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銭湯巡り等をした自分は23歳で大学を出て、初めて会社に勤めたが3か月で辞め、アルバイトをしていた24歳の頃だった。札幌で、測量のアルバイトで知り合った2人と友達となり、その後3人で長く付き合ってきた。彼らは滅多に弱音を吐かなく、常に前向きな態度で生きて行く、すごい奴らだ。1人は測量会社の人(M)で、年は自分と同じ年齢だ。函館高專時代は応援団で副団長をして太いガラガラ声で、ゴリラのような体をしている。その当時結婚していたが「今の世の中、子供を作るのは子供がかわいそうだ」と、子供は作らなかった。宅地建物取引主任者を取り、1年ばかり不動産会社に入った。常に何かをしてなけりゃならないと、そういう男だ。29歳の時、すすきのでヤクザにボコボコに殴られた相棒が彼だった。すすきの交番に駆け込んだが、おまわりは「変な所に行くじゃないぞ」と、相手にしてくれなかった。顔が1週間腫れあがって、頭に来たよ、全く。彼は、「やれやれ、ひどい目にあったなあ」と言うだけだ。ヤクザとおまわりは、癪に障る。あまり、近くに寄ることをしないよ。その後、札幌に女房を置いたまま、1年経ったら迎えに来ると言ったが、作家として、中々目が出なくてどうしようもなくなった。そして、離婚をした。東京で、頑張って童話とノンフィクションを書いた。(ペンネームはミヲ・ヒロキと言う)本を15冊ぐらい書いて、書店に置いた。本人から言われて、探して本屋で見つけたが、可も不可もなかった。本屋に2~3冊あったが、今から思うと、その童話を買って置くべきだった。1人前になるには、5~6年掛かったようだ。東京へ行く時、自分を含めて親しくなった3人で話し合ったが、自分を除いて2人は”東京行き”でケンカをし、口を聞かなくなった。自分は、消極的ながらも東京行きには反対したけど、彼は兄弟の”つて”を頼って東京に行ってしまった。その後、彼は何遍か自分に手紙をくれたが、大分苦労したようだ。自分の新婚旅行の時、彼が女性と同棲していた横浜市の彼の部屋に泊めてもらった。いい彼女で、後に、彼と別れてもしばらく年賀状をやり取りしていた。一時、札幌のうちに4日泊まって、ノンフィクションの種を取っていた。夜、自分の車で”すすきの”の隅を回り、道内各地で取材をした。そして、一時小田原市で現地の彼女と居酒屋を経営して、自分も飲みに行こうと思っていたが、1年でダメになってしまい、その後どういう訳か行方不明になった。その後どうしているのだろう。もう1人(W)は、年は自分より2つ下である。札幌旭丘高校を出て、慶応大医学部を中退した者で、大江健三郎の弟子を称して(?)、小説家を目指していてダメになってしまった。小説を何枚か書いたけど、自分の行動がおもしろくて、小説の中の人物にされた事もある。例えば、酔ったらすぐそこら辺に小便をするとか、月光仮面の歌を歌い、あちこちで話すという事をする。(今は、そういう事は絶対しない)”つて”で北海道放送に入り、本人は馴染めなくて、昼休みにどうしているのかと、北海道放送の食堂で3回ぐらい会った。食堂で、何だかんんだと言いながらも、しかし結局2年で辞めた。何かを書きながら(多分、広告代理店だと思う)、地下鉄北24条駅、それから西28丁目駅前で1~2人、人を雇って事務所を開いた。札幌にいる時、友達(M)の元女房とすすきので3回ぐらい会ったようだ。元女房は、自分は2回程会った事があるが、美人で頭が良くて、偉い所の重役の”ニ号さん”をやっているらしい。着物を着ていたそうで、自分は驚いたよ。自分は、そんな事を友達(M)には言っていない。また、元札幌市長の弁護士の上田文雄の第2秘書を任された。けど、上田が市長になる前に、友達(W)はしばらく札幌にいたのだが、その内東京へ行ってしまった。東京に行く時、例のごとくいざこざが起き、妻と別れてしまった。まあ、いろいろあったね。自分が東京に行った時は、いっしょに酒を飲んだりもした。そして頭を丸めて、最近新潟市に移った。大きな事を言いなから、どうにもならんよ。2人共過去に離婚経験あり、自分もそうだし、ギャンブルは一切せず、車の免許は取らない。彼らは声がデカく、自分の言う事に何も言わせずに突き進む、自分とは正反対の性格である。彼ら2人は言いたい事をいい、それで別れたが、自分はそんな事は言わないので重宝されたのじゃないかな。彼らは何とまあ、いろんな人生を歩んできた者たちだ。自分は、何かをしようとしたが、結局は平凡な人生である。24歳頃、アルバイト先で知り合った。左端友達(M)、真ん中友達(W)、右端自分30歳頃、まだ札幌にいる時、スナック「シャパラル」で 左自分、右友達(M)32歳頃、伊達市有珠海岸へ車で行った。左自分、右友達(W)自分は、慶応大医学部中退した者(W)とえらく仲良くなり、いろんな事をした。(バカな事ばかり)その中で、”銭湯巡り”は圧巻だった。その頃は、何処の家にも風呂がなかった。当時住んでいた美園にも、近くに2軒銭湯があった。今とはえらい違いで、何処にも風呂がある。”銭湯巡り”とはいい考えだった。どういう訳か、「銭湯に行こう」となった。(24歳の頃)日曜日に、昼一番(2時頃)に風呂に入る。週一で、電話帳を持って「次は何処に行こうか」と、1年半も続いていた。銭湯は、まだたくさんあるし、すぐ近くにもあったのだ。当然車は無いし、出来たばかりの地下鉄で行った。(主に南区澄川方面)銭湯は具合は良いし、いい塩梅であった。今は、銭湯は全く無いよ、”スーパー銭湯”ならあるが。銭湯料金は、今は480円だが、その当時は100円だったかな。
