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今回から宮沢賢治・作「カイロ団長」についてあれこれと綴ってみたいと思います。カイロ団長・考 その1 殿様蛙の仕立屋業 「長」にあこがれつつ一旦は成れたのですが本質的なところで「長」になれなかった男蛙のはなしです。このお話しは30匹の雨蛙Vs一匹の殿様蛙が主な登場人物(生き物)です。それに加えてアリンコと、殿様蛙の友達の殿様蛙と、「王様」の伝令役のカタツムリが登場します。 例によってばぶ風の身勝手な解釈をふんだんに混ぜ込みながらお話を紹介していきます。30匹の雨蛙たちはオリジナリティーをふんだんに発揮した造園業チームを営んでいました。◆「 朝は、黄金色のお日様の光が、トウモロコシの影法師を二千六百寸も遠くへ投げ出す頃からさっぱりした空気をすぱすぱ吸って働き出し、夕方は、お日様の光が木や草の緑を飴色にうきうきさせるまで歌ったり笑ったり叫んだりして仕事をしました。 」なんてったって気のいい雨蛙たちです。実に陽気に朗らかに楽しく仕事を楽しんでいるのです。賢治さんが理想とする「労働」の原型ですね。 殿様蛙はその様子を見て知っていました。殿様蛙はそれまで仕立屋業を営んでいたようです。ある日仕立屋さんのところに鎖帷子(くさりかたびら)の注文が来ます。くさりかたびら製作の注文は彼にとって今回が初めての仕事だったのでしょう。製作は困難を極めましたが、彼は実にみごとにくさりかたびらを作り上げます。その仕上がりぶりに我ながらほれぼれするほどです。達成感と充足感の美酒に酔いしれながらうっとりと自分の仕上げた仕事を眺めます。その瞳の輝きは澄んでとても静かです。そして仕立屋としての自分の力量に改めて驚き、自信を深め、大きな満足を覚えます。 その注文品の納品をめでたく済ますと、今度は自分自身の体形にぴったりのくさりかたびらをどうしても作ってみたくなりました。 前回の苦労と苦心の経験智が加わってさらに製作の過程でさらなる工夫と発案がまるで降臨してきたかの如く次々沸き起こり手順は順調で決して手戻りすることなく見事に結実します。非の打ちどころのないほどに仕上がったくさりかたびらです。さっそく着込んで姿見を覗き込みます。正面から横から、さらには身体を曲げたり伸ばしたりひねったりしてありとあらゆる角度からの着心地を確かめ深い満足を得ました。こんなに素敵なくさりかたびらです。このくさりかたびらの威力を存分に発揮した自分になりたい…そう思いつつふと書棚に目をやると彼の愛読書の背表紙に目が留まりました。「専制君主入門」そして彼の脳裏に明確な映像がスパークし、これまでいちども思いつかなかった一つのキーワードが湧いて出ました。「カイロ団とカイロ団長」カイロ団長になりたいと彼は強く念じ、そしてその為の計画と準備に取り掛かりました。まずカイロ団にふさわしい団員を確保することだ。誰か適当な連中はいないか?いるいる、あいつらだ。30匹の雨蛙。
2017.05.31
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スパの中の床屋さんで 明日はすごく懐かしい友人が訪ねてくるというので、少しでも男前を上げておこうと、スパに行き、せっかくだからと入浴する前に施設内の床屋さんで散髪をしました。このお店は曜日と時間帯で担当している二人のスタッフコンビが異なります。この日の店内担当が私の好みの二人のスタッフの顔触れであることを確認して、それならば散髪してもらおうと心の準備をすっかり整えて予約表に『ばぶ』と名前を記入しました。小柄なAさんと、すらりと背の高いB さんです。年齢的にはAさんのほうが少し上で、担当時間内の責任者はBさんです。初めてこの床屋で散髪をしたときにはローテーションの関係でAさんでした。「私はプレッシャーに弱い典型的な日本人です」といいながらどんどん散髪してくれました。そこでその言葉のつなぎに「あのね『プレッシャー』はね、それをはねのけた時の快感の為にあるんですよ。私を踏み台にしてどんどん自信を深めてくださいな」とさり気に励ましました。Bさんは別のお客さんの髪を散髪しながら私たちのこの会話のやり取りを聞くともなく聴いておられるようでした。さてそれからひと月半位経過してこの店で散髪をしました。たまたまこの日のその時のローテーションでBさんの散髪担当でした。AさんBさんと順繰りで公平で塩梅いいぞと思いました。髪を切ってもらいながら「なぜ床屋さんになったんですか?」と訊くと両親の影響だという返事。ご両親とも実家で床屋さんをしている家庭で育ったのだそうです。そして「(私が)小さい時から『床屋さんは良いぞ、床屋さんは良い(職業)だぞ』と年中両親から聞かされていたから何となく自分も大きくなったら床屋さんになろうって小学生くらいの時には心を決めていました…」親の職業を見て育ち、自分もその道に進んだという事でした。こういうのってばぶ好みのお話しです。共働きで大変な面も多々あったでしょうが、親御さんもいい子育てをなさったのだろうし、子どもの側からすれば自分の将来の憧れ像を身近にリアルに感じながら成長したのだろうと思いました。何故かすごく精神の健康さ健全さみたいなものを感じました。そして今回の散髪はどちらの担当になるのかな・・・と御店の外の待合コーナーに座っていますと「ばぶさん、お待たせしました」と名前を呼ばれました。じゃじゃ~~ん。その声はAさんでもなくBさんでもなく男性でした。63歳の私よりもおそらく5~8歳は年上のパパさんです。第3の人物Cさんもいたというのは意外でした。想定外でした。その散髪ぶりはこの道50年の上はこなしてこられたのであろうという見事にそつのないものでした。その経験年数のキャリアが彼の余計な邪念も迷いもけれんみも全部そぎ落とし研ぎ澄まされた自然体での散髪。『職人の達人ぶり』みたいなオーラがあって、散髪が仕上がった時には不思議と癒されている自分自身を感じました。私も彼のような雰囲気のある職人の気質を育み獲得したいと思いました。キャリアは財産ですね。
2017.05.28
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遅番保育寸描 ①キャッチ&リリース この4月から『遅番保育』担当の保育士をしています。私の勤務時間は11:30~19:15です。17:00までは一時保育室をサポートして17:15~19:15は保育園の幼児棟の遅番保育のお子さんと延長保育のお子さんの保育をしています。いろんなお子さんがいます。静かに遊べる遊びでこの時間帯を過ごせるお子さんはそれなりに見守ります。いっぽう、どちらかというと活発なあそびをしたいお子さんもいてこのお子さんたちの対応で保育の工夫の日々です。大人とのかかわりやスキンシップを求めてそれを「行動」という言葉で表現してきます。自分のあそびたいつみきの世界を大人にサポートしてもらって「もっと面白く遊びたい」お子さんがいます。それはそれでその子のあそびの欲求がどこにあるかを読み取って直接手を添えることや、やり方のアプローチにヒントを出したり励まし褒めたりします。自力のみでは作り切れない構成を成功させたくて自己課題の限界に挑んでいます。 さてやっかいなのはかまって欲しくてじゃれてくるお子さんたちです。