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とか何とかいっちゃって、まあ、ヤボ用で、ぶらぶら歩きながら元町や三宮のJR南側の繁華街を歩いた。1本入ったところなんか、何だか10年ぶりとか20年ぶりに歩くようだ。今は、バーHUBは北側にあるが、昔は南側にあり、本当に外人がほとんどのバーであった。おめえ、かぶれているのか?といあれると、何だか、分からないが、旅行からの帰り道には途中下車して、ここで一杯飲んでから数ヶ月ぶりに家に帰るというのが定番であった。定番ではあるのだが、調子こいて飲んで、帰りの電車内で腹が痛くなってきて、駅降りてから家路に向かう途中でどうしても腹を下して我慢できず、駐車場の人が全くいないところに行き・・・以下自主規制。何故か、意味あまりないが、(美味い!って普通に美味い程度の)センター街にあるカツどん屋さんは、探してもないし、裏通りに何故かおされでしゅっとした姉さんがやっていた(ワンレンボディコン)カフェバー(客がいつもいない)は健在だなあ。随分目立つようになったけど。うーん、25年前はこういうのではなかったけど、飲食店がここまで持っているのは、オーナーが変わったのか、それなりの利益を出しているからか、税金対策の店か・・・。学生時代の店は、ほとんどなくなっているあと、そういえば、中学校が一緒だった親父がやっているスポーツ店。「○○クンの友達です」がキーワードで、そういうと、割引してくれる親切な店というか、チューボーのガキにとっては特別感があったのだろう。それでも運動部だったから、随分トータルしたら買ったものだわ。
2014.10.31
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地域無料配布物については普段は随分無視してきたが、無断で抜粋することにした。何故なら、自室の床に落ちていたからだ。何故床に落ちていたか?片付けるということは、整理するということもあるが、元の場所に戻すということだが、これができない。まずポストに入っていたものは、基本的に取り出さないが、取り出したものは、玄関に置いたままにするか、ゴミ袋に入れる(ゴミ箱がないので)。片付けると、スペースどころか、お金もココロの平穏さえも訪れるものなのだ、それは、頭では分かっているが、整理すると、仕事は出来るかもしれないが、アイデアが生まれないような気がする。多分気がするだけで、多分気の問題だろう。何故問題をスルーするかというと、今日はリビング神戸東版の批評広告の時間だからだ。ん、リビング新聞とは何か?それは、まあ、産経系の無料配布の何であり、まあ私も仕事の都合上、多少知っている。詳細は知らない。世の中のことは大抵知らないから。1面目は、1っ世帯あたりパン代が日本一。総務省家庭調査によると、支出金額及び消費量(って重さか?9が日本一。今更神戸市民なら誰でも知っていると思うのだが、多分、パンを宣伝したいのだろう。カリカリに焼いた食パン食べたくなってきたやないか。ガキの頃はチョココロネみたいなんが好きやったけど、10代後半になったらそうでもなくなってきた。しゃああないな。カリカリに焼いた食パンにジャムやバターなんかつけへんで。ガキの頃は、パン屋に買い物行ってこいや、って親に言われて、「3枚切り二食」とか言われて、それを繰り返しながら訳分からず言葉繰り返し、店に言って、(って徒歩3分やけど)帰りに遠道して、家の前でふと、思い出して、あ、おつりもらうの忘れた、といい、店に戻り、店のおやじに、あーあ、パンぐしゃぐしゃやん、と呆れられ10円もらった。(お釣りなんかなかったのに)そうやって、パン少年に育ったのであった。裏面の表4については、ゴーフルの宣伝であるが、風月堂ゴーフル、わしは好きや。でもこれは和洋折衷お菓子であり、たぶん、神戸市民ならモロゾフプリンコップ(阪神大震災で高級ワイングラスが全部つぶれ、モロゾフの低級休みの分厚いプリンコップだけが生き残った)に並び、どの家庭でもあるのが、ゴーフルのカンカンだ。カンカンに趣味のものをいれているのだ、キーホルダーとか古銭とかスーパー消しゴムとか(それオレか)。表3みたら、谷村信司コンサートと小豆島ツアーね。谷村信司は淡路のホテルまで見に行きましょう、みたいだな。あと、いろいろ調査してみるが、面倒だなあ。面倒な中で、興味ある記事を最後にピックアップしようではないか、という自己企画。なんか、さんちかで100円グルメしてるらしい。(さんちか、とは三宮地下街のことである。さんちかは、遠く私の記憶と行動から離れていたが、それも20年ぐらい立ち寄ってなかったが、最近、ここ数ヶ月は、時々、焼き鳥屋や居酒屋に不気味に立ち寄っている、からねえ)しかし、伝説バンド、クリームのボーカル・ベーシストのジャックブルースの記事はなかった。まあいいか。ジンジャ^ベイカーとエリッククラプトンの伝説バンドで後のズエッペリンやディープパープル、ジェフベックに影響を与えたが、私の場合は、学生時代だなあ。タイムリーではなく、解散から20年以上後の話だが、カセット屋で買ってよく聞いていたなあ。世間を流行らせたいのを動かせる世代は40代としたら、そいつらの青春時代は20~30年前であり、いつも2,30年前の曲が流行る、だから今なんか1980年代から90年代の曲がまた流行ったりしているものなあ。すぐCMとかで流したがるからなー。ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100組VH1: '100 Greatest Hard Rock Artists': 1-50
2014.10.30
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ローリング・ストーン誌が選ぶ偉大なギターソング 1位:Chuck Berry - “Johnny B Good“まあ、時代が私とは違いすぎるが、思い出すこの曲のシーンは、無人島合宿の夜であった。円陣を組み、中心は、流木を燃やし続ける炎。俺たちはまどろんでいた。酒で酩酊状態の20歳。しみじみしたくだらネエ話はもう飽きてしまったぜ、というときに、ラジカセ大ボリュームでかける。それがジョニーBグッド。俺たちは立ち上がり、狂ったように炎を囲んで踊り始めた。踊りはLSD的。交代で炎の上をジャンプ、次第に炎の上をユックリ踊りながら歩き、鍋は楽器となり、スピーンは楽器となり、翌朝、強烈な二日酔いの中、テントから出ると、今日、穴の空いたベコベコの鍋でどうやって料理すんだよボケ!と天に向かって叫んだ。 2位:Jimi Hendrix - “Purple Haze“ ジミヘンは、高校生の頃のヒーローというか、高校生の頃は、随分昔で、年がばれるが、お金持ちかマニアしかビデオを持っていない時代、というかまだMTVが始まる前年であり、海外のムージクシーンは、ベストヒットUSAしかなかった。そこで、あれ、何時だったかな、高校生なのに、友達と一緒にベストヒット見ようぜ、といって夜中の12時くらいに10キロくらい離れた友達の家まで走って行ったよ、陸上部だったからな。そこで、特集が、何とジミヘン、いやあ、友達と興奮したよ。ギター燃やして、破壊して、興奮したなあ。Purple Haze。Purple Haze っていえば、簡単にいえばガンジャの種類だ。勿論、高校の頃はそんなもの知らないよ。 3位:Cream – “Crossroads” クリームは前述の通り。 4位:The Kinks – “You Really Got Me” The Kinks(キンクス、1964年 -)は、イギリスのロックバンド。 イギリス4大バンド(ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フー)の1つ称されるが、キンクスも私にとってはタイでカセットで揃えたタイシリーズのひとつ。でもユーアリーガットミーは、ヴァンヘイレンで先に知ってしまったんですね、ごめんね。 5位:Rolling Stones – “Brown Sugar” ブラウンシュガーの思い出。かつて、ワタシは、ボンベイ(現、ムンバイ)に滞在していたが、タージマハルホテルの前にある海沿いの道に、足のない乞食がいた。胴体から上しかない彼はスケボーに座っていて、手で押してそれで移動するのだ。おまけに彼は、何故かブラウンシュガーをも扱っていた売人でもあった。彼と意味のない会話をしていると、ある西洋人男性が通りがかった。乞食は「あ、おまえまだ、金払ってない、金を払え~」と彼にきづくやいなや食い下がった。暫く西洋人男性は無視していたが、ひつこく悪態をつくながら追いかける乞食に、我慢ならなかったのか、いきなり張り手をくらわせた。乞食はスケボーからふっとんだ。肉の塊が転がった。乞食はすぐさま、手だけで体を引きずってスケボーの所に行き、乗り、そしてまた懲りずにその西洋人男性を追いかけた。その地面を張っていくゴロゴロという車輪の音が、今でも時々、ワタシを悩ませる。 6位:Eddie Van Halen - Eruption 高校のとき、1年だったなあ、アルバム聞いて、まあ痺れたよ。この曲を紹介してくれたやつは、その後、何故かタカナカマサヨシにはまって、オレのタカナカのアルバムと彼のバンヘイレンとアルバム交換した。