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東京都日野市立小学校の入学式で「君が代」のピアノ伴奏を拒否して戒告処分を受けた音楽教諭の女性(53)が、「校長の伴奏指示は思想、良心の自由を侵害するもので憲法違反」として処分取り消しを求めた行政訴訟の最高裁判決で、那須弘平裁判長は職務命令について「思想および良心の自由を定めた憲法19条に反するとはいえない」との判断を示した上で女性教諭側の上告を棄却しました。 女性教諭は、「『君が代』は過去の日本のアジア侵略と結びついている」との思想で伴奏を拒否したようですが、『君が代』は「過去の間違っていた部分を反省した上で、世界の平和と安定に貢献している」現在の日本の国歌です。 いまでは少数派かもしれませんが「日の丸・君が代=戦争」と信じてやまない思想が、過去に一部の教職員組合などに蔓延した時期があり、今回の裁判の原告の女性教諭は、そのような思想に洗脳された「一種の犠牲者」かもしれません。 日田市内の小中学校の卒業式等では、最近は多くの人が歌っているようです。 日本が住みやすく平和な社会であるように願いをこめて、国歌を歌えばよいと思います。
2007年02月28日
2月27日から3月22日までの日程で3月議会(平成19年度第1回定例会)が開会しました。初日は「小学生の医療費一部助成のための条例制定議案」や「総額356億9200万円の新年度一般会計当初予算案」など56議案と請願5件を上程しました。 4月22日の市議会議員選挙をひかえ、再出馬する予定の議員と今期限りで引退する予定の議員ではなんとなく顔つきが違うような気がするのは気のせいでしょうか。 気分的に落ち着かない雰囲気のする3月議会ですが、議会での審議が議員の本分ですから議会に専念して、ますますがんばります!
2007年02月27日
23日に日田市民文化会館「パトリア日田」のロゴマークとイメージキャラクターを決める選定委員会が開催され、26日に選定結果が記者発表されました。応募者数は全国からロゴマーク64人・イメージキャラクター44人でした。 最優秀賞はロゴマークは写真左の青森県からの応募作品で、「日田市の『ひ』の文字を基調に、緑は大地・水色は清流・オレンジは太陽をあらわし、豊かな自然に恵まれた日田市で地域の文化を担い、元気に躍動する人をイメージしている」そうです。 また、イメージキャラクターは写真右の新潟県からの応募で、「パトリアの『P』をモチーフに擬人化し、日田市の花『あやめ』の髪飾りをつけて、訪れる人たちを出迎えている姿をイメージしたそうです。 他の応募作品も力作ぞろいでしたが、選ばれたロゴマークとイメージキャラクターが、新しい文化施設の顔として活躍しそうです。
2007年02月26日
日田市周辺の木材関係者で組織された団体である「NPO日本の杉桧を守る会」が主催して行っている「第3回ウッドデザイン・コンペティション」の最優秀賞の作品が大分県西部振興局のロビーに23日午後から展示されています。 このコンペは「スギ・ヒノキ材を利用した木材製品やオブジェ等のコンペを実施し、木材の良さを広くPRする」ために行っており、大分県に今年度から導入された「森林環境税」からの助成事業でもあります。 今回は二十数名からイメージ図や模型での応募があり、美術や木材関係者による審査を行い、最優秀賞に選ばれた作品のみ「NPO日本の杉桧を守る会」が材料を提供して製作されました。 展示してあるのは別府市の桧垣正喜さんの作品で「大地から発芽する大豆の芽」をイメージしたものだそうです。 かなりの期間展示されるそうなので、是非、大分県西部振興局に行って実物を見てください。
2007年02月26日