一人一人じゃれたい欲求の温度差がある子たちが2人~3人と束になってくるのですが、先頭切ってじゃれてくる子ども、仲間を得ていることでヒートアップしてくる子、なんか面白そうだとイレギュラーに加わってくるニュウフェイス。その欲求の温度差を読み取りつつ束になって程よく面白さを提供します。感じ取れる「面白さ」に対して彼らは貪欲です。 元よりこの時間帯は「静かに遊ぶ」「走り回らない」「大声を出さない」で安全に親御さんのお迎えまでの時間を過ごすというのが基本前提です。そこでこの範囲(ストライクゾーンをやや広めにとって)を極端に逸脱しない対応に努めます。ゆる~く規制しつつそれぞれの欲求に程よい満足を得られる境目を関わりの中で探っていきます。 延長保育のお子さんたちは18:15分におやつを食べます。そのあと延長保育のスペースに移動します。この時には幼児組のお子さんに加えて2歳クラスのお子さんも含めた保育となります。発達の段階が違いますから、あそび方や、欲求不満の表現(行動の言葉)が違ってきます。次々とおもちゃをとっ散らかしていく2歳児が一人います。彼の欲求や好みのあそびをその行動の中に読み取ることに努めます。対応のアプローチにひと工夫ふた工夫が必要となります。いわばこちらの保育の力量とセンスが問われているのです。自由に動き回らせていたのではとっ散らかったおもちゃ群を片づけても片づけてもおっつきません。そこで床に正座した私のモモの上に彼を座らせ落ち着けるような条件を探ります。当然彼は逃げ出そうとします。逃げおおせるぎりぎりのところで後ろから瞬時に抱き留めモモの上という「振り出し」にすわらせます。これを5分近く繰り返して遊んでみました。7回に1回くらいの頻度でギリギリ微妙なところで逃げ切れるように捕まえそびれてみます。するとこのあそびが面白く感じたのでしょう。わざわざ自分からモモの上に座ってきてリプレイをしたがりました。『キャッチ&リリース』という遊び方の誕生のひとときでした。
2017.05.23
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第15回ワンコイン朗読会&朗読広場 ~報告~ 昨日5/20予定通り無事開催できました。発表の他に新たな提案もありました。今回はご常連の参加者が5人他の用事等とのブッキングで欠席でした。けれども、一方、初参加の方が4人ほどありました。 朗読&語り作品並びに絵本の読み聞かせは以下の通りでした。①白い門のある家 (小川未明・作)②だるまさんが (かがくいひろし・作)③東の果て天のかなた (中国の民話)④嘘をつくのが上手な男&嘘を言わなくなった男の話 (日本民話2作)⑤虔十公園林 (宮沢賢治・作) ~主催者ばぶの感想~今回は『宮沢賢治・作虔十公園林』を読みました。この作品は自分としては5年ぶりの再演でした。作品の冒頭「虔十はいつも縄の帯を締めて…」とありますが、5年前はここの部分は単に字面を読むだけの読み飛ばし(?)状態の朗読でした。が、今回はこの作品を何度も読み込んでいく中で自問自答していましたら「なぜ『縄の帯』だったのだろう?」という疑問にぶつかりました。自分流の独自の解釈ですが、『縄の帯』は虔十さんにとって少なくとも特別な付加価値のある縄だったのではないか?例えばある日虔十のお父さんかお兄さんが縄を綯(な)っているところに出合います。手のひらからわら束が『縄』になって新たに生まれ出てくる瞬間に出合った虔十さんは大きな感動と沢山の不思議を感じ、『自分もやってみたい(作ってみたい)』と縄の綯い方を教わった。そして初めて自力で綯って完成することのできた愛着のある『縄』を自分の腰に巻き付けて帯にしていた…。今風の子どもの言葉で浚ってみると「じゃ~~ん、スーパーヒーローのベルトだじょ」といった調子だったのではないでしょうか。虔十さんの得意満面の晴れがましい笑顔が浮かんできます。虔十という人のキャラと彼の生活ぶりがこの「縄」からたくさん連想できました。 一方この日聴きに来てくださった方から後日メールで虔十が腰につけている「縄ですが・・『仏教的にいえば、「因縁」ではないでしょうか。先祖から伝わってきた、聖なる意思と考えると、ドラマチックですねー』という視点をいただきました。作者の宮沢賢治さんがどのような思いを込めて虔十の「縄の帯」について綴られていたのか益々興味が深くなりました。 ~これまでの朗読会を通じて新たな提案~新たなムーブメント~「この朗読会を通じて出会った人たちで水上勉・作の『ブンナよ木から降りてこい』を4~5人で群読してみてはいかがでしょう。」という提案がありました。面白そうな企画なので第17回ワンコイン朗読会&朗読広場(9/30土)のメイン作品として具体化しましょうということになりました。是非この企画に参加したいという方は名乗りを上げてくださいね。
2017.05.21
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福島に行ってきました の続き 今回の支援の旅は12(金)13(土)14(日)の2泊3日の訪問でした。 直接現地に行くのは今回が21回目。 走行距離は790㎞の行脚でした。 福島市で3か所、田村市で一か所訪問してきました。 「森のほいくえん野の子」を訪問した後、同じ福島市内の『放課後等デイサービス むすび』という施設をおたずねしました。この施設を立ち上げた穴澤由美さんとは昨年の8月伊豆の『保養ネットよこはま 河津古民家キャンプ』で初めてお会いしました。その時彼女は「私は『障がい児が放課後過ごせる居場所』というものが見当たらないのでぜひとも何とかして作りたいと思って活動しているのです。」とお話しされていました。そしてこの春一本の電話が入りました。「居場所が作れました。4月からオープンしています」という吉報でした。そのお話を聞いてビビビと閃き「野の子に行くのでその後見学させてもらいたい」と申し出ました。話はすぐに受け入れられました。 この民間施設を立ち上げるにあたっての熱い思いの丈がリーフレットの中に語られていますのでご紹介します。 私たちの想い障がいがある子どもたちは、日常生活の中での不安や人間関係など様々なストレスを自分の力で跳ね返すことは困難です。子どもたちには、遊びや運動を通してストレスを発散させ、自信を持たせ、みんなと遊ぶことの楽しさや喜びをたくさん経験させたいと思っています。 ~遊びは!~子どもの成長を促すためにとても重要です。例えば、人との関係性や相手の思いと自分の願いを伝え合い理解し合う事、がまんする力・譲り合う力・ルールを守る等々、「遊び」には人格形成に大切な要素が含まれています。 ~運動は!~12歳ごろまでを「ゴールデンエイジ」といい、運動を通した神経系統への刺激は運動能力の向上に大きな役割を果たすと言われています。この時期を大切に考え、子どもの体力づくりに力を入れたいと思います。 ~学習は!~生活に必要な基本的な「読み」「書き」「計算」等は、子どもたちにとって大きな希求です。可能なお子さんには十分な支援を致します。 穴澤さんと歓談していて印象深かったことばは「障がい児が小学校、中学校、高校と進学し卒業した後の就労支援までを整えて、その後彼らが社会に出たときに自活できるような能力を身につけさせてあげたいのです。」彼女の思いの丈のスケールに圧倒されつつ大きな共感を覚えました。 後で気づいたのですが「森のほいくえん野の子」の園長さんの丹治さんは昭和18年生まれ、穴澤施設長さんは昭和19年生まれ、私より10歳上の人たちと何故か御縁があり心惹かれます。世代的にハングリー精神の健全な息吹を感じました。そして自分自身の10年後に向けての一つの憧れ像を得たような気がした今回の旅でした。
