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’25 8月の遠征ツーリングは、「丹波ビフカツ」ツーに行ってきました。今回も朝活バージョンで開催です。早起きして、涼しいうちに移動します。第一集合場所:山陽道瀬戸PA 6:00集合出発出がけにちょっとトラブって10分遅れで到着。ニンジャ、フォルツアと連ねて第二集合場所を目指します。第二集合場所:中国道加西SA 7:20集合出発ここには時間丁度でつきました。ここでCBとサンダーエースと合流。サンダーエースはいつ以来かね。本日は、この5台で回ります。舞鶴道春日IC下車して「90」で朝食購入。突如、田園地帯のど真ん中に奇抜なオレンジ色の工場?倉庫?登場。ここは手作りサンドイッチのセルフ販売所「90(きゅうまる)」丹波市産の卵を使い、和風だしを効かせた「たまごサンド」と、ボリューム満点の「かつサンド」を気軽に味わえます。カツサンドと、たまごサンド、飲みのもの用の三つの冷蔵庫があって、そてぞれの冷蔵庫の中にある各サンドもバリエーションが豊かで、たまごサンドは2種類、カツサンドは3種類かな?カツだけのパックもありました。勝手に商品を取って、支払い口にお金を投入するセルフ形式になっています。おっさんたちも、思い思いの朝食をゲット。セルフ自販機?形式だけど、品物の補充やおつりの両替はインターホンでお願いすれば、お店の方が出て来てくれます。せっかくなんで、眺めのいい高谷山の展望台で朝食にしましょう。ここ眺めは最高なんですが、上り道がかなりの酷道だった。南側の道で上がって来たんだけど、急こう配ヘアピンの連続と、落ち葉と道路の苔が凄いのよ。高谷山の山頂には展望台のほか、駐車場やトイレ、休憩所などの施設も整っています。数年前に、展望台周りを伐採して眺めを取り戻したそうです。このサンド、ボリュームが凄かった。みんなこのボリュームにノックアウトされてたサンドイッチのあまりのボリュームにみんな「腹パン」で動きが鈍いので、消化のために、道の駅「丹波おばあちゃんの里」で休憩。疾風巡拝の御刻印集めのために、柏原(かいばら)八幡宮によります。兵庫県丹波市柏原町に鎮座する柏原八幡宮は、古くから厄除けや家内安全にご利益があるとされ、「丹波柏原の厄神さん」として親しまれている関西屈指のパワースポットです。柏原八幡宮の歴史は古く、創建以来、幾度となく戦火や災害に見舞われてきました。南北朝時代には荻野安芸守と足利氏の合戦、戦国時代には明智光秀の丹波攻めの際に社殿や三重塔が焼失するなど、激動の時代を生き抜いてきました。しかし、その度に再建され、現在の姿へと至っています。これらの出来事から、数々の伝説や逸話が生まれています。三重塔が神仏分離令を乗り越えて現存していることや、境内にある弁天社にまつわる神秘的な話など、多くの謎と魅力に満ちた場所なんです。ちなみに明治の初めの神仏分離令の後も神社に塔が残っているのは、全国で18例しかないそうです。一の鳥居のすぐ右側に弁財天(厳島神社)がたっています。この厳島神社には、明智光秀によって兄たちが殺されたことを恨んだまま息を引き取り、死後、幽霊となって里人たちを恐れさせた女性の霊がまつられています。織田信長の命を受け、丹波の国を攻めた光秀だが、「丹波の赤鬼」との異名をとった黒井城主、赤井悪右衛門直正らの抵抗に遭い、敗走を余儀なくされるなど、さんざん手を焼いていました。まず光秀は、赤井悪右衛門直正の甥で赤井忠家が城主の高見城を攻め、落城します。そんな激戦のなか、飛んできた敵の矢を調べると、鏃に「𡈽屋(はんや)」の印が入っていたといい、これは、地元の豪商「𡈽屋」で造ったものであることが判明します。