第49回県内一周大分合同駅伝大会が2月19日から今日まで行われましたが、ここ数年市役所を中心に選手強化をすすめていた日田市が、46年ぶりの優勝を果たしました。 小さいころからマラソン好きの私は物心ついたときから県内一周駅伝の新聞記事を熱心に見ていたつもりでしたが、46年前の優勝のことは記憶にありません。 選手ならびに関係者の皆さんお疲れ様でした。本当におめでとうございます! (以下「大分合同新聞サイト」の記事と写真です。) 日田が鮮やかに復活V―春季県体第49回県内一周大分合同駅伝競走大会(大分県、県教委、県体協、大分陸協、県内各市町村、大分合同新聞主催)は23日、最終日の熱戦が行われた。17郡市の16チームが出場し、早春の二豊路を5日間で一周する全37区間、389・7キロのコースで健脚を競った結果、日田が第3回大会以来、46年ぶり2度目の総合優勝を飾った。 レースは屈指の激闘となったが、日田は選手強化が見事に開花。初日こそ27秒差で2位に甘んじたが、第2日に首位に立ち、第3日もしぶとく逆転勝ち。第4日にタイム差を一気に5分48秒に広げ、最終日も安定したレース展開。3連覇を狙った杵築や王座奪還に燃えた大分などを退け、最終アンカー浅井務選手(日田市役所)が歓喜のテープを切った。
2007年02月23日
井上準之助(1869年~1932年)は旧日田郡大鶴村の井上酒造(角の井)が生家の元大蔵大臣です。 うちには2~3代前の先祖が残したと思われるSPレコード(78回転)が40枚くらい保存されているのですが、これらのレコードはほったらかしておくと自然に割れることもあるので、コンピューター処理してCDにしてもらいました。 そのなかの1枚に「危い哉、国民経済」というタイトルの井上準之助の演説のレコードがあります。当時、浜口内閣の蔵相として「金解禁(金本位制への復帰)」を断行し、この演説は「いかにこの政策がすぐれているか」を国民向けにPRした内容です。 不幸にして浜口内閣の「金解禁」や「緊縮財政」は「世界恐慌」のあおりを受けて失敗に終わりましたが、雄弁であった井上蔵相は、全国を渡り歩いて国民に政策の理解を求めるPR活動を行うなどしており、その真摯な態度は評価されています。この演説のレコードも一連のPR活動の一環だったようです。 いつの時代でも、政治家は如何に自分の考えを世の中に伝えるかが課題であるということです。
2007年02月21日
時折小雨の降る寒い日曜日でしたが、「静修少年野球団」の保護者や子供たちが、朝から大鶴スポーツ広場の土の入れ替えをボランティアで行いました。 「静修少年野球団」は大鶴・夜明地区の小学生で結成している少年野球チームで、昨年は20周年となり、日田市内や福岡県内のチームを招いて記念大会を行っています。 日頃から監督・コーチ・保護者が手弁当で指導やサポートを行い、チームを支えていますが、この日はグランドの水はけを良くするため、表面の固まった土を取り除き土の入れ替えを行いました。 このような自立自助の精神は、今後いろいろな分野で必要になってくると思いますし、このような野球以外の活動も子供たちの健全育成に大いにつながります。
2007年02月18日
これまで中央公園のあった所に、日田市総合文化施設を新築中ですが、竣工後に現在の市民会館や中部公民館などの建物は取り壊され、新たに都市公園となります。 取り壊される建物のひとつに「遺族会館」があります。この会館は築50年以上なりますが、戦没者慰霊碑のすぐ前にあり、遺族会の活動の拠点として重要な役割を果たしてきました。 遺族会としては日田市が会館を別の場所に確保してくれることを希望していますが、19年度中に取り壊される予定の中、いまだに市からはっきりとした回答は得ていません。 遺族の皆さんは、肉親が戦死して大変な思いをされてきた方々ですし、遺族会は国のために命をささげた戦没者の方々を顕彰するとともに、肉親を戦争でなくした経験をもち、誰よりも平和を願う気持ちの強い方々の集まりです。 日田市はこれまで市主催の慰霊祭を開催するなど、遺族会の活動にはいろいろと配慮してきています。今回も必ずやあたたかい対応がなされるものと期待するところです。 (写真は遺族会館内に祀られている「慈母観音」)
2007年02月15日
