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先日放送されたnews23みなさんは見ましたか?発達障害について特集されていましたよね。短い時間でしたが、当事者への取材ではタイプの違う自閉症を紹介してくれていました。でも親の根本的な苦悩はかわらないんだなと思いました。母のひとりは「何度も首を絞めようと思った」もうひとりは「心中しようと思った」と語っていました。身につまされる内容でした。子供に障害があるからといって、命を奪う権利など親にあるわけがありません。でも、それぐらい追い詰められて子育てをしている人が多いということだと思います。私も、正直、この子の頭を持ってどこかにぶつけたら死ぬのかなあと思ったこともありますし、車を運転中に前のトラックに突っ込んじゃおうかなと思ったこともあります。でも取材を受けられたご家族はいろいろな思いを抱えながらも頑張っていました。そして私も、毎日戦いながらもこうしてアオとともに生きています。(愚痴こぼしながらね)頑張っていてもまだまだ「親のしつけが悪い」と言われてしまう現実があることは悲しいですね。10分ぐらいの内容だったので、発達障害といっても、ADHDやLDについては少し触れる程度でした。発達障害とくくってしまうと自閉症が注目されがちですが、それぞれ障害の抱えている問題が広く伝えられたらいいのにと思いました。私がADHDやLDの子を持つ親だったら、「なんだよ全然やってくれなかった」と不満に思ったかも。
2005.01.16
昨日の言葉の相談室の続きです。モモの現在のかんしゃくやちょっとしたこだわりなど気になることを質問しましたが、「少し自閉について知識があると保育園で2歳児クラスをみたら、一見みんな自閉傾向かと思うわよ」と言われました。それぐらいこの時期、クレーン、1列に並べる、かんしゃく、こだわりが健常の子達にもいっぱいでるのですがしばらくやると消えていくようです。そして、決定的に違うのはコミュニケーションの力だそうです。コミュニケーションの力を見るときに「間」をみる事があるそうです。自閉症スペクトルの子供達は独特の間があるそうです。というか間がない(少ない)のだそうです。(少しずつ育ってくるようですが)「間」というのは、たとえば、定型発達の子だと滑り台をすべり終わった時にニコッと(上手にできたでしょ?などの顔をする)して親の顔をみてから再度すべりに行ったりするのだそうです。このニコッが「間」なんですね。自閉的な子は、滑り終わるとすぐさままたすべりに行く(つまり、滑り台しか眼中にないわけです)人と共有する「間」がない(少ない)わけですね。また、最後のパズルをはめた時に、「やったー」とか、ニコッという間を置かずに、いきなり立ち上がってどこかへ行ってしまうなどの行動がみられるそうです。その話を聞いてアオはまさにそういう感じだなと思いました。アオに慣れている私なんて、滑り台を降りるたび、「もう1回」などと、言いにくるモモをみると、わざわざ言いに来るもんなんだなあと不思議に思ってしまいます。でもそんなアオも最近は少しずつ、先生のいう「間」を感じる行動をうっすらですが、するようになりました。それはコミュニケーションの力が育ってきているのでしょうと言われました。その時近くにいる「人」を意識し始めたという事のようです。ついつい言葉そのものに親は気持ちがいってしまいがちですが、人を意識したコミュニケーションの根本からすれば、この「間」を持つということは、それより大きなことなんだろうと思いました。
2005.01.09
娘のモモはもうすぐ2歳になります。モモが生まれてからアオの障害が診断されたので、全然違うとは感じながらも、随分モモの発達には神経質になっていました。言葉も順調にでて、1歳半検診もクリア、でも小さな不安はつきないので、市の主催している言葉の相談室に行きました。(1歳3ヶ月の時にも行き、もう来なくていいですといわれましたが)STの先生はその道では有名な方で、本などもたくさん書いている方です。そのほわかした話し方で、言葉の相談というよりは、興味深い話をたくさんしてくれて私のカウンセリングをしてもらった感じがします。モモについては、言葉の出方も問題なく人との関わり方は100%といっていいぐらい自然で、エネルギーが強く眼力が強いと言われました。「アオくんにとって、いいお姉ちゃんになるでしょう」(2歳妹なんですけど、抜かされるのは時間の問題ってことのようです)アオの口調(一本調子な)を真似するのが気になっていたのですが、きちんとおしゃべりもできて、その上で、お兄ちゃんが大好きで、真似して喜んでいる感じなのですぐにやめるでしょうと言われました。「先生から見て何か気になる点があれば、早めに、療育の順番待ちをしたい」というと、笑顔で「却下します。つつしんでお断りします(^。^)」と言われました。本当は、言葉に不安を抱える子供達のための相談室なので、モモはもう行けないのですが、私がそれでも不安が消えないのとまた先生にお会いしたくて、もう1度だけという約束で、数ヵ月後に予約をいれてもらいました。その時うかがって興味深かったお話はpart2で。
2005.01.08
明けましておめでとうございます。今年は愚痴ばかりではなく楽しい日記も少しは書けたらと思っています。今年の保育園が4日から始まりましたが、加配の先生がお休みで別の先生がついてくれました。連絡帳を見ると、「朝の会をやる教室から脱走して、何度説得してもだめなので、抱っこして、連れ戻したら、あきらめて参加した」(もう少し緩やかな表現でしたが、要はこういう感じ)との記載があり、アオが嫌がって、連れ戻される様子が目に浮かんでしまったのです。「そんな無理やり参加させて欲しいなんて言ってないよ!」(母の心の声)そういえば、朝の会なんかはいつもはどうしていたんだろう?と。ふと考えました。いつもの加配の先生はわりと、「今日はこんなことができました」などの表現が多く、私も能天気なのか、「そうなんだ」って感じで捉えていましたが、書き手がかわると、強制感がすごく伝わってきて、(この先生がやらせようという感じの強い先生なのかもしれませんが)これまでも、行間に感じていた、やらされてる感じにハッと気づかされました。普段のノートにはここまではっきりとは書かれていないものの、ある程度、これに近い感じで、やらされてるのかなと思ったら、なんかすごくせつなくなってしまいました。脱走するにはするなりの理由があるし、目についた別のものに気持ちがいって切り替えられない、などは自閉症によくある行動パターンなので、療育の先生から、園側にも「無理に参加させなくてもいいんです」と言ってもらっているのですが、アオの難しいところは、たまに、すごく、ノリノリで参加することもあるので、園側からすると「やれば、できるんじゃないか」と本人の許容範囲を越えたところを要求されがちなんです。入園当初、アオがつらくない程度に参加できるものは、参加させてもらって、嫌がるようなら、無理しないで、みたいな感じで、伝えてあったのですが、親の「無理しないで」、と園側の「無理しないで」にはずれがあっのかなと思います。やはりもっと具体的にお話する必要があると痛感しました。でも脱走してばかりしていたら、何しに健常児との統合保育に行っているのか?という気もしてくるし、そして、苦痛を伴ってまで、統合保育の意味があるんだろうかとあらためて考えてしまいました。
2005.01.05
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