これに激怒した光秀は、𡈽屋の家族全員をひっ捕らえ、八幡下の池の畔で火あぶりの刑に処したそうです。その𡈽屋の妹・岡女は、高見城主である赤井忠家の妻でした。岡女は高見城落城後、一時は自害を考えましたが、兄たちの菩提を弔うため、柏原新町西願寺の尼僧になります。そして処刑された家族の供養をしながら暮らしていましたが、不運にも若くして病没してしまいます。その後、𡈽屋の家族が火あぶりに処された池の畔に、毎夜のようにうめき声や火の玉がでるようになったといい、それを恐れた人々は、浄財を持ちより池の畔に弁財天を祀ったところ、亡霊は鎮まったといわれています。ちなみにの話なんでけど、山崎の戦いで光秀が敗死したのは1582年6月13日なんだけど、ここ柏原八幡宮を焼き払ったのも、その3年前の6月13日だったといわれ、これは「神罰」だと書かれた史料が神社に残っているそうです。集めてきた疾風巡拝の「御刻印」も兵庫の3箇所はコンプリート。岡山の一つと合わせて、4つ集まりました。次に近いのは四国の10箇所。四国のどこかで1本目は、コンプリートしそうだな。柏原八幡宮の近くには、天然記念物で「木の根橋」と呼ばれている「柏原の大ケヤキ」がありました。このケヤキは幹径6m、樹高22mで推定樹齢は1000年だそうです。その根の1本が幅8mの奥村川をまたいで、自然の橋を形成していました。ちょっと移動して、本日のメイン篠山城です。篠山城は徳川家康の命で1609年(慶長14)大阪や京都から山陰、山陽への街道が通る交通の要衝地、篠山盆地の独立丘陵に豊臣秀頼の大阪城攻略拠点として築城されました。約8万人を動員した天下普請で、縄張りは築城の名手藤堂高虎、築城総奉行は池田輝政で半年という短期間で完成させました。本丸と二の丸はすべて犬走が設置された高石垣で囲まれ、その外側に三の丸と堀が巡っています。さらに外堀周辺には武家屋敷、その外側には町屋を配置し城下町を造りました。天守台は築かれましたが、天守の工事は中止されています。このことは、この城が軍事的拠点としての実戦性よりも、政治的象徴としての性格を強く意識して設計されたことを示しているそうです。篠山城大書院は、慶長14年(1609)の築城と同時に建てられた城内最大の建築物です。京都二条城二の丸御殿に匹敵する壮大な書院造でした。一大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えていましたが、昭和19年(1944)に火災で焼失。その後、篠山市民の寄付により、古絵図、古写真、発掘調査等の総合的な学術調査に基づき、平成12年(2000)に木造復元されました。床面積は739.33㎡、棟高は12.88m、屋根は入母屋造り、こけら葺き。内部は8部屋あり、上段の間には、江戸時代初期の狩野派絵師が描いた屏風絵が障壁画として転用され、往時の雰囲気を再現しています。篠山城跡 南堀の蓮は「篠山城蓮(ささやまじょうばす) 」という固有種で花弁が少なく、大ぶりな花をつけることが特徴だそうです。かつては夏の風物詩として、南堀一面にハスが咲き誇っていましたが、2005年頃に突然消滅しました。原因は、当時流行していた「ミドリガメ」と呼ばれる「ミシシッピアカミミガメ」を長く飼いきれず、堀に捨てるという行為でした。2014年からアカミミガメなど外来種の駆除や種レンコンを移植するなど、小学生や地域の方の活動により、2020年夏、15年ぶりにハスが開花したそうです。御徒士町武家屋敷群は、篠山城西側の外堀沿いに整備された武家町で、下級武士・御徒士たちの住まいが南北400mにわたって連なっています。茅葺の主屋や白壁の土蔵、棟門と土塀が連なる景観は、天保の大火後の復興形式をよく伝えています。