7位:The Beatles – “While My Guitar Gently Weeps” ビートルズの中で、多分一番好きな曲。 8位:Led Zeppelin – “Stairway to Heaven” 中学生1年のとき、初めてかったアルバムがYMOのソリッドステイツサバイバーで、2回目に買ったのが、ツエッペリン4だ。それを持って、中学校の友達の家に学校の帰りに寄り、そこでツエッペリンかけて、彼が買ったピストルズかけた。ジャケットが鹿の死骸。友達のオカンは洗濯していて、俺らは狭いマンションの一室で騒いでいて、のど渇いたら、友達が、ベランダにいるオカンに向かって、口笛吹いて呼んだ。後ろで、アナーキーインUKが流れていた。あ、マイウエイだった。くちまがっとう、まがっとう!ちゃんそり!アナーキーインUKこっちチューボーやったら痺れるよね。 俺は反キリスト論者 俺はアナーキスト 欲しいものなんてないが 手に入れる方法だけは心得てる 行き交うやつらをブッ殺したいぜ 俺はアナーキストになりたいのさ、手下なんてゴメンだね アナーキズムを英国に きっといつかそんな時がくる メチャクチャにするぜ、交通を遮断してやる 買い物の計画だけがお前のこれからの夢 俺はアナーキストになりたいんだ この街で 手に入れる方法なんていくつもあるのかい 思いどおりにやってやる、くつろいでやる 敵を操ってやる、アナーキズムを振りかざしてやる 俺はアナーキストになりたいんだ それが唯一の方法さ さもなきゃくたばっちまうんだ
2014.10.29
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昨日も今日も、関西でエグザエルのコンサートがあったのか、街中にそれらしき人物たちが溢れてて、ハロィンと間違えた。まあいいか。カードの引き落としが、残高あるのに、引き落とされませんでした、とカード止められた。まあいいか。でも小心者のため、更に別口座から十万円ほど、入れておいたが、それの意味は?意味はない。意味はないが、まあいいか。コーラル(珊瑚)とかアトール(環礁)とかラグーン(内海?)とかって学生になってから覚えた単語だよ。エッグプラントとかキューカンバとかウオーターメロンとか学生になってから覚えた英語だよ。働いてからは、アプリコット(杏)とかスピナッチ(ほうれん草)とかラデッシュとか知った。シーバス、キャットフィッシュ、トラウトとか働いてから知った。まあいいか。今の学生って月間書籍購入額が1000円台なんだって。図書館行っているのか?信じられないな。まあ、いいか。すごいなー。旅行って、20年前と全く違う。何ヶ月も日本とのコンタクトが途絶えたのに、今はもう外国にいるのかどこにいるのか、何でも一緒で分からない。まあいいか。休みやったけど、仕事にこっそり行かないといけないから行ったけど、8,000円ぐらいで城之崎食べ放題バスツアーを予約してたみたい。安いよなあ。城之崎までバス往復するだけで6,000円ぐらいだぜ。それに2食ついて食べ放題、温泉代別、としても、安いなあ。多分、人数揃ったらバスって安いのか。多分儲けはほとんどなく、お土産などのキックバックで儲けるのだろう。あと、キャンセル代で儲けるのかもなと今日思った次第。まあいっか。まあ、いいかってことが多いのだけど、っま、いっか、くよくよするなよ、前進あるのみ、というのは、良くないな。くよくよして反省まではする必要ないけど、マアよく考えて次の行動しないと、また同じこと繰り返すからねえ、ま、いっかじゃないよね。くよくよして、まどろんで、迷ってどうしよう、そんな状態、いいじゃない。でも昔はそれを言語化できなかった。20年前は、なやみの相談室にはすかさず、「くよくよしろよ」といっていたが、なんでそう言っていたかわかるようになってきた。でも分かるようになってきたら、もう相談してくれる人はいなくなった孤高の人になってしまったなあ。オモロイなあ。10代は皆さんが私に相談にくる季節でしたが、ボロが出て、どんどん誰も何の相談も愚痴もヨロメキもなくなりました。それは、一部、オレに何もツマランことイワンといてくれ、オレ、人の相談ごと興味ないから、ってのがばれてるからだろうね。ま、いっか。
2014.10.28
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関西人は毎日走ってます。そのため、過酷な交通規制があります。歌舞伎も廃れたのですが、尚、走り続けます。大阪には法善寺横町があります。めおとぜんざいもあります。皆様がむやみやたらに水を懸けるので苔だらけになりました。この横丁では有名な焼肉屋とイセエビ屋があり(とらちゃん。えびや)、行った事があります。遠くに何がみえますか、御堂筋沿いに繰り抜かれた建物が見えるだけです。苔を育てるために、列まで成しています。大阪一の有名な通りをご存知でしょうか。蟹です。手前には、有名な2軒のラーメン屋があります。キンリュウとカムクラです。大阪1,2を争う有名人。食い倒れタロウ日記コナモノムージアムもあります。日本の王将も黙っていません。日本のカールおじさんも頑張っています。大阪には蟹は割りといます。ドンキホーテが作った観覧車的ものは操業停止しています。先週、6代目のグリコ看板ができたとのことですが、LEDらしいですが、昼間は分かりません。グリコの選手は、フィリピン人です。今もフィリピン人オリンピック選手のままでしょか。関西一の商店街、心斎橋です。人が多すぎて、歩くのをやめました。御堂筋沿いには、韓国領事館があり、警察が建物を物々しく24時間監視しています。こういうのはあとアメリカ領事館しかないです。大阪では、光っているのが好きです。だいたいこのようなでこらてぃんぶされた車が走って。います。いじょう。アメリカ村で、知らんがな、でさようなら。それでも走り続けます。マルイとタカマシヤが見えます。
2014.10.27
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いや、実は何の思索もしてない。でもバルコニーでぼーっとしてた。今まで、ほんの少ない人生でも、ビーチで合計何ヶ月ビーチでぼーっとしただろうか。人生を無駄にした。無駄にしたことは後悔ではなく、自慢だ。雨が降って、屋根があって嬉しい。あと、2,3時間で空港に向かうが、まだ、ぼーっとしている。サイパン グアムサイパングアム( リンク) サイパン 定点観測( リンク) サイパン ヂューティフリー。( リンク) サイパン 夜から昼。( リンク) サイパン 昼。( リンク) サイパンの暇( リンク) サイパンgourmetの旅( リンク) グアム( リンク)
2014.10.26
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そういうのは、まあ、簡単に言えば相対的なものであり、比較であるので、自分がどういう性格なのか、自分で考えるのはあまり意味はない。年下にはアニキ風吹かす頼もしい奴かもしれないが、年上からは頼りないナヨナヨな奴と思われ、オモロイやツラの仲間では、オメつまんねえな、と思われ、あまりおもしろくない奴らの間ではそこまでポンポンとアイデアでますねと賞賛される。会社の中ではトラベルに詳しいかも知れないが、トラベル仲間の中では単なるトラブルメーカーに過ぎなかったりする。世間体には親切で誠実な旦那と思われているかもしれないが、家庭内ではDVの恐怖政治をする独裁者かもしれない。会社では大人しい人と思われているかもしれないが、友達と飲みに行くと仕切り屋になっていたり、社内では偉くなって威張り散らすが、地域コミュニティでは鬱陶しい奴と思われたり。
2014.10.25
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大きなことはいえないが、学生時代から腕時計をしていない。いや、そんなことはない、今思い出したが、前妻の親から高そうな時計を頂いて使っていたことがある。残念ながら電池が切れて、そのまま使わなくなってしまった。ちょうどその頃には携帯電話も普及してきて、それで時刻を確認するようになったからだ。しかし、海外旅行ではそうではない、部屋に時計がないこともあったりして、腕時計型サイズの懐中時計を1,000円で買い使っているが、その前は、1,000円の使い捨て腕時計を空港で買ったようだ。証拠写真初めて腕時計を買ったのが、中学校の時で、当時はデジタル時計がメジャーになるはじめる少し前で、ストップウオッチ付きのデジタル時計で安いものでも、2,3万という驚愕の価格であったが(=お年玉のほぼ全額)、姫路市は奥野時計店で購入したのであった。それから2,3年もすると、プラッチックで出来た1000円もしないデジタル時計が出回り始めたのであるが、何せ、ストップウオッチ早押し一人競争の日々が始まったのである。何せ、腕時計の厚さが極みであった。美しい。時計の四側面についたボタンのストップウオッチ機能のボタンだけが、徐々に陥没していく日々、やっぱり私は中学校一年生だった。奥野時計店からは、その後10年に渡り、案内が自宅に届き、毎年年賀状が届くという超優良店だったのであった。頑張れ、奥野。しかしホームページ検索したけど、ないぞ!燃え尽きたか、奥野!