全33件 (33件中 1-33件目)
1

大井川をやっとのことで渡り終え渋滞から脱出し家山駅を目指しました。くねくねと山道を走るのがなんと長く感じられたことか。やっとのことで何とか間に合いました。千頭方面という懐かしい名前を見つけました。そうなんです。2015年7月23日に千頭駅からトーマス号に乗ったことがあるんです。愛知のポコ君、ペコちゃん、我が家のモコちゃん、ノア君、ミラ君、3人のママと一緒に7人でトーマス号に乗りました。(その様子は2015年7月23,24,25日のブログに掲載)あっという間に3年3カ月が過ぎたことになります。レトロな普通電車が入ってきました。そしていよいよSLがやってきました。皆さん写真を撮るのに忙しそうです。SLが到着して乗り込みました。3号車3番A,Bと座席指定でした。見上げれば天井に取り付けられた扇風機や照明器具もレトロ。大井川と対岸の紅葉し始めた山々を眺めながら30分間ほど揺られました。時々車内に石炭の燃える匂いが入って来ましたし、窓も日よけスクリーンもすすで汚れて窓を開ける気にはなれませんでした。(実は3年前にすすが目に入ってゴロゴロしたので)撮った写真もすすでぼんやりと写りました。車内では年輩の売り子さんが次々に現れて言葉巧みに商品を紹介され、商売繁盛。あっという間に新金谷驛に到着しました。すると、お客さんたちがどっと前方へ撮影に詰め寄りました。背の低い私は後方で撮影を断念。停車場ではSLが数回お客さんの前を往復してサービス。そのたびに皆さん右往左往して撮影に余念がありません。その様子を私はバスの中から眺めていました。島田金谷ICから新東名に乗り帰途についたのでした。(終り)PS) ブロ友さん(wasabiさん)からの情報です。C11 227型のSLは昭和50年に大井川鐡道にやってきたそうです。機関車の製造は昭和17年ごろで釧路方面から遥々やってきたそうです。機関車トーマスもこのC11 227型を改良、塗装されてデビューしたのだそうです。wasabiさんはかなりの鉄道マニアらしく色々と教えていただきました。wasabiさんから写真を拝借しました。近くの公園に展示されているD52形のSL、山陽本線・御殿場線(旧東海道線)を走っていたそうです。D51はよく目にしますが、D52は珍しいですね。
2018年10月31日
コメント(28)

掛川ICで下りてつま恋リゾート彩の郷を目指します。ここは長い間ヤマハリゾートでしたが、最近HMI・ホテルマネージメントインターナショナル(株)に代わったそうです。(PS. 2013年11月28日、30日のブログにヤマハリゾートでのイルミネーションを掲載)ホテルは10月27日(土)~31日(水)の5日間「つま恋ハロウィン」という楽しい催し物を開催中。もちろんイルミネーションも楽しめます。ここでランチバイキングです。レストラン内もハロウィン一色でした。フロントから地下におります。庭の動物を眺めながら食事です。こちらは私の食事蜜柑を7個も食べた後でこの分量を完食した私の食欲に相方は驚きました。「食べることは生きること!」と宣言する私に「最近はそういう風に考えなくなったからなぁ」とつぶやく相方の食事はこちらこれだけ食べられれば結構なことですよね。食後は売店をぶらぶらしてお土産を。あわて者の私達はさっさと買い物を済ませホテルのロビーでゆっくり過ごしました。グリーンの葉は生きてました。ところが、土産物売り場に長い行列ができて集合時間より10分遅れての出発になりました。次のお茶屋さんの滞在時間を短縮。大きな土瓶が展示されてました。お茶屋さんからのプレゼントはお茶で染めた布巾と言いますのも、大井川鐡道のSL出発時間が決まっているからです。ところが、この日は大井川の堤防沿いでマラソン大会が開催されていたので道路が渋滞して橋の上でなかなか前に進まなかったのです。大井川を渡るのにどれだけ長い時間がかかったでしょう。バスガイドさんは何度も駅に電話をしたようです。午前に1本、午後に1本の貴重なSL乗車体験。何とか出発時間を遅らせてもらえないかとバス会社からも電話をかけて頼んだようです。さて、私達一行は間に合ったでしょうか?(続く)
2018年10月30日
コメント(20)

昨日(28日)のことです。1日バスの旅で静岡県まで出かけてきました。三ケ日でミカン狩り、つま恋リゾートでランチ、掛川のお茶の店で買い物をした後、大井川鐡道でSLに乗ってきました。最近は旅行記が多いですが、興味のある方はお付き合いください。中央道、東名高速も渋滞なくスイスイ。三ケ日ICで下りてミカン狩りをしました。農園左側はこんな感じで右側の方へミカン園がずーっと広がっています。全体像ではわかりにくいかもしれませんが、近づくとミカンが鈴なり。車中でバスガイドさんが「表面がつぶつぶでヘタの小さいのが甘くて美味しいですよ。ただしお昼はバイキングですから皆さんよ~く考えて食べて下さいね。」と言われたので日光浴をしながら丘の上の方に登る人達を横目に私達は入り口近くで陽がよく当たっている蜜柑を頂きました。(バスガイドさんの牽制の言葉で一番多く食べた人で8個でした)一人1キロのミカンをお土産に頂きました。青空を背に綺麗でしたので駐車場に咲く花を写しました。桜の木、3本には花が満開でした。こちらはミカンでなく柿です。ついでに蜘蛛も浜名湖から富士山は見えませんでした。秋晴れの良いお天気なのに富士山の辺りだけ雲がかかり結局、この日はどこからも富士山は見えませんでした。掛川の辺は茶畑が続きます。掛川ICで高速を降りランチバイキングをするつま恋リゾ-トに向かいます。(続く)
2018年10月29日
コメント(18)