朝9時から、「大鶴振興協議会」で「議会報告」。 この会議は毎月1回開催され大鶴地区のいろいろな問題点について話し合われます。今日もたくさんの議題がありましたが、次の予定があるので9時半に退席しました。 朝10時からは「日田市議会全員協議会」。 日田市第5次総合計画の基本計画について企画課からの説明と市議会常任委員会の構成検討委員会の内容についての議会事務局からの報告がありました。 午後1時からは「日田市総合文化施設建設委員会協議会」。 私が委員長をつとめる委員会ですが、新しい市民会館(日田市民文化会館~愛称・パトリア日田)の運営管理に関わる設置条例の基本的考え方と岩沢重夫氏に発注していた原画についての説明がありました。 夜7時からは鶴河内町テレビ共聴組合に対しての日田市からの「光ファイバー網に関する説明会」。 日田市が平成22年までに各家庭までひく光ファイバー網で地上波デジタル放送とブロードバンドなどに関する市内の格差を解消しようとする事業の説明。今後は使用料金をいかに抑えられるかがポイントです。 忙しい1日でしたが、帰ったら中学1年の娘が手づくりチョコレートをくれたので疲れも吹き飛びました。
2007年02月14日
日田市の代表的な農事法人で大鶴・夜明地区の人たちが運営する「大肥郷ふるさと農業振興会」主催の「第9回麦踏み大会」が開催され、日田市内外の約400人の人たちで賑わいました。 「麦踏み」は「この時期、麦を芽のうちによく踏んでおかないと、霜柱で根が浮いて、しっかり根を張れないし、まっすぐ伸びる丈夫な麦に育たない」から行う作業です。人間も「若いときに踏まれるほど強く育つ」というのと一緒ですね。 参加者の皆さんは「麦踏み」のあとは「上宮太鼓」や「自衛隊音楽隊」の演奏のアトラクションを楽しみながら、地元産の牛の串焼きやだんご汁や農産物を楽しんでいました。 このような集団営農による「地産地消」や「有機栽培」のとりくみを、自治体も大いにバックアップすることが、地域の農業の振興につながると思います。 (写真中央付近で、私、井上明夫も麦踏みをしています。)
2007年02月12日
大分市文化会館大ホールに1800人の参加者のもと、「日本の建国をお祝いする集い」が開催されました。 自衛隊吹奏楽団によるプレコンサートの後、午後1時半より「奉祝式典」が行われました。来賓挨拶では、岩屋毅外務副大臣があいさつしましたが、国会議員の来賓として国民新党や民主党の大分県選出参議院議員が出席していました。選挙の年とはいえ、この式典が党派を超えたものであることがわかります。 式典後の「アトラクション」では「日吉子供神楽」の奉納があり、最後に「記念講演」として、DNA解明の世界的権威で筑波大教授の村上和雄氏による「日本人とお米」と題されたお話がありました。 村上教授によれば、「日本人は何千年も前から稲作を通じて文化の遺伝子を育ててきている。先端技術と伝統文化をひとりひとりが自覚して受け継いでいけば、必ずや21世紀は日本の世紀になる」とのことでした。 このような行事が自治体の主催として、今後日田市でも行われ、全国の自治体で建国を祝うことができればよいと思います。 (写真は「アトラクション」の「日吉子供神楽保存会」の神楽奉納)
2007年02月11日
今日は建国記念日です。 2月11日が日本の誕生日になったのは、「日本書紀」の記述により、神武天皇が初代の天皇の位に即位されたとされる日を、明治政府が西暦に換算して「紀元節」としたのがはじまりです。今年で建国2667年となります。 明治から昭和20年までは「紀元節」には家々に日の丸の国旗が掲げられ、学校では式典が開かれ、国民は日本の誕生日を心からお祝いしていました。 しかし、太平洋戦争後、日本を占領していたアメリカは、日本人が心をひとつにして団結することを嫌い、「紀元節」を廃止しました。 その後、昭和41年に「建国記念日」という祝日として復活したものの、私たちの世代がこの日の意味をくわしく教わることはなかったように思います。 それでも最近は、素直に「日本の建国」をお祝いしようという催しが、各地で行われていることは大変喜ばしいことです。
2007年02月11日