いや、違う!奥野はオクノになり、宝石を追加してゴージャスになっていた。応援するぞ!陰から。しかし、働いてから1度つけていた時計は秒針はなかったけど、誰がせわしい秒針とっつけたんだろうねえ。江戸時代までは、何だか未開文化でもないのに、時計がないというか、日の出日の入り主義の、それぞれを6等分に分ける(丑三つ時とか)の世界だったので、春夏秋冬時間の流れが違った風流な世界だったんだねえ。まあ鎖国してから出来たってことだよねえ。まあ、西洋式時計を広めようとしたのが、またまたのフランシスコザビエルって訳で、でもそんな単純な時計には和時計職人がゆるさねえ!改造しまくってマニアックなもんを作り出したわけで、明治になって今後は西洋式でイクゾーって政府が声掛けたら、なんじゃいこんな単純なもの!とあっという間に追いつき追い越す。ちなみに、時計マニアック発祥のひとつが、東京芝浦工業になったって分けね、東芝。まあ、時計って言えば、スイスジャン、ずっとスイスの天文台が時計の精度大会なんかを、自分らの威厳を保つために精密さナンバーワンワールドコンテストやってたけど、セイコーが1960年代終わりにクォーツ出したら、もう正確さでは叶わないわい、とコンテストやめちまった、やめちまってもスイスの時計はすごいよ、デジャインとか、ブランド力で勝負するようになったからね、え、精密度?正確さ?まあ、誰が100年に1秒狂うみたいな時計求めてんだい、バロー、見た目と見栄でしょ!と言い出したのである。いや言ってないか、そういう方向にもっていっているだけか。何せ、私は、あのエジプト以来30分前のパラレルワールドに住んでいる住民だ。30分前の私は、多分30分後の私と入れ替わったのだろう。まあ、そうとして、むむ、偶然の心霊写真みたいになっとる。ビール瓶に女性が・・・。今、家では、そこからか秋の虫が入り込み、鳴いている・・・。
2014.10.24
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不思議なことなんだが、思い出したら昨年も同じ月に残高不足でカード引き落としできませんよってご案内頂いたことを思い出した。これってその月は毎年引き落とし前に何か定期的な少し大きい金額が自動引き落としされているのだろうか・・・。未だに、というか去年から謎である。謎に加え、オレってお金ないのか、多分、収入が少ないか支出が多いかであろう。いや、そのどちらかかも知れない。まあ、そんなわけで、大量消費しているのではないかと、最近買った衣料について、厳しい現代社会を認めつつ、考察ってか、思い出してみるのだが・・・。実は、毎年2回買っていた背広の購入だが、2年ほど中断している状態で何故かと言うと、背広が増えすぎたみたいなのだ。代わりにと言っては何だが、7月にシンガポールで下着とベルトを買った。ベルトはまあ、ちょうど背広着ていたのだが、ズボンのベルトが何故か縁起悪く千切れたので急ぎ購入したという按配である。割と高かったようだ、500円ぐらいかかって超高級偽皮製品である。それ以前に何買ったかなあ・・・。思い出せない。去年のゴールデンウィーク、エクアドルのキトは高度が高くて寒いので、歩いている途中で雨も降り寒くなってGAPのフリースを購入した。割と高かったよ、さすがにGAP、1,000円ぐらいしたよ、値切り倒したけど、随分ぼられたんだろうなあ。でも勢いよく着ると少しビリッという音が聞こえたので、悪い気持ちになって買ってしまったという事情もあるって按配。 まあ、ここ2,3年で買った衣服はそのくらいかな。あ、あと眼鏡買ったな。レンズがなくなったからね。
2014.10.23
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ハラル(HALAL)とは、イスラムの教えで許された、「健全な商品や活動」のことのをいう。だから食品だけでなく、化粧品や医療品は勿論、金融商品もあてはまる。クルアンやハーディスに書かれている。といっても、豚肉や血液はダメなのは当然としても、割と各国それぞれの扱いをしているので、微妙なところについては、何だかハラルマーク(それぞれの認証機関のマークみたいなものかな)があってそれを根拠に店に入るようである。ウキペデシアより一例餌その家畜が食べた餌にハラールに違反するものが入っていてはならない。屠畜必ずムスリムが殺したもので無ければならず、鋭利なナイフで「アッラーの御名によって。アッラーは最も偉大なり」と唱えながら喉のあたりを横に切断しなければならない。また電気ショックによる処理は好ましくないとされており、子羊やヤギ、子牛などの種類によって、電気ショックの電流・電圧、通過時間が細かく規定されている。絞殺や撲殺は禁忌である。なんらかの事故や病気で死亡した家畜の死体を食肉とすることも禁忌である。ただし搬送などの手伝いは異教徒が行っても良い。解体処理牛の頭をキブラ(メッカの方向を示す印)の方向に向けて完全に血液が抜けて死んでから行う。血を食することは禁忌であるため完全に血を抜かなければならない。 それにしても、機内でハラル料理やコーシャミール(ユダヤ人向け)のもの食べているのをみるけど、あと、ベジタリアンもイーパイあるんだよねえ。ANAでもこれだけだしてるねえ。宗教だけでなくアレジーミールもあるんだねえ。そういえば、2,3年前に台湾から帰ってくる機内で(2,3年っていきって言ったけど、4年ぐらいたってるかもなあ)、隣の日本人女性が神経質そうな方で特別ミール頼んでいた。でも、多分、病気系のやつなんだろうなあ。そのおばあちゃんを勝手にちょっと不憫に思ってしまったけど、それは私の身勝手ってことだよ。こっちは3時間の間に急いで、シャンパンだったか何だかあげているんだからねえ。イスラム街の外はちょとだけアジアンストリートか。くり イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.22
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昨日は幹事として、総勢16名の方々の慰労会(16名円卓)となるが、まあ、店を決めるのに苦労した。苦労するまでもなく有名店であるが、マア、少しキタ、ミナミから離れているので、あれかもしれないが、あれはなにかどうか分からないが、まあ、はっきりいうと、中華料理といいながら中華系何でもあり料理である。北京ダック、フカフィレ、フォアグラ、あわびである。それからまあ、前菜に、餃子に若鶏肉にやきめしに、ほかもろもろのオンパレードに加え飲み放題で5,000円の超リーズナブルのお得感で満足であった。カードはきかないが、領収書を書いてもらうために名刺出すと、オーナーは、なんだ、(名刺見て)トイモイサン○○会社じゃないですか、○○さんだけは請求書OKですよ、と中国系日本語でしゃべるしゃべる飛ばすフレンドリーハイテンション系オヤジである。店を出るときも、私の名前を覚えていてくれるぐらいで、やるなあこの人、と思うぐらいである。田中角栄が一度会った人の名前は確実に覚えて、また会ったときにすぐ名前で呼びかけると、確かに多分、すぐファンになってしまう人垂らしの術なのである。 しかしまあ、中華料理ってのは、大勢で行ってこそなんでも食えるぞ的なものはあると思うものの、誰にでも中華料理の思い出ってのはあるであろう。私も、今、こら、オメエ、思い出さんかいボケ!って言われると、言われるもなく、ボケ!ナンボでも思い出すワイって感じである。で、深く思い出してみると、円卓で死ぬほど食ったといえば、高校時代、高校の先生に駅伝の県大会に出た報酬でメシを食わせてもらったことではないかと思うと同時に、こんなにあれこれ食うってことも今までそんなになかったなあと思うと同時に、先生はン万円を自腹切って払ってくれたのだなあ、と思うのであった。大学1年生時代は先輩におごられるしかなかったが高学年になるとおごるしかなかったの法則のように、おごってもらった人たちにお返しせずに、おごられたことなんかあるはずのない年下におごり返している、といった歴史を繰り返しているのである。 世界の円卓は回るのである。本場、ちうごくではあるか円卓・・・うーん、あったあった、ちうごくってか香港ペニンシュラでの円卓もあった。味は覚えてないなあ、上海はホテルオークラ、台北はなんだったか、高級店でしいたけあわび汁和えで、しいたけ自体があわびと間違える不思議、北京は魚釣台迎賓館、しかし、ナに食べたか覚えてないなあ。忘却力が力だ。 1987年韓国ソウルに、バンコクから1,000円しか持たずに入国して5日間過ごしたけど、大学にお世話になって、大学の先生が中華料理に誘ってくれたとき、今まで東南アジアで1日2食屋台の旅行2ヶ月少々を経ていたので、胃がキューっと小さくなっていたので、ここで中華大量投入で吐きそうになった、すがすがしい思い出があるなあ。結局、コースで、合間にでてくるチンゲンサイが一番美味いかなあと思う今日この頃(というか昔から)である。
2014.10.21