篠山城下町、ここ御徒士町武家屋敷群を含む城の周囲の武家屋敷群と、東に展開する商人の町、河原町妻入商家群が、平成16年(2004)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。武家屋敷群の中の変電所も、門構えは旧家造になってましたよ。本来なら、ここで少し移動して、畜産会社直営の肉屋で丹波牛のビーフカツ定食の予定でしたが、①お城をゆっくり見でオーダーストップ時間まで時間がない事、②実は朝のカツサンドがボリューミーでお腹がすいてないことから、城の前の地物定食屋さんで、簡単に食べることにしました。丹波篠山って牛肉だけでなく猪肉も有名なんです。せっかくなんで、丹波猪肉丼と丹波黒豆の定食にしました。せっかくなんで、城東部に展開する商人の町、河原町妻入商家群を散策しながらお土産買ってかえりましょう。老舗のパン屋さんで、「まめパン」買おうとしたらなんと施設整備で長期お休み中老舗和菓子屋さんの水羊羹は何とかゲット。さて、帰ろうかと思ったら「や、やられた!」先輩に我々を代表して、北野武巡査に詫びを入れてもらったら・・・。許してもらえましたよミニスカポリスに!ここは、人形制作などを手掛けている会社の倉庫の前で、通学路でもあるこの道路に対して「何か交通安全対策にできることはないか」っていうことから、この人形を置いてみたんだって。ちゃんと地元の警察に許可も取ってて、ロゴは「POLICE」じゃなくて「PEACE」になってた。まあ、SNSですげ~バズるわなちなみに、ミニスカポリスは人形制作会社の社長さんの好みをフギィア化してるんだって。お隣にはコンテナを改造したお洒落なピザ屋さんもあります。ピザ屋さんの駐車場も、ごらんのとおりです。このピザ屋さんで、お茶させてもらったんだけど、外観と違って、メニューはどれも美味そうだった。自家製のジンジャーエールが辛口で美味かったんだけど、先輩の頼んだ、かき氷も美味そうだったな。それじゃあ、来た道を弾丸で帰りましょう。帰りは、社PAで休憩して、県北組とは福崎JCで流れ解散。県南組とは山陽ICで流れ解散して、いつものガススタで燃料満タンにして、18時半に無事帰宅です。今日の弾丸は400Kmでした。まあまあの弾丸でしたね。今日のお土産は、社PAで目についた、可愛いパッケージのミニラーメンと水羊羹です。せっかくなんで、娘に抹茶入れてもらって美味しくいただきました。今回は面白い集合写真を沢山撮ったんだけど、欲しかったら、メールちょうだいね。一式送るからね。
2025年08月23日

令和7年8月7日(金)義父母の退院の手続きと、荷物の搬送、買い出し対応に、奥さんの実家へ行ってきました。朝うどんは、帰省道中の「つよ志さん」。オーナーさんはカブヌシさんです。1か月で3回目の来店か、もう常連やな今回は「冷かけ中サイズ」にしてみた。安定のボリュームと安定の太麺。毎回美味いわ。ごちそうさまでした何だかんだで、アレコレしてると結局、夕方までかかった。帰り道は、高松経由になったんで、高松の東隣の三木町にある町中華で晩御飯食べて帰ろう。先日YouTubeで、まだやってるのを確認したんで、卒業してから約30年ぶりの来店です。昔となんか違うぞ平日の夕方19時前にも関わらず、駐車場は満車で店内も席が全部埋まってる。YouTube効果なのメニュー見たら30年前とほとんど変わってないこれで大丈夫なの。儲けあるのレバニラ炒め400円+ご飯(小)200円=600円天津飯(小)600円+餃子300円=900円二人で1500円このコスパなら、確かに駐車場満車になるわなおやっさんとおかあさんは昔のまゝだったけど、今日は19時まで厨房にバイト?息子?がいた。2人とも30年前に既にいい年だったから、いま幾つなのまた今度、みんなを連れて食いに行くからもう少し頑張ってね。