羽生善治王将(36才)に佐藤康光棋聖(37才)が挑む第56期王将戦七番勝負第4局が2月7~8日にかけて亀山亭ホテルで開催されます。その前夜祭が6日夜に行われ、関係者や将棋ファンなど約110人が参加しました。 今回の王将戦は1月11日に第1局が栃木県でスタートし、関西、北海道と転戦し、大分県では初の王将戦が日田決戦となりました。これまで羽生王将の2勝1敗。この第4局は勝負の行方を大きく左右する戦いとなりそうです。 私自身は将棋は子供のころ少しやった程度ですが、これまでテレビでしか見たことのなかった羽生王将や佐藤棋聖は、思ったより若々しくオーラがただよっていました。 それにしても7日朝から二日かけて対戦するとのこと、お二人の頭の中はコンピューターさながらなのでしょう。 昔に比べると将棋人口はずいぶん減っているそうです。子供がテレビゲームばかりするようになったからかもしれません。人間がコンピューターに遊んでもらうテレビゲームより、頭脳がコンピューターさながらになる可能性のある将棋のほうが、子供の脳のためにははるかに良いと思います。 (椅子に座って赤いリボンをつけているのが羽生王将です。)
2007年02月06日
昨年12月28日のブログに書いたように老松酒造さんから大鶴地区の7つの自治会にAED(自動体外式除細動器)が寄付されました。そのAEDの使い方をよく理解しておかないといけないため、自治会長をはじめとする大鶴振興協議会の役員が日田消防署で講習を受けました。 私は何度か救急救命講習を受けていますが、やはりこういう講習はよほど頻繁に受講しないと、いざというときに適切な処置ができないと思います。 今後は大鶴地区のより多くの人がAEDの講習を受けるように計画していく予定ですが、このAEDの導入をきっかけに、一人でも多くの人が「救急救命法」を熟知しているという状況になることが大事です。
2007年02月06日
このブログは以前から携帯電話でも見ることができたのですが、かなり見にくかったようです。それで、新しいQRコードを入手してもっと見やすくなりました。(写真は小さいようですが。) 今日の日記の左のQRコードをバーコードリーダーで読みとって見てください。
2007年02月05日
朝6時半頃から降り出した雪で九州自動車道の一部が通行止めとなる中、大明中育友会の研修部の日帰り視察で、十数人の保護者と一緒に熊本県の菊池養生園へ行きました。 菊池養生園は公立病院ですが、名物・竹熊名誉館長の「養生研修」が有名で日本全国から研修に訪れます。内容は地球環境の汚染問題にはじまり、有機栽培の食物で生きることが、いかに人間のDNAを継承していく上で重要なことであるかを、いろいろな事例を挙げ、軽妙な語り口で説いてゆきます。 講演を聞いた後は、名誉館長自ら経営する、築150年の古民家「伝承館」で、自然食の昼食(写真)をとります。米も味噌も野菜も「有機栽培・無添加の手づくり」で、調味料も白砂糖は決して使わず、みりん・水飴・ハチミツなどを使います。 研修後は「なるほど、食生活を是非見直そう」という気分になります。ただ、食生活はこれまでの習慣なだけに、そうは簡単に変えられないのが人の常です。 しかし、みんなが少しずつでも意識を変えていかないと、地球の環境と人間の体の汚染は予想以上にすすんでおり、取り返しのつかないことになりつつあるという気がします。ここにいかにお金をかけられるかが人間が生き延びていけるかどうかの分かれ目でしょうが、そのためには「金儲け」や「便利さ」を犠牲にする必要が・・・。むつかしい問題です。(自然食の昼食。冬瓜(とうがん)と放し飼いの豚肉の汁は絶品!野菜もまさに旬の味!)
2007年02月02日
暖冬といわれるこの冬ですが、今日は小雪が舞って日中も気温が上がらず、おそらく「この冬一番の寒さ」ではなかったでしょうか。 そのような中、大明中・夜明小・静修小の3校の育友会(DYS)の恒例の毎月第1木曜日の下校時パトロールが行われました。私も大明中の保護者の一人としてパトロールに参加しました。 私の役目は大鶴防犯防災協議会(会長・井上明夫)が所有している「青色防犯灯装着車」(写真)を借りて、校区全体をパトロールすることでした。 ほかの人たちはウォーキングでのパトロールなので、芯から寒かったと思いますが、みんな「子供たちへの愛」でがんばっていました。 なお、「パトロール車」は某大鶴の住民のかたが、公的な支援のほとんどない大鶴防犯防災協議会に寄付してくれたものです。このような「自主・自立」の活動にはもっと行政が支援すべきです。
2007年02月01日
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