って、高梁紅茶は渋みがなく、繊細な甘みも感じられるので、高梁地域に行ったら必ず買って帰るようにしてるんです。さて、時間的には少し早いのですが、帰路につきます。時間もあるので下道を帰ります。高梁名物のループ橋経由で広域農道吉備高原線で無事帰宅しています。備中藩の山田方谷さんを大河に推す動きもあるなかで方谷さんの資料館も整備されています。次回の高梁方面は方谷さん巡りですね。
2025年04月19日

義親が急遽入院したので、見舞いに行ってきました。四国入りしたので、とりあえず朝うどんです。いつもご用達の坂出北IC出口すぐの「やなぎ屋」さんは日曜日はお休みなので、新規開拓で宇多津のめりめんやさんへ。めりけんやさんは高松駅前店をよく利用しています。チェーン店なんだけど、旨いんですよね。お見舞いと、病院で必要な物資の買い出しも終わって、帰還します。病院食と規則正しい生活で、健康的になってました。帰路の途中に、ソロモンクロニクル調査を行って帰ります。道中にある下加茂神社へ。西に行けば鴨神社があり、それぞれ京都の上賀茂下鴨神社と関係があることは分かっているのですが、実は徳島の2社が元社で、現在大きく祀られている京都の2社が分祀ではないか?と言われています。社には葵の紋が使われていました。葵の紋は江戸時代には徳川家の家紋として使用されていたことが有名ですが、 元々は京都の賀茂神社がルーツ となっています。賀茂神社の神紋として用いられていたことから、家紋として広く普及しました。現在も毎年5月に開催される賀茂神社のお祭りには、「葵祭り」という名が付いています。京都とのつながりは間違いないようですね。全てはソロモンの秘宝から大衆の目をそらすため、京都に分祀したとのではと疑われています。下加茂神社から北へ上がった所にある倭大國魂神社。倭大国魂神社は延喜式帳にも記載されている古社で、境内には「大国魂古墳」もあります。大国魂神社と言うのはその国の神様を祀る神社のことで、この神社のある 徳島は昔「倭の国」だと言われています。倭大國魂神社には、興味深い説があります。この神社を訪れた元駐イスラエル大使のエリ・コーエン氏が、倭大國魂神社の神紋を見て、「これは、メノラーに似ている。」と言ったそうです。メノラーとは、古代イスラエルで用いられた燭台のことで、現在のイスラエルでも国章として用いられています。倭大國魂神社の神紋は、梶の葉紋です。「古語拾遺」によると、「天富命が天日鷲命の子孫を率いて、阿波国に出かけて、穀(かじ=梶)・麻の種を植えた。」と記され、立梶の葉紋は、天日鷲命を始祖とする阿波忌部氏の家紋にもなっています。忌部氏 (いんべうじ)は古代の宮廷祭祀・祭具製作・宮殿造営を司った氏族で、王権の祭祀に従事する「忌部」という部民を率いました。「忌」は神事で穢れを避け、身を慎むことを意味し、フトダマを始祖とし、天照の時代から天皇家に仕えました。のちに中臣氏 (藤原氏)との政争に敗れたことで排斥され、「斎部」へと改称、斎部広成が『古語拾遺』を著しました。ちょっと神社を巡るだけで、倭の国、神々、神話のキーワードが集まって来ますね。阿波の国には何かがあるんでしょうね。
2025年04月06日
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