令和7年8月12日(火)子供達(孫)の帰省に併せて、義父母のその後の様子を見に行ってきました。1週間で2回目の徳島弾丸になります。買い出し頼まれて、スーパーに寄ったんだけど、お盆の特設ブースの、徳島県の郷土愛が凄いんよスーパーの入口入って正面のブースがコレよ。金ちゃんヌードルがドーン!1943(昭和18)年創業、徳島県に本社及び工場を置く『徳島製粉株式会社』さんが、徳島県・西日本を中心に販売するカップ麺『金ちゃんヌードル』。1973(昭和48)年から販売され、エビなどのかやく(具材)がたっぷり入ったカップラーメン。『しお』『カレー』味などもある。袋麺タイプの『金ちゃんラーメン』もあり、こちらは1967(昭和42)年から愛されているロングセラー。大野海苔の海苔缶がドドーン!創業1940(昭和15)年の老舗海苔店『大野海苔株式会社』さんが作る『味付のり』。一度、大野海苔さんの味付のりを知ると、他の味付のりは…と言うほど地元民には定番。ごはんのお供やおにぎりにはもちろん、徳島のお土産ソウルフードとしても人気。郷土愛に感服いたしましたさすがに1週間に2回の徳島弾丸は疲れたって言うか、ツーリングも併せて1か月で3度も四国に渡ったから、大好きな瀬戸大橋に飽きてしもうたわそもそも、先の福井弾丸と併せて、1週間で1300㎞強は走りすぎやわもう、車乘りたーないわ
2025年08月12日

<福井弾丸ツアー2日目>です。今回お世話になったのは、福井市内中心街に立地する「ホテル藤田 福井」さん。大きな駐車場も完備かつ、駅も飲み屋街も近くて便利でした。ワシントンホテルチェーンのホテルで、コスパもよかったし、サービス等も申し分なしでした。ウチの奥さん、昨日の夕食といい、エエの探してくるな。福井の食材をふんだんに使用した郷土料理を盛り込んだ「朝が楽しみになる全50種以上の朝食ビュッフェ」も、えかったわ。福井と言えば「東尋坊」は外せないかな。福井市内からそんなに遠くないし、朝イチは東尋坊からスタート。残念ながら本日雨天。前回来た時も、大嵐だったなあ東尋坊の独特な景観は、柱状節理という希少な地形によって作られています。 柱状節理とは、溶岩やマグマが冷えて固まるときにできる柱状の割れ目のことで、地表近くまで上昇したマグマは、冷えて体積が小さく縮み、五角形や六角形の柱状の割れ目ができます。東尋坊の柱状節理は、約1300万年前に噴き出した溶岩が地中で固まり、地殻変動や日本海の荒波で削られ現在の形になりました。1kmにもわたる柱状節理は、ここ東尋坊と朝鮮半島の金剛山、スカンジナビア半島にあるノルウェー西海岸の3か所だけで、「柱状節理世界三大絶勝」と言われていて、地質学的にも貴重であることから、国の天然記念物と名勝にも指定されています。東尋坊商店街を抜けると、景色が一変し、断崖絶壁に到着。「大池」と呼ばれる東尋坊随一の絶壁の高さはなんと25m崖から海を見下ろすと、その高さに思わず足がすくみますわ。波打ち際まで下りていける「千畳敷」と呼ばれる場所もあります。美しい景観を守るため、東尋坊には手すりやフェンスなどが一切ありません。今日の天候はあいにくの雨。しかも強い風に傘をあおられながら千枚敷にも、たくさんの観光客が降りていきました。我々も中段の先端まで降りてみました。東尋坊や近くにある雄島などを約30分間にわたって周遊する「東尋坊観光遊覧船」は、波が低い日は、25mの高さを誇る「大池」の入り江の中まで入り込めるほか、「ライオン岩」や「ろうそく岩」、「軍艦岩」などを海上から楽しむことができるんですが、今日は悪天候を理由に運航休止となっていました。残念、乗ってみたかったなあ~。下を見下ろしていて、ふと、そういえば・・・。東尋坊は自殺の名所として知られていて、その昔は年間20人ほどが亡くなっていたそうです。