2017.05.16
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福島に行ってきました。 今回の支援の旅は12(金)13(土)14(日)の2泊3日の訪問でした。直接現地に行くのは今回が21回目。 走行距離は790㎞の行脚でした。福島市で3か所、田村市で一か所訪問してきました。 昨年の12月福島市の『森のほいくえん野の子』の施設長の丹治さんから「やっと認可が取れました。その節はお世話になりました」という嬉しい報告と、リンゴが届きました。私は4年前こちらの保育園に自作の木のパズルや木のおもちゃなどを復興の支援品として贈り、さらにその数か月後に『お話おじさん』として訪問をした経緯があります。 市から認可が取れたという吉報にビビビッと反応して『お祝いにパーテーションを制作して、時期はゴールデンウイークの次の週に届けよう。』というアイデアが即、閃き決意しました。 こちらの保育園は最初無認可として立ち上るため「三日後には入園説明会を開く」というタイムスケジュールの中、まさにその直前あの東日本大震災(2011/3/11)にあいました。それから今日に至るまで本当に苦しい運営の中へこたれずに踏ん張って6年間の保育実践を積み上げその実績が認められ「森の保育園野の子」は福島市の小規模保育事業B型として市から認可されこの4月から認可保育園としての新たな一歩を踏み出したのです。定員19名という枠ですが今年は12名でのスタートです。 今回のワクワクパーテーションの制作には自分でもびっくりするくらい普段以上に熱が入りました。材料の段ボールを集め、こつこつ縫い上げ、ザクザク切り抜き、ペタペタクラフト紙と和紙でコーティングして制作延べ時間41時間。材質:段ボール紙製 寸法:厚み28㎜×縦幅640㎜×横幅780㎜のパネルに○△□の大小の窓を開けこれを蛇腹折5枚連結し完成しました。 12(金)のお昼寝明け「野の子」の子どもたちはワクワクパーテーションとご対面。早速中に入り込む子ども、○窓から顔を覗き込む子、大きめの窓をトンネルくぐりして中から出てきたり外から入り直したりする子、一番端のパネルをドアに見立ててやたら開けたり締めたりする子。5枚のパネルは5角形のお家になったりUの字型になったりVの字型になったり、W型っぽくなったりして狭い空間になったり広い空間になったりと変幻自在です。子どもたちのあそびの反応ぶりがあまりに穏やかで和やかに楽しんでいる姿に私は感動して、保育時間が終わったあと2階の予備室でさらに5時間かけて和紙をもう一重貼り重ねて『念入り仕上げ』にバージョンアップしました。合計で46時間の制作時間でした。
2017.05.14
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お話し森の山小屋で (第8稿) ~4/4~⑥ ものづくりの妖精さん 「ねえ、ねえテーブルさん」「テーブルさんてばテーブルさん」「あのさ、うんとさあ・・・」子ども達はいっぺんにしゃべり出しました。「ちょ、ちょ、ちょっと待った。」「ようせいさんってまほうつかい?」「ようせいさんってどんなときにくるの?」「ようせいさんどっからくるの?」「いろんなようせいさんがいるの?」子ども達はわれさきにと質問をしました。「質問は一人ずつだ」「ようせいさんってまほうつかい?まほうをつかえる?」「いいや、魔法使いではないね。ちょっと魔法使いみたいなところもあるけれど・・・もしかしたら魔法を使えるのかもしれないけれど魔法を使っているのは見たことないなぁ。」「それじゃあどんなことできるの?」「さっきもちょっと話したけれど、一生懸命考えてすてきな言葉が閃いたり、何か素敵な考えややり方を思いついたり、今まで気が付かなかったことに気づいたり発見したりするたびに妖精さんはその人のすぐそばに来て小さな拍手を贈るんだ。そしてその人の周りを嬉しそうにぐるぐる廻るんだ。その閃きややり方をその人が試してそれがうまくいけばいくほど妖精さんの数もどんどん増えて大拍手。妖精さんたちは熱烈な拍手をしながらびゅんびゅん廻るんだ。その拍手を浴びると不思議と元気が身体中にみなぎってくる。時にはヴァムさんが思わず『絶好調!』なんて自分を褒めながらものづくりしているのを見たことも何度かあったなぁ。」「ようせいさーんってよんだらきてくれるの?」「いいや、妖精さんは呼んでも来てくれないし、いついつ来るよなんて約束もしない。とっても気まぐれなんだ。」「ようせいさんってどっからくるの?」「さ、どこから来るんだろうねぇ。何処から来るかではなくて、多分…」「たぶん。なあに?」「多分、みんなの身体の中に最初っからいるんじゃないのかなぁ。」「さいしょっからいる?」「そう、最初っからいるんだけれども大抵眠っている。だから・・・」「だからなあに?」「だからなかなか気が付かないんだ。妖精さんが目覚めてすぐそばを拍手しながらぐるぐる回っていても気がついていない人が沢山いると思うよ。目には見えないからね。『あっ、今、妖精さんがすぐそばに来てる』って感じる人だけが妖精さんと会話できるんだろうね。会話といっても妖精さんはおしゃべりをしない。ぐるぐる廻ることと拍手で表現するだけだから、それがきっと妖精さんの言葉なんだろうと思うよ。」「いろんなようせいさんがいるの?」「ものづくりの妖精さんのほかにも・・・。ことばの妖精さん。お話の妖精さん。歌の妖精さん。楽器の妖精さん。ダンスの妖精さん。絵や彫刻の妖精さん。お部屋の妖精さん。森の妖精さん。大地の妖精さん。空の妖精さん。水の妖精さん。光と影の妖精さん。ありとあらゆる妖精さんがいるんだよ。」 ⑦ あそびの妖精さん 「ねえ、てーぶるさん」「何だい?」「あそびのようせいさんっていないの?」「おっと、肝心な妖精さんのことをすっかり忘れていたよ。どうして忘れていたかなぁ。ふぅ~む・・・。」「ねぇ、いるの いないの どっちなの?」「いるとも、いるとも。子供にも大人にも実にたくさんの妖精さんがね。だが、どうして忘れていたかなぁ・・・。」そのままテーブルさんは黙り込みました。子供たちは口をぽかんと開けてお話を待ち続けました。静かな時間がゆっくりと緩やかに流れました。テーブルさんは何かを話出そうとしているのですがずっと黙ったままです。その様子はさっきから懸命に言葉を探しているといった風で、それでいてちょうどいい言葉が見つからないらしいのです。そして時間はまるで止まったかのように動かなくなりました。「はくしょん。」 とジョーイが小さなちいさなくしゃみを一つしました。「遊びの妖精さんはね、ほかの妖精さんたちのとはちょっとばかり違うんだ。くるくる廻ったり拍手をしたりすることもあるけれど、それよりも明るさを増すというか、輝くんだ。身体の内側から外側に向かって輝きを増すんだ。大人たちの輝き方にはうねりや揺らぎがあるんだけれどもね。特に君たち子どもの場合にはその輝き方がまっすぐなんだ。どうかな、わかったかな?」「あまりよく・・・わからない」「そうか、『あまりよく解らない』か。では今日はここまでにしておこう。きっと私自身がまだよく解っていないから、私の中で言葉が熟成していないんだ。だから君たちに伝えきれないのだ。ううぅ~ん。これは私の宿題にさせてもらおう。解ったつもりでいたが、まだまだ充分に解ってはいないのだね。そのことに気づかせてくれた君たちにありがとう。」「はくしょん」またひとつジョーイがちいさなくしゃみをしました。「空気が少し冷えてきたんだ。おや、ここを見てごらん」テーブルの上のポットのふたをオレンジ色の光が染めています。光の源をたどっていくと、西の壁にちいさな節穴が見えました。かわいらしいハート形の節穴でした。「もう日が暮れるという知らせだ。そろそろお家へお帰り。」「ありがとう、たのしかったよ。またくるね。」「ああ、いつでもおいで、待っているよ。」「さようなら」「さようなら」