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オレは先週も反省した。先週の反省はなんだったというと、3連休を利用して母をヨセミテ公園に連れていこうと画策するが台風を危惧して直前に中止したというものだ。それで結果的にどうだったかというと、書いたかも知れないが、帰ってこれたのである。本州に上陸してからは、破竹の勢いで関東、東北のほうへ抜けて行ったのである。ご存知の通り、火曜日の朝、関西の警報を期待していた小中学生をがっかりさせた事象である。勿論私は会社人なので、警報とは関係なく電車が止まってたら自主欠勤となるのだが、まあ、今まで朝から止まっていたという記憶はない。震災のとき以外。今週は何を反省したかというと、それがよく思い出せないのである。あるのだが、火曜日の昼過ぎから急に歯茎が腫れ始めて顔が左右対称にならなくなったどころか、何故か横になると痛くなって眠れなく、水曜日の夜は座ったまま寝た。これは、厳しいぞ、木曜日は飲み会があるぞ、それは欠席はそう易々とはできないので、1次会でドロンパ~だぜと思って望んだのである。博多料理みたいので、皆さんうまいうまいと食っていたが、オレはその頃割と厳しい状況になっていて、初めて会う人1人とその人含めた初めて飲む3人と、話をしつつあるのだが、料理を食べることが出来ず、ひたすら、アルコール消毒していた。もうだめだ、こりゃ歯茎腫れてるわ、と思っていると、いつの間にか、アルコール消毒が効果を奏し、痛みは消えるどころか、2次会にも順調に出席である。そこでは、ガキの頃の流行、一世風靡した漫画やアイドルやテレビ番組の話題になるのだが、来ていたのは、小学生時代が、昭和30年代、40年代、50年代、平成の奴と多岐にわたり、数少ない同年代で盛り上がるだけで、そんなに盛り上がらないのである。そんな間に、アイスランドでは火山が心配され、反対側の地球の割れ目、日本での大噴火も心配されている、という最中にであるが、大噴火ともなると、当分、飛行機は飛ばないどころか、成層圏を覆い、結構な不作不況が勃発するかも知れないのである。 博多料理って何だか分からないが、この前熊本に行った時に、密輸船に乗った日本人たちが、バターや肉に辟易したという物語を歴史館で見たが、同じようにペリーも日本で最大のおもてなしを受けたら、小さい皿に、さかなや野菜がちょこちょことちょとだけ何回も運ばれてくるのに、辟易したみたいだ。物足りないと。あれから100年以上たって、我々はバター臭いというのはなくなり、欧米人もヘルシー料理に関心を寄せている。そんなわけで、どこでも、どこの料理でも食えてしまう社会になってて(都会でだけど)、どこにいっても、ここでしか食えない!ってのは、なんかケッタイなものだけになっちまったな。 月曜は休みだったので、今週の仕事は4日しかなく(仕事自体は4日では済まないが)、ちんたらしているうちに金曜日も22時になり、仕事は自主終業となり、明日日本どこでも日帰り旅行する計画を、調べているうちにだるくなり、12時頃に諦めるのであった。明日、5時半に起きる元気を失ったのである。こりゃだめだ。日曜日は、昼間にワンタンとヤキメシセット650円を食す。その前に車の中のラジオで聞いたんだけど、ピンクフロイドが永久にっていうアルバムを20年ぶりにリリース、これをラストアルバムにするらしい。1曲流れたが、サウンドはまさにピンクフロイドであった。
2014.10.20
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砦の入り口門に砦の全貌が。こりゃ、昔はなかっただろうな、砦の構造なんかトップシークレットだろ。花屋、よく見たら、昔は洗濯場だね。横はイブモンタンの経営していた店。生活の場も少しあるね。3,000人ぐらいは住んでいる模様。全然関係ないが、昔の日本は将軍と天皇って、まあ、世俗的権力と宗教的権力に分散されているのだと西洋人には理解しやすかったのかも知れない、それぞれの国に君主がいて、おまけに大きくローマ法王がいるのだに、当てはめると理解しやすかったのだろう。それでも、ローマ法王より強い何かがあったのだろうか、二条城なんか、誰でも攻められる構造だったし、家はセキュリティ云々以前にやたら質素だったというじゃない。確かフランスシスコザビエルがキリスト教広めていいよね、と天皇に会いに行ったら、なんだこのボロ屋、日本の頂点の人がこんなところに住んでいるはずがない、と話もしなかったとか、ソッポを向いたとか・・・。ザビエルは、まあ、日本に来て、男色があまりにおおぴらだったのに、まず腰を抜かしたみたいだけどねえ。ほんま、こんな山の頂に城壁作って閉じこもって、景観はすごいけど、ああ、野蛮だねえ。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.19
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割と旅行した日本人はそう思うものじゃない?社会は閉塞感で窮屈だけど、何しろ安全である。日本を訪れる旅行者で有名なエピソードは、財布を落としてもかなりの確率で帰ってくるってことではないだろうか。そのような国は、ほとんどない。田舎なんかいまだに鍵をかけていない。うちの田舎も昔は、車のキーまで刺しっぱなしの、ぱなしままだったわ。最近はネットが一般的になったので、何だか事件が増えたような飢餓するが、それは情報量が増えただけで、犯罪は減り、(何を犯罪にするかにもあるので位置外にいえないが)特に重犯罪は減っていることは確かだ。 それでも、もと就職できなかったり、生きるのが経済的に辛くなったり、ブラブラする奴が増えたら治安はやっぱり悪くなるものだろう。情報が溢れているからね、すぐ他人を羨ましく思っちゃうんだよ。数百年前は皆さん貧乏だったので、盗みは少なくて、男色で辟易して、天皇なんて貧乏なんだと思ったザビエルも、いやあ泥棒全然いないのって珍しいですよね。と感心したことを書き残しているくらいだ。そんな伝統が残っているのか、今でも、荷物置いて(席を確保して)何かを取りにいく姿を見るとハラハラするなあ。同じように海外でもやっている日本人みることあるんだけど、泥棒の代わりに盗んで、お礼に注意しろよって教訓あげようかという気になるほどハラハラしてしまうし、日本でも席を取って外さざる得ない場合は、取られてもいいもの(本とかペンとか)を置いていくよ。いかんいかん、日本は安全だったんだ。日本は仏教の影響や教育がしっかりしていたから泥棒少なかった面もあるが、実は同時に刑もやたら厳しかったようだ。100万円以上ぐらいのものを盗んだら死刑。何回も盗み働いて総額100万円越えたら死刑。江戸時代の窃盗罪見てみたら、強盗殺人は市中引き回しの後公開処刑(獄門)、強盗傷害は死刑。泥棒は100万円以上死刑。それ以下でも刺青、3回すると死刑。空き巣も刺青。刺青ってアレでしょ、おでこに犬って入れられるやつ。4回やって犬になるんだっけ、3回だったら大、あ、泥棒だったら犬になる前に死刑か、おお。あと、問題としては、酷い犯罪は連座制だったことだね、北朝鮮みたいなものだ。それで隣組や5人組だっけ、相互監視があって、まあ、あれか行き過ぎの部分もあったちゅことかな。そういえば、学生時代、不自由極まりない中国を旅行中に知り合った人は、カメラを撮られ、警察に行ったら、彼自身も拘束されるような感じで待合室だか何だかに1晩拘束され、もう勘弁してくれといったら、翌日、少年が捕まってカメラが返ってきたそうだ。少年はどうなるんだ、というと外国人のもんを盗んだら重罪だといわれたという。まさかの死刑じゃないよね、と彼は不安になったそうだ。確かに、不自由極まりなかったが、治安は良かったような気がする。ところで、昔を考えると、江戸時代というかもっと昔からだけど、あまりに奇妙なのか、時代劇には出てこない既婚女性のお歯黒+眉ソリだろう。何なんだろうね。アア、男もそうだね、チョンマゲ、何だろうね。オレは、ハゲ隠しだと思っているんだけど。まあでも若い奴もやってたからなあ。何だろうね、でいいことは、何だか勉強好きだったのか、識字率の高さだよね。もう数百年は識字率が一番高い国だよね。ロンドンでは識字率1割以下の時に江戸は9割以上だったものねえ。暇つぶしに本読んでいる、貸し本屋ありすぎ!と当時日本にきた外人はビビッている。読み書きソロバンができると、日常生活や仕事で役立つし、生活も楽しくなるぞってことを知っていたわけね。アチラさんの牧場では、枝で家畜が帰ってきた数を確認してたっていうじゃないか、1,2、3、いっぱい、ほんまかな。そんな適当でやっていけたのかな。
2014.10.18
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ギター破壊ミロってかジャコメッティってか、まあ、ニセモノ。親指ピアノってか、ふぁっきんの印か。実はニース市役所にもありました。はやっているのか、前に来た時の記憶はないぞ。結婚式に行ったのだ。まりーであえて何か結婚式的なと思ったんだよね。飛び込め。馬蹄形鉄の何だか、植物、盆栽的な。なんだか、ニースはハッピー的な感じでお願いします。メリディアンホテルがこんなことするかねえ・・・してたけど。トルコ航空地下スーパーでいつもの買い物。ハンディキャップにも優しく。というか、アマリにも幅広いよねえ。パラリンピックって、人それぞれの障害度がまちまちなんでどうなんだろう。ま、いっか。うちうじんマア、割と重そう。ダメみたいよ犬の糞スペシャルミスランまあ。フランス人ってさあ、後ろからみたら何歳か分からないからいいね。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.17