現在は、NPOが自殺抑止の見回りを行っており、10人を切ったという記事を何かの読んだことがあります。NPOは保護した人の写真を撮っていて、写真集を作っていて老若男女、さまざまな人が一人で岸壁に座り込み、中には大きく頭を垂れている人の姿が映っていました。ここでの自殺の達成率は70%だそうです。高低差はわずか25mなんで、大けがをして助かる人がいるようです。自殺未遂は保険が適用されません。自殺はやめましょうね。途中遊覧船団が来ましたが、着岸せずに戻っていきました。あの波じゃあ、着岸できんわな。やっぱり残念~。さて、雨の中最後のミッションは奥様のリクエストの紫式部ゆかりの地巡りです。ここ、越前の地は、紫式部が父の国司任命に伴い、生涯で唯一都を離れて、20代半ばの青春の1年を過ごした場所です。雄大な自然や文化に触れた越前市での暮らし、上質な越前和紙との出会いは、才能ある紫式部の感性をさらに豊かにしました。このことがのちに源氏物語を執筆する原動力になったと言われています。この資料館では、越前時代の紫式部の暮らしぶりを絵巻物風のアニメーションで分かりやすく紹介してくれます。アニメーションが床面スクリーンにまで広がってくるのが少し驚きでした。京の都から越前国へと移動する、紫式部と父・藤原為時の下向(げこう)行列を再現した模型人形です。行列の人形の数は全部で46人。馬や行列に用いられた調度品のひとつひとつが、越前和紙で丁寧に作られています。これ、和紙なんだけど、凄い精巧に作られいるんよガラスケースの中の展示だったんで、展示のライトが反射して写真がちゃんと撮れてなかっただけど、当時の食事を模した展示があって、庶民と国府の食事が展示してあった。国府の食事が豪華なのにはもちろん驚いたんだけど、平安の庶民の食事がちゃんとしていたのにすげー驚いた。あんな国府の食事でもてなされたら、感性も豊かになるわな~。紫式部をしのんで造られた「紫式部公園」。平安時代の貴族の住居である「寝殿造」を模した3,000坪の広大な敷地に、霊峰・日野山をはじめ武生盆地を囲む山々を借景に池や築山を配置しています。池のほとりには釣殿も配置されており、全国で唯一の寝殿造庭園で、雅やかな雰囲気が漂います。釣殿(つりどの)は、寝殿造の邸宅において、中門廊の先端に池に面して作られています。釣殿は、納涼や月見、雪見の宴が行われた場所です。また、この池は、東から西へと渡る月がいつまでも水面に映るよう、東西に長く造られています。紫式部と婆です。公園内には、紫式部の像がありました。聡明で美しい面影がうかがえる紫式部像は、都の方を向いて立っており、その視線の先には越前富士と呼ばれる日野山があります。大河ドラマ「光る君へ」の越前編の前に、紫式部役の吉高由里子がこの像の前と2S写真撮ってたけど、この像、ホント吉高によく似てる。似てるから、吉高に配役したんじゃねさて、全員のミッション完了です。来た道を350㎞無事に戻って参りました。総走行距離820㎞ほどを無休油で走って帰って、41L入ったので、リッター20㎞も走るの奥さんのマツダ2って優秀やわ。今回の旅行で、御年81歳の母ですが、一緒に永平寺の階段を上り、一緒に三階建ての恐竜博物館の展示をくまなく回り、一緒に駅前で美味い日本酒を飲んで、一緒に東尋坊の手すりの無い階段をスタスタ降りて、一緒に紫式部公園の釣殿に上がりました。まあ、あと10年は死なんわな。っていうか、俺より長生きするじゃね
2025年08月10日

