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アオの保育園で、お昼ね用のシーツを交換していた時のことです。ある年長さん(もう卒園)が「アオくんのお母さん?」とシーツの名前を見て話しかけてきました。「そうだよ」と言うと、「年少クラスだよね」というので、「4月から年中クラスだよ」と答えると、「でもアオくん全然わけわからない子だからまた年少がいいんじゃない?」と言いました。私は咄嗟に言葉がでず、ただ言われっぱなしで、何も言う事ができませんでした。ただただ、くやしくて、悲しくて涙がとまりませんでした。わけわからないなんてわかってるし、おそらく素直な感想なんでしょうが、また年少をやれとはヒドイんじゃない?「いろいろな子がいるんだよ」とか、「雑音の中で一生懸命頑張ってるんだよ」とか、「自分が苦手なことを人から責められたらどう思う?」とか何か言えたらよかったのに、と後から思いましたが、時すでに遅し。全く関心がないより、何か言ってくるぐらい人のほうが、うまくすれば味方につけやすいと聞いたことがあります。このような体験をこの先、嫌という程していくのでしょう。泣いてばかりいられません。私は親だから仕方ないけど、アオ本人も、妹のモモもきっとそういう目に遭うのかなと思うと切なくなりました。
2005.03.31
2年前の今日アオは自閉症と診断を受けました。そして私にとっては十数年前に実の母を亡くした日でもあります。いろいろ考えてしまう日です。2年前を思い出してみると、アオは2歳1ヶ月、モモは1ヶ月でした。言葉も全くなく、呼んでもふりむかず、ひたすら走っていってしまう。そんな状態でした。くるくるまわったり、つま先で歩いたりしていました。覚悟しての受診だったので、驚くほど冷静でした。でも内心はモモを出産したばかりで、夜中も1時間ごとの授乳中でしたし、アオも全く制御不可能な状態でしたので、どん底でした。でも2歳1ヶ月という早い時期に診断をもらったおかげで、一応覚悟が決まり、主治医に道案内をしてもらい、現在の通園施設に通うことができ、親子ともども、この2年間全速力で走ってきたように思います。そして2年間でアオはとても成長しました。私も必死でした。なりふりかまわずという感じでした。でも診断後2年経ち少しペースをゆるやかにしていく時期なのかなと思い始めています。まだ受容しきれず、もがく日々ですが、このままの全速力では身体も心ももちこたえられませんので、短距離ランナーから中距離ランナーへの転向という感じでしょうか。本当はゆっくり自分のペースで走るマラソンになっていくのがいいのでしょうが、まだ幼児という事もあり、目も手も離せないので、そんな感じで休みながらいきたいと思います。そして私の母への思い。母は孫の顔ももちろん私の夫の顔も知りません。もし生きていてアオのことを知ったらどうしていただろう。もめてたんだろうなあ。きっと。でも協力もしてくれてただろうなあ。私はアオがいくつになるまで見守ってやれるのだろうかという不安にも駆られた日でした。
2005.03.29
通園施設の卒園式がありました。知的系養護学校、身体系養護学校、心障学級へ(普通級の子はいませんでした)それぞれが、巣立っていきました。答辞で、あるお母さんが、「障害がわかって混乱していた時に先生方に暖かく包んでもらったことを忘れない、平坦な道ではないだろうが、頑張っていきます。」と涙ながらに話していました。平坦な道ではない事がわかりきっていて歩いていくのは大変な事だなあとつくづく思ってしまいました。この先ずっとガタガタ道、ドロドロ道だと思ったら、歩きたくないもの。でも障害児の親になった以上大地にしっかりと足を下ろして歩いていかなければならないのです。喜びもきっとあると信じて。そのお母さんはいつも笑顔でやさしくお子さんに語りかけていてステキだなと思っていた方で、私も2年先のアオのことに思いをめぐらせ、ジーンとしてしまいました。アオは2年後どこの小学校へ行くのかな。(正確には行けるのかなですが)ジーンとしているその横でゴロゴロしながら、アオは「つまんなーい、帰る!」モモは「お菓子食べる!」と言っているし、確かに子供にとってはつまんないだろう、しかし、たまには感慨にふける時間もおくれよ!はあ/(x_x)\
2005.03.23
久々の更新です。娘のモモが4月から保育園に入園が決まり、準備やらなにやらでバタバタしていました。そして、夫が足を怪我して全治2ヶ月、ギプス生活になってしまい、世話の焼ける子供がひとり増えてしまったのです。/(x_x)\先日通園施設で行われた発達検査の結果を聞きました。結果は約1年半前(2歳4ヶ月ごろ)の時より、随分上がっていました。結果そのものよりも、検査の時の態度からすると、集中力の途切れ方、不注意な様子が非常に注意欠陥多動性障害の子供の様子に近いものだったとのことでした。勿論自閉症なので、自閉くんらしい、こだわりも随所にみられたようですが。今までにも、自閉症にしては、こだわりがうすく、あっさりしていて、不注意だと感じていて、おそらくADHDは入っているだろうとは予測していましたが、医師ではないものの、STからそのように指摘され、やっぱりそうかと、納得のような、これって大変な事?なの?と不安になるような感じです。自閉症とADHD両方の場合は自閉症が優先されるので、診断名は変わらないのでしょうが、就学頃にはADHD症状の方が強くなっていてリタリン内服も考えなくてはいけないかもといわれました。やはり不定型なタイプになっていくのかしら?でもそれってより複雑になるんじゃない?
2005.03.20
先日の日記ではみなさんに励ましていただき、いっぱい元気をもらいました。ありがとうございました。m(._.)mさて今日は、今日もアオとモモはおもちゃを取り合って、もめていました。またやってるわと思いながら、夕飯の準備をしていて、やけに静かなので、嫌な予感がして見に行くと、父の部屋(たんす部屋倉庫部屋ともいう)でアオとモモが背中を向けて静かに何かしていました。この部屋にいるときはだいたい悪いことをしているのです。「何してる?」と声をかけると、ふたりとも、そおーっと無言で振り向きました。その振り向いた時の顔はお菓子のカスを口の周りにいっぱいつけて、「ヤバイ、鬼母に見つかった!」という顔でした。そして、普段からそっくりといわれるこの兄妹ですが、全く同じ顔をして私の方を見つめていました。(・o・ )( ・o・)先日ゲーセンでうまいん棒をいっぱいGETして隠してあったのを見つけて、二人で協力して静かに食べていたのです。いつもなら、どちらかが「ママ、これ食べる!」とか「あけて」とか言いにくるのですが、きっとだめと言われると思ったのでしょう。この兄妹間で言葉での難しいやりとりはほとんどできませんので、ただ感性というか食欲だけで、仲良く示し合わせて母にばれないように協力しあっていたようです。いつもはけんかばかりなのに。注意するより大笑いしてしまいました。「誰が見つけたの?」「モモちゃん」「袋は誰があけたの?」「アオ」「誰が食べちゃったの?」「二人で」とアオが答えてくれました。嬉しそうでした。おかげでモモは夕飯があまり食べられませんでしたが、まあいっかおもしろいもんみれたからね。夫に話したら「どうして写真撮っとかなかったの!」と残念がっていました。ブログに載せたいぐらいおもしろい顔でした。残念!!
2005.03.03
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