2017.05.12
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お話し森の山小屋で (第8稿) ~3/4~ ⑤ ヴァムじいちゃんと革の靴 「おや、君の履いているその革靴は…?前にどこかで見たことがある靴だぞ。君は?」「これ?おばあちゃんからもらったの。あたしの名前はセリーヌ。おばあちゃんが いまのあたしくらいのおんなのこだったときにおばあちゃんのおとうさんがつくってくれたんだって。」「すると君はヴァム・ルッシュボーンさんのひ孫というわけだ。」「あたしのパパは『ヴァムじいちゃん』っていっているわ。テーブルさんひいおじいちゃんのことしっているの?」「知っているどころか、このテーブルの私を作り直してくれたのもヴァム・ルッシュボーンさんなのだよ。」「ひいおじいちゃんのはなしききたい。」「それじゃあ、そのヴァムじいちゃんのお話をしようね」「あれはまだヴァムさんがカテリーナさんと結婚して7年目の春ターニャが5歳の誕生日を迎える一週間前の朝だった。」「カテリーナさんてだあれ?」「カテリーナさんは君のひいばあちゃん。ターニャは・・・」「わかった、あたしのおばあちゃんのことね。」「そうとも、そのとおり」「へえ~おばあちゃんにもなまえがあったんだ。ぼく・・・」「おや、君は・・・」「あたしのおとうと。ジョーイよ」 「ぼく、おばあちゃんって『おばあちゃん』っていうなまえかとおもってた。」「はっはっは、だれにもなまえはあるよ。すてきななまえがね。さて、お話をつづけよう。」「ききたい、ききたい。」「ヴァムさんはターニャが5歳になる一週間前の朝、『うん、これだ。5歳のプレゼントはこれにしよう。』とっても素敵なことを思いついた。『お早う、ヴァム。どうしたの?とってもうれしそうね。』『やあ、カテリーナ。おはよう。ターニャの5歳の誕生日のプレゼントのことさ。何にするか決まったんだ。これさ。』ヴァムさんは、自分の履いている破れかかった革靴のつま先をパクパクさせながら言ったんだ。『ターニャに靴を?パーチのお店で買うの?』『いいや、買わない。私が自分で作るのさ?』『あなたが自分で靴を?作ったことあるの?』『一度もない。けれど作ってみようって思ったのさ。』『靴を作るなんて難しいんじゃない?できるの?』『多分、難しいだろうな。・・・でもね、ほら、さっきからこの靴もぱくぱくとしゃべっているじゃないか。できるかできないかなんてやってみないとわからないさ。ってね。この靴が作り方を教えてくれるよ。』それからヴァムさんは七日七晩かけて サクサク ジョキジョキ コツコツトン 上から下から キュッキュッキュ。 そして、靴は完成した。私はその時の話をヴァムさんに聞いたことがある。『ヴァムさん、どうやってあの靴を作ったんだい?』『まず始めに、自分の履いていたパクパク靴を丁寧に分解した。そして、隅から隅まで注意深く見たんだ。そして解った。なーるほど、靴っていうのはこういう風にできているんだってね。それをお手本にまさにみようみまねでじっくり慌てず、ひと針ひと針縫いあげた。靴を作ろうって閃いたときから、靴が仕上がるまでの間のことだ。何度も不思議な体験をした。』『不思議な体験ってどんな体験?』『何か閃いたり、思いついたり、発見をする度に、不思議な何かが私の周りをくるくると廻るんだ。よく見ようと手を止めると何も見えない。けれども、何かがくるくる廻っているのを感じるんだ。そして、聞こえるんだ。彼らの熱烈な拍手の音をね。正確にいうと実際には聞こえないんだが感じるんだ。』『彼らって、誰?』『ものづくりの妖精さんたちだ。』
2017.05.11
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お話し森の山小屋で (第8稿) ~2/4~ ③ ティーパーティー 子ども達はわくわくしながらお部屋の中に入っていきました。ちょっとばかり小さなお部屋です。みんながいちどに入りきれるかなぁと心配しながら入りました。ところが不思議なことにみんな一緒に入れました。しかも、お部屋の中はちっとも窮屈でなくて、広すぎもせず狭すぎもせず、なんというか『ちょうどいい広さ』なのです。小さなテーブルを挟んでベンチが二つありました。藤色のベンチが言いました。「どうぞみなさん座ってください。」みんなが一度に座れるかなぁと心配しながら座りました。ところが不思議なことにみんな一緒に座れました。しかもベンチはちっとも窮屈でなくて硬すぎもせず柔らかすぎもせずそのうえとても座り心地がいいのです。テーブルの上には白い陶器のポットがありました。ポットはふたをパタパタさせながら子どもたちに訊きました。「のどの乾いている人はいますか?」「はーい」「はーい」とみんな勢いよく手をあげました。するとどうでしょう。不思議なことにその手にはそれぞれガラスのコップが握られていました。ポットさんがちょっと胸を張っておすましで訊きました。「何を飲みたいですか?」お茶を飲みたい、ジュースを飲みたい、冷たいおみずがいい、子どもたちはそれぞれに自分の好きなものを注文しました。「はい、あなたはお茶ですね、・・・お茶は紅茶ですか緑茶ですか? あなたはジュースですね。 どんなジュースがいいですか?え?『ブドウのジュース』お隣のあなたは『さくらんぼのジュース』そしてあなたは『冷たいおみず』・・・はい解りました。」とても不思議なポットです。コップに注ぐ度に注文どおりの飲み物が次々と出てきます。ガラスのコップは色とりどりの飲み物で賑やかにに輝いています。「飲み物はいきわたりましたね。それでは皆さん さあどうぞ」「カンパ~イ!」ごくごくふつうの子どもたちはゴクゴク喉をうるおしました。コップも大変不思議でした。もっとお代わりが飲みたいなって思って「おかわり!」って言おうとするとコップの底から湧き出るように飲み物が増えているのです。しかも、たっぷりお替りの欲しい子にはたっぷりと、ちょっぴり一口分だけ欲しいという子にはちょっぴり一口分だけ多過ぎもせず少な過ぎもせず、ぴったりなのです。そしてそれを飲み切ると身体の中を爽やかな風が吹き抜けて自分も風になったようないい気分でした。