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パート1,2でだいたい話したので特に今回は写真のみ。シャガール、マティス、ミロ、ジャコメッティ・・・近くにはマーグ財団美術館がある。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.16
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全日空はシェアでこの前日航を抜いたが、国に守られている日航にムカツキを覚えていることだろう。そういう会社は、欧米ではかなりの制限がつけられる。それでなきゃ、ほらエミレーツみたいに、国家が運営してたら、公正な競争ではない。ほんのこの前まで、72年の成田開港以来、国際線は成田、国内線は羽田と国の都合により分けられていたが、いよいよ、国際的に負け初めて、羽田も国際線を飛ばすようになった。その前に、石垣ぐらいまでの距離はまあ、国内線みたいなものや的理論(ペリメータ規制)で、韓国や上海には2003年頃から飛ばし始めていた。確か小泉ノムヒョンが話あって、まあ、そのくらいええやないか的なことになって、韓国もキンポ空港を(昔の国際線で、インチョンできてから国内線専用となった)一部解放した。羽田や金浦のほうが多くの人にとって便利だからだ。ただ、成田も、日本に住んでいる人にとっては、成田のほうが便利な人も割と人口分布図があって、おまけに、羽田がこんなことなるんやったら、やばいぞ、反対している状態じゃないぞ、雇用問題もあるぞ、経済地盤沈下するぞと恫喝する前に、滑走路も延長、2010年に22万回の発着が、翌年には25万回、今年は30万回じゃいぼけ!という感じで拡大しているのである。成田ももう少し広ければ、2機同時李発着できるようになるのだが、ロサンゼルスとかで着陸前にふと、窓の外を眺めると、遠く向こうに平行して飛んでいる旅客機を見たように、その方式で枠増やすんじゃないか。なんだか、同じようにANAは国内線、JALは国際線もやで、(他地方僻地線やでといわれた航空会社もある)みたいなところが決められてて、ANAが国際線に出ることを許されたのが、ほんの1986年だったから、最近のことだ。それで、そこからバブル期もあって破竹の勢いで国際線を飛ばし始めた。まあそんな訳もあって、オレの友達も、簡単に客質乗務員になったし、採用は何百人もいたみたいだ。それで、何をいいたかったのかを忘れてしまったのでここで終わる。トルコ料理やっぱ美味いよ。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.15
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石畳っていいなあ、と思うが、日本も江戸時代には、陸上の要所の道路は全国かなり網羅されていたにも関わらず、それは石畳で舗装されてなかった。土にジャリを入れるだけで、だから日本はダめなんだってことではない。技術はあった。神社の参道が石畳になっているように。やはり気候なのではないか、夏は欧州に比べて暑い、蒸し暑いので、泥道のほうが涼しかったのではないかということを、石川さんの江戸のエコロジー関連の本で読んだ記憶がある。まあ、幕府が厳しく車輪通行を禁止していたということもあると思うけど。カゴです、ニッポンは。まあ、考えたら、欧州の道は、まあクソだらけであった。汚物ママ入れのきったねえ道路だったが、土の道だと、馬糞などは基地らかせられるな。もとより欧州では人糞や人尿が窓から道へどばっと捨てられていたっていうじゃない。さぞかし、臭かったんだろうなあ。まあ、日本は人糞は売り物だったからねえ。特にいいもの食っている金持ちの家の人糞は高価だったっていうじゃないか。このあたりも香水の町グラースが発展したように、糞尿の臭いを紛らわすために発展したって訳だよね、本当か知らんけど。いやはやアルプス越えると、冬は糞尿も凍りつき、まだ我慢できるかもしれないけど、このあたりじゃあ、冬も温暖=冬も臭かった=臭いのを除去しないと我慢できねえ=香水でフタをするといったフロ桶方程式が成り立つのではないか。まあ、それが、今や、アスファルト舗装が必要なところ以上に過剰なまでに、これでもかと、護岸かダムから不必要な道路から日本をコンクリー詰めにして贅に入っている。シャガールのお墓がある。墓地に入ったらすぐに右に曲がり、一番奥の並びの左側。シャガール、マティス、ミロ、ジャコメッティ・・・近くにはマーグ財団美術館がある。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.14
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電車終わってしまいました。神戸市民周辺の人だったら大抵知っているのが、文明堂薬局である。いまや随分、粗末に扱われている物体、昔は、地上で立っていた。いやはや、30年ぐらい前から存在を知っているのだから、いやはや、神戸市民周辺だったら皆さん結構知っているのかも知れない。こういうのは、でも、おれの30年前の記憶がすっかり紛らわしく入り組んでいて、近くの丸玉食堂 と交差していて、いやはやその店の前に双頭鹿が置かれていたと記憶していて、こんな料理も出しているよ~。おどろおどろしいよ~。なんて思っていたのだが、何故かその頃に台湾料理丸玉食堂で何度かメシ食ってたりなんかして、随分錯綜した記憶。なんせ、足を踏み入れると、アジアーってな感じだったなあ。腸詰め、豚足、内臓料理、まあ、頼まないんあだけど。学生時代は中国と台湾と香港に全く触手が沸かなかったのであるが、何が4000年の歴史じゃい、ほんまは全て殺戮の世界だから中華人民共和国ができた数10年の歴史しかないやろ、おまけに漢民族、明以来すーっと支配してこなかたよな。なんと悪態をついていたが、今となっては、4000年の歴史は分かる。それは、誰も信じるな、自分とせいぜい身内しかいないという歴史だ。まあ、但しだよ、台湾は、今は違うよ。日本人が最も親しくすべきなのは台湾人。こんなけ好き好きっていってくれる人々いませんよ。最も親日でしょう。まあ、丸玉食堂とか、文明堂ってまあ懐かしいよ。今は、大雨だよ。
2014.10.13
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チェックアウトして、まあ、荷物は軽いので全部の荷物を持ったまま、ホテルから1キロほど歩いて、メリディアン近くの400番バス乗り場に向かう。時間はちゃんと、時間通りに来たが、運転手は、ちゃんと、タバコを吸いに出かけ、3番目ぐらいに来たのに、ぐちゃぐちゃに順番なく、さすがフランスというか、観光客、並ぶことをせず、最下層アジア人男性は立ち席となる。20分ほど遅く来た同じく立ち席になった旅行者女性2人は、どこか特別に行きたいところがあるようで、私の顔を見て、どこに行かれるのですか?こちらにお住まいですか?と聞かれた。いやいや、私どう見ても旅行者でしょ。そうやって、彼女らは、なんだか、途中で下車した。ここに何があるんだろうか・・・。1時間程度だっただろうか、40分程度であっただろうか。サンポールドバンスに到着。ニースから20キロ。シャガールはここで20年も暮らしたんだよねえ。ボルドウィンも17年住んで、ここで没した。土産物屋の連続とはなるが、まあ、そこは、オフランスのセンスオブワンダーがある感じか。「オランジーナ」のCM が撮影されたというが、まあ、それは知らん。公式HP。しまったいき忘れた。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.12
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いやいや、特に思い出はない。もはや、チューネンともなれば、1週間のスピードは、一瞬である。減速して生きているはずなのだが・・。月曜日に、オカンにメール「今週末3連休は、暇ですか。3年ほど前に延期になったヨセミテ公園に行きましょう」オカンより返信「暇です」会社を出ると、皆が通りで空を見上げている。何だか、未知との遭遇の映画を見ているようであった。コーヒーを飲む。しかし、多少風邪気味なのか、鼻が効かないと、味はなんだか分からなくなる。鼻をつまんで飯を食うと、何を食っているのかまったく分からなくなる。ところで、あのフレッシュって何なんだろうね。植物油に水を混ぜて添加物で白く濁らせて、コーヒーを不味くさせるものだ。アレの意味は何なのだろう。喫茶店で、あれ置いているところの神経もちょと疑うんだけど。ラーメンも食べました。ウキペディアによると、趣味検定には一例として、京都検定・全国総合アニメ文化知識検定試験・全国統一オタク検定 ・旅行地理検定・時刻表検定 ・天然石検定 ・サンタクロース検定 ・夜景鑑賞士検定(産経新聞社)サッカー検定・宝塚歌劇検定・終活カウンセラー検定・神社検定(神道文化検定)とかあるが、味検定ってのは、趣味性が高くソグワナイのだろうか。オンチ検定とか。そんでもって、役人も天下り先一個増やせて、まあまあはっぴーじゃん。まあ、それはいいとして、隣のテーブルでラーメンイッキ大食いするのを始めてみた。付け麺1600グラムを頼み、まあ、いわば普通のラーメン規模なら、2口で終わりだ。すげえ勢いで口に麺を啜り込む。そのバキューム力と一口の量にはびびる。イやあ、豪快なものを見たなあ。木曜日にオカンにメール「台風で月曜に帰って来れない可能性が高くなりましたので、延期します」オカンより返信「はい」それでも、土曜だけ、どこかに出かけようかと思ったのだが、まあ、それは思っただけであった。(一応行き先いろいろ調べてたんだけど)