今年の正月に、御年81歳の母が、「永平寺を見ずして死ねんわ。」と放った一言に端を発した、福井親孝行弾丸ツアーに行ってきました。自宅を6時半に出発して山陽道→播但道→中国道→舞鶴若狭道→近畿道→北陸道と渡ってお昼前に福井県入り南条SAで早めの昼食にします。ここまで、約330Kmってところかな。お昼は、福井名物の、冷たいそばに、辛味大根おろし・刻みネギ・かつお節を添え、だし汁をかけた「越前おろしそば」と、香ばしく焼き上げられた鯖を生姜や大葉、酢飯とともに押し寿司にした「焼き鯖寿司」をチョイス。奥さんは福井県民のソウルフードの「ソースカツ丼」にしてた。福井県って恐竜推しの県なので、SAも恐竜一色ですね。子供たちが喜んでる。北陸道→中部縦貫道と渡って、永平寺ICで下車して大本山永平寺へ。永平寺は、寛元2年(1244)、道元禅師によって開かれた禅の修行道場。深山幽谷の境内には70余りもの殿堂楼閣が建ち並び、中でも「七堂伽藍」と呼ばれる7つのお堂(法堂・仏殿・僧堂・庫院・山門・東司・浴室)は、僧侶が修行をする清浄な場所として、特に重要な建物とされています。『永平寺』では今でも、「雲水(うんすい)」と呼ばれる多くの修行僧が、日々厳しい修行に励んでいます。先に紹介した「七堂伽藍」の拝観時に、僧堂・東司・浴室は私語禁止となります。傘松閣は、156畳敷きの大広間で、天井には一面に絵が埋め込まれておりその数なんと230枚だそうです。見事な絵が天井一面に並んでおり、花鳥風月を表した絵が多いですが、鯉や唐獅子などの生き物が描かれたものが5枚だけ存在するそうです。昭和5年(1930年)に当時の著名な画家144名によって描かれました説法の道場である「法堂(はっとう)」。朝のお勤め等の各種法要がこの場所で行われます。正面には「聖観世音菩薩」が祀られ、左右には阿吽の白獅子が置かれています。法堂は七堂伽藍の一番高い場所に位置しており、目の前が一文字廊、その奥が仏殿、左が大庫院、右が僧堂となります。山門に降りてきました。山門から下に目を向けると「鐘楼(しょうろう)」があります。ここは立ち入り禁止区域となっています。山門は寛延2年(1749年)に建てられたもので、中国唐様式の楼閣門となっています。山門の両側には守護神である四天王がおられます。足元の鬼さんは、しっかり懲らしめられています施設にの中心に位置する仏殿。屋根は中国宋時代様式の二重屋根で、欄間には見事な彫刻があり、美しい建築物の伽藍です。仏殿には永平寺の御本尊で現在を司る「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」、過去を司る「阿弥陀仏(あみだぶつ)」、未来を司る「弥勒仏(みろくぶつ)」が祀られています。永平寺では日帰参禅体験(坐禅)を1日3回行っておりうまいこと13:30からの回に申し込みが出来ました。料金は1人500円で、体験時間は50分、作法などの説明を受けて15分間の禅を行います。写真は曹洞宗HPより煩悩を捨てさり、頭をリセットするいい機会になりました。婆のリクエストについてはミッション完了です。さて、今度は私のリクエスト。福井に来たなら、ここ県立恐竜博物館は外せないでしょう。そもそも、なんで福井=恐竜なの?福井でたくさんの恐⻯化⽯が⾒つかる理由は、この地の地層に理由があります。恐竜がいた頃の日本列島はアジア大陸の一部で、ここは大きな川が流れる場所でした。そこに生息していた恐竜たちが、川の氾濫などで地層の中に埋もれ、化石となりました。この地層が手取層群であり、福井県、石川県、富山県、岐阜県に分布し、中生代ジュラ紀中期から白亜紀前期(1億7千万年~1億年前)にかけての地層から成ります。中生代の化石が良好な保存状態で産出することで知られ、中でも福井県勝山市の恐竜発掘露頭は日本有数の恐竜化石産地となっています。①ここでは多くの⾻化石などを含む地層(ボーンベッド)を発⾒することができたこと。また、その地層が川沿いの崖に大きく露出していて、採集しやすい場所であったこと。