「ごちそうさま」みんなコップをテーブルの上に置くとコップはみるみる色がうすくなりポワッと見えなくなりました。「それじゃあ、こんどはおはなしだよ。」とテーブルさんの脚がカタリとタップダンスしました。 ④ 妖精さんの背負い籠 テーブルさんが子どもたちにききました。「妖精さんのお話をしようか?」「ききたい」「ききたい」「おはなしききたい」子ども達は目をキラキラさせて答えました。「それでは始めようねようせいさんのせおいかごというお話だよ。ある時サニー坊やが私にこんな質問をしたんだ。 『ありがとうのことばがとどくのはなぜ?』それはね、ありがとうの妖精さんが背中の背負い籠にありがとうを入れて届けに行くからだよ『ごめんなさいのことばがとどくのはなぜ?』それはね、ごめんなさいの妖精さんが背中の背負い籠にごめんなさいを入れて届けに行くからだよ『ありがとうもごめんなさいもことばがとどかないときもあるよ。どうして?』妖精さんが、ちょっとあわてんぼして背負い籠の中にことばを入れ忘れて出かけたり籠に入れた言葉を途中で落としたりして籠の中身が空っぽになっているとせっかく届けに行っても手渡せないのだよ妖精さんの背負い籠にはふたがないんだだからことばをしっかり中に入れないとね妖精さんも困っちゃうね『せおいかごのなかにことばをしっかりいれたのにとどかないときもあるのはなぜ?』妖精さんはね、お家のドアや窓を一度だけそっとノックするんだ。けれどもね、ドアも窓も固く閉まっていると開けてもらえないから手渡せないんだ『どんどん・・・ってもっとつよくノックしたらきこえるよ』そんなふうにノックしたらドアも窓も、もっと堅く閉まっちゃうことを妖精さんは知っているんだ外側から無理やりあけようとしてもだめなのさドアも窓も内側からしか開かないんだだから、そっとノックするのだよ 『どうしてようせいさんのせおいかごにはふたがないの?ふたがあればことばがそとにおっこちたりしないよ』それはね、背負い籠に蓋をするとことばが腐ってしまうのだよ蓋をしたら呼吸ができなくなるからね。いつも新鮮な風に触れているからことばはみずみずしいのだよ。『ようせいさんのせおいかごってこわれちゃうことがある?』時には壊れちゃうこともあるかもしれないね。妖精さんにとって背負い籠はとっても大切な道具なのだ。だから妖精さんは背負い籠の手入れを毎日しているよ。籠が壊れそうになっているのを見つけるとすぐに直して、また使っているよ。直すのがとっても上手なんだ。 『ようせいさんのせおいかごってどのくらいのおおきさなの?』 おおきいのもあれば、ちいさいのもあるよ。というよりも、ことばにふさわしい大きさに大きくもなれば小さくもなる不思議な籠だよ。『ようせいさんのせおいかごにはことばをたくさんいれられる?』一度にあれもこれものことばは入らない。大抵は一つ入ると満杯だよ。けれども妖精さんは沢山いるから大丈夫さ。子ども達は身を乗り出して訊きました。「ねえ、ベンチさん。たくさんってどのくらいたくさん?」そうだなぁ、数えきれないくらい沢山いるよ。みんなのワクワクドキドキを全部合わせたくらい沢山だよ。子ども達はベンチから立ち上がって「わー、すごいなぁ」って叫びました。
2017.05.10
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お話森の山小屋で (第8稿) ~1/4~①あいことばむかしむかし、ある国のかたすみに小さな村がありました。その村はどこにでもあるごくごくふつうの村で、村にはどこにでもいるごくごくふつうの子ども達が、 ごくごくふつうの暮らしをしていました。さてその村のとなりに大きな森がありました。その森は不思議の森でした。その森のまん中には小高い丘があり、丘のてっぺんには広場がひとつありました。その広場は不思議の広場でした。その広場のまん中に山小屋が一軒ありました。その山小屋は不思議の山小屋でした。その山小屋には小さなドアがありました。そのドアには看板がかかっていました。その看板には不思議の文字でこう書かれていました。「だれでもどうぞ。いつでもどうぞ。ノックを3回してください。ドアが開きます。」ドアの奥には小さな部屋がひとつありました。その小さな部屋は不思議の部屋でした。部屋の中では不思議の時間が流れていました。部屋の扉には小さな貼り紙が不思議のピンでとめられていました。その貼り紙には不思議の文字で「合言葉は『入れて』です。『いいよ』と返事が聞こえたら扉を開けてください。」と、こう書かれてありました。さあ扉を開けたらどんな楽しいお話が待っているでしょう。 ② 扉をあけた子どもたち 森には素敵なこと楽しいことがいっぱいありました。ある日、村の子ども達が8人、その森に出かけて行きました。森の中には不思議の小道がありました。子供たちがためらいもせずどんどん歩いて行くと歩いていきたいその先につぎからつぎへと道ができました。なぜってそれは不思議の小道だったからです。その小道をどんどん行くと小高い丘が見えました。その丘のてっぺんまで登っていくと見晴らしの良い広場に出ました。その広場の真ん中に山小屋が一軒見えました。子ども達は『よーい、ドン』と広場をまっすぐに突っ切りました。息がハアハアする前にもう山小屋に到着しました。なぜってそれは不思議の広場だったからです。山小屋にはドアがあり看板が揺れて掛かっていました。なぜ看板が揺れていたかというと子ども達がみんな元気に走って来たからです。大きな子どもも小さな子どももみんな一緒に声をそろえて看板の文字を読みました。なぜ読めたのかというとその文字は不思議の文字だったからです。「だれでもどうぞ。いつでもどうぞ。ノックを3回してください。ドアが開きます。」子ども達はドアをノックしました。『トントントン』シャラリラ シャラリロ シャラランランと鳴りながらドアが楽し気に開きました。子ども達がドアの中に入っていくと小さな部屋が一つありました。部屋の扉には小さな貼り紙がありました。その貼り紙は不思議のピンでとめられていました。不思議のピンがプルプルっと小さくゆれながら言いました。 「あいことばをどうぞ」子ども達は声をそろえて言いました。「い・れ・て」すると部屋の中から「い・い・よ」と返事が返ってきました。子ども達はわくわくしながら扉を開けました。 お
2017.05.10
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第15回ワンコイン朗読会&朗読広場を開催します。日時 5月20日(土) ※来週土曜日です。開場13:30 開演14:00~15:15頃 参加費500円(お茶と菓子付き)です。会場 旧押立カフェ(稲城市押立945-9)アクセスJR南武線矢野口下車徒歩9分矢野口駅改札出て左、北口を出て左折JRの高架の下の側道に沿って歩く(立川方向)。二つ目の『止まれ』の交通標識を右折し(四小通り左方向にカーブしている)道なりに2~3分歩き、前方に手作りパンの店が見えたらその奥隣り。今回の演目宮沢賢治・作 『虔十公園林』他◆ 朗読広場での朗読参加者を若干名募集中です。
2017.05.09