秋の夜長、お月見会と題して菩提寺の本堂で今年も又琴・三味線・尺八の演奏会がありました。昨夜午後7時から1時間お寺の本堂に美しい音色が響き、ゆったりした雰囲気の中でしばらく演奏を楽しんで来ました。まずは尺八の演奏。虚無僧姿で尺八を吹いてくださいました。次にお琴だけの演奏が。次は三味線と尺八が加わってお琴の先生の長唄(?)も加わりました。最後は今夜集まった全員がお琴や三味線、尺八の音色に合わせて「祗園小唄」を春夏秋冬4番まで歌ってきました。一昨日秋田のブロ友さん(案山子さん)が丹精込めて作られたおいしいお米、あきたこまちが20キロ届きました。食欲の秋、到来ですね。どうもありがとうございました。社交ダンスのお友達の新しいネイルはハロウィン仕立てでゾンビネイルです。目玉や口が結構リアルでしょ。今年はこういうのが流行っているんだとか。いかがですか?
2018年10月28日
コメント(20)

二十四節気の一つ、霜降(そうこう)も過ぎ朝晩冷え込んで秋らしくなってきました。庭にも毎年見られる秋の光景が。あちこちに蜘蛛が巣を張りうっかり歩くと網に引っかかります。渋柿も色づいて真っ赤に熟れた柿から順に野鳥がついばんでいきます。甘くなることをよく知ってますね。ダンススタジオ前の電柱にとまっているのは子供の鷺雀、ツバメ、鳩、カラスが止まっているのは見慣れてますが、ゆらゆら揺れながら電線に鷺がいるのを見るのは初めて。近くにつがいの親鳥がいるんですが、教えてあげないのかしら?(親鳥の写真は少し前のものです)さて、今週のある日ノア君はお友達とハロウィンの仮装をしました。後ろの貼り紙であまりわからないかもしれませんが、両手に鎖をかけられ頭に斧が刺さっています。ちょっとグロテスクですね。玄関もハロウィン風に飾りました。こちらは私が最近読み終えた文庫本ちょっとヤバイですか?スリル満点で面白くて気分転換にはもってこいでしたよ。あっ、それから10月19日のブログに書いた名古屋駅前のJR高島屋デパ地下でNHKの方からインタビューを受けた件ですが、10月23日の夕方、午後6時半過ぎに放送されました。実は10月16日の午後インタビューされたのでちょうど1週間後の放送となりました。私は他のチャンネルを見ていたんですが、車で出かけたモコちゃんから電話があり、(相方が運転した車が停車中にたまたま)「テレビからおばあちゃんが話してる声が聞こえて来たよ」と教えてくれました。NHK名古屋放送局なので愛知、岐阜、(三重?)ぐらいしか映らなかったと思いますが、すっぴんで恥ずかしかったです。お粗末さまでした。
2018年10月27日
コメント(22)

勇壮豪快な大蛇伝説の様子をしばらくご覧ください。先頭の方は筋骨隆々とされた男性ですが、後半に力尽きて若者に交代されました。一体全体何周回ったのかわかりませんが、大蛇を担ぐ人たちが疲れて弱ってくると音頭を取る人が「まだまだ!」と声をかけるので苦笑いしながら歯を食いしばって頑張って走る姿に会場からは拍手喝采でした。本当に体力勝負なんだなと感じられる大蛇隊の皆さんによる大蛇伝説でした。その後、六人のお姫様と家来一同は休憩と記念撮影に入りました。その後まだ下町会場まで姫道中は続きますが、私は団子をお土産にここで引き返しました。会場では他にも各保育園の園児の遊戯やジュニアダンス、子供バレエ、キッズダンス、日本舞踊、篠笛やアルプホルン演奏、トランペット演奏、マーティングバンド、 アコースティックライブやライブ等が披露され大勢の見物客で賑わったのでした。食べ物のお店や小物を売るお店もこの日ばかりはたくさん出て賑わい中山道はかつての活気を取り戻したようでした。(終)
2018年10月26日
コメント(22)

奴さんに扮しているのは地元の短大に留学中の学生さん達。フィリピン、ブラジル、ベトナム、バングラデッシュ、中国からの留学生が国際交流で奴さんの扮装をして姫道中に参加しました。道中2か所で毛槍投げを披露しました。練習の甲斐あってみんなが見守る中、反対側から投げた毛槍を上手に受け取りもう一度反対側に投げ返すという動作を往復とも上手にできました。こちらは金魚すくいではなくメダカすくい中山道沿いで披露された鳴子踊り天舞道の皆さん和太鼓演奏をする各グループの皆さん豪快な大蛇伝説を披露する大蛇隊の皆さんこの日は雲一つない秋晴れで暑いぐらいのお天気でしたので体力勝負という感じでした。大蛇伝説は次回に続きます。(つづく)
2018年10月25日
コメント(18)