2014.10.11
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夕方ニースに戻ったんであるが、要は、かなり疲れきっていたというのが実情である。仕事帰りに、関空からイスタンブル経由でニースに来て、そのまま電車でモナコ行って数時間歩き倒して、またニースに戻って来た訳であるから、まあ、疲れたというのは、正直なことで、ちょっとベッドに横たわり、本を開くと目が閉じるシステムである。多分2時間ぐらい寝たような気はするのだが、またまたもぞもぞ起きだして、シャワーして、また出かけるのである、出かけるといっても、単なる散歩である。散歩はほんの2時間ぐらいである。というか、最近、割と夜は危ない地域に行っていたので10時ころというと、ちょっとヤバイんじゃないのか、と思いながら、ぶらぶら歩き出したら、まあ、ヨーロッパの観光地っていうか、まあ、日本並みに危険度は低く、海岸通りのプロムナーデサングレだっけ、まで歩くとそら皆さん、散歩ですし、その手前のレストラン通りでは、皆さんワイワイ食事してるし、いやはや楽しいね、ん、楽しいか、まあ、そう哲学的に問われると、まあ、普通である。多少、ストイック感が出るかなあ、て程度で(コートダジュール歩いてまんねんという意識)、まあ、普通。ニースの浜は、砂浜ではなく、丸い玉砂利。西洋人は、基本的に皮膚バカである。冷たくったって泳ぐんだから。冬でも半袖のやついるからね。そういえば、アメリカ国内線で冷房決まりすぐて寒かったんだけど、トイレ行く時、キュキュウに詰まったデブラインを通ると熱かった。無料で泳げるスペース及び、パラソル貸し出しスペースがあり、パラソルつきは1日2~3000円。歩いているだけである。昼も夜も。歩いているだけである。昼も夜も。歩いているだけである。昼も夜も。まあ、ネグレスコホテルがニースの代表ホテルやね、ベルエポック、というか、高級ホテルなのに悪趣味。なんともいい感じだ。有名なのが、ドーム中央にあるバカラのシャンデリア。ロシア皇帝・ニコライ二世がクレムリン用に製作依頼したが、例のロシア革命により、一家が惨殺されたために注文は反故のほったらかし。結局何故かネグレスコホテルに収まったという話。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.10
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ハラルの人のファストフード路面電車は復活した。前に来たときはなかった。ギャルリーラファエット朝の、気持ちのいい散歩であった。特に急ぎではなく、急ぎではないだけに、あっという間に、8時や9時やになっていき、時間がなくなりチェックアウトの時間に近づくのである。ああ、そうなんだよなあ。20世紀の大きな発見は自己実現できるってことだったんだけど、これが、実は、私もそうだけど、好きな自分を自己実現してるんだよなあ。DVされて自己実現、ああやらないとこれやらないとでもできない、と自己実現。私はいつかは今の自分でなくて本当の自分を探すの!と思っている状態が自己実現しているわけで、それが実はなりたい自分。本当はうじうじしているのが好きな自分、いつもいつもとっくに自己実現している。駄目な俺を自己実現している。今の自分は、今の自分が好きだからそうやって実現してんだ。そんな豊かな社会に、前世代のおかげで実現できているんだよなあ。明日食う飯に困っているわけじゃない人はそうなんだよな。困っている人は、申し訳ない。ありがとう。でも、すぐに何かあれば明日のメシ食うのにどうしようって飢餓感の中で生きていかなくてはならない厳しい社会だなあ。2つのセイフティネットが亡くなっているからね。社会保障と、家族制度。 15年前、ニースのプロムダーデデサングレのバス停で呆然と空港行のバスを待っていると、自称チェコ人のパンを買う金をせびられた。理由を長々と話したが、その理由はやたら個人的で顔が情けなかった。悲壮感がなく、飯は食えるだろ、そう感じたことを思い出した。今、そこに、15年ぶりに立っている。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.09
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トムヤンクンなどを朝飯で食べた後は、急ぎ、パッポン歓楽街をすり抜け、地下鉄シーロム駅を目指します。途中、カオトム屋台に出くわし、ホテルで朝食を採った事を多少後悔したが、それは、些細なことであり、枝葉末節であります。途中、ペチャブリ駅で空港行きに乗り換えであります。2、30分で空港到着であります。でも、意味なく割とゆっくりしてたので、チェックインもギリギリであります。ソレデモ、チェックインカウンターの方は親切でぁります。いやはや、最近、ここ3,4年で、何だか、急に来てみたら、タイ人優しいな~、ワイ(つぼみ型合掌)に負けちゃうな~。優しく思えるのは、人に向かってワイの祈りをする姿みているだけで感じてる薄っぺらなものなんだけどな~、でも、何だかそんなん急に感じるようになって年取ったんだなあ。迂闊にも西洋人のおっさん的気分だなあ、何だか情けないぞ!と思うのであります。今回はタイ航空であります。タイ航空は生まれて初めて乗った思い出深い飛行機でもあります。787である。オンデマンドで、隣も人いないし、その向こうは神経質だが大人しいムスリムだし、5時間半はまずまず問題ないのです。アイルなのでトイレにも行けることですし。 昔、一度だけ、飛行中にどうしても我慢できなくなり、大をしたことがありました。してはいけないとは書いてはいないけれど、無敵の雲子が、バキュームされて本当に流れていくのか心配でした。これは、細切れに出して、様子を見ながら処理していかねばならないなと思い、屈伸運動などをしながらも、水もコップで流して流れやすくせねばなるまいかと邪推しているうちに、本当に我慢できず、思わず、トイレに駆け込み、予定に反し、一気にいつもの倍ぐらいの過大運個を体内から摘出してしまいました。 悪い予感は、的中しました。流れない、流れたくても流れないのです。当時の私は、頑張った。水を加えながら、何度もバキュームし、努力は報われました。数分後、何食わぬ顔をして、スーパーエグゼクティブエコノミーシートに戻ったのであります。 それ以来、したことないですよ。何となく心配で。この便には、割と女性同士の旅行者も多く、健康的で健全な便でした。前の若い女性2人組も、順調にこちらにシートを倒してくること以外特に問題アリマセンでした。まあ、シート倒されても、まあ、問題ないといえばないのですが。今回は762便ですが、かつて、バンコク発マニラ経由大阪行きのタイ航空は、通称「893便」といわれており、マニラから893屋さんや買春色ボケじじいや、じゃぱ行さんの占有率が異常に高かった時代がありました。 初めて乗った飛行機がそれだったもので、初めての飛行機のミールは帆立貝であり、ビールがただで飲めるということにいたく感激した18歳(独身)でありました。 ちょうど、マニラから帰国して、1週間後、拳銃を密輸しようとしたが、急に不安になった893が、飛行機のトイレに銃を捨てたため、それが詰まり、煙が出るという事件もありました。ニュースで見てびっくりしたのを昨日のように、先ほど思い出しました。途中、最後尾にビールをもらいに行くと、乗務員の皆様、談笑しながら食事してました。先ほどはシンハを飲んだので、チャンビールを順調にリクエストしました。今回のタイ航空は、そうだねえ、3年ぐらい前に、バンコクからスリランカに飛んだとき以来のような気がしますね。あれは、割と空いてたんですね、ヨッパライが煩かったです。それにしても、アメリカ系に比べたらセキュリティがかなり緩々で、家に帰ったら、すっかり捨てるのを忘れていたペットボトルが出てきました。びっくりしましたよ。 ところで、飛行機に乗るとき、日本人みたいな乗務員がワイしてたので、日本人でもタイ航空だからワイかな~、いや、タイ人かなと思いきや、私の列を担当で、日本人乗務員だった。いやはや機内に日本人ヒトリって、実は意地悪なタイ人?にはみごにされてるかなーってちょと心配(何でオレが心配するのでありますか?)。大韓航空なんか、明らかに日本人乗務員ハミゴにされると聞いてますからね。ということで、以外にも、あっという間に日本に到着したのであります。それでも、ドアツードアで時差も含めたらバンコクホテルチェックアウトから自宅まで10時間かかったのであります。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.08