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童謡 アルプス一万尺 一番最初にこの歌と出会ったのは小学校3年生の時でした。(もう54年前のことなんです。)この歌の「アルプス」とは日本アルプスのことで、私はこの歌の中の何番だかは忘れましたが♪きのう見た夢でっかいちっちゃい夢だよ蟻がリュックしょって富士登山♪というところが好きで、何故かここだけを時たま口にしていました。自分がやっていること、これからもやろうとすることを揶揄するというのでなく自分への応援歌として歌うのです。蟻のようにちっぽけな虫だって志をもってコツコツのぼって行けばいつか富士山だって頂上に立てるのだ。さあ今日もこつこつやるぞ。 今回の記事を書くにあたってインターネットで参考資料を拾い集めていましたら、私の記憶の中の♪…蟻がリュックしょって…♪の『あり』は間違いで正しく(?)は『蚤(のみ)』で2番の歌詞だということも判りました。しかも驚い事に 童謡「アルプス一万尺」の歌詞は29番まであったのです。せっかくですから1~29番までの歌詞を紹介します。 1番 :アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを 踊りましょ 2番 :昨日見た夢 でっかいちいさい夢だよのみがリュックしょって 富士登山 3番 :岩魚釣る子に 山路を聞けば 雲のかなたを 竿で指す 4番 :お花畑で 昼寝をすれば 蝶々が飛んできて キスをする 5番 :雪渓光るよ 雷鳥いずこに エーデルヴァイス そこかしこ 6番 :一万尺に テントを張れば 星のランプに 手が届く 7番 :キャンプサイトに カッコウ鳴いて 霧の中から朝が来る 8番 :染めてやりたや あの娘の袖を お花畑の 花模様 9番 :蝶々でさえも 二匹でいるのに なぜに僕だけ 一人りぽち 10番 :トントン拍子に 話が進み キスする時に 目が覚めた 11番 :山のこだまは 帰ってくるけど 僕のラブレタ- 返ってこない 12番 :キャンプファイヤーで センチになって 可愛いあのこの 夢を見る 13番 :お花畑で 昼寝をすれば 可愛いあのこの 夢を見る 14番 :夢で見るよじャ ほれよが浅い ほんとに好きなら 眠られぬ 15番 :雲より高い この頂で お山の大将 俺一人 16番 :チンネの頭に ザイルをかけて パイプ吹かせば 胸が湧く 17番 :剣のテラスに ハンマー振れば ハーケン歌うよ 青空に 18番 :山は荒れても 心の中は いつも天国 夢がある 19番 :槍や穂高は かくれて見えぬ 見えぬあたりが 槍穂高 20番 :命捧げて 恋するものに 何故に冷たい 岩の肌 21番 :ザイル担いで 穂高の山へ 明日は男の 度胸試し 22番 :穂高のルンゼに ザイルを捌いて ヨ-デル唄えば 雲が湧く 23番 :西穂に登れば 奥穂が招く まねくその手が ジャンダルム 24番 :槍はムコ殿 穂高はヨメご 中でリンキの 焼が岳 25番 :槍と穂高を 番兵において お花畑で 花を摘む 26番 :槍と穂高を 番兵に立てて 鹿島めがけて キジを撃つ 27番 :槍の頭で 小キジを撃てば 高瀬と梓と 泣き別れ 28番 :名残つきない 大正池 またも見返す 穂高岳 29番 :まめで逢いましょ また来年も 山で桜の 咲く頃に※「ランラララララララ・・・」の部分は省略してあります。 記憶とはいい加減なところがあって1番の歌詞で「子ヤギ」ではなくて「小槍」でした。小槍というのは槍ヶ岳の山頂付近にある岩のことで「小槍」の標高は3,030mで、ちょうど一万尺なのだそうです。元歌はアメリカ合衆国の民謡・愛国歌でヤンキードゥードゥル(英語:Yankee Doodle)です。"Yankee"とはイギリス軍がその植民地アメリカの軍隊を指して使っていた言葉で、"Doodle"とは「まぬけ」というような意味です。替え歌ですから元の歌詞の世界とは全く別物で作詞者は不明ですが、京大山岳部の学生、とする説が有力なのだそうです。
2017.05.08
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「モモ(M・エンデ)」の能力(聴きとる力) モモはごく普通の女の子です。特別な超能力を持っているわけでもありません。相手の話を最初っから最後まで心を込めてじっくりと聴きます。聴き入ります。相手の人はモモに見つめられていると本当のことを話したくなります。時には悩みをかかえている人は、自分の悩みをモモに向かって語っているうちに自分自身で解決方法に気付いたり、時には苦しい胸の内を語るうちに気持ちが楽になれたりします。モモは聴きとる力がずば抜けてたけているのです。やはりこれも優れた能力の一分野です。復興支援活動をしている人たちの中に「傾聴ボランティア」という活動を続けておられる方々があります。こうした活動を通じて聴きとる力が遺憾なく発揮されているのです。人は自分の話を本気で聴いてくれる人と話していると気持ちが楽になり穏やかになります。忙しいからと話半分に聞いていたり、もしくは『ああ、その話なら分かっています、知っています』と言い放って聞いてくれなかったり、聴き留めてくれなかったり、聴こうとさえしてくれない扱いを受けると、その人への不信感や、自分は信頼されていないと感じたり、その人との信頼関係の有り様の現状に疑問を持ちます。職場などでの大人同士の関係では力ある人材として育てなくなるばかりか、時には育とうという意欲さえ希薄になります。ネグレクトのような相互関係は最悪です。親子関係ではどうでしょうか、言葉や態度や表情やしぐさなどの言葉の外側の言葉で、子どもはシグナルを発します。それらを受け止めるアンテナの状態がどんなであるかメンテナンスに心がけたいものです。要は自分の都合を優先して子どもの発するシグナルに対して鈍感にならない自己チェックが肝心です。
2017.05.07
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心に残る児童文学作品のラジオドラマ 一篇の詩や小説や映画や演劇との出会いが人生を大きく変えるほどの出会いをしたという経験をお持ちの方があるでしょう。もう30年以上前の体験ですが、私の場合ラジオドラマにその体験があります。間違いなくあれが源となって、その後17年の年月を経て私の関心事の一つ「朗読」へと深化していきました。 当時たまたまNHK-FMでエアチェックしたのですがその後すっかりラジオドラマアファンになりました。その作品は原作・ミヒャエル・エンデ「モモ」をNHK-FMが制作したドラマスペシャル「モモ」でした。脚本は故石山透さんでした。原作のすばらしさ翻訳のスバらしさもさることながら石山さんの脚本版の「モモ」は衝撃的でした。もしも関心とお時間のある方は是非お聞きください。https://www.youtube.com/watch?v=GuZbVD_Thbw 前篇https://www.youtube.com/watch?v=gQ2E_eiLV1I 後編おころに
2017.05.06