午後2時出立の姫道中の様子です。到着予定の脇本陣がある本部会場前は大勢の人で混雑していましたので出立したばかりの比較的すいている場所まで歩いて行きましたが、背景はそぐわなかったです。十四代将軍徳川家茂に嫁いだ皇女和宮です。家茂の正室・和宮(かずのみや)八代将軍徳川吉宗の正室・真宮(さなのみや)九代将軍徳川家重の正室・比宮(なみのみや)十代将軍徳川家治の正室・五十姫(いそひめ)十二代将軍徳川家慶の正室・楽宮(さざのみや)十三代将軍徳川家定の正室・寿明姫(すめひめ)愛知県古式砲術研究会の火縄銃演武をされた皆さん姫道中の最後で義援金受箱を担ぐ若者たち和宮さんに笑顔で手を振ってもらいました。今年のお姫様には小学校の先生が選ばれたらしく小学生が大勢「〇〇せんせ~い」と姫様に向かって声をかけていました。脇本陣前では6人のお姫様が勢揃い姫様の姿を一目見ようと思う見物人や姫様の全員集合をベストの位置で撮ろうとする大勢のカメラマンたちで賑わい写真を撮るのはなかなか難しかったです。(つづく)
2018年10月24日
コメント(16)

21日(日)のことです。東京の先生にラテンのレッスンを1時間半受けた後、午後中山道まつりに出かけました。朝10時から各種イベントは始まっていますが、私は毎回このお休み処へ立ち寄ることを楽しみにしています。手前の方は昨年の姫行列のお姫様です。当番は社交ダンスの仲間です。鶴と亀のおめでたい茶碗で頂きました。団子を買いに寄りましたが、人気があるので長い列ができていました。皆さん知り合いの方ばかり魚屋さんのご主人にもモデルになってもらいました。こちらは鵜沼宿から応援に駆け付けた木遣(きやり)保存会の皆さん木遣音頭を披露されました。楽市楽座会場で開催されている午後1時からの餅つきは終了したばかり。次は午後3時からというわけで午後3時からの餅つきに並びましたが、私の数人前でお餅と食器がなくなりオシマイでした。残念!江戸時代の旅籠旧小松屋で大正琴が奏でる歌謡曲を聴きました。友達も弾いています。午後2時出立の姫道中がそろりそろりとやってきました。皇女和宮をはじめ中山道を降嫁した6人のお姫様の姿も見え出しました。午後2時に出立してゆっくり練り歩き最後の会場には午後4時に到着です。今回は餅投げ2回と火縄銃演武3回のすべての機会を見逃しました。これまた残念!(つづく)
2018年10月23日
コメント(20)

輪中の農家を見た後で先ほど来た道を戻りました。鷺が池で羽を休めていました。最後に紹介したいのは熱帯性睡蓮です。木曽三川公園には春から初夏にかけてはチューリップ、ネモフィラ、ポピー、紫陽花が、夏にはヒマワリが、そして秋には色とりどりのコスモスと共に熱帯性睡蓮が咲いています。メルヘンの世界に足を踏み入れた後で帰途につきました。こうして雨上がりで秋晴れの新鮮な空気を吸いながらなばなの里と国営木曽三川公園の綺麗なお花を観賞して回ったので気分がとてもリフレッシュできたのでした。帰宅すると、今朝突然開花した庭の朝顔が色濃くなってまだ咲いていました。秋も深まってきたというのに朝顔が咲くとは。そういえば、先日テレビで見ましたが、十月桜や四季桜に交じって突然春に咲くソメイヨシノが開花したそうですね。今年は大きな台風がいくつも日本を通過したので葉が散ってから狂い咲きをしたようですね。(終)
2018年10月22日
コメント(24)

木曽三川公園の奥の方まで歩くと輪中の農家が再現されていました。左から水屋、中央が母屋、右手前は納屋左奥の水屋は食料や生活に必要なものを保管し、洪水時の避難場所として使われたので納屋や母屋よりも一段高くなっていました。納屋は屋敷の東南の端に建て中流以上の農家が持っていました。家は南向きに建てられています。水琴窟が造られていました。台所です。ここでお茶を頂きました。上げ仏壇洪水の時に2階へ吊り上げる綱がついてました。こちらは重いものを2階へ吊り上げる模型です。軒下にあった上げ舟川に囲まれた低地に住む人々は洪水から集落や耕地を守るために村々の周囲を堤防で囲みました。この堤防に囲まれた地域を輪中と呼びます。輪中に住む人々は堤防で囲ってもなお襲ってくる水害に備えて、敷地の中に土を高く盛り石垣を作りその中に輪中地帯独特の水屋を作りました。輪中地帯ならではの工夫と知恵が見られました。母屋を後にして公園の方に戻ります。(続く)
2018年10月21日
コメント(18)

午前中「なばなの里」でダリアとコスモス、薔薇、ベゴニアなどを見た後、実は国営木曽三川公園まで足を延ばしていました。朝まで降っていた雨が上がり木曽三川探検ランドには大勢の親子連れが。長良川沿いの駐車場も満車状態。南口から入りました。この公園には小型犬のワンちゃんを連れた人達が本当に多かったので驚きました。もちろん中型犬や大型犬も少しいましたよ。中に入ると一面にコスモスが咲いてました。黄色いコスモスは珍しいですよね。ハロウィンの飾りつけの前で一服する相方国営木曽三川公園のマスコットキャラクターはナマズではなく「ままず」です。「水と緑の館・展望タワー」に上がりました。地上65mの高さです。展望タワーからの眺めです。芝生広場の向こうは木曽三川たんけんランド。その向こう、田んぼの中にあるのは高須輪中長良川と長良川大橋その向こうは木曽川駐車場が満車というのがわかりますね。揖斐川と油島大橋向こうに見える山は多度山と養老山脈手前の茂みは治水神社そこから千本松原が伸びています。右側には揖斐川が流れ中央には長良川、向こうの方に長良川河口堰があります。左の方には木曽川が流れ木曽川と長良川の間にあるのが福原輪中水没温泉って?展望タワーを降りてからしばらく散策。2羽の鷺が頭上をゆっくり旋回して飛んでいました。次に向かったのは輪中の農家です。(続く)
2018年10月20日
コメント(20)

