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運転経歴証明書「旅人0789のブログ」は、2019年3月16日から数えて701回になった。「何か書くことがあるのか」と言っていたのに、701回とはよくもまあ書いたものだよ。旅をした時は毎日書くが、今は、普段は2週間に1回と書いている。たまに、1週間に1回書くこともある。まだ書く事もあるが、何だか書く気がしなくなった。(姉の死で)これからも、気が向いたら書くよ。「運転経歴証明書」誕生日が近づいて「運転免許証」をどうするのかと、厚別警察署に行った。70歳以上は6、450円+2、900円を払って、高齢者講習を受けないといけない。車を運転しないのに、9、350円を払う必要はない。そんな金を払うこともなければ、更新することをしたのに。「自主返納」をするのは、約30分ばかり掛かった。簡単に「返納したいのですが」と言うと、すぐ様にやってくれた。別に、たいしたこともなく滞りなく済んだ。免許証を受けたときは、嬉しくて「運転免許証」を何回も出しては見ていたのに、「運転経歴証明書」を交付されると、碌に見ないでしまった。ただ、写真を撮るのに1、100円取られた。(身分証として)今は、高校を出たら運転免許証を取るようだけど。自分は、始めは免許証は要らないと思ったが、仕事をするには免許を取る必要性を感じた。免許証を取ったのは25歳の頃だった。みんなが取るので、しかたがなく取った。長女の姉の義理の兄貴(酒屋の取締役)が警察の何かで、車をもらい、2台も必要ないので、自分に新車をくれた。始めから、新車に乗り乗り回した。今は車は無いし、車の所有は5台(新車3台、中古車2台)だったが、いずれも車にはたいした思いも無い。しかし、仕事や遊びに道北、道東も車で回ったし、車を散々使った。危ない時は、支笏湖に行く道は曲がりくねって、両側は崖で左側は上に右側は下に、それで左側に乗っかかって転覆か崖から落ちるとなった時は、全身が汗まみれになった。それと、冬場に高速道路で、猛吹雪で前が見えない時は焦った。今と違って、違反が厳しくなかった時は、酒を飲んで運転したのは10回ぐらいなものだ。よくもまあ、傷を負わずに生きていたものだ。(30年前に、自転車に乗って車に引かれた事もある)札幌市は、70歳以上の人は1、000円出して、10、000円分のバス、地下鉄、電車に乗れる制度がある。(敬老優待乗車証)それで十分だ。若い頃、15回のスピード違反、2回の駐車違反があったのは、しようがなかった。それと、仕事が忙しくて免許証を流したこともあった。とにかく忙しかったし、それを物ともしなかった。その時は1週間遅れて、簡単に免許証を取れた。その時は、過去のデータが全て消えた。2~30歳代は、仕事に遊びに何もかも一生懸命だったね。ブレーキとアクセスを間違えて、車を動かしたことは2回ある。よく事故を起こしたというのは、自分もそういう事があった。酒を飲んで、コンビニの裏にぶっつけた。(ブレーキとアクセルを間違えて)酒を飲んでいるから、当然逃げた。2~3日後、警察から電話が来て、それを認めて、ぶっつけたところを保険で直した。「酒を飲んでいなかったのだな」「はい、飲んでいません」と、噓をいい、調書を取られて、それで終わりだ。それ以来、酒を飲んで運転するのは止めた。車は走る機械だから、綺麗に乗る事はなかった。だけど、車は洗ったしワックスを塗った。新車で、その日に擦って傷を付けた事もある。とにかく、「運転は出来ません」という「運転経歴証明書」を受けた。もう、どうでもよくなったよ。また、一歩ずつ死に向かって進んでいく。というのも、毎日ちょっと姉の事を考えている。どうしようもないけど、しばらくは抜け出さないとな。
2023年11月20日
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姉が亡くなった1999年、病院で右から3人目 母、母が亡くなった年(当時87歳)右から2人目、姉(三女)故76歳 在津久見市左 甥 49歳 在札幌市右 姪 50歳 在大分市撮影 自分 73歳 在札幌市旦那 4年前亡くなる(当時70歳)姉が亡くなったか。(11月4日午後2時)家族6人、自分を除いてみんな亡くなった。涙も出てこなく、小さい頃を想い出している。姉は、親父が亡くなってから、ブリヂストン(株)を辞めて、1人で東京に引っ越した。そこで、旦那と知り合って、家族とケンカをし、半ば駆け落ちのごとく結婚をした。子供が産れて、2番目の姉の兄貴も結婚を承諾した。そこで、豊平区美園のうちの裏に10年間暮らした。ちょうどその頃、自分が結婚したので、一家は旦那の実家(津久見市)に引っ越した。まあ、いろいろあったがよく耐えてきた。姉は約15年前、乳がんになり、肺がんになりそして終わりだ。長女は、胃がんで50歳の時に亡くなった。次女は、子宮がんで44歳の時に亡くなり、早いものだよ。両親も、死因は違うけど、がんになっている。自分は、がんには成らないけど、脳出血になりどうしようもない。今は、質素な暮らしをしているよ。姪は、看護婦をしており、全ての事を撒くってくれるだろう。葬式はしないとのこと。(骨は海に撒くとのこと)おととい電話を入れた時は、苦しいまでに返事をしていたのに。自分は、来年正月に大分県に行くつもりだ。
2023年11月04日
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神戸・琵琶湖の旅(その7)第5日目(10月20日(金))(2)湖の側湖の道路湖の側民宿湖上荘民宿の側と自分民宿の側民家神社神社からの風景神社の社務所民家沖島の地図帰りの桟橋約2時間の滞在で、十分な時間を過ごした。近江八幡駅で、1時間の時間を過ごした。近江八幡駅の裏側のスーパーマーケットで、ビールを飲んだ。近江塩津駅敦賀駅16時15分に着き、小雨が降っていた。1時間半の時間があり、晩御飯を食べた。小浜駅小浜駅では、約1時間汽車を待つ。小浜駅は何も無いところで、真っ直ぐ東舞鶴駅まで行けば良かった。人はいないし、店屋も無い。小浜駅ホーム東舞鶴駅舞鶴港フェリーターミナル乗客は行きとは違い、あまりいなかった。第6日目(10月21日(土))船は、最初は揺れた。6人ぐらいで、映画を見た。シリーズ物で何本か見たが、ファイナルでまあおもしろかった。小樽築港駅20時45分に着く。やっと着いたが、寒くておまけに上着がなくて、バスタオルを首に巻いて、それでもちょっとは暖かい。家に着いたのが、23時半頃だった。”ゆりこ””はなこ”2匹共、「ニャーニャー」とくっついて、5分近く鳴いていた。まあまあ、いい旅であった。帰りに雨が降ったが、傘を必要としなかった。12月下旬の「冬の旅」だが、「広島県の島」に行こうとしたが、これを書いている時、大分県津久見市の実姉がガンで危篤だと姪から連絡があった。自分は、今年の正月には行ったが、姉は急性膵臓炎を患って急遽入院した。その時は、姪が応対してくれたのだが。どうなるか、正月には行かねばならないだろうな。
2023年11月01日
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