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お金儲け最優先の時代から変わりつつある世界の到来 ドイチャン珈琲(原産国/タイ王国)ってご存知ですか?出会いは町田の鶴川にある行きつけのAコーヒー店(こちらは生のコーヒー豆を自家焙煎して販売している)です。店内には20種類以上のコーヒー豆と、6種類のブレンドしたコーヒー豆が瓶に入って並んでいます。お店を訪れるたびその日の気分でモカ・マンデリン・ガテマラ・ブラジル・オリジナルブレンドetcを買い求めていました。ある日陳列されている瓶の中に「ドイチャン (現産地/タイ王国)」というのが目に留まりました。友人に土井さんという人がいましたから、しゃれでプレゼントしたら喜ばれるかもというのが最初の購入の動機でした。さしあげる前にまずは自分の舌で味わってみようと帰宅し飲んでみますと思いのほか私の好みにはまりました。 インターネットでいろいろ調べてみました。◆タイ国最北端の県チエンラーイ県は北にミャンマー、東にラオスとの国境を有し、ドイチャン村(東経:90゜48‘16“ 北緯:20゜ 7‘40“)という山岳地帯にある村落でバンコクから北へ約780キロメートル、チェンマイから約180キロメートル標高1,500mもあるこのドイチャン村で山岳民族によってコーヒーも農業の一部として大切に栽培されている。"DOI CHAANG"とは「土居ちゃん」という意味…ではなく、日本の土居珈琲さんともまったくの無関係。"DOI CHAANG"とは「象の山」という意味で、そういう名前の山がチェンライにあり、そこでもやはりアカ族が豆を作っている。 ◆黄金の三角地帯(おうごんのさんかくちたい、タイ語: สามหลี่ยมทองดำ)とは、東南アジアのタイ、ミャンマー、ラオスの3国がメコン川で接する山岳地帯で、ミャンマー東部シャン州に属する。世界最大の麻薬密造地帯であった。別名ゴールデン・トライアングル(英語: Golden Triangle)と呼ばれ、アフガニスタン・パキスタン・イラン国境付近の黄金の三日月地帯と並ぶ密造地帯である。 ◆タイのコーヒーは麻薬や貧困からの脱却を目的とした換金作物として近年普及してきた背景があります。これら麻薬からコーヒーへの作物転換の動きの中で、タイ王室がスポンサーとなったり、運動を支えるべく多くのNGOが活動に参加したりするようになった。◆これは10数年前から王室プロジェクトによって北部山岳地帯で(ケシ栽培に替わり)コーヒーの木(アラビカ種)が大々的に栽培されるようになったお陰で、アラビカ種の普及とともに良質なカフェも増えていった。タイコーヒーの品種はカチモール中心であるが、このコーヒーはブルボン品種。カチモールに比べ、デリケートで生産量も落ちるブルボンだが、美味しいコーヒー作りを考える生産者によって実現した。(私の推測ですが、日本人のUさんの尽力も多大であったろうと思われます)タイのコーヒーにはフェアトレードや有機JASなど、自然や社会といった環境に配慮したコーヒーが多くシェードツリーに囲まれ、高地特有の寒暖差もあり、とても良質なコーヒーが生産されている・・・などとあります。私が一番話題にしたいポイントは『世界最大の麻薬密造地帯』にケシノミ栽培に換わる農産物として『コーヒー豆』を生産したらどうか『より一層美味しいコーヒー豆を栽培する』という発想に至った人たちの知恵と努力です。2002年、ケシ栽培禁止令が出て、サトウキビ畑などへの転換が大きく進んだが、その後代替作物の価格下落とアヘンの価格上昇が重なり、2007年ごろから麻薬製造が再び活発化…云々という経緯もあり、栽培に向けては困難も多々あったことでしょう。珈琲豆の生産量を上げて利益を追求するという発想をやめて美味しいコーヒー作りを志向してそれまで生産品種はカチモール中心であったものを、カチモールに比べ、デリケートで生産量も落ちるブルボン品種の栽培に敢えて挑んだ人たちの努力によって実現したのです。
2017.05.05
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童謡 ママごめんなさい を歌ったことありますか? イタリアのボローニャ市で年1回開催される、子供の歌のための国際歌唱コンクール(ゼッキーノ・ドーロ)で1963年に1等賞を得た曲。 リズムはチャチャ・ツィスト。イタリア語原題は「Non lo faccio piu」です。これで検索すると、原語の歌が聴けます。英訳すると「I do'nt do it any more」「もうしません」ということですね。邦訳「ママごめんなさい」と訳詞表現した泉 恵さんのセンスに乾杯です。原曲を作詞作曲したイタリア人たち日本に紹介した大人たちや編曲をした人にも乾杯です。大人になっても童心や遊び心を忘れない全ての大人たちに乾杯です。資料によると『1964年8月-9月にNHK「みんなのうた」で放送された』とありますから私が小学校5年生の時に当たります。『歌唱は中尾ミエによる。「ゼッキーノ・ドーロ」の優勝曲を「みんなのうた」で取り上げたのはこの作品が初めて。訳詞は終盤を除きおおむねイタリア語の原詞の概要に従っている。アニメーションはこの時期常連の和田誠。』残念ながら私はリアルタイムでこの歌とは出会っていませんが、保育士になって6年目の頃(今から37年前)に子どもたちとワクワクして歌える歌はないものだろうかとあちこち探しまくっていてひょっこり見つけました。実際にこの歌詞にあるようないたずらをしたらとんでもないことになりますし、当時にしても今どきの子育て現場にしてもこんなハチャメチャな自由奔放さは見る影もありません。けれどもイメージの中でやっちゃいけないいたずらは十分楽しめます。子どもたちと一緒にこの歌を朗郎と歌い終わってせいせいしてからクラスの子どもたちに「この子、『もういたずらしません』って言ってるけど、本当にもういたずらしなかったかな?」と質問したことがあります。その時あらかたの子どもが大笑いしながら『またやったと思う』との返事でした。 Antonietta de Simone アントニエッタ・デ・シモーネ 作詞Edilio Cspoyodyi エディリオ・カポトスティ 作曲泉 恵 訳詩 小森 昭宏 編曲 ママ ごめんなさい ママ ママ いたずらはやめます ねこのしっぽに ペンキをペタペタぬったの だあれパパの写真に ひげをかいたの だれのしわざくつの下に すべるバナナをおいたの だあれぼうしの中に みみずを入れたの だれのしわざ ママごめんなさい いたずらはしませんママごめんなさい ママ ママ いたずらはやめます ぼくは あすから みんなにめいわく かけないようにぼくは ぼくは いい子になること 約束します ママ ごめんなさい ママ ママ いたずらはやめますぼくは あすから みんなにめいわく かけないようにぼくは ぼくは いい子になること 約束します 約束します 約束します 約束します
2017.05.04