前日に名古屋へ出かけた相方が駅前のゲートタワーズの6階から写した景色ロータリーの向かって右側左側は改築した大名古屋ビルヂング(新築してもビルディングではありません)ここで「とろろ茶そば」を食べてきました。お土産はHUGO&VICTORのケーキ店内はこの時期、やはりハロウィンの飾りつけがされています。翌日私はJR高島屋のデパ地下1階へハロウィンのお菓子を物色していると突然若くて綺麗な女性に声をかけられました。「インタビューさせてもらってもよろしいですか?」と。スリムで背の高い女性はどうもNHKの方だとか。テレビカメラとマイクを持つ男性が2名と後ろで「気になさらないでください」と落ち着いた経験豊富そうな女性がスタンバイ。咳が出る私はすっぴんにマスク姿なのでマスクを外してノーメイクで答えました。数分がずいぶん長く感じられました。JR高島屋デパ地下1階はケーキなどの洋菓子と和菓子売り場でいつも大勢の女性客で賑わっています。どうして私に?と思ってしまいました。放送されないことを望みます。(※ 後日放送されました。恥ずかしかったです。たまたまジィジとノア君が車で聴いたみたいです。)こちらはポコちゃんこちらはヘヤカットをしてきたモコちゃんもうすぐ二人に背を抜かされそうです。
2018年10月19日
コメント(22)

花広場にはどれだけのダリアとコスモスが植えてあるのかわかりませんが、雨上がりの新鮮な空気を吸いながら花々の間を清々しい気持ちで散策できました。花壇にはお花がいっぱいです。花広場を出て園内を一周します。四季咲きの薔薇も綺麗でした。アイスバーグだけは記憶しています。ベゴニアにも種類がたくさんあるのですね。紫のお花も色々とノボタン(野牡丹)は沖縄から熱帯アジアに多く生息する鑑賞木です。名前のMelastomaは「黒い口」という意味で実を食べると黒紫になるそうです。いかがでしたか?たくさんのお花に酔って頂けましたか。なばなの里は今年開園20周年です。冬でも半袖半ズボンで平気の相方ですが、術後3カ月という事で海風を心配して厚着で行きましたが、朝まで降った雨が嘘のように晴れ上がったので気温が上がり、かなり暑かったようです。私達が帰るころには団体さんも大勢入り出して混雑してきました。これで「なばなの里・ダリア、コスモスまつり」を終わります。(完)
2018年10月18日
コメント(28)

昨日は直径33cmの超巨大な大輪を含めどちらかと言えば大輪のダリアをほんの一部紹介させていただきましたが、今日は小輪と中輪のダリアを少し紹介したいと思います。言葉はいらないと思いますのでどうぞ鑑賞してください。一重のダリアは珍しいと思いました。小輪のダリアの花の直径は3cm~5cmぐらいでしょうか。写真だと大きく感じますが、こちらも5cm~7cmぐらいでした。直径33cmの超巨大なダリアに比べるととても可憐に見えるのでした。この広い花広場では秋になるとダリアとコスモスが群生します。ダリアは3か所で咲いていて、ダリア畑もとても広いと感じるんですが、コスモス広場の方がずっと広いです。展望台から全体像を撮りました。展望台のすぐ下の植え込みです。私達はみんなとは逆コースをたどって先にダリア&コスモス広場へ行きました。そろそろ花広場を後にしてこれから少し園内を歩きましょう。(つづく)
2018年10月17日
コメント(14)

このところ旅行記が続いています。前回は恵那市岩村町の古民家が中心でした。今回はガラッと変わって「なばなの里」で観てきた秋の花、ダリア&コスモスを紹介します。200種のダリアが咲いている姿は圧巻でした。ダリアの花の名前を憶えるのは大変でしたので、とりあえず、お花を鑑賞してください。(あまり大きさが伝わらないかもしれませんが)最大花は直径33cmもありました。↓ プリンセスダイアナです。直径33㎝という超巨大なダリアを含む品種が200種もありました。プリンセスダイアナと紫式部、ウェディングマーチは記憶しましたが、他の名前はとても覚えられませんでした。言葉はもう必要ありませんでしたね。(つづく)
2018年10月16日
コメント(20)