②更に、そのボーンベッドの上部を山ごと切り崩しすことでボーンベッドをしっかりと露出させ、徹底的に発掘したこと。③福井県立恐竜博物館を中心とした研究員たちが30年以上かけて継続的に発掘調査を進めてきたこと。④発掘調査をもとに各分野の研究員が、それぞれの専門性を発揮して地道に研究を進め、成果を発表し続けていること。福井でたくさんの恐竜化石が見つかるのは、有利な地理条件と大規模かつ継続的な発掘調査、さらには福井県立恐竜博物館の研究員による地道な研究の成果なんですねそしてここ福井県立恐竜博物館ですが、全⾝⾻格標本を数多く展⽰する世界有数の博物館として、世界3大恐竜博物館と呼ばれています。館内は「恐竜の世界」、「地球の科学」、「生命の歴史」の3つのゾーンに分かれ、50体もの恐竜全身骨格や数千点の化石、巨大ジオラマなど、見応えたっぷりです。動くティラノサウルスやCGシアター、大迫力のダイノシアターなど、大迫力の臨場感におもわず息をのみます。今回は体験できなかったけれど、研究員気分で化石をクリーニングしたり、発掘体験を楽しめる面白体験プログラムも充実しています。展示空間を妨げない無柱構造で設計されたドーム建物の博物館自体の設計が優秀なんですよね福井県立恐竜博物館のHPも優秀なんですよ。博物館に行く前には、HPで予習していけば、全⾝⾻格標本に肉付けされて、標本が本物に見えてくるはず。この日は、新館ドームで特別展をやっていたので、そちらも見学です。新館ドームは、2023年7月のリニューアル工事で追加されたセクションです。特別展は「獣脚類2025」会期は今年の11月3日まで。福井県の新種恐竜6種の中から、「フクイ」の名を冠する3種の獣脚類と、今後の発見が期待されるスピノサウルス科に焦点を当て、“肉食の一族“の多様な進化を紹介しています。世界初公開となるティラノミムスの全身骨格や日本初公開の最新復元のスピノサウルス全身骨格も併せて展示されていました。係の人に聞いたら、スピノサウルス全身骨格はレンタル品らしく、「今回見逃したら、次は見られないかも」とのことでしたよ。新館ドームではガラス張りの収蔵室が見えたり、1階から3階まで届く高さの「恐竜の塔」と呼ばれるシンボルモニュメントが立っていて、塔には福井県で見つかった恐竜5体と鳥1羽があしらわれています。上からフクイラプトル、フクイプテリクス、フクイベナートル、フクイサウルス、コシサウルス、フクイティタン。すべて実物大だそうです。「恐竜博士、とっても面白かったし、 すげー勉強になったよ。」恐竜博物館を後にして、福井市内のホテルに向かいます。お昼が早かったのでお腹がすきました。チェックインしてすぐに晩御飯に行きましょう。お盆前の三連休だし、どこのお店もいっぱいです。お店を探すのにかなり苦労しましたが、福井駅前の「魚六」さんをなんとか確保。ココが口コミどおりの超大当たり店で、地物の肴も酒も美味しくて、大満足でした明日もロングドライブが待っているので、今日は1次会でお開きにしました。<2日目に続く>
2025年08月09日

’25 8月の遠征ツーリングは、「ぬる湯温泉ツー」として、三瓶温泉に行ってきました。クッソ忙しかった仕事も、けが人の復帰やらでなんとか落ち着いてきたし、あれこれ段取りしなきゃいけない各イベントも終わったので、やっと走りにいけますわ。今回は、開催通知を1週間前にUPしておいたので、メンバー各位は、準備できてたかな?集合場所にいたのは、フォルツア先輩と久々のCB先輩の2台。今日はこの3台で巡ります。涼しい間に移動したかったので、ちょっと早めの7:00に津山集合としてました。さすがに、お腹すきましたね。宍道湖横の「あらびかコーヒー」さんでモーニングにしましょう。中央のドリッパーは、マスター自慢の水出しコーヒー用のドリッパー。