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モナコからうっかり途中下車、それもまた風流。コートダジュールには、岩山の上に民家が寄り添うように集まっている「鷹の巣村」と呼ばれる村が、なんぼでもあるという。その中でも特に有名なのが、エズ村ということだ。エズ村はニースとモナコの間にあって、ニースから12キロ、モナコから8キロ、海から垂直に切り立つ崖の上の海抜420mの所に位置する。このホテルは村に部屋が点在しているらしい。ニーチェは海岸からエズの村に散歩したという。今では「ニーチェの道」と名づけられている坂道をたどりながら「ツァラトゥストラかく語りき」の構想を練ったといわれる。その道歩いて1時間である。しかし、私は、もうあれである、日本からトルコ経由で乗り継いでニースに来て、そのままモナコを4時間歩いた後であり、もうこれ以上歩くことができない、いやできるができないことにした。まあ、83番のバスに乗れば行くことができるんだけどね。まあ、1時間に1本。と思いきや、目の前にバスが通り過ぎたわ。その終点は Plateau de la Justice、うーん、正義高原?(ニースからは82番だそう)いや、それでも、駅前の住宅街を2,30分散歩したが、駅前の村でも十分に美しい村であった。いや、お金持ちの村であった。ヒッチコックの泥棒成金の舞台はエズだ。主演はグレースケリーである。今調べたら映画が1955年、モナコ妃婚約発表したのは56年。そして、エズとモナコの間のヘアピンカーブで脳梗塞を起こして崖に転落して亡くなったとか。噂では、実は未成年の娘が運転していたかもとか。まあ、そんな訳で、エズ駅周辺を散策して、これは別荘地なのか、何なのかよく分からなかったが、ふと歩いていると、自分の故郷を思い出した。自分自身は神戸の辺境に住んでいたが、そこは、山が海まで迫る場所であり、ガキの時代は山にはクワガタや蝉採りに出かけ、海では魚釣りや水泳をした。そんな生まれ故郷は、港町神戸の、ガイコツジンの別荘地だった。分かるなあ、分かるなあ、そう思った。故郷が懐かしかったんだろう。なんてね。どこの別荘も山と海が迫っているわけじゃないからね。懐かしがっているのは私自身ではないか。しかし、故郷はこんなに花が咲き乱れて綺麗ではなかった。歩いていると庭に出ている老人も多く、やぱり別荘地なんだろうかと思った。駅前には小さな雑貨屋があるだけだ。といってもニースも近く買い物は車ですぐだ。子供も見た。蝉も鳴いていた。韓国でも思ったが日本にはいない鳴き方だ。蝉は北限が南フランスだ。フランス人のイメージは逆で、忍耐強い、太陽の申し子、夏、バカンスといったものらしく、なんだたかな、ジジジジと何か似た音だったんだけど、聞いたとき、あ、これは、と思ったのに何に似てたのか忘れてしまった。なんだったかなーなんだったかなー、いいたとえがあったんだけど・・・。ロシアの別荘地はダーチャというけど、あの厳しい時代は国民は多くがダーチャを所有し、そこで誰とヴァカンスを過ごすことに対しては夫婦間不問にしていたという。ほんまかどうかしらんけど。しかし、まあ、別荘ったて目的や年齢に置いて条件が違うからなんともいえないよねえ。まあ、温暖で、治安が良くて、経済が安定しているってのは、なかなかの魅力かも知れないねえ。意外と松が多いんだよなあ。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.07
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カジノいきった車が跋扈しているが、堂々と大衆車も一部カジノの前に置かれている。入場料だけで10ユーロなので、入りません。斜め前にアールデコの入場料無料カジノあります。ここで、宝石類チンチラ見せていて盗まれても、国境封鎖まで3分。人口当たりの警官数も世界一。おれ、博才ないので、しません。もう中学生ぐらいまででこりごりだ。セレブはヨット タックスヘイブンなので、お金持ちが集まります。モナコレース戻るのである。崖の中腹に駅はある。まあ、そんな感じで、4時間ほどぶらぶら歩いてモナコは終わり。特に見所なし。ところで、全然関係ないけど、ストリーキングって、ストリートの王様と私は長年勘違いしてたけど、streakのING系なんだね イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.06
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犬のウンチ除去装置.モナコは裸であるいちゃいけませんヨ。謝っている人人形が入っていると思いきや。動かない衛兵でした。弾薬でデンキヤンマできます。また大砲の上で愛を語り合うこともできます。溶け始めている。犬を連れた方々は多いのですが、フェラーリ連れた人もいます。セレブですね。なんでしょね。セスナ飛ばして後ろに広告なびかせて宣伝してます。ドアノブにちゃんと、手がいってます。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.05
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グランフロント大阪の地下を通ったら、半年前までは並ぶこと1時間当たり前のザシティベーカリーも今は並ばなくて入れるみたいだったので、入ってみる。セクスアンドシティで有名になった店ということだが、まあ、話のねたに購入。なんせ、フランスでクロワッサン食べ損なったからなあ。神戸は日本一のパン消費量だが、そうだったのを知ったのは、もう随分先のことで、もしかしたらここ10年ぐらいで知ったのかも知れない。まあ、確かに普通にいっつもパン食べてたからねえ。だからパンにうるさいかといえば、まあ、そういうことでもなく、食パンを外カリカリ中ふわりに焼き上げたトースターのパンも好きだったりする(最近そういうの食べてない)。当たり前だと思っていたが、子供の頃の朝食はパンだった。たまにヤキメシやラーメンである。基本的にはご飯のために30分も並んだことは仙台まで牡蠣食いに行ったときぐらいしかないが、会社の方が並びましょうというので、ついつい並んでしまった。30分ぐらいかな。洋食の朝日であり、まあ、神戸では有名店であり、まあ、機会があれば行ってもいいよと昔から思っていたのである。周りの商店街は、全国の商店街と同じく寂れているのにイキナリ並んでいる。すぐ前を歩いていた若い女性一人も、そのまま並んだ。手に地図を持っており、ハングルである。列に並んでいると、メニューが回ってきた。彼女は、それをすぐ後ろに回し、会社の人に渡す。読まなくていいのと聞くと、英語で、日本語読めないと言った。すると彼は一品一品適当に説明をし始めた。彼も困っていたが、ホームステイしたり海外で生活したことがないので、焼くとか煮るとか何かそういう英語が瞬時に出てこないし、具体的に使ったり聞いたりしたことがないので、そういう使い方で正しいのか分からない。まあ、ビーフカツは、そのまま(カットレット、コートレット)か。でもそれで通じるのか・・・。まあ、彼女は、うざいおっさんと言うそぶりも見せず、サンキューといった。もうヒトリの社員が、おまえも海外言ったら一人で並んだりして、適当に料理頼むのか、と言ったが、まあそうですといっておいたが、日本でも並ばないのに海外でも並ばないけどなあ、と思った。まあ、それはそうとして、やがて30分を声、ついに、オーダーしたのだが、今日は、名物ではなく、今日のランチにしておこう。味は、おいしかった(=並ばなくていいならまた行ってもいいよ)。
2014.10.04
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朝少し早いのか、あちこちのカフェは、ほとんど客が入っていない。ニースの朝は、カフェに行く。芸者飲むか、イヤ、飲まない。旧市街まで歩いていく。おいしいねえ。そういえば、日本でも高校の頃だったかなあ、初めてカフェオレ飲んだら、カップの持ち手がなくて、割とびっくりした(ずっこけるほどではないけど)というか、本格的な店ちゅうのはこういうものなんかと感心した。あ、カプチーノだった。キノコオムレツ、あ、キノコみえない。フレンチトースト。そういえば、昔、インドの田舎の屋台で兄ちゃんが、フレンチトーストっと注文したのが、何だかおかしかったな。招き猫となり、あっという間に満席になるのだが、みんな、朝食セットで、クロワッサン、クロワッサン、とあちこちから聞こえてきて、1ユーロ追加でパンをクロワッサンに替えるよといって皆さん替えていた。しもた!おれだけ替えてない。支払いしようとすると、中に入って払ってくれやとのことであった。ああ、席払いじゃないのねえ。店を出ると、席はもうない。夜は部屋で大人しく寝酒しましょうね。酒のアテは、フロントでもらった日本語の地図ね。今回は、ガイドブックなし。(数枚ネットからプリントアウトしてきたものは有)メシである、昼メシえ、オリーブオイルやバルサミコを霧吹き状にして出せる容器。生野菜不足になって、ついつい頼んでしまう。ブルスケッタ。パンを軽く焼いてニンニク擦り付けて、トッピング。あれ、これにもサラダついてたやないか。これいいねモナコは、高いので、フードコートのところに参上<注文して待っている間に、向こうの家族の食事見て、海鮮にしたらよかったと後悔。ブイヤベースでしょ。(夜はブイヤベースにする予定が、疲れて飯も食わず寝てしまった)しまった、また機内食みたいなのが出てきてしまった。今はそんな気分じゃないのに、自分の気分に反してしまった!img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/aa7877b40506847606157239ce6fbbe1bb4b9a70.83.2.9.2.jpeg" border=0 alt="" name="insertImg" /> イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.03