恵那市岩村町を含め東濃地方は栗と五平餅が有名です。くり粉餅という珍しいお餅もありますが、作ってから2時間以内に食べた方が良さそうです。最後にどうしても触れておきたいのが岩村城女城主のおつやの方のことです。(画像は岩村観光マップのリーフレットから拝借)(女城主と織田家家系図)おつやの方は織田信長の叔母にあたります。「文治元年(1185年)源頼朝の家臣加藤景廉が遠山荘の地頭となり長男景朝が岩村城を築きました。戦国時代末期、城主の遠山景任が病没、養子となった織田信長の五男御坊丸がまだ幼少であったため、その夫人おつやの方が実質的な城主として領地を治めていました。おつやの方は大変聡明で美しく領民に慕われていたそうです。元亀3年(1572年)武田信玄の24将の一人、秋山虎繁が侵攻してきました。おつやの方は自ら采配を振るい信長の支援を待って籠城作戦に出ました。しかしこの時、信長は長島の一揆などで前に進めずおつやの方の籠城作戦は3カ月にわたり城内の食料も不足してきた頃、虎繁からおつやの方を妻とすることを条件に無血開城を申し入れてきました。おつやの方は苦渋の末、城兵や領民の命を守るため敵将との結婚を決意し開城しました。その後の数年間、おつやの方は虎繁とともに城の普請や城下町の守備に勤め平和に暮らしていました。しかし、御坊丸は信玄の下へ人質に送られ岩村城が乗っ取られてしまったことを信長は黙っていませんでした。天正3年(1575年)長篠の戦で武田勝頼軍が敗戦したことで武田と織田の勢力が逆転、信長の嫡男信忠率いる織田軍が攻め入りました。この時も半年に及ぶ籠城で城を守りましたが、武田の援軍も望めず、信長からの条件を呑み開城。その条件とは領民を守り、おつやの方と虎繁の命を守るという約束でした。しかし、信長はこれを反古にし夫妻は磔(はりつけ)の刑に処されてしまいました。」(リーフレット概略)領民のためを思っての行動が運命に翻弄され儚く散ってしまった戦国の世の女城主・おつやの方、悲しいですね。さあここでガラッと話題を変えまして、行き帰りに立ち寄った喫茶店でのモーニング珈琲とアフタヌーン珈琲です。とてもくつろげる雰囲気の喫茶店で展示されている小物がほのぼのとしていて大好きなので写させてもらいました。これで岩村城址と「半分、青い」のドラマロケ地の旅日記を終わります。
2018年10月15日
コメント(16)

昨日紹介した紺屋土佐屋と通りを挟んで向かい側にある勝川家に立ち寄りました。勝川家は材木や年貢米を扱う大きな商家であったことがわかります。立派なナマコ壁の土蔵からも三千俵の米を収納できたとされる城下町商家の面影を感じ取れました。離れの二階建てもお洒落な造りになっていました。老木の柿の木には色づいた柿が生っていました。通りを散策していると古い建物に銀行が入っていました。下田歌子は岩村藩士の娘で明治4年18歳で上京、宮中の女官となり和歌の才能で皇后から歌子の名前を賜りました。多くの著書類によって広く女性の啓発活動に貢献した近代女子教育の先駆者の一人です。そろそろ喉の渇きを潤しましょうと町家を改築したカフェ併設の菓子店に入りました。「かめや菓子舗 カステラcafeカメヤ」です。店頭にある厨房でかすていらが焼きあがる甘い匂いが店内に漂います。テレビで紹介された炙り栗きんとんは早々に売り切れてしまったそうで残念でした。やはりここでもテレビの効果で大勢のお客さんが炙り栗きんとんを買い求めに来られてました。すぐ奥に和モダンなカフェが面白いでしょ。お客さんは床の間や緑美しい中庭を見ながらここで頂きます。私はお抹茶を。カステーラと乾燥イチジクと金平糖付きです。相方は最中と紅茶をノア君はアイスをよく歩いたのでここでゆっくり休憩できたのでした。(つづく)
2018年10月14日
コメント(24)

カステーラで有名な松浦軒、ふくろう休憩所、名産品菊ごぼうのお店を通り過ぎ、江戸時代の雰囲気を残した紺屋土佐屋に立ち寄りました。主屋に入ります。土間店から中の間へ仏間から座敷へと進みます。昔懐かしい糸車が展示されてました。通り土間から離れ座敷の方へ進みます。糸車機織り(はたおり)機なまこ壁の土蔵です。染工場です。明治末から大正初めごろの建築物で、染め壷及び火鉢が11基据えてあります。染め壷の中央にあるのが火壷でここで火を焚き、周りの染料を温めてました。こちらはホトトギスですが、藍の花と言えばこちらの「蓼食う虫も好き好き」のタデです。タデ科イヌタデ属の一年生植物で別名タデアイ(蓼藍)とかアイタデ(藍蓼)と呼ばれます。裏門から引き返します。紺屋土佐屋さんは恵那市指定文化財になっています。(つづく)
2018年10月13日
コメント(28)

さあ、女城主の里、岩村の重要伝統的建造物群保存地区へ足を踏み入れましょう。ここで五平餅を一人1本ずつ買いました。テレビドラマで登場した五平餅屋さんはこの通りの混雑ぶり。皆さん忍耐強く並んでました。いつまで経ってもおよそ百名ほどが列をなしてました。ドラマロケ地は西町一丁目商店街でふくろう商店街の事です。鉢植えの朝顔も「半分、青い」(本物です)やはりここが一番混雑していました。テレビクルーが街頭インタビューをして「今日はどこからいらっしゃいましたか?」と質問してました。ドラマの影響で北海道や東京から訪れる人もいるようです。私は石臼に咲く花の方に興味がわきました。そして女城主の里、岩村のマンホールの蓋にも。(続く)
2018年10月12日
コメント(28)