朝一、マスターが準備しながらPRしてくれました。朝からお店自慢のカレーやシチューも大いに惹かれたんですが、うまい朝コーヒーが飲みたかったんで、モーニングセットにしました。フォルツア先輩は、マスター自慢の水出しコーヒーです。駐車場で黄色いあらびか号と記念撮影。ここのお店は私の奥さんの友人の実家で、奥さんに自慢げに写メ送ってたら、ウチの奥さん→友人→お店にいる友人妹と情報が渡っていて、俺の正体がバレてたわ(笑)横展開が早いな。宍道湖沿いを流して、高速乗って三瓶山を目指しますが、途中のR184沿いで面白いダム発見。一級河川斐伊川水系神戸川「志津見ダム」。ダムの天端が一段下がっていて、天端が管理橋じゃないね。ってことは・・・。大雨の時に堤体全体で洪水を流下する堤体全面越流式のダムなの?このタイプ、初めて見たなー。管理橋が無い分、コスト縮減になってますね。三瓶山到着。せっかくなんで、リフトで展望台へ上がります。高原は空気が違いますね。風が抜けるし、そもそも涼しい。リフトは大平山山頂へつながっていて、男三瓶、女三瓶、子三瓶など三瓶山全体を見渡すことができる展望台があります。大平山山頂からは、男三瓶、女三瓶、子三瓶山頂へ60分から80分で、アクセスできます。秋の紅葉シーズンのトレックは、綺麗でしょうね。展望台は、テラス形式。心地よくって、ここで少し昼寝がしたいですね。下界の熱波地域とは大違いです。下界(笑)へ戻って、リフト乗り場横のワイナリーを見学。ワイナリーに併設して、売店があります。ワインソフトを発見。アルコール分は飛んでいるので、運転手が食べてもOKです。しっかりブドウの味がして、美味し。さて、本日のメインイベントの温泉へGO国民宿舎「三瓶荘」さんへ三瓶山の麓より湧き出る三瓶温泉は、古くから湯治場として親しまれてきました。三瓶荘さん以外にも、温泉施設が6施設ほどあるんですよ。毎分3,000ℓという豊富な湧出量の三瓶温泉。鉄分と塩を含み、茶色く濁っていきます。34.8度と体温よりやや低い源泉を非加熱でそのまま注ぐ湯船と、加温した温泉を行ったり来たりして温冷交互浴が楽しめます。今日はこの非加熱温泉で、クールダウンを求めてやって来ました。駐車場には足湯もありました。温泉前に腹ごしらえから。穴子やワサビをフィーチャーした定食もありましたが、結局、全員「蕎麦三昧」をチョイス。私とフォルツア先輩は、炊き込みご飯付にしました、これで1750円だった 三瓶荘さんの温泉が付近の温泉施設の中でも、一番バラエティに富んでいて楽しめそうだったことと、温冷交互浴をウリにしていた事が今回のチョイスの理由でした。写真は観光協会さんのHPから。露天が加温なし、内湯が加温ありの傾向で、日陰の露天で、クールダウン入浴を楽しみました。さて、最後は自然豊かな高原道路を、流して楽しみましょう。その昔、自転車競技をしてた時に、ここの大会に遠征して来たけど、転んでひどい目にあったけな。HP調べてみたら、もうやってないみたい。予定ではJR三江線の廃線跡を巡って、三好経由で帰ろうと思ってたんだけど、温泉に長湯しちゃったので、それは次回の宿題ね。三好ICから中国道上で流れ解散で解散。帰路にオチがあって、私は中国道→岡山道→山陽道で帰ったんだけど、中国道から岡山道に乗り換える北房JCあたりでガソリン警告灯が点いて、そのままドキドキしながら岡山ICまで走って帰りました。警告灯が点いて50kmは走れるってことは分かりましたね。今日のお土産は、朝食を頂いた「あらびかコーヒー」さんのコーヒー豆でした。数日間は、うまい朝コーヒーが飲めそうです。
2025年08月02日
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