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その1 バンコク チェックアウト 部屋の中を確認して、何もないことを確認してから、チェックアウトしようと、フロントに行く。フロントでは、ちょっと部屋のチェックしますね、暫くお待ち下さいと言われ、ハイヨと待っている。2,3分で、電話がかかり直ってきた後、私にいった。「全部OKです。でも、セキュリティボックスが閉まったままになってますよ」といわれ、「あーっ!」といい戻った。セキュリティボックスには、日本円とユーロ、ドルに加え、家の鍵を入れていた。ホテルによっては、チェックしるために待たせるホテルと、はいありがとねと終わるホテルとがあるが、いつも待たせるホテルは、何も部屋でタダで飲み逃げしようとしてないよ、疑いやがってうっとうしいなと思っていたが、いやはや、助かった。このまま帰国すれば、自宅前で家の鍵がないことに気がつき、その夜の便でバンコクに戻り、早朝に到着して昼前の便で日本に戻ってこないといけないところだった。(まあお金は諦めるけど)あ、その前に関空着いて日本円がないことに気がついて、帰ってきた便にまた乗ってとんぼ返りでバンコクに戻っていただろうか。いやあれか、鍵の救急箱かなんかの鍵屋さん呼んだかな。いや焦った焦った、ホテルの部屋に戻ると、部屋にいた掃除の女性にワイされて、こちらもワイしたわいな。その2 ニース空港 ニース空港で一番端にあったトルコ航空のカウンター近くではメールアドレスを要求されない無料WIFIがつながったので、そのあたりでWIFIしていたが、そのときは気がつかず、場所を移動た。それから10分程してWIFIまたしようかと思ったら先ほどのアクセスポイントにつながらないので、WIFIするために10分前にいたトルコ航空チェックインカウンターに戻った。すると、ずっと座っていた若い西洋人女性が、最下層東洋人男性が再度現れたのを発見して、「ああ、さっきいたあなたでしょ、眼鏡おいたままいっちゃたでしょ、ほらカウンターに置いたままよ」と言ってくれた。びびった。眼鏡外して景色が見えにくくなっていたことに気がついてなかった。やべえ。まあ、苦笑いして、お礼ゆうたわいな。その3 いやいや、そんなに1回のたかだか数日の旅行でやばいミスするはずないじゃないですか。GWも特にミスはなかったけど、昨年末の旅行の最大のミスは、出発した便の機内で眼鏡をなくしたことぐらいで、途中で眼鏡買おうとしても、ヨオロッパはクリスマスと正月で眼鏡屋閉まっていたので、見えないまま旅行したことぐらいだ。詳しくは眼鏡をなくしたのではなく、機内で映画見ていると急に視界が悪くなっておかしいなと思うと、右側のレンズが急に無くなったという話で、自分史上初めて機内から最後に出た(探しまくって)飛行機であった。その4 ロンシャン(LONGCHAMP)思い出した。実は、今回はレスポのショルダーバッグ(韓国の路上で500円ぐらい)で出かけたのだが(中はパソコンと着替え2着と草履と歯磨きセットと文庫本3冊)、お土産(お菓子ナドの食糧だけど)買うと入らなくなり、せっかくフランスだからと免税でたまたまロンシャン覗いたらかなり高かった、手が出ないというか歯が立たない。それでまあ、どっかでちょとお土産入れ買うかと、バンコク歩いていたら、ちゃんとロンシャンが屋台で売られていた。これはお得とばかり交渉を重ねた結果、なんぼやったかなあ、忘れてもた。日本円にしたら1,000円越えたかなあ。それで、お土産いれてチャック閉めたら、端からチャック開いた。バカみたいに、ぽかーんと口開けたまま荷物詰め込んで中味見えるじゃんといいいながら運ぶ。やっぱYKKでないとあかんな。チャックだけ変えようかな。高くつくそうだ、教訓は安物買いの銭失いだ。金言である。突き抜けろ! イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.02
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日本も製造業が空洞化して、観光業に力をいれないといけないが、たかが観光業、侮れないのである。世界の総売り上げを考えると石油ガスの売上の2、3倍である。モナコは、ゴミが落ちていないという点でヨーロッパの中でもキレイな場所であるが、それをのぞいても、景観がすっきりしているのは、電信柱と電線が地中化されていることは明白なことであって、きったない看板が日本よりは十分少ないからだろう。そういうことは、行ってみた30年前から思っていたし、いろんな本にも書かれている。ヨーロッパだけじゃないよ、シンガポールとかもだよ、香港や上海も一部はそうなっているよ。マア、この行ったバンコクは汚いよ。でもバンコクはまたホテルの中は、完全歴史あるタイなんかになっていたりして(安宿除く)、日本の高級ホテル、日本らしさあまりないよねえ。日本は、相変わらずまたかの公共工事だが、日本で今後、観光立国を目指したいなら、そんなダムや橋を役目が終わっても永遠に一度決めたら造り続けるシステムを変えて、電線の地中化を公共工事でやったらどうだ。送電線も色変えるとか。文化会館やめて、日本の古い家屋のリノベーションを公共工事でやればどうだ。日本の自然は素晴らしいけど、それは切り取ってみなければならないんだ。人工物外して。それからいろんな看板の撤去作業したらどうだい。特に公共のやつ。立ち入り禁止とかゴミ捨てるなとか、街をきれいに、とか消費税完納の街とか、皆様のご多幸をココロよりお祈りしますとか、わたしたちのふるさと、一旦停止、6時終了、痴漢注意、危険、無料休憩所、館内禁煙、柵の中に入らないで下さい・・・何でもかんでも護岸工事、汚いテトラポット、コンクリート敷き詰め、そういうのを解体していく公共工事したらどうだ。砂が流されるって、近くのほかの工事されてないところが侵食されることになるだけやん。街の通りの街路樹の落葉樹、葉っぱが落ちて大変だからと、枝切り落としてハゲにする。公共工事で清掃業務に力入れたほうがいいんじゃないの?癒着している植木屋が困るのか。シンガポールとか多くの国では自分の家の庭の木も勝手に切ったらあかんで。ふれあい、文化、交通安全、人権、世界平和、人に優しい環境にやさしい、に溢れている。こんなスローガン掲げられても、過剰になると、誰も見ないし、むしろ、反抗心が芽生えるものだろう。孔子はちうごくにモラルがないから論語を表し、イギリスは植民地しまくって酷いことしまくったからジェントルマンシップを掲げ、周りに敵を作ったり攻撃したり不寛容の限りを尽くすから自由の国アメリカである。どの都市に行っても、どの都市にいるのか分からない。建築基準は厳しいものの。外観の色とか、高さそろえるとか、看板位置決めるとか、そういうのはないこともないが、まあほとんどない。たまに風流な町屋なんかあっても、隣の空き地の敷地には、時間決めパーキングの大々的な看板。ビルには、どでかい突き出し看板、駅も隙あらば階段の蹴上げ部分や車内つり革さえ宣伝。グアテマラのアンティグアでは、看板は極力小さくして景観を守っていた。マクドの看板なんかも、半径15センチぐらいの楕円形の看板がチョコンと壁に掲げられているだけだ。勿論電飾ではない。公共工事の内容をシフトさせようや。カックンだよ。外国人は日本の古いものを求めてやってくるのに、日本人は古いものは悪らしいね。 イスタンブールまで( リンク) Monacoへ( リンク) 世界で2番目に小さい都市国家モナコ( リンク) 綺麗なモナコ( リンク) モナコ観光名所( リンク) モナコのこんなとこ( リンク) エズ( リンク) ニース昼夜( リンク) ニース朝( リンク) 南欧gourmetの旅( リンク) ニースのハラール( リンク) サンポールドヴァンス1( リンク) サンポールドヴァンス2( リンク) サンポールドヴァンス3( リンク) サンポールドヴァンス4( リンク) あまり画像( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) イスタンブール→バンコク( リンク) バンコクニース( リンク) バンコクgourmetの旅( リンク) バンコク関空( リンク)
2014.10.01
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