ダンスパーティーの翌日、恵那市まで中央道を走りました。まず向かったのは岩村城址。大和高取城(奈良県)備中松山城(岡山県)と並ぶ日本三大山城の一つに数えられ、「日本百名城」にも選定されました。山道は車1台がやっと通れるほどの道幅しかありません。対向車が来ませんようにと祈りながら進みました。最近観光客が増えたので広場の駐車場では足りません。岩村城址は717mの所にあります。ノア君とジージは先を急ぎます。私が前日のダンス疲れがあるからなんて言っておれない速さで石段をどんどん登っていきました。ここから入りましょう。埋門(うずみもん)は野面積、打込ハギ、切込ハギといった3種類の積み方が一度に見られる日本でも珍しい場所です。本丸があったと思われる広場に出ました。遠くの山並みと同じ高さです。別名、霧が城と呼ばれる山城だったことがわかります。築城は鎌倉時代です。その後の城主の変遷は上記の説明をご覧ください。本丸があったところが広場になっています。昇龍の井戸は埋めてありました。ノア君は3DSに岩村城の歴史(解説)を取り込み見せてくれました。山の上はさぞ寒いだろうと思いましたが、この日の気温は30度近くまで上がり汗ばむほどの暑い日となりました。これは下へ降りてからパネルの六段壁(6段の石垣)を写したものです。(中央の傘はご愛敬という事で…)PS) 石垣の総延長は約1.7㎞使用した石の数は約4万個だそうです。山の上まで運ぶのは大変だったことでしょう。次に「半分、青い」のドラマロケ地に向かいます。(つづく)
2018年10月11日
コメント(18)

10月も10日になり今月も3分の1が過ぎました。時の流れる速さに驚かされます。いつもここで紹介している武下さんが描かれたシンフォリカルポス(雪晃木・セッコウボク)「自分に見合った生き方を」と詞が添えられています。社交ダンスを始めて19年目に入りました。若い頃から色々な趣味を経験してきましたが、最終的に落ち着いたのが社交ダンスです。これからも身体が動かせる限り細く長く続けたいと思います。先日はるばる京都から応援に駆けつけてくれた長男夫婦がたくさん写真を撮ってくれました。その中で、ドレスが踊っている写真を選んで載せたいと思います。私達が持っているカメラではリリアンの動きをここまで写せませんでしたから。最後のシーンはちょっと恥ずかしかったんですが、男先生に「そんな事を気にしていたら踊れないよ。平気。平気。」と妙に励まされ思い切って足を上げました。いつもレッスンをするスタジオではカセットデッキが置いてある方向なので気にも留めなかったんですが、まだ少しは恥じらいがありますので。第3部が終わってお花を頂き皆様の前に再登場しました。(プロの先生方のお顔は消しましたが、顔なじみのお姉さま方どうぞお許しください)頂いてきたお花がたくさん飾ってあります。玄関を入ると百合のいい香りがしています。フィナーレが終わって会場出口で頂いたお花です。明日からは「半分、青い」のドラマロケ地のことでもお話ししましょうかね。
2018年10月10日
コメント(16)

日曜日(7日)に無事ダンスパーティーも終わり昨日(8日)は「半分、青い」のドラマロケ地までドライブを楽しんで来ました。それは後日旅行記に載せることにして、やっと落ち着きましたので、先週のことを少しだけ記しておきたいと思います。ある日の夕方、リビングのカーテンと窓が真っ赤に染まっていたので慌ててスマホで撮りました。茜色に暮れなずむ西の空の様子です。(編集は一切せずそのままの色です)夏に大病を経験した相方の誕生日がありました。毎月1回出かけていたテニスのお姉さま方とのランチを3カ月間も休んでいたので久しぶりに会ってランチを楽しんで来ました。そして誕生日のプレゼントに大好きなミニオンズをたくさん頂いてきました。こちらは次男夫婦からのプレゼント早速私もご相伴にあずかりました。これ以後はパスしていただいて結構です。相方は今まで表彰状や感謝状を頂いてもそういうものにはまったく関心がなくどこかへやってしまっていましたが、これからは私が記録として残しておきます。こちらは先日応援して当選されたダンスの女先生が載っていたので記念に。お目を煩わせて申し訳ありません。
2018年10月09日
コメント(24)

昨日のダンスパーティーの続きです。会場前は花、花、花13時にドアオープンして第1部、第2部、第3部演技発表の後、プロと踊れるダンスタイムで身体を充分動かした後は恒例のディナーです。ディナーの後はお楽しみプロのショータイム。その途中で会場の全員が参加して「ダンシング ヒーロー」を踊り気持ちのいい汗をかきました。フィナーレの様子です。プロの先生方と参加者全員がハイタッチや握手をしました。こうして楽しい1日が終わったのでした。
2018年10月08日
コメント(14)

近年日本を旅する外国人観光客が増えていますが、常滑では一人も会いませんでした。でも登窯の英語の説明はちゃんとしてありました。昭和49年まで実際に使われていた登り窯です。昭和57年に国の重要有形民俗文化財に指定されました。重複しますが、現存する日本最古で最大級の登り窯です。この蓋は幾何学模様でロックと書いてありましたが、何を意味するのか分かりませんでした。集合時間も迫っているというのにちゃっかり「とこなめ招き猫通り」も速足で歩きながら撮ってきました。大周りした道のコーナーを曲がって後ろを振り返ったところです。歩道の右側の壁にはたくさんの陶器の招き猫が展示されていました。延々と続きます。私好みの猫ちゃん達どれも面白い招き猫でした。最後にポストの上の郵便配達員さんも。やっと陶磁器会館に戻ってきました。残り5分で会館内に並べられた常滑焼も一通り見て回ることができました。中部国際空港から出て来た所にあるりんくうICでセントレアラインに乗り知多半島道路を通りめんたいパークへ立ち寄って工場見学とお買い物をした後、帰路についたのでした。ながらく日間賀島と常滑の旅にお付き合い頂きありがとうございました。(終)
2018年10月08日
コメント(14)