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こだわることに振り回されつつもどこかで泰然としていたい 2~3歳のある時期に集中して、なんでも『自分で!』とやりたがり、自分のやり方や手順やイメージを頑固に貫き通そうと頑張るお子さんがいます。自分が愛され受け入れられているという安心と信頼の関係ができつつあるが故の主張です。疎外され無視された育てられ方の渦中のお子さんはこんな主張をしません。余計な手出ししないでよと自分なりの納得を求めます。そして、時にはその納得にたどり着けニンマリすることもあるし、時には試みたけれども思うようにならないので『できな~い、やってぇ~』と助力を求めることもあります。 付き合う大人たちはどっちの結果が待ち受けようともそのありのままをまず受け入れてその先の対応に努めたいものです。頑固に、意固地にトライアルしてみたものの途中下車の『できな~い』の表明に至ったからといってこれに対して、「だから言ったでしょ」とかの類の𠮟責や小言や愚痴や嘆息などは極力控えて欲しいものです。何故なら『できな~い表明』をしたという場合は、それはそれで自分で事態に対して見切りという判断ができたのであり、自分の脳みそで自ら考え感じ取りそして結論に至ったのですからまずは賞讃したいところです。 こだわり方にも二通りあると思います。 何に対してどのようなこだわり方をするかによって、『結果物としての自分の世界』を狭く押し込めまわりからどんどん孤立していく場合と、ぐんぐん興味の対象を掘り下げていって枝葉を茂らせて自分の世界を広げていく場合とあるように思います。たとえこの時期殊更に自分の世界を狭く押し込め孤立しつつあると見えても、人生80年というスパンで俯瞰してみれば何か別の見え方が想像できます。 何しろ子どもらにとって、みのまわりの世界は不思議と驚きに満ち満ちた世界であり、そこの住人なのです。私ら大人もかつてはその世界の住人だったのにそのことをあらかた忘れてしまっています。この貴重な忘れ物を届けに来てくれた愛すべきメッセンジャーと共感のひと時を子育てという名のお花畑で喜怒哀楽の花々をカラフルに咲かせて堪能しましょう。子どもは生まれて3年間で一生分の親孝行をするといいます。子育てを辛くうっとうしく思うときも『雲上晴天』です。
2017.05.03
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此の頃考えていること 「ぎょうむ」と「しごと」の差異 仕事と自分の生き方との問題でもあるのですが、『保育や子育て』と『モノづくり』の世界を日々往復していると「ぎょうむ」と「しごと」の差異に見えてくるものがあります。生き方という点では「どのように生きてきたか、この先どのように生きていきたいのか」という反省と願望があります。 考えを整理する試みとして分厚い国語辞書の中から興味深く感じた事柄を拾い出しつつ自問自答を進めてみます。◆『業務とは・・・職業として継続、反復する仕事』『業務上過失・・・業務を行う上で当然払うべき注意を怠ったために起こった過失』とあります。私は元来そそっかしくて結構『見切り発車』で人生してきましたから今後もケアレスミスには気を付けないとなりません。◆『仕事・・・しなければならないこと。職業。働くこと。専門的、職業的な方面での価値のある作業やその成果。』 一方物理の世界ではこう説明されています。『力が物体を移動させるとき、力は物体に仕事をしたという。仕事量は、力の大きさ×力の向きの移動距離で表す。仕事量の単位はジュール。』人間である子どもという存在はモノではないのでこの解説が即当てはまらない面も多々あります。 さて、仕事・仕事量のことなどに思いを巡らしていましたら、思い当たった寓話がありました。ここから話は飛躍しますが、イソップ物語の中にある「北風とおひさま」というお話。この寓話から読み取れるものがあります。北風とおひさまがどのような切り口から勝負をしたのかで話の展開も結果もいろいろ様変わりしてきます。「旅人の帽子を脱がそう」という勝負や「旅人のマントを脱がそう」という勝負。もしも反対の視点から「旅人にマントを着せよう」という勝負を挑んだらどうなっていたでしょうね。 閑話休題親子という関係や保護者という立場からの捉えや関わりはニュアンスが違ってきますけれども、『保育や子育て』と『モノづくり』の世界を日々往復している今の自分の暮らしを通じて感じる「ぎょうむ」と「しごと」の差異に重々気を付けなくてはと気づき出していることがあります。それは『仕事をしているつもりや仕事をしている振りが成り立つ世界と成り立たない世界があること。』そして、最終的にわが身に帰ってくるのは「どのように生きてきたか、この先どのように生きていきたいのか」という反省と願望の問題です。まだまだ途上ですが「この頃の気づき」の断片として途中経過をここに書き留めておき、日を改めて再度綴ります。 蛇足ながら国語辞書を引いている際に目を引いた派生的な項目も紹介しておきます。『仕事師・・・難しい仕事を成功させる有能な人。』やり手。保育の仕事師ってあるだろうか?『仕事の原理・・・物理では、てこ、滑車、斜面などを利用すると移動に必要な力は少なくなるが、移動距離が増して仕事量は同じであるという原理。』これなんかは、経験智からうわべの薄っぺらなテクニックと奥の深いテクニックが見え隠れします。安易な道に流れないように自戒です。
2017.05.02
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今年最初の蚊のエジキ 痒くて深夜目が覚めました 5月1日の深夜1時45分です。前の晩、折角24時前に床に就いたのにもかかわらず、痒くて目が覚めてしまいました。最初は夢うつつなところもありますから『痒くて目が覚めた』という自覚に至りませんでした。けれども、部屋の明かりをつけてわが身を点検すれば右の手の甲に二か所右眉毛の上に一か所、蚊に食われた痕跡。直径2ミリにも満たない痕跡は一番ちいさい蚊の仕業。耳元であの不快な羽音を聴かせずにやってくる忍者のような蚊です。 新緑に囲まれた実に爽快な季節です。ここは東西南北360度緑に囲まれたロケーションですから年間4種類の蚊がそれこそ春のお彼岸からクリスマスのころまでの期間に渡っての長丁場の出没。振り返ってみれば今年は蚊のデビューが遅かったです。でも今夜しっかり食われました。まるで遠慮しがちな痒み、けれども、しっかりと痒さを主張している痒みです。 捕虫灯をおとといから点灯して就寝していましたから油断でした。対策として併用して電気蚊取りをセットすべきですがあいにく本体をどこにかたづけたものか見当たりません。 捕虫灯を点灯しているのだからいいでしょう…と高を括って、痒み止めの薬を塗って再び就寝。そして2時20分また痒くて目が覚めました。甲虫や蛾の類は捕虫灯の明かりにおびき寄せられますが、どうやら今年も蚊は例外のようです。 これはたまらんと布団から抜け出て、電気蚊取りを是が非でも探さねばと本気で見まわします。なんのことはありません、足元にあったのですが、捜そうにも老眼だとよく見えません。良く見えないのでよく見ようとしません。本気で困らないと問題解決には至りません。 新たに食われた数か所に痒み止めを塗り、電気蚊取りをセットして安眠。定時の4時44分アラームで起床。さすがに眠いのでアラームをセットして15分眠りを追加します。「15分仮眠」は10年以上も前から自分の身体をしつけてきていますからどの時間帯であっても起きられます。そしてこのブログを書いています。 教訓です。自然界の摂理に対して人(特に私)は自分にとって都合のいいように解釈するものです。蚊の痒みはそれを戒めています。
2017.05.01
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