2023年07月31日
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「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」「007」(25作)「スーターウォーズ」(9作)「インディ・ジョーンズ」(5作)のシリーズは、1本も残さず見ている。「インディ・ジョーンズ」は、1981年に1作が制作されて、ハリソン・フォードは39歳の時だった。今82歳で、第5作のよくそのようなアクションシーンが出来るものだと思う。全然、若い頃と引けを取らないので、ビックリした。最後に、老女が現れたのは誰かと思ったが、1作と4作目に出た相手役のカレン・アレン(71)だった。カレン・アレンもハリソン・フォードと同じく、いい年を取ったね。スティーブン・スピルバーグ(75)は、1作目を作る時は「「007」のような映画を作りたい」と、親友のジョージ・ルーカス(79)に語り告げていた。始めの主役が、ハリソン・フォードじゃなかったが、ハリソン・フォードはこれで一躍人気者になった。スティーブン・スピルバーグが、1作から4作まで監督を勤めていたが、5作目はジョージ・ルーカスといっしょに製作総指揮に回った。ジェームズ・マンゴールドが監督を勤めて、アクションが派手でいい感じだった。ハリソン・フォードは、45歳の頃と70歳の頃を演じているが、アクションは変わらない。何だか、アクションばかりの映画だった。封切りから10日しか経っていないのに、札幌駅の7階にある「札幌シネマフロンティア」では、1日に朝8時からと夕方17時の2回しか上映しない。中途半端な時間で、新聞広告も無い、宣伝もロクにしていないので、「きょうはやっているのか」とパソコンを見ると、やっている。案の定、自分が入った17時には、観客は20人足らずだった。おもしろかったので、残念だった。インディ・ジョーンズが、悪者に追われて、馬で地下鉄に潜り地下鉄に追われた。すごいシーンで、最後は地下鉄に乗って逃げた。
2023年07月17日
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山田洋次監督「男はつらいよ 柴又慕情」朝日新聞7月8日朝刊、山田洋次監督(91)の「夢をつくる」第19回、「吉永小百合さんを迎えた喜び」が月1回で載った。「男はつらいよ」の、第9作目「柴又慕情」(1972年)で吉永小百合(78)を迎えた喜びを綴っている。全文若いね、当時山田洋次監督40歳、吉永小百合27歳。寅さんの、マドンナ役の1位はリリー(浅丘ルリ子)だが、吉永小百合もいい。「柴又慕情」は、50回以上は見たよ。「男はつらいよ 柴又慕情」は、キネマ旬報6位。因みに「男はつらいよ」キネ旬6位、「続男はつらいよ」キネ旬9位、「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」キネ旬2位、「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」キネ旬5位(浅丘ルリ子が主演女優賞)と、まだまだベストテンに入っている作品が多い。最初の頃はおもしろかったね、作る作品がことごとくキネマ旬報のベストテンに入っていたね。なお、渥美清は「男はつらいよ」(1969年)で、キネマ旬報主演男優賞を受賞した。
2023年07月10日
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インベーダーゲームに凝るインベーダーゲーム20歳代始めのころ、親友と2人共インベーダーゲームに凝った。1回、100円玉を1個入れて遊ぶ。こういう物が現れたのは始めてで、流行った。5段11列で動いている物を1つ残さず撃ち落とすというものだ。全部撃ち落として、また始まる。それがなかなかうまくいかない。(全部撃ち落とすのが)敵は、段々左右に早くなって移動する。味方の陣地には4つの大きな物がある。終いには、相手の打った弾に当たって終わりだ。単純な物だ。3回も撃ち落として全滅させ、4回目という猛者がいた。見ていると、手の裁きがうまい。自分は非常に熱心にやっているのが、バカみたいだった。インベーダーゲームの付いたテーブルそのころ、喫茶店に「インベーダーゲームがあるか」と聞き、あるとなるとその店に入る。親友とインベーダーゲームのある店を探して、あちこちに行ったものだ。喫茶店で覚えているのは、今は無くなった札幌市中央区南9条西11丁目にあった喫茶店だった。何故か、そこに行ったのだ。店内の様子インベーダーゲームは、廃れて違うゲームになったが、もうあのような流行り物はないだろう。今はいろんなゲームがあるが(次に流行ったのがパックマンだ)、あの時のように熱中したことはなかったな。今はやらないが、簡単な物だったけど。
2023年07月03日
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