一日愛知まで出かけておりました。その間、皆様から温かいお言葉を頂き本当にありがとうございました。今日は楽しくルンバを踊ってきましたのでご報告いたします。プロのショータイムが終わりフィナーレの様子です。今日も京都から奈良経由で長男夫婦が応援に来てくれました。今日は自分で髪を結っていきました。アップには耐えられませんのでこのくらいで。リハーサルの様子です。第3部で踊ったルンバです。お粗末さまでした。取り急ぎご報告まで。おやすみなさい。
2018年10月07日
コメント(12)

常滑焼は約千年の歴史を持ち平安時代にはすでに生活に使われていた瓶や壷が焼かれ「古常滑」と呼ばれ文化庁の「日本遺産」の認定を受けています。急須や招き猫が有名ですが、戦後のインフラ整備に欠かすことのできなかった土管、タイルや焼酎瓶、鉢や食器置物なども作られました。しばらく土管や焼酎瓶が積まれた風景をお楽しみください。ちょうど二人の若い女性と土管坂で出会いました。焼酎瓶だけよりも土管だけよりもやはりお二人が入るだけで絵になりますね。彼岸花もそろそろ終わりでしょうか。煙突が見えてきました。登窯広場のオブジェです。近くには東屋、水琴窟、陶壁などがあります。登窯広場に隣接するこの建物は?うっそうと生い茂る木立の中へと進みます。見えてきたのはたくさんの数の煙突。昭和49年まで実際に使われていた登窯です。昭和57年に国の重要有形民俗文化財に指定されました。現存する日本最古で最大級の登窯です。(続く)PS) 今日は愛知県で開催されるダンスパーティーでルンバを踊ってきます。今夜は帰りが遅くなると思います。
2018年10月07日
コメント(14)

常滑は昔から陶器の町として有名ですが、現在では使われることのなくなった石炭焼成の煙突や窯跡を見ることができます。昔懐かしい風景です。お地蔵さんの横に赤、黄、白の彼岸花が綺麗に咲いていました。こんなのが道路に埋め込まれていましたが位置を示すものでしょうか。狭い小路を地図を頼りに歩きます。西門から入らせてもらいました。足元の模様も面白かったです。ここから土管坂が始まります。土管や焼酎瓶が積まれた風景は常滑独特のものです。こちらが廻船問屋・瀧田家の正門。江戸時代から廻船業を営んでいた瀧田家を保存したものです。歴史を感じる造りで市指定文化財になっています。西門から正門まで距離がありずいぶん広いお屋敷だったことがわかります。こうして土管坂は続くのでした。後にも先にも人影はなく、ちょっと心配になってきたのでした。(続く)
2018年10月06日
コメント(22)

レンタルサイクルなら島内を1周できるでしょうが、歩いていては集合時間に遅れるかもしれないので今来た道を戻ることにしました。途中、軽トラの荷台にタコ捕りに使うタコ壷を見つけました。この中にタコが入るんですね。そして「引っ張りだこ」の語源ともなった日間賀島の秋の風物詩、「干しタコ」が軒下で潮風に揺れていました。何だか異星人のようにも見えて面白いでしょ。こんなかわいいタコちゃんもいましたよ。快速船で師崎港に戻ります。船の中でママに抱っこされて隣りに座った幼児が偶然相方と同じTシャツを着ていました。写真を撮らせてもらったんですが、ボケちゃいました。「袖振り合うも他生の縁」とでも言いましょうか。帰りは西港へ寄りました。こちらは釣り人が多かったです。岸壁で釣り糸を垂れている人たちの我慢強い姿が見受けられました。向こうの方にねじり鉢巻きをしたタコの形をした家がありますね。師崎港からバスで常滑に移動。ここで自由時間が50分ありました。私達は焼き物散歩道を散策することにしました。道の両側に土管が埋められているのです。子供たちの作品もあちらこちらで見かけました。これはほんの入り口です。これから地図を見ながら回ったんですが、何せ初めての道ですし、近くに誰もいなくて結局最後にうっかり道を間違え、かなり大周りをしてしまいました。あわてて地元の人に地図を見せて陶磁器会館を教えてもらい急ぎ足で戻り、集合時間5分前にやっと到着し、どっと冷や汗をかきました。(続く)
2018年10月05日
コメント(22)

昼食後、歩いて向かったのは知多四国第三十七番 大光院小高い丘の上にありました。屋根の上に鬼瓦ではなく獅子が玉乗りを。獅子の体形がすべて違っていたのでした。後ろ足を開いている獅子足を閉じている獅子まるで空を泳いでいるようでした。レンタル自転車に乗ってスイスイ追い抜かしていく若者や子供たちを横目に見ながら私達は速足で歩いたのでした。遠くから松林の間を行ったり来たりしているブランコが見えたからです。この階段の上にハイジのブランコがあるのです。こちらも小高い丘の上なので階段を上りました。既に10人ほどの若者が並んでいました。若いカップルが交互にブランコをこぐ姿を撮っていました。相方に「並んでブランコに乗ったら」と言われましたが、待ち時間が長そうでやめました。ほとんどの女性は「キャー!」とか「怖い!」とか叫んでいました。それもそのはずブランコは海に向かってこぐんです。崖の下に広がる浅瀬では母と子供らが水遊びをしていました。小さな村社にも寄ってきました。ここからも三河湾を眺めましたが、富士山は見えず残念。足に優しい海辺の砂浜を歩きました。タイルでタコつぼから出てきたタコが描かれていました。水浴び場もタコの形そしてトイレもタコで区別されてました。面白かったのでつい写してしまいました。失礼!(続く)
2018年10月04日
コメント(20)

師崎港から約10分で日間賀島・東港に到着島で唯一の信号機だそうです。日間賀島はたこで有名。たこのモニュメントの前で記念撮影先ずは民宿で昼食です。日間賀島はこれで3度訪れました。以前は身内だけでフグ料理とタコ料理を食べに来ました。今回はバス旅なので相方は魚ランチ私は海老ランチです。たこランチの方はたこ飯とたこぶつを。食事を含めて2時間も自由時間があり、それぞれが好きな事をされました。私達は散策をすることに。つい足元が気になります。日間賀島のマンホールの蓋はたこ汚水槽の蓋もたこ微妙に模様が違うでしょ。こちらの蓋はフグです。知多四国第三十七番札所、大光院へ行ってみることにしました。坂道を上がった小高い山の上にあります。晴れた日には富士山が見えると聞いたので目を凝らして遠くの山並みを見つめましたが、霞んで見えませんでした。(続く)
2018年10月03日
コメント(20)

趣味のダンスレッスンを先生方の都合で約2週間も休みました。今度の日曜日は愛知のホテルでまたルンバを踊りますので今日から5日間集中レッスンに励みます。昨日のブログでも触れましたが、9月19日(水)に後援会事務所の開所式9月23日(祝日)は告示&出陣式が行われ9月25日(火)からは毎日事務所のお手伝いに出かけました。9月24日(振替休日)だけお手伝いを休んで日帰りバスの旅に出ました。しばらくバスの旅にお付き合いください。地元から愛知県知多半島方面に出かけると必ず立ち寄る所が「えびせんべいの里」です。旅の始まりだというのに皆さんもう大きな買い物袋を提げてバスに戻られます。そう言う私達も同じですが…次に立ち寄るのが「つくだ煮街道」ここでもまたお買い物道端に咲く彼岸花とカンナの花バスの添乗員さんの話では前日半田市の300万本の彼岸花をお母さんと観て来たとの事でした。赤、黄、白の彼岸花が堤防沿いに300万本も咲いている光景は圧巻だったそうです。(後日、私もテレビでその光景を眺めとても感動しました。)そうこうするうちに、師崎(もろざき)港に到着しました。ここからフェリーで日間賀島に向かいます。連休なのに高速道路をスイスイ走り渋滞なし。予定よりも早く着いてフェリー出航時間までに時間がありました。近くを散策しお花を撮りました。カンナの季節ですね。これは私達の前のフェリーに乗船する皆さん私達も快速船に乗って湾から出ました。約10分で日間賀島が見えてきました。と、そこへ左側から高速船が近づいてきました。接近したので心配しましたが、そこは海上ルールに従って私達の快速船がスピードを緩めて高速船が通り過ぎるのを待ちました。快速船の波しぶきです。あっという間に防波堤が見えて間もなく日間賀島に到着です。(続く)
2018年10月02日
コメント(16)

台風24号は大きな被害を残さず足早に通り過ぎていきました。皆様の所はいかがでしたでしょうか?あまり被害が出なかったことを願っております。先ずは社交ダンスの友人の最新ネイルを紹介します。今回はヒョウ柄チャームはヒョウとシマウマさて、1週間旅行記にお付き合い頂きましたが、その間、私は連日朝から夕方まで、時には晩もお手伝いに出かけておりました。9月19日(水)に後援会事務所の開所式がありました。それはいつも出掛ける場所でした。23日(日)は告示があり届け出、朝、出陣式をやりました。この後、私はモコちゃん&ノア君の運動会に走りました。翌24日(振替休日)は日帰りバスの旅に出かけ翌25日(火)から毎日朝から夕方まで選挙事務所へお手伝いに出かけました。夜は個人演説会が2晩、2か所で開催されました。28日(金)は朝から夕方まで手伝い、ノア君のテニス教室はジージに送ってもらいモコちゃん&ミラ君の夕食を済ませてから午後7時に事務所へ走り午後7時半からの総決起集会に参加。連日朝から夜まで選挙カーのウグイス嬢はママ友が交替で手伝ってくれました。ママ友の旦那さん達(夜は男先生)は交代で運転手を務めてくれました。私は事務所の番とお茶出しでした。そして昨夜30日(日)は深夜までもつれ込みましたが、めでたく当選できました。台風24号の通過で投票率は低かったですし、結果が分かったのは午前0時過ぎでした。ダンス教室の女先生は3人の子供のママでこれから市議会議員と2足ならぬ3足の草鞋を履くことになります。バイタリティあふれる女性なので地元のために活躍してくれることを大いに期待しています。
2018年10月01日
コメント(16)
全33